なぜだかそこに猫がいた:短編集

春泥

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第十六話 頭に包丁が刺さったので

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 あ、もしもし。俺だけど。

 うん。ごめんな、こんな夜中に。寝てた――よね。声でわかる。ごめん。

 明日も仕事、だよなあ。
 
 ほんとごめん。でも、今でないとダメなんだ。

 あ、心配しないで。別に思いつめてなんかいないから。俺は、大丈夫だよ。

 ほんとだって。誓って言うけど、これから自殺しようとか、そういうことじゃないんだ。俺がそんなタイプに見える? 俺は生きていたい。生きていたいんだよ!
 あ、ごめん。大きな声出して。ただ、ちょっと話を聞いてほしいだけなんだ。もう二度とこんなことしないから、頼むよ。

 心配してくれてありがとう。俺さあ、中学の頃から、お前のこと好きだったんだ。でも、お前には他に付き合ってた奴がいたし、今まで言えなかった。

 なんで今、って。

 単純に、勇気がなかったんだ。ふられて気まずくなったら、会えなくなるだろ。俺、お前が幸せそうににこにこ笑っている側に居たかったんだ。友達でもいいから。

 おい、泣くなよ。
 泣くほど嫌なのか。それはいくらなんでも、ひどいだろう。

 ――え。待ってたの。ずっと? いやいやいや、困ったな。

 いや、誤解しないでほしいんだ。嬉しいよ。滅茶苦茶嬉しい。嬉しすぎて死にそう――いや、なんでもない。ただスマホが手から滑り落ちそうになっただけだ。

 なんでそんながっかりした声出すのって、そりゃあ、お前……

 え、駄目だよ。夜中だぞ。危ないだろ、女の子が一人で出歩いたら。もう終電終わってるからな。

 駄目だって! 絶対に駄目だ! タクシーを捕まえる前に、いかれた男に襲われるかもしれないだろうが! いいよ、会いに来なくて。来るなよ!

 だから、泣くなよ。
 頼むよ。俺まで泣きたくなるだろ。俺は、最期にお前の声を聞いていたいんだ。
 いや、最期っていうのは、単なる言葉の綾だ。

 じゃあなんで突然電話してきたの、って

 それは、つまり、あれだ、やっぱり思い残すことがないようにって

 だがらさ、俺は死にたくなんかないっての。十年来の片思いがようやく実ったってのに、なんでそんな馬鹿なことを。

 頼むから、泣かないでくれよ。
 言っただろ、俺は、お前には幸せそうにいつもにこにこしていてほしいんだよ。頼むよ。

 あ――…、デート、な。

 も、勿論だよ。行きたいよ、デート。うわあ、デートかあ。あ

 いや、なんでもない、なんでもない。ほんと。あのさ、それ、今度会った時に話し合おうよ。な?

 いや、今度いつ会えるかって―……

 は、花火大会。
 いや、花火大会、一緒に行ったことあっただろ。中学の時。他の奴らと一緒に。スゲー人でさ、俺とお前だけはぐれちゃったことあったじゃん。あの時、俺スゲー幸せだったなあ。まるでデートしてるみたいだったじゃん。お前、浴衣着て、可愛かったなあ。あは。俺、花火全然見てなかったわ。

 え、なんで過去の話なんかするのかって?

 それは、お前、あれだ、そのう、なんかさ、今日に限って色々思い出されてくるんだよ。走馬灯みたいに。で、俺の幸せな思い出の中には、かなりの高確率でお前が居るっていう。

 え、今? アパートの近くだよ。バイト終わって、コンビに寄って帰る途中で、ちょっと電柱にもたれて一休み。

 は。

 いやだから、来なくていいって。夜中だから。危ないから。男でも襲われたりするんだぞ、突然。デカい包丁振りかざした奴がいきなり。あるんだよ、そういうこと。だからお前、絶対来るなってマジで。

 ん。様子がおかしい――かな? んんーと、まあ。それはさ、あ

(救急車のサイレン、近づいて来る)

 もう切らなきゃ。ん、この音? 猫だよ。猫。猫が鳴いてるの。あ、あのさあ、最期にもう一回、好きって言ってくれないかな。頼む。頼むよ!

 あーーーー…

 ありがとう。俺も、大好きだから。ごめんな、夜中に起こしちゃって。ごめん。本当にごめん。いや、泣いてなんかいないよ。
 もう切るな。うん。お前は、幸せに長生きしてくれよな。じゃあ。
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