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娘にそっくり(4)
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――ねえ、あの子を作ってよ
アトリエのドアをかりかりと爪でひっかきながら、女はそう懇願する。鍵などかけていないのに、女は決してドアノブには触れようとせず、閉ざされた扉の向こうから、男に語りかける。
男は、暖炉に作品をくべる傍ら、自分が木彫りの人形を制作していることに気付く。
「まあ、なんて……それは、サエお嬢様」
アトリエに食事を運んできたばあやの手からトレイが滑り落ちた。男は気にしなかった。食欲がなかったのだ。足早に去ったばあやは、床に散乱したスープや器を片付けにさえ来なかった。
人形は娘とはちっとも似ていなかった。男がわざとそうしたからだ。老婆は、幼子を失った悲しみでおかしくなっているのに違いなかった。あの痛ましい事故――警察は動物の仕業と断定し、それ故「事件」とは呼ばなかった――の前から関節炎が酷くなり、床に就いている時間が長くなっていた。日頃から老婆と口を利くことが少なかった男の知らぬうちに、呆けてしまったのだろう。
彼は娘の成長を刻んだスケッチや油絵を暖炉にくべながら、せっせと木製の人形を掘った。それはいわゆる球体関節人形と呼ばれるものだった。木彫りの人形を掘るのは彼の専門の内であるが、関節が動く人形などこれまで作ったことはなかった。自分にそのような知識があることさえ知らなかったのに。肩、肘、手首、股関節、膝、足首でそれぞれ接続し、人間とほぼ同じ駆動域を持つ人形の首から下の部分を作り上げると、男は頭部のしあげにとりかかった。
顔は意図的に娘とは異なるように彫った。より平面的で、目の間を広くし、鼻は平べったく唇は薄く、への字に大きなカーブを描くように。女に生き写しで僅か五歳にして早くも艶めかしい色香を発し始めた美しい娘とは少しも似ていない、蛙の化物のような顔に男は満足していた。
ヒトに似すぎた人形は、どこかいびつで不穏な感じがするものだ。男は自らの彫刻には魂を吹き込むようにノミをふるうが、このお人形にはからっぽのままでいてほしいと願った。
娘の姿を写しとった最後の作品を暖炉に放り込んだ日、その人形は完成した。平坦な顔からおが屑を丁寧に払いのけ、端切れを縫い合わせたドレスを着せると、身長五十センチほどの人形は、頭をがっくり胸の前に垂らしぐったりと椅子に沈み込んだ。関節は駆動式だが、骨も筋肉もない木偶人形だ。マリオネットのように糸でもくくりつけて操らない限り、自立することさえできない不安定な物体。
――ようやく、できたのね。
背後からの声。扉が開く気配はなかったのに。
「違う」
――あの子を、作ったのね。
「違う」
――まあ、生き写しだわ
「全然似ていない」
娘はこんな蛙のお化けのような顔は、していなかった。男は自分が震えていることに気付く。
庭の木陰からフランス窓を凝視している。ピアノを弾いている女が見える。ピアノの音は閉ざされた硝子越しに漏れ出ているが、体の芯まで冷え切って立ち尽くしている男の耳までは届かない。
――××時に忍んできてほしいの。
伏し目がちの令嬢がそう囁いたのだった。一旦帰ったふりをして、もう一度こっそり訪ねて来てほしい、と。ばあやがカーテンを引こうとするのを、女は理由をつけて断った。だから暗闇のなか、ピアノを弾く女の姿が、煌々と照らし出されている。
男は暗がりの中で腕時計を確認しようとするが、部屋の明かりは彼の潜んでいる木陰までは届かない。舌打ち。ばあやがカーテンを閉めようとして追い払われてから少なくとも二時間は経過したはずだと男は思う。既に夜中のはずである。屋敷の他の部屋の明かりはとっくに消えている。
ピアノの前に座っている女は、長く豊かな髪を垂らしている。その影になっている白い顔、細い喉、洋風の夜着の合わせ目から覗く胸元――男はふらふらと木陰から出た。
と、部屋の奥のドアが静かに開いて、口髭を生やした年配の男が顔を出したので、庭の男は慌てて木陰に戻った。昼間訪ねて行った時、貧乏芸術家の彼を上品に、しかし残酷に嘲笑った初老の男。身分の違いだとか、芸術家として彼が成功する見込みだとかねちねちと上げ連ねたあいつだ。
寝巻の上にガウンを羽織った口髭の男は、ピアノを弾いている女の背後に歩み寄ると、豊満な胸の前に腕をまわし、その髪に愛おしそうに唇を寄せた。女がビアノを弾き続けている間も、口髭の男は彼女の耳の後ろに髪をかきあげてやり、熱っぽく囁いている。庭にいる男には勿論、その内容は聞きとれない。女を抱きしめた無骨な手は、自由に這い回ってなめらかで張りのある感触を楽しんでいる。女が大きく喘いだ。髭面が覆いかぶさる前、女は確かに庭の方に一瞥をくれ、淫らな笑みを口元に浮かべた。
アトリエのフランス窓の向こうに、娘が立っているのが見える。庭まで侵食し境界線を曖昧にした茂みの前で、アトリエに背中を向けている。
女との結婚を唐突に許された男は、大急ぎで式を挙げてもなお予定よりかなり早く生まれてきた娘を見て、いかなる理由があろうともこの娘を愛すると決めた。その娘が成長するにつれ、明らかに母親である女に似ていることに、男は安堵と畏怖と両方の念を抱いたのだった。それは、女に似なかった場合に誰に似るのかということを考えなくて済んだための安堵と、僅か五歳にして母親譲りの美貌で男の心をざわめかせるようになったことへの恐れ。
すんなり伸びた細い脚。スカート丈が短すぎると感じられるのは、それだけ彼女の成長が早いから。娘は、虫でも見つけたのか、足元の草むらにひょいと屈んで何かをつまみ上げた。その拍子にスカートの裾がまくれ上がっても一向に頓着しない。そして、視線に気付いたかのように、振り返って、窓際に立っている男に向かって、邪気のない笑顔を見せた。男もつられて微笑んで手を振ると、娘も手を振り返す。反対側の手につまんで持っているのは何か、もぞもぞと脚を動かす、黒い蟲。
「この人形は、全然似ていない。似ても似つかない」なぜなら自分が苦心してそのように作ったから、と男は胸の内で付け加える。女は、男の言うことを少しも聞いてはいない。いつも、そう。赤子のように人形を抱き上げ、ああ、そっくりだわ、と呟く女を、男はたまらず打ちすえる。
音を立てて、人形が床に転がった。肘のところから右腕が取れていた。男はベルトを外すと、床を這って人形ににじり寄る女の背中に振り下ろした。何度も、何度も。ぴしり、ぴしりと薄い絹を隔てた女の柔らかな肉に醜い蚯蚓腫れを刻みつけていく。
大きな喘ぎ声を発し、振り向いた女の目が濡れていた。女は右腕のとれた人形をしっかり胸に押しあてて抱いていた。
――ねえ、これは、わたしたちの子でしょう
「違う」
男は叫んで、思わずあとずさったが、女は片腕で人形を抱き、床を這って近づいてくる。男は女の肩の辺りを蹴った。床に転がった女の背中には血が滲んで、いくらか布が裂けている箇所もある。
「似ているわけがないんだ」
男は、人形をかき抱いて芋虫のように丸めた女の背中を、さらに激しくベルトで打ちすえる。
「まったく、似ていない」
ベルトを振り下ろすたび、男の汗が床に飛び散る。女は体を震わせている。よくよく見ると、女は人形を抱きしめているのではない。首に両手を回し、細い指で、ぐいぐいと締めあげている。
アトリエのドアをかりかりと爪でひっかきながら、女はそう懇願する。鍵などかけていないのに、女は決してドアノブには触れようとせず、閉ざされた扉の向こうから、男に語りかける。
男は、暖炉に作品をくべる傍ら、自分が木彫りの人形を制作していることに気付く。
「まあ、なんて……それは、サエお嬢様」
アトリエに食事を運んできたばあやの手からトレイが滑り落ちた。男は気にしなかった。食欲がなかったのだ。足早に去ったばあやは、床に散乱したスープや器を片付けにさえ来なかった。
人形は娘とはちっとも似ていなかった。男がわざとそうしたからだ。老婆は、幼子を失った悲しみでおかしくなっているのに違いなかった。あの痛ましい事故――警察は動物の仕業と断定し、それ故「事件」とは呼ばなかった――の前から関節炎が酷くなり、床に就いている時間が長くなっていた。日頃から老婆と口を利くことが少なかった男の知らぬうちに、呆けてしまったのだろう。
彼は娘の成長を刻んだスケッチや油絵を暖炉にくべながら、せっせと木製の人形を掘った。それはいわゆる球体関節人形と呼ばれるものだった。木彫りの人形を掘るのは彼の専門の内であるが、関節が動く人形などこれまで作ったことはなかった。自分にそのような知識があることさえ知らなかったのに。肩、肘、手首、股関節、膝、足首でそれぞれ接続し、人間とほぼ同じ駆動域を持つ人形の首から下の部分を作り上げると、男は頭部のしあげにとりかかった。
顔は意図的に娘とは異なるように彫った。より平面的で、目の間を広くし、鼻は平べったく唇は薄く、への字に大きなカーブを描くように。女に生き写しで僅か五歳にして早くも艶めかしい色香を発し始めた美しい娘とは少しも似ていない、蛙の化物のような顔に男は満足していた。
ヒトに似すぎた人形は、どこかいびつで不穏な感じがするものだ。男は自らの彫刻には魂を吹き込むようにノミをふるうが、このお人形にはからっぽのままでいてほしいと願った。
娘の姿を写しとった最後の作品を暖炉に放り込んだ日、その人形は完成した。平坦な顔からおが屑を丁寧に払いのけ、端切れを縫い合わせたドレスを着せると、身長五十センチほどの人形は、頭をがっくり胸の前に垂らしぐったりと椅子に沈み込んだ。関節は駆動式だが、骨も筋肉もない木偶人形だ。マリオネットのように糸でもくくりつけて操らない限り、自立することさえできない不安定な物体。
――ようやく、できたのね。
背後からの声。扉が開く気配はなかったのに。
「違う」
――あの子を、作ったのね。
「違う」
――まあ、生き写しだわ
「全然似ていない」
娘はこんな蛙のお化けのような顔は、していなかった。男は自分が震えていることに気付く。
庭の木陰からフランス窓を凝視している。ピアノを弾いている女が見える。ピアノの音は閉ざされた硝子越しに漏れ出ているが、体の芯まで冷え切って立ち尽くしている男の耳までは届かない。
――××時に忍んできてほしいの。
伏し目がちの令嬢がそう囁いたのだった。一旦帰ったふりをして、もう一度こっそり訪ねて来てほしい、と。ばあやがカーテンを引こうとするのを、女は理由をつけて断った。だから暗闇のなか、ピアノを弾く女の姿が、煌々と照らし出されている。
男は暗がりの中で腕時計を確認しようとするが、部屋の明かりは彼の潜んでいる木陰までは届かない。舌打ち。ばあやがカーテンを閉めようとして追い払われてから少なくとも二時間は経過したはずだと男は思う。既に夜中のはずである。屋敷の他の部屋の明かりはとっくに消えている。
ピアノの前に座っている女は、長く豊かな髪を垂らしている。その影になっている白い顔、細い喉、洋風の夜着の合わせ目から覗く胸元――男はふらふらと木陰から出た。
と、部屋の奥のドアが静かに開いて、口髭を生やした年配の男が顔を出したので、庭の男は慌てて木陰に戻った。昼間訪ねて行った時、貧乏芸術家の彼を上品に、しかし残酷に嘲笑った初老の男。身分の違いだとか、芸術家として彼が成功する見込みだとかねちねちと上げ連ねたあいつだ。
寝巻の上にガウンを羽織った口髭の男は、ピアノを弾いている女の背後に歩み寄ると、豊満な胸の前に腕をまわし、その髪に愛おしそうに唇を寄せた。女がビアノを弾き続けている間も、口髭の男は彼女の耳の後ろに髪をかきあげてやり、熱っぽく囁いている。庭にいる男には勿論、その内容は聞きとれない。女を抱きしめた無骨な手は、自由に這い回ってなめらかで張りのある感触を楽しんでいる。女が大きく喘いだ。髭面が覆いかぶさる前、女は確かに庭の方に一瞥をくれ、淫らな笑みを口元に浮かべた。
アトリエのフランス窓の向こうに、娘が立っているのが見える。庭まで侵食し境界線を曖昧にした茂みの前で、アトリエに背中を向けている。
女との結婚を唐突に許された男は、大急ぎで式を挙げてもなお予定よりかなり早く生まれてきた娘を見て、いかなる理由があろうともこの娘を愛すると決めた。その娘が成長するにつれ、明らかに母親である女に似ていることに、男は安堵と畏怖と両方の念を抱いたのだった。それは、女に似なかった場合に誰に似るのかということを考えなくて済んだための安堵と、僅か五歳にして母親譲りの美貌で男の心をざわめかせるようになったことへの恐れ。
すんなり伸びた細い脚。スカート丈が短すぎると感じられるのは、それだけ彼女の成長が早いから。娘は、虫でも見つけたのか、足元の草むらにひょいと屈んで何かをつまみ上げた。その拍子にスカートの裾がまくれ上がっても一向に頓着しない。そして、視線に気付いたかのように、振り返って、窓際に立っている男に向かって、邪気のない笑顔を見せた。男もつられて微笑んで手を振ると、娘も手を振り返す。反対側の手につまんで持っているのは何か、もぞもぞと脚を動かす、黒い蟲。
「この人形は、全然似ていない。似ても似つかない」なぜなら自分が苦心してそのように作ったから、と男は胸の内で付け加える。女は、男の言うことを少しも聞いてはいない。いつも、そう。赤子のように人形を抱き上げ、ああ、そっくりだわ、と呟く女を、男はたまらず打ちすえる。
音を立てて、人形が床に転がった。肘のところから右腕が取れていた。男はベルトを外すと、床を這って人形ににじり寄る女の背中に振り下ろした。何度も、何度も。ぴしり、ぴしりと薄い絹を隔てた女の柔らかな肉に醜い蚯蚓腫れを刻みつけていく。
大きな喘ぎ声を発し、振り向いた女の目が濡れていた。女は右腕のとれた人形をしっかり胸に押しあてて抱いていた。
――ねえ、これは、わたしたちの子でしょう
「違う」
男は叫んで、思わずあとずさったが、女は片腕で人形を抱き、床を這って近づいてくる。男は女の肩の辺りを蹴った。床に転がった女の背中には血が滲んで、いくらか布が裂けている箇所もある。
「似ているわけがないんだ」
男は、人形をかき抱いて芋虫のように丸めた女の背中を、さらに激しくベルトで打ちすえる。
「まったく、似ていない」
ベルトを振り下ろすたび、男の汗が床に飛び散る。女は体を震わせている。よくよく見ると、女は人形を抱きしめているのではない。首に両手を回し、細い指で、ぐいぐいと締めあげている。
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