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自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。2
自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。2-2
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生徒たちに見守られ、私とバーティアはゆっくりと壇上を下りる。そして皆の声援に応えるべく、バーティアを抱えたまま手を振って会場を後にした。
その後、彼女を医務室に連れていき、正気に戻るのを待つ。
やがて彼女はハッとした顔をし、頭を抱えて叫び始めた。
「来年度にはギャフンが待っているから、今のうちにお友達との良い思い出を作っておこうと思っていましたのに!! さっきの印象が強すぎて、『セシル様を思い出す、辛いイベント』に変わってしまいましたわ!! 酷いですわ!!」
……でも、仕方ないよね? こういった場を盛り上げるのも王族の役目だと思うし。
動揺するバーティアは、どこか嬉しそうな様子でもある。しかしその表情の裏に、いまだ憂いや不安が見え隠れしていると気付いた。
正直なところ、周囲に親密さをアピールすることで、彼女の不安が少しでも和らいでくれればいいなとも考えていた。だからちょっと残念だったけど――まぁ、私にとっては良い思い出になったと思う。
二 バーティア十六歳
高等部の三年になった私は、再び生徒会長という役職に就いた。中等部でも三年の時に、この役職を務めていたことを思い出す。
時を同じくして、バーティアも高等部に入学してきたのだが……
……この頃、彼女は本格的に私を避けるようになった。
イーリン嬢を断罪した際、バーティアはヒローニア男爵令嬢から酷いことを言われた。その時に生まれた小さなしこりは、時を経て、徐々にその大きさを増している。
以前は困ったことがあればすぐ私に泣きついてきたのに、今は物言いたげな表情を浮かべるだけで、なかなか私に相談しなくなった。
彼女には似合わない、遠慮のような態度もよく見られる。
それもこれも、ヒローニア男爵令嬢が放った言葉のせいだ。
『あんたは私を引き立てるためだけの存在。ライバルにもなれなかった、ただの三流の悪役令嬢よ。そしてあんたがその役を放棄すれば、セシル殿下は救われない。本来あるはずだった幸せを、あんたが奪うのよ? あんたに私の代わりはできない。だって、私が『運命の乙女』なんだから!!』
何度思い出しても、あまりいい気分はしないね。
ヒローニア男爵令嬢に対し、どう手を打とうか考えていたんだけど……
バーティアの友達も、私の側近候補たちも、非常に優秀な人材だ。だから私が行動を起こすまでもなく、早い段階でバーティアとヒローニア男爵令嬢の接触を最小限に減らしてくれた。
私も、バーティアと一緒にいる時間が増えるよう取り計らい、甘やかしたりもしてみた。
『文化祭』の前後は忙しさを理由に会う時間が減ってしまったが、その『後夜祭』ではベストカップルに選ばれ、私たちの親密さを改めて周囲に見せつけることもできた。
これでバーティアも少しは安心できるかと思っていたんだけど、彼女の態度は相変わらず。
否。彼女は高等部に上がると、より顕著に私から逃げるようになった。
こうなってしまった以上、私の取るべき手段は一つしかない。
「逃げられたら捕まえるしかないよね?」
――入学から一月が過ぎた、ある日の放課後。
私は彼女を捕らえることにした。
バーティアは私を見た瞬間、脱兎の如く逃げ出した。私は彼女をただ追いかける……ように見せかけて、人気のない裏庭に誘導する。
バーティアを追いかけている間、彼女の侍女たちとも「うっかり」はぐれてしまった。この裏庭にいるのは私とバーティア、少し離れた場所でこちらをうかがうゼノとクロくらいだ。そのため、人目を気にする必要はない。
私はニッコリ笑って、バーティアを壁際に追い詰める。そして彼女の顔の両側に手をつき、足で彼女の体を挟み込んだ。
彼女は、「これが噂の『壁ドン』ですのね」と、また訳のわからないことを呟いている。それからハッと我に返った様子で、顔を真っ赤にしながら視線をさまよわせた。
「に、逃がしてくださるという選択肢はありませんの!?」
涙目でこちらを睨み上げてくるバーティア。私の口角は、自然と上がる。
「雄は、目の前に逃げる獲物がいたら捕まえたくなるという習性を持っているんだよ?」
「わ、私は獲物ではありませんわ!!」
バーティアは、怯えた小動物のような表情を私に向ける。
「でも、すごく美味しそうだよ?」
「……お、お肉は多少ついているかもしれませんが、食べても美味しくありませんわ!! 食べないでくださいませ!!」
「お肉」という言葉を聞き、順調に成長している彼女の胸元につい視線が行きそうになったけれど、自制する。
――やっぱり、十分美味しそうだと思うんだけど、彼女は私の言葉の意図を理解できないだろう。
「……そのままの意味で受け取るんだね、ティアらしいな。ねぇ、ティア。野生の肉食獣が獲物を追いかけるのは、何も食べるだけが目的じゃない。獲物を追いかけて遊ぶことだって、よくあるよね?」
「人を玩具扱いしないでくださいませ!! それに、言っていることが鬼畜ですわ!!」
……『鬼畜』は一応否定しておくけど、『玩具扱い』はもの凄く今さらじゃないかな?
あぁ、バーティアは素直だから、私が彼女の反応を見て楽しんでいたことに、まだ気付いていないのかな?
本当に(お馬鹿で)可愛いな。
「ほら、ティアはまるで人形のように可愛いから。つい一緒に遊びたくなってしまうんだよ」
「まぁ!! そんな!! お人形のように可愛いだなんて!! お、煽てても、だ、騙されませんわよ?」
口ではそう言いつつ、頬を赤く染めて、まんざらでもない表情を浮かべるバーティア。あっさり絆されてしまいそうだ。
そんな彼女の様子を見る限り、私になついてくれていることが十分伝わってくる。それなのに、なぜ私から逃げようとするのだろうか?
おそらく、ヒローニア男爵令嬢が以前口にしていた『運命の乙女』がどうのという話が鍵になっているのだと思う。だってバーティアはそのことについて、頑なに口を閉ざしているから。
「セシル様を傷付けたくない」とかなんとか理由を付けて、いつも逃げられてしまう。これは、話を逸らされる――といった「逃げ」ではない。彼女は、物理的に走って逃げるのだ。
今日のように、バーティアを捕まえることは難しくない。しかし、捕まえても彼女は口を割らないだろう。それに、可愛い婚約者殿に拷も……ちょっと強引に話を聞く訳にもいかないから、仕方なく泳がせている。
いっそのこと、その話を知っているであろう他の人物――ヒローニア男爵令嬢に聞くことも考えたけれど……確実に面倒なことになるだろうから、それは最終手段に取ってある。
バーティアを苛める悪い子とは、なるべく知り合いになりたくないしね。
私が思案している間も、バーティアの話は続いていたらしい。いつの間にか暴走し始めており、目に涙を浮かべながら、眉間に皺を寄せて訴えかけてきた。
「だってセシル様、つ、遂に強制力が発動し始めましたのよ! もう、運命は動き始めているんですの!! あと一年ほどで、私はギャフンされて舞台から降りることになるのですわ。セシル様ともさようならなんですの。私がその役目を見事完璧に務めるためにも、セシル様とは距離を取ったほうが良いに決まってますわ!!」
私の眉間にも、自然と深い皺が寄る。
いけないな。最近、バーティアのこととなると、表情に出やすくなってしまう。
他のことだったら、何をされても、何を言われても、笑顔で簡単にやり過ごすことができるのに……なんでだろう?
「『強制力』って、何かあったのかい?」
私は、その言葉に続く『また、ヒローニア男爵令嬢が何かしたのか?』という問いかけをなんとか呑み込んだ。
証拠も何もないのに、軽はずみに誰かを疑うのは良くない。
特に私のように地位のある人間は、発言に影響力があるからこそ、そのあたりを慎重に考えなければならない。
私は一度深呼吸をして、平常心を心がける。
意識して眉間の皺を伸ばし、いつも通りの笑みを浮かべると、バーティアがおずおずとこちらをうかがってきた。
私はさらに笑みを深めて、話の先を促す。すると彼女はキュッと唇を引き結び、真剣な表情を浮かべてから、重々しい雰囲気で口を開いた。
「セシル様だからお話ししますわ。実は私……太りましたの」
「…………ん?」
「ですから、太ったんですの!!」
「……えっと、どういうことかな?」
バーティアの真剣な表情を見て、真面目に話を聞こうと思っていた私だが……
よくわからない主張を始めた彼女に対し、思わず首を傾げてしまう。
するとバーティアは、意を決したように口を開いた。
「――昨年の秋、ちょうど文化祭が終わった頃から、なぜか徐々に体重が増え始めましたの。初めはなぜなのかわからなかったんですけれど、私は気付いてしまったのですわ! これがいわゆる強制力というやつなのだと!!」
自分の頬を両手で押さえ、ショックを受けた表情で語るバーティア。だけど、やっぱり何が言いたいのかよくわからない。
「ティア、突っ込みたいところはいくつかあるんだけど、ひとまず聞いてもいいかな? 君が太ることが、なぜその『強制力』とかいうものに繋がるんだい?」
私の問いかけに、バーティアは少し不満げな表情を浮かべる。『なぜそんなことがわかりませんの?』とでも言うかのようだ。
……私は至極真っ当な質問をしていると思うんだけどな?
バーティアは、一つ小さな息をついてから説明を始めた。
「それはですわね、原作のバーティアの体型がぽっちゃりしているからですわ。私は、セシル様に初めてお会いしてからというもの、三流の悪役令嬢を脱却すべく、厳しいダイエットをして原作のぽっちゃり設定を覆しましたの。それなのに、ギャフンを目前にした今、バーティア本来の体型に戻り始めているのですわ!!」
えっと、つまり……『乙女ゲーム』に出てきたバーティアの容姿に強制的に近付いているから、『強制力』が働き始めたのだろう、という認識でいいのかな?
う~ん、ここは笑うところだと思っていいのかな?
いや、バーティアは真剣そうだし、笑っちゃいけなさそうだね。
それなら、きちんと説明をしてあげたほうがいいんだろうな。
「あのね、バーティア。真剣に悩んでいるところ悪いんだけど、君の体重増加は多分『強制力』とかいうものではなく、ドレスのポケットに入っているもののせいだと思うよ?」
「ポケットに入っているもの?」
訝しげに顔を顰めた彼女は、自分のドレスを見下ろす。そしてドレスを大きく膨らませている隠しポケットに手を入れ、中にあったものを引っ張り出した。
「……ユーミル様とオトメリア様からいただいたお菓子。これが?」
二つの焼き菓子を見つめ、キョトンと首を傾げるバーティア。
溜息をつきそうになった私は、悪くないと思う。
「ティア、君は昨年の秋――正確には『文化祭』以降、周囲のご令嬢方からお菓子をもらうことが多くなったんだって?」
「はっ! 確かにそうですわ!! 今まであまり親交のなかった方々まで、急にお菓子をくださるようになったのです。もしかして、あの頃から既に強制力が……」
「違うからね。『文化祭』というイベントを経て、君が素敵な女性であることが周知されたんだ。だからこそ、君と仲良くなりたいご令嬢方が君の好きなものをお近づきの印にくれるようになっただけだよ」
そう説明した私だったが、実情は少し違う。
『後夜祭』にて選ばれたベストカップル上位組のご令嬢方は、バーティアと縁の深い者たちばかりだった。そのご令嬢方は、よくバーティアにお菓子をあげている。
それらの話が組み合わさったのか、「バーティア・イビル・ノーチェス侯爵令嬢にお菓子を献上すると、長年の恋が叶ったり、素敵な恋に巡り合えたりして幸せになれる」という噂がまことしやかに流れるようになったのだ。
こうして、バーティアにお菓子を貢ぐ生徒が大量に発生したんだけど……
バーティアも律儀なところがあるからね。お菓子をもらうたびにきちんと挨拶を交わして知り合いになり、知り合いになったからにはと恋の相談を受けて助言や手伝いをし、何人かのご令嬢と思い人を見事に結び付けてしまった。そのため、噂に拍車がかかっている状態だ。
バーティアに献上されるお菓子の量も増える一方で、それらを「食べる」ことで消費しているバーティアの体重は、自然と増え続けている。
つまり原因があるから結果が出ている訳で、これはバーティアの言うような『強制力』とかいう類のものではない。
あぁ、それから以前、私がバーティアの「ダイエット」という名の筋力トレーニングをなんとかすべく、助言したことも影響しているかもしれない。ムキムキな王太子妃とか、微妙だからね。運動量を程々にするよう彼女に話したのだ。
バーティアは、私の説明を聞いてもまだ訝しげな顔をしている。
「いいえ、それこそが強制力……」
「いや、単純に食べるお菓子の量を減らせばいいだけだからね? ついでに、少しくらいなら一時的に運動量を増やしてもいいけど、そっちは程々にね?」
バーティアの発言を遮って、バッサリと切り捨てる。
『強制力』というおかしな理由で、彼女に「太っても仕方がない」と思わせ、甘やかすのは健康のためにも良くない。
何より、『強制力』が作動し始めたと彼女が思い込み、下手に暴走しても困る。
「で、でも、折角いただいたものを食べないだなんて……」
「侍女たちと分けて、少しずつ食べたらどうかな?」
「私のおやつ……」
「一流の悪役令嬢を目指すんだよね?」
「……」
私の腕の間で、バーティアがしょぼんと項垂れる。
けれど、嫌だと言わないあたり、渋々ながらも納得はしてくれたようだ。
「ああ、そうだ。あと、一流の悪役令嬢とやらを目指すつもりなら、ティアは私のそばにいないと駄目だよ?」
ついでとばかりに念を押しておく。
今回は、「遂に『強制力』が働き出した。だから、『攻略対象』のセシル様と離れないと」という訳のわからない理由で、私から離れようとしていた。
それは勘違いだと納得してもらえたようだけれど、これから先、彼女の言う『ギャフン』とやらが近づくにつれて、彼女は不安定になり暴走しやすくなりそうだ。
そのたびに追いかけっこをするのは……なかなか楽しそうな反面、あまりにも非効率的である。
それなら、彼女を私のそばに縛り付けておいたほうが、観察も管理もしやすいに決まっている。
バーティアは、悲しそうな表情で口を開いた。
「な、なぜですの? セシル様はこれからヒロインとのラブラブ期に突入して、私とは徐々に距離が離れていくはずですわ。私はそんなセシル様を繋ぎ止めることに躍起になって、悪役令嬢への道をひた走ることになるのです。そして、そんな私を今度は疎ましく感じて、卒業式の日に……」
話しているうちに、バーティアの目にはどんどん涙が溜まっていく。今にも溢れそうな涙をこぼさないように、瞬きすら堪えて、私のシャツの胸元を握り締めるバーティア。
ジッと自分自身の手を凝視する彼女を見て、思わず苦笑が漏れた。
……そんなに辛いなら、無理に悪役令嬢の道なんて走ろうとせず、私の婚約者でいればいいのに。
しかし、それを彼女に伝えはしない。
バーティアにはバーティアなりの考えがあって動いているようだから、今、私が何か言ったところで、反発されるだけだろう。
それなら、彼女の気付かないところで必要な手を打ち、卒業式の日をやり過ごせばいいだけだ。
私は、バーティアによく言い含める。
「だからだよ、ティア。君が立派な悪役令嬢になるためには、私のそばで、私を独占しようとしなければいけない。そうすることで、君はようやく『ヒロイン』の前に立ち塞がる存在になれるのだからね」
「え?」
「だって君は、私が『ヒロイン』に心変わりすることに、やきもちを焼いてくれる役なんだろう? なら君は、私のそばにピッタリと寄り添い、常に私を振り向かせようと頑張ってくれないとね?」
「で、でも、これ以上セシル様のそばにいるのは、私的に辛いんですの」
「何が辛いの?」
「仲良くなればなるほど、お別れも裏切りも辛くなりますでしょう? これ以上親しくなって、最後に冷たくされるのは、私、耐えられそうにありませんわ」
瞳をさらに潤ませて、何かを耐えるように俯くバーティア。
そんな彼女を見て、胸の奥底がチクッと痛むのを感じた。
もしかしたらここで手放してあげたほうが、彼女の心の平穏のためにはいいのかもしれない。
けれど……
「なら私は、最後までティアに冷たくしないよ。それならいいだろう?」
「私が冷たくされずに済むギャフンなんてありますの?」
「もちろん。『ティアに』冷たくせずに『ギャフン』してあげるから安心して。そこは私に任せてくれないかい?」
「本当ですの?」
「もちろんだよ」
バーティアを安心させるように、そっと頭を撫でて微笑む。
すると彼女は、不安そうな表情を浮かべながらも、ゆっくり顔を上げてくれた。
「なら私も、もう少しだけこの気持ちから逃げずに頑張ってみますわ。私は一流の悪役令嬢ですもの!!」
決意を固めた表情を浮かべるバーティアに、無言でうなずく。
ごめんね、バーティア。
私は今の生活が存外に楽しいんだ。
だから、私は君という人生の彩りを手放す気になれないんだよ。
退屈な人生ほど、苦痛で息が詰まるものはないからね。
でも、ちゃんと約束は守るから。
『バーティアに』冷たくしない『ギャフン』。
要するに、他の誰かを『ギャフン』すればいい訳だよね?
私の前で、涙を堪えつつ両手を握り締めるバーティア。
私は彼女を眺めつつ、この先をどんな「シナリオ」で進めるべきか考えを巡らせた。
***
――さてと、方針は決まった。
バーティアも無事、私のそばに戻ってくれたのだから、あとはどのように終幕を迎えるかだ。
まぁ、既に使えそうな駒やネタは色々と揃っているから、それをどのように動かしていくかだけなんだけどね。
「ねぇ、クールガン。最近、ヒローニア男爵令嬢が君のところを頻繁に訪れているって聞いたんだけど、彼女、どんな感じ?」
クールガンは中等部の時と同様、高等部でも生徒会メンバーとなった。
私が問いかけると、彼は黙々と事務作業を行っていた手を止めて、私のほうに顔を向けた。
ちなみに顔を上げたのは、クールガンだけではない。
特に大きな行事はなくとも、生徒会を運営するための仕事や、王族としての私個人の仕事を手伝うため、私の側近候補たちは、よく生徒会室に集まってくれる。
今日も集まっていた彼らは、私が発した「ヒローニア男爵令嬢」という言葉に反応し、視線をこちらに向けた。
そんな中、クールガンが私の問いかけに答える。
「あまり良くない感じですね。鬱陶しいのはいつものことですが、最近はそれに加えてバーティア様やバーティア様のご実家のことを聞きたがっています」
「何か不正をしてるんじゃないか……とか?」
ニッコリと笑顔で尋ねると、クールガンはやや驚いた表情をしつつ、眉間に皺を寄せてうなずく。
「バーティア様のご実家の悪い噂を耳にしたとか、バーティア様の縁戚であるからこそ何か困ったことに巻き込まれているんじゃないかとか、尋ねられたことが何度かあります」
「ふ~ん」
……やっぱりか。
バーティア曰く、『乙女ゲーム』の『シナリオ』で、クールガンは彼女の生家――ノーチェス侯爵家の養子になるはずだったという。しかし『シナリオ』にズレが生じてしまい、ノーチェス一族の末席にあたる彼は、ウラディール伯爵家の養子となった。
もっとも、それはキナ臭い動きをしているウラディール伯爵家を探らせるための、潜入捜査である。
そんなクールガンは、バーティアがギャフンさせられる上で、大切な役割を担っているらしい。また、そのギャフンは私の卒業式に起こるという。
卒業を来年に控えた今、ヒローニア男爵令嬢が頻繁にクールガンに近付いているとしたら、それはバーティアをギャフンさせる下準備をするためだろう。
事実、今のクールガンの発言でも裏が取れた。
「何なに? 何か楽しい悪巧みの話ですか? ヒローニア嬢には、私もアンネ嬢のことでかなり不快にさせられたし、手を貸しますよ?」
私たちの会話を聞いていたチャールズが、頬杖をつきながらニヤッと笑う。
そういえばチャールズは、ヒローニア男爵令嬢からアンネ嬢への思いを諦めるよう何度も何度も言われて、イライラしてたね。
アンネ嬢にも「チャールズは女遊びが激しい」と話し、あることないこと吹き込んだ上に、チャールズの兄との縁談まで勧めてきたと聞いた。
いくら女性には優しいチャールズでも、やっと掴みかけた恋路の邪魔をされれば、怒って当然だよね。
「それなら、俺も同じ。本を読んでたら、シーリカの悪口を隣でぐちぐち言われて、何もわかってないくせに『辛かったでしょう?』とか言われてイラッとした。シーリカが俺を叱るのは、愛情なのに。文句言いながらも、最終的には嬉しそうに世話をしてくれるところが可愛いのに」
その後、彼女を医務室に連れていき、正気に戻るのを待つ。
やがて彼女はハッとした顔をし、頭を抱えて叫び始めた。
「来年度にはギャフンが待っているから、今のうちにお友達との良い思い出を作っておこうと思っていましたのに!! さっきの印象が強すぎて、『セシル様を思い出す、辛いイベント』に変わってしまいましたわ!! 酷いですわ!!」
……でも、仕方ないよね? こういった場を盛り上げるのも王族の役目だと思うし。
動揺するバーティアは、どこか嬉しそうな様子でもある。しかしその表情の裏に、いまだ憂いや不安が見え隠れしていると気付いた。
正直なところ、周囲に親密さをアピールすることで、彼女の不安が少しでも和らいでくれればいいなとも考えていた。だからちょっと残念だったけど――まぁ、私にとっては良い思い出になったと思う。
二 バーティア十六歳
高等部の三年になった私は、再び生徒会長という役職に就いた。中等部でも三年の時に、この役職を務めていたことを思い出す。
時を同じくして、バーティアも高等部に入学してきたのだが……
……この頃、彼女は本格的に私を避けるようになった。
イーリン嬢を断罪した際、バーティアはヒローニア男爵令嬢から酷いことを言われた。その時に生まれた小さなしこりは、時を経て、徐々にその大きさを増している。
以前は困ったことがあればすぐ私に泣きついてきたのに、今は物言いたげな表情を浮かべるだけで、なかなか私に相談しなくなった。
彼女には似合わない、遠慮のような態度もよく見られる。
それもこれも、ヒローニア男爵令嬢が放った言葉のせいだ。
『あんたは私を引き立てるためだけの存在。ライバルにもなれなかった、ただの三流の悪役令嬢よ。そしてあんたがその役を放棄すれば、セシル殿下は救われない。本来あるはずだった幸せを、あんたが奪うのよ? あんたに私の代わりはできない。だって、私が『運命の乙女』なんだから!!』
何度思い出しても、あまりいい気分はしないね。
ヒローニア男爵令嬢に対し、どう手を打とうか考えていたんだけど……
バーティアの友達も、私の側近候補たちも、非常に優秀な人材だ。だから私が行動を起こすまでもなく、早い段階でバーティアとヒローニア男爵令嬢の接触を最小限に減らしてくれた。
私も、バーティアと一緒にいる時間が増えるよう取り計らい、甘やかしたりもしてみた。
『文化祭』の前後は忙しさを理由に会う時間が減ってしまったが、その『後夜祭』ではベストカップルに選ばれ、私たちの親密さを改めて周囲に見せつけることもできた。
これでバーティアも少しは安心できるかと思っていたんだけど、彼女の態度は相変わらず。
否。彼女は高等部に上がると、より顕著に私から逃げるようになった。
こうなってしまった以上、私の取るべき手段は一つしかない。
「逃げられたら捕まえるしかないよね?」
――入学から一月が過ぎた、ある日の放課後。
私は彼女を捕らえることにした。
バーティアは私を見た瞬間、脱兎の如く逃げ出した。私は彼女をただ追いかける……ように見せかけて、人気のない裏庭に誘導する。
バーティアを追いかけている間、彼女の侍女たちとも「うっかり」はぐれてしまった。この裏庭にいるのは私とバーティア、少し離れた場所でこちらをうかがうゼノとクロくらいだ。そのため、人目を気にする必要はない。
私はニッコリ笑って、バーティアを壁際に追い詰める。そして彼女の顔の両側に手をつき、足で彼女の体を挟み込んだ。
彼女は、「これが噂の『壁ドン』ですのね」と、また訳のわからないことを呟いている。それからハッと我に返った様子で、顔を真っ赤にしながら視線をさまよわせた。
「に、逃がしてくださるという選択肢はありませんの!?」
涙目でこちらを睨み上げてくるバーティア。私の口角は、自然と上がる。
「雄は、目の前に逃げる獲物がいたら捕まえたくなるという習性を持っているんだよ?」
「わ、私は獲物ではありませんわ!!」
バーティアは、怯えた小動物のような表情を私に向ける。
「でも、すごく美味しそうだよ?」
「……お、お肉は多少ついているかもしれませんが、食べても美味しくありませんわ!! 食べないでくださいませ!!」
「お肉」という言葉を聞き、順調に成長している彼女の胸元につい視線が行きそうになったけれど、自制する。
――やっぱり、十分美味しそうだと思うんだけど、彼女は私の言葉の意図を理解できないだろう。
「……そのままの意味で受け取るんだね、ティアらしいな。ねぇ、ティア。野生の肉食獣が獲物を追いかけるのは、何も食べるだけが目的じゃない。獲物を追いかけて遊ぶことだって、よくあるよね?」
「人を玩具扱いしないでくださいませ!! それに、言っていることが鬼畜ですわ!!」
……『鬼畜』は一応否定しておくけど、『玩具扱い』はもの凄く今さらじゃないかな?
あぁ、バーティアは素直だから、私が彼女の反応を見て楽しんでいたことに、まだ気付いていないのかな?
本当に(お馬鹿で)可愛いな。
「ほら、ティアはまるで人形のように可愛いから。つい一緒に遊びたくなってしまうんだよ」
「まぁ!! そんな!! お人形のように可愛いだなんて!! お、煽てても、だ、騙されませんわよ?」
口ではそう言いつつ、頬を赤く染めて、まんざらでもない表情を浮かべるバーティア。あっさり絆されてしまいそうだ。
そんな彼女の様子を見る限り、私になついてくれていることが十分伝わってくる。それなのに、なぜ私から逃げようとするのだろうか?
おそらく、ヒローニア男爵令嬢が以前口にしていた『運命の乙女』がどうのという話が鍵になっているのだと思う。だってバーティアはそのことについて、頑なに口を閉ざしているから。
「セシル様を傷付けたくない」とかなんとか理由を付けて、いつも逃げられてしまう。これは、話を逸らされる――といった「逃げ」ではない。彼女は、物理的に走って逃げるのだ。
今日のように、バーティアを捕まえることは難しくない。しかし、捕まえても彼女は口を割らないだろう。それに、可愛い婚約者殿に拷も……ちょっと強引に話を聞く訳にもいかないから、仕方なく泳がせている。
いっそのこと、その話を知っているであろう他の人物――ヒローニア男爵令嬢に聞くことも考えたけれど……確実に面倒なことになるだろうから、それは最終手段に取ってある。
バーティアを苛める悪い子とは、なるべく知り合いになりたくないしね。
私が思案している間も、バーティアの話は続いていたらしい。いつの間にか暴走し始めており、目に涙を浮かべながら、眉間に皺を寄せて訴えかけてきた。
「だってセシル様、つ、遂に強制力が発動し始めましたのよ! もう、運命は動き始めているんですの!! あと一年ほどで、私はギャフンされて舞台から降りることになるのですわ。セシル様ともさようならなんですの。私がその役目を見事完璧に務めるためにも、セシル様とは距離を取ったほうが良いに決まってますわ!!」
私の眉間にも、自然と深い皺が寄る。
いけないな。最近、バーティアのこととなると、表情に出やすくなってしまう。
他のことだったら、何をされても、何を言われても、笑顔で簡単にやり過ごすことができるのに……なんでだろう?
「『強制力』って、何かあったのかい?」
私は、その言葉に続く『また、ヒローニア男爵令嬢が何かしたのか?』という問いかけをなんとか呑み込んだ。
証拠も何もないのに、軽はずみに誰かを疑うのは良くない。
特に私のように地位のある人間は、発言に影響力があるからこそ、そのあたりを慎重に考えなければならない。
私は一度深呼吸をして、平常心を心がける。
意識して眉間の皺を伸ばし、いつも通りの笑みを浮かべると、バーティアがおずおずとこちらをうかがってきた。
私はさらに笑みを深めて、話の先を促す。すると彼女はキュッと唇を引き結び、真剣な表情を浮かべてから、重々しい雰囲気で口を開いた。
「セシル様だからお話ししますわ。実は私……太りましたの」
「…………ん?」
「ですから、太ったんですの!!」
「……えっと、どういうことかな?」
バーティアの真剣な表情を見て、真面目に話を聞こうと思っていた私だが……
よくわからない主張を始めた彼女に対し、思わず首を傾げてしまう。
するとバーティアは、意を決したように口を開いた。
「――昨年の秋、ちょうど文化祭が終わった頃から、なぜか徐々に体重が増え始めましたの。初めはなぜなのかわからなかったんですけれど、私は気付いてしまったのですわ! これがいわゆる強制力というやつなのだと!!」
自分の頬を両手で押さえ、ショックを受けた表情で語るバーティア。だけど、やっぱり何が言いたいのかよくわからない。
「ティア、突っ込みたいところはいくつかあるんだけど、ひとまず聞いてもいいかな? 君が太ることが、なぜその『強制力』とかいうものに繋がるんだい?」
私の問いかけに、バーティアは少し不満げな表情を浮かべる。『なぜそんなことがわかりませんの?』とでも言うかのようだ。
……私は至極真っ当な質問をしていると思うんだけどな?
バーティアは、一つ小さな息をついてから説明を始めた。
「それはですわね、原作のバーティアの体型がぽっちゃりしているからですわ。私は、セシル様に初めてお会いしてからというもの、三流の悪役令嬢を脱却すべく、厳しいダイエットをして原作のぽっちゃり設定を覆しましたの。それなのに、ギャフンを目前にした今、バーティア本来の体型に戻り始めているのですわ!!」
えっと、つまり……『乙女ゲーム』に出てきたバーティアの容姿に強制的に近付いているから、『強制力』が働き始めたのだろう、という認識でいいのかな?
う~ん、ここは笑うところだと思っていいのかな?
いや、バーティアは真剣そうだし、笑っちゃいけなさそうだね。
それなら、きちんと説明をしてあげたほうがいいんだろうな。
「あのね、バーティア。真剣に悩んでいるところ悪いんだけど、君の体重増加は多分『強制力』とかいうものではなく、ドレスのポケットに入っているもののせいだと思うよ?」
「ポケットに入っているもの?」
訝しげに顔を顰めた彼女は、自分のドレスを見下ろす。そしてドレスを大きく膨らませている隠しポケットに手を入れ、中にあったものを引っ張り出した。
「……ユーミル様とオトメリア様からいただいたお菓子。これが?」
二つの焼き菓子を見つめ、キョトンと首を傾げるバーティア。
溜息をつきそうになった私は、悪くないと思う。
「ティア、君は昨年の秋――正確には『文化祭』以降、周囲のご令嬢方からお菓子をもらうことが多くなったんだって?」
「はっ! 確かにそうですわ!! 今まであまり親交のなかった方々まで、急にお菓子をくださるようになったのです。もしかして、あの頃から既に強制力が……」
「違うからね。『文化祭』というイベントを経て、君が素敵な女性であることが周知されたんだ。だからこそ、君と仲良くなりたいご令嬢方が君の好きなものをお近づきの印にくれるようになっただけだよ」
そう説明した私だったが、実情は少し違う。
『後夜祭』にて選ばれたベストカップル上位組のご令嬢方は、バーティアと縁の深い者たちばかりだった。そのご令嬢方は、よくバーティアにお菓子をあげている。
それらの話が組み合わさったのか、「バーティア・イビル・ノーチェス侯爵令嬢にお菓子を献上すると、長年の恋が叶ったり、素敵な恋に巡り合えたりして幸せになれる」という噂がまことしやかに流れるようになったのだ。
こうして、バーティアにお菓子を貢ぐ生徒が大量に発生したんだけど……
バーティアも律儀なところがあるからね。お菓子をもらうたびにきちんと挨拶を交わして知り合いになり、知り合いになったからにはと恋の相談を受けて助言や手伝いをし、何人かのご令嬢と思い人を見事に結び付けてしまった。そのため、噂に拍車がかかっている状態だ。
バーティアに献上されるお菓子の量も増える一方で、それらを「食べる」ことで消費しているバーティアの体重は、自然と増え続けている。
つまり原因があるから結果が出ている訳で、これはバーティアの言うような『強制力』とかいう類のものではない。
あぁ、それから以前、私がバーティアの「ダイエット」という名の筋力トレーニングをなんとかすべく、助言したことも影響しているかもしれない。ムキムキな王太子妃とか、微妙だからね。運動量を程々にするよう彼女に話したのだ。
バーティアは、私の説明を聞いてもまだ訝しげな顔をしている。
「いいえ、それこそが強制力……」
「いや、単純に食べるお菓子の量を減らせばいいだけだからね? ついでに、少しくらいなら一時的に運動量を増やしてもいいけど、そっちは程々にね?」
バーティアの発言を遮って、バッサリと切り捨てる。
『強制力』というおかしな理由で、彼女に「太っても仕方がない」と思わせ、甘やかすのは健康のためにも良くない。
何より、『強制力』が作動し始めたと彼女が思い込み、下手に暴走しても困る。
「で、でも、折角いただいたものを食べないだなんて……」
「侍女たちと分けて、少しずつ食べたらどうかな?」
「私のおやつ……」
「一流の悪役令嬢を目指すんだよね?」
「……」
私の腕の間で、バーティアがしょぼんと項垂れる。
けれど、嫌だと言わないあたり、渋々ながらも納得はしてくれたようだ。
「ああ、そうだ。あと、一流の悪役令嬢とやらを目指すつもりなら、ティアは私のそばにいないと駄目だよ?」
ついでとばかりに念を押しておく。
今回は、「遂に『強制力』が働き出した。だから、『攻略対象』のセシル様と離れないと」という訳のわからない理由で、私から離れようとしていた。
それは勘違いだと納得してもらえたようだけれど、これから先、彼女の言う『ギャフン』とやらが近づくにつれて、彼女は不安定になり暴走しやすくなりそうだ。
そのたびに追いかけっこをするのは……なかなか楽しそうな反面、あまりにも非効率的である。
それなら、彼女を私のそばに縛り付けておいたほうが、観察も管理もしやすいに決まっている。
バーティアは、悲しそうな表情で口を開いた。
「な、なぜですの? セシル様はこれからヒロインとのラブラブ期に突入して、私とは徐々に距離が離れていくはずですわ。私はそんなセシル様を繋ぎ止めることに躍起になって、悪役令嬢への道をひた走ることになるのです。そして、そんな私を今度は疎ましく感じて、卒業式の日に……」
話しているうちに、バーティアの目にはどんどん涙が溜まっていく。今にも溢れそうな涙をこぼさないように、瞬きすら堪えて、私のシャツの胸元を握り締めるバーティア。
ジッと自分自身の手を凝視する彼女を見て、思わず苦笑が漏れた。
……そんなに辛いなら、無理に悪役令嬢の道なんて走ろうとせず、私の婚約者でいればいいのに。
しかし、それを彼女に伝えはしない。
バーティアにはバーティアなりの考えがあって動いているようだから、今、私が何か言ったところで、反発されるだけだろう。
それなら、彼女の気付かないところで必要な手を打ち、卒業式の日をやり過ごせばいいだけだ。
私は、バーティアによく言い含める。
「だからだよ、ティア。君が立派な悪役令嬢になるためには、私のそばで、私を独占しようとしなければいけない。そうすることで、君はようやく『ヒロイン』の前に立ち塞がる存在になれるのだからね」
「え?」
「だって君は、私が『ヒロイン』に心変わりすることに、やきもちを焼いてくれる役なんだろう? なら君は、私のそばにピッタリと寄り添い、常に私を振り向かせようと頑張ってくれないとね?」
「で、でも、これ以上セシル様のそばにいるのは、私的に辛いんですの」
「何が辛いの?」
「仲良くなればなるほど、お別れも裏切りも辛くなりますでしょう? これ以上親しくなって、最後に冷たくされるのは、私、耐えられそうにありませんわ」
瞳をさらに潤ませて、何かを耐えるように俯くバーティア。
そんな彼女を見て、胸の奥底がチクッと痛むのを感じた。
もしかしたらここで手放してあげたほうが、彼女の心の平穏のためにはいいのかもしれない。
けれど……
「なら私は、最後までティアに冷たくしないよ。それならいいだろう?」
「私が冷たくされずに済むギャフンなんてありますの?」
「もちろん。『ティアに』冷たくせずに『ギャフン』してあげるから安心して。そこは私に任せてくれないかい?」
「本当ですの?」
「もちろんだよ」
バーティアを安心させるように、そっと頭を撫でて微笑む。
すると彼女は、不安そうな表情を浮かべながらも、ゆっくり顔を上げてくれた。
「なら私も、もう少しだけこの気持ちから逃げずに頑張ってみますわ。私は一流の悪役令嬢ですもの!!」
決意を固めた表情を浮かべるバーティアに、無言でうなずく。
ごめんね、バーティア。
私は今の生活が存外に楽しいんだ。
だから、私は君という人生の彩りを手放す気になれないんだよ。
退屈な人生ほど、苦痛で息が詰まるものはないからね。
でも、ちゃんと約束は守るから。
『バーティアに』冷たくしない『ギャフン』。
要するに、他の誰かを『ギャフン』すればいい訳だよね?
私の前で、涙を堪えつつ両手を握り締めるバーティア。
私は彼女を眺めつつ、この先をどんな「シナリオ」で進めるべきか考えを巡らせた。
***
――さてと、方針は決まった。
バーティアも無事、私のそばに戻ってくれたのだから、あとはどのように終幕を迎えるかだ。
まぁ、既に使えそうな駒やネタは色々と揃っているから、それをどのように動かしていくかだけなんだけどね。
「ねぇ、クールガン。最近、ヒローニア男爵令嬢が君のところを頻繁に訪れているって聞いたんだけど、彼女、どんな感じ?」
クールガンは中等部の時と同様、高等部でも生徒会メンバーとなった。
私が問いかけると、彼は黙々と事務作業を行っていた手を止めて、私のほうに顔を向けた。
ちなみに顔を上げたのは、クールガンだけではない。
特に大きな行事はなくとも、生徒会を運営するための仕事や、王族としての私個人の仕事を手伝うため、私の側近候補たちは、よく生徒会室に集まってくれる。
今日も集まっていた彼らは、私が発した「ヒローニア男爵令嬢」という言葉に反応し、視線をこちらに向けた。
そんな中、クールガンが私の問いかけに答える。
「あまり良くない感じですね。鬱陶しいのはいつものことですが、最近はそれに加えてバーティア様やバーティア様のご実家のことを聞きたがっています」
「何か不正をしてるんじゃないか……とか?」
ニッコリと笑顔で尋ねると、クールガンはやや驚いた表情をしつつ、眉間に皺を寄せてうなずく。
「バーティア様のご実家の悪い噂を耳にしたとか、バーティア様の縁戚であるからこそ何か困ったことに巻き込まれているんじゃないかとか、尋ねられたことが何度かあります」
「ふ~ん」
……やっぱりか。
バーティア曰く、『乙女ゲーム』の『シナリオ』で、クールガンは彼女の生家――ノーチェス侯爵家の養子になるはずだったという。しかし『シナリオ』にズレが生じてしまい、ノーチェス一族の末席にあたる彼は、ウラディール伯爵家の養子となった。
もっとも、それはキナ臭い動きをしているウラディール伯爵家を探らせるための、潜入捜査である。
そんなクールガンは、バーティアがギャフンさせられる上で、大切な役割を担っているらしい。また、そのギャフンは私の卒業式に起こるという。
卒業を来年に控えた今、ヒローニア男爵令嬢が頻繁にクールガンに近付いているとしたら、それはバーティアをギャフンさせる下準備をするためだろう。
事実、今のクールガンの発言でも裏が取れた。
「何なに? 何か楽しい悪巧みの話ですか? ヒローニア嬢には、私もアンネ嬢のことでかなり不快にさせられたし、手を貸しますよ?」
私たちの会話を聞いていたチャールズが、頬杖をつきながらニヤッと笑う。
そういえばチャールズは、ヒローニア男爵令嬢からアンネ嬢への思いを諦めるよう何度も何度も言われて、イライラしてたね。
アンネ嬢にも「チャールズは女遊びが激しい」と話し、あることないこと吹き込んだ上に、チャールズの兄との縁談まで勧めてきたと聞いた。
いくら女性には優しいチャールズでも、やっと掴みかけた恋路の邪魔をされれば、怒って当然だよね。
「それなら、俺も同じ。本を読んでたら、シーリカの悪口を隣でぐちぐち言われて、何もわかってないくせに『辛かったでしょう?』とか言われてイラッとした。シーリカが俺を叱るのは、愛情なのに。文句言いながらも、最終的には嬉しそうに世話をしてくれるところが可愛いのに」
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