なぜだかそこに猫がいた:短編集

春泥

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第三十九話 かいじゅうはどこにでもいて、そこにはいない

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 プレイルームの壁に貼られた画用紙。そこには、あまりじょうずとはいえない絵が、黒いクレヨンでもりもりと描かれていた。よく見れば手足のようなものが生えている、らしい。
 イラストに添えられた文字は、カラフルな色で、こうある。

「こんにちは かいじゅうです」

「は」の字が反転して鏡文字になっているが、これは仕方がない。「は」はなかなか難易度が高いのだ。

「こ、ん、に、ち、は――わ、か、い、じ、ゆ、う、です」

 ひらがなを覚えたばかりのたっくんは、一文字、一文字、声に出して読んだ。

「こんにちわ、かいじゅうです、だって」

 貼り紙は、他にもあった。それにも、なんだかよくわからないむくむくとしたイラストと、文字。

「かいじゅうは きみを たべ ません」

 これも声に出して読んでみて、たっくんはくすくす笑った。鋭い歯を思わせるギザギザがとび出した口みたいなものがあるのに、かいじゅうは友好的なようだ。

 たっくんは、それからほどなくして体調が急変、この小児病棟で息を引き取ることになる。六歳だった。お婆ちゃんが買ってくれた水色のランドセルを背負って小学校に行くのが夢だった。

 ここはたっくんみたいな重い病気、いわゆる難病と呼ばれる治療がとても難しい病気の子が入院する病院。こどもたちの入院期間は、それほど長くない。

 院内のプレイルームや廊下、大きな機械が置かれた治療室の壁なんかに、あまりじょうずではない絵と文字が書かれた貼り紙がぺたぺたはってある。
 不思議なことに、どれもとても低い位置に貼られた紙は、大人たちには見えないみたい。

「かいじゅうは きみより すこしだけ せがひくい」

「かいじゅうは よる びょういんの ろうかをあるく」

「きみが かいじゅうにおどろくより かいじゅうのほうが きみにおびえている」

「かいじゅうは きみがベッドでないているとき いがいとちかくにいる」

「かいじゅうは なにをしたら きみがよろこぶのか しりたい」

「ざんねんだけど びょうきをなおすことはできない だって かいじゅうだもの」


「ごめん」


「かいじゅうは ひとみしり」

「きみがひとりのときに そうっと つぶやいてみて」

「きみは なにがすき?」

「どこに いきたい?」

「かいじゅうは ないているきみのそばで いっしょにないている」

「いたいとか くるしいとか かいじゅうには わからないけど ないてる」

「また あそぼうね」


「こんにちは かいじゅうです」



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