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第四十話 影の声(1)
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「ここはどこ?」
「えっ?」
ソータは慌ててあたりを見回した。
点々とポールライトが立っているものの、全体的に暗くて、鬱蒼と茂る木々の葉が黒々としている。
「どこだかわからない?」
「あっ」
質問されていたのだった。一瞬だけ、記憶喪失にでもなったのかと不安に駆られたが、ほどなくソータの顔に笑みが浮かんだ。
「ここは、名城《めいじょう》公園じゃないか」
間違えようがない。ライトアップされ、藍色の空に佇むお城が驚くほど近くに見える。緑色の瓦屋根のてっぺんには、金色に輝く鯱《しゃちほこ》。名古屋市内に住んでいると、なにかにつけて訪れるのがこの名城公園だ。春は桜が満開になるし、夏祭りには、屋台がずらりと並ぶ。そして、子供の頃には、よく父親とキャッチボールをした。
「あれ?」
ソータは視線を下に向けた。半ズボンからのぞく足は細く、日焼けしている。小学生の足。ソータは、十歳。
「君は誰?」
また質問だ。
「ぼく、ソータ。君は?」
「誰だか、わからない?」
「えっ」
驚いて声の主を探した。おかしなことに、夜の公園は閑散としていて、他に人はいない。
じゃあ、今の声は?
ざわざわと木々が揺れて、ソータの全身の皮膚が粟立った。
「まさか、そんな。オバケなんて、そんなもの」震えながら、どうにか声を絞り出したソータに、それは言った。
「ぶっぶー、ハズレです。オバケではありません。そんなもの、この世にいると思う? でもね、そういうの、言葉に出したとたん、実態を持ち始めるのさ。気を付けた方がいいよ」
姿の見えない声は、愉快そうに笑った。はじめは、ソータと同い年ぐらいの甲高い子供の声だったのに、だんだん低く、ひび割れて、不気味に響き渡った。
「ねえ、ソータ、さっきまで君の後ろになにもいなかったとしても、今もそうだと言い切れる?」
「やめてよ!」
ソータは両手で耳を押さえて、しゃがみこんだ。目をキュッとつむって、震えている。
「あははっ、冗談だよ」声が元通りの子供のそれに代わり、周囲は静かになっていた。
「今のは、練習。これから本番だから、真面目に考えてね。三回目までに正解しないと……」
「正解って、なにをさ」ソータは腹を立てて立ち上がった。横目で素早く背後に何もいないことを確認するのを忘れなかった。
「ぼくは、だ~れだ」声はそう言った。
* * *
姿の見えない、声の正体を当てろ、ということらしい。むちゃくちゃだ。声に聴き覚えはない。いや、あるような気もするが、すっかり怯えうろたえているソータに冷静な判断は難しい。
「そんなの無理だよ!」
「じゃあ、ヒントね」
声の言うことには、ソータは彼のことを知っている。以前、会ったことがあるのだという。
「君はさ、たったの十年しか生きていないじゃない? それも、物心ついてからの話だから、せいぜいこの数年間、そうだな、三年以内のことだって断定してもいい。どう、すごいヒントでしょ?」
「どこが?」
「小学生が新しく出会うことのできる人間の数なんてたかが知れてるでしょ。あ、でも人間だとは限らないんだなあ」
「どういうこと?」
「たとえば、君にとってこの公園は馴染みの深い場所だけど、一番印象に残っているのは、何?」
「それは――」
ソータは懸命に考えた。一年中、父親の車に乗って家族と一緒に、そして五年生になった今は、友達と一緒に自転車に乗って、ここへやってくるようになった。お堀のなかを泳ぐ亀や鯉、ブラックバスの背びれを眺めながら、
「『釣り禁止』とか、まじムカつく」
などと悪態をついたり。
「お城のお堀だよ、だめに決まってるじゃない」と声が割って入る。
「知ってるよ。あ」
「あ?」
「もしかして、お前は、あのときのブラックバス? 鈴木くんが『こっそり捕まえて猫のエサにしてやれ』っていうのを、ぼくや佐々木君は止めたんだ。あの時のブラックバスが恩返しに」
「ぶっぶー、ハズレです」声は冷ややかに言った。
「あのさあ、釣りが禁止されてるところで釣らなかったって、何の自慢にもならないからね。そんなことで魚に恩を売ろうだなんて、図々しいにもほどがある」
急にざわざわと木の葉が騒ぎ出し、生温かい風がごうっと吹きぬけた。
ばしゃばしゃと水のはねる音が遠くから聞こえてくる。これは――
「お堀のほうから!?」
「ブラックバスは、怒っているよ。勝手に連れて来られて、外来種が生態系を壊す、なんて非難されるんだからね」
それは自分のせいではない、とソータは反論したかった。自宅で持て余すようになったペットをお堀に放流したのは彼ではないのだから。しかし風が強く、目も口も開けていられない。
風の音に交じって、水音が徐々に高くなり、ソータの不安をかきたてた。バシャバシャバシャバシャ……
「うわあっ」
公園の外側、堀のある方を薄目で見たソータは悲鳴を上げた。無数の魚が宙に浮かび上がっていた。ブラックバスが多いが、鯉や亀、フナも混じっている。堀に生息する生き物が、水の中から飛び出したのだ。
「わああ、こっちに来る!」
まるで空中を泳ぐように、魚や亀が向かってくる。その夥しい数。ソータは叫び声をあげながら逃げ始めた。だが先からの強風に押し戻され、すぐに追いつかれてしまった。
近くで見ると、驚くほど大きなブラックバスや鯉たちが、彼の周りをぐるぐると回り始めた。渦巻は彼の周囲で大きく成長していき、彼の体は、その渦に巻き込まれ天高く放り投げられた。
「うわあああああ!」
「えっ?」
ソータは慌ててあたりを見回した。
点々とポールライトが立っているものの、全体的に暗くて、鬱蒼と茂る木々の葉が黒々としている。
「どこだかわからない?」
「あっ」
質問されていたのだった。一瞬だけ、記憶喪失にでもなったのかと不安に駆られたが、ほどなくソータの顔に笑みが浮かんだ。
「ここは、名城《めいじょう》公園じゃないか」
間違えようがない。ライトアップされ、藍色の空に佇むお城が驚くほど近くに見える。緑色の瓦屋根のてっぺんには、金色に輝く鯱《しゃちほこ》。名古屋市内に住んでいると、なにかにつけて訪れるのがこの名城公園だ。春は桜が満開になるし、夏祭りには、屋台がずらりと並ぶ。そして、子供の頃には、よく父親とキャッチボールをした。
「あれ?」
ソータは視線を下に向けた。半ズボンからのぞく足は細く、日焼けしている。小学生の足。ソータは、十歳。
「君は誰?」
また質問だ。
「ぼく、ソータ。君は?」
「誰だか、わからない?」
「えっ」
驚いて声の主を探した。おかしなことに、夜の公園は閑散としていて、他に人はいない。
じゃあ、今の声は?
ざわざわと木々が揺れて、ソータの全身の皮膚が粟立った。
「まさか、そんな。オバケなんて、そんなもの」震えながら、どうにか声を絞り出したソータに、それは言った。
「ぶっぶー、ハズレです。オバケではありません。そんなもの、この世にいると思う? でもね、そういうの、言葉に出したとたん、実態を持ち始めるのさ。気を付けた方がいいよ」
姿の見えない声は、愉快そうに笑った。はじめは、ソータと同い年ぐらいの甲高い子供の声だったのに、だんだん低く、ひび割れて、不気味に響き渡った。
「ねえ、ソータ、さっきまで君の後ろになにもいなかったとしても、今もそうだと言い切れる?」
「やめてよ!」
ソータは両手で耳を押さえて、しゃがみこんだ。目をキュッとつむって、震えている。
「あははっ、冗談だよ」声が元通りの子供のそれに代わり、周囲は静かになっていた。
「今のは、練習。これから本番だから、真面目に考えてね。三回目までに正解しないと……」
「正解って、なにをさ」ソータは腹を立てて立ち上がった。横目で素早く背後に何もいないことを確認するのを忘れなかった。
「ぼくは、だ~れだ」声はそう言った。
* * *
姿の見えない、声の正体を当てろ、ということらしい。むちゃくちゃだ。声に聴き覚えはない。いや、あるような気もするが、すっかり怯えうろたえているソータに冷静な判断は難しい。
「そんなの無理だよ!」
「じゃあ、ヒントね」
声の言うことには、ソータは彼のことを知っている。以前、会ったことがあるのだという。
「君はさ、たったの十年しか生きていないじゃない? それも、物心ついてからの話だから、せいぜいこの数年間、そうだな、三年以内のことだって断定してもいい。どう、すごいヒントでしょ?」
「どこが?」
「小学生が新しく出会うことのできる人間の数なんてたかが知れてるでしょ。あ、でも人間だとは限らないんだなあ」
「どういうこと?」
「たとえば、君にとってこの公園は馴染みの深い場所だけど、一番印象に残っているのは、何?」
「それは――」
ソータは懸命に考えた。一年中、父親の車に乗って家族と一緒に、そして五年生になった今は、友達と一緒に自転車に乗って、ここへやってくるようになった。お堀のなかを泳ぐ亀や鯉、ブラックバスの背びれを眺めながら、
「『釣り禁止』とか、まじムカつく」
などと悪態をついたり。
「お城のお堀だよ、だめに決まってるじゃない」と声が割って入る。
「知ってるよ。あ」
「あ?」
「もしかして、お前は、あのときのブラックバス? 鈴木くんが『こっそり捕まえて猫のエサにしてやれ』っていうのを、ぼくや佐々木君は止めたんだ。あの時のブラックバスが恩返しに」
「ぶっぶー、ハズレです」声は冷ややかに言った。
「あのさあ、釣りが禁止されてるところで釣らなかったって、何の自慢にもならないからね。そんなことで魚に恩を売ろうだなんて、図々しいにもほどがある」
急にざわざわと木の葉が騒ぎ出し、生温かい風がごうっと吹きぬけた。
ばしゃばしゃと水のはねる音が遠くから聞こえてくる。これは――
「お堀のほうから!?」
「ブラックバスは、怒っているよ。勝手に連れて来られて、外来種が生態系を壊す、なんて非難されるんだからね」
それは自分のせいではない、とソータは反論したかった。自宅で持て余すようになったペットをお堀に放流したのは彼ではないのだから。しかし風が強く、目も口も開けていられない。
風の音に交じって、水音が徐々に高くなり、ソータの不安をかきたてた。バシャバシャバシャバシャ……
「うわあっ」
公園の外側、堀のある方を薄目で見たソータは悲鳴を上げた。無数の魚が宙に浮かび上がっていた。ブラックバスが多いが、鯉や亀、フナも混じっている。堀に生息する生き物が、水の中から飛び出したのだ。
「わああ、こっちに来る!」
まるで空中を泳ぐように、魚や亀が向かってくる。その夥しい数。ソータは叫び声をあげながら逃げ始めた。だが先からの強風に押し戻され、すぐに追いつかれてしまった。
近くで見ると、驚くほど大きなブラックバスや鯉たちが、彼の周りをぐるぐると回り始めた。渦巻は彼の周囲で大きく成長していき、彼の体は、その渦に巻き込まれ天高く放り投げられた。
「うわあああああ!」
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