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カラヴィスタワー 探索記
第二百七十四話 田舎少年とドラグサキュバスの少女
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アークレスト王国よりはるか東方、轟国だけでなく秋津国よりも更に東に広がる大海原の深奥にて、地上の者達が知れば深い絶望と恐怖の暗雲に飲み込まれるような戦いが勃発していた。
その戦いの結果次第では、海の世界に留まらず地上にも破滅を齎す規模のものであるからだ。
陽の光が届かない暗黒に閉ざされた深い、深い海の底。
長大な身体で膨大な量の海水を攪拌しながら、異種の者にも美しいと見える龍が四方へと轟く咆哮を放ち、この星に於いて最高峰の霊力が大海の全てを満たしつくす。
この星における最強戦力の一体、水龍皇龍吉だ。
龍吉の視線の先には、深紫色の鱗と粘液で巨体を覆い、吸盤の着いた触手の先に鮫や亀、烏賊に鯨など多種多様な頭を持った異形の怪物がいる。
海魔王の内の一体、ソブナブルである。既にソブナブルの眷属を始めとした海魔達は殲滅されており、そのソブナブルも龍吉の渾身の一撃を受けて既に絶命しており、急速に巨体を崩壊させている最中にある。
長らく海魔王の支配下にあった影響で汚辱された海域には、龍吉の他には高位の竜種やごく一部の魚人達からなる龍宮国の精鋭達の姿があった。
また、この他にも龍吉と肩を並べてソブナブルと戦っていた、海月のように透き通った巨大な体の中央に、朧月のように光る球体の核を備えた海月人の女王ミオカと、 惚れ惚れする程の肉体美に自ら輝くかの如き美貌を備えた、海巨人の若者ジガンテだ。
ミオカは、今はドランによって滅ぼされた海魔神と敵対する海の女神の眷属であり、ジガンテは海に住まう古巨人族の中で最も巨大な勢力の次期族長たる若者である。
これまで龍宮国が抑え込んでいた海魔王ネルトナの一派が完全に滅びた事で、龍吉達が残る六体の海魔王討伐に動く余裕が出来た事で、こうして他の海魔との敵対勢力と力を合わせて戦っていたのだ。
この惑星における海魔達の創造主である海魔神オクトゥルが完全に滅殺された影響で、海魔達の力そのものが著しく衰退している為、討伐は順調に進んでいる。
史上最強の水龍皇と言われる龍吉ならば、単独でも海魔王を相手に深手を負う事なく倒せる程に海魔達の弱体化は進行していた。
ましてや他勢力の最強格の戦士達と共に闘うとなれば、海魔王の討伐はまず確実であった。
「水龍皇様、相変わらずお見事なお手前でございますね」
ジガンテは心底からの敬意のみを込めて、龍吉に話しかける。通常の巨人族より遥かに巨大な一族の中でも体躯に恵まれ、人間の百倍近い身長を誇るこの青年は、誉れ高き水龍皇の事を幼少期から尊敬していた。
彼に限らず、古来より海魔と敵対する者達にとって、龍吉の名前とその実力は広く知れ渡っており、この反応はジガンテに限らず他の海月人や海巨人達にしても同じ事である。
「あらあら、私を褒めても何も出はしませんよ、若君。とはいえ褒められて悪い気は致しません」
戦闘直後とは思えぬ穏やかな龍吉の反応に、ジガンテは破顔する。尊敬する最強の戦士からの反応なら、なんであれ喜ぶ純粋さの滲む笑みであった。
「ジガンテ殿はまことに龍吉殿に懐いている。ふふ、傍から見ていてなんと微笑ましい」
「ミオカ様、そうからかわんでください。宿敵を倒せた事もあって、いささか気が弛んでしまったようです」
「宿敵の滅びる様を目の当たりにして喜ばしいのは、私にしても同じ事。龍吉殿、この度の御助力、まことにかたじけない。貴女と貴国のお力によって、大した被害もなくソブナブル共を滅ぼせました。
これで残る海魔王はただ一体。もはやこの星における海魔の命運は風前の灯火。油断は禁物だが、海の者達は宿願を果たす時は間近であると、肩の荷を下ろす用意を始めている」
巨大な半透明の女王の言う通り、この星に海魔達が出現してより海に生きる者達が願い続けた積年の宿願は、もう間もなく果たされようとしている。
そしてそれには目の前の水龍皇龍吉という圧倒的な力の存在が、極めて重要な鍵であった。
「私の次の代に、娘に海魔達との戦いの重責を負わせずに済ませられると思えば、私もつい安堵せずにはおられませぬから、ミオカ殿の言われる事はよく分かりますよ」
「貴国で次の代となると瑠禹皇女の事ですね。そう、そう言えばその瑠禹皇女は、今はどちらにおられるのですか? 先の海魔王テスカルパトーラとの戦いまでは共に戦場に立っておられましたが?」
「あの娘はとある場所に修業に出しております。修行と言ってはいささか言い過ぎかもしれませんが、今後、地上の同胞との付き合い方もいささか変わる予定ですので、事前に知己を得て、見識を広めてられるようにと考えたものですから」
「瑠禹皇女が修行ですか。他の三竜帝三龍皇のところでしょうか?」
「いえ、ミオカ殿の考えている場所とは随分と違う場所ですよ。地上でいささか戦火の兆しが見えている場所がありまして、そこに私達も一枚噛む事になるのです。その場所の名前は──」
龍吉は自分よりもいくらか自由な立場である為に、娘を地上に送り出せた場所の名を少しだけ羨ましそうに、戦友達に告げるのだった。
*
インラエン探索者管理支部には、登録している探索者向けの訓練所が何箇所か併設されている。
ドラグサキュバス達の高次存在として保有する膨大な魔力と権能によって、ほぼ無制限に訓練用の魔物が用意され、戦いに付慣れた新人探索者や新しい武器や魔法を確かめたい者達が頻繁に利用している。
土の上に砂を撒いた円形の訓練場の一つに、ドライセン達と縁を結んだ新人探索者ジルグと彼の新たな仲間候補ヴィテラエルの姿があった。
訓練場の地下と天井に内蔵された魔法装置と魔力によって稼働するクレイゴーレム達の残骸が、訓練場の上に何体分も転がっている。他にも剣や盾で武装した木製の人形の残骸もある。
「まったく、ジルグは本当にタワーに入る前に、訓練を受けてきたの? よく今日まで生きて来られたわね。アリアドネがあるから命は保証されているとはいえ、もう探索者を諦めていてもおかしくないんじゃない?」
インラエンの管理所から派遣されたドラグサキュバスのヴィテラエルことヴィテは、控えめに言っても口が達者で小生意気な女の子だった。
ジルグは言われている事はまったくもってその通りで、反論できる要素がほとんどないものだから、閉口してしまって上手く反論できずにいる。
お互いの実力を知る為に、とジルグとヴィテはヨルエルが確保してくれていた訓練場に足を運んだのだが、ジルグが一体のゴーレムに苦戦している間にヴィテは他のゴーレムと人形を殲滅し終えて、暇そうにゴーレムの残骸に腰かけている。
ジルグがひいひい言いながら、どうにかこうにかゴーレムを一体倒したのに、ヴィテなどは即興で鼻歌を歌う余裕さえある。
「ひいひい、ヴぃ、ヴィテは強いんだね」
ヴィテの見た目はジルグよりも一つ二つ幼く、外見は全く違うが、妹と言っても差し支えのないものだというのに、中身の方はまるで次元が違う。
ジルグは一流には程遠い未熟者だったが、そんな彼でもはっきりと分かる程、ヴィテの戦闘能力は桁外れだ。文字通り到達している領域が違うと言わざるを得ない。
相手が自分よりも幼げな女の子である事もあり、ジルグとしては内心忸怩たるものが溢れかえらんばかりだが、だからといってそれを表に出すのは恥ずかしい事だと思春期の少年は苦笑いで抑え込んでいる。
ヴィテの方は長命なドラグサキュバスであるから、外見に反して成熟していてもおかしくはないのだが、どうにもジルグの微妙かつ複雑な年頃の内面を理解できていないのか、ジルグを見る目はいささか厳しい。
「私はこれでもドラグサキュバスだもの。基本的に地上に住んでいる種族の人達より基本性能が高いの。私じゃなくてもヨルエル姉様だって、給仕をしているアサエル姉様だって、解体場のユウエル姉様だって、というかドラグサキュバスなら誰だって出来るわ」
「ええ、君達ってそんなに強いの!?」
ジルグの認識ではこれまでドラグサキュバス達はやたらと色っぽくて親切なお姉さん、というのがほとんどを占めるものであったから、彼女らの戦闘能力まで気にした事がなかった。
そこにこのヴィテの告白は、非常に大きな衝撃を伴っていた。あの人も、あの人も、あの人も、皆が自分よりもよっぽど強いというのは、ジルグのような少年でなくても衝撃的だろう。
ヴィテはジルグの驚いた様子が小気味良かったのか、フフン、と自慢たっぷりに鼻を鳴らしてから薄い胸板を張る。
「強いんです~」
「はあ、なんだか一気に価値観をひっくり返されたっていうか、本当に驚きだなあ」
「まあ、ただのサキュバスだったらもっと弱いけどね。私達にはドラゴン様の恩寵があるから、本来なら勝てないような格上の神性とも結構いい勝負が出来るようになっているわけ。
人間もそうだけど、地上の種族が本気で喧嘩を売ってもしょうがない相手だったりするの。力の事がなくても、タワーの探索者でインラエンを運営している私達に喧嘩を吹っ掛ける奴なんて、よっぽど頭の中がお花畑じゃないとあり得ないでしょうけど」
確かに、ジルグが知る限りでもドラグサキュバスに喧嘩を吹っ掛けるような輩は、これまで一度として見た事がない。
たまに酒を飲み過ぎて悪い酔い方をしてしまった男女が、ドラグサキュバスに声を掛ける場面には遭遇したが、ドラグサキュバスからすれば酒精が入り意思の弱まった人間等、赤子の手を捻るよりも簡単にあしらえる。
ジルグだけでなく素面の探索者達が助けに入る間もなく穏便に片付くので、刃傷沙汰は目下発生していない。
「なんだかヨルエルさんにとんでもない助っ人を用意して貰えたんだって、今更理解できたよ」
「ようやく私の価値が分かった? まったく、一目でそれ位分かって貰えないと困っちゃうわ。でもまあ、ヨルエル姉様を始め、お姉様方は皆、探索者とは仲良くしたいと願っているから、そんなに気にしなくて大丈夫よ。
もし恩義なんてものを砂粒ひとつ分くらいでも感じているのなら、これから出来るだけ長く探索者として活躍して、出来るだけ長く生きて。特に長生きの方が重要ね」
「うん、ぼくだって死にたいなんて欠片も思っちゃいないよ。故郷の名前を広める為にも、このタワーの事をもっと知る為にも、まだまだ長生きして頑張らないといけないんだから!」
「その意気、その意気。取りあえず私のお試し期間は一カ月。その間に経験を積んで、他の探索者とパーティーを組める位の価値を身につけるのを目標にして頑張るのよ?」
「お試し期間が終わったら、ヴィテはまた他の誰かと組むの?」
「一応、その予定。それが私のお仕事だし。それとジルグと組むのが私の初仕事でもあるのよ。今回、人間と組んでみてどうだったかっていうのを伝えるのも、私の仕事の内の一つね。
今後、恒常的に助っ人を推薦するとして、推薦する相手の条件を詳細に調べている最中ってわけね。私はその試金石の内の一つなの」
「そっか、タワーが開かれてからまだ一年も経っていないもんね。まだ色々と手探りなんだ」
「そういう事よ。くどいようだけれど、ジルグはドラグサキュバスと探索者の今後とかは深く考えないで、自分の出来る事とやりたい事を精一杯考えればいいのよ。変に気負うとただでさえ低い実力がろくに発揮できなくなっちゃんだから」
「うぐ、事実だけど、ヴィテは本当に容赦ない事を言うなぁ!」
流石に堪らずジルグが半泣きになりながら声を大にして告げれば、ヴィテはジルグの反応が意外だったのか、少しだけ驚いた表情になる。
どうもこのドラグサキュバスの少女の辛辣な言葉選びは、ジルグを貶す意図等はなかったらしい。余計に悪い、と受け取る事も出来るのが、頭の痛いところだ。
「ごめんなさい、思った事をすぐに口に出すのが私なの。それにまだちょっと人間相手の機微っていうのが良く分からないのよね。そこを調べるのも私の仕事なのだけれど、生まれたばかりだから、大目に見てくれると嬉しいわ」
ジルグはヴィテの言葉の中に聞き逃す事の出来ない単語が耳に残っており、それを確かめずには居られなかった。
ドラグサキュバスだけでなくサキュバスの生態について明るいわけではないが、いやいや、まさか、と思いながらジルグは問う。
「ねえ、ヴィテ。生まれたばかりだって言うけれど、何歳位なの? ぼくには十二、三歳位に見えるよ」
「やだ、女性に歳を聞かないでよ。まあ、私の場合は良いけど。今日で生まれて七日よ」
「七日!? そこはせめて七歳、いや、七歳でも幼いけど、七日、七日なの? 七千日とか、七百日とかでもなくて!?」
「しつっこいなあ。七日ですよ、『なのか』、七日目ですよーだ。どれくらいの速さで成長するのかは、個体や生まれた時の状況で変わるけれど、私は特別早い方ね。生まれて四日目位にはもうこの姿まで成長していたし」
ジルグにはまだ伝えていないが、ヴィテラエルはドラグサキュバスの中でもまだ数の少ない『新世代』に属する個体だ。
ドラグサキュバスは通常のサキュバスだった者達が、自主的に魂の深奥にで古神竜ドラゴンの力と属性に染まる事で転生した存在だ。
これに対してヴィテラエル達新世代のドラグサキュバス達は、全員が最初からドラグサキュバスとしてリリエルティエルによって生み出されている。
その為、誕生から一年を越えた者達すらいない状態だ。その中でも生まれて七日目のヴィテラエルは特に幼い個体である。
新世代の誕生経緯はドラグサキュバスという新種族の仲間を増やすという単純明快な理由の他に、通常のサキュバスよりも人間に対して友好的な態度を取る仲間を増やして人間を筆頭とする多種族との交流を円滑に進めようという考えがあっての事だ。
サキュバスとして、抑えようとしても自然と溢れ出る魅力で多種族を翻弄する生態が残るこれまでのドラグサキュバスに対し、新世代のドラグサキュバス達はこの魅力や魅了の力をより繊細に制御できるよう調整もされており、他種族と共存共栄の試金石としての役割も持つ。
「私が七歳でも七十歳でも構わないでしょ。あんたがしなきゃいけない事にはなんにも関係ないんですもの。
訓練場でしばらく鍛えるのもいいし、管理支部の方で用意している簡単な仕事を受けて、良い装備を揃えるお金を工面するのもいいわ。仕事は私も手伝うし、何なら戦い方だって教えてあげる!」
「ええ、そりゃあ、君の方がぼくより強いけどさ……」
「なあに、自分より年下の女の子に戦い方を教わるのが嫌なの? えっと、なんだっけ、男の子って見栄っ張りだっていうから、それ? そこは私が強要出来る話じゃないけど、目的とその為にどこまで出来るかを一回考えてみて、それから決めたら?
さって、まずはお風呂で汚れを落としましょ。それから食堂でご飯食べて、ジルグの部屋に戻って今後の予定をざっと確認し直しね。一カ月をあんたがどう過ごしたいか、それで私の過ごし方も変わるんだから、真面目に話すわよ」
「う、うん」
このカラヴィスタワーに来る以前から名を馳せていた傭兵や冒険者出身の探索者達は、インラエン内部で格安の値段で提供されている戸建ての家屋や集合住宅を丸ごと借り上げて拠点としている。
それに対してジルグのような底辺探索者は、インラエンの管理支部が用意してくれた家賃なし、風呂共同、トイレ・洗面台・朝食付きの集合住宅で暮らしている。
目下、インラエンではこの集合住宅を出て、自分の力だけで住居を確保する事が一人前の探索者としての境目であるという認識が広がっている。
ジルグの部屋の左隣の空き部屋へヴィテが入室し、二人は仲良くお隣さんとして、仲間候補として残る一ヵ月のお試し期間を過ごす事となった。
*
それから数日後の事である。
ジルグは恥を忍んでヴィテに戦い方の教授を受けつつ、生活費と今後の装備の一新を考えての資金稼ぎを可能な限り両立させる、というかなりの重労働生活に挑んでいた。
昨夜もヘグナヘル洞窟の岩窟鬼相手に死闘を繰り広げ、集合住宅に戻って体を休めてからはヴィテに戦い方の教えを請い、くたくたに疲れ果てて泥のように眠った。
幸いにして初心者探索者向けの集合住宅には、打ち身や擦り傷、内出血に効果抜群の軟膏や飲み薬型のポーションが週に一度、居住者に配給されており、それを使う事で昨日の怪我はほとんど癒えて、疲労も抜けている。
ジルグがこのインラエンという至れり尽くせりの環境に助けられているのに対して、ヴィテはというと元々の実力の高さと、ドラグサキュバスとしての身体能力の高さから疲労の影など何処にもありはしない優良健康児だ。
今日も今日とてインラエン外部に広がる迷宮攻略の為の、中継地点設営用の資材や食糧輸送の護衛の仕事を引き受けていた。
インラエンは探索者の拠点として申し分のない場所ではあるが、広大な第一階層を探索し尽くすにはより多くの場所に中継地点となる集落の建設は必須で、インラエンから放射状に広がりつつある石畳の道の先で、少しずつ集落が建設されつつある。
建設に従事している者の多くはドラグサキュバスの作りだした魔法生物達だが、中にはいざ実戦となって尻込みしてしまい、戦えなくなってしまった探索者達もそれなりに含まれている。
ドラグサキュバス達はそういった戦えない探索者達がインラエンで暮らしていけるように、わざと非効率な仕事を創出し、探索者達に生きる糧を与えていた。
「今日は随分と多くの探索者が参加しているんだなあ」
輸送隊の出発地点であるインラエンの西のはずれに足を運んだジルグは、同じ仕事を引き受けた五十名近い探索者達の姿についつい感嘆の吐息を零す。
建設地点に運ぶ食糧や資材各種は、浮遊の魔法が付与された車輪のない荷車十台に分配して積み込まれている。
それをドラグサキュバス達が生み出した、犀によく似た魔法生物が二頭ずつ牽引していて、この荷台の積み荷がジルグ達の護衛対象というわけだ。
「御者が居ないけど、この子達は道を分かっているのかな?」
自分よりも遥かに強そうな犀モドキを見て、目を輝かせているジルグの質問に、ヴィテは好奇心旺盛な弟を持った姉の気分で答えた。
「荷台を引いているのは、レクスライノっていう魔法生物よ。基本的に温厚で賢いし、簡単な道なら一度通れば覚えてくれるの。それでもまあ、念の為に先導役のお姉様はいるけどね」
「半日で着く場所なんだよね。ぼく、インラエンを離れて別の街に行くのは初めてだから、ちょっと楽しみだ」
「私もインラエン以外の場所は、迷宮位しか知らないから、ジルグと変わらないわ。でも、これから行くところはまだまだ街づくりを始めたばかりで、そんなに見て楽しいものはないかも」
「それでもいいよ。街づくりの過程っていうのも見た事ないんだから!」
「ん~、そういう考え方もあるかあ。どっちにしろ今回はジルグでも受けられる位に簡単なお仕事だから、襲ってくる魔物も大した事ないし、気楽に行きましょ」
「ふふ、ヴィテって、ぼくにしょっちゅう気楽にって言うよね。意識しているのかは知らないけれど、君なりにぼくの緊張を緩めようとしてくれているって、昨日、寝る時に気付いたよ。ありがとう」
「ええ~? そうかなあ? 折角の初仕事だから自分なりに頑張ろうとは思っているけど……」
ジルグの指摘はヴィテにとって心底意外だったらしく、その場でうんうんと唸りながら考え込み始める。
ジルグにしてもそうだといいなぁ、という願望交じりの台詞であったから、ここまでヴィテが悩み出すとは少しだけ意外であった。
言うにしてももっと違う時にすればよかったかな、ジルグが反省しつつ改めて周囲を見渡すと、その中に大変にお世話になった者達の姿が混じっているのに気付く。
「ああ、ドライセンさん!」
「ん? おお、ジルグか。それにドラグサキュバスの子は、管理支部からの助っ人かな?」
「はい、ヴィテっていう子なんですけど、ぼくよりもうんと強いし、インラエンの事には詳しいしで、何だか情けない限りです。今日はハンマさん達以外にもドラゴニアンの方達と一緒なんですね」
ジルグの視線はハンマやドーベン、クイン以外にも数名のドラゴニアン達が、ドライセンを中心として集まっている姿を映し出していた。
ドライセンとクイン以外は他種族で構成されたパーティーだった筈だが、他にも何人ものドラゴニアン達が居り、周囲の探索者達から好奇心と畏怖の視線を槍衾のように向けられている。
「私の知り合いの者達だ。彼らのちょっとした肩慣らしと親交を深めるのに、ここはちょうど良い場所だったから、案内して来たのさ。探索者として本腰を入れて活動するわけではないから、あまり目くじらを立てないでくれると嬉しいな」
そう告げるドライセンの周囲に固まっているドラゴニアン達の中には、水龍皇龍吉の娘、瑠禹の姿を始め、深紅竜のヴァジェにモレス山脈の竜達の姿もまたあるのだった。
なおヴィテはドライセンの存在を認識した瞬間から、呼吸を忘れてその場で硬直してしまっている。
ドラグサキュバスの中でも新世代の個体は、ドライセンの大元が居なければ存在し得なかったわけだから、ドラグサキュバス達の中でもひと際ドライセン並びに古神竜ドラゴンへの崇敬の念が強いが故の反応だった。
ヴィテが自力で再起動する様子は見受けられないから、彼女が正気に戻るにはどうしてもジルグに気付いて貰う他ないのだが、ジルグは恩人との会話に夢中でもう少し掛りそうだ。
その間にもヴィテの精神と肉体は大混乱を起こしているのだが、ま、たまにはこういう事もあるだろう。
《続く》
■ジルグ
レベル4
■ヴィテ
レベル1~999(手加減)
■ドライセンおよび愉快な仲間達
レベルの概念を超越している。レベルで表現できる強さでは勝負にもならない。
その戦いの結果次第では、海の世界に留まらず地上にも破滅を齎す規模のものであるからだ。
陽の光が届かない暗黒に閉ざされた深い、深い海の底。
長大な身体で膨大な量の海水を攪拌しながら、異種の者にも美しいと見える龍が四方へと轟く咆哮を放ち、この星に於いて最高峰の霊力が大海の全てを満たしつくす。
この星における最強戦力の一体、水龍皇龍吉だ。
龍吉の視線の先には、深紫色の鱗と粘液で巨体を覆い、吸盤の着いた触手の先に鮫や亀、烏賊に鯨など多種多様な頭を持った異形の怪物がいる。
海魔王の内の一体、ソブナブルである。既にソブナブルの眷属を始めとした海魔達は殲滅されており、そのソブナブルも龍吉の渾身の一撃を受けて既に絶命しており、急速に巨体を崩壊させている最中にある。
長らく海魔王の支配下にあった影響で汚辱された海域には、龍吉の他には高位の竜種やごく一部の魚人達からなる龍宮国の精鋭達の姿があった。
また、この他にも龍吉と肩を並べてソブナブルと戦っていた、海月のように透き通った巨大な体の中央に、朧月のように光る球体の核を備えた海月人の女王ミオカと、 惚れ惚れする程の肉体美に自ら輝くかの如き美貌を備えた、海巨人の若者ジガンテだ。
ミオカは、今はドランによって滅ぼされた海魔神と敵対する海の女神の眷属であり、ジガンテは海に住まう古巨人族の中で最も巨大な勢力の次期族長たる若者である。
これまで龍宮国が抑え込んでいた海魔王ネルトナの一派が完全に滅びた事で、龍吉達が残る六体の海魔王討伐に動く余裕が出来た事で、こうして他の海魔との敵対勢力と力を合わせて戦っていたのだ。
この惑星における海魔達の創造主である海魔神オクトゥルが完全に滅殺された影響で、海魔達の力そのものが著しく衰退している為、討伐は順調に進んでいる。
史上最強の水龍皇と言われる龍吉ならば、単独でも海魔王を相手に深手を負う事なく倒せる程に海魔達の弱体化は進行していた。
ましてや他勢力の最強格の戦士達と共に闘うとなれば、海魔王の討伐はまず確実であった。
「水龍皇様、相変わらずお見事なお手前でございますね」
ジガンテは心底からの敬意のみを込めて、龍吉に話しかける。通常の巨人族より遥かに巨大な一族の中でも体躯に恵まれ、人間の百倍近い身長を誇るこの青年は、誉れ高き水龍皇の事を幼少期から尊敬していた。
彼に限らず、古来より海魔と敵対する者達にとって、龍吉の名前とその実力は広く知れ渡っており、この反応はジガンテに限らず他の海月人や海巨人達にしても同じ事である。
「あらあら、私を褒めても何も出はしませんよ、若君。とはいえ褒められて悪い気は致しません」
戦闘直後とは思えぬ穏やかな龍吉の反応に、ジガンテは破顔する。尊敬する最強の戦士からの反応なら、なんであれ喜ぶ純粋さの滲む笑みであった。
「ジガンテ殿はまことに龍吉殿に懐いている。ふふ、傍から見ていてなんと微笑ましい」
「ミオカ様、そうからかわんでください。宿敵を倒せた事もあって、いささか気が弛んでしまったようです」
「宿敵の滅びる様を目の当たりにして喜ばしいのは、私にしても同じ事。龍吉殿、この度の御助力、まことにかたじけない。貴女と貴国のお力によって、大した被害もなくソブナブル共を滅ぼせました。
これで残る海魔王はただ一体。もはやこの星における海魔の命運は風前の灯火。油断は禁物だが、海の者達は宿願を果たす時は間近であると、肩の荷を下ろす用意を始めている」
巨大な半透明の女王の言う通り、この星に海魔達が出現してより海に生きる者達が願い続けた積年の宿願は、もう間もなく果たされようとしている。
そしてそれには目の前の水龍皇龍吉という圧倒的な力の存在が、極めて重要な鍵であった。
「私の次の代に、娘に海魔達との戦いの重責を負わせずに済ませられると思えば、私もつい安堵せずにはおられませぬから、ミオカ殿の言われる事はよく分かりますよ」
「貴国で次の代となると瑠禹皇女の事ですね。そう、そう言えばその瑠禹皇女は、今はどちらにおられるのですか? 先の海魔王テスカルパトーラとの戦いまでは共に戦場に立っておられましたが?」
「あの娘はとある場所に修業に出しております。修行と言ってはいささか言い過ぎかもしれませんが、今後、地上の同胞との付き合い方もいささか変わる予定ですので、事前に知己を得て、見識を広めてられるようにと考えたものですから」
「瑠禹皇女が修行ですか。他の三竜帝三龍皇のところでしょうか?」
「いえ、ミオカ殿の考えている場所とは随分と違う場所ですよ。地上でいささか戦火の兆しが見えている場所がありまして、そこに私達も一枚噛む事になるのです。その場所の名前は──」
龍吉は自分よりもいくらか自由な立場である為に、娘を地上に送り出せた場所の名を少しだけ羨ましそうに、戦友達に告げるのだった。
*
インラエン探索者管理支部には、登録している探索者向けの訓練所が何箇所か併設されている。
ドラグサキュバス達の高次存在として保有する膨大な魔力と権能によって、ほぼ無制限に訓練用の魔物が用意され、戦いに付慣れた新人探索者や新しい武器や魔法を確かめたい者達が頻繁に利用している。
土の上に砂を撒いた円形の訓練場の一つに、ドライセン達と縁を結んだ新人探索者ジルグと彼の新たな仲間候補ヴィテラエルの姿があった。
訓練場の地下と天井に内蔵された魔法装置と魔力によって稼働するクレイゴーレム達の残骸が、訓練場の上に何体分も転がっている。他にも剣や盾で武装した木製の人形の残骸もある。
「まったく、ジルグは本当にタワーに入る前に、訓練を受けてきたの? よく今日まで生きて来られたわね。アリアドネがあるから命は保証されているとはいえ、もう探索者を諦めていてもおかしくないんじゃない?」
インラエンの管理所から派遣されたドラグサキュバスのヴィテラエルことヴィテは、控えめに言っても口が達者で小生意気な女の子だった。
ジルグは言われている事はまったくもってその通りで、反論できる要素がほとんどないものだから、閉口してしまって上手く反論できずにいる。
お互いの実力を知る為に、とジルグとヴィテはヨルエルが確保してくれていた訓練場に足を運んだのだが、ジルグが一体のゴーレムに苦戦している間にヴィテは他のゴーレムと人形を殲滅し終えて、暇そうにゴーレムの残骸に腰かけている。
ジルグがひいひい言いながら、どうにかこうにかゴーレムを一体倒したのに、ヴィテなどは即興で鼻歌を歌う余裕さえある。
「ひいひい、ヴぃ、ヴィテは強いんだね」
ヴィテの見た目はジルグよりも一つ二つ幼く、外見は全く違うが、妹と言っても差し支えのないものだというのに、中身の方はまるで次元が違う。
ジルグは一流には程遠い未熟者だったが、そんな彼でもはっきりと分かる程、ヴィテの戦闘能力は桁外れだ。文字通り到達している領域が違うと言わざるを得ない。
相手が自分よりも幼げな女の子である事もあり、ジルグとしては内心忸怩たるものが溢れかえらんばかりだが、だからといってそれを表に出すのは恥ずかしい事だと思春期の少年は苦笑いで抑え込んでいる。
ヴィテの方は長命なドラグサキュバスであるから、外見に反して成熟していてもおかしくはないのだが、どうにもジルグの微妙かつ複雑な年頃の内面を理解できていないのか、ジルグを見る目はいささか厳しい。
「私はこれでもドラグサキュバスだもの。基本的に地上に住んでいる種族の人達より基本性能が高いの。私じゃなくてもヨルエル姉様だって、給仕をしているアサエル姉様だって、解体場のユウエル姉様だって、というかドラグサキュバスなら誰だって出来るわ」
「ええ、君達ってそんなに強いの!?」
ジルグの認識ではこれまでドラグサキュバス達はやたらと色っぽくて親切なお姉さん、というのがほとんどを占めるものであったから、彼女らの戦闘能力まで気にした事がなかった。
そこにこのヴィテの告白は、非常に大きな衝撃を伴っていた。あの人も、あの人も、あの人も、皆が自分よりもよっぽど強いというのは、ジルグのような少年でなくても衝撃的だろう。
ヴィテはジルグの驚いた様子が小気味良かったのか、フフン、と自慢たっぷりに鼻を鳴らしてから薄い胸板を張る。
「強いんです~」
「はあ、なんだか一気に価値観をひっくり返されたっていうか、本当に驚きだなあ」
「まあ、ただのサキュバスだったらもっと弱いけどね。私達にはドラゴン様の恩寵があるから、本来なら勝てないような格上の神性とも結構いい勝負が出来るようになっているわけ。
人間もそうだけど、地上の種族が本気で喧嘩を売ってもしょうがない相手だったりするの。力の事がなくても、タワーの探索者でインラエンを運営している私達に喧嘩を吹っ掛ける奴なんて、よっぽど頭の中がお花畑じゃないとあり得ないでしょうけど」
確かに、ジルグが知る限りでもドラグサキュバスに喧嘩を吹っ掛けるような輩は、これまで一度として見た事がない。
たまに酒を飲み過ぎて悪い酔い方をしてしまった男女が、ドラグサキュバスに声を掛ける場面には遭遇したが、ドラグサキュバスからすれば酒精が入り意思の弱まった人間等、赤子の手を捻るよりも簡単にあしらえる。
ジルグだけでなく素面の探索者達が助けに入る間もなく穏便に片付くので、刃傷沙汰は目下発生していない。
「なんだかヨルエルさんにとんでもない助っ人を用意して貰えたんだって、今更理解できたよ」
「ようやく私の価値が分かった? まったく、一目でそれ位分かって貰えないと困っちゃうわ。でもまあ、ヨルエル姉様を始め、お姉様方は皆、探索者とは仲良くしたいと願っているから、そんなに気にしなくて大丈夫よ。
もし恩義なんてものを砂粒ひとつ分くらいでも感じているのなら、これから出来るだけ長く探索者として活躍して、出来るだけ長く生きて。特に長生きの方が重要ね」
「うん、ぼくだって死にたいなんて欠片も思っちゃいないよ。故郷の名前を広める為にも、このタワーの事をもっと知る為にも、まだまだ長生きして頑張らないといけないんだから!」
「その意気、その意気。取りあえず私のお試し期間は一カ月。その間に経験を積んで、他の探索者とパーティーを組める位の価値を身につけるのを目標にして頑張るのよ?」
「お試し期間が終わったら、ヴィテはまた他の誰かと組むの?」
「一応、その予定。それが私のお仕事だし。それとジルグと組むのが私の初仕事でもあるのよ。今回、人間と組んでみてどうだったかっていうのを伝えるのも、私の仕事の内の一つね。
今後、恒常的に助っ人を推薦するとして、推薦する相手の条件を詳細に調べている最中ってわけね。私はその試金石の内の一つなの」
「そっか、タワーが開かれてからまだ一年も経っていないもんね。まだ色々と手探りなんだ」
「そういう事よ。くどいようだけれど、ジルグはドラグサキュバスと探索者の今後とかは深く考えないで、自分の出来る事とやりたい事を精一杯考えればいいのよ。変に気負うとただでさえ低い実力がろくに発揮できなくなっちゃんだから」
「うぐ、事実だけど、ヴィテは本当に容赦ない事を言うなぁ!」
流石に堪らずジルグが半泣きになりながら声を大にして告げれば、ヴィテはジルグの反応が意外だったのか、少しだけ驚いた表情になる。
どうもこのドラグサキュバスの少女の辛辣な言葉選びは、ジルグを貶す意図等はなかったらしい。余計に悪い、と受け取る事も出来るのが、頭の痛いところだ。
「ごめんなさい、思った事をすぐに口に出すのが私なの。それにまだちょっと人間相手の機微っていうのが良く分からないのよね。そこを調べるのも私の仕事なのだけれど、生まれたばかりだから、大目に見てくれると嬉しいわ」
ジルグはヴィテの言葉の中に聞き逃す事の出来ない単語が耳に残っており、それを確かめずには居られなかった。
ドラグサキュバスだけでなくサキュバスの生態について明るいわけではないが、いやいや、まさか、と思いながらジルグは問う。
「ねえ、ヴィテ。生まれたばかりだって言うけれど、何歳位なの? ぼくには十二、三歳位に見えるよ」
「やだ、女性に歳を聞かないでよ。まあ、私の場合は良いけど。今日で生まれて七日よ」
「七日!? そこはせめて七歳、いや、七歳でも幼いけど、七日、七日なの? 七千日とか、七百日とかでもなくて!?」
「しつっこいなあ。七日ですよ、『なのか』、七日目ですよーだ。どれくらいの速さで成長するのかは、個体や生まれた時の状況で変わるけれど、私は特別早い方ね。生まれて四日目位にはもうこの姿まで成長していたし」
ジルグにはまだ伝えていないが、ヴィテラエルはドラグサキュバスの中でもまだ数の少ない『新世代』に属する個体だ。
ドラグサキュバスは通常のサキュバスだった者達が、自主的に魂の深奥にで古神竜ドラゴンの力と属性に染まる事で転生した存在だ。
これに対してヴィテラエル達新世代のドラグサキュバス達は、全員が最初からドラグサキュバスとしてリリエルティエルによって生み出されている。
その為、誕生から一年を越えた者達すらいない状態だ。その中でも生まれて七日目のヴィテラエルは特に幼い個体である。
新世代の誕生経緯はドラグサキュバスという新種族の仲間を増やすという単純明快な理由の他に、通常のサキュバスよりも人間に対して友好的な態度を取る仲間を増やして人間を筆頭とする多種族との交流を円滑に進めようという考えがあっての事だ。
サキュバスとして、抑えようとしても自然と溢れ出る魅力で多種族を翻弄する生態が残るこれまでのドラグサキュバスに対し、新世代のドラグサキュバス達はこの魅力や魅了の力をより繊細に制御できるよう調整もされており、他種族と共存共栄の試金石としての役割も持つ。
「私が七歳でも七十歳でも構わないでしょ。あんたがしなきゃいけない事にはなんにも関係ないんですもの。
訓練場でしばらく鍛えるのもいいし、管理支部の方で用意している簡単な仕事を受けて、良い装備を揃えるお金を工面するのもいいわ。仕事は私も手伝うし、何なら戦い方だって教えてあげる!」
「ええ、そりゃあ、君の方がぼくより強いけどさ……」
「なあに、自分より年下の女の子に戦い方を教わるのが嫌なの? えっと、なんだっけ、男の子って見栄っ張りだっていうから、それ? そこは私が強要出来る話じゃないけど、目的とその為にどこまで出来るかを一回考えてみて、それから決めたら?
さって、まずはお風呂で汚れを落としましょ。それから食堂でご飯食べて、ジルグの部屋に戻って今後の予定をざっと確認し直しね。一カ月をあんたがどう過ごしたいか、それで私の過ごし方も変わるんだから、真面目に話すわよ」
「う、うん」
このカラヴィスタワーに来る以前から名を馳せていた傭兵や冒険者出身の探索者達は、インラエン内部で格安の値段で提供されている戸建ての家屋や集合住宅を丸ごと借り上げて拠点としている。
それに対してジルグのような底辺探索者は、インラエンの管理支部が用意してくれた家賃なし、風呂共同、トイレ・洗面台・朝食付きの集合住宅で暮らしている。
目下、インラエンではこの集合住宅を出て、自分の力だけで住居を確保する事が一人前の探索者としての境目であるという認識が広がっている。
ジルグの部屋の左隣の空き部屋へヴィテが入室し、二人は仲良くお隣さんとして、仲間候補として残る一ヵ月のお試し期間を過ごす事となった。
*
それから数日後の事である。
ジルグは恥を忍んでヴィテに戦い方の教授を受けつつ、生活費と今後の装備の一新を考えての資金稼ぎを可能な限り両立させる、というかなりの重労働生活に挑んでいた。
昨夜もヘグナヘル洞窟の岩窟鬼相手に死闘を繰り広げ、集合住宅に戻って体を休めてからはヴィテに戦い方の教えを請い、くたくたに疲れ果てて泥のように眠った。
幸いにして初心者探索者向けの集合住宅には、打ち身や擦り傷、内出血に効果抜群の軟膏や飲み薬型のポーションが週に一度、居住者に配給されており、それを使う事で昨日の怪我はほとんど癒えて、疲労も抜けている。
ジルグがこのインラエンという至れり尽くせりの環境に助けられているのに対して、ヴィテはというと元々の実力の高さと、ドラグサキュバスとしての身体能力の高さから疲労の影など何処にもありはしない優良健康児だ。
今日も今日とてインラエン外部に広がる迷宮攻略の為の、中継地点設営用の資材や食糧輸送の護衛の仕事を引き受けていた。
インラエンは探索者の拠点として申し分のない場所ではあるが、広大な第一階層を探索し尽くすにはより多くの場所に中継地点となる集落の建設は必須で、インラエンから放射状に広がりつつある石畳の道の先で、少しずつ集落が建設されつつある。
建設に従事している者の多くはドラグサキュバスの作りだした魔法生物達だが、中にはいざ実戦となって尻込みしてしまい、戦えなくなってしまった探索者達もそれなりに含まれている。
ドラグサキュバス達はそういった戦えない探索者達がインラエンで暮らしていけるように、わざと非効率な仕事を創出し、探索者達に生きる糧を与えていた。
「今日は随分と多くの探索者が参加しているんだなあ」
輸送隊の出発地点であるインラエンの西のはずれに足を運んだジルグは、同じ仕事を引き受けた五十名近い探索者達の姿についつい感嘆の吐息を零す。
建設地点に運ぶ食糧や資材各種は、浮遊の魔法が付与された車輪のない荷車十台に分配して積み込まれている。
それをドラグサキュバス達が生み出した、犀によく似た魔法生物が二頭ずつ牽引していて、この荷台の積み荷がジルグ達の護衛対象というわけだ。
「御者が居ないけど、この子達は道を分かっているのかな?」
自分よりも遥かに強そうな犀モドキを見て、目を輝かせているジルグの質問に、ヴィテは好奇心旺盛な弟を持った姉の気分で答えた。
「荷台を引いているのは、レクスライノっていう魔法生物よ。基本的に温厚で賢いし、簡単な道なら一度通れば覚えてくれるの。それでもまあ、念の為に先導役のお姉様はいるけどね」
「半日で着く場所なんだよね。ぼく、インラエンを離れて別の街に行くのは初めてだから、ちょっと楽しみだ」
「私もインラエン以外の場所は、迷宮位しか知らないから、ジルグと変わらないわ。でも、これから行くところはまだまだ街づくりを始めたばかりで、そんなに見て楽しいものはないかも」
「それでもいいよ。街づくりの過程っていうのも見た事ないんだから!」
「ん~、そういう考え方もあるかあ。どっちにしろ今回はジルグでも受けられる位に簡単なお仕事だから、襲ってくる魔物も大した事ないし、気楽に行きましょ」
「ふふ、ヴィテって、ぼくにしょっちゅう気楽にって言うよね。意識しているのかは知らないけれど、君なりにぼくの緊張を緩めようとしてくれているって、昨日、寝る時に気付いたよ。ありがとう」
「ええ~? そうかなあ? 折角の初仕事だから自分なりに頑張ろうとは思っているけど……」
ジルグの指摘はヴィテにとって心底意外だったらしく、その場でうんうんと唸りながら考え込み始める。
ジルグにしてもそうだといいなぁ、という願望交じりの台詞であったから、ここまでヴィテが悩み出すとは少しだけ意外であった。
言うにしてももっと違う時にすればよかったかな、ジルグが反省しつつ改めて周囲を見渡すと、その中に大変にお世話になった者達の姿が混じっているのに気付く。
「ああ、ドライセンさん!」
「ん? おお、ジルグか。それにドラグサキュバスの子は、管理支部からの助っ人かな?」
「はい、ヴィテっていう子なんですけど、ぼくよりもうんと強いし、インラエンの事には詳しいしで、何だか情けない限りです。今日はハンマさん達以外にもドラゴニアンの方達と一緒なんですね」
ジルグの視線はハンマやドーベン、クイン以外にも数名のドラゴニアン達が、ドライセンを中心として集まっている姿を映し出していた。
ドライセンとクイン以外は他種族で構成されたパーティーだった筈だが、他にも何人ものドラゴニアン達が居り、周囲の探索者達から好奇心と畏怖の視線を槍衾のように向けられている。
「私の知り合いの者達だ。彼らのちょっとした肩慣らしと親交を深めるのに、ここはちょうど良い場所だったから、案内して来たのさ。探索者として本腰を入れて活動するわけではないから、あまり目くじらを立てないでくれると嬉しいな」
そう告げるドライセンの周囲に固まっているドラゴニアン達の中には、水龍皇龍吉の娘、瑠禹の姿を始め、深紅竜のヴァジェにモレス山脈の竜達の姿もまたあるのだった。
なおヴィテはドライセンの存在を認識した瞬間から、呼吸を忘れてその場で硬直してしまっている。
ドラグサキュバスの中でも新世代の個体は、ドライセンの大元が居なければ存在し得なかったわけだから、ドラグサキュバス達の中でもひと際ドライセン並びに古神竜ドラゴンへの崇敬の念が強いが故の反応だった。
ヴィテが自力で再起動する様子は見受けられないから、彼女が正気に戻るにはどうしてもジルグに気付いて貰う他ないのだが、ジルグは恩人との会話に夢中でもう少し掛りそうだ。
その間にもヴィテの精神と肉体は大混乱を起こしているのだが、ま、たまにはこういう事もあるだろう。
《続く》
■ジルグ
レベル4
■ヴィテ
レベル1~999(手加減)
■ドライセンおよび愉快な仲間達
レベルの概念を超越している。レベルで表現できる強さでは勝負にもならない。
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