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自称悪役令嬢な妻の観察記録。4

自称悪役令嬢な妻の観察記録。4-3

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 私としてはどちらでも良かったし、ゼノは……実家で姉たちに散々からかわれるのが予測できるため、むしろ実家からは早く離れたいと思っているらしい。バーティアたちの話を聞いて喜んでいた。

「も、もう行くのかえ? もうちょっと……あと数日くらい準備に時間をかけたほうが……」

 私の言葉にビクッと肩を震わせたクロの母がボソボソと呟く。

「準備はもう十分ですよ。向こうに泊まるわけでもないので、荷物もほとんどこちらに置いたままにしていますしね」
「し、しかしのぉ……」

 往生際が悪く、何か出発を引き延ばす言い訳はないかと周囲を見回すクロの母。
 ……うん。もう十分付き合ったし、出発してもいいよね。

「それでは行きましょう」

 ニッコリと満面の笑みを浮かべてうながすと、クロの母はグッと言葉を詰まらせうつむく。
 そんなクロの母を、バーティアとクロが彼女の肩や背中をポンポンッと軽く叩いたりさすったりしてなぐさめる。
 戴豆は気合を入れるように口元に力を込め、クロの母に腕を差し出してエスコートする体勢を取った。
 そこでやっと覚悟が決まったのか、ずっとしおれたように引きずっていた八本の尻尾をピンッと立て、クロの母が顔を上げた。
 ただ、戴豆の腕にかけた手には必要以上に力が入っている。

「闇狐、気を付けて行ってくるのよ」
「頑張るんじゃぞ」

 見送りに来てくれたクロの母方の祖父母が励ますように声をかける。
 父方の祖父母にあたる紫華と萌綿は、声こそかけなかったけれど、紫華は戴豆に対して「守ってやれ」という感じで強めの視線を向けて頷き、萌綿はニコニコと満面の笑みで手を振っていた。

「わかっておる。行ってくるぞえ」
「行ってきますわ!!」

 クロの母とバーティアが返事をし、ゼノと戴豆と私が軽く頭を下げる。クロは「後のことは任せろ!」とでも言うようにビシッと親指を立てていた。
 こうして、闇の王の城を出る前に一悶着ひともんちゃくはありつつも、私たちはゼノの父母の住む精霊界の中心――精霊王の領域に向かったのだった。



   二 バーティア、ゼノの実家に滞在中。


 ゼノは精霊王の甥にあたる。
 要するに、ゼノは精霊王の一族なのだ。
 そのため、ゼノの実家も、精霊王が治める領域にある。
 私も実際に精霊界に来るまではよく知らなかったんだけど、精霊界の中心には精霊王が治める領域があり、それを取り囲むようにして各精霊の王たちの治める領域がある。
 そして、精霊王の領域には、他の領域に行ける直通のゲートがあるのだ。
 そのため、他の領域に行く時に精霊王の領域にあるゲートを使って行くと、時間を短縮して目的地に行くことができる。
 私たちもアルファスタから精霊界の精霊王の領域に来て、そこからゲートを使って闇の領域に行った。
 逆にゼノの実家がある精霊王の領域に行く時も、そのゲートを使えばあっという間に行くことができる。
 私としては、単純に楽で良かったという感じなんだけど、ゼノの実家に行くことに対して心の準備がいまだ整っていないクロの母からしたら、たまったもんじゃないだろう。
 実際、精霊王の領域に着いた今、彼女の顔は緊張で青ざめていた。

「ひ、ひ、ひ、久しぶりに闇の領域から出たのぉ。精霊王の領域も久しぶりじゃ。で、でも大丈夫じゃ。妾は全然大丈夫じゃ!!」

 ……これはあれだね。全然大丈夫じゃないやつだ。
 人はなぜ、触れてほしくないことや、触れられると不安になることに言及されると、必要以上に否定するんだろう?

「師匠、大丈夫ですわ! ちょっと風景が変わっただけですの!!」

 バーティアが、耳と尻尾を下げているクロの母に、微妙な励ましの声をかける。
 無口を通りすぎてほぼしゃべらない戴豆は、プルプルと震えているクロの母の手をギュッと握り締め、心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。

「そ、そうじゃな! ちょっと景色が変わっただけじゃ。ちょっと、闇以外の精霊が多いだけ……」

 ゲートを通ってすぐの場所は、どうしても人通り……精霊通りも多めだ。
 さっき私たちがゲートを使った直後も、別の精霊がゲートから出てきた。
 ちょうどクロの母が落ち着こうとしたタイミングでの出来事だったため、クロの母は必要以上に驚き、体を震わせていた。
 ……せめて出てきたのが闇の精霊だったら良かったんだろうけれど、どう見ても違う属性の精霊だったからな。
 闇の領域には闇の精霊以外も住んでいるけれど、そういう精霊たちは、闇を好む引きこもり体質――闇の王であるクロの母に近い性質、性格の者がほとんどだ。そのため、豪快な笑い声を上げながらいきなり現れた炎の精霊に衝撃を受けたのだろう。

「大丈夫じゃ。妾は大丈夫。皆、妾を嫌っているわけではないのじゃ。嵐鳥も妾のことを嫌っているわけじゃないのじゃ」

 ブツブツと自分に言い聞かせ始めたクロの母に、思わず苦笑が浮かぶ。
 不安のせいか立ち止まってしまったクロの母に、バーティアと戴豆はおろおろし、それを見たゼノが慌てた様子でフォローに入る。

「大丈夫ですよ。本当に母はあなたのことを嫌っていないので。きっと、今も久しぶりに会えると楽しみにしていると思います」

 クロも戴豆とは反対隣に立ち、ツンツンと母の服を引っ張って気遣うように首を傾げていたが、ゼノが声をかけたのに合わせて、それに同意するように何度も大きく頷いた。

「精霊たちにとって、ここはいわゆる公共の場ということになるんだろう? 知らない精霊が多く行き来しているここにいるよりも、早くゼノの実家に行ったほうが楽になれると思うよ?」

 ゼノやバーティアは、嵐鳥はクロの母を嫌っていない、むしろ可愛いと思って気に入っていると何度も彼女に伝えている。
 最初は疑心暗鬼だったクロの母だけど、今はどちらかというとその言葉を信じ始めている状態だ。
 それならば、まったく知らない、信じられる要素すらない精霊たちが行き交う場所よりも、信じられそうな人がいるところへさっさと移動したほうが負担が少ないと思うのだけれど……
 まぁ、人によっては信じられそうな相手だからこそ、相手がどんな反応をするのか、怖くて不安が強くなる場合もあるらしいけれど……どちらにしても、人が少ない場所に移動したほうがいい。

「そ、そうじゃな。ここでもし昔、妾のことを虐めた奴に会いでもしたら……」

 誰のことを思い浮かべたのかはわからない。
 昨晩の話を聞いた感じだと、本当にそれが「虐めた」という状態だったかも正直怪しいところではある。けれど、当時のことを思い出し、さらに顔色を悪くしたクロの母の状態を考えると、その相手と会ってしまうようなことは避けたほうがいいだろう。
 まあ、その相手がちょうど今ここを通りかかる確率はもの凄く低いから、本来なら心配する必要すらないと思うけれど……それがクロの母の不安を増させているなら、「大丈夫」という根拠のない励ましをするよりも、実際にこの場を離れたほうが有効な気がする。

「なんだか緊張している師匠を見ていたら、私まで気持ち悪い気がしてきましたわ」

 バーティアが「うっ」と口元を押さえて肩を震わせる。
 ……バーティア、君のその気持ち悪さは、緊張が伝染したという理由だけではないと思うよ?
 実際に、精霊界に来た時やゲートを通った時など、空間を歪めた移動をする度に、彼女は具合が悪そうにしている。
 確かにそういった移動の時には、眩暈めまいに近い、グラッとした感じがするから、酔ったような状態になることはおかしくない。
 多分、そういう何かしらの要因で気持ち悪くなっているんだと思う。
 心配ではあるけれど、しばらくすれば落ち着くことが多いみたいだし、移動にはどうしても空間を歪めたところを通らないといけないから、様子を見るしかない。
 ただ、具合が悪くなったり、ふらついて転びそうになったりした時に、きちんと対処できるように心づもりだけはしておこう。
 大切な妻が辛そうにしているのは、私も辛いからね。

「おぉ、バーティア。大丈夫かえ?」

 具合が悪そうなバーティアを見て、クロの母がハッとした表情になり、尋ねる。
 大切な友達であるバーティアの不調を前にしたことで、急に冷静になったのだろう。
 さっきまでの動揺など、どこへやら。心配される側から心配する側になり、バーティアの顔を見つめる。

「だ、大丈夫ですわ! ちょっと胃がキュッってなっただけですの。きっと気持ちが悪いと思ったのも気のせいですわ!!」

 大きく深呼吸をし、胃のあたりを軽くさすったバーティアは、自分の体に尋ねかけるようにジッと体を見つめ首を傾げたあと、いつも通りの笑顔で答える。
 気持ち悪いという感覚はもう何回か続いているし、きっと気のせいではないと思うけれど……本当にすぐに落ち着いたようだから良かった。
 ついさっきまで悪かった顔色も、今はもう復活している。
 いや、少しは後を引いているようだけれど、既に回復しかけているのは本当のことみたいだし、完全に大丈夫になるのも時間の問題だろう。
 私も心配ではあるけれど、ここで声をかけては折角復活したことをアピールしてクロの母を安心させようとしているバーティアの気持ちに水をさしてしまう。
 もしまた具合が悪そうになったら、彼女を休ませることを優先させるけれどね。

「それじゃあゼノ、案内してくれる?」

 ゼノの実家が精霊王の領域にあるとはいっても、王城内にあるわけではないだろう。
 いや、たとえ王城内にあったとしても案内をしてもらわないと辿り着けないから、ゼノに案内を頼むのは変わらないね。

「ご案内させていただきます。……はぁ」

 ゼノはうやうやしく礼をしたのち、小さく溜息をついた。
 きっと、実家で待っている母や姉たちのことを考えて、憂鬱ゆううつになったのだろう。
 私に姉はいないから、今の彼の心境はわからないけれど……昨日会った彼の母のような元気な女性たちに婚約者を紹介して冷やかされるのは確かに大変そうだ。
 ……ポンポンッ。グッ!
 既に疲れ切ったように肩を落としているゼノの背中を、クロが軽く叩いて親指を立てて見せる。
 あれは、「頑張れっ!」なのか、それとも「私もついているから大丈夫!」なのか。
 なんとなくだけど、クロはゼノに対してスパルタなところがあるから、「頑張れ!」という意味合いのほうが強い気がする。
 実際どうなのかは、クロに聞けばすぐにわかることではあるけれど、どちらにせよゼノが頑張るしかないのは変わらないから気にするだけ無駄だろう。
 というか、そこまで興味もないしね。

「それでは、こちらになります」

 婚約者の一連のジェスチャーにゼノは力なく頷き、クロの頭を撫でた後、歩き始めた。
 それに対して、戴豆の視線がキッと一瞬険しくなったものの……戴豆には久しぶりに自分の領域――家から出て戦々恐々状態になっている妻をエスコートするという役目がある。そのため、娘たちの邪魔をしたり、それ以上不満を態度に表したりすることはなかった。
 戴豆は無口……というか、クロ同様まったくしゃべらないため、視線で「うちの娘に気安く触るな!」とアピールをしたところで、私たちに背を向けて歩き始めたゼノには伝わらないことに気付いたのだろう。
 きっとここにクロの母がいなかったら、ゼノに飛び蹴りの一つもお見舞いしていたに違いない。
 命拾いしたね、ゼノ。
 バーティアの手を取り、歩き出しながら、「良かったね」という思いを込めて笑みを彼の背中に向けたら、ゼノがビクッとして慌てた様子で振り返った。
 ……ゼノ、あれだけ殺気のこもった戴豆の視線には気付きすらしなかったのに、私の温かい笑みにはすぐに振り返るって一体どういうことだい?
 振り返ったゼノに向かって、さらに笑みを深めると、今度は慌てた様子でバッと正面に視線を戻し、歩くスピードを速めるゼノ。
 ……ゼノ、後でゆっくり話をしようか?

「いよいよですわね! ゼノのお姉様方に会えるのが楽しみですわ!!」

 急に速くなった案内役の歩調などまったく気にしない様子で、バーティアがニコニコと笑みを浮かべる。
 それに同意するように、ゼノの少し後ろを歩くクロも、バーティアに視線を向けてコクコクと頷く。
 そういえば、クロはゼノの実家に行く時も幼女姿のままなんだね。
 精霊界に満ちている力の属性についてはよく知らないからはっきりとは言えないけれど、精霊王の司るものは、『調和』ということだった。だから、闇の領域ほどではないにしても、この領域で闇の精霊の力が弱まることはないんじゃないかと思う。
 クロは人間界で過ごしている時、「昼間は闇の力が弱まるから、力を節約する」という理由で日中、幼女姿でいるけれど……もし私の推測が当たっているのであれば、それはここではあてはまらない。
 要するに、大人バージョンでゼノの実家に行くことも可能だし、そうすればゼノがロリコン疑惑をかけられる可能性も低いと思うんだけど……
 あ、私の視線から何かを察したのか、クロが振り返った。
 そして、彼女の自慢の尻尾を一振りして「余計なことは言うな」というように目をわずかに細める。
 ……なるほどね。この姿のままのほうが楽しそうだし、ゼノの慌てる姿が見られるから黙っていろってことだね。
 私も、ゼノが姉たちにロリコンを疑われて焦る姿を見てみたいから黙っているよ。
 他の人たちに気付かれないように、お互いに小さく頷き合って視線を外す。

「そうだね。私も楽しみだよ」

 隣ではしゃぐバーティアに視線を戻し、ニッコリと微笑む。
 先ほどのゼノとは違い、私の可愛い妻は屈託のない笑顔を返してくれた。


   ***


 どれくらい歩いただろうか?
 精霊王の城から出るまでに少し時間がかかったが、出てしまいさえすれば、ゼノの実家は本当に目と鼻の先程度の距離だった。

「やっぱり、精霊王の弟というだけあって立派な屋敷だね」

 精霊王の城のお隣と言ってもいい位置にある屋敷。
 まぁ、お隣ではあっても精霊王の住む城はおおやけの施設も併設されているためかなり広く、敷地内にある建物も一つではないため、隣という感覚は全然ないけれど。
 でも、私たちも普段城に住んでいるため、その辺のことに違和感を覚えることはなかった。
「城ならこんなものだよね」という感じだ。

「伯父が忙しくて対応しきれないと、代わりになんとかしてくれと精霊たちが押し寄せてくることもあるので、広めの屋敷にしたらしいです。あと、精霊が暴れた時に家に被害が出ないように庭も広くしたみたいで」

 苦笑しながら理由を語るゼノ。
 精霊界には多くの精霊が住んでいるけれど、精霊たちは基本的に自然を好む気質がある。
 そのため、一般の精霊たちの生活スタイルはかなり自由らしい。
 王たちは自分の領域内の困りごとの対応をすることも多く、何かあった時に頼りやすいよう城に住んでいるが、それ以外の精霊は人間のように家を建てて住んでいる者もいれば、自然の中の自分の好きな場所を棲家すみかと定めてその場に居座る者もいる。棲家すみかを定めず気ままにあちこちフラフラしている者もいる。
 そのため、人間の世界の町や村のように、複数の精霊が家を建てて集まって暮らしている集落みたいな場所はない。
 家を建てる精霊も、お互いに距離をおいて建てることがほとんどのようだ。
 つまり、精霊たちにとって家というのはなくてはならないものではなくて、なんらかの事情により必要だったり、欲しかったりしたら建てるものということだ。
 そして、ゼノの父であり精霊王の弟でもある縁は、仕事をするのに必要だったため、大きな屋敷を建てたということらしい。
 人間の世界で人に擬態ぎたいして暮らしているゼノたちと一緒にいると、つい精霊も人間もそんなに違いはないと思ってしまいがちだけれど、このあたりが精霊と人間の感覚の違いなのだろう。
 ああ、あと、精霊は病気をしないし、暑くても寒くても平気だけど、人間はそうではないから、そもそも家の必要度が違うというのもあるんだろうね。

「さ、中へどうぞ。多分、両親も私たちが来たことにもう気付いていると……」
「いらっしゃ~い。待っていたわよ~」

 屋敷の門を開けた瞬間、玄関から……ではなく、屋敷の二階にある大きな窓から、勢いよくゼノの母、嵐鳥が飛んできた。
 人間だったら自殺行為だけれど、風の精霊であるゼノの母にとっては文字通り飛んでくることなんて、他愛のないことなのだろう。

「わわわ、凄いですわ! あんな高いところから、ピューンって来ましたわ!!」

 興奮した様子でバーティアが私の腕をバシバシ叩く。
 昨日初めて会った際にも、ゼノの母は普通に宙に浮いていたけれど、バーティア的には高いところから勢いよく飛んでくるのと、周囲をフワフワ飛んでいるのではまったく別物らしい。

「ゼノちゃん、来るのが遅いわよ~。昨日からずっと待ってたのに~」
「行くのは明日か明後日かって言っておきましたよね!?」
「あら、そうだったかしら? でも、ちゃんとお姉ちゃんたちには今日来るようにって言ってあるから大丈夫よ~。縁がそうしたほうがいいって言うから~」
「父上、心の底から感謝します! 母上の暴走を止めてくれてありがとうございます!! 早めに呼ばれて待たされた後の機嫌の悪い姉さんたちに会うはめにならなくて本当に良かったです」

 ゼノの母がのんびりとした口調で発した言葉に、頭を抱えつつ勢いよく突っ込んでいたゼノが、祈るように手を組んで父に感謝を捧げ始める。
 自分のせいでゼノがそうなっているにもかかわらず、ゼノの母は「あらあら」と言いながらまるで他人事のようにニコニコと微笑んでいた。
 ……本当にゼノの母である嵐鳥は、呼び名に似合わずマイペース……いや違うか。彼女は、台風の目のように、自分はのんびりしつつ周りを振り回すタイプなんだね。
 そう考えると、『嵐鳥』という名前は彼女にぴったりだ。

「どういたしまして。ああ、でもパーティーとか他の部分はあまり止められていないから、そっちはあまり期待しないでくれるかい?」

 突然、男の声がしたのでそちらに視線を向けると、何もない空間からスーッとゼノの父である縁が現れた。

「ゆ、幽霊!?」

 何もない空間に半透明の縁が浮かび上がる瞬間を目撃したらしいバーティアが、私の後ろに隠れ、ギュッと私の背中のシャツを握り締める。
「大丈夫だよ」と小さく声をかけると、恐る恐るという感じで顔を覗かせ、縁の姿を確認し、ホッとした表情になる。
 とはいっても、まだ衝撃が残っているのか、私の隣……元の位置に戻った後も、私の服の裾を握り締めたままだけれど。

「あ~っ! 闇狐ちゃんも来てくれたのね! 前に遊ぼうって誘った時は来てくれなかったから今回も駄目かもって思ってたの。来てくれて嬉しいわ~」
「っ!?」

 嵐鳥の突撃とゼノ親子の言葉の応酬に、完璧に固まっていたクロの母。
 思考も動きも停止している彼女の様子などお構いなしに抱きつこうとする嵐鳥の前に戴豆が出て、無言のまま強い視線を向ける。
 そして、そのまま両手を前に出して首を横に振った。

「あら、戴豆も来たの? そういえば闇狐ちゃんの子供っていうことは、あなたの子供でもあるのよね。忘れていたわ~。クロちゃんも可愛い黒狐ちゃんだし~」

 闇狐に抱きつくのを邪魔されて、少しねたように唇を尖らせた嵐鳥。
 不満を顔全面ににじませつつも、目の前に立ちはだかった戴豆の姿に、ポンッと手を叩く。

「あ、でも無口なところは戴豆似なのかしら? 同じ無口でも、闇狐ちゃんの要素が入るとこんなに可愛くなるのね~」

 戴豆、クロ、闇狐の順に視線を移していった嵐鳥が、納得したように「うん、うん」と頷く。
 それにしても、嵐鳥。君、ズケズケとものを言いすぎじゃないかい?
 夫である縁は隣で苦笑を浮かべているし、息子のゼノは実母の発言に、頭を抱えているよ。

「あ、嵐鳥よ。だ、だ、だ、戴豆だって可愛いところがたくさんあるんえ?」

 まるで、戴豆に可愛い要素などないとも取れる嵐鳥の発言に思うところがあったのか、おずおずと闇狐が反論する。
 しかし、戴豆の背中にしがみ付き、顔だけ出して小さな声で告げるそれは、反論というにはあまりに頼りない。
 相手から寄ってきてくれたとはいえ、久しぶりに会う同世代の高位精霊に話しかけることに、かなり不安を感じているのだろう。
 その黒い狐耳は忙しなく動き、尻尾には異様に力が込められているのが見て取れる。
 ちなみに、伴侶である闇狐に可愛いとかばわれた戴豆は一瞬目を大きく見開いた後、闇狐のほうを見てわずかに目元を緩ませた。
 クロ同様表情があまり動かないためわかりにくいが、醸し出すオーラから嬉しくて仕方ないという気持ちが如実に伝わってくる。
 ああ、よく見れば、頬から耳にかけて少しだけ赤みが増しているね。
 照れている部分もあるのかな?


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