バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥

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第二章

07 使徒会議の顛末

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『世界が滅びた時のための書』のあるレベル2に到達するにはまずレベル1の図書館の入口まで戻るのが一番の近道のように思えた。
 複雑な道順を全て記憶することはできても、そこから目的地までの最短のルートを探し出すとなると、優れた記憶力以外のまた別の才能が必要で、ワタルはそちらの方面にはあまり自信がなかった。
 だから使徒見習いクラスでは劣等生だったのだ。ゲンヤならば、それとてたやすくできるのであろう、自分はゲンヤのようには決してなれない、と改めて思った。

 レベル2の東側に位置する『世界が滅びた時のための書』が置かれた部屋にワタルが入っていくと、上機嫌のパウと暗い顔をしたゲンヤが中央のテーブルを挟んで小声で話し合っている最中だった。

「遅かったではないか、ワタル。どうせ、言わずともよいことを口にして世話係を怒らせて小言でも食らっていたのであろう。あれは、猫の世話を邪魔されるのを何より嫌うからな」
 とパウが楽しそうに言った。
「わかっていながら、何故彼を案内役に指名されたのですか」とワタル。
「私が指名したわけじゃない。ゲンヤ――長老直々のご指示だ。とはいえまあ、司書というのは、偏屈な人間の集まりで、自分の専門分野以外のことには興味がないものだ。誰を任命したところで、結果は同じだよ」
「猫の世話なら私が代わりにできるからだよ。バスカヴィルは私によくなついているから」とゲンヤが言った。
「それで一層猫の世話係はご機嫌斜めなのさ。あの猫は人間が大嫌いで、通常誰にもなつかない。ただ、誰が一番強いのか、というのはわかるらしいんだな。前の長老にもえらくなついていた。私などは姿を見ただけで牙を剥きだして今にも飛びかかろうと威嚇してくるくせにね」とパウ。

「だから、間違いなくワタルも嫌われる。うかつに猫に近寄るんじゃないぞ。もっとも、あの姿を見たら大抵は血相を変えて逃げ出すだろうがね」

 猫というのは、こぢんまりとした愛らしい見た目の動物ではないのか、人間の膝に乗るぐらいの、とワタルが考えていると、パウが
「ところで、今日の使徒会議のことだが、ワタルはどう思ったね」
 と急に話題を変えた。
「どう、と言われても」
 ワタルは口ごもった。


 新しい長老と使徒の就任式が終わり、職人代表団が引き上げた後に始まった使徒会議は、初めから不穏な空気を孕んでいた。それは、長老の訃報がコミューン全体にもたらした不安も相まっていたに違いない。更に、ケラを筆頭とする古株の使徒の何人かは、明らかに若い長老に不満を抱いているようだった。

 祈りの間に運び込まれ、車座に並べられた椅子は十五脚。高い背もたれとアームレスト付きの椅子が一つ、他は全て背中の中ほどまでの背もたれのみの椅子だった。特別仕様の椅子は、高齢だった前長老のためのものだろうと、会議に初めて出席したワタルにも察しがついた。ところが、その椅子に古参使徒のケラがいち早く腰を下ろしてしまった。ケラの腰巾着のギノーはすました顔でその隣に腰かけたが、他の使徒達は狼狽を示した。

「ケラ殿。それは、長老の椅子であるぞ」
 と初老の使徒ミロがたしなめた。

長老の椅子ですぞ、同志ミロ。前長老は高齢であらせられた。そうでなければ、特別扱いなど望まなかったお人だ。前長老亡き後、次に高齢なのは私だ。私も寄る年波で腰や膝を痛めている。若いゲンヤ殿より、私の方がこの椅子にふさわしかろう」
 ケラはすました顔でそう答えた。
「構いませんな、ゲンヤ殿?」

「構いません。しかし、新たに四名の使徒が加わり、使徒見習いの一人も程なく正式に使徒になる見通しです。健康に不安をお持ちなら、コミューンの未来は後輩達に任せてもよいのではありませんか。わざわざご無理をいただくことはありません」

 ゲンヤの言葉にケラは眉を吊り上げたが、ゲンヤは表情を変えず更に続ける。

「その後ろに控えておられるのは、ケラ殿のご子息とお見受けする。使徒会議に使徒以外の者を出席させる例外は認められぬ故、即刻ご退出いただこう」

 ゲンヤが指摘した通り、ケラの背後には、若い(といっても新米使徒達よりは明らかに年長だったが)ずんぐりした印象の青年が立っていた。新長老に名指しされ、皆の視線を一身に集めても彼は無表情に立ち尽くし、動こうとしない。

「この者は、健康が優れぬ私の世話をしている。いずれ私の跡を継がせようと思っている。そのため、このような場に出席することも当然と考える」

「跡を継がせるとは?」ミロが怪訝な顔をして尋ねた。
「私が使徒を退く際に、私の跡を継がせたいと」ケラは平然と答えた。
「使徒の任命権を持つのは、長老のみだ。そもそも、使徒というのは世襲制ではない。何を血迷ったことを」と憤るミロに
「だが、この者は幼き頃より私から使徒の仕事のなんたるかを仕込まれている。そこにいる、まだ何の経験もない新米の子供達よりは余程この仕事に精通している」
 ケラは悪びれもせずに言ってのけた。

「ほう、ぺらぺらと、喋ったわけだ。コミューンの中枢を成す様々な秘匿事項について」
 パウが口の片端を引き上げて言った。それでもケラは平然としている。

「息子は口が堅い。それは私が保証しよう」

「そなたの保証に何の意味があるのだ」ミロが激高して言う。
「使徒として知り得たことは口外無用。そういう決まりだ。そもそも、そなたの息子は、選ばれし子に選ばれなかった。前の長老様がそのように判断を下されたのだぞ」

「全ての事柄に長老が絶対的権力と決定権を持つ、それに私は疑問を抱いている」
 ケラはゲンヤを見据え
「前の長老は人望があった。それは認めよう。しかしそこにいるお若いの……ゲンヤ殿は、ただの、子供だ。賢い子かもしれんが、現状ではそれだけだ」
 と不敵に言い放った。

「前の長老がお決めになったことだ。何故今になってそのような」
「前の長老が亡くなるのを待っていたのだろう」
 とミロを遮ってパウが言った。
「だから、先の不祥事の時にお前を使徒から外すよう前長老には口を酸っぱくして言ったのだ。頑固なお人だったから仕方がないが、お陰でこのような面倒なことになる。大層な置き土産だよ」

「そうだ。ケラ殿、そなたは、ただ前の長老のお情けで使徒職に留まったに過ぎない。そのそなたが、よくもそのような恥知らずな提案を」
 とミロより少し若いフーラが言った。

「私の長年の功績を考慮してくださったのだ」とケラは涼しい顔で言う。

「長年の搾取と権力の不当な行使など、許す必要はなかったのだ」とミロ。
「前長老という支えを失った今、我らは一体となってコミューンをまとめていかなければならないというのに、なぜ率先して和を乱すようなことをする。お前やその息子などより、先ほどの職人の方が余程有益なことを申しておった。今は、我ら一丸となってそこにおられる若い長老を支えて行かねばならん時だ。疑ったり争ったりしている場合ではない」

「今この時を逃したら、同じことがこの先もまた百年くり返されるだけだ。改革するなら今しかない」とケラ。
「改革? 私利私欲に目がくらんだ使徒が、民のためではなく己のために権力を行使するようになることがお前の言う改革か。そんなことは認められん」
 ミロは吐き捨てるように言った。

「私利私欲に目が眩んでいる最たる者はそこにいるパウだろう」
 ケラは勝ち誇ったように宣言した。
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