バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥

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第二章

09 父との再会

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 正式な使徒になったワタルが第一に着手したのは、地図作りだった。

 事前にパウに相談してみたところ、ただ一言「そうか」という返答であった。ゲンヤに計画を打ち明けると、こちらも「そうか」という返事であった。

 まったく、他にアドバイスとか賛成反対何か意見はないのか。

 ワタルは腹立たしく思ったが、そのアイデアは他の新米使徒達には好意的に受け入れられた。彼らは、造舟所に図書館の外側から辿り付く道順がわからないと嘆いていたし、図書館内部からしかアクセスできない小麦生産所を再訪することに関しては、完全に諦めていた。

 ワタルも、図書館内の地図を作るのは無理だと早々に匙を投げていた。

 いや、無理ではないかもしれないが、あのように複雑に通路と階段が結び付けられた立体構造は、平面的に表すのが非常に困難であった。その無理難題に挑むよりは、まず塔の中心である図書館を除いた、外側の部分の地図を作製する方が得策であった。それは即ち、コミューンの職人居住区の地図だ。

 まず、できることを一つずつ片付けよう。

 そういうわけで、最近のワタルは朝は塔内、図書館の外側を歩き回ることに費やしている。まず、かつて自分が父と暮らしていた煉瓦職人の居住区がある階から始めて、順に上下の階に進む計画だ。使徒になってからは、小さいながらも一人部屋を与えられたワタルは、久々に煉瓦職人達の元を訪れた。
 作業部屋で忙しく立ち働く職人の一人が、目ざとくワタルの姿を発見した。

「ワタルじゃないか!」
「おい、みんな、ワタルが帰って来たぞ」

 幼い頃から彼を知る職人達に囲まれたワタルは、父の姿を探した。

「立派になったなあ」
「相変わらず背はちっちゃいがな」
「馬鹿、まだ十五だぞ。これから伸びるんだ、なあワタル」
 と笑顔で彼を囲んだ人々の中に父の姿はなかった。
 ワタルの様子に気づいた老職人が、ワタルを作業部屋の隅に連れて行った。
「ワタル。お前の父さんからは固く口止めをされているんだが、実は、あまり具合がよくないんだ」
 老人の沈痛な面持ちに、ワタルは顔色を失った。
「まさか。父さんが――」
 就任式からひと月が経過していた。最後に見た時の父は、いつも通り元気そうで、ワタルの晴れ姿を誇らしげに見ていた。そして、長老ゲンヤに疑いを持つ者達を戒めてさえいた――いつも通りの父だった。
「就任式から少し経って、だんだん元気がなくなっていった。ワタルには知らせるなと強く口止めされていたが、お前の方から尋ねてきてくれて助かった」

 職人達が寝食を共にする大部屋に急いで行くと、大人は仕事へ、子供はスクールへ出払って閑散とした中に、一人ベッドに横たわる姿があった。ワタルは我が目を疑った。そのやせ細った皺くちゃな老人が父だとは、到底信じられなかった。


 ワタルは図書館の中を速足で右往左往していた。
「パウさんはどこに」
 司書に出くわすたびに尋ねるが、皆回答は同じ。
「知るわけがない」
 そこで二つ目の質問をする。
「医学書の棚はどこか」

 それに対する回答は、まちまちだった。指定された部屋に行くと、確かにそこには一握りの医学書が存在していた。しかし、ワタルの役に立ちそうなものは見つからない。
 なぜこんなにまとまりがないのか。ワタルは血が出る程唇を噛みしめた。
 この図書館内における蔵書の収納には全く統一性がない。いや実際はあるのかもしれないが、どのような法則なのか、ワタルには想像もつかなかった。
 パウに訊いた方が早い。そう思ったが、それがまた一苦労であった。これまでだって、パウを探して首尾よく見つけられた試しがなかった。

「パウはどこだ!」

 頭に血が上ったワタルが勢いよく踏み込んだ部屋には、リーヤとエル、猫の世話係がいて、驚いた顔でワタルを迎えた。
「お前は」頬を怒りに染めた猫の世話係にワタルは
「パウはどこだ」と叫んだ。
「知るわけがない」と世話係は他の司書と同じことを言い放った。
「何故誰も知らないんだ」
 床にへたり込んだワタルに、リーヤとエルが駆け寄って抱き起した。
「何があった」

 ぶるぶる体を震わせ、なかなか要領を得ないワタルの説明を聞いた二人は、顔を見合わせた。

「こんなことをしてはいられない。パウを探さなければ」
 と立ち去ろうとするワタルに、猫の世話係が「待て」と鋭く声をかけた。
「勉強中に邪魔をして申しわけない。しかし、父の命がかかっているのです。無礼はお許しください」
 と頭を下げるワタルを、猫の世話係が尚も引き止める。
「待てというのだ。父上の症状をもう一度言ってみろ。初めに湿疹が出て、手足の痺れ、下痢、吐き気、体重が激減しているんだな?」
「はい」
 ワタルは涙を流しながら言う。
「就任式の時には元気だったのに。別人のようにやつれ果ててしまいました」
「それは、キリヤの症状と同じだ」とリーヤが言った。
「まさか、疫病……?」とエル。
「違う。疫病ならば、今頃他にも同じ症状の者が多数出ているはずだ。そんな報告はない」
 と世話係は即座に否定し
「リーヤとエルは、キリヤを図書館に連れて来い。自力で動けないようなら、担いで運んでくるんだ。キリヤの部屋にあるものは、できる限り手を触れるな。替えの衣類なども持ってくるんじゃないぞ。食べ物飲み物、部屋にあるものは一切口に入れさせるな。水もだめだぞ。ワタルは私を父上の所へ案内しろ。父上もここへ運ぶのだ」
 と指示を出した。

 リーヤとエルが部屋を飛び出していった。
 ワタルは膝が震えて動くことができず、猫の世話係がきびきびと他の司書を呼び止め「医療班」だの、「部屋の封鎖」だの「隔離部屋の準備」だの指示を出すのを呆然と眺めていた。

 やがてワタルに向き直った猫の世話係は
「しっかりしろ」
 と横っ面を張り飛ばした。
「恐らく、毒だろう。しかし、病に見せかけるために少量ずつ投与されているはずだ。助かる見込みはある。しゃんとしろ。父上をここへお連れするのだ」

 唇の端の血を拭いながら頷くと、ワタルは駆けだした。
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