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第三章
02 腐敗の臭い(2)
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ケラの息子は、太っていた。
ワタルの告白が(ワタル自身も含めて)新米使徒達に与えた衝撃の大きさを知るには、コミューンの食糧事情を思い出す必要がある。
万年食料不足に悩まされているコミューンの民は、肥満になるほどの食料供給を受けられない。それは長老も使徒も変わりはない。ゲンヤなどは、ただでさえ痩身であるのに、最近では頬がげっそりとこけて悲壮感まで漂わせている。成長期の新米使徒達も当然、身長や骨格の差はあれど、他の民と同じように痩せている。
だが、それとは真逆のことがケラの息子には起きているという。
貧しいコミューン内においても、成長期にある子供には十分な栄養を与えようという配慮はされるが、残念ながらその成長期の子供ですら「丸々と太る」ことはできない。せいぜい、幼少期に頬が少しふっくらする程度だ。
また、病の民にはその病状に合わせて滋養を摂らせるために食料配給が増やされるから、療養中の病人が一時的にふっくらとすることはある(食欲があればの話だが)。それでも、健康を回復すれば自然と元通りのスリムな体形に戻る。
在りし日のワタルの父は力仕事に従事する職人らしくがっしりした体つきだったが、それでも痩せ形だった。
ワタルは自分の迂闊さを呪った。細身のユッコと並んだケラの息子は、ひときわ膨れて見えた。
使徒会議の日に初めてあの男を目にした時より感じていた違和感が何だったのか、ワタルはようやく理解した。あの時既にケラの息子は、他の民よりふっくらしていた。同じようにやや膨れ気味のケラと一緒に居た時はさほど目立たなかったが、先ほどユッコと並んだ彼は、あの時より更に膨らんでいた。ほぼ例外なくスリムな民の中で見かければ、誰もがおかしいと感じるはずだ。
「太っていたあ?」
エルが頓狂な声を上げた。十歳で選ばれし子達の一人として学び始めた頃のエルはまだ頬が少しふっくらとした子供っぽい顔つきだったのに、いつの間にか余計な肉が削げ落ちている。だがその表情には、まだあどけなさが残る。
「まさか、そんなことが」
リーヤもショックを受けている。
「あいつはどうせ、仮病を使って余計に食料をせしめたのだろう。しかしそれにしても、太っているなどと、少々大袈裟ではないのか?」
「信じられないのも無理はない、が、ワタルの言う通りだ。あいつは、じりじり太り続けている。今後もどんどん太っていくのではないか」とキリヤ。
「腐敗だ! 明らかに腐敗し、癒着している」
エルが声を荒げる。
「コミューンの民が太るなんて……恐ろしい不正が行われているに違いない。一人だけ腹一杯食べようなどと、許せない!」
「ところが、ケラの息子程ではないにしても、他の団員達、残りの使徒の息子達に加えて、元からの団員も前より体格がよくなっている者がいるという噂だ。誰かから指摘されると『これは鍛錬の賜物だ』などと言うんだそうだがね。使徒の息子達は、ぶよぶよしていて鍛錬などしてなさそうだけどね」とキリヤ。
「なるほど、食料で買収されたのか。しかし、余分な食糧を得るためには、厨房係も関与しているのではないか。余剰食糧など、そう簡単には捻出できまい」とリーヤ。
「警備団に移動になる前のケラの息子の職業は厨房係だ。しかし、小麦の生産にかかわる司書の関与も疑うべきだと俺は思う。それに加えて、漁師や、植物の種から農作物を作っている連中も。疑えばきりがない」とキリヤが声を低くして言う。
「確かに。一度や二度、少々のパンをくすねたぐらいでは、人は太れない」
ワタルは暗い顔をして言った。
どうやら、とんでもない悪事が裏で横行しているらしい。皆がそう感じていた。ただ単に、腹一杯に食いたい、そんな子供っぽい欲望が全てであるとは思えなかった。
「そんなことに、ユッコがかかわっているというのか」
とリーヤが沈痛な面持ちで吐き出した。
「ちょっと待って」とワタルは慌てた。
「たまたまケラの息子と一緒にいる所を見かけただけだ。疑うなんて」
「いや、限りなく疑わしいだろう。あいつ――ユッコがどうであれ、ケラの息子が偶然そこに居合わせてユッコと世間話を始めたなんて考えられない」とキリヤ。
「無理やり悪事に引きずり込まれているのかもしれない。あいつは親父さんを亡くしたばかりだし、頼れる者がいない。それは、さぞかし辛いだろう」とエル。
「親父さんがいないお陰で、親を脅迫の種に使われる心配がない、ともいえるぞ。親がいないから親に顔向けできないようなことをしても平気だ、とも」とキリヤ。
「憶測であいつを疑うなど――あいつは、もうすぐ我々の仲間になるはずの男だぞ」
とリーヤは怒りを隠さずに言う。
「仲間かどうかは、わからないだろう」
「なんだと」
キリヤに掴みかかりそうなリーヤの前に立ち塞がりながら、ワタルは
「僕も、初めからユッコを疑うのは酷いと思う」
と反論したが、キリヤは少しも怯むことなく
「初めから疑ってかかるのではない。頭から信じることはしないでおく、というだけだ。このことはユッコにはしばらく内密に。いいな、リーヤ」
と言い放った。
ワタルの告白が(ワタル自身も含めて)新米使徒達に与えた衝撃の大きさを知るには、コミューンの食糧事情を思い出す必要がある。
万年食料不足に悩まされているコミューンの民は、肥満になるほどの食料供給を受けられない。それは長老も使徒も変わりはない。ゲンヤなどは、ただでさえ痩身であるのに、最近では頬がげっそりとこけて悲壮感まで漂わせている。成長期の新米使徒達も当然、身長や骨格の差はあれど、他の民と同じように痩せている。
だが、それとは真逆のことがケラの息子には起きているという。
貧しいコミューン内においても、成長期にある子供には十分な栄養を与えようという配慮はされるが、残念ながらその成長期の子供ですら「丸々と太る」ことはできない。せいぜい、幼少期に頬が少しふっくらする程度だ。
また、病の民にはその病状に合わせて滋養を摂らせるために食料配給が増やされるから、療養中の病人が一時的にふっくらとすることはある(食欲があればの話だが)。それでも、健康を回復すれば自然と元通りのスリムな体形に戻る。
在りし日のワタルの父は力仕事に従事する職人らしくがっしりした体つきだったが、それでも痩せ形だった。
ワタルは自分の迂闊さを呪った。細身のユッコと並んだケラの息子は、ひときわ膨れて見えた。
使徒会議の日に初めてあの男を目にした時より感じていた違和感が何だったのか、ワタルはようやく理解した。あの時既にケラの息子は、他の民よりふっくらしていた。同じようにやや膨れ気味のケラと一緒に居た時はさほど目立たなかったが、先ほどユッコと並んだ彼は、あの時より更に膨らんでいた。ほぼ例外なくスリムな民の中で見かければ、誰もがおかしいと感じるはずだ。
「太っていたあ?」
エルが頓狂な声を上げた。十歳で選ばれし子達の一人として学び始めた頃のエルはまだ頬が少しふっくらとした子供っぽい顔つきだったのに、いつの間にか余計な肉が削げ落ちている。だがその表情には、まだあどけなさが残る。
「まさか、そんなことが」
リーヤもショックを受けている。
「あいつはどうせ、仮病を使って余計に食料をせしめたのだろう。しかしそれにしても、太っているなどと、少々大袈裟ではないのか?」
「信じられないのも無理はない、が、ワタルの言う通りだ。あいつは、じりじり太り続けている。今後もどんどん太っていくのではないか」とキリヤ。
「腐敗だ! 明らかに腐敗し、癒着している」
エルが声を荒げる。
「コミューンの民が太るなんて……恐ろしい不正が行われているに違いない。一人だけ腹一杯食べようなどと、許せない!」
「ところが、ケラの息子程ではないにしても、他の団員達、残りの使徒の息子達に加えて、元からの団員も前より体格がよくなっている者がいるという噂だ。誰かから指摘されると『これは鍛錬の賜物だ』などと言うんだそうだがね。使徒の息子達は、ぶよぶよしていて鍛錬などしてなさそうだけどね」とキリヤ。
「なるほど、食料で買収されたのか。しかし、余分な食糧を得るためには、厨房係も関与しているのではないか。余剰食糧など、そう簡単には捻出できまい」とリーヤ。
「警備団に移動になる前のケラの息子の職業は厨房係だ。しかし、小麦の生産にかかわる司書の関与も疑うべきだと俺は思う。それに加えて、漁師や、植物の種から農作物を作っている連中も。疑えばきりがない」とキリヤが声を低くして言う。
「確かに。一度や二度、少々のパンをくすねたぐらいでは、人は太れない」
ワタルは暗い顔をして言った。
どうやら、とんでもない悪事が裏で横行しているらしい。皆がそう感じていた。ただ単に、腹一杯に食いたい、そんな子供っぽい欲望が全てであるとは思えなかった。
「そんなことに、ユッコがかかわっているというのか」
とリーヤが沈痛な面持ちで吐き出した。
「ちょっと待って」とワタルは慌てた。
「たまたまケラの息子と一緒にいる所を見かけただけだ。疑うなんて」
「いや、限りなく疑わしいだろう。あいつ――ユッコがどうであれ、ケラの息子が偶然そこに居合わせてユッコと世間話を始めたなんて考えられない」とキリヤ。
「無理やり悪事に引きずり込まれているのかもしれない。あいつは親父さんを亡くしたばかりだし、頼れる者がいない。それは、さぞかし辛いだろう」とエル。
「親父さんがいないお陰で、親を脅迫の種に使われる心配がない、ともいえるぞ。親がいないから親に顔向けできないようなことをしても平気だ、とも」とキリヤ。
「憶測であいつを疑うなど――あいつは、もうすぐ我々の仲間になるはずの男だぞ」
とリーヤは怒りを隠さずに言う。
「仲間かどうかは、わからないだろう」
「なんだと」
キリヤに掴みかかりそうなリーヤの前に立ち塞がりながら、ワタルは
「僕も、初めからユッコを疑うのは酷いと思う」
と反論したが、キリヤは少しも怯むことなく
「初めから疑ってかかるのではない。頭から信じることはしないでおく、というだけだ。このことはユッコにはしばらく内密に。いいな、リーヤ」
と言い放った。
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