VTuberをやめました。

阿良々木与太

文字の大きさ
上 下
43 / 47

第43話 月島ヨナ

しおりを挟む
 アスファルトの上に転がるはずだった私の体は何か生暖かいものの上に倒れこみ、レジ袋が派手な音を立てて中身をぶちまける。バッと顔を上げると、そこには山田がいた。3日前に見たきりだし、路地裏は暗くてほとんど何も見えないのに、その顔は思い出にあるそれとくっきり重なる。私が力の入らない体を無理やりに動かして山田の上から退けると、山田はなぜかにこやかな表情で、私がぶちまけたレジ袋の中身を拾い始めた。


「ああ、ごめん、びっくりさせたよね。怪我させたいわけじゃなかったんだけど。でもこう
しないと南さん話してくれなさそうだから」


 山田は丁寧に入れなおしたレジ袋を私に差し出す。恐ろしくてそれを受け取ることすらできなかった。


「ていうか、やっぱり家あのアパートだったんだ。だったら直接家に行けばよかったなあ。南さんだってこうやって急にこんなとこ連れ込まれるより、家の方がゆっくり話せるでしょ」


 恐怖で歯の根がかみ合わない。どうしてこんなに恐ろしいことをあっさり言えるのだろう。家もバレていたのだ、今から逃げてもどうしようもない。頭の中が真っ白になって、私はただ小鹿のように震えることしかできなかった。


「……別に怖がらせたいわけじゃない。僕は、ただ話がしたいだけなんだよ」


「話が、したいって、なんなのよ」


 喉の奥から声を絞り出す。弱々しい声は、こんな夜中じゃなきゃ相手に聞こえることもなかっただろう。


「月島ヨナを返してくれ」


 その言葉を聞いて、真っ先に湧きあがったのは怒りだった。その言葉の意味もよくわからないまま、恐怖と山田の訳が分からない言動でぐちゃぐちゃになっていた頭が怒りに支配された。


「返してくれって何!? 月島ヨナは、あんたのなんかのものじゃない!」


 怒りに背を押されるがままに吐き出した声は裏返り、きっと何を言っているかわからなかっただろうに、山田は表情も変えずにただ頷く。


「そうだよ、僕のものじゃない。でも、南千尋さん、あなたのものでもないだろう」


 本名を知られている恐怖よりも、その発言の意味不明さに一瞬冷静になった。「月島ヨナ」は私が作ったキャラクターだ。私のものじゃなかったら、なんなんだ。


「……月島ヨナが私のものじゃないって、なに」


「あなたは月島ヨナをやってたかもしれないけど、別に月島ヨナじゃないでしょ。月島ヨナはインターネット上で自己を確立して、それで彼女の意志で引退したんだ。だからもう、彼女はあなたのものじゃない」


 訳が分からない、と一蹴してしまいたかった。でも少しそれに同意する部分すらあって、悔しさと、なんでこんなやつがという気持ちがおとずれる。

 そうだ、月島ヨナはもう私のものじゃない。あの見た目で、「月島ヨナ」という名前で
インターネットの海の中に彼女を放り込んだのは私だ。だから、あの見た目でも「月島ヨナ」という名前でもない私は、ただの「月島ヨナ」の人格部分であるだけで、彼女じゃない。それと同時に、きっと彼女は私のものじゃなくなった。

 この気持ちを、私以外の誰かが理解できるとは思っていなかった。私自身言語化できなかったし、誰かに伝える気もない。別に伝わらなくたって、「月島ヨナ」は存在できていた。それを理解したのが山田であるというのが、言葉にできないほど悔しかった。

 山田は私と「月島ヨナ」を混同しているわけじゃない。けれど「月島ヨナ」を連れ戻せるのは私だけだから、わざわざ私にストーカーしてまでヨナを返せと言うことしかできなかった。


「でも、あんたに返してなんて言う資格、ない」


 そう、彼がどんなに理解者であれ、間接的に彼女を殺した山田が言っていいセリフじゃない。月島ヨナはもう死んだ。殺人者がその被害者に生き返れなんて、後悔してから言ったって遅いのだ。


「もしかして、ヨナが自分のせいで引退したこと今更悔やんでるの? でももう無理だよ、月島ヨナは引退して、もういない。死んだんだよ。あんたがやってることは墓荒らしなの、わかる?」


 もう声を荒げる元気もなく、肩を落としてぼそぼそとそうつぶやく。ちらりと山田の顔を見上げると、なんだか悲しげな表情をしていて、白々しいなと思った。


「僕のせいでやめたって……? そんなわけないでしょ……」

 ずっと淡々と意味不明なことを話していた山田の声が動揺している。それも気づいていないなんてどこまでも救えないなと思っていたら、彼の口からとんでもないセリフが飛び出した。


「だって、月島ヨナは僕の唯一の居場所だった……」
しおりを挟む
script?guid=on
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

忘れさせ屋

水璃 奏
現代文学
「ペットって飼っているときはめちゃくちゃ楽しいけど、死んだときのショックがデカすぎるから飼いたくないんだよなー」と考えていたら思いついた話です。

欲望

♚ゆめのん♚
現代文学
主人公、橘 凛(たちばな りん)【21歳】は祖父母が営んでいる新宿・歌舞伎町の喫茶店勤務。 両親を大学受験の合否発表の日に何者かに殺されて以来、犯人を、探し続けている。 そこに常連イケおじホストの大我が刺されたという話が舞い込んでくる。 両親の事件と似た状況だった。 新宿を舞台にした欲望にまみれた愛とサスペンス物語。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

芙蓉の宴

蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。 正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。 表紙絵はどらりぬ様からいただきました。

六華 snow crystal 8

なごみ
現代文学
雪の街札幌で繰り広げられる、それぞれのラブストーリー。 小児性愛の婚約者、ゲオルクとの再会に絶望する茉理。トラブルに巻き込まれ、莫大な賠償金を請求される潤一。大学生、聡太との結婚を夢見ていた美穂だったが、、

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...