上 下
46 / 70
第四章 正直者の帰還

第八話 炭焼き小屋

しおりを挟む
 炭焼き小屋は森の中といってもヌガキヤ村寄りの森の入口からそう遠くないところに建っている。森を熟知した炭焼きにとっても森は危険な場所であり、余程の必要がなければ奥まで足を踏み入れることはない禁忌の場所だからだ。そのため、シロが休憩も惜しんで猛然と突き進んでも、到着したのは日が落ちてからだった。
 昼なお暗き森の夜は、息苦しさを感じるほどに色濃く、重い。視界が開けて黒い影として浮かび上がった炭焼き小屋は不吉ささえ漂わせていたが、それでも九日ぶりの我が家である。シロの心が少し軽くなった。
 丸太を組み合わせた藁ぶき屋根の簡素な小屋だが、(あのようになる前は)やはり背が高かった父親が建てたものである。天井が高く、内部も広々とした印象を受ける。三段のステップを一息に駆け上り、特に鍵をかける習慣もないドアを開けて中に足を踏み入れたシロは、肩で息をしながら、まずランプに火を灯した。
 しかしその頼りない灯りでは、光の届かない四方の暗闇隅に何か潜んでいそうな不安を掻き立てられる。長い不在で暖炉の火種もすっかり燃え尽きてしまっていた。シロは新たな薪を継ぎ足して、火をおこしにかかった。

 背後の床板がきしんだ。

「リヴァイアか?」
「『リヴァイアさん』よ。男の一人暮らしの割にこざっぱりとしてるのねえ」リヴァイアは家具といえばテーブルと椅子と戸棚ぐらいしかない室内を見回して言う。
「何か食べるものはないの?」
「そっちの戸から出ると食料貯蔵庫がある。といっても、畑の収穫の最中にドラゴンに襲われたから、ろくなものはないが――」
 シロの言葉を最後まで聞かず、足音は移動して戸を開けて出ていった。シロは溜息をついて暖炉の火つけ作業に専念した。
 オレンジの光が強くなると、シロは椅子を暖炉の前に移動させ、腰を下ろした。温かな炎に、冷え切った体が解きほぐされていくのがわかる。昼夜かけて森を移動してきたことにより、体力は限界に近かった。炎を見つめている瞼が重くなってくる。
 シロは子供の頃、両親がまだ仲睦まじかった頃を思い出した。シロの寝床は暖炉の脇にしつらえた簡素なベッドだった。シロが眠りにつくまで、母が色々な話をしてくれた。父は暖炉の前で、斧の手入れをしたり、籠を編んだりしていた。二人の寝室は奥の部屋だったが、そこは今シロの部屋になっている。
 シロははっと閉じかけていた瞼をこじ開けた。
 長らく言葉を発したことがなかった父親が「うち」と言い、この炭焼き小屋を指さした。父は一体、何を伝えたかったのか。
 

「兎と野菜のスープにしましょう」
 勢いよく裏の戸が開いてリヴァイアが戻って来た。
「野菜はともかく、兎の肉なんて――」と言いかけたシロは、リヴァイアが黒い毛皮の兎の耳を掴んで持っているのに気づいた。
「血抜きはしたけど、ナイフやまな板はどこ? この剣はお料理向けじゃないから」
 ドラゴン退治の大事な道具で一体何をしているのかとシロが口を開いた時
「オレ、肉はあんまり好きじゃないなあ」と背後から声がした。かつては父母のものだった寝室の方からだった。
 振り返ってみると、扉が開いており、見たことのない青年が立っていた。彼は、いかにも今起きたばかりという眠たそうな声で、目をこすっていた。
「えーっと」
 青年――少年といってもいいようなあどけなさを残す小柄な若い男性だ――に対し片眉を吊り上げたリヴァイアは、彼から目を離さずに言った。
「なんで全裸の男があなたの家に居るのか、説明してもらえる?」
 長身のシロやリヴァイアと比べると、寝室の戸口に立っている男は頭一つ分ほど背が低く、成人男性としては中背、ほっそりとした華奢な体つきをしている。いかにも寝起きといったむくんだ顔をして瞼が半分閉じている状態だが、暖炉の明かりに照らされた髪も皮膚の色も色素が薄く、手指もほっそりと繊細な印象を受けることから、農作業のような肉体労働とは無縁に生きてきたことが感じられた。もちろん、ヌガキヤ村の住民ではない。
「説明といわれても」シロは戸惑いを隠せない。
「俺も初めて見た男だ」
 んんーと伸びをした青年が、はっと我に返った。
「シロ! 帰って来たんだね!」
 満面の笑顔でそう言うと、彼はシロに駆け寄って、抱きついた。身長差があるので、文字通り飛びついて、シロの首にしがみついた。
「はあっ!?」
 困惑し狼狽えるシロを見るリヴァイアの目が細く鋭くなった。開けっ放しの寝室の扉の向こうに、毛布が乱れたベッドが見えていた。
 リヴァイアは無言でテーブルの上に兎の骸とジャガイモやニンジンを置くと、戸棚の中をかき回してナイフとまな板を取り出した。
「あなたが恋人との再会を二人きりで喜び合いたいっていうなら別に邪魔しないけど、お鍋に水を汲んで暖炉にかけてからにしてもらえるかしら。あとの調理は私がやっておくから、ゆっくりと愛を語らってきたらいいわ」
 そういうリヴァイアの声は氷のように冷たかった。
「シロだ、シロだね。ようやく帰って来たんだね」
 首にしがみついている全裸の青年がおいおいと泣き出したので、シロはとりあえず彼を首からぶら下げたまま寝室に連れて行った。
「お前の服はどこだ?」
「服? そんなの、ないよ」
「ないって、裸で森を歩いてたのか」
「当たり前じゃないか。いつもそうだもん」
 シロは溜息をついて彼を床におろすと、クロゼットから自分の衣類一式を出した。青年には明らかに大きすぎるが、仕方がない。
「これ着るの? なんで? ああでも、おかしな感じだ。なんだかぞわぞわする。オレ、どこかおかしいのかな」青年はくしゃみをして震えた。
「当たり前だ。もうじき冬になる。夜は特に冷えるから、裸でなんか過ごせないぞ」
 下着を手に持って不思議そうに眺めているだけの青年を見るに見かねて、シロは彼が服を身に着けるのを手伝った。
「やめてよー、くすぐったい」青年はパンツを履かせようと苦労しているシロに向かって無邪気に笑った。
「騒々しくするなら、せめてドアを閉めてよね!」リヴァイアの棘のある声が飛んできた。豪快に兎かジャガイモを切り刻む音が聞こえてくる。
「服を着せているだけだ。どうも、おかしい。彼はまるで」シロがドアに向かって叫ぶ。
「何言ってるの、シロ。変だよ。あの女の人誰。シロの親戚のおばさん?」
 殺気を感じて部屋の入口を見ると、リヴァイアが血塗れのナイフを持って立っていた。
「いま、なんて、いった、の」
「なんでもないよ」
 シロは慌てて青年にシャツを頭から被せ、ズボンを履かせた。
「崖から転落して頭でも打ったのかしら、あなたの恋人は」リヴァイアが兎の血で汚れたナイフを握りしめたまま言う。
「恋人じゃない」
「崖」
 布が体に当たる感触にくすくす笑っていた青年は突然途方に暮れたように黙りこくった。
「なんだ。本当に崖から落ちたのか?」
 シロの問いかけに、青年は答えず、蒼白な顔をしてベッドに座り込んだ。
「オ、オレ、朝陽を見たんだ」
「うん?」
「前にシロに助けてもらった崖で、太陽の光を浴びた」
「えっ」
「それでオレの体は石になって、それから……」
 シロはまじまじと青年の顔をみた。いや、似ても似つかない。彼の顔は滑らかで若々しく、寝癖のためかくしゃくしゃになった髪はおそらく白色に近いブロンド、そして、隣室の暖炉から届くオレンジの光に照らされた瞳の色はよくわからないが、リヴァイアの弟といっても通用しそうな端正な容姿だ。しかし――
「まさか……トロちゃんなの?」
 シロの問いに、青年は顔をしかめて、またはらはらと涙を流し始めた。
「何言ってんの、シロ。そんなの、見ればわかるじゃん」
「いや、まったくわからないけど」
「一体どういうことなの?」苛ついた口調でリヴァイアが割って入った。
「俺にもよくわからない、でも」シロはべそべそと涙を流している青年の頭を撫でて、言った。
「こんな姿をしているけど、多分、俺の友達のトロールだ。トロールのトロちゃん」
「見ればわかるじゃん、そんなこと」トロちゃんはさらにおいおいと声をあげて泣き出した。
「わかんないってば」とシロとリヴァイアは同時に叫んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!! 『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。  無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。  破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。 「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」 【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

処理中です...