なぜだかそこに猫がいた:短編集

春泥

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第十話 祖父の葬儀にて

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 父方の祖父が亡くなった時、私は中学一年生だった。享年七十二歳。
 亡くなった日は、いつもと同じように、朝食後にゲートボールをしてから釣りに出かけ、昼食はいつものうどん屋でとり、午後も釣りをして帰宅、夕飯を食べ入浴を済ませた後
「胸が苦しい」
 と倒れ、救急車で運ばれそのまま帰らぬ人となったという。
 あの元気な祖父が、と信じられなかったし悲しくもあったが、亡くなり方を聞いた限りでは、殆ど苦しむこともなく、このうえなく幸運だったと思えた。
 葬式では、私の良く知っている人々、祖父と同居していた伯父とその息子二人、更に、盆と正月には毎年必ず祖父の家に集まり顔を合わせる叔母と叔父は、皆赤い目をしていた。しかし、私の良く知らない人々、冠婚葬祭でしか顔を合わせない遠い親戚達は、前日の通夜の席から始まって、火葬を待ちながら昼食をとる間も、ひたすら祖父の悪行を罵っていた。曰く

「身分違いのいいとこの娘さんをたらしこんだ」
「玉突きで身代潰した」
「ここら一体は、見渡す限り川端家の土地だったのに」
「牧夫がおとなしいのをいいことに、わがまま放題」
「毎日釣りだのゲートボールだの」
「旅行だなんだって、年金を使いつくして、最後は貯金もなかったって」
「好き放題生きて大往生、勝手なもんだ」

 後から父に聞いて補足した情報によれば、若い頃男前だった祖父は、放蕩の限りを尽くして賭け事(玉突き=ビリヤード)の借金返済のために財産の田畑を売り飛ばす傍ら、既に妻帯の身でありながら良家の娘を口説き落とし、前妻である伯父牧夫の母を離縁し実家に送り返した。私の父・叔父・叔母の三人は後妻となったこの良家の娘の子であった(割と早くに亡くなったので、私にはこの祖母との記憶がない)。このような人間を父に持った四人の子供達は、相当の苦労をして成長したらしい。隠居してからの祖父は趣味のゲートボールと釣りに明け暮れ、年何回かの旅行で年金を使い尽くし、亡くなった時点で貯金はほとんどなかったという。要するに、一族の財産を食い潰した悪党が老後も楽しく遊びほうけて遺産らしい遺産を残さなかったことに加え、死に際にもほぼ苦しまずぽっくり逝った事に彼らは不満たらたらなのだ。
 川端家が裕福だった頃を知らない私には、自分の生まれるはるか昔に失われた田畑が惜しいとは思えなかったが、父からきかされたことのある少年時代の貧乏話(修学旅行に行く時黒い靴が買えなかったので茶色い靴を黒く塗った等)が祖父の悪行のせいだったと知り、私が夏休み冬休みに祖父の家に泊まりに行くと、いつもおいしい手料理でもてなしてくれた明るく親切な伯父が、継母や異母弟妹達の中でそれなりの苦労をして育ったことが想像され、複雑な気持ちになった。
 しかし、父も伯父も、叔父叔母も、誰一人葬式で祖父への恨みつらみを口にしなかった。彼らは父親を亡くし、ただ悲しそうだった。祖父の子四人は、それぞれ賭け事ひとつしない真面目な大人になった――つまり、誰一人祖父には似ていないのだ。彼らは子供時代の苦労を教訓に、堅実な人生を歩むことを誓ったのだろう。これは祖父の功績、と言えなくもない。それなのに、名前も思い出せない遠い親戚からいつまでも亡くなった人――現在荼毘に付されている最中である――の悪口を聞かせられるというのは不愉快極まりない苦行であった。

 食事が済んでぼんやりしている私の所に、目の縁を赤くした伯父がやって来た。伯父は、
「あっちゃん、爺さんのために来てくれてありがとう、爺さんはお前と釣りに行くのが何より楽しみだったから、お前が来てくれてきっと喜んでいるよ」
 と言って力なく笑った。
 私は罪悪感を覚えた。夏休み冬休みと祖父の家に遊びに来るたび、なぜか祖父は私だけを連れて釣りに出かけるのだった。孫は他にも大勢いるにもかかわらず。祖父は変わり者だった。親戚一同集まって居間で賑やかにしていても、ただ一人隣の自室に籠っているような人だった。私はいつ頃からか、その祖父の部屋で一緒に過ごすようになった。
「敦子は優しい子だ」
 などと言われていたらしいが、私は大勢で賑やかにするより一人で本を読んでいる方が好きだったから、静かで読書に適した祖父の部屋を好んだに過ぎない。勿論、祖父の事も好きだった。昔ながらの頑固爺で、道でマナーの悪い自転車運転をする高校生を見つければどやしつけるような人だったが、私には優しかった。手先が器用で木彫りの小さな熊や髑髏、大黒様などを作ってくれたものだ。
 それでも毎回釣りに同行させられることには閉口していた。私は、全然アウトドア派ではなかったのだ。釣りといっても、近所のドブ川でのフナ釣りである。釣りあげたら即リリース。小学生の頃はそれなりに楽しかったが、釣り糸を垂らしてもウキがピクリともしない日などもあって、更に土手の湿った地面に新聞のチラシの束を敷いた上に座らされることや、練り餌が渇いて手ががびがびになること、魚を釣り上げてリリースする際に針を取り除くために魚を手づかみするのが嫌なこと――要するに、自分はそれほど釣りが好きではないということに、ある日気付いてしまった。それでも、嬉しそうにキッチンで練り餌の準備をしている祖父の後ろ姿に、今更釣りが嫌いだなどとは、どうしても言えなかったのだ。それでも、もう中学生なのだから、そろそろ釣りはやめると宣言しようと、タイミングを窺っていた。
 結局、それは言わずじまいになったが、晩年の祖父を悲しい目に遭わせずに済んだので、我慢していてよかった、と心の底から思った。

 形見分けで、私は祖父の釣り竿を貰った。沢山ある中からほんの二三本だが、祖父が愛用していた釣竿を包む白い布と、ウキや釣り針なんかを一式。
 祖父の葬式の後、ちょっとした騒動があった。何年か前、祖父の部屋で、小さな金の延べ棒を見せられたことがあった。「誰にも言ってはいけない」と祖父から口止めされたことを思い出し父に話したところ、父から伯父へ連絡が行き、伯父と二人の息子で家探しをしたのだそうである。てのひらに乗るような小さく平べったい金塊にどれほどの価値があるのか知らず、すっかり忘れていたのだが、何やら大事になり、私はいたたまれない気持ちになった。
 金の延べ棒は、祖父の部屋の押し入れ、古い釣竿を何本かくるんだ布の中から出てきたそうだ。それをどのように処分したのか、私は知らない。売却して兄弟四人で分けたのか。別に伯父が一人占めしたとしても、父や叔父叔母は文句を言わないのではないかと思う。あの祖父と同居し、ずっと面倒をみていたのは伯父なのだし。
 祖父はあの延べ棒を私にくれるつもりだったのだろうか。祖父亡き後、釣り具は私の手に渡る可能性が高かった。だったら、ちょっとひどいと思う。私は呑気な孫だから、祖父から実害を被ったことがない。だから普通に祖父を愛していたし、年二回必ず釣りに出かける苦行にも耐えていた。でも、同年代を生きて祖父の悪行を目の当たりにしていたら、もし自分が孫ではなく祖父の子であったら、酷い親だと恨んで葬式では悪口を言い倒していたかもしれない。
 私をそこまで依怙贔屓していたと考えるのは自惚れが過ぎるかもしれない。ただ祖父は、万一の時は確実に延べ棒が発見されるようにしておきたかっただけなのかもしれない。
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