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第43話 月島ヨナ
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アスファルトの上に転がるはずだった私の体は何か生暖かいものの上に倒れこみ、レジ袋が派手な音を立てて中身をぶちまける。バッと顔を上げると、そこには山田がいた。3日前に見たきりだし、路地裏は暗くてほとんど何も見えないのに、その顔は思い出にあるそれとくっきり重なる。私が力の入らない体を無理やりに動かして山田の上から退けると、山田はなぜかにこやかな表情で、私がぶちまけたレジ袋の中身を拾い始めた。
「ああ、ごめん、びっくりさせたよね。怪我させたいわけじゃなかったんだけど。でもこう
しないと南さん話してくれなさそうだから」
山田は丁寧に入れなおしたレジ袋を私に差し出す。恐ろしくてそれを受け取ることすらできなかった。
「ていうか、やっぱり家あのアパートだったんだ。だったら直接家に行けばよかったなあ。南さんだってこうやって急にこんなとこ連れ込まれるより、家の方がゆっくり話せるでしょ」
恐怖で歯の根がかみ合わない。どうしてこんなに恐ろしいことをあっさり言えるのだろう。家もバレていたのだ、今から逃げてもどうしようもない。頭の中が真っ白になって、私はただ小鹿のように震えることしかできなかった。
「……別に怖がらせたいわけじゃない。僕は、ただ話がしたいだけなんだよ」
「話が、したいって、なんなのよ」
喉の奥から声を絞り出す。弱々しい声は、こんな夜中じゃなきゃ相手に聞こえることもなかっただろう。
「月島ヨナを返してくれ」
その言葉を聞いて、真っ先に湧きあがったのは怒りだった。その言葉の意味もよくわからないまま、恐怖と山田の訳が分からない言動でぐちゃぐちゃになっていた頭が怒りに支配された。
「返してくれって何!? 月島ヨナは、あんたのなんかのものじゃない!」
怒りに背を押されるがままに吐き出した声は裏返り、きっと何を言っているかわからなかっただろうに、山田は表情も変えずにただ頷く。
「そうだよ、僕のものじゃない。でも、南千尋さん、あなたのものでもないだろう」
本名を知られている恐怖よりも、その発言の意味不明さに一瞬冷静になった。「月島ヨナ」は私が作ったキャラクターだ。私のものじゃなかったら、なんなんだ。
「……月島ヨナが私のものじゃないって、なに」
「あなたは月島ヨナをやってたかもしれないけど、別に月島ヨナじゃないでしょ。月島ヨナはインターネット上で自己を確立して、それで彼女の意志で引退したんだ。だからもう、彼女はあなたのものじゃない」
訳が分からない、と一蹴してしまいたかった。でも少しそれに同意する部分すらあって、悔しさと、なんでこんなやつがという気持ちがおとずれる。
そうだ、月島ヨナはもう私のものじゃない。あの見た目で、「月島ヨナ」という名前で
インターネットの海の中に彼女を放り込んだのは私だ。だから、あの見た目でも「月島ヨナ」という名前でもない私は、ただの「月島ヨナ」の人格部分であるだけで、彼女じゃない。それと同時に、きっと彼女は私のものじゃなくなった。
この気持ちを、私以外の誰かが理解できるとは思っていなかった。私自身言語化できなかったし、誰かに伝える気もない。別に伝わらなくたって、「月島ヨナ」は存在できていた。それを理解したのが山田であるというのが、言葉にできないほど悔しかった。
山田は私と「月島ヨナ」を混同しているわけじゃない。けれど「月島ヨナ」を連れ戻せるのは私だけだから、わざわざ私にストーカーしてまでヨナを返せと言うことしかできなかった。
「でも、あんたに返してなんて言う資格、ない」
そう、彼がどんなに理解者であれ、間接的に彼女を殺した山田が言っていいセリフじゃない。月島ヨナはもう死んだ。殺人者がその被害者に生き返れなんて、後悔してから言ったって遅いのだ。
「もしかして、ヨナが自分のせいで引退したこと今更悔やんでるの? でももう無理だよ、月島ヨナは引退して、もういない。死んだんだよ。あんたがやってることは墓荒らしなの、わかる?」
もう声を荒げる元気もなく、肩を落としてぼそぼそとそうつぶやく。ちらりと山田の顔を見上げると、なんだか悲しげな表情をしていて、白々しいなと思った。
「僕のせいでやめたって……? そんなわけないでしょ……」
ずっと淡々と意味不明なことを話していた山田の声が動揺している。それも気づいていないなんてどこまでも救えないなと思っていたら、彼の口からとんでもないセリフが飛び出した。
「だって、月島ヨナは僕の唯一の居場所だった……」
「ああ、ごめん、びっくりさせたよね。怪我させたいわけじゃなかったんだけど。でもこう
しないと南さん話してくれなさそうだから」
山田は丁寧に入れなおしたレジ袋を私に差し出す。恐ろしくてそれを受け取ることすらできなかった。
「ていうか、やっぱり家あのアパートだったんだ。だったら直接家に行けばよかったなあ。南さんだってこうやって急にこんなとこ連れ込まれるより、家の方がゆっくり話せるでしょ」
恐怖で歯の根がかみ合わない。どうしてこんなに恐ろしいことをあっさり言えるのだろう。家もバレていたのだ、今から逃げてもどうしようもない。頭の中が真っ白になって、私はただ小鹿のように震えることしかできなかった。
「……別に怖がらせたいわけじゃない。僕は、ただ話がしたいだけなんだよ」
「話が、したいって、なんなのよ」
喉の奥から声を絞り出す。弱々しい声は、こんな夜中じゃなきゃ相手に聞こえることもなかっただろう。
「月島ヨナを返してくれ」
その言葉を聞いて、真っ先に湧きあがったのは怒りだった。その言葉の意味もよくわからないまま、恐怖と山田の訳が分からない言動でぐちゃぐちゃになっていた頭が怒りに支配された。
「返してくれって何!? 月島ヨナは、あんたのなんかのものじゃない!」
怒りに背を押されるがままに吐き出した声は裏返り、きっと何を言っているかわからなかっただろうに、山田は表情も変えずにただ頷く。
「そうだよ、僕のものじゃない。でも、南千尋さん、あなたのものでもないだろう」
本名を知られている恐怖よりも、その発言の意味不明さに一瞬冷静になった。「月島ヨナ」は私が作ったキャラクターだ。私のものじゃなかったら、なんなんだ。
「……月島ヨナが私のものじゃないって、なに」
「あなたは月島ヨナをやってたかもしれないけど、別に月島ヨナじゃないでしょ。月島ヨナはインターネット上で自己を確立して、それで彼女の意志で引退したんだ。だからもう、彼女はあなたのものじゃない」
訳が分からない、と一蹴してしまいたかった。でも少しそれに同意する部分すらあって、悔しさと、なんでこんなやつがという気持ちがおとずれる。
そうだ、月島ヨナはもう私のものじゃない。あの見た目で、「月島ヨナ」という名前で
インターネットの海の中に彼女を放り込んだのは私だ。だから、あの見た目でも「月島ヨナ」という名前でもない私は、ただの「月島ヨナ」の人格部分であるだけで、彼女じゃない。それと同時に、きっと彼女は私のものじゃなくなった。
この気持ちを、私以外の誰かが理解できるとは思っていなかった。私自身言語化できなかったし、誰かに伝える気もない。別に伝わらなくたって、「月島ヨナ」は存在できていた。それを理解したのが山田であるというのが、言葉にできないほど悔しかった。
山田は私と「月島ヨナ」を混同しているわけじゃない。けれど「月島ヨナ」を連れ戻せるのは私だけだから、わざわざ私にストーカーしてまでヨナを返せと言うことしかできなかった。
「でも、あんたに返してなんて言う資格、ない」
そう、彼がどんなに理解者であれ、間接的に彼女を殺した山田が言っていいセリフじゃない。月島ヨナはもう死んだ。殺人者がその被害者に生き返れなんて、後悔してから言ったって遅いのだ。
「もしかして、ヨナが自分のせいで引退したこと今更悔やんでるの? でももう無理だよ、月島ヨナは引退して、もういない。死んだんだよ。あんたがやってることは墓荒らしなの、わかる?」
もう声を荒げる元気もなく、肩を落としてぼそぼそとそうつぶやく。ちらりと山田の顔を見上げると、なんだか悲しげな表情をしていて、白々しいなと思った。
「僕のせいでやめたって……? そんなわけないでしょ……」
ずっと淡々と意味不明なことを話していた山田の声が動揺している。それも気づいていないなんてどこまでも救えないなと思っていたら、彼の口からとんでもないセリフが飛び出した。
「だって、月島ヨナは僕の唯一の居場所だった……」
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