怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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ミス・アンドロイド(2)

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 ガラスの割れる派手な音が響いたが、近隣にそれが聞こえるような家はなかった。

 彼女は、急激に体の力が衰えたのを感じた。それでもまだ、本気で格闘すれば大人の二三人は倒せる余力が残っていたが、長続きはしない。フルパワーに戻るには、数時間の休憩を要する。

 だが彼女は、休憩するつもりはなかった。

 階段を下りてキッチンのドアから裏庭に出ると、父親の骸がおかしなかっこうで花壇の上に転がっていた。彼女が大事に育てていた花が台無しになっていたが、それも気にならなかった。
 ここから、父親の妻子が埋葬された丘までは、少し歩かなくてはならない。彼女の残りのパワーでは、遺体をそのまま運んでいくことはできない。向こうに着いたら、土を掘って埋める余力を残しておかなければならないし。

 彼女は父親の上半身を抱き起こすと、頭のてっぺんに手を当てて思いきり押した。めきめきと頭部が肩の間にめり込んだ。彼女は同様に、膝や足も使いながら、父の体を可能な限り小さく折り畳んで、潰した。

 余計な水分が大量に流出したこともあり、父親の体は高さが四十センチほどの塊になった。これならば、彼女でも運ぶことができそうだ。

 普段使わぬ怪力を使った彼女の華奢で未熟な体のあちこちから痛みの信号が発せられていたが、彼女はそれを無視した。実のところ、痛覚を実装したといっても、その電気ショック様の信号を受信したら、顔をしかめて痛がっている素振りを見せるだけのこと。人間と同じようには、苦痛を感じることができないのだった。

 それでも体力は急激に落ち込んでいた。彼女は納屋からシャベルを取り出して肩に担ぐと、丸めた父親の体を手で押して転がしながら、丘を目指した。

  *

 父親の亡骸をどうにか穴に埋め終えた時には、少女の体力はほとんど残っていなかった。全身がべとべとし、土で汚れていた。しかし、それを不快に感じているというパフォーマンスを披露する人間はもういないので、彼女は気にしないことにした。
 仕事をやり終えたのだから、もう休んでもよいはずだった。数時間眠れば――実際には、全機能をセーフモードにしてエネルギーが蓄積されるのを待つだけだが――またいつも通り動けるようになる。

 だが、一体何のために?

 彼女は、父の問いを思い出した。

「一人になった時に、なにかやりたいことはないのかね?」
 考えてみたが、やはり何も思いつかなかった。

「寿命を全うする前に、機能を完全に停止させることもできる」
 父はそうも言った。そして、その方法を彼女は教えてもらっていた。

 だが、なんのために?

 父が生きていれば、彼女は家に戻って、シャワーを浴びて着替えるだろう。こんなに汚れて、臓物の一部が肩に引っかかっているような状態で、人前に出たら叱られる、と知っているから。だが、父がいなくなった今は――いかなる行動も、意味がないように思えた。

 これが、悲しいという感情かしら?

 彼女はその後、長い間ずっと、二百五十年ほど、父親と妻子が並んで眠る墓の前に立ち尽くしていた。彼女には退屈するという機能は実装されていなかったから。
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