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25巻
25-1
しおりを挟む第一章―――― アルマディア決戦
アークレスト王国とロマル帝国の北方には、不毛の『暗黒の荒野』が広がっている。
大陸南方の大国である二つの国家の手の及ばぬこの大地にて、魔族を中心として諸勢力の統一が果たされた結果、大いなる脅威となってしまった。
軍神サグラバースの子孫にあたる魔王ヤーハームが治める国家――ムンドゥス・カーヌスが誕生し、彼が率いる『魔王軍』が、アークレスト王国とロマル帝国を征服する為に軍事行動を開始。大陸南方を強い緊張感が満たした。
これに対抗するべく、各国は奔走していた。
既にロマル帝国では戦端が開かれて、北方の国土が一部占領されてしまっている。
アークレスト王国において魔王軍との戦いの先鋒を担うベルン領でも、必死に備えが進められていた。
ベルン領の人々にとって幸いだったのは、領主クリスティーナを筆頭に、傍で支える補佐官のドランや秘書官ドラミナなど、上層部が一騎当千どころではない強者であった事。そして近隣のエンテの森やモレス山脈に住まう諸種族と強固な協力関係を築けていた点にある。
その証拠となる光景が、とある場所に広がっていた。
竜が飛ぶ。
無数の竜が飛んでいる。
破壊と新生の両面を持つ、火の色を映し取った鱗を持つ火竜。
世界を巡る風の如く、軽やかに飛翔する風竜。
黒雲を切り裂く雷鳴と共に在る雷竜。
天と地の間を巡り、潤し、渇きを与える、水と親しき水竜。
幾年月を経ようとも、その形を変えて存在し続ける大地の如き地竜。
果てなどないかのような空を飛ぶ竜種は、彼らばかりではない。
血の交わりにより複数の属性を備えるに到った個体や、またあるいは派生種や上位種に分類される竜達もいる。
四肢を持たない蛇のようなワームや、前脚が翼となっているワイバーンといった、亜竜、劣竜と呼ばれる眷属の姿も、人間達の常識では考えられないほどに〝ここ〟には集っていた。
場所はアークレスト王国ベルン男爵領が管理を担う、『カラヴィスタワー』。忌まわしき大邪神、この世で最も神々に嫌悪されている大女神カラヴィスが、地上に顕現させたその塔の内部だ。
この竜達が自由に解き放たれ、破壊を振りまけば、一夜でどれだけの滅びをもたらすだろう。そんな恐ろしい想像に駆られる光景が現実のものとなった理由は、実に意外なものだった。
モレス山脈の各所から集結した竜種達は、軍隊の如く陣をなし、実戦形式の訓練を重ねているところだ。
その相手となるのは、カラヴィスタワー内部で発見された『偽竜製造装置』により、大量に生産された『偽竜』の群れである。
地上最強種の竜種といえども、属性も練度も個性も異なるモレス山脈の竜種達を取りまとめられるだけの実力と見識、集団戦の経験を持つ個体は少ない。
それでも連日連夜繰り返される偽竜達との戦いによって、〝にわか指揮官〟達も指示を飛ばすのに慣れ、多くの竜種達も指示を受けるのに慣れてきている。
竜種が最大の仮想敵としている魔王軍の偽竜達は、普段から軍隊としての戦い方に慣れ、また堅固な指揮系統の下で運用されている。
残念だが、軍隊としての練度では魔王軍側に軍配が上がるのは、如何ともし難い事実だった。
モレス山脈側に有利な点があるならば、まずは個々の力量で勝っている点だろう。
水龍皇龍吉の娘にして、母に匹敵する力を持つに到った水龍の瑠禹や、古竜の中でも頭一つ抜けた実力を誇る深紅竜のヴァジェ他、強力な個体が揃う。
そして場合によっては、実戦当日にどこかから野良の白竜や、リュー・キッツを名乗る美しすぎる龍人が何食わぬ顔でしれっと参陣してくる可能性がある事か。
このどちらが参戦するにしても、魔王軍としては想定をはるかに超える存在に、魔王軍は頭を抱えて悶絶してもおかしくはない。
そんな喜劇めいた光景が、戦場に出現するかもしれない。
さて竜種達が事前に仮想魔王軍の竜相手の訓練を濃密に重ねている姿を、ドラン以外の複数の人間が観察していた。
ベルン男爵領の主力であるベルン騎士団団長バランをはじめ、ベルン軍の中核をなす要人の他、特に練度の高い一部の兵士達である。
頭上では無数の竜がブレスを撃ち合い、竜語魔法の合唱を盛大に歌い上げ、目で追い切れぬ速さで巨体を飛ばして格闘戦を演じている。
また地上では飛行能力がないか、地上戦を得意とする種の竜と偽竜達が大地を揺るがしていた。
耳を塞ぎたくなる咆哮を上げて相手の喉笛に食らいつき、鱗ごとまとめて肉体に爪と牙を突き立てている。
ともすれば十万、百万の大軍勢同士の激突よりも迫力に満ちた光景だ。
これら人ならざる者達の戦いの常識外れっぷりには、さしものバランだけでなく、他所では歴戦の猛者として知られていた元傭兵や元遍歴騎士達も顔色を青くしている。
幸いなのは、天地で暴れている竜種達の内、片方は明確に自分達の味方であると分かっている事だろう。
噴き上がる炎やら降り注ぐ雷やら、毒々しい霧やらと、見ていると眩暈が起きそうな色彩の乱舞と破壊の光景を前に、バランはとても疲れた声を絞り出した。
「確かにここは、魔王軍の連中に詳細を知られずに訓練を重ねるのに最適な場所だが、とはいえこんな非現実めいたものを見る羽目になるとは。えらい相手と手を取り合ったものだ。相手の偽竜も似たようなもんだというのは、頭の痛いところだが、今は味方の頼もしさだけを考えておくか」
バラン達がこの場にいるのは、共闘する相手である竜種達の実際の戦闘の様子を予め知っておく為だ。
いざ実戦となった際に、動揺や混乱によって貴重な時間を浪費しないようにという予防策と、共闘する相手への理解を深めるのが目的である。
今は現場での指揮や全体の戦略に関与する階級の者だけがこの場にいるが、魔王軍の侵攻に間に合えば、いずれは戦闘に参加する将兵全員が対象となる。
一般にも、ワイバーンやワーム等の劣竜や亜竜に騎乗する騎士団の類は存在している。しかし、ここまで強力かつ複数の知恵ある竜種と連携して戦っている軍隊など、それこそ三竜帝三龍皇の中で他種族と共存している者達くらいだろう。
前代未聞という言葉が度々出てくるベルン男爵領だが、ドラン達首脳陣を除けば、そうした事象に付き合わされる当事者達は、かなり胃を痛めながら日々の務めを果たしている。実にご苦労な事である。
「共闘をもぎ取ってきた当のドランと男爵様は不在だが、いつまでもお二人に甘えてばかりでは、おれ達も立つ瀬がない。時間はないが、せめて竜達の攻撃に巻き込まれないように走り回れるくらいには兵を鍛え、彼らの戦い方を学ばんと、おれが騎士団長だ、などと恥ずかしくて名乗れんよ」
バランはそう自らを鼓舞して、自分の周りで百面相をしている他の者達に活を入れるのだった。
もっとも、せっかく意志を固めたものの、直後に竜公級の力を持った老地竜の放った天変地異の如き一撃を見て、バランの目が点になってしまったのは、ご愛嬌というものだ。
†
バランをはじめとしたベルン男爵領軍事関係の上層部が、カラヴィスタワー内部で遠い目をしている頃、クリスティーナとドランの姿はガロア魔法学院にあった。
国内の魔法学院同士が実力を競う祭典――『競魔祭』に出場する、ガロア魔法学院の代表を決める予選会に、昨年の優勝に貢献した二人が招待された為だ。
ドラン達にとっては、レニーアやネルネシア、ファティマといった学院の友人達の様子を確かめに行く良い機会になったが、それ以外にも目的はある。
魔王軍との戦争に対し、ガロアで具体的にどのような備えがされているかを、直に見られる機会でもある。
ドランとクリスティーナは遠からず始まる魔王軍との戦争はひとまず忘れ、学院長のオリヴィエと同じ貴賓席から、後輩達の切磋琢磨する姿を穏やかな心で眺めていた。
彼ら以外にも多くの貴族や生徒達の身内、大商人達が観客席にいるのは去年と変わらない。既に代表に確定している二人――レニーアとネルネシアも、生徒用の席で共に競魔祭本戦を戦う仲間が決まる瞬間を待っている。
予選会に出場している生徒達の平均的な力量は去年と遜色ないが、ベルンであまりに濃厚すぎる特訓の日々を経験した三名が、突出した実力を見せていた。
ゴーレムクリエイターのマノスと、虫人のクシュリ、青虎人のアズナルである。
「やはりと言うべきか、今年の代表はマノス、クシュリ、アズナルで決まりと見てよさそうだな。ガロアに戻った後も鍛錬を怠らなかったと見える」
クリスティーナはベルンで彼らの体験した出鱈目な特訓内容を思い出し、しみじみと呟いた。
レニーアに目をつけられて――目を掛けられている以上は、たとえガロアに戻ったとしても怠けるなど許されるはずもなく、彼らは苛烈な修業を課せられていたに違いない。
戦闘狂気味なネルネシアや、自身の研究成果を確かめる為なら労苦を厭わぬマノスはともかく、常人の枠に収まるクシュリとアズナルには、さぞや苦行であったろう。
そして競魔祭本戦が終わるまでは、その苦行は続くのだ。
「レニーアがそれを許すはずもないからな。あれだけ鍛えられているのなら、これから競魔祭本番まででも大いに伸びるだろう。今年もかなりの好成績を残せると期待出来るよ。しかし、今年は四強ではなく二強までしか固まっていないか」
ドランの言葉に、クリスティーナが頷く。
「レニーアとネルネシア以外は、成績も実力も大差がなかったのを考慮して、学院長が予選会の選出枠を今年に限って三名分にしたというからね。そこにマノス達が滑り込む結果で終わりそうだ。さて……そうなると気掛かりなのは、競魔祭本戦が無事に開催されるかどうか、か」
クリスティーナが心配しているのは、遠からず訪れるであろう戦乱によって、競魔祭が開催されない可能性についてだ。
生徒達の観客席とは仕切られ、距離も離れているとはいえ、そうそう余人の耳には入れられない話だ。
それとなくクリスティーナからの目配せを受けて、ドランは自分達の話し声が漏れないように遮音の魔法を行使する。
「ロマルの方は他所に手を伸ばす余力はなさそうだ。北の方はいつでもこちらに来られるだけの準備を整え終えているよ。ガロアまで侵略を許すつもりはないが、周囲が騒がしくなるのは間違いない。スペリオン王太子殿下の方からもガロア総督府を中心に、事が生じればすぐさま兵を動かせるよう通達が回っているのだから、こちらも準備はまずまずだね」
「私達が安心してベルンを後に出来るのも、穏やかな時間を過ごすのも、しばらくお預けになってしまうわけか。野心壮大な魔王殿には恨み言の一つや二つ、言ってやりたい気分だ。ドランも同じ気持ちだろう?」
眉をひそめるクリスティーナに、ドランは心の底から同意した。
ベルン男爵領の発展の為に暗黒の荒野方面に開拓の手を伸ばす以上、いずれ魔王軍と衝突する事は避けられない運命だったにせよ、ついそう思わずにはいられない二人だった。
この後、レニーア達に激励の挨拶をしてからは、王家からガロアの統治を任されているガロア総督や、近隣の有力者達との会合が待っている。
相変わらずこの手の根回しに対しては、苦手意識を山と抱いている二人だが、今後のベルン男爵領の未来に直に関わるとあって、及び腰になってはいられない。
「後の世に憂いを残さずに済ます好機だと思えば、幾分か心持ちが違わないかい?」
ドランの問いに、クリスティーナは小さく溜息をつきながら答える。
「前向きに考えようとすればそうなるのかな。せめてロマルとは時期をずらして事を起こしてほしかったと、そんな風に考えてしまうよ」
「ふむ、なに、魔王軍の連中はロマルにも食指を動かしている。立ち回り方次第では、私達の都合よく戦局を動かせるかもしれないさ」
「あまり欲をかきたくなるような事を言わないでくれ、補佐官。不相応な欲は目を曇らせるものだ」
余人の耳のない場所では珍しく、クリスティーナはドランに対して役職で呼びかけ、窘める言葉を口にする。
ドランとしては、これを真面目に受け取ればよいのか、それともクリスティーナなりのちょっとしたおふざけと受け取るべきか、迷うところだった。
「これは失礼を申し上げました、男爵閣下」
しかしドランもまた上司に対する態度へと一瞬で切り替えて、それなりに様になっている仕草で頭を下げた。
クリスティーナはもうそれだけで堪えきれないと、肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「……やれやれ、慣れないやり取りなどするものではないな。君に畏まった態度をされると、体中をくすぐられているみたいに奇妙な心地になる」
「そうかな? 私としてはこうしたやり取りも楽しいものだと思っているよ。こういう真似をするだけの余裕があるという表れでもあるからね」
「それもそうか。いつでもこうして肩の力を抜いたやり取りが出来るように努力しなければな。その為にも今回の根回しと情報共有は大事だが、正直、他の領地の軍隊とは共闘しない方が余程やりやすいと感じてしまうのは、私が戦の素人で色々と見積もりが甘いからかな?」
クリスティーナの言う事は、ドランもまた大いに共感するところであった。
魔王軍の大軍勢に対して、ベルン男爵領が用意出来る兵士の数は、他領や魔王軍と比較しても桁が少ない。
突貫で簡易量産型のゴーレムを半自動で生産し続けているし、モレス山脈の竜種達との共闘によって質と量を急激に埋めているので、特に質の点では一部大幅に上回っている。
しかし、数の差を覆す為には、ガロア総督府と近隣の領地の軍勢と轡を並べる必要があるだろう。
同時に、それはある程度、戦い方の常識を他の味方に合わせて調整しなければならない事を意味する。
現状、能力が高すぎる一部の上層部に頼って、軍備増強にひた走っているベルン男爵領の軍事力というのは、それはもう歪なものだ。
とてもではないが真っ当にコツコツと時間と資金と努力を積み重ねてきた他所様と肩を並べるのには、まだまだ粗が目立ちすぎる。
ともすれば、頭がおかしいと言われること請け合いの内容だった。
かといって、今から他所様との連携を大前提に軍備を見直すのも簡単ではない。
ようやくベルン男爵領の事情に沿った軍勢を整えようとしているのに、見直しによって方針を大転換してしまったら、中途半端でどっちつかずの軍隊になってしまう。
ドランやクリスティーナを筆頭に、ベルン男爵領は極端な方向に走るしかないというか、極端な方向に走る事が大前提な、困った思想と統治体制が揃っている。
普通なら即破滅まっしぐらの領地で、決して他人が真似をしてはいけない最たるものだ。
その自覚があるが故の、クリスティーナの発言だった。
「そうだね……魔王軍が奇襲を仕掛けてきて、問答無用で戦争が起きるのなら、私達が独自に軍を動かして戦端を開く名目が立つ。しかし、時間があれば、私達にも他領の領主達にも連携するだけの余裕が出来る」
「普通なら、そうなれば自分達だけで戦わずに済むと安堵するのだろうけれど、私達の場合はね……」
クリスティーナが呑み込んだ言葉の続きを、ドランはあえて口にした。
「モレス山脈の竜達との同盟、私が好き勝手に作っているゴーレムやら魔法兵器やらがあるからね。戦争中はいいとして、その後に弁明するのは手間だと思ってしまうのが、私達だからな」
「うむ、我ながら怠惰と言えば怠惰なものさ。相手に理解を求めるのを怠るのは、よくない。よくないのだけれど……ね」
「アークレスト王国も長年の平和で軍隊同士の戦いを経験している方はいないし、実際に戦争になったらどうなるか分かったものではないからな。もっと早くに他領との交流を深められていたら、今よりもずっと前向きに考えられたのだが、さすがに時間がなかった」
「そこは言っても仕方ないぞ。私がベルン男爵になってから、まだ半年も経っていない。うちの動きが速すぎるわ、情報が多すぎるわで、他所の領主の方々も、私達にどう接するか様子見だし」
まったく、魔王軍は厄介な時期に動いてくれた、とクリスティーナは何度目かになる愚痴を零す。
「そのツケというか、結果が今なのだと分かってはいるけれど、ついつい愚痴が出てしまうね。今動けばどうにか出来る事から始めよう」
「全くその通りだ。まずは、ガロア魔法学院の代表に選出された後輩達への労いからだな。去年、私達が活躍しすぎたから、相当な重圧を感じているだろう。ああ、それにしてもせっかく君と二人きりだというのに、その状況に甘えられない現実というのは、思いの外辛いものだ。レニーア達の応援だけを目的に来ていたなら、君と新婚旅行の予行だと大きな事を言えたかもしれないのに」
クリスティーナはそう言って苦笑した。
今回、ガロア魔法学院には、クリスティーナとドランの二人の他に主だった女性陣は来ていない。ベルン男爵領の留守を任せている。
この二人きりという状況に、クリスティーナが甘い期待を幾許か抱えていたとして、誰が責められるだろう。
突然クリスティーナがこんな可愛い事を言うものだから、ドランは外見相応にあどけなく目をパチクリとさせた。
ドランの愛する女性陣は、彼の不意を衝くのがとても上手い。
「そうか、そういう風にも考えられるな。ふふ、私はどうにも女性への気配りというか、乙女心? というものへの配慮が足りないままだ。勉強はしているつもりなのだけれどな」
「いや、そこまで複雑に考えてくれなくていいよ。どちらかと言うと、私のないものねだりか、我儘というのが正しいよ」
少しだけ恥じるような顔になるクリスティーナに、ドランはいつもの口癖を一つ。
「ふむん。では察しの悪い男なりに、出来る事をしよう」
ドランから見て右の席に腰かけているクリスティーナへと手を伸ばし、そっと手を握った。
ドランとしては、これでも頑張った方だろう。
何せ――
「ふふ、君に手を握ってもらえるだけで、こんなに嬉しいとはね……私も単純な女だ」
――クリスティーナが実に幸せそうな笑顔を見せているのだから。
†
競魔祭の代表選手の選出が終わった後、ドランとクリスティーナは魔法学院の恩師であるオリヴィエと、学院長室で対面していた。
これまでドラン達が学院長室を訪れるとなると、問題の事後報告か事前の連絡がほとんどだったと考えれば、お互いの近況を語り合うだけの場というのは、非常に貴重だった。
応接用の長椅子に隣り合って腰かけているドランとクリスティーナ、向かいに座るオリヴィエ以外は、給仕を務める使用人の類もいない。
おかげでお互いの素性を隠さずに済む点も、彼らにとっては貴重な機会だったろう。
「私達が卒業した後も、学院長はお変わりなく元気そうで、何よりですよ」
ドランがいたって平凡だが、心からの言葉を発すると、オリヴィエはどこか諦念を感じさせる笑みを浮かべた。
感情を表に出す事の少ないオリヴィエにしては珍しい。
もっとも、さすがの彼女もドラン達が相手となると、それなりの頻度で驚かされてきたわけだが。
「変わりなく、ですか。さすがに貴方が在籍していた頃ほどの、国家や世界規模の事変は頻発してほしくないところです。しかし、まだまだ油断は出来ません。去年は、夏を過ぎても数え切れないほどの出来事があったのですから。海魔との決戦に、エンテ・ユグドラシル様を狙った悪魔達、世界最強の魔法使いバストレル一党、王太子殿下と姫殿下を攫った邪竜教団アビスドーン……」
「ふむふむ、振り返ってみるに、人間として生きたそれまでの十五年はなんだったのかと思いたくなる一年でしたな。私は力を揮うような物騒な時間よりも、穏やかな時間の方がはるかに好きなので、戦いばかりというのは大変不本意ですよ」
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