怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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栄光のモヒカンロード

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 前日は大雪だった。降っただけではなく、積もった。

 その日は自動車学校の卒業試験日であり、学校の外、つまり一般道路を運転することになっていた。しかし、生憎の雪である。雪国育ちではない自分が驚いたことに、地下水が豊富なその地域では、地下から汲み上げた水を道路から噴出させて融雪する装置がそこかしこに設置されていたものの、それは国道や県道など交通量の多い道路に限られていた。そのような融雪装置のない道路では、積雪は車によって踏み固められ、ガチガチ・ボコボコの氷と化すか、最悪の場合、ツルツルのアイスバーンとなる。とても車の運転をしてよいコンディションではない。

 私は自動車学校からの中止連絡を待っていた。しかし、待てど暮らせど、こない。毎朝迎えに来る自動車学校の迎えの車が到着する時間になっても、何の連絡もなかった。私は鳴らない電話を握りしめたまま、いつも通り迎えにやって来たマイクロバスに、半信半疑で乗り込んだ。

 バスの運転手はベテランなので雪道も安定した運転で我々を無事自動車学校まで送り届けたが、まだ仮免許しか持っていないようなど素人に運転させることはあるまい。自動車学校に向かう途中でまた雪が降り出していた。ただでさえ先に降った雪で全体的に風景が白くなっているところへ、更に白い雪が舞うのだ。視界がとんでもなく悪い。中止だ、中止。

 だがその期待はあっさり裏切られた。

「雪だから、尚更運転させるんです」と指導教官は無慈悲な宣告をする。

 絶望

 しかし考えてみれば、雪国の自動車学校では、常に雪道を想定した指導をされてきた。

「ブレーキは一気にぎゅーっと踏まないで、こまめにちょんちょん踏む。ほら、赤信号で前の車が停まってるのが見えてるじゃない? もう随分手前から、ちょん、ちょん、ちょんと、少しずつブレーキを踏んで減速させるの。急に踏むと、道が凍ってたらスリップするからね。雪が降ってからそういう運転しようとしてもできるわけないから、もう一年中やるの」

 教官の言葉に、私はなるほど、と感心し素直にそれに従った。彼らにしてみれば、生徒に実際に雪の降った道路で指導ができるというのは、願ったり叶ったりなのだろう。

 だが私はそんな風には思えなかった。せっかくそれまで学科も実技も全て一回でパスしてきたのに、最後の実技検定で落ちるとは。しかも、慣れない雪のせいで。

 私は努力型の人間だ。仮免を取得してからは、免許取得者に協力を仰ぎ、人気のない駐車場で運転の練習をしたし、教科書も真面目に読んだ。だが、雪道で練習したことは、一度もなかった。

 無理だ。無理に決まっている。

「スピードを出さなければ、急ブレーキを踏まなければまず大丈夫」と隣の試験官は気楽に言うのだが、初めて雪の積もった道を運転する非雪国出身者の気持ちは、彼にはわからないだろう。私は、二センチの積雪でパニックを起こし交通網が麻痺するところから来た。一晩で三十センチを超える積雪に「いやこんなの降ったうちにはいらないから」と笑われて、ああそうですよね、などと一緒に笑えるわけがない。



 結論から言えば、降り積もった雪のせいで道路上のサインが消失し、信号右折で待機する際どこまで進んでいけばいいのかわからずパニックに陥るとか、軟らかい雪の上でタイヤが空回りしてエンジンを吹かすなどして何度も「落ちた」と確信した割に、最終試験に合格した。

「轍の上を走りなさい。他の車のタイヤが通った跡ね。そこ意外にむやみに突っ込むと、雪にはまり込んで車が動かなくなるかもしれないから」などと、急に言われて、いまだ車体の幅の感覚を掴み切れておらず、車を対抗車線にはみ出させないとか、左側の歩道に乗り上げないようにするだけで手一杯の自分は、もう落第でいいから帰りたい、と何度も思ったのだが。

 降りしきる雪のなか、融雪装置のない道路にたちまち雪が積もっていく。轍は次々通過する車に踏み固められるが、左右のタイヤの間は、こんもり盛り上がっている。

 まるでモヒカン

 と半泣きで思ったものだ。モヒカンロード。

 雪が降ったら車に乗らないのが一番、と私はその時確信したし、今でもそう思っている。

 その後、本免許の学科試験にも一発合格した私は、毎年通勤途中に長々と続くモヒカンロードから脇の田んぼに転落した車を発見することになる。カーブなどなく、両脇を田んぼに挟まれ、ひたすら真っ直ぐ伸びた片側一車線対面通行の一本道である。運転手の姿は見当たらず、車だけが田んぼに乗り捨てられているのを横目に通過する。ワンシーズンで五台ぐらい見かける。ちょっと落ち過ぎではないかと思う。
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