VTuberをやめました。

阿良々木与太

文字の大きさ
上 下
8 / 47

第8話 雛芥子

しおりを挟む
 猫のキーホルダーのついた鍵を差し込み、部屋の扉を開ける。1人暮らしをしているマンションに帰ってくる頃には、もう22時を回っていた。

 本当ならもっと早く帰ってこれたはずなのに、突然遅番のバイトの子が来られなくなってそのカバーのために3時間も残業をさせられた。暗い部屋に入り、倒れこむように椅子に座る。本音を言えばベッドに飛び込んでこのまま眠ってしまいたかったけれど、配信をすると朝につぶやいたから、やらなくては。

 そんな義務感に駆られているけれど、実際はやらなくたっていいことだ。「やっぱり今日は仕事で疲れてるのでお休みします」とつぶやけば、リスナーたちは労いの言葉をかけてくれることだろう。でも、今日やらなかったらもう2度と配信をやらなくなってしまうような気がする。最近はどんなに疲れていてもそんな思いが生じて、配信を行っている。

 はあ、と大きなため息をつきながらパソコンの電源を入れた。低い電子音を立てながらパソコンが起動している間に部屋着に着替える。それから配信中に飲む物を用意しようとしたところで、今日の配信を何時からやるかつぶやくのを忘れていたな、とSNSを開いた。

 朝確認し損ねた通知欄のリプライにいいねをぽちぽちとつける。流し読む程度にタイムラインを確認してから、配信の時間をどうしようかなと思いつつツイート欄に文字を打ち込んだ。


『ただいま~、お仕事長引いて今帰ってきた!
配信は23時から!遅くなっちゃってごめんよ~!!!待機所もうちょっと待っててね』


 そうツイートをして、コーヒーを入れるために小鍋でお湯を沸かす。沸騰するまでの間に配信の待機所を作ろうとパソコンを操作する。

 もうすっかり慣れてしまって、機械的な動作で設定をすると、待機所のリンクをツイートしようとした。あぁ、サムネ用意するの忘れたな。そう思い出し、共有の画面をいったん閉じる。
 配信を始めた初期に作ったファンアートタグを、ありがたいことに今でも使ってくれる人はいる。サムネイルを作るのが面倒な時は大体このタグの中からイラストを借りていた。でも私みたいな弱小配信者だと絵を描いてくれる人も限られていて、毎回同じ人からイラストを借りているような状態になっている。描いてくれる人にもほかのリスナーにも申し訳ないと思いながら、こればかりは私にはどうしようもできないのでありがたく使わせていただく。

 サムネイルを差し替え、改めてリンクをツイートした。


『待機所!!!!』


 ちょうどそのタイミングでお湯が沸いた。コーヒーを入れて、椅子に深く腰掛ける。時刻は22時45分、配信まではもう少し時間がある。まだ熱いコーヒーをすすり、SNSのアプリを開いた。配信の告知ツイートにいくつかリプライがついている。


『待ってた、配信楽しみ~!』
『お仕事お疲れさまです、待機します』


 どんなに疲れていても、配信が嫌になっていても、やっぱりリスナーからのポジティブな言葉はうれしい。いつも通りにいいねをつけていると、そういえば、と今朝見た夢のことを思い出した。

 『ヨナちゃん、大丈夫かな』とつぶやいてくれていたリスナー。あのときはユーザー名こそ確認しなかったけれど、ほとんどのリスナーのことはアイコンで覚えていたから、パッとツイートが目に入っただけで誰か分かってしまった。そういえば、あのリスナーのことを最近配信でも通知欄でも見かけていない。

 病気でもしていないかと心配になって、彼女のアカウントを探す。確か彼女のことはフォローしていたはずだ。500人くらいいるフォロー欄をずっと遡っていくと、そのアカウントはあった。

 「雛芥子」最初は名前が読めなくて、リスナーに笑われたことを覚えている。彼女はいつも優しくて、決して私を責めるようなことはなく、『ややこしい名前ですみません』と謝ってくれていた。

 彼女のアカウントはずいぶん前から動いていないようだった。最後のツイートは3か月前。そこには、


『最近なんか居心地悪い……。ごめんなさい。』


 とだけ書かれていた。

 雛芥子のアカウントのプロフィール欄には「月島ヨナちゃんが好きです」の1文のみ書かれているだけあって、このアカウントは主に私へのリプライや、配信の感想等にしか使われていない。それは、ずっとフォローしていた私が一番知っていることだ。

 そんな彼女がこんなツイートをしているということは、もちろんその居心地の悪さは私の配信からきているのだろう。そう思うと、心臓がどくんと嫌な音を立てた。

 配信を始める前から私のことをずっと好きでいてくれた彼女が、こんな言葉を残して消えるほど、私の配信はひどかったのだろうか。自分では薄々感じていたけれど、配信者とリスナーでは感じ方が違う。私が感じている違和感なんかはリスナーたちに伝わっていないと思っていた。

 雛芥子のアカウントには、それ以外に何か愚痴のようなものは見られなかった。でも、このツイート以降何もつぶやいていないし、私のツイートにも反応していないから、それくらい気持ちをため込んでいたということだろう。

 今となっては、もう彼女の気持ちはわからない。けれど、彼女に何が悪かったのか聞きたかった。そうすれば私がずっと抱えている悩みの正体がわかる気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

Vママ! ~中の人がお母さんでも推してくれる?~

ウメ
青春
「こんマリ~! メタライブ0期生、天母(あまも)マリアですぅ」  個性豊かなVTuberを抱える国内最大の運営会社メタライブ。マリアはそれを発足時から支える超有名VTuberだ。  そんな彼女の大ファンである秋山翔は、子離れできない母を煙たがる思春期の高校一年生だった。  しかし翔はある日、在宅ワークをする母の仕事部屋を覗き、マリアとして配信する姿を目撃してしまう。推しの中の人は、自分のウザい母だったのだ!  ショック死しそうになる翔。だが推しを好きな気持ちは変わらず、陰から母(推し)をサポートすることに。そんな事情を知らず、母はお風呂配信やお泊り配信の仕事を約束してしまい……  ――中の人が母だと知った息子を中心に織りなす、VTuber母子コメディ開幕! (※本作は【切り抜き】がきっかけで物語が進みます。また、第1話はキャラ紹介が中心になっています)

呪配

真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。 デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。 『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』 その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。 不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……? 「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

処理中です...