14 / 47
第14話 南千尋
しおりを挟む
勤務先のカフェに裏口から入り、慣れた動作で休憩室にあるロッカーを開ける。休憩室には私以外誰もいなかった。黒いシャツの襟を正し、店の名前が印字されたエプロンを首からかける。きゅっと後ろで紐を結んで、店内へと入った。
「あ、千尋さんおはようございます」
店内では、バイトの柳くんが店の床をモップ掛けしていた。
「柳くんおはよう。今日天気悪いね」
ガタン、とモップ掛けの終わったらしい場所から机の配置を直していく。
「まあ、梅雨ですからね。変わりますよ、千尋さんモップしてください」
「ありがとう」
柳くんからモップを受け取り、床の掃除を交代する。店にはまだいつもの音楽はかかっておらず、静かな空間に柳くんがガタガタと机を動かす音が響いていた。
あの配信から、1週間が経った。「月島ヨナ」の活動を停止して、私、南千尋は仕事をして家に帰って眠るだけの生活を送っている。というより、今までがイレギュラーだった。ただ、元の生活に戻っただけだ。
とはいえ、今まで1年半ほど活動していたから、その習慣は身に沁みついて離れない。朝はSNSで呟こうとしてしまうし、相互フォロワーのVTuberの配信も見に行ってしまう。今まで自分が自由な時間に何をしていたのか、思い出せなかった。
「月島ヨナ」の活動をやめたら、私が私でなくなるような気がした。月島ヨナを作っていたのは私だったのに、気が付けばそれに縋り付いていて、1人じゃ立てなくなっている。一人ではどうしようもないのは、「月島ヨナ」のはずなのに。
心にぽっかりと穴が開いていた。けれど私には生活があり、仕事がある。忙しい毎日を送っているうちに、そういえばこれが当たり前だったな、と思えるようになってきた。
「……あ、降ってきた。今日お客さん少ないといいですね」
柳くんの言葉につられるように、窓の外を見る。家を出たときは降っていなかったが、窓ガラスにぽつぽつと水滴がついていた。
「本当だ。最近ずっと忙しいもんね」
私の働く「ライラック」は個人経営のカフェだ。路地裏にひっそりと建っているはずなのに、お客さんはそれなりに多い。確か去年のクリスマスキャンペーンで、誰かがSNSでうちのケーキを投稿したのがバズったらしい。そのせいで、クリスマスは大忙しだった。
あれから半年経っても、クリスマス程はいかないが、客足が衰えることはなくなった。おかげで給料も増えたけれど、少しくらい暇な時間があってもいいだろう。
「そういえば、千尋さんちゃんと考えてきました?新メニューの案」
「うわ、嫌なこと思い出させないでよ……」
3日前、店長から突然新メニューを考えてほしいと宿題を出されたのだ。私だけじゃなく、ほかの社員やバイトたち全員に。店長曰く、梅雨だけの特別メニューを考えてほしいのだという。
正直私はこういうのが苦手だった。新しい何かを作るとか、スローガンを考える、とか。学生時代から散々苦労してきた。だから私はVTuberなんてものをしていながら、創作活動は全く行っていない。
「梅雨のメニューって難しいよね……。しかも1人1案は絶対出せとかさあ……」
「マジでバイトに考えさせることじゃないですよ」
柳くんはそう言って、けらけらと笑っている。この紙に書いて、と言われて渡されたものに一応案は描いてきたけれど、自信がない。
「柳くんはこういうの得意なんじゃないの?」
柳くんは近所の美大に通う大学生だ。きっと良いメニュー案を考えてきているんだろうと彼の方へ顔を向けると、柳くんは大げさにぶんぶんと首を振った。
「絵に描いたものが食べ物とかになるんなら苦労しないですよ……」
「まあ……それがちゃんと料理になるかは別だもんね……」
そう言うと、柳くんはそうなんですよ、と笑った。そのとき奥でガタンと音がして、休憩室の扉から店長が顔を出した。
「柳くん、南さんおはよう! メニュー考えてきたかな?」
店長はにかっという効果音が付きそうなほど爽やかな笑顔でこちらに歩いてくる。店長は30代後半の男性で、人も良いし優しいけれど、その背の高さと角刈りのせいでよくお客さんにビビられている。この店に勤め始めて2年が経つ私でさえ、後ろから店長が突然現れたらびっくりして情けない声が出てしまう。
「あと2人と……相沢さんからももらってないんだよね。相沢さんまだ来てない?」
「来てないですね」
メニュー案取ってきます、という柳くんと一緒にロッカーに置いてあるカバンにメニュー案を取りに行く。クリアファイルに仕舞ったメニュー案を取り出したとき、ちょうど裏口の扉が開いて相沢さんが入ってきた。
「おはようございます」
バイトの相沢さんはいつも、勤務時間のちょうど10分前に来る。後ろで1つにまとめた黒髪と、黒縁のメガネは彼女の真面目さを表しているようだ。高校生なのにきちんと働いている相沢さんはえらい、素直に尊敬してしまう。
「相沢さんおはよう。店長がこの間のメニュー案出してくれって」
「ああ……。はい、わかりました」
そう言って、店長にメニュー案を渡しに行く。恥ずかしくて、自分のメニュー案を改めて見ることはできなかった。
「はい、確かに。使うことになったらまた言うね」
そう言って店長はキッチンへ入っていった。
「店長、店開けますよ」
「いいよー、開けちゃってー」
気が付けば開店時間になっていた。今日も、いつも通りの1日が始まる。
「あ、千尋さんおはようございます」
店内では、バイトの柳くんが店の床をモップ掛けしていた。
「柳くんおはよう。今日天気悪いね」
ガタン、とモップ掛けの終わったらしい場所から机の配置を直していく。
「まあ、梅雨ですからね。変わりますよ、千尋さんモップしてください」
「ありがとう」
柳くんからモップを受け取り、床の掃除を交代する。店にはまだいつもの音楽はかかっておらず、静かな空間に柳くんがガタガタと机を動かす音が響いていた。
あの配信から、1週間が経った。「月島ヨナ」の活動を停止して、私、南千尋は仕事をして家に帰って眠るだけの生活を送っている。というより、今までがイレギュラーだった。ただ、元の生活に戻っただけだ。
とはいえ、今まで1年半ほど活動していたから、その習慣は身に沁みついて離れない。朝はSNSで呟こうとしてしまうし、相互フォロワーのVTuberの配信も見に行ってしまう。今まで自分が自由な時間に何をしていたのか、思い出せなかった。
「月島ヨナ」の活動をやめたら、私が私でなくなるような気がした。月島ヨナを作っていたのは私だったのに、気が付けばそれに縋り付いていて、1人じゃ立てなくなっている。一人ではどうしようもないのは、「月島ヨナ」のはずなのに。
心にぽっかりと穴が開いていた。けれど私には生活があり、仕事がある。忙しい毎日を送っているうちに、そういえばこれが当たり前だったな、と思えるようになってきた。
「……あ、降ってきた。今日お客さん少ないといいですね」
柳くんの言葉につられるように、窓の外を見る。家を出たときは降っていなかったが、窓ガラスにぽつぽつと水滴がついていた。
「本当だ。最近ずっと忙しいもんね」
私の働く「ライラック」は個人経営のカフェだ。路地裏にひっそりと建っているはずなのに、お客さんはそれなりに多い。確か去年のクリスマスキャンペーンで、誰かがSNSでうちのケーキを投稿したのがバズったらしい。そのせいで、クリスマスは大忙しだった。
あれから半年経っても、クリスマス程はいかないが、客足が衰えることはなくなった。おかげで給料も増えたけれど、少しくらい暇な時間があってもいいだろう。
「そういえば、千尋さんちゃんと考えてきました?新メニューの案」
「うわ、嫌なこと思い出させないでよ……」
3日前、店長から突然新メニューを考えてほしいと宿題を出されたのだ。私だけじゃなく、ほかの社員やバイトたち全員に。店長曰く、梅雨だけの特別メニューを考えてほしいのだという。
正直私はこういうのが苦手だった。新しい何かを作るとか、スローガンを考える、とか。学生時代から散々苦労してきた。だから私はVTuberなんてものをしていながら、創作活動は全く行っていない。
「梅雨のメニューって難しいよね……。しかも1人1案は絶対出せとかさあ……」
「マジでバイトに考えさせることじゃないですよ」
柳くんはそう言って、けらけらと笑っている。この紙に書いて、と言われて渡されたものに一応案は描いてきたけれど、自信がない。
「柳くんはこういうの得意なんじゃないの?」
柳くんは近所の美大に通う大学生だ。きっと良いメニュー案を考えてきているんだろうと彼の方へ顔を向けると、柳くんは大げさにぶんぶんと首を振った。
「絵に描いたものが食べ物とかになるんなら苦労しないですよ……」
「まあ……それがちゃんと料理になるかは別だもんね……」
そう言うと、柳くんはそうなんですよ、と笑った。そのとき奥でガタンと音がして、休憩室の扉から店長が顔を出した。
「柳くん、南さんおはよう! メニュー考えてきたかな?」
店長はにかっという効果音が付きそうなほど爽やかな笑顔でこちらに歩いてくる。店長は30代後半の男性で、人も良いし優しいけれど、その背の高さと角刈りのせいでよくお客さんにビビられている。この店に勤め始めて2年が経つ私でさえ、後ろから店長が突然現れたらびっくりして情けない声が出てしまう。
「あと2人と……相沢さんからももらってないんだよね。相沢さんまだ来てない?」
「来てないですね」
メニュー案取ってきます、という柳くんと一緒にロッカーに置いてあるカバンにメニュー案を取りに行く。クリアファイルに仕舞ったメニュー案を取り出したとき、ちょうど裏口の扉が開いて相沢さんが入ってきた。
「おはようございます」
バイトの相沢さんはいつも、勤務時間のちょうど10分前に来る。後ろで1つにまとめた黒髪と、黒縁のメガネは彼女の真面目さを表しているようだ。高校生なのにきちんと働いている相沢さんはえらい、素直に尊敬してしまう。
「相沢さんおはよう。店長がこの間のメニュー案出してくれって」
「ああ……。はい、わかりました」
そう言って、店長にメニュー案を渡しに行く。恥ずかしくて、自分のメニュー案を改めて見ることはできなかった。
「はい、確かに。使うことになったらまた言うね」
そう言って店長はキッチンへ入っていった。
「店長、店開けますよ」
「いいよー、開けちゃってー」
気が付けば開店時間になっていた。今日も、いつも通りの1日が始まる。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
呪配
真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。
デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。
『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』
その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。
不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……?
「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!
Vママ! ~中の人がお母さんでも推してくれる?~
ウメ
青春
「こんマリ~! メタライブ0期生、天母(あまも)マリアですぅ」
個性豊かなVTuberを抱える国内最大の運営会社メタライブ。マリアはそれを発足時から支える超有名VTuberだ。
そんな彼女の大ファンである秋山翔は、子離れできない母を煙たがる思春期の高校一年生だった。
しかし翔はある日、在宅ワークをする母の仕事部屋を覗き、マリアとして配信する姿を目撃してしまう。推しの中の人は、自分のウザい母だったのだ!
ショック死しそうになる翔。だが推しを好きな気持ちは変わらず、陰から母(推し)をサポートすることに。そんな事情を知らず、母はお風呂配信やお泊り配信の仕事を約束してしまい……
――中の人が母だと知った息子を中心に織りなす、VTuber母子コメディ開幕!
(※本作は【切り抜き】がきっかけで物語が進みます。また、第1話はキャラ紹介が中心になっています)
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる