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第一章 正直者は馬鹿を見る?

第十一話 その頃ヌガキヤ村では……

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「お父様、私怖い」
 デイジーはベッドの中から父を見上げて言った。
「気持ちはわかるが、ドラゴンは夜中は襲ってこないはずだから、今のうちに眠っておきなさい」
 火を灯した燭台を手に持ったヌー村長は、末娘の頭を優しく撫でた。
「明日は朝早くに、他の子供たちと一緒に出発しないといけないからね」
「でも私は、村に残ってお手伝いをしたいわ。私はもうじき十三歳になるし、そうしたら正式に結婚だってできるのよ。もう子供じゃない」
「わかってるよ。だがね、か弱い女性では、ドラゴンと戦う段になったら、足手まといなんだよ。ここは、大人しく避難してくれるのが一番ありがたい」
「でも」
「カイリー姉さんの子供たちを連れて、昼なお暗き森を抜けてナガミ村へ行くのはとても勇気のいることだよ。ナガミ村では、カイリーに代わって子供たちの面倒をみてやってほしい」
 八年前に結婚して実家を出た長女カイリーだったが、明日の子供たちの出発に備えて、今晩この家に泊まっている。自分自身は村に残って男衆の手伝いをすることにしていたから、三人の子供たちを引率するのはデイジーの役目だ。
 二番目の姉ヘイリーも嫁に行き現在妊娠中だが、明日デイジーたちと一緒に出発することになっていた。本人は夫の側に残りたがっているのだが、大きなお腹をかかえていては皆の足手まといだと説得されて、渋々疎開組に加わった。予定日は来月だ。ことによっては疎開先で出産を迎えるかもしれない。
 
 シロが旅立った後、ヌガキヤ村は更なる襲撃に見舞われていた。
 シロが出発した日は、何事もなく過ぎた。村人は引き続き怪我人の捜索救出・介抱をする者と農作物の収穫を急ぐ者とに分かれ、大わらわだった。
 翌日、朝早くから収穫作業を開始した村に、再びドラゴンが現れた。
 死傷者と倒壊した建物、焼かれた田畑の被害がさらに増えたその日の午後、日暮れが迫る時分になって、ナガミ村からの伝令が到着した。ナガミ村村長からの伝令は、ヌガキヤ村の人々の疎開先として、受け入れ態勢を整えている。他に食料や必要な物資があれば、可能な限り応じようというありがたいものであった。これほど迅速に救援の手が差し伸べられたのは、シロからヌガキヤ村の窮状を聞いた海猫とタニシ亭の女将の働きが大きかった。
 長年の両村の不仲を考えれば、ナガミ村の恩情に、ヌガキヤ村の人々も胸を熱くした――はずだった。
 ところが伝令は、樽一杯のハッチョを担いで来ており、差し入れだと言って差し出した。
「てめえ、ふざけてんのか、この緊急時に!」
 両村の長年に渡る小競り合いの原因が、ナガミ村名物赤スープとヌガキヤ村の白スープ、どちらがうまいかという、正直地元民以外にはどうでもいい些細な出来事に端を発しているのだが、ヌー村長はいきり立つ若い衆を諫めて、言った。
「黙らっしゃい、お前達。お前達は、立場が逆だったとしたら、ドラゴンに襲われたナガミ村に、同様の援助をこんなに素早く申し出ることができたと思うのか?」
 ヌー村長は、伝令に丁重に礼を言いハッチョを受け取ると、明日小さい子供達をナガミ村に送り出したい旨を伝えた。夜の森を通るのは危険なので、伝令は明日の早朝先に出発して子供達の受け入れ態勢を整えることにして、今夜はヌー村長の家で眠っている。子供達には、屈強な大人が数名付き添ってナガミ村まで送り届けることになっている。

「どうしても眠れないというのなら、父さんがお話をしてやろうか」
 ヌー村長は、これからしばらく会うことができなくなる娘の頬を撫でて言った。
「うん」デイジーはにっこり笑って頷いた。
「あーおほん。昨日我が家に泊まった、シロという名前の若い男のことだが」
「またその人の話?」
「またってことはないだろう」
「夕飯の席でもその人の話をしていたわ」
「そうだっけ」
「うん」
「いやしかし、あれは正直で気立ての良い青年でなあ」
「昔、お姫様が森でなくした高価な指輪を見つけて正直に届けたのよね。それで村が救われたってお話。もう覚えちゃった」
「おっ、そうか? しかし、それだけじゃないぞ。このたびもまた村を救うために、昼なお暗き森を、夜間も恐れずに移動して、迅速にナガミ村にこちらの窮状を報告してくれたからこそ、こんなにも早く向こうから助けがやって来たんだ」
「それも聞いたわ。その上、スレイヤーを見つけてきて、村を救ってくれるのよね」
「そそ、そうだとも、そうだとも。あんな素晴らしい男は、ちょっといないぞ。だから」
「お嫁に行くなら、ああいう人がいいのよね。もうわかったから」
「じゃあ、シロと結婚するか?」
「お父さん!」
「とりあえず婚約だけでも」
「もう寝るから。おやすみなさい!」

 半ば強引に部屋から父親を追い出したデイジーだったが、明日から村を離れて離れ離れになることを思い出し、少し後悔した。
 もしかしたら、今生の別れになるかもしれないのに。
 それでも、ああもあからさまに結婚結婚と押し付けられたら反抗もしたくなるというものだ。相手は自分より倍も年上の男である。
 とはいえ、シロという男の評判はデイジーも以前より聞き知っていた。村一番の正直者。何と退屈な響きかと思っていた。しかし。昨日村を救うために出発する男を見送った際に握った手は大きく暖かった。旅支度を整えた男は、よくよく見れば背が高くハンサムで、困ったような控えめな笑顔が好ましく映った。だが――
 不思議なことに、いくら思い出そうとしてみても、男の顔にはぼんやりと霞がかかったようで、はっきりとは浮かんでこなかった。自分は人の顔を覚えるのは得意な方だと思っていたのに、何とも不思議なことだ。
 そんなことを考えながら、デイジーは眠りに落ちた。
 
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