なぜだかそこに猫がいた:短編集

春泥

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第二十話 ミステリー・サンプル

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 ガチャガチャ、と子供の頃は呼んでいた。当時は、ほとんどやったことがなかった。駄菓子屋のガムが十円、当たりくじ付き棒アイスは五十円で買えた時代に、一回百円もしたのだ。あれはお金持ちの子の贅沢な遊びだと思っていた。当時の景品は、よく覚えていないが、よく弾む小さなゴムボールだとか、消しゴムでできた人気アニメのキャラクターだとか、文字通り子供のオモチャだった。

 しかし時代は変わって、ガチャガチャの値段の上昇に伴い景品の質もあがり、種類も豊富になった。熱中するのは、もはや子供だけではない。

 私が好むのは、美術展のグッズ売り場に置かれているガチャだ。ヒエロニムス・ボスのキャラクターがフィギュアになっていた時は、一回千円もするのに全種類コンプリートするまでチャレンジしたい衝動にかられた。

 だが、私は大人であるのにガチャをすることを未だに恥ずかしく感じてしまう古臭い人間だ。価格設定からしてどう考えてもターゲットは大人であるにもかかわらず、だ。そこで私は、ガチャを引くのは各美術展会場につき一回かぎり、というルールを自分に課した。美術館以外でも魅力的に感じるガチャはあったが、それには手を出さないことにしていた。


 その日私は、連れとの待ち合わせ場所に早く着きすぎて時間を潰していた。商店街をプラプラしていると、文房具店の前にガチャガチャのマシンが三つ置いてあった。

 一つ目は、ミニチュア文房具。分度器やコンパス、定規など可愛らしい。一回五百円。

 二つ目は人気アニメのキャラクターのアクリルキーホルダー。一回五百円。

 三つ目は、ミニチュア食品サンプルだった。レストランや食堂の入口に飾ってある蝋で作られたあれを手のひらサイズにしたものだ。食品そのもののミニチュアではないところがなかなかマニアックだと思った。本物みたいな天ぷらうどんやクリームソーダ、スパゲティをからめとって宙に浮いているフォーク……見本の写真を見ているうちに、無性に欲しくなった。私は食品サンプルが大好きで、レストランに入る前に入口のディスプレイを眺めるのに長々時間をかけたりする人間だ。一回三百円。安い。

「あ、ガチャだ」

 小学生の二人連れがやって来て、文房具やアニメキャラのガチャには目もくれず、食品サンプル・ガチャの前にやってきたので、私は横にずれて彼らに場所を譲った。

 彼らはポケットから小銭を取り出して、コインを投入すると、大急ぎで取り出し口に出てきた戦利品のカプセルを開けた。

「なんだ、またナポリタンだよ。これで四個目だ」
「オレなんてキツネうどんだよ。焼肉定食を狙ってんのになあ」

 彼らが何度もこの食品サンプル・ガチャをやっているようなので、私は驚いた。

「それ、流行ってるの?」と思わず話しかけた私に彼らは
「おじさん、知らないの? 全十種類とミステリー・サンプル。みんな、誰がミステリーを当てるか競争してるんだよ」

 ナポリタンに落胆していた男の子が、リュックサックにジャラジャラつけている食品サンプル・ガチャの戦利品キーホルダーを見せてくれた。

「ほら、オレはもう十種類揃えてて、あとはミステリーだけなんだ。それが何なのか、まだ誰も知らないんだよ」

 なるほど、ガチャガチャのマシンの見本写真には、大きなクエスチョンマーク付きで黒塗りされた謎アイテムに『ミステリー・サンプル』の文字が派手に躍っていた。それ以外の十種類は、握り寿司、ホットコーヒー、クリームソーダ、ナポリタン(フォーク付き)、天ぷらうどん、きつねうどん、鍋焼きうどん、焼肉定食、生姜焼き定食、カツ丼だった。これらの王道食品サンプル以外で「ミステリー」とは一体なんであろうか。私は俄然興味を引かれた。うな重、いくら丼、いや、意表をついて日の丸弁当とか。タコさんウインナーの入った弁当だったりしたら、私みたいな昭和世代は泣いて喜ぶだろう……

「おじさんもやってみたら」と促され、ポケットから財布を取り出した。小銭があったので、一回だけやってみることにした。ミステリー以外では猛烈にナポリタンが欲しかったから、何か別の物が出たら、既に四個持っているという彼に交換してもらおうと思いながら。

 百円玉を三枚投入して、ハンドルを回す。ガチャリと手ごたえがあり、取り出し口にカプセルが転がり出てきた。わくわくする気持ちを抑えながら、カプセルを開ける。正直、ナポリタンじゃなくてもいいような気になっていた。やはり、自分が引き当てたガチャがいいのだ。

 だが、カプセルを開け、中の銀色の袋を破って中身を取り出した私は、思わず

「なんだ、これは」

 とあからさまに失望した声を出してしまった。それは、何の変哲もない、子供のフィギュアだった。ランドセルを背負った男の子だ。これは明らかに、別のガチャの商品が混入したのだろう。これでは、ナポリタンと交換してもらうのも無理そうだ。

「あーあ、がっかりだなあ」

 と冗談めかして言いながら子供達の方を見ると、彼らは妙に引きつった顔で、後ずさっていく。

「おい、あれ」
「うん、あれ」

 二人で顔を見合わせてひそひそ話している。

「これ、なんのガチャの景品だか、知ってるのかい、君達」と私は不思議に思い訊いた。
「それがミステリー・サンプルだよ」

 と一人が言うと、子供達は一目散に逃げていった。

 私は訳が分からず当惑し、しばらく男の子のフィギュアを見つめていた。

「ああ……そういえば、この子は、ぽっちゃりとしてほどよく肉がついているな」
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