35 / 47
第35話 来店した男性
しおりを挟む
あれからさらに1週間が経ち、配信のことを思い出す日の方が少なくなった。月が替わって8月に入り、夏休みの学生が訪れる繁忙期だ。そもそも物思いにふけっている暇はない。連日どこから現れるのかと思うくらいのお客さんをさばく。でも、仕事が忙しい方がなんだか充実している気がしていい。
人の波が少しだけ落ち着く14時過ぎにお昼休憩をとろうとしたら、背後でカランとドアベルが鳴り、内心肩を落としながら振り向いた。
「いらっしゃいませ、おひとりさまですか?」
青いシャツにジーンズ、黒縁眼鏡をかけた男性は、なぜか私の顔をじっと見ながらその場に立ち尽くしている。
「えっと……お客様?」
「月島さん?」
その言葉に、全身が凍り付いた。頭の中が真っ白になり、何も言葉が出てこない。今はとにかく否定をすべきなのに、予想外の出来事に動転してただ自分の手を握りしめることしかできなかった。
「月島ヨナさんでしょ、ねえ、何か言ってよ」
聞いたことのない声だ。おそらく知り合いの配信者などではないだろう。早く帰ってもらわないと、と頭ではわかっているのに声が出ない。
「あぁ、ごめん。そうだよね、僕の名前言わないとわかんないか。山田です。覚えてない?」
山田、という単語で、私の頭の中にあの初期アイコンと、過剰ないじりコメントの数々が思い出される。けれどそのコメントをしたアカウントと、目の前に立っている男性が結びつかず、さらに混乱した。山田が、こんな普通の人間であるわけがない。
「えー、もしかして覚えてないの? 本当に記憶力悪いなあ。あんなにコメントしたのに、覚えてないわけ?」
そんな風に言われて、普通は恐怖を感じてもいいはずなのに、私はなんだかあのアカウントとこの男性が一致するような言動をしたことで少し落ち着きを取り戻した。
けれど、なぜ山田がここにいるのだろう。働いている場所がどこかから洩れたのだろうか。でも「月島ヨナ」の知り合いに、私の勤務先や家の住所を知っている人は誰1人いない。ゆきにさえ教えていない。
「ここ、調べるの大変だったなあ。この辺のカフェしらみつぶしで探すつもりだったんだけど、一発目で当たってラッキーって感じ」
そんな恐ろしいことを、山田を名乗る目の前の男性はにこやかに語っている。どうして、私の働いているカフェを、そんなになって調べようとしたんだ。
聞きたいことも、言いたいことも色々ある。けれど今の私は恐怖で震えてしまって声も出せず、この場から逃げ出すことさえできなかった。
「あの、南さん、大丈夫ですか?」
さすがにおかしいと思ったのか、接客をしていた相沢さんが駆け寄ってくる。よく見ると、まわりのお客さんたちもこちらに注目していた。
「大丈夫です。ね、僕ら知り合いなんで。ほら、周りに迷惑かけてんじゃん。ダメだよ」
どうしてそんな、ずっと友達だったみたいな顔をして話せるんだ。ふるふると首を横に振ると、相沢さんは私を後ろに下がらせて、山田との間に進み出た。
「少なくとも私にはそう見えません。他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取りください」
年下にかばわれて情けない。それと同時に、きっぱりと言い切ってくれる相沢さんに安心感を覚えた。
「邪魔なんてそんな。俺はただ、知り合いに会いに来ただけですよ」
彼の口からスラスラと出てくる言葉に吐き気を催す。こんなやつ、知り合いでも何でもない。
「……まあでも、急にきて驚かせちゃったみたいなんで、今日は帰ります。じゃあね、月島さん」
カラン、とまたドアベルが鳴り、山田は店の外へと出ていく。私は体中から力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。
「南さん、大丈夫ですか?」
「うん、うん……ごめんね、迷惑かけて……」
相沢さんはしゃがみ込み、私の背を撫でてくれている。情けないのと恐ろしいのとで、瞳からは涙があふれた。
「……休憩室、入ってください。あいつ、まだいます」
相沢さんは小声でそっと私に耳打ちをする。ハッと顔を上げて窓の外を見ると、山田は確かに少し離れたところからこちらの様子をうかがっていた。あいつと目が合った気がして、すぐに視線を逸らす。山田のじっとこちらを見下すような目線が、体にまとわりついているような気がして気持ちが悪かった。
人の波が少しだけ落ち着く14時過ぎにお昼休憩をとろうとしたら、背後でカランとドアベルが鳴り、内心肩を落としながら振り向いた。
「いらっしゃいませ、おひとりさまですか?」
青いシャツにジーンズ、黒縁眼鏡をかけた男性は、なぜか私の顔をじっと見ながらその場に立ち尽くしている。
「えっと……お客様?」
「月島さん?」
その言葉に、全身が凍り付いた。頭の中が真っ白になり、何も言葉が出てこない。今はとにかく否定をすべきなのに、予想外の出来事に動転してただ自分の手を握りしめることしかできなかった。
「月島ヨナさんでしょ、ねえ、何か言ってよ」
聞いたことのない声だ。おそらく知り合いの配信者などではないだろう。早く帰ってもらわないと、と頭ではわかっているのに声が出ない。
「あぁ、ごめん。そうだよね、僕の名前言わないとわかんないか。山田です。覚えてない?」
山田、という単語で、私の頭の中にあの初期アイコンと、過剰ないじりコメントの数々が思い出される。けれどそのコメントをしたアカウントと、目の前に立っている男性が結びつかず、さらに混乱した。山田が、こんな普通の人間であるわけがない。
「えー、もしかして覚えてないの? 本当に記憶力悪いなあ。あんなにコメントしたのに、覚えてないわけ?」
そんな風に言われて、普通は恐怖を感じてもいいはずなのに、私はなんだかあのアカウントとこの男性が一致するような言動をしたことで少し落ち着きを取り戻した。
けれど、なぜ山田がここにいるのだろう。働いている場所がどこかから洩れたのだろうか。でも「月島ヨナ」の知り合いに、私の勤務先や家の住所を知っている人は誰1人いない。ゆきにさえ教えていない。
「ここ、調べるの大変だったなあ。この辺のカフェしらみつぶしで探すつもりだったんだけど、一発目で当たってラッキーって感じ」
そんな恐ろしいことを、山田を名乗る目の前の男性はにこやかに語っている。どうして、私の働いているカフェを、そんなになって調べようとしたんだ。
聞きたいことも、言いたいことも色々ある。けれど今の私は恐怖で震えてしまって声も出せず、この場から逃げ出すことさえできなかった。
「あの、南さん、大丈夫ですか?」
さすがにおかしいと思ったのか、接客をしていた相沢さんが駆け寄ってくる。よく見ると、まわりのお客さんたちもこちらに注目していた。
「大丈夫です。ね、僕ら知り合いなんで。ほら、周りに迷惑かけてんじゃん。ダメだよ」
どうしてそんな、ずっと友達だったみたいな顔をして話せるんだ。ふるふると首を横に振ると、相沢さんは私を後ろに下がらせて、山田との間に進み出た。
「少なくとも私にはそう見えません。他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取りください」
年下にかばわれて情けない。それと同時に、きっぱりと言い切ってくれる相沢さんに安心感を覚えた。
「邪魔なんてそんな。俺はただ、知り合いに会いに来ただけですよ」
彼の口からスラスラと出てくる言葉に吐き気を催す。こんなやつ、知り合いでも何でもない。
「……まあでも、急にきて驚かせちゃったみたいなんで、今日は帰ります。じゃあね、月島さん」
カラン、とまたドアベルが鳴り、山田は店の外へと出ていく。私は体中から力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。
「南さん、大丈夫ですか?」
「うん、うん……ごめんね、迷惑かけて……」
相沢さんはしゃがみ込み、私の背を撫でてくれている。情けないのと恐ろしいのとで、瞳からは涙があふれた。
「……休憩室、入ってください。あいつ、まだいます」
相沢さんは小声でそっと私に耳打ちをする。ハッと顔を上げて窓の外を見ると、山田は確かに少し離れたところからこちらの様子をうかがっていた。あいつと目が合った気がして、すぐに視線を逸らす。山田のじっとこちらを見下すような目線が、体にまとわりついているような気がして気持ちが悪かった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
鬼母(おにばば)日記
歌あそべ
現代文学
ひろしの母は、ひろしのために母親らしいことは何もしなかった。
そんな駄目な母親は、やがてひろしとひろしの妻となった私を悩ます鬼母(おにばば)に(?)
鬼母(おにばば)と暮らした日々を綴った日記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる