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第二十四話 やんちゃな猫
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猫好きな知人の家に遊びに行った。
十年以上前に辞めた会社で先輩だった人物だ。わたしの退職理由に理解を示し、実際転職するに至るまで、親身になって相談に乗ってくれた恩人だ。
その後も、折に触れて顔を合わせてはお互いの近況を語り合う、そんなことを十年以上にわたり続けているのだ。考えてみれば不思議な縁である。
この知人以外で、十年以上も親交が続いている人は、ちょっと思いつかない。
親交が長く続いている最たる理由は、この知人のおっとりとした性格にある。激しやすいわたしとは正反対で、つい感情の赴くままの言動をとりそうになるわたしの怒りに理解を示しつつ、たしなめてくれる。
そのような相手は貴重であり、ありがたい存在だった。
しかしながら、この知人には、少し困った性質があった。
猫好きなのだ。
なんと、猫を三匹も飼っている。すべて保護猫である。貰い手がなければ殺処分されてしまっていたかもしれない動物の命を救ったのは立派であるとわたしも思う。問題なのは、救われた方の猫たちにはそのような恩義がさっぱり理解できず、知人の家で我が物顔に振る舞い、その傍若無人さは客人であるわたしにも容赦なく及ぶ、ということだ。
「いらっしゃい」と玄関先で迎えられたときからすでにそれは始まっている。
スリッパに履き替えたわたしが廊下を進む間に、三毛猫が足にまとわりついて来る。足を踏み出そうとした先に三毛が回り込み、踏まないように身をよじると、自分が転びそうになる。
「あらあら、あいかわらず猫に人気ねえ」
知人は猫のせいでろくに前に進むことができずおかしなステップで踊っているようなわたしを見て、にこにこしながらそんなことを言う。
ようやく居間にたどり着き「どうぞ。今お茶を入れるね」と示された肘掛椅子(一人用ソファ)には、茶虎がまるまっていて、わたしを無表情に見上げる。
仕方がないので、肘掛の部分に半分尻を浮かせた状態で腰掛けるが、それでも茶虎は不服そうな顔で「にゃあ」と言う。
文句をいいたいのはこっちなのだが。
知人が紅茶のカップと私の手土産のケーキを載せたトレイを手に戻ってくるが、猫の振る舞いに対しては何も言ってくれない。いやむしろ
「あらあ、XXさん(わたしの名)に遊んでもらってるの? いいわねえ。うふふ」
などと猫なで声で言うのだ。そのうち喉を鳴らし始めそうだ。
猫がかかわる事象について、猫好きの認知機能に重大かつ深刻な歪が生じることは広く一般に知られている。わたしだって、これぐらいのことはもう慣れっこだ。相変わらずわたしの足に体をこすりつけ、ごつ、と音を立てて頭突きをくらわす三毛の行動だって、お馴染みのものだ。
肘掛に半ケツ状態のまま紅茶をすすり、ケーキをいただく。
わたしが座るはずのソファの上でうんと伸びをした茶虎が、わたしが手にしている皿のケーキに鼻を近づけてくる。わたしは身をよじり腕を伸ばして茶虎からケーキを守らんとするが、茶虎はわたしの体に爪を立て、わしわしと登って来る。
「XXちゃん(茶虎の正式名)は、甘いものが大好きなのよねえ。困ったものだわ」
知人は、全く困っているようには見えない笑顔でそう言う。正確には、食いしん坊の茶虎は人間が食べているものはすべて欲しがる。ケーキを手土産に選んだわたしのチョイスが悪かったわけではない。
ケーキを巡って茶虎と格闘している間に、三毛がひらりとソファの上に飛び乗り、そこから非常に不安定なポジションをとっているわたしの膝の上に移り、体を丸めた。
「まあー、XXちゃん(三毛の正式名)は本当にXXさん(わたしの名)が好きねえー」
この程度のことなら、わたしも慣れっこになっているので許容範囲内なのだが、三匹目の黒猫が背後からわたしの後頭部に強烈な猫パンチを喰らわせ、紅茶を少しこぼしてしまったときには、さすがに声を荒げてしまった。いくらなんでも度を越していた。
「XXさん(知人の名)!」
「あらあ大変、ティッシュティッシュ」
「『あら大変』じゃないですよ」
「すぐにその部分だけ揉み洗いしておけば、染みにはならないと思うわ。洗面所、わかるわよね」
「そういうことじゃなくて」
「え?」
キョトンとしている知人に、わたしは素早く部屋の隅の安全圏に逃げて行った黒猫を指さして、言う。
「あの猫、飛んでますよ」
黒猫は、飛んでいた。というより、宙に浮かんで、漂っているというべきか。キャットタワーの周辺を、ゆらゆらと浮遊している。
「そうなのよお。もう、やんちゃで困っちゃう。そのブラウス、染みにならないようにすぐ洗面所で――」
やんちゃとかそういう問題なのだろうか。
だが、そんな疑問を猫好きに投げかけてみたところで全くの徒労に終わることは、これまでの経験からわかっていた。
わたしは紅茶の染みをおとすべく、洗面台に移動しようとして、膝から転げ落ちまいとしがみついた三毛の爪が、ズボンの布地越しに腿の柔らかい肉に食い込む痛さに悲鳴をあげた。
「あらまあ、うふふ」と知人は目を細めた。
十年以上前に辞めた会社で先輩だった人物だ。わたしの退職理由に理解を示し、実際転職するに至るまで、親身になって相談に乗ってくれた恩人だ。
その後も、折に触れて顔を合わせてはお互いの近況を語り合う、そんなことを十年以上にわたり続けているのだ。考えてみれば不思議な縁である。
この知人以外で、十年以上も親交が続いている人は、ちょっと思いつかない。
親交が長く続いている最たる理由は、この知人のおっとりとした性格にある。激しやすいわたしとは正反対で、つい感情の赴くままの言動をとりそうになるわたしの怒りに理解を示しつつ、たしなめてくれる。
そのような相手は貴重であり、ありがたい存在だった。
しかしながら、この知人には、少し困った性質があった。
猫好きなのだ。
なんと、猫を三匹も飼っている。すべて保護猫である。貰い手がなければ殺処分されてしまっていたかもしれない動物の命を救ったのは立派であるとわたしも思う。問題なのは、救われた方の猫たちにはそのような恩義がさっぱり理解できず、知人の家で我が物顔に振る舞い、その傍若無人さは客人であるわたしにも容赦なく及ぶ、ということだ。
「いらっしゃい」と玄関先で迎えられたときからすでにそれは始まっている。
スリッパに履き替えたわたしが廊下を進む間に、三毛猫が足にまとわりついて来る。足を踏み出そうとした先に三毛が回り込み、踏まないように身をよじると、自分が転びそうになる。
「あらあら、あいかわらず猫に人気ねえ」
知人は猫のせいでろくに前に進むことができずおかしなステップで踊っているようなわたしを見て、にこにこしながらそんなことを言う。
ようやく居間にたどり着き「どうぞ。今お茶を入れるね」と示された肘掛椅子(一人用ソファ)には、茶虎がまるまっていて、わたしを無表情に見上げる。
仕方がないので、肘掛の部分に半分尻を浮かせた状態で腰掛けるが、それでも茶虎は不服そうな顔で「にゃあ」と言う。
文句をいいたいのはこっちなのだが。
知人が紅茶のカップと私の手土産のケーキを載せたトレイを手に戻ってくるが、猫の振る舞いに対しては何も言ってくれない。いやむしろ
「あらあ、XXさん(わたしの名)に遊んでもらってるの? いいわねえ。うふふ」
などと猫なで声で言うのだ。そのうち喉を鳴らし始めそうだ。
猫がかかわる事象について、猫好きの認知機能に重大かつ深刻な歪が生じることは広く一般に知られている。わたしだって、これぐらいのことはもう慣れっこだ。相変わらずわたしの足に体をこすりつけ、ごつ、と音を立てて頭突きをくらわす三毛の行動だって、お馴染みのものだ。
肘掛に半ケツ状態のまま紅茶をすすり、ケーキをいただく。
わたしが座るはずのソファの上でうんと伸びをした茶虎が、わたしが手にしている皿のケーキに鼻を近づけてくる。わたしは身をよじり腕を伸ばして茶虎からケーキを守らんとするが、茶虎はわたしの体に爪を立て、わしわしと登って来る。
「XXちゃん(茶虎の正式名)は、甘いものが大好きなのよねえ。困ったものだわ」
知人は、全く困っているようには見えない笑顔でそう言う。正確には、食いしん坊の茶虎は人間が食べているものはすべて欲しがる。ケーキを手土産に選んだわたしのチョイスが悪かったわけではない。
ケーキを巡って茶虎と格闘している間に、三毛がひらりとソファの上に飛び乗り、そこから非常に不安定なポジションをとっているわたしの膝の上に移り、体を丸めた。
「まあー、XXちゃん(三毛の正式名)は本当にXXさん(わたしの名)が好きねえー」
この程度のことなら、わたしも慣れっこになっているので許容範囲内なのだが、三匹目の黒猫が背後からわたしの後頭部に強烈な猫パンチを喰らわせ、紅茶を少しこぼしてしまったときには、さすがに声を荒げてしまった。いくらなんでも度を越していた。
「XXさん(知人の名)!」
「あらあ大変、ティッシュティッシュ」
「『あら大変』じゃないですよ」
「すぐにその部分だけ揉み洗いしておけば、染みにはならないと思うわ。洗面所、わかるわよね」
「そういうことじゃなくて」
「え?」
キョトンとしている知人に、わたしは素早く部屋の隅の安全圏に逃げて行った黒猫を指さして、言う。
「あの猫、飛んでますよ」
黒猫は、飛んでいた。というより、宙に浮かんで、漂っているというべきか。キャットタワーの周辺を、ゆらゆらと浮遊している。
「そうなのよお。もう、やんちゃで困っちゃう。そのブラウス、染みにならないようにすぐ洗面所で――」
やんちゃとかそういう問題なのだろうか。
だが、そんな疑問を猫好きに投げかけてみたところで全くの徒労に終わることは、これまでの経験からわかっていた。
わたしは紅茶の染みをおとすべく、洗面台に移動しようとして、膝から転げ落ちまいとしがみついた三毛の爪が、ズボンの布地越しに腿の柔らかい肉に食い込む痛さに悲鳴をあげた。
「あらまあ、うふふ」と知人は目を細めた。
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