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25巻
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「貴方がそういう気性であるのは、貴方以外の全生命にとって大変な幸運ですよ。それと学院の方ですが、貴方やクリスティーナ絡みの事件は減ったにしても、まだレニーアが在籍していますからね。彼女は貴方と出会い、失態を幾度か演じてからは心を入れ替えて、とても成績優秀な生徒になっています。時折、生徒という立場を超えた行動力で動き回るのが難点ですが」
オリヴィエの指摘に思い当たる節がありすぎて、ドランが苦笑する。
その傍らで、供された茶菓子を減らす作業に集中していたクリスティーナが、ああ、と呟いた。
彼女にもオリヴィエが言うところの〝レニーアの行動力〟の一例が思い浮かんだのだ。
「競魔祭出場選手を半ば独断で篩にかけたとか、かけなかったとか」
少し呆れた調子のクリスティーナに対して、オリヴィエは苦渋をたっぷり飲み込んだ表情で続けた。
「ドランが卒業した以上は、レニーアは間違いなく今年の最強の魔法生徒です。その彼女と出場の確定しているネルネシアが手を組んで、吟味をしたのは事実です。出場に意欲を燃やしていた子達に対して、当人達としては軽く威圧した程度の認識だったでしょう。それでもかなりの数が心を折られました。ただ、その分、残った子達が全員、見所のある生徒達だったのも事実です」
「だからこそ余計に頭が痛い、あるいは始末に負えないといったお顔です」
オリヴィエの心情には大いに共感するところのあるクリスティーナは、慈愛さえ感じさせる表情で頷いている。
対して大いに苦労を掛ける側であるドランは、クリスティーナほどには共感出来ないでいた。娘と認める相手が苦労を掛けてしまう事への申し訳なさはたっぷりあったけれど。
「あの数少ない友人のイリナが抑えになってくれていますし、レニーア自身、貴方達が卒業した後の競魔祭において、自分が戦力の中核になるという自覚があるようで、普段の授業態度などは大分改善されています。お蔭で今回はわざわざ予選会に出場するような事にはなりませんでしたが、去年とは違った意味で、競魔祭の予選会の段階で熱を上げてしまいました。極端なのですよ、レニーアは」
「ふむ、レニーアの魂の父親として擁護させていただけるのなら、彼女は加減というものを学んでいる最中なのです。もうしばらく学院長や他の生徒達を振り回してしまうでしょうけれども、広い心でどうぞ見守ってあげてください」
「去年の貴方達と今年のレニーアで、私はこれまでの百年か二百年分の心労を負った気持ちですよ。卒業生とはいえ、貴方達にこのような愚痴を零してしまうのは、年長者として情けない限りなのですが……」
「私もレニーアも、魂のみで考えれば学院長よりもよっぽど年長なのですが、人間歴は年齢相応ですので、若気の至りか、どうにもご迷惑ばかり掛けてしまうようで」
ここで偽りなく申し訳なさそうに頭を下げるのがドランである。
かつて竜殺しをなした七勇者の子孫であるオリヴィエは、ドランが古神竜の魂の保有者という事実を前に、これ以上強い言葉で追及する事が出来なくなってしまう。
先祖代々の因縁から、オリヴィエにとってドランはどうにも相性の悪い相手だった。
これ以上この話題で言葉を重ねて、さらに心労を背負い込むのは勘弁だと、オリヴィエは気を取り直して別の話題を振る。
「ふう、もう少し建設的な話をするとしましょう。今夜の総督主催の晩餐会には、貴方達も根回しの為にも出席すると思いますが、それまでの時間はどうするのですか? レニーア達のところに激励を兼ねて顔見せはすると、勝手に思っていますけれど」
ドランとクリスティーナがガロア魔法学院まで足を運んで、レニーア達の顔を見ないわけはないと、確信している話し振りだった。
クリスティーナは、ドランをちらりと見てから頷く。
「少しの間ですが彼女らの特訓にも付き合いましたし、学院代表に選ばれた事へのお祝いの言葉を伝えに行きますよ。去年の競魔祭に出場した者同士ですし、領主と補佐官という立場でも、それくらいなら許されると思いますから」
「ええ、私の立場から考えても、それは許される範囲です。レニーアとネルネシア以外は、なんならこの縁を辿って貴方達の下での就職を希望するかもしれませんよ」
このオリヴィエの言葉に、クリスティーナは〝おや?〟と思う点があり、それを素直に問いにする。
「レニーアの方こそ、ドランのもとへ目を血走らせてやってきそうなものですが……?」
今ではベルン男爵に正式に叙されたクリスティーナにとって、オリヴィエは貴族としても明確に上の相手となっている。
生徒と教師の距離感が許される相手ではなくなっていたが、このような私的かつ複雑怪奇な事情を知る者同士ならば、多少踏み込んだ質問も許されよう。
「私もしばらくはそう思っていましたが、今の彼女は自分が生まれた家とご両親をとても大切にしています。その点に関して言えば、彼女は相手がドランだからと盲目的な行動に走らないようになっていますよ。彼女が大邪神カラヴィスの子であるのは事実ですが、同時に彼女が生みの父母を心から愛し、慈しんでいるのもまた確かなのですから。ええ、それはとても素晴らしい事に違いありません」
ガロア魔法学院に残った超特大の問題児とはいえ、レニーアの両親に対する愛情に疑うところはないと、オリヴィエは信じており、素晴らしいと称賛する。
その言葉に、ドランは浮かび上がる笑みを隠さなかった。
娘が褒められた事ばかりでなく、他者から見てもそうと分かるほどに情愛を育んでいるのが、この上なく喜ばしかったのだ。
†
さて、オリヴィエとの会話が穏やかな内容で終わった後、ドランとクリスティーナは予定通りにレニーア達に激励とお祝いの言葉を述べるべく足を向けていた。
昨年のドラン達に置き換えると、同じく前回の代表の一人だったフェニアが主催して激励会が催されようとしていた頃だろう。
ベルンに来た時のレニーアの様子からして、今年は彼女が全ての費用を負担する形で激励会を開いていてもおかしくはない。
ただ、今のドラン達の立場で後輩達の激励会に顔を出すのは、水を差すようで憚られる。
その為、会が始まる前に少しだけ顔を見せようと、二人は急いだ。
それに、激励会の費用をこっそり全額払って、何も言わずに去れば、かなり格好良い姿を見せられるのではないかと、考えないでもなかった。
まあ、そういう格好をつけたいお年頃の二人なのである。
試合は順当にマノス、クシュリ、アズナルが勝ち残り、レニーア達は計画通りに激励会を行うべく集合していた。
レニーアとしては、昨年フェニアの主催した激励会の真似をしようとしたのと、純粋にマノス達の労をねぎらう意図があった。
彼女も随分と他人を気遣えるようになったものである。
オリヴィエがドラン達と速やかに会えるようにと取り計らったお蔭で、レニーア達は応接室の一室に留められていた。
今頃、試合を観戦していた貴族や商人達の一部が、将来有望な魔法使いに今の内から声をかけようと、その所在を探っているだろう。
そんな中でこうして余裕を持って話しに行けるのだから、オリヴィエ様々である。
魔法学院らしい魔法仕掛けの時計や人形、描かれた人物が時折動く絵画が置かれた応接室の中で、レニーアは堂々たる仁王立ちの姿勢でドランとクリスティーナを迎えた。
ドラン達は特に気配を隠していたわけではないから、早々に接近を感知して、崇敬する父とその伴侶(予定)を全身全霊で迎えるべく、待ち構えていたに違いない。
相変わらず、ドランに対しては微妙に努力の方向を間違えるレニーアであった。
「お久しゅうございます、ドランさん、それとクリスティーナ。このレニーア、再びご尊顔を拝し奉る時を、一日を千年の如く感じながら待っておりました」
おおう、いつにも増して……というのがドランの感想だった。
一日を千年に換算するとは、時間の感覚が神造魔獣基準だとしても、とんだ熱の入れようである。
多少は誇張している部分もあると信じたいドランだが、何しろレニーアだ。本気でそう思っていてもなんら不思議でないのが困りもの。
「相変わらず、そこまで私を想ってくれて、ありがたい限りだ。私がそれだけのものを君にまるで返せていないのが、なんとも口惜しいばかりだよ」
「ふふ、ドランさんが私に返すべきものなど何もありはしません。私の方こそ、まだまだ貴方にお返ししきれていない恩義が、この星の上から飛び出さんばかりに残っているのですから」
「ふむ、この点に関してはお互い譲れないところがあるのも変わらずか。ま、毒にはならないからよしとしよう」
ドランは呆れと諦めの感情が材料の大部分を占める苦笑を浮かべた。彼は、レニーアに続いてソファから立ち上がったクシュリやアズナル、マノスらに視線を移す。
ちなみに代表選手ではないが、ファティマとその使い魔であるシエラ、それにイリナというお馴染みの面々がこの場にいるのは、言わずもがなだ。
クリスティーナもまたクシュリ達を見回し、以前ベルン男爵領に来た時よりもさらに精悍になった顔つきと雰囲気に、満足げな笑みを浮かべる。
「その様子だと、あれからもたっぷりとレニーアに鍛え上げられたらしいな」
腕を組んで仁王立ちするレニーアが発する怒号とそれに翻弄されるクシュリとアズナルの姿を想像するのは、クリスティーナにはひどく簡単な事だった。
ネルネシアはむしろそんなレニーアに対して負けん気を燃やして向かって行く性格だし、意外とマノスも精神的な打たれ強さは並々ならぬものがある。
多少へこたれはしても、すぐにその場で切り替えてきただろう。
同情と称賛の念を多めに含むクリスティーナの言葉に、クシュリが特訓という名のしごきを思い出して、顔色を青くする。
せっかくの精悍な面構えも、顔色で台無しだ。
「いやあ、ホント、死ななければ問題ないっていう前提の特訓みたいなもんで、何度も死を覚悟しましたよ。もちろん、その分、ちっとはマシになったと思いますよ」
クシュリが言った少しは力がついたという点においてはアズナルも同意らしく、自信に満ちた顔で頷いている。
「今の君達なら、以前よりもヴァジェ達を相手に善戦出来るだろう。それは私もドランも保証するよ。去年の他校の主力――ハルトやエクス並の相手が出てこなければ、まず勝てるのではないかな」
クリスティーナに太鼓判を押され、クシュリはにかっと陽気な笑みを浮かべる。
「男爵様にそう言っていただけると、さらなる自信に繋がりますよ。レニーアさんに目を掛けられているってんで、おれとクシュリを羨望とか嫉妬の目で見ていた連中も、特訓の内容を知ってからは、そういう目で見てこなくなったんです。期待に見合うだけのものを競魔祭の本番でお見せ出来るように頑張りますよ」
この調子なら大丈夫だろうと、クリスティーナは後輩達の活躍をほぼ確信して小さく安堵する。
去年と同様に、今年もガロア魔法学院の選手達は、常識では考えられない特訓相手に鍛えられたし、無事に競魔祭が開催されれば結果を残すに違いない。
「競魔祭での活躍を抜きにしても、今日の試合の内容だけで君達を雇いたいと考える貴族や商人達はたくさんいるだろう。私のところでもまだまだ魔法使いの数は足りていないから、君達さえよければと、見学しながら考えていたよ。おっと、あまり熱心に声を掛けてしまっては、抜け駆けしていると他の方々に怒られてしまうかな?」
クリスティーナはお世辞ではなく、魔法使いを一人でも多く欲している領主としての目線からそう告げた。
その評価を受けて、クシュリとアズナルは少年らしく誇らしげに、そして少しくすぐったそうに笑う。
決して裕福ではない出自の二人にとって、良い待遇で迎えられる可能性の高い貴族お抱えの魔法使いという就職先は、是が非でもと望むものなのだ。
口元を綻ばせるクシュリとアズナルに対して、太すぎる釘を刺したのは、当然ながらレニーアだった。
「あまりこいつらを褒めて調子に乗せない事だ。私からすればクシュリと青猫は、ようやく競魔祭出場の及第点に達した程度にすぎん。評価一つで浮かれて足を掬われる結果にでもなったら、私の手で目を覚まさせてやらねばならんからな!」
ベルン男爵を相手にしているのだから、レニーアも本来ならもっと貴族の令嬢らしく礼節をわきまえた振る舞いをするべきだろう。
しかしこの場に限っては、クリスティーナ本人が黙認しているのを察して、誰も口を挟まないでいる。
マノスとドランはレニーア達の会話に加わらずにいたのだが、この二人は二人でゴーレム談議に花を咲かせていた。
じめじめとした雰囲気からだいぶさわやかに変わったマノスが、思案顔で眼鏡を指でクイクイと持ち上げながらドランに問う。
「では、大砲を載せた多脚型のゴーレムの量産に踏み切ったのか?」
「ええ、人の数を揃えるのは時間的に厳しいですし、人員の損失が出た場合に補充するのが難しいのは容易に想像がつきますから。それを避ける為にも、火力の充実を図るのが重要と考えまして」
これはベルン男爵領の内部事情の暴露ではあるのだが、ドランが気にしている様子はない。
マノスの人格と一部のゴーレムの設計・開発に協力してもらっている事実を踏まえて、男爵領の魔法関係部門の総元締めとして、ドランは自らの裁量で話す内容を決めていた。
「そうか、そうなったか。最新の大砲となるとかなり高い買い物になるし、火薬の調達も難しいはずだが、そこは魔導砲を搭載しているのか? 魔晶石なら君達がいくらでも作れるだろうが」
「旧式の大砲なら、火薬式、魔法式問わずいくらか手に入りました。ただ、最新型のものはやはり調達が難しいですね。私達で一から鋳造しても構いませんが、それだけの炉や技術者の手配はまだまだ不十分ですよ」
「まあ、騎乗型ゴーレム『ガンドーガ』を完成させた君の事だから、手段を選んでいる内は時間がかかる、という話なのだろう? 誰でも使用可能で、一定の能力を発揮出来るのが大前提であって、特定の誰かにしか扱えず、能力も安定しないとあっては、兵器としては失敗だ。ならばそれを製造したり、維持したりする方法もまた普遍的である方が良いに決まっている。調達を君達に依存するような方法では、君達が何かしらの理由で不在の時に困った事態になるのは目に見えているからね」
マノスの的確な分析に、ドランは頷いて応える。
「今でも、かなりの部分を私達でなければ出来ないやり方で進めてしまっていますから、他所と合わせられるところは合わせられるように調整中なのです」
「随分と苦労している様子だな。あくまで君達の事情なのだから、おれが訳知り顔で口を挟むものでもないが、ではガンドーガは量産するのか? 二、三機追加で生産するくらいならばともかく、『魔操鎧』の一種として数を揃えるつもりなら、あれは製造費用も性能も過剰な代物だ。費用も性能も十分の一程度には抑えないといけないだろう。それに、リビングゴーレムのリネットが操縦する前提で、神経接続による操縦方法を採用したが、常人が運用するなら再設計する必要があるぞ」
「ひとまずは型落ちの魔操鎧を買い集めて、数だけは揃えている状況ですね。改修をして性能を引き上げたいところですが、魔操鎧に明るい技師の確保は難航中です。昨今の状況では引き抜くのも簡単ではありませんし、そういう事情も相まって、大砲を担がせたゴーレム作りの方に力を注いでいるのですよ」
ドランの話を聞いたマノスは、顎に手をやって小さく唸る。
「うーむ、魔操鎧を使う距離にまで近づかれる前に、なるべく大砲と魔法で数を減らす方針か。技術の発達に比例して戦争における殺傷可能な距離というのは伸びているから、ドランが力を入れる方向としては、別に間違ってはいないのだな」
「生きた人間の兵士の数が少ないのを、ゴーレムで補っている状態ですし、近接戦闘を目的としたゴーレムの開発と、簡易生産用の陣の量産も進めていますよ」
ここでドランの言う〝陣〟とは、材料を用意すれば自動でゴーレムを組み上げる術式を組み込んだ魔法陣を指す。魔力と相性の良い絨毯や敷布、鉱物を使った大きな一枚板などに魔法陣を刻み、即席の製造工場にするわけだ。
「仕事が速いな。だが、君がそうしなければならない状況が差し迫っているという事なのだろう?」
「やはり、貴方は研究にだけ目を奪われている方ではないですね。世の流れもきちんと把握している」
「いや、おれより世情に疎い奴がいたなら、罵るといい。ああ、まったく……おれは強いゴーレムを作るのは大好きだが、戦争が好きというわけではないのだがな!」
こういう態度が、ドランがマノスを気に入っている理由の一つだった。
二人の話題がキナ臭いものを交えているのを嗅ぎつけて、ネルネシアがいつもよりも僅かに険しい表情を浮かべて寄ってくる。
王国きっての武闘派大貴族の令嬢たるネルネシア・フューレン・アピエニアの持つ情報は、研究の為に引きこもりがちなマノスのものよりも新鮮で、量も多いだろう。
「ドラン、この後の晩餐会にはアピエニアからも人を出している。信頼の置ける騎士隊長格と私の他、数名。そこでどんな話が出るか、今の内に話せる範囲で教えてもらっても構わない?」
「ふむ。王国最北の地はベルンだが、一番北から攻め込まなければならない決まりなどはないから、警戒はもっともだ」
ドランの発言は、西のロマル帝国ではなく北からの脅威を強く意識させるものだ。
それだけでネルネシアは、ここ最近、近隣領主達の警戒と軍備増強路線が間違いではなかったのを確信する。
「しかし、ベルンを落とさずに他の北方の領地を攻めると、後背を突かれやすい地理だから、やはり最初に来るならウチかな、とは思っているけれどね」
密かにドランが行っている偵察によると、現状、アークレスト王国で真っ先に攻め込まれるのは、予想通りベルンだ。
魔王軍は既にロマル帝国方面へ軍勢を動かしているが、帝国からの要請がない状況では、そちらに対してアークレスト王国民であるドランが動くべき理由はない。
ドランの意見を聞いたネルネシアが尋ねる。表情は変わらず険しい。
「最悪、事前通告なしの開戦もあると思う?」
「どうかな。相手は軍神サグラバースの神血と霊格を受け継いでいる神孫だ。こちらから非礼を働かぬうちは、相手も祖神の顔に泥を塗るような真似はしないと考えているよ。とはいえ半分は私の推測だから、全面的には信用しないでくれるかい」
「神孫……まったく、いくら私でも尻込みする相手。その情報はどこまで、誰にまで伝えてあるの?」
「殿下経由で陛下や重臣の方々と、一部の大貴族。今夜の晩餐会でも、皆さんにお伝えする予定だ」
「伝えない方が良さそうな内容かもと、一瞬思ってしまった。本腰を入れて対抗するとなると、各神殿にも協力を要請しないといけなくなるから、普段の関係と寄進の額が問題になってくる。普通の戦争以上にお金がかかる」
これから出ていく戦費を考えて、ネルネシアは今から頭が痛いと言わんばかりにかすかに眉をひそめた。
戦費は普段領民から徴収している税で賄われるのだ。
それを領地と領民を豊かにする為ではなく、防衛戦争で消費する羽目になるのだから、彼女の気性ならば嫌悪感や不快感を示すのも当たり前だろう。
「そこは私達も頭を痛めているところだよ。特に、不足している航空戦力を整えるには、莫大な予算が必要になる。モレス山脈の竜種達と、魔王軍の偽竜達と戦う為の同盟を結べたのは幸いだがね。それだって魔王軍の襲来がなくとも、いずれは友好関係を結ぶつもりだったのだから、怪我の功名などとは思いたくもない」
「こうなったら徹底的にボコボコに叩きのめして、賠償金を請求するしかない?」
過激なネルネシアの意見に、ドランは小さく笑みを浮かべて返す。単なる戦闘狂でないのがネルネシアの良い所だと本気で思っている。
「それか、戦死者の遺族への見舞金なし、つまり戦死者や負傷者なしの完全勝利を目指すか、だな。ネルネシアの案は使った分をぶんどる算段で、私の案は極力費用を抑え込むものになるか。これも戦争に対する姿勢の違いかね」
「ふう、どちらにせよ、実現は困難。被害を無に抑え込むのが理想論なら、相手に賠償金を支払わせるほど、未開の地である暗黒の荒野の奥深くにまで攻め込むのは、負担が大きすぎる」
「ふむ、そう言われてみるとそうだが、まずは人命優先、次に赤字絶対回避を念頭に努力するよ」
「ドランがそう言うと、本当にそれを実現しそうだと信じられるからすごい」
「周りに頼りになる味方がたくさんいるからね」
とはいえ、ドランが言うところの〝頼りになる味方〟達からすれば〝一番頼りになるのは君だ〟と、声を大にして言われるだろう。
オリヴィエの指摘に思い当たる節がありすぎて、ドランが苦笑する。
その傍らで、供された茶菓子を減らす作業に集中していたクリスティーナが、ああ、と呟いた。
彼女にもオリヴィエが言うところの〝レニーアの行動力〟の一例が思い浮かんだのだ。
「競魔祭出場選手を半ば独断で篩にかけたとか、かけなかったとか」
少し呆れた調子のクリスティーナに対して、オリヴィエは苦渋をたっぷり飲み込んだ表情で続けた。
「ドランが卒業した以上は、レニーアは間違いなく今年の最強の魔法生徒です。その彼女と出場の確定しているネルネシアが手を組んで、吟味をしたのは事実です。出場に意欲を燃やしていた子達に対して、当人達としては軽く威圧した程度の認識だったでしょう。それでもかなりの数が心を折られました。ただ、その分、残った子達が全員、見所のある生徒達だったのも事実です」
「だからこそ余計に頭が痛い、あるいは始末に負えないといったお顔です」
オリヴィエの心情には大いに共感するところのあるクリスティーナは、慈愛さえ感じさせる表情で頷いている。
対して大いに苦労を掛ける側であるドランは、クリスティーナほどには共感出来ないでいた。娘と認める相手が苦労を掛けてしまう事への申し訳なさはたっぷりあったけれど。
「あの数少ない友人のイリナが抑えになってくれていますし、レニーア自身、貴方達が卒業した後の競魔祭において、自分が戦力の中核になるという自覚があるようで、普段の授業態度などは大分改善されています。お蔭で今回はわざわざ予選会に出場するような事にはなりませんでしたが、去年とは違った意味で、競魔祭の予選会の段階で熱を上げてしまいました。極端なのですよ、レニーアは」
「ふむ、レニーアの魂の父親として擁護させていただけるのなら、彼女は加減というものを学んでいる最中なのです。もうしばらく学院長や他の生徒達を振り回してしまうでしょうけれども、広い心でどうぞ見守ってあげてください」
「去年の貴方達と今年のレニーアで、私はこれまでの百年か二百年分の心労を負った気持ちですよ。卒業生とはいえ、貴方達にこのような愚痴を零してしまうのは、年長者として情けない限りなのですが……」
「私もレニーアも、魂のみで考えれば学院長よりもよっぽど年長なのですが、人間歴は年齢相応ですので、若気の至りか、どうにもご迷惑ばかり掛けてしまうようで」
ここで偽りなく申し訳なさそうに頭を下げるのがドランである。
かつて竜殺しをなした七勇者の子孫であるオリヴィエは、ドランが古神竜の魂の保有者という事実を前に、これ以上強い言葉で追及する事が出来なくなってしまう。
先祖代々の因縁から、オリヴィエにとってドランはどうにも相性の悪い相手だった。
これ以上この話題で言葉を重ねて、さらに心労を背負い込むのは勘弁だと、オリヴィエは気を取り直して別の話題を振る。
「ふう、もう少し建設的な話をするとしましょう。今夜の総督主催の晩餐会には、貴方達も根回しの為にも出席すると思いますが、それまでの時間はどうするのですか? レニーア達のところに激励を兼ねて顔見せはすると、勝手に思っていますけれど」
ドランとクリスティーナがガロア魔法学院まで足を運んで、レニーア達の顔を見ないわけはないと、確信している話し振りだった。
クリスティーナは、ドランをちらりと見てから頷く。
「少しの間ですが彼女らの特訓にも付き合いましたし、学院代表に選ばれた事へのお祝いの言葉を伝えに行きますよ。去年の競魔祭に出場した者同士ですし、領主と補佐官という立場でも、それくらいなら許されると思いますから」
「ええ、私の立場から考えても、それは許される範囲です。レニーアとネルネシア以外は、なんならこの縁を辿って貴方達の下での就職を希望するかもしれませんよ」
このオリヴィエの言葉に、クリスティーナは〝おや?〟と思う点があり、それを素直に問いにする。
「レニーアの方こそ、ドランのもとへ目を血走らせてやってきそうなものですが……?」
今ではベルン男爵に正式に叙されたクリスティーナにとって、オリヴィエは貴族としても明確に上の相手となっている。
生徒と教師の距離感が許される相手ではなくなっていたが、このような私的かつ複雑怪奇な事情を知る者同士ならば、多少踏み込んだ質問も許されよう。
「私もしばらくはそう思っていましたが、今の彼女は自分が生まれた家とご両親をとても大切にしています。その点に関して言えば、彼女は相手がドランだからと盲目的な行動に走らないようになっていますよ。彼女が大邪神カラヴィスの子であるのは事実ですが、同時に彼女が生みの父母を心から愛し、慈しんでいるのもまた確かなのですから。ええ、それはとても素晴らしい事に違いありません」
ガロア魔法学院に残った超特大の問題児とはいえ、レニーアの両親に対する愛情に疑うところはないと、オリヴィエは信じており、素晴らしいと称賛する。
その言葉に、ドランは浮かび上がる笑みを隠さなかった。
娘が褒められた事ばかりでなく、他者から見てもそうと分かるほどに情愛を育んでいるのが、この上なく喜ばしかったのだ。
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さて、オリヴィエとの会話が穏やかな内容で終わった後、ドランとクリスティーナは予定通りにレニーア達に激励とお祝いの言葉を述べるべく足を向けていた。
昨年のドラン達に置き換えると、同じく前回の代表の一人だったフェニアが主催して激励会が催されようとしていた頃だろう。
ベルンに来た時のレニーアの様子からして、今年は彼女が全ての費用を負担する形で激励会を開いていてもおかしくはない。
ただ、今のドラン達の立場で後輩達の激励会に顔を出すのは、水を差すようで憚られる。
その為、会が始まる前に少しだけ顔を見せようと、二人は急いだ。
それに、激励会の費用をこっそり全額払って、何も言わずに去れば、かなり格好良い姿を見せられるのではないかと、考えないでもなかった。
まあ、そういう格好をつけたいお年頃の二人なのである。
試合は順当にマノス、クシュリ、アズナルが勝ち残り、レニーア達は計画通りに激励会を行うべく集合していた。
レニーアとしては、昨年フェニアの主催した激励会の真似をしようとしたのと、純粋にマノス達の労をねぎらう意図があった。
彼女も随分と他人を気遣えるようになったものである。
オリヴィエがドラン達と速やかに会えるようにと取り計らったお蔭で、レニーア達は応接室の一室に留められていた。
今頃、試合を観戦していた貴族や商人達の一部が、将来有望な魔法使いに今の内から声をかけようと、その所在を探っているだろう。
そんな中でこうして余裕を持って話しに行けるのだから、オリヴィエ様々である。
魔法学院らしい魔法仕掛けの時計や人形、描かれた人物が時折動く絵画が置かれた応接室の中で、レニーアは堂々たる仁王立ちの姿勢でドランとクリスティーナを迎えた。
ドラン達は特に気配を隠していたわけではないから、早々に接近を感知して、崇敬する父とその伴侶(予定)を全身全霊で迎えるべく、待ち構えていたに違いない。
相変わらず、ドランに対しては微妙に努力の方向を間違えるレニーアであった。
「お久しゅうございます、ドランさん、それとクリスティーナ。このレニーア、再びご尊顔を拝し奉る時を、一日を千年の如く感じながら待っておりました」
おおう、いつにも増して……というのがドランの感想だった。
一日を千年に換算するとは、時間の感覚が神造魔獣基準だとしても、とんだ熱の入れようである。
多少は誇張している部分もあると信じたいドランだが、何しろレニーアだ。本気でそう思っていてもなんら不思議でないのが困りもの。
「相変わらず、そこまで私を想ってくれて、ありがたい限りだ。私がそれだけのものを君にまるで返せていないのが、なんとも口惜しいばかりだよ」
「ふふ、ドランさんが私に返すべきものなど何もありはしません。私の方こそ、まだまだ貴方にお返ししきれていない恩義が、この星の上から飛び出さんばかりに残っているのですから」
「ふむ、この点に関してはお互い譲れないところがあるのも変わらずか。ま、毒にはならないからよしとしよう」
ドランは呆れと諦めの感情が材料の大部分を占める苦笑を浮かべた。彼は、レニーアに続いてソファから立ち上がったクシュリやアズナル、マノスらに視線を移す。
ちなみに代表選手ではないが、ファティマとその使い魔であるシエラ、それにイリナというお馴染みの面々がこの場にいるのは、言わずもがなだ。
クリスティーナもまたクシュリ達を見回し、以前ベルン男爵領に来た時よりもさらに精悍になった顔つきと雰囲気に、満足げな笑みを浮かべる。
「その様子だと、あれからもたっぷりとレニーアに鍛え上げられたらしいな」
腕を組んで仁王立ちするレニーアが発する怒号とそれに翻弄されるクシュリとアズナルの姿を想像するのは、クリスティーナにはひどく簡単な事だった。
ネルネシアはむしろそんなレニーアに対して負けん気を燃やして向かって行く性格だし、意外とマノスも精神的な打たれ強さは並々ならぬものがある。
多少へこたれはしても、すぐにその場で切り替えてきただろう。
同情と称賛の念を多めに含むクリスティーナの言葉に、クシュリが特訓という名のしごきを思い出して、顔色を青くする。
せっかくの精悍な面構えも、顔色で台無しだ。
「いやあ、ホント、死ななければ問題ないっていう前提の特訓みたいなもんで、何度も死を覚悟しましたよ。もちろん、その分、ちっとはマシになったと思いますよ」
クシュリが言った少しは力がついたという点においてはアズナルも同意らしく、自信に満ちた顔で頷いている。
「今の君達なら、以前よりもヴァジェ達を相手に善戦出来るだろう。それは私もドランも保証するよ。去年の他校の主力――ハルトやエクス並の相手が出てこなければ、まず勝てるのではないかな」
クリスティーナに太鼓判を押され、クシュリはにかっと陽気な笑みを浮かべる。
「男爵様にそう言っていただけると、さらなる自信に繋がりますよ。レニーアさんに目を掛けられているってんで、おれとクシュリを羨望とか嫉妬の目で見ていた連中も、特訓の内容を知ってからは、そういう目で見てこなくなったんです。期待に見合うだけのものを競魔祭の本番でお見せ出来るように頑張りますよ」
この調子なら大丈夫だろうと、クリスティーナは後輩達の活躍をほぼ確信して小さく安堵する。
去年と同様に、今年もガロア魔法学院の選手達は、常識では考えられない特訓相手に鍛えられたし、無事に競魔祭が開催されれば結果を残すに違いない。
「競魔祭での活躍を抜きにしても、今日の試合の内容だけで君達を雇いたいと考える貴族や商人達はたくさんいるだろう。私のところでもまだまだ魔法使いの数は足りていないから、君達さえよければと、見学しながら考えていたよ。おっと、あまり熱心に声を掛けてしまっては、抜け駆けしていると他の方々に怒られてしまうかな?」
クリスティーナはお世辞ではなく、魔法使いを一人でも多く欲している領主としての目線からそう告げた。
その評価を受けて、クシュリとアズナルは少年らしく誇らしげに、そして少しくすぐったそうに笑う。
決して裕福ではない出自の二人にとって、良い待遇で迎えられる可能性の高い貴族お抱えの魔法使いという就職先は、是が非でもと望むものなのだ。
口元を綻ばせるクシュリとアズナルに対して、太すぎる釘を刺したのは、当然ながらレニーアだった。
「あまりこいつらを褒めて調子に乗せない事だ。私からすればクシュリと青猫は、ようやく競魔祭出場の及第点に達した程度にすぎん。評価一つで浮かれて足を掬われる結果にでもなったら、私の手で目を覚まさせてやらねばならんからな!」
ベルン男爵を相手にしているのだから、レニーアも本来ならもっと貴族の令嬢らしく礼節をわきまえた振る舞いをするべきだろう。
しかしこの場に限っては、クリスティーナ本人が黙認しているのを察して、誰も口を挟まないでいる。
マノスとドランはレニーア達の会話に加わらずにいたのだが、この二人は二人でゴーレム談議に花を咲かせていた。
じめじめとした雰囲気からだいぶさわやかに変わったマノスが、思案顔で眼鏡を指でクイクイと持ち上げながらドランに問う。
「では、大砲を載せた多脚型のゴーレムの量産に踏み切ったのか?」
「ええ、人の数を揃えるのは時間的に厳しいですし、人員の損失が出た場合に補充するのが難しいのは容易に想像がつきますから。それを避ける為にも、火力の充実を図るのが重要と考えまして」
これはベルン男爵領の内部事情の暴露ではあるのだが、ドランが気にしている様子はない。
マノスの人格と一部のゴーレムの設計・開発に協力してもらっている事実を踏まえて、男爵領の魔法関係部門の総元締めとして、ドランは自らの裁量で話す内容を決めていた。
「そうか、そうなったか。最新の大砲となるとかなり高い買い物になるし、火薬の調達も難しいはずだが、そこは魔導砲を搭載しているのか? 魔晶石なら君達がいくらでも作れるだろうが」
「旧式の大砲なら、火薬式、魔法式問わずいくらか手に入りました。ただ、最新型のものはやはり調達が難しいですね。私達で一から鋳造しても構いませんが、それだけの炉や技術者の手配はまだまだ不十分ですよ」
「まあ、騎乗型ゴーレム『ガンドーガ』を完成させた君の事だから、手段を選んでいる内は時間がかかる、という話なのだろう? 誰でも使用可能で、一定の能力を発揮出来るのが大前提であって、特定の誰かにしか扱えず、能力も安定しないとあっては、兵器としては失敗だ。ならばそれを製造したり、維持したりする方法もまた普遍的である方が良いに決まっている。調達を君達に依存するような方法では、君達が何かしらの理由で不在の時に困った事態になるのは目に見えているからね」
マノスの的確な分析に、ドランは頷いて応える。
「今でも、かなりの部分を私達でなければ出来ないやり方で進めてしまっていますから、他所と合わせられるところは合わせられるように調整中なのです」
「随分と苦労している様子だな。あくまで君達の事情なのだから、おれが訳知り顔で口を挟むものでもないが、ではガンドーガは量産するのか? 二、三機追加で生産するくらいならばともかく、『魔操鎧』の一種として数を揃えるつもりなら、あれは製造費用も性能も過剰な代物だ。費用も性能も十分の一程度には抑えないといけないだろう。それに、リビングゴーレムのリネットが操縦する前提で、神経接続による操縦方法を採用したが、常人が運用するなら再設計する必要があるぞ」
「ひとまずは型落ちの魔操鎧を買い集めて、数だけは揃えている状況ですね。改修をして性能を引き上げたいところですが、魔操鎧に明るい技師の確保は難航中です。昨今の状況では引き抜くのも簡単ではありませんし、そういう事情も相まって、大砲を担がせたゴーレム作りの方に力を注いでいるのですよ」
ドランの話を聞いたマノスは、顎に手をやって小さく唸る。
「うーむ、魔操鎧を使う距離にまで近づかれる前に、なるべく大砲と魔法で数を減らす方針か。技術の発達に比例して戦争における殺傷可能な距離というのは伸びているから、ドランが力を入れる方向としては、別に間違ってはいないのだな」
「生きた人間の兵士の数が少ないのを、ゴーレムで補っている状態ですし、近接戦闘を目的としたゴーレムの開発と、簡易生産用の陣の量産も進めていますよ」
ここでドランの言う〝陣〟とは、材料を用意すれば自動でゴーレムを組み上げる術式を組み込んだ魔法陣を指す。魔力と相性の良い絨毯や敷布、鉱物を使った大きな一枚板などに魔法陣を刻み、即席の製造工場にするわけだ。
「仕事が速いな。だが、君がそうしなければならない状況が差し迫っているという事なのだろう?」
「やはり、貴方は研究にだけ目を奪われている方ではないですね。世の流れもきちんと把握している」
「いや、おれより世情に疎い奴がいたなら、罵るといい。ああ、まったく……おれは強いゴーレムを作るのは大好きだが、戦争が好きというわけではないのだがな!」
こういう態度が、ドランがマノスを気に入っている理由の一つだった。
二人の話題がキナ臭いものを交えているのを嗅ぎつけて、ネルネシアがいつもよりも僅かに険しい表情を浮かべて寄ってくる。
王国きっての武闘派大貴族の令嬢たるネルネシア・フューレン・アピエニアの持つ情報は、研究の為に引きこもりがちなマノスのものよりも新鮮で、量も多いだろう。
「ドラン、この後の晩餐会にはアピエニアからも人を出している。信頼の置ける騎士隊長格と私の他、数名。そこでどんな話が出るか、今の内に話せる範囲で教えてもらっても構わない?」
「ふむ。王国最北の地はベルンだが、一番北から攻め込まなければならない決まりなどはないから、警戒はもっともだ」
ドランの発言は、西のロマル帝国ではなく北からの脅威を強く意識させるものだ。
それだけでネルネシアは、ここ最近、近隣領主達の警戒と軍備増強路線が間違いではなかったのを確信する。
「しかし、ベルンを落とさずに他の北方の領地を攻めると、後背を突かれやすい地理だから、やはり最初に来るならウチかな、とは思っているけれどね」
密かにドランが行っている偵察によると、現状、アークレスト王国で真っ先に攻め込まれるのは、予想通りベルンだ。
魔王軍は既にロマル帝国方面へ軍勢を動かしているが、帝国からの要請がない状況では、そちらに対してアークレスト王国民であるドランが動くべき理由はない。
ドランの意見を聞いたネルネシアが尋ねる。表情は変わらず険しい。
「最悪、事前通告なしの開戦もあると思う?」
「どうかな。相手は軍神サグラバースの神血と霊格を受け継いでいる神孫だ。こちらから非礼を働かぬうちは、相手も祖神の顔に泥を塗るような真似はしないと考えているよ。とはいえ半分は私の推測だから、全面的には信用しないでくれるかい」
「神孫……まったく、いくら私でも尻込みする相手。その情報はどこまで、誰にまで伝えてあるの?」
「殿下経由で陛下や重臣の方々と、一部の大貴族。今夜の晩餐会でも、皆さんにお伝えする予定だ」
「伝えない方が良さそうな内容かもと、一瞬思ってしまった。本腰を入れて対抗するとなると、各神殿にも協力を要請しないといけなくなるから、普段の関係と寄進の額が問題になってくる。普通の戦争以上にお金がかかる」
これから出ていく戦費を考えて、ネルネシアは今から頭が痛いと言わんばかりにかすかに眉をひそめた。
戦費は普段領民から徴収している税で賄われるのだ。
それを領地と領民を豊かにする為ではなく、防衛戦争で消費する羽目になるのだから、彼女の気性ならば嫌悪感や不快感を示すのも当たり前だろう。
「そこは私達も頭を痛めているところだよ。特に、不足している航空戦力を整えるには、莫大な予算が必要になる。モレス山脈の竜種達と、魔王軍の偽竜達と戦う為の同盟を結べたのは幸いだがね。それだって魔王軍の襲来がなくとも、いずれは友好関係を結ぶつもりだったのだから、怪我の功名などとは思いたくもない」
「こうなったら徹底的にボコボコに叩きのめして、賠償金を請求するしかない?」
過激なネルネシアの意見に、ドランは小さく笑みを浮かべて返す。単なる戦闘狂でないのがネルネシアの良い所だと本気で思っている。
「それか、戦死者の遺族への見舞金なし、つまり戦死者や負傷者なしの完全勝利を目指すか、だな。ネルネシアの案は使った分をぶんどる算段で、私の案は極力費用を抑え込むものになるか。これも戦争に対する姿勢の違いかね」
「ふう、どちらにせよ、実現は困難。被害を無に抑え込むのが理想論なら、相手に賠償金を支払わせるほど、未開の地である暗黒の荒野の奥深くにまで攻め込むのは、負担が大きすぎる」
「ふむ、そう言われてみるとそうだが、まずは人命優先、次に赤字絶対回避を念頭に努力するよ」
「ドランがそう言うと、本当にそれを実現しそうだと信じられるからすごい」
「周りに頼りになる味方がたくさんいるからね」
とはいえ、ドランが言うところの〝頼りになる味方〟達からすれば〝一番頼りになるのは君だ〟と、声を大にして言われるだろう。
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