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自称悪役令嬢な妻の観察記録。4
自称悪役令嬢な妻の観察記録。4-2
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***
なんとか慌ただしくも賑やかな朝食を終えた後、私は借りている部屋でのんびりとゼノの淹れたお茶を飲みながら寛いでいた。
というのも、バーティアがこの後ゼノの実家に行くための準備をしたいと言って、クロと寝室に籠ってしまったからだ。
……今回は日帰り予定だし、荷物も闇の王の城に置きっぱなしにするから、特に準備なんて必要ないと思うんだけどね。
でもまぁ、女性のお出かけというのはそういうものだろう。
少なくともアルファスタで賓客の相手をしたり、パーティーを開いたりする時の準備よりは大変ではないから大丈夫なはず……
バンッ!!
「セ、セシル様! た、大変ですわぁぁぁぁ!!」
ティーカップに口を付けたタイミングで、もの凄い勢いで寝室の扉が開け放たれる。
思わず飲みかけていたお茶を噴き出しそうになったが、飲み込む寸前に一瞬聞こえたバーティアの足音に不安を覚えて警戒していたことで、なんとかことなきを得た。
うん、良かった。
王太子がお茶を噴き出すなんて粗相をしてはならないからね。
「ティア、一体何が……」
ティーカップを置いて彼女のほうを振り返った瞬間、言葉が止まる。
何があったのか聞くまでもなく、問題がわかったからだ。
「ブッ! ク、クロ!? その顔、どうしたんだ!?」
私とほぼ同時に振り返ったゼノが、バーティアに抱えられるようにして連れてこられたクロを見て噴き出し、次いで表情を取り繕った。
その表情は、笑いを堪えているように見えるけれど……最初に噴き出しているから意味ないよね。
クロもゼノの反応に不満そうな様子で、尻尾を床に叩きつけようとして……バーティアに抱っこされているせいで床まで尻尾が届かず、空振りに終わっている。
「……それで、クロのその格好が君の言っていた準備なのかな?」
「違いますわぁぁぁ! こんなはずじゃなかったんですのぉぉぉ!!」
そう言って、クロを抱えたまま座り込みそうになるバーティアの体を、素早く立ち上がり支える。
「……じゃあ、クロがなんでそんな……派手な? 化粧をしているのか理由を教えてもらってもいいかい?」
バーティアにニッコリと笑いかけた後、彼女の腕の中で不機嫌そうにしているクロに視線を向けた。
クロの顔は凄いことになっていた。
瞼には、濃い紫のシャドウ。
唇には、真っ赤なルージュ。
肌は真っ白なのに、頬には濃い目のチークが入っていて、輪郭を細く見せたかったのか頬の左右には暗めの色も入れられている。
細かいところはわからないけれど、それ以外にも眉が描かれていたり、目尻に黒い線が入れられていたり、細かく見ていけば色々手が加えられていそうだ。
……控えめに言って、かなり面白い出来栄えだ。
「クロ、とりあえず君は……先に顔を洗っておいで? それは君の望んだ姿ではないんだろう?」
私の言葉に、クロがいつもの無表情で、しかしムスッとしたオーラを纏いながら大きく頷く。
バーティアからクロを受け取り、そのまま口元を押さえて笑いを堪えているゼノに差し出す。
ゼノは渡されたクロを反射的に受け取り、その顔を近くで見て、再び噴き出してしまい彼女に頬を思いっきりつねられていた。
「それじゃあ、ゼノ、クロのことを頼んだよ? 化粧落としは……」
「寝室に置いてある荷物の中ですわ」
「だそうだから、それを持って洗面所へ行っておいで。その間に私は……ティアから話を聞いておくよ」
開け放たれたままになっている扉を示すと、ゼノは笑いを堪えながら「畏まりました」と言って移動を始める。
さて、私もバーティアを座らせて話を聞くとしようか。
……まぁ、この流れだから大体の予想はつくけどね。
「それで、一体何をどうしたらあんな姿になったんだい?」
しょんぼりとうなだれるバーティアを座らせて話を振る。
「……今日は、ゼノのご両親に結婚の挨拶に行く日なんですの」
「うん、そうだね」
「夫となる方のご実家に行くのは、女性にとって一大イベントなんですの」
「うん。まぁ……そうかもしれないね」
私もバーティアの実家に挨拶に行く時は少し緊張……はしなかったけれど、いつもより気を遣った気がする。
面倒だと思いつつも、ノーチェス侯爵に付き合ったりとかね。
「嫁姑問題とか色々ありますもの。最初が肝心なのですわ!」
「ん~なるほどね?」
バーティアの言いたいこともわからなくはないけれど、クロとゼノの両親は既にもう会っているのだから『最初』は済んでしまっているんじゃないかな?
「これはもはや、嫁となる者にとっては戦といっても過言ではありませんの!!」
「……いや、それは過言だと思うよ?」
「……ですから!!」
バーティアがすっくと立ち上がる。
「ねぇ、ティア。私の話を聞いているかい? 私は同意していないよ?」
「戦場に赴くには、戦装束が必要なんですの!!」
「……あぁ、また話を聞かないモードのスイッチが入ったんだね」
「そこで、女性にとっての戦装束といったらやはりお化粧なのですわ! ここはドドンッと大人の雰囲気を纏ったしっかり者の嫁を演出すべく、大人っぽい姿にクロを大変身! ……させようと思ったんですの!」
私の言葉に一切耳を貸さずに、気合十分! といった様子で拳を握り締めて力説していたバーティアが、次の瞬間ストンッと力なく椅子に座り直し、しょぼんと俯く。
なるほど。
大人の雰囲気を纏ったしっかり者の嫁を演出しようと思って、クロに色っぽい(?)化粧を施してみたものの失敗してあの姿になってしまったということだね。
……ねぇ、ティア。
君、失敗するにしてもちょっと酷すぎないかい?
「それで、あんな風に?」
「最初は大人の象徴である真っ赤なルージュと、クロのきめ細やかな肌をより美しく見せるための白粉でいこうかと思ったんですの。でも……『日本人形』っぽい出来になってしまって、綺麗で可愛いのにちょっと怖かったんですの」
「『日本人形』ってどんな感じの人形なんだい?」
「精巧で綺麗な人形なんですの。でも……人間味がないから怖い気がするんですわ。血が通っていないと言いますか……」
「人形に血が通っているほうが怖くないかい?」
「言われてみれば確かにそうですわ!!」
私の当然といえば当然な指摘に、バーティアはハッとした表情になった後、納得した様子を見せる。
まぁ、でも彼女の言いたいことはわかる気がする。
人間にそっくりな見た目なのに、温もりが感じられないものは、美しければ美しいほど、妙な怖さを感じさせることがあるらしい。
……私はそういった怖さを感じたことはないけれどね。
いつだったか、母上が商人から買い上げた人形を絶賛しつつ、そんなことを言っていた気がする。
「それで、話を戻すけれど、そのクロの姿を見て、君はどうしたんだい?」
「血が通っているように見えるように頬紅を塗りましたわ! たっぷりと」
「……そう。『たっぷり』と塗っちゃったんだね」
「はいですの。つい……」
多分、ちょっと怖い感じの仕上がりになったことに焦って、いつものクロの愛らしさを取り戻そうと……血色がよく見えるようにやりすぎたんだね。
……それであの頬か。
「それで、血が通っていそうな感じにはなったんですけれど、ちょっと田舎っぽさが出てしまった気がしたので、都会の大人の女性を演出しようと……」
「今度はアイシャドウをたっぷり塗ったわけだね」
「そうなんですの……」
バーティアも自分の失敗にはもう痛いほどに気付いているだろう。
答えていくうちに、顔の角度がどんどんと下がっていく。
「そのあとは、何か違うなと思って色々と手を加えていったんですけれど……」
「最終的に手の施しようがなくなって、私に助けを求めたというわけだね」
……なんでもっと早く、諦めてリセットしようとしなかったんだろうか?
ちょっとしたミス程度ならともかく、あのレベルでの修正は無理だろうに。
というか、仮にできたとしても最初からやり直したほうが楽だと思う。
「ねぇ、ティア。君は自分のお化粧はちゃんとできるのに他人のお化粧は苦手なのかい?」
「自分のお化粧は、以前お会いした化粧の伝道師様が教えてくださったので、失敗はしません!」
「……化粧の伝道師様?」
それはまた、怪しい存在だね。
まぁ、あのノーチェス侯爵が危ない人物を彼女に近付けるわけがないから、大丈夫だとは思うけれど……
「そうですわ! あれは私がお化粧の楽しさにハマり出した頃のことですの!」
いきなり語り始めたね。
まぁ、気にはなるから聞くけど。
「その頃の私は、悪役令嬢らしく見える、大人で色っぽく冷たく迫力のあるメイクができるようになろうと日々練習していたのですわ!!」
バーティアの目がキラキラしている。
もう既に嫌な予感というか、確信を感じるよ。
「私の悪役令嬢メイクの腕前に、屋敷に住むほとんどの人が恐れおののき、顔を背け、口元を押さえ、震え……」
いや、それはきっと恐れおののいたんじゃなくて、笑いを堪えていたんじゃないかな?
君の悪役令嬢メイクの腕前とやらが、さっきのクロのメイクのような感じだったら、きっと恐れよりも笑いを誘っていたと思うよ?
「お父様とお母様も止めに入り……」
それは……普通の親だったら止めると思うよ?
ノーチェス侯爵夫妻の反応は正しいだろうね。
「それにも負けずに日々精進し続けた私の前に、ある日突然、仮面を被った謎の貴婦人、化粧の伝道師様が現れたのですわ!!」
……止められたのに、頑張っちゃったのか。
そこに、ちょうどよく現れた化粧の伝道師。
何か作為的なものを感じるね。
「お母様の髪色によく似た深紅の髪を持つ化粧の伝道師様は言ったのですわ!」
……よく似たというか……それ、ほぼ確実に本人じゃないかな?
明らかに、タイミング良すぎるし。
そうか。作為的というよりもむしろ苦肉の策で、あの穏やかそうな侯爵夫人が娘の暴走を止めるために捨て身で頑張ったんだね。
それであの夫人が化粧の伝道師……
ご愁傷さま。
「私は化粧の悪魔に目をつけられていて、正しいメイクをしないと大変なことになると!!」
……侯爵夫人、かなり限界だったんだね。
苦肉の策とはいえ、無理矢理すぎるんじゃないかい?
そんなの誰も信じる人はいない……
「それを聞いて私は気付いてしまったのですわ! 私のメイクを見て皆が震えるほど怯えるのは、私の技術の問題ではなく、呪いのせいだったのだと!!」
……うん。バーティア以外には信じる人はいないね。
アルファスタに帰ったら、今後、彼女が変な壺とかアクセサリーとかを騙されて買わされないように、改めて彼女の周りの者たちに気を付けるよう伝えておこう。
「そこから、私は血の滲むような努力の末、化粧の伝道師様が教えてくださった正しいメイクのパターンをいくつも学んだのですわ! 今ではその組み合わせで、自分のメイクはそれなりにできるようになったんですの。ただ……」
バーティアが言葉を濁して、クロたちが入っていった洗面所の扉を気まずそうに見つめる。
「他人にメイクをする際に、うっかりそのパターンを外れると、とんでもないミスをしてしまうというわけだね」
「そうなんですの。他人なら呪いが発動しないかと思って、少しアレンジをしたりすると……時々、とても変な仕上がりになってしまって……。きっと呪いまではいかなくても、化粧の悪魔が悪戯をするんですわ!」
「良かった。あれが『変』だって認識はあるんだね」
「もちろんですの」
……昔の君は、その認識がなかったから、侯爵夫人が頭を悩ませて、変な役を演じるはめになったんだと思うよ。
そこからしたら、君も成長したということだね。
ただ……君の失敗は悪魔のせいではなく、変なアレンジを入れすぎて奇抜になっているだけだと思うよ?
まぁ、今回のクロのメイクは最初の目標設定から間違えていて、さらに「怖い」と感じたことで焦って暴走したのが大きな要因だと思うけれど。
「バーティア、まず前提として……」
そろそろクロが顔を洗って戻ってきそうな気がするから、彼女の認識の訂正に入ろうか。
「子供の姿に擬態しているクロに、大人っぽいメイクは似合わないと思うよ?」
そう。彼女がやりたかったことはわかるけれど、子供に、大人の色っぽい女性に見せるためのメイクをしてもそうそう似合うことはないのだ。
だって、相手は子供なのだから。
クロは精霊だから、あくまで子供の擬態をしているだけだけれど、それでも見た目が子供なのにそんなメイクをしたら変な感じになるだけだろう。
「はっ! 盲点でしたわ!!」
私の言いたいことを理解したのか、バーティアが目を見開く。
「あと、戦装束? 心の武装をしようとするのは別に構わないけれど、これから仲良くしようとしている相手に露骨な武装はやめておいたほうがいいと思うよ。親しくなりたいなら、親しみを持てるように柔らかい感じに仕上げたほうが、懐に入りやすいしね」
さっきのメイクの方向性だと、彼女の思った通りのメイクができたとしても、少し攻撃的な印象になってしまうだろう。
意中の男性相手に色っぽいメイクはありでも、その男性の親に色っぽいメイクで挑むのは引かれるリスクも高いからね。
「なるほど! 確かにそうですわね!! 心の中では立ち向かうような心構えだとしても、それを見た目で表現してしまえば、対立するみたいになってしまいますもの!!」
バーティアの表情が覚醒したかのようにパァッと晴れて、目が輝き出す。
うん。軌道修正できたみたいで良かった。
「だから、ベースはクロの愛らしさをそのまま残す感じで、ほんの少しだけ化粧の伝道師? の技術を使って柔らかいイメージになるように仕上げたら? ……化粧の悪魔が悪戯をしないようにね」
ニッコリ笑顔で伝えると、バーティアがブツブツ呟きながら「目元はあのパターンで……」とか「その方向性なら口紅は……」とか呟き始める。
漏れ聞こえる言葉を拾った限りでは、私の言葉を参考にほんのちょっと手を入れる程度のナチュラルな仕上がりを目指しているのがわかる。
これでなんとかなりそうだ。
そうこうしているうちに、クロがメイクを落として戻ってきた。
平謝りをしたバーティアが名誉挽回とばかりに張り切って寝室にクロを連れ込む。
クロはまだ少し不機嫌かつ不安そうにしていたけれど、今度は普通に可愛いメイクをしてもらえたため、次に寝室から出てきた時には機嫌も戻っていた。
ゼノも散々クロに笑ったことを咎められたらしく、戻ってきた時に必死に褒め称えていた。だからクロも最後にはとても機嫌良さげで尻尾まで振り始めるくらいだったんだけど……
「クロ、大変じゃ!!」
一件落着と思ったその時、今度は慌てた様子の闇狐が、不満顔の戴豆――クロの父の腕を掴んで部屋に突撃してきた。
「今度は一体どうし……」
今度も一目見てわかった。
「……戦争にでも行くつもりですか? クロの父上殿?」
なにせ、これから一緒にゼノの両親のところに行く予定の戴豆が、鎧を身に付け、大量の武器を抱えていたのだから。
「妾がいくら言っても、持っていくと言って聞かぬのじゃ。これでは喧嘩を売りに行くようなものになってしまう」
困り顔で耳と尻尾をヘタリと下げる闇狐。
父母を交互に見て、状況を確認した後、クロは冷ややかな目を戴豆に向け――
「シャァァァ!!」
渾身の威嚇声。
そこからしばらくは、クロの威嚇声による戴豆への説教が続いたけれど、私たちはそれを見ないふりをして、寝室に広げたままになっているバーティアの化粧道具を片付けに行った。
その後、再び見た戴豆は不満顔をしつつも鎧も武器も持っていなかったことを追記しておこう。
***
「……ほんに、妾が行ってもいいのかの? 嵐鳥に迷惑がられたりせんかのう?」
ゼノの実家に行くための準備を終えたところで、クロの母がもう何度目か数えるのも面倒なほどになっている質問をもう一度口にする。
精霊界に到着した直後、偶然会ったゼノの父母――父の縁と母の嵐鳥に、挨拶に行くことは既に伝えてある。喜んだゼノの母は、ゼノの姉たちを呼んでパーティーを開くと言っていた。
ちなみに、ゼノに伴侶ができたことは姉たちには内緒にしてサプライズにする……なんてことも呟いていた。
そのパーティーに、是非クロの家族も一緒に来てほしいと言われたため、こうしてクロの両親が一緒に行くことになったのだ。
だが、引きこもり生活が長いクロの母は、本当に自分なんかが行っていいのかといつまでもうじうじと悩んでいる。
バーティアに折角の機会だからと言われ、納得して行くと決めているものの、いざ出発となると不安が増したのか何度も何度も同じ質問を繰り返すのだ。
……もう行くと決まったのだからいい加減腹を括ればいいと思うのだけれど……何をそんなに悩んでいるんだろうね。
私はその辺の『不安』という感情がいまいちわからない。
きっと、これは私がバーティア以外にどう思われようとあまり気にしないからなんだろうね。
「大丈夫ですわ! クロの家族に来てほしいと嵐鳥さんが仰っていましたもの!! 師匠、不安かもしれないですけれど、頑張ってくださいませ!! 私もクロも戴豆さんもついていますわ!!」
呆れ気味の私とは対照的に、バーティアはクロの母が不安に駆られて同じ言葉を繰り返す度に励ましている。
いくらバーティアという大切な存在を手に入れ、彼女を通して様々な感情を知ることができるようになったとはいえ、私には彼女のようなことはできないだろうな。
不安を和らげるためのやり取りだと頭では理解していても、『無駄』と思ってしまうのだから。
「そろそろ出発しましょうか。今日は向こうには泊まらず、こちらに戻ってくる予定ですし。あまり遅くならないほうがいいと思いますよ」
チラッと時計を確認して出発を促す。
闇の領域は常に薄暗いから、時間の感覚が曖昧になりやすいんだけど、時計を見ると思いのほか時間が経過していることがわかる。
精霊たちは寿命が長い分、時間というものに対して適当だ。
時間という概念自体は存在するから、約束として時間を取り決めていれば守ろうとはしてくれるが、「『ちょっと』遅刻した」という時の『ちょっと』の幅はかなり広い。
場合によっては一日とか一週間とかでも『ちょっと』に含まれたりすることすらある。
ゼノやクロのように人間の世界で人間と共に過ごしている精霊たちは、人間の寿命が短いことを身に染みて感じているため、比較的時間を大切にしてくれるし、ほぼ人間と同じ感覚でいるけれど、精霊界の精霊たちはあまり意識しない。
だから、私たちが行くのが遅かったとしても……場合によっては数日遅れたからといって、ゼノの両親的には問題ないんだろうけれど、今日のうちに闇の領域に戻ることが決まっているこちらとしては、下手に遅い時間に到着して深夜に戻ってくるということは避けたい。
それ以前に、バーティアは健康優良児のため、夜会などの特別な行事がない限り、一定の時間になると眠ってしまう。
今回のパーティーを『特別な行事』と認識していれば、起きていられるかもしれないが、身内だけのパーティーでそんなに気を張ることはないだろうし、お酒を飲む可能性を考えると……多分、頑張って起きていようとしつつも、途中からウトウトし始めると思う。
ゼノの実家に泊まるのなら、眠くなったら断って先に寝させてもらえばいいが、今回は引きこもりであるクロの母も同行する。
ただでさえ、闇の領域から出るのが久しぶりで緊張しているクロの母を、他人の家にお泊まりさせるのはさすがにハードルが高すぎるだろう。
そういった事情もあり、今回はパーティーだけに参加し、終わったら闇の領域に戻ってくることにしたのだ。
もちろん、クロの両親だけ帰るという手もあったんだけれど、そこはクロもバーティアも、引きこもり脱出の第一歩を踏み出そうと頑張るクロの母が心配で、一緒にいたかったようだ。
なんとか慌ただしくも賑やかな朝食を終えた後、私は借りている部屋でのんびりとゼノの淹れたお茶を飲みながら寛いでいた。
というのも、バーティアがこの後ゼノの実家に行くための準備をしたいと言って、クロと寝室に籠ってしまったからだ。
……今回は日帰り予定だし、荷物も闇の王の城に置きっぱなしにするから、特に準備なんて必要ないと思うんだけどね。
でもまぁ、女性のお出かけというのはそういうものだろう。
少なくともアルファスタで賓客の相手をしたり、パーティーを開いたりする時の準備よりは大変ではないから大丈夫なはず……
バンッ!!
「セ、セシル様! た、大変ですわぁぁぁぁ!!」
ティーカップに口を付けたタイミングで、もの凄い勢いで寝室の扉が開け放たれる。
思わず飲みかけていたお茶を噴き出しそうになったが、飲み込む寸前に一瞬聞こえたバーティアの足音に不安を覚えて警戒していたことで、なんとかことなきを得た。
うん、良かった。
王太子がお茶を噴き出すなんて粗相をしてはならないからね。
「ティア、一体何が……」
ティーカップを置いて彼女のほうを振り返った瞬間、言葉が止まる。
何があったのか聞くまでもなく、問題がわかったからだ。
「ブッ! ク、クロ!? その顔、どうしたんだ!?」
私とほぼ同時に振り返ったゼノが、バーティアに抱えられるようにして連れてこられたクロを見て噴き出し、次いで表情を取り繕った。
その表情は、笑いを堪えているように見えるけれど……最初に噴き出しているから意味ないよね。
クロもゼノの反応に不満そうな様子で、尻尾を床に叩きつけようとして……バーティアに抱っこされているせいで床まで尻尾が届かず、空振りに終わっている。
「……それで、クロのその格好が君の言っていた準備なのかな?」
「違いますわぁぁぁ! こんなはずじゃなかったんですのぉぉぉ!!」
そう言って、クロを抱えたまま座り込みそうになるバーティアの体を、素早く立ち上がり支える。
「……じゃあ、クロがなんでそんな……派手な? 化粧をしているのか理由を教えてもらってもいいかい?」
バーティアにニッコリと笑いかけた後、彼女の腕の中で不機嫌そうにしているクロに視線を向けた。
クロの顔は凄いことになっていた。
瞼には、濃い紫のシャドウ。
唇には、真っ赤なルージュ。
肌は真っ白なのに、頬には濃い目のチークが入っていて、輪郭を細く見せたかったのか頬の左右には暗めの色も入れられている。
細かいところはわからないけれど、それ以外にも眉が描かれていたり、目尻に黒い線が入れられていたり、細かく見ていけば色々手が加えられていそうだ。
……控えめに言って、かなり面白い出来栄えだ。
「クロ、とりあえず君は……先に顔を洗っておいで? それは君の望んだ姿ではないんだろう?」
私の言葉に、クロがいつもの無表情で、しかしムスッとしたオーラを纏いながら大きく頷く。
バーティアからクロを受け取り、そのまま口元を押さえて笑いを堪えているゼノに差し出す。
ゼノは渡されたクロを反射的に受け取り、その顔を近くで見て、再び噴き出してしまい彼女に頬を思いっきりつねられていた。
「それじゃあ、ゼノ、クロのことを頼んだよ? 化粧落としは……」
「寝室に置いてある荷物の中ですわ」
「だそうだから、それを持って洗面所へ行っておいで。その間に私は……ティアから話を聞いておくよ」
開け放たれたままになっている扉を示すと、ゼノは笑いを堪えながら「畏まりました」と言って移動を始める。
さて、私もバーティアを座らせて話を聞くとしようか。
……まぁ、この流れだから大体の予想はつくけどね。
「それで、一体何をどうしたらあんな姿になったんだい?」
しょんぼりとうなだれるバーティアを座らせて話を振る。
「……今日は、ゼノのご両親に結婚の挨拶に行く日なんですの」
「うん、そうだね」
「夫となる方のご実家に行くのは、女性にとって一大イベントなんですの」
「うん。まぁ……そうかもしれないね」
私もバーティアの実家に挨拶に行く時は少し緊張……はしなかったけれど、いつもより気を遣った気がする。
面倒だと思いつつも、ノーチェス侯爵に付き合ったりとかね。
「嫁姑問題とか色々ありますもの。最初が肝心なのですわ!」
「ん~なるほどね?」
バーティアの言いたいこともわからなくはないけれど、クロとゼノの両親は既にもう会っているのだから『最初』は済んでしまっているんじゃないかな?
「これはもはや、嫁となる者にとっては戦といっても過言ではありませんの!!」
「……いや、それは過言だと思うよ?」
「……ですから!!」
バーティアがすっくと立ち上がる。
「ねぇ、ティア。私の話を聞いているかい? 私は同意していないよ?」
「戦場に赴くには、戦装束が必要なんですの!!」
「……あぁ、また話を聞かないモードのスイッチが入ったんだね」
「そこで、女性にとっての戦装束といったらやはりお化粧なのですわ! ここはドドンッと大人の雰囲気を纏ったしっかり者の嫁を演出すべく、大人っぽい姿にクロを大変身! ……させようと思ったんですの!」
私の言葉に一切耳を貸さずに、気合十分! といった様子で拳を握り締めて力説していたバーティアが、次の瞬間ストンッと力なく椅子に座り直し、しょぼんと俯く。
なるほど。
大人の雰囲気を纏ったしっかり者の嫁を演出しようと思って、クロに色っぽい(?)化粧を施してみたものの失敗してあの姿になってしまったということだね。
……ねぇ、ティア。
君、失敗するにしてもちょっと酷すぎないかい?
「それで、あんな風に?」
「最初は大人の象徴である真っ赤なルージュと、クロのきめ細やかな肌をより美しく見せるための白粉でいこうかと思ったんですの。でも……『日本人形』っぽい出来になってしまって、綺麗で可愛いのにちょっと怖かったんですの」
「『日本人形』ってどんな感じの人形なんだい?」
「精巧で綺麗な人形なんですの。でも……人間味がないから怖い気がするんですわ。血が通っていないと言いますか……」
「人形に血が通っているほうが怖くないかい?」
「言われてみれば確かにそうですわ!!」
私の当然といえば当然な指摘に、バーティアはハッとした表情になった後、納得した様子を見せる。
まぁ、でも彼女の言いたいことはわかる気がする。
人間にそっくりな見た目なのに、温もりが感じられないものは、美しければ美しいほど、妙な怖さを感じさせることがあるらしい。
……私はそういった怖さを感じたことはないけれどね。
いつだったか、母上が商人から買い上げた人形を絶賛しつつ、そんなことを言っていた気がする。
「それで、話を戻すけれど、そのクロの姿を見て、君はどうしたんだい?」
「血が通っているように見えるように頬紅を塗りましたわ! たっぷりと」
「……そう。『たっぷり』と塗っちゃったんだね」
「はいですの。つい……」
多分、ちょっと怖い感じの仕上がりになったことに焦って、いつものクロの愛らしさを取り戻そうと……血色がよく見えるようにやりすぎたんだね。
……それであの頬か。
「それで、血が通っていそうな感じにはなったんですけれど、ちょっと田舎っぽさが出てしまった気がしたので、都会の大人の女性を演出しようと……」
「今度はアイシャドウをたっぷり塗ったわけだね」
「そうなんですの……」
バーティアも自分の失敗にはもう痛いほどに気付いているだろう。
答えていくうちに、顔の角度がどんどんと下がっていく。
「そのあとは、何か違うなと思って色々と手を加えていったんですけれど……」
「最終的に手の施しようがなくなって、私に助けを求めたというわけだね」
……なんでもっと早く、諦めてリセットしようとしなかったんだろうか?
ちょっとしたミス程度ならともかく、あのレベルでの修正は無理だろうに。
というか、仮にできたとしても最初からやり直したほうが楽だと思う。
「ねぇ、ティア。君は自分のお化粧はちゃんとできるのに他人のお化粧は苦手なのかい?」
「自分のお化粧は、以前お会いした化粧の伝道師様が教えてくださったので、失敗はしません!」
「……化粧の伝道師様?」
それはまた、怪しい存在だね。
まぁ、あのノーチェス侯爵が危ない人物を彼女に近付けるわけがないから、大丈夫だとは思うけれど……
「そうですわ! あれは私がお化粧の楽しさにハマり出した頃のことですの!」
いきなり語り始めたね。
まぁ、気にはなるから聞くけど。
「その頃の私は、悪役令嬢らしく見える、大人で色っぽく冷たく迫力のあるメイクができるようになろうと日々練習していたのですわ!!」
バーティアの目がキラキラしている。
もう既に嫌な予感というか、確信を感じるよ。
「私の悪役令嬢メイクの腕前に、屋敷に住むほとんどの人が恐れおののき、顔を背け、口元を押さえ、震え……」
いや、それはきっと恐れおののいたんじゃなくて、笑いを堪えていたんじゃないかな?
君の悪役令嬢メイクの腕前とやらが、さっきのクロのメイクのような感じだったら、きっと恐れよりも笑いを誘っていたと思うよ?
「お父様とお母様も止めに入り……」
それは……普通の親だったら止めると思うよ?
ノーチェス侯爵夫妻の反応は正しいだろうね。
「それにも負けずに日々精進し続けた私の前に、ある日突然、仮面を被った謎の貴婦人、化粧の伝道師様が現れたのですわ!!」
……止められたのに、頑張っちゃったのか。
そこに、ちょうどよく現れた化粧の伝道師。
何か作為的なものを感じるね。
「お母様の髪色によく似た深紅の髪を持つ化粧の伝道師様は言ったのですわ!」
……よく似たというか……それ、ほぼ確実に本人じゃないかな?
明らかに、タイミング良すぎるし。
そうか。作為的というよりもむしろ苦肉の策で、あの穏やかそうな侯爵夫人が娘の暴走を止めるために捨て身で頑張ったんだね。
それであの夫人が化粧の伝道師……
ご愁傷さま。
「私は化粧の悪魔に目をつけられていて、正しいメイクをしないと大変なことになると!!」
……侯爵夫人、かなり限界だったんだね。
苦肉の策とはいえ、無理矢理すぎるんじゃないかい?
そんなの誰も信じる人はいない……
「それを聞いて私は気付いてしまったのですわ! 私のメイクを見て皆が震えるほど怯えるのは、私の技術の問題ではなく、呪いのせいだったのだと!!」
……うん。バーティア以外には信じる人はいないね。
アルファスタに帰ったら、今後、彼女が変な壺とかアクセサリーとかを騙されて買わされないように、改めて彼女の周りの者たちに気を付けるよう伝えておこう。
「そこから、私は血の滲むような努力の末、化粧の伝道師様が教えてくださった正しいメイクのパターンをいくつも学んだのですわ! 今ではその組み合わせで、自分のメイクはそれなりにできるようになったんですの。ただ……」
バーティアが言葉を濁して、クロたちが入っていった洗面所の扉を気まずそうに見つめる。
「他人にメイクをする際に、うっかりそのパターンを外れると、とんでもないミスをしてしまうというわけだね」
「そうなんですの。他人なら呪いが発動しないかと思って、少しアレンジをしたりすると……時々、とても変な仕上がりになってしまって……。きっと呪いまではいかなくても、化粧の悪魔が悪戯をするんですわ!」
「良かった。あれが『変』だって認識はあるんだね」
「もちろんですの」
……昔の君は、その認識がなかったから、侯爵夫人が頭を悩ませて、変な役を演じるはめになったんだと思うよ。
そこからしたら、君も成長したということだね。
ただ……君の失敗は悪魔のせいではなく、変なアレンジを入れすぎて奇抜になっているだけだと思うよ?
まぁ、今回のクロのメイクは最初の目標設定から間違えていて、さらに「怖い」と感じたことで焦って暴走したのが大きな要因だと思うけれど。
「バーティア、まず前提として……」
そろそろクロが顔を洗って戻ってきそうな気がするから、彼女の認識の訂正に入ろうか。
「子供の姿に擬態しているクロに、大人っぽいメイクは似合わないと思うよ?」
そう。彼女がやりたかったことはわかるけれど、子供に、大人の色っぽい女性に見せるためのメイクをしてもそうそう似合うことはないのだ。
だって、相手は子供なのだから。
クロは精霊だから、あくまで子供の擬態をしているだけだけれど、それでも見た目が子供なのにそんなメイクをしたら変な感じになるだけだろう。
「はっ! 盲点でしたわ!!」
私の言いたいことを理解したのか、バーティアが目を見開く。
「あと、戦装束? 心の武装をしようとするのは別に構わないけれど、これから仲良くしようとしている相手に露骨な武装はやめておいたほうがいいと思うよ。親しくなりたいなら、親しみを持てるように柔らかい感じに仕上げたほうが、懐に入りやすいしね」
さっきのメイクの方向性だと、彼女の思った通りのメイクができたとしても、少し攻撃的な印象になってしまうだろう。
意中の男性相手に色っぽいメイクはありでも、その男性の親に色っぽいメイクで挑むのは引かれるリスクも高いからね。
「なるほど! 確かにそうですわね!! 心の中では立ち向かうような心構えだとしても、それを見た目で表現してしまえば、対立するみたいになってしまいますもの!!」
バーティアの表情が覚醒したかのようにパァッと晴れて、目が輝き出す。
うん。軌道修正できたみたいで良かった。
「だから、ベースはクロの愛らしさをそのまま残す感じで、ほんの少しだけ化粧の伝道師? の技術を使って柔らかいイメージになるように仕上げたら? ……化粧の悪魔が悪戯をしないようにね」
ニッコリ笑顔で伝えると、バーティアがブツブツ呟きながら「目元はあのパターンで……」とか「その方向性なら口紅は……」とか呟き始める。
漏れ聞こえる言葉を拾った限りでは、私の言葉を参考にほんのちょっと手を入れる程度のナチュラルな仕上がりを目指しているのがわかる。
これでなんとかなりそうだ。
そうこうしているうちに、クロがメイクを落として戻ってきた。
平謝りをしたバーティアが名誉挽回とばかりに張り切って寝室にクロを連れ込む。
クロはまだ少し不機嫌かつ不安そうにしていたけれど、今度は普通に可愛いメイクをしてもらえたため、次に寝室から出てきた時には機嫌も戻っていた。
ゼノも散々クロに笑ったことを咎められたらしく、戻ってきた時に必死に褒め称えていた。だからクロも最後にはとても機嫌良さげで尻尾まで振り始めるくらいだったんだけど……
「クロ、大変じゃ!!」
一件落着と思ったその時、今度は慌てた様子の闇狐が、不満顔の戴豆――クロの父の腕を掴んで部屋に突撃してきた。
「今度は一体どうし……」
今度も一目見てわかった。
「……戦争にでも行くつもりですか? クロの父上殿?」
なにせ、これから一緒にゼノの両親のところに行く予定の戴豆が、鎧を身に付け、大量の武器を抱えていたのだから。
「妾がいくら言っても、持っていくと言って聞かぬのじゃ。これでは喧嘩を売りに行くようなものになってしまう」
困り顔で耳と尻尾をヘタリと下げる闇狐。
父母を交互に見て、状況を確認した後、クロは冷ややかな目を戴豆に向け――
「シャァァァ!!」
渾身の威嚇声。
そこからしばらくは、クロの威嚇声による戴豆への説教が続いたけれど、私たちはそれを見ないふりをして、寝室に広げたままになっているバーティアの化粧道具を片付けに行った。
その後、再び見た戴豆は不満顔をしつつも鎧も武器も持っていなかったことを追記しておこう。
***
「……ほんに、妾が行ってもいいのかの? 嵐鳥に迷惑がられたりせんかのう?」
ゼノの実家に行くための準備を終えたところで、クロの母がもう何度目か数えるのも面倒なほどになっている質問をもう一度口にする。
精霊界に到着した直後、偶然会ったゼノの父母――父の縁と母の嵐鳥に、挨拶に行くことは既に伝えてある。喜んだゼノの母は、ゼノの姉たちを呼んでパーティーを開くと言っていた。
ちなみに、ゼノに伴侶ができたことは姉たちには内緒にしてサプライズにする……なんてことも呟いていた。
そのパーティーに、是非クロの家族も一緒に来てほしいと言われたため、こうしてクロの両親が一緒に行くことになったのだ。
だが、引きこもり生活が長いクロの母は、本当に自分なんかが行っていいのかといつまでもうじうじと悩んでいる。
バーティアに折角の機会だからと言われ、納得して行くと決めているものの、いざ出発となると不安が増したのか何度も何度も同じ質問を繰り返すのだ。
……もう行くと決まったのだからいい加減腹を括ればいいと思うのだけれど……何をそんなに悩んでいるんだろうね。
私はその辺の『不安』という感情がいまいちわからない。
きっと、これは私がバーティア以外にどう思われようとあまり気にしないからなんだろうね。
「大丈夫ですわ! クロの家族に来てほしいと嵐鳥さんが仰っていましたもの!! 師匠、不安かもしれないですけれど、頑張ってくださいませ!! 私もクロも戴豆さんもついていますわ!!」
呆れ気味の私とは対照的に、バーティアはクロの母が不安に駆られて同じ言葉を繰り返す度に励ましている。
いくらバーティアという大切な存在を手に入れ、彼女を通して様々な感情を知ることができるようになったとはいえ、私には彼女のようなことはできないだろうな。
不安を和らげるためのやり取りだと頭では理解していても、『無駄』と思ってしまうのだから。
「そろそろ出発しましょうか。今日は向こうには泊まらず、こちらに戻ってくる予定ですし。あまり遅くならないほうがいいと思いますよ」
チラッと時計を確認して出発を促す。
闇の領域は常に薄暗いから、時間の感覚が曖昧になりやすいんだけど、時計を見ると思いのほか時間が経過していることがわかる。
精霊たちは寿命が長い分、時間というものに対して適当だ。
時間という概念自体は存在するから、約束として時間を取り決めていれば守ろうとはしてくれるが、「『ちょっと』遅刻した」という時の『ちょっと』の幅はかなり広い。
場合によっては一日とか一週間とかでも『ちょっと』に含まれたりすることすらある。
ゼノやクロのように人間の世界で人間と共に過ごしている精霊たちは、人間の寿命が短いことを身に染みて感じているため、比較的時間を大切にしてくれるし、ほぼ人間と同じ感覚でいるけれど、精霊界の精霊たちはあまり意識しない。
だから、私たちが行くのが遅かったとしても……場合によっては数日遅れたからといって、ゼノの両親的には問題ないんだろうけれど、今日のうちに闇の領域に戻ることが決まっているこちらとしては、下手に遅い時間に到着して深夜に戻ってくるということは避けたい。
それ以前に、バーティアは健康優良児のため、夜会などの特別な行事がない限り、一定の時間になると眠ってしまう。
今回のパーティーを『特別な行事』と認識していれば、起きていられるかもしれないが、身内だけのパーティーでそんなに気を張ることはないだろうし、お酒を飲む可能性を考えると……多分、頑張って起きていようとしつつも、途中からウトウトし始めると思う。
ゼノの実家に泊まるのなら、眠くなったら断って先に寝させてもらえばいいが、今回は引きこもりであるクロの母も同行する。
ただでさえ、闇の領域から出るのが久しぶりで緊張しているクロの母を、他人の家にお泊まりさせるのはさすがにハードルが高すぎるだろう。
そういった事情もあり、今回はパーティーだけに参加し、終わったら闇の領域に戻ってくることにしたのだ。
もちろん、クロの両親だけ帰るという手もあったんだけれど、そこはクロもバーティアも、引きこもり脱出の第一歩を踏み出そうと頑張るクロの母が心配で、一緒にいたかったようだ。
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