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第三話 王国からの追放

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 エルリンネの閉じ込められた牢獄は、魔術封じの術が施された特別なものだった。魔術の力量に関しては並みのエルリンネでは、閉じ込められれば何も出来なくなる。
 牢獄での暮らしは日に二度、薔薇騎士達が食事を持ってきて、就寝前には湯を張った桶と手拭いが渡され自分で体を清める事が許されるなど、想像していたよりも過酷ではなかった。

 食事の内容も生まれついての貴種であるエルリンネからすれば質素なものだが、このような牢獄に閉じ込められる人間の食事としては十分すぎた。
 呪われた血の持ち主であっても、つい先日までは第一王子の婚約者であった事実が中途半端な対応として表れているのかもしれない。

(お父様か殿下が私の待遇に抗議した結果と思いたいけれど、それは未練というものかしら? それにしても腹が立つ。狭いし、暗いし、寒いし、牢番の薔薇騎士は一言も話をしようとしないし……いけない、いけない。どうも愚痴ばかり)

 朝食を終えたエルリンネは体が鈍らないように入念に柔軟体操をした後、足腰が萎えないように狭い牢獄の中をひたすら歩き回り、時に速度を速め、緩め、動かしている筋肉と負荷を意識しながら動き回る。
 何を奇妙なことを、と目撃した誰もが思うかもしれないが、ヴァリオン公爵家を含む六大公爵家は七百年前の戦争で力を持って勝利した家である。その為、祖先の武勲を忘れぬために公爵家に生まれたものは向き不向きにかかわらず、最低限の護身術を学ぶ。

 エルリンネは何より切望した魔術の才能には恵まれなかったが、体力と運動神経には恵まれており、むしろ体術や武術にこそ才能を発揮している。
 望む才能が手に入らず、望んでいない才能に恵まれた事実には、エルリンネをはじめ一族の誰もが皮肉だと感じずにはいられなかったもので、指南役を務めた騎士団長はぜひとも配下に欲しい逸材だ、と手放しで称賛したものだ。

「ふ……ふ……ふん!」

 エルリンネは、更に逆立ちになり両手の十本の指だけを使う指立て伏せ、鉄格子の高い場所にある横棒に足を引っ掛けて逆さまの姿勢からの腹筋、ヴァリオン家に伝わる体術の型の反復……と一通り日課の鍛錬を終えたところで、長椅子にいかにも淑女然とした姿勢で腰かける。
 直前の行動を見なかったことにしてこの場面だけを切り取れば、虜囚となった悲運の貴婦人以外の何物でもない。

 薄暗い牢獄の中に煌々と燃える炎のような美少女が囚われた姿を目にした者は、いずれ訪れる悲劇を想像して息を忘れる程見入るだろう。
 だがエルリンネ自身には例え身分を剥奪されようと、牢獄に囚われようと、何時までも嘆いているような人間になるつもりは欠片もなかった。

(ゼガの血縁は七百年前の暗黒戦争で絶たれたとされていたから、今の時代にどう扱われるのか前例がないわ。私は既にヴァリオン家令嬢としての身分を剥奪されているから、今はただの平民。いえ、罪人であるのだから平民よりも下ね。
 そこからどうなるのかしら? 鉱山での強制労働? 島流し? 幽閉? 国外への追放? それでも命がある限り望みはある。
 私に王国への害意が無いと証明できれば、身分の返上は難しいかもしれないけれど、市井で暮らすくらいは許されるかもしれない。もちろん、ヴァリオン家に帰れるのが一番だけれど)

 だから命を失うその瞬間まで、エルリンネは自分に出来る事を疎かにしない。流石に脱走など図れば父や義母、異母弟や一族、領民にどれだけの迷惑が掛かるか分からないから、極限まで選択肢に入れないでおく。
 朝食から夕食まではずいぶんと時間が開くから、その間、エルリンネは日課の肉体の鍛錬に加え、乏しい才能を少しでも補う為の魔力の訓練も行う。
 魔力は魂と肉体の双方から生み出される。才能ばかりでなく魔力量も人並みと、大魔術士であるヴァリオンの血筋としては落第生のエルリンネは、不足を技術で補うしかなかった。

(魔力は形のないもの。体の中に流れる魔力を血液と一緒に全身に巡らせるイメージ。息を吸うのと同時に魔力を生み出し、吐くのと同時に送り出す。
 頭のてっぺんから指の先まで、体の隅から隅まで、私の体を絶えず流れる魔力が満たすのを思い浮かべる。例え否定されようと私はヴァリオンの娘。偉大なる炎の大魔術士の血を確かに引いている。
 心を、体を、血を、そして魔力を燃やすのよ。聖なる炎が私の心も体も満たす。ヴァリオンの炎の血はゼガの暗黒の血には負けない。お母様がお父様を愛したように、お母様が命を賭けて私を生んでくれたように。私は暗黒の運命には屈しない)

 自分の体以上に素早く、正確に動かせる魔力が感情に呼応して本当に炎になったような錯覚さえ覚えながら、エルリンネは己の運命の岐路の訪れを牙を研ぎながら待ち続ける。
 そんな鍛錬ばかりを重ねるものだから、学園に通っていた日々と比べて格段に肉体が引き締まり、魔力操作の精度も上がった気さえしてきたある日、運命はやってきた。

「エルリンネ嬢、君の処分が決まったよ。父君と殿下が抗議されて随分と時間が掛かったが、君にとっても辛い時間だったのではないかね?」

「宰相閣下におかれましてはご機嫌麗しく。自分を見つめ直す良い機会でございました」

「そうか。気丈だな。一度はシュラル殿下の婚約者として選ばれただけはある」

 シュラルか父が来るのを期待していたが、実際にやってきたのは手勢の魔術騎士を引き連れたプルトマーだった。厳粛な表情で鉄格子越しにエルリンネを見る。エルリンネは毅然とした表情でプルトマーの前に膝を突いた。
 その様子にプルトマーの連れてきた魔術騎士達が痛ましげな視線を向けるが、プルトマーはそれを無視して手に持っていた書簡を開き、氷を思わせる声でエルリンネの運命を告げた。

「罪人エルリンネ、明日の朝、汝の身柄をダヴァジン女子修道院へと送る。期限はない。その身に流れるゼガの穢れた血を、修道院で神に祈りを捧げる日々を過ごして、少しでも清らかにするように」

「……は、謹んでお受けいたします」

 なにが穢れた血だ! 母も私もなんの罪を犯した!! とエルリンネは叫び出したいのを必死で堪えた。ここで抗弁したところで何か良くなることなど一つもありはしない。
 それよりもプルトマーの告げたダヴァジン女子修道院について、知っている事を記憶の棚の中から引っ張り出す。

(確か問題を起こした貴族の子弟や子女、あるいは表に出せない問題のある者を閉じ込める為の場所よね。一生そこに閉じ込められて、二度と外には出られず、肉親との再会も許されない、修道院とは名ばかりの監獄!
 命があるだけ処刑されるよりは温情があると考えるべきなのかしらね。……ええ、そうね、生きていればまだ終わりではないわ!!)

 エルリンネが伏せた瞳に今にも噴きだしそうな強い意志の炎が宿っていたのを、誰も見ている者は居なかった。



 プルトマーの告げた通り、翌日のまだ日の昇らない時間にエルリンネは地下牢から魔力封じの腕輪を左手に嵌められ、更に目隠しをされた上で移動を命じられた。縄や手枷はされず、両腕を薔薇騎士達に抱えられる形で先導される。
 そうして地下から地上へ上がると、頬をくすぐる空気が明らかに変わり、清澄な外の空気を思い切り吸って久しぶりに爽快な気分を味わう。
 ダヴァジン修道院に幽閉されるからなんだ。ならば内部で協力者を作り出し、いずれは自由に外と行き来できるようにして、自分を陥れた張本人を暴いてくれる、とこの時のエルリンネは心に固く決めていた。

 外に出てからもしばらく目隠しでの移動は続き、ようやく足を止めて目隠しを取ると、目の前には飾り気のない頑丈である事だけが取り柄の囚人を護送する為の馬車があった。
 改めて自分が罪人扱いを受けていると思い知らされて、エルリンネは落胆とそれを上回る怒りの炎を燃やした。
 道中の護衛と監視を務める騎士と兵士達が既に待機していたが、薔薇騎士ではない。男女の入り混じった編成で、騎士と兵士を合わせて四十名ほどか。

(大仰ね。けれどゼガの子孫を護送するとなればこれくらいは用意するものかしら。“いい子にしないとゼガの神に攫われてしまうよ”なんて、幼い子供を言い聞かせる定番であるのだし、やはり彼らも私が……私に流れる血が怖いのね)

 エルリンネは背筋を伸ばし、とても罪人とは思えない毅然とした振る舞いで周囲の騎士達に尋ねた。

「最後に王宮の光景をこの目に焼き付けておきたいのです。私が生涯を修道院で終えるのなら、この偉大なるグラドール王国の王宮を記憶と目に焼き付けておけば、せめてもの慰めとなりましょう。それとも、それすら許されないのですか?」

 決して憐れみを誘うのではなく、誇り高きヴァリオンの一族であるという矜持と共に口にした言葉に、監視の騎士達は互いの顔を見合わせたが、すぐに若い男の声で答えがあった。

「一度、振り向くだけならば」

「感謝いたします」

 そうして振り返れば幼い頃、出仕する父に連れられて見上げたグラドール王国のヴァルラーズ王宮の威容が映る。元々は暗黒皇帝ゼガが建立した城を、グラドール王国の建国を気に打ち壊して立て直した巨大な王宮だ。

(王宮の裏口……北のサリオン門から修道院へ向かうのね。修道院まで順調に行っても馬車で十日はかかる。もし王宮の中に今回の事件を手引した者が居るなら覚えておきなさい。必ずやこのエルリンネが舞い戻り、存分に後悔させてやるから)

 フツフツと一向に収まらぬ怒りを煮え立たせるエルリンネだったが、こちらを見下ろす王宮の尖塔の窓の一つに見知った顔を見つけて、小さく息を呑んだ。

(殿下)

 小さく見えたその顔をエルリンネが間違える筈もない。つい先日まで未来を約束されていた婚約者シュラルの姿がそこにあった。光輝を纏うが如きシュラルの美貌が今ははっきりと憔悴し、その輝きに曇りが生じている。
 その理由がなんであるかはエルリンネに向けられる悲しみに満ちた視線が、何よりも雄弁に物語っている。エルリンネは少しだけ救われた気持ちでシュラルに向けて小さく頭を下げた。

(さようなら、殿下。私と未来を歩むはずだった方)

「もういいだろう。早く馬車へ」

「はい」

 これまで心の中を満たしていた怒りと憎しみに、少しだけ救いが齎されて、エルリンネは儚い笑みと共に馬車へと乗り込んだ。そうして、窓もない馬車の中で彼女は王宮を――シュラルを振り返りはしなかった。
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