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阿良々木与太

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第35話 来店した男性

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 あれからさらに1週間が経ち、配信のことを思い出す日の方が少なくなった。月が替わって8月に入り、夏休みの学生が訪れる繁忙期だ。そもそも物思いにふけっている暇はない。連日どこから現れるのかと思うくらいのお客さんをさばく。でも、仕事が忙しい方がなんだか充実している気がしていい。
 
人の波が少しだけ落ち着く14時過ぎにお昼休憩をとろうとしたら、背後でカランとドアベルが鳴り、内心肩を落としながら振り向いた。


「いらっしゃいませ、おひとりさまですか?」


 青いシャツにジーンズ、黒縁眼鏡をかけた男性は、なぜか私の顔をじっと見ながらその場に立ち尽くしている。


「えっと……お客様?」


「月島さん?」


 その言葉に、全身が凍り付いた。頭の中が真っ白になり、何も言葉が出てこない。今はとにかく否定をすべきなのに、予想外の出来事に動転してただ自分の手を握りしめることしかできなかった。


「月島ヨナさんでしょ、ねえ、何か言ってよ」


 聞いたことのない声だ。おそらく知り合いの配信者などではないだろう。早く帰ってもらわないと、と頭ではわかっているのに声が出ない。


「あぁ、ごめん。そうだよね、僕の名前言わないとわかんないか。山田です。覚えてない?」


 山田、という単語で、私の頭の中にあの初期アイコンと、過剰ないじりコメントの数々が思い出される。けれどそのコメントをしたアカウントと、目の前に立っている男性が結びつかず、さらに混乱した。山田が、こんな普通の人間であるわけがない。


「えー、もしかして覚えてないの? 本当に記憶力悪いなあ。あんなにコメントしたのに、覚えてないわけ?」


 そんな風に言われて、普通は恐怖を感じてもいいはずなのに、私はなんだかあのアカウントとこの男性が一致するような言動をしたことで少し落ち着きを取り戻した。

 けれど、なぜ山田がここにいるのだろう。働いている場所がどこかから洩れたのだろうか。でも「月島ヨナ」の知り合いに、私の勤務先や家の住所を知っている人は誰1人いない。ゆきにさえ教えていない。


「ここ、調べるの大変だったなあ。この辺のカフェしらみつぶしで探すつもりだったんだけど、一発目で当たってラッキーって感じ」


 そんな恐ろしいことを、山田を名乗る目の前の男性はにこやかに語っている。どうして、私の働いているカフェを、そんなになって調べようとしたんだ。

 聞きたいことも、言いたいことも色々ある。けれど今の私は恐怖で震えてしまって声も出せず、この場から逃げ出すことさえできなかった。


「あの、南さん、大丈夫ですか?」


 さすがにおかしいと思ったのか、接客をしていた相沢さんが駆け寄ってくる。よく見ると、まわりのお客さんたちもこちらに注目していた。


「大丈夫です。ね、僕ら知り合いなんで。ほら、周りに迷惑かけてんじゃん。ダメだよ」


 どうしてそんな、ずっと友達だったみたいな顔をして話せるんだ。ふるふると首を横に振ると、相沢さんは私を後ろに下がらせて、山田との間に進み出た。


「少なくとも私にはそう見えません。他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取りください」


 年下にかばわれて情けない。それと同時に、きっぱりと言い切ってくれる相沢さんに安心感を覚えた。


「邪魔なんてそんな。俺はただ、知り合いに会いに来ただけですよ」


 彼の口からスラスラと出てくる言葉に吐き気を催す。こんなやつ、知り合いでも何でもない。


「……まあでも、急にきて驚かせちゃったみたいなんで、今日は帰ります。じゃあね、月島さん」


 カラン、とまたドアベルが鳴り、山田は店の外へと出ていく。私は体中から力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。


「南さん、大丈夫ですか?」


「うん、うん……ごめんね、迷惑かけて……」


 相沢さんはしゃがみ込み、私の背を撫でてくれている。情けないのと恐ろしいのとで、瞳からは涙があふれた。


「……休憩室、入ってください。あいつ、まだいます」


 相沢さんは小声でそっと私に耳打ちをする。ハッと顔を上げて窓の外を見ると、山田は確かに少し離れたところからこちらの様子をうかがっていた。あいつと目が合った気がして、すぐに視線を逸らす。山田のじっとこちらを見下すような目線が、体にまとわりついているような気がして気持ちが悪かった。
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