探偵は思い出のなかに

春泥

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母を訪ねて

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「あ、あ、あ……」
 驚きのあまり腰が抜けたらしいタイチが、尻もちをついた。体を支えるために地面に着いた手や太腿にまで、ガラスの破片による切り傷がいっぱいできている。

 よくない兆候だ。

 怪物とハダたちの間は百メートルほど開いていたが、相手のデカさを考慮すると、十分に安全な距離とは思えなかった。毛むくじゃらの脚まで含めれば縦横十メートルはありそうな巨大なクモが、ぱりぱりとガラスの破片を割りながら近づいてくる。反射的にタイチを片腕で抱き抱え逃げ出そうとしたハダだが、すぐに足を止めた。クモの目標物は二人ではなかった。
 クモの行く先、ガラスの破片が積みあがってできた小高い丘の上に、人影があった。長い髪がぞろりと垂れている。細身の、女だ。腰までガラスの山のなかに埋まっている。
 
 見覚えのある顔だった。

 職業柄、ハダの顔認識能力は高い。
 あれは恐らく、タイチの母親なのだろう。しかしその姿は、つい先ほど、意識のないままベッドに横たわる姿を見た女性の原型を、ほとんど留めていなかった。

 彼女の口が大きく開いている。

 恐らく叫んでいるのだろう。空気がびりびりと振動しているのが感じられる。だがこの空間を満たしているのは、恐ろしいまでの静寂だ。その静けさの中で、巨大グモがガラスの破片を踏みしめて移動する音だけが聞こえてくる。

 女は蜘蛛が近づいてくるたびに口をさらに大きく開ける。そのうち顎が外れてしまうのではないかとハダは不安になった。ふと気づいて腹に手を回して抱え上げたままのタイチに目をやると、タイチは今にもこぼれ落ちそうなほど目を見開き、母親を凝視している。眼窩が落ちくぼんだその顔は、あの醜悪なクモにそっくりだった。

 目の前に蜘蛛の牙が迫っても、母親は動かない。動けない。両足が膝下までガラスの中に埋もれているから。

 いやあれは、母親なんかじゃない。

 クモの顔が、声なき叫びをあげ続ける女に近づいていく。牙の生えた口が開く。こちらも、顎が外れるのではないかというぐらいに。叫び続ける女の頭部に、牙が食い込む。
 タイチの絶叫が響き渡った。

「こんなところに長居は無用だ。帰るぞ!」

 ハダは反対側の手で持っていた網の輪っかをくるりと一回転させてタイチの頭にばさっと被せた。
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