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レニーアと愉快な仲間達

第九話 次は昆虫系だな!

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 儀式場までの道のりにはロメル家の用立てた刺客と魔獣、魔虫、さらには悪霊の類までが嫌になるほど用意されており、さしものゼベも少数の護衛達だけでは突破は無理かと眉間に皺を寄せた程である。
 それがどうだ。周囲への被害を考慮しなくていい、屋外という本領を発揮出来る環境だったとは言え、刺客のほとんどをハディーヤの援護を受けたアースィマが片付けてしまったではないか。
 シャンディア最強の戦士である事は知っていたが、実際にアースィマが全力で戦う姿を見た者はほとんどいなかった。そして実際の彼女は想像を越えた強さであった。

「やれやれ、これでひと段落じゃろうよ。さて、儀式場へ向かうとしようか。もうこれ以上、邪魔も入るまい」

 さしものアースィマも肩を上下させて息を荒げているが、砂ぼこりに塗れた鎧や髪、頬には返り血こそあっても自分自身の血は一滴も付着していない。アースィマは視線を巡らせてまずハディーヤの無事を確認し、次いでゼベ、さらに周囲の護衛達の無事を認める。

「いよいよだね。すぐにウォクア様にお会いできればいいけれど」

 不安に揺れる瞳で儀式場の方を見るハディーヤに対して、アースィマは慰めの言葉を送らなかった。あとほんの数時間で嫌が応にも分かる事だ。
 ただ、短く──

「行こう」

 そう告げてラクダを走らせた。精霊魔法で厳重に隠蔽された儀式場への入り口には、これも砂や岩場に紛れるよう迷彩布や迷彩服に身を包んだ兵士達に守られているが、ゼベが先頭に進み出て来訪を告げれば、歓迎の言葉と共に隠蔽された扉が開かれた。
 どうやらこちらの兵士達はロメル家の手の者ではない、正規の門番達だったようだ。ロメル家以外の有力氏族が精鋭を連れてきている以上、流石に儀式場内部にまで手を回せていないと考えていいだろう。

 一行はラクダを預けて入り口で砂を落とし、儀式場の中へと足を踏み入れた。
 儀式場は長年の改築によって迷宮と化しており、あちこちに不遜な侵入者を葬る為の罠が仕掛けられ、迷わせる為の仕掛けが無数に施される。
 ウォクアの気配を頼りに地底湖に到達されるのを防ぐ為、内部にはシジャが鍛錬を重ねた場所と同じく精霊の力を感知しにくくなる仕掛けが施されており、シャンドラという国の根幹を支える秘事を隠匿し守る為のあらゆる知恵が凝らされていた。

「またこうして来る羽目になるとはのう」

「私も。前回と今回とで来た理由は違うけれどまたあの門をくぐるとは思わなかったな……」

「良くも悪くもレニーア殿のお陰じゃの。背中を押されたというよりは蹴り飛ばされたような気もするが」

「ふふ、そうだね。私は背中を押されたというか、投げ飛ばされたって印象かな。でも色々と気を遣ってくれたと思うの」

「そうさな、あくまで決定権はわしらの意思に委ねておられた。どういう結果になろうともあの方に責任を求めてはならん」

「うん。私は世間知らずではあるけど、そこまで恥知らずではないつもりだから。ただ、やっぱりレニーアさん一人を残してきて、大丈夫かなって心配にはなるけど……」

「ふむ、シジャの奴めが出張っておるとは思うが、この数日でどう鍛えてもレニーア殿には敵うまい。
 底が見えない、天井知らず、次元が違う……これらの言葉をいくら重ねても、レニーア殿を真に評価する事は出来んよ。近くに居れば居るほど、真の実力が分からなくなる御仁というのも珍しい。大丈夫なのには変わりないがの」

 アースィマの偽らざる本音を聞いて、ハディーヤは改めて安堵の息を零して緊張に強張っていた表情からその色が抜ける。
 内部は地底湖に至る天然の洞窟に手を加えたもので、足元は平らに均され、左右の壁には等間隔でランタンが吊るされて儀式場の闇を追い払っている。

 岩壁を利用した門を入ってすぐの場所は大ホールとなっており、既に他の有力氏族の者達が集まっていた。豪奢の衣装や簡素だが上質の絹地の服、貴金属を惜しげもなく使った装飾品の輝きを纏う老若男女とその護衛達である。
 総勢三十名余りか。有力氏族の代表者達だろうが、護衛を含めて戦いの心得のある者ばかりで、これは再びハディーヤの逃走を許さない為の人選だろう。
 無事に姿を見せたアースィマとハディーヤにホールで待っていた人々の視線と意識が殺到し、連絡通りに贈り子と大戦士を確保したゼベに向けては羨望や嫉妬、値踏みといったところだ。

「皆様、お待たせいたしました。道中、無粋な真似を企んだ方々の汚れた指が触れようとして来たので、それを排除するのに余計な時間を取られてしまいましたの。その代わり、この通り大戦士アースィマと贈り子ハディーヤの両名を無事に連れてまいりましてよ?」

 恭しく告げるゼベに向けて周囲の氏族の中でも特に位の高い老婆が進み出て、ゼベの背後に控えているアースィマ達を見る。
 顔や服に隠されている肌には深い皺が刻まれているが、背筋は鉄の芯が通っているかのようにまっすぐに伸び、黄色い瞳には衰えを知らない活力の光が宿っている。

「よく連れて来たね、ゼベ。有能な跡取りがいて、マッファ氏族の未来は明るいと誰もが認めるだろうよ」

「お褒めの言葉を賜り光栄ですわ。ギヌン・ソハ氏族長」

「それにしてもよくも抵抗しなかったもんだ、大戦士アースィマ」

 どこか楽しそうなソハの視線を受けて、アースィマは感情を表に出さないよう努めながら答える。シャンドラを長く支え、支配してきた老練の氏族長にはどこまで読まれているのか分かったものではない。

「自らの感情によって離反した咎は自覚しておりますので。お望みとあらばこの場でソレイガはお返しいたしましょう。これは大戦士のお役目と共に授けられしもの。そのお役目を放棄したわしが持つべきではありますまい。まだ大戦士の称号も同じこと」

「そんなに潔く言えるのなら、大戦士の役目を捨てないで欲しかったもんだよ。お前さんが大戦士向きの性格ではないと見抜けなかったのはあたしらの失態だが、お前さんの精霊戦士としての素養がこの国でも一、二を争うのは間違いないんだからよ」

 ソハの言葉には答えず、アースィマは目礼して返すだけにとどめた。ソハを含むこの場に集まった氏族長級の護衛達はいずれも油断も隙も見せず、アースィマの一挙手一投足に注意を注いでいる。
 ソレイガもさることながらアースィマの戦闘能力ならば、この場に居る護衛達が命を賭して挑む必要があると共通して認識しているのだ。アースィマは余計な緊張と警戒を解く為に、腰に差していたソレイガを鞘ごと抜くとマッファ氏族の護衛の一人に手渡した。

「この通り、このアースィマめは無手にて参りましょう。その方が皆様もご安心召されよう。お望みとあらば縄を打ってくださっても構いませんぞ」

 両手を突き出すアースィマを見つめ、ソハは一歩動き出そうとしていた周囲の護衛達に手を振った。その必要はない、という意味の手振りだ。

「なに国の至宝を返してもらっただけでも十分さ。お前が素手でも手強いのは百も承知だが、ソレイガ抜きでここに居る全員を叩きのめすのは無理ってもんだ。
 さて、ここで話していても仕方ねえ。さっさとウォクア様のところにいこうや。贈り子ハディーヤ、それで構わないんだよな?」

「はい。再びウォクア様へお会いする為に戻って参りました。逃げも隠れも致しません」

「そうかい。ま、ここまで来たら逃げも隠れも出来ないんだが、それならいいさ。勝手をしたロメル家については、今回の事が終わったら責めを負わせるとして、今はウォクア様にもう一度、お前さんを贈るのが先の話さ」

 ソハの話はそこで終わり、護衛の戦士達を先頭して地底湖を目指してホールを出発する事となった。迷宮化した儀式場だが前回の贈り子を捧げる儀式と同様、正規の手順を踏んで進むため、罠や迷路に時間を取られることはない。
 変化が乏しく同じような光景の中を黙々と長時間進んでゆくと、時間の感覚が麻痺してどれだけの間、道を進んでいたのかもおぼろになってくる。

 ただアースィマは大戦士として儀式場の内部構造を把握しており、ハディーヤも前回に通った道を正確に記憶していた。
 一度目は教えられたとおりに国を支える大精霊ウォクアに魂を捧げ、これから十年、百年とシャンドラを潤す水になる事への喜びと姪を考えて、死への恐怖を押し殺していたが、今はどうして自分が生きて帰れたのか、その謎を解明したいという欲求、そしてひょっとしたらもう贈り子が必要なくなるかもしれないという期待が、今のハディーヤの心を満たしている。
 アースィマはかつて恐怖と不安を押し殺していたハディーヤが、今は確かな意思を抱いて死とは異なる結果を求め、歩んでいる事をその横顔から読み取って、ひそかに微笑を浮かべていた。

 いくつかの鍵と魔術的な封印を解除し、一行は途中、休憩を挟みつつ儀式場の最奥に広がる地底湖へと到達した。数百年以上にわたって滾々と湧き出る霊水によって、儀式場は大気そのものが常に清浄に保たれて高位の悪霊の類でも侵入する事さえ難しい。
 地底湖は耳が痛くなるほどの静寂に満たされ、水辺に沿って配置されたかがり火によって湖面が照らし出されている。
 そして通路からまっすぐ正面を見た空中に不可思議なモノが浮いていた。

 膨らみ、縮み、さらに上下左右にふわふわと移動する清らかな水の球体だ。それがいくつもの湖面の上に浮かんだまま、湖面の水量が常に一定の量を保つように新たに水を生み出し続けているのだと、事情を知らぬ者には想像も出来まい。
 前回の儀式の時は見届け役であるアースィマの他にウォクアの召喚を補助する精霊術士達と楽士らが同行していたが、今回は一行の面子が随分と様変わりしている。

(人間側の都合なんてウォクア様は気になさらないと思うんだけどな……)

 ウォクアの端末と言うべき水球は最後に見た時と変わらぬ様子だ。
 ハディーヤが生きて帰った後で起きた騒動など欠片も知らないように見えるのは、ハディーヤの受け取り方がひねくれていると言うべきだろうか。
 ハディーヤはこの状況に至り、アースィマが気遣わしげに視線を向けているのに気付いて心配しないでと口にする代わりに微笑み返した。
 最初に贈られた時も似たようなやり取りがあったが、死を覚悟したあの時と未来を自由に生きる為に来た今日とでは、ハディーヤの心持ちがまるで違う。

 この儀式の間に直接来た者はそう多くはないようで、シャンドラの心臓たるウォクアを前にして、氏族の代表者達や護衛の中に緊張と畏敬に心身を強張らせている者が見受けられる。
 その中で緊張していない少数派の一人、ソハはハディーヤを頭のてっぺんから下まで眺め回してから口を開いた。

「取り急ぎここまで来たけれど、どうやら逃げ出すなり悪足掻きをするつもりは本当に無いようだ。これなら一度、体を清めて装束も改めた方がいいかね」

 本来ならばこの儀式場に到着する前に装束に着替えるのだが、万が一の事態の為に地底湖に繋がる通路の脇には着替えや休憩を行う為の部屋が用意されている。
 ソハはそちらの利用を提案したのだが、ハディーヤはそれに耳を傾けずにいつの間にか湖面に足を向けていた。

「必要ありません。ウォクア様にとっては些事ですから」

 ハディーヤは砂除けのローブを脱ぎ、地底湖に近づくにつれて研ぎ澄ませていた感覚のまま、湖面の上で揺れる水球に近づいて行く。ハディーヤの足は水に濡れず、湖面に沈むことなく歩を重ねて行く。
 水の精霊に呼びかければこの場に居る誰もが出来る程度の芸当だったが、ハディーヤの突然の行動に意表を突かれた彼らはウォクアがハディーヤにだけ呼びかけているのではと思い至り、制止の声を掛けるのは憚られた。
 これは地位も名誉も捨ててハディーヤを逃がしたアースィマが腕を組み、じっとハディーヤの様子を見守っていたからでもある。

(不思議だな。今度こそ死ぬかもしれないって怖くて仕方が無くなるのかなって思っていたけれど、うん、大丈夫、悪いようにはならないっていう不思議な確信がある。根拠はないけど……)

 ハディーヤは気付けば前回、水球の前で跪いた場所にまで辿り着いていた。水球に変化はなく、アースィマやゼベ、ソハ達は固唾を飲んで見守っている。
 今度こそハディーヤの命が贈られるのか、再び生きて返されるのか。シャンドラの歴史がこれまで通りに続くのか、変革を余儀なくされるのか。その歴史的な場面に彼らは立ち会っているのだった。
 ハディーヤは前と同じように湖面の上で膝を突き、手を握り合わせて目の前の水球に視線を固定し、精霊界に居るウォクアへと呼びかけを始める。

「砂と風の大地と民に恵み齎す大精霊ウォクア。我、贈り子ハディーヤの願いを聞き届けたまえ……」

 朗々と詩を吟ずるようにハディーヤの口から次々と言葉が紡がれてゆく。黙ってハディーヤの祝詞に耳を傾けていたソハは水球から漏れ出るウォクアの気配の高まりを感じ、目を細めた。

「惜しいな。あの娘単独でウォクア様へ見事に呼びかけている。このまま長ずれば大層な精霊使いになっただろうに」

 今度の儀式で失われるハディーヤの才能を感じ取り、その生命ではなく才能を惜しむソハに向けて、ゼベは少しばかり冷たい声音で返した。この若き才女は少しばかりハディーヤに肩入れしているらしい。

「ソハ様、それは終わってみるまで分からない事ではなくて? それにわたくしの考えの通りならば……」

 すっと目を細めるゼベの視線の先で水球がひと際大きく膨らむと、一斉に弾け飛び、無数の水しぶきが渦を巻いて融け合い、ほどなくしてハディーヤを丸々飲み込めるくらいに大きな水の球体へと変わる。水の大精霊ウォクアの降臨である。

「ウォクア様、今、再び今代の贈り子であるハディーヤの魂をお贈りいたします。古の名訳に基づき清澄なる水の恵みをシャンドラの民にお与えください」

 深々と首を垂れるハディーヤを前にウォクアは水球の表面にいくつかの波紋を立てた。意思を伝える時に生じる反応だ。

『なぜか?』

 落ち着き払った、ハディーヤの母親ごろの年齢の女性を思わせる声だった。感情をまるで感じさせない平坦な響きだが、同時に小川のせせらぎのように心地が良い。
 だが心地が良くてもウォクアの発した疑念の一言はハディーヤとアースィマ、ゼベ以外にとっては想定外のものだった。彼らにとってはこれまでの儀式同様にウォクアが今度こそハディーヤの魂を取り込んで更なる水を生み出すと想像していたから。

「……これまでの贈り子はウォクア様に魂をお贈りしたのち、皆が死を迎えました。しかしながら私、ハディーヤは生きて帰った為、ウォクア様へお贈りするべき魂が足りていないのではないのでは? と」

 ハディーヤの問いを受けて、ウォクアはくるくると回転し始めた。悩んでいる表現だろうか? その回転が止んだ後、再び表面に波紋が生じてウォクアの声が地底湖の静寂を破る。

『違う。私とシャンドラの者達の契約の通り。民達が潤う水を生むのに必要な魔力は、ハディーヤより十分に得た。ハディーヤの生命の全てを、水を生み出す力に変換する必要はなかった』

 精霊にも色々と居るがウォクアは人間的な情緒とは異なる感性と思考形態を有しているようで、訥々と事実を箇条書きのように語る彼? 彼女? の声音にどんな感情がこもっているのかまるで聞き取れない。
 ただ一度は魂を贈った経験から、こちらから話しかけなければ知りたい情報は得られないと判断し、色々と思うところはあるのだが言葉を重ねる。

「ウォクア様は贈り子の魂を使って、水を作っておられるのですね? それは私共、シャンドラの者達にも伝わっております。ではなぜ私のみが生きて帰されたのでしょうか? どうしてこれまでの贈り子達と私は違うのですか?」

 ハディーヤは事前にレニーアから精霊使いとしての才能はあるが、魂が特別強靭だとか清らかだとかではない、と悲しいくらいキッパリと断言されている。
 少なくともこれまでの贈り子達と比べて優れた魂を持っているわけではない。悲しいがそれをハディーヤも認めている。

『君とこれまでの贈り子達に大きな違いは存在しない。契約の始まりより時が経つにつれてシャンドラの大地は水を得て、渇きを克服し、潤っている。必然、私が生み出すべき水は少なくなるのが道理』

「ウォクア様のお力によって得られる水、その必要量そのものが昔よりも少なくなっているのですね?」

『そのとおり』

「生み出す水の量が少なくなった。だから贈り子の魂を使う量も減っているのですか? だから私の魂を全て使う必要はなく、生きて帰された?」

『その質問に関してもその通りだ。新たな贈り子が贈られてきても、これからは皆、生きて帰る。最初に生きて帰る事になったのがハディーヤ。
 もう一度、贈られたとしても既にシャンドラに必要な水は生成している。シャンドラの大地と民を潤す水を生み出すのが始まりの契約。
 既に水の生成が済んでいる以上、贈り子の魂を受け取る必要はなく、受け取ったとしても新たに水を生成する事は出来ない。それでは契約内容に違反してしまう』

 ウォクアの語る事実にハディーヤはそろそろと息を吐き、瞼を閉じて深く息を吸った。自分が特別なのではなく、シャンドラそのものが変わったからだと、レニーアからも暗に何度も指摘されていた事だ。
 それを改めてウォクア自身から聞かされて、ハディーヤは本当に自分が、そして自分だけでなく贈り子の儀式そのものが誰かの命を対価としない段階に達したのだと悟る。その事実が、ハディーヤには不思議なくらいに嬉しかった。

 しかしそれで収まらないのはソハを含め、これまで通りの贈り子の儀式に固執する人々だ。ウォクアの語る言葉はシャンドラにとっては朗報である筈なのに、戸惑いざわめく者が多い。
 ゼベばかりはレニーアの言葉を耳にしてから、彼女なりに考察してこの事実に思い至っていたので、周囲の人々に比べれば衝撃は少ない。ストンと腑に落ちたと言ってもいい。

「お前さんは大して驚いてねえな。こうなると分かっていたのか、マッファ・ゼベ」

 ギロリとまではいかないが、ジロリと表現できる目力で自分を見るソハにゼベは胡散臭い仕草で肩をすくめる。

「それはこれまで通りに儀式を行ったのに異なる結果が出たのなら、色々と調べ直すべきでしょう? ですから歴代の贈り子達から儀式ごとの水量の変化、最初の儀式が執り行われる前後のシャンドラの状況まで。
 そうしたら? まあ? 代々の氏族のお歴々もシャンドラの水事情を改善しようと努力なさってこられたのですから、民の数が増えてもそれ以上に水の供給を行える体制が少しずつ整ってきておりまして……」

「それで合点がいったと?」

「この場に来るまでは限りなく正解に近い推測止まりでしたけれど? でもウォクア様がお答えくださいましてね。いずれは贈り子を用意する必要のない未来も来るのでしょうね」

「……贈り子を何人も見送ってきた俺からすれば、途方もない話だぜ」

「かもしれませんね。でも水事情に限っての話ですし、他国からの侵略や天災はまた話が別ですし? 国の舵取りがすぐに楽になるというものでもありませんでしょ?」

「それはそうだが、そっちは元々ウォクア様のお力を借りずにやってきたんだから、まあ、なんとかなるが……。さてそうなるとハディーヤをどうしようかねえ?」

 なにしろ肝心要のウォクアが贈り子を受け取らないという事態なのである。こうなると今代の贈り子であるハディーヤの価値は暴落だ。
 ハディーヤが特別だから生き残れたのではなく、シャンドラの国土がまだ不足はあっても豊かになったから生きて帰ってこられたとなると、他の贈り子でも同じ結果になる。
 むろん、ハディーヤの精霊使いとしての素養は素晴らしいものがあるとしても、前提条件が大きく崩れたのが現実であった。

「どうするか処遇に悩むくらいならば、私が貰ってゆくぞ」

 戸惑う空気が静寂の中に広がる地底湖に新たな声音が響いたのは、そんな時であった。
 意識が逸れていたとはいえ周囲の護衛達の感知を掻い潜り、突如として出現した気配と声の主は、当然ながらレニーアである。
 通路へと繋がる扉を背に腕を組み、不敵そのものの笑みを浮かべて、降臨したウォクアとその前のハディーヤに視線を向けている。

「何者だ!」

「ソハ様、お下がりを」

 護衛達が素早く武器を手に取り、氏族の代表者達を庇う姿を見せる中、レニーアは彼らにいっぺんの興味も示さず、悠々と歩きだす。それまで困惑の広がっていた地底湖の雰囲気がレニーアの登場によって、にわかにざわめき出し殺伐としたものへと変わってゆく。
 ソハは三人の護衛に囲まれながら、レニーアを見てからゼベに視線を動かした。レニーアの登場に対して、ゼベの反応が周囲とは違うものと気付いていたからだ。

「ゼベ、お前さんの知り合いか? 例のアースィマとハディーヤの窮地を救った異国の少女って線が妥当だと思うが?」

「お言葉の通りでしてよ? 彼女がわたくしよりも早くアースィマ様達と接触し、一時的に庇護していた方、レニーア様です。わたくし達を儀式場へ向かわせる為に、刺客達の足止めを買ってくださったのですが、どうやら無事に切り抜けられたご様子」

「加えてここまでの道中にあった罠をものともせず、迷路もあっさりと突破してきたってかい。こりゃあ……」

 一筋縄どころじゃねえ劇物だぞ、とソハはこれまでの人生の中、国内外でやり合ってきた怪物共を思い出し、そのどれもがレニーアを前にすると霞む事実に思い至り、皺の深い顔に憂慮の色を浮かべた。
 ソハからの警戒心には気付いているが、レニーアはそれを無視して歩み続けて、アースィマの隣まで来てからようやく足を止める。

「私の思った通りの展開になったようだな」

「その通りで。これからシャンドラはこれまでの数百年とは違う道を歩まねばならないようじゃ」

「この国に残る連中は苦労しながらでもその道を進む以外にないだろう。自分達の国なんだからな。それで? お前とハディーヤはどうする?
 上からの命令に反して贈り子を逃がした大戦士という事実は変わらんが、こういう事情ならば赦免されて再びこの国の為に働くのか?
 贈り子の事情が変わった今となっては、ハディーヤよりもお前の方が価値は高いと思うぞ。精霊戦士としてお前は頭一つ二つ、抜けているからな」

「レニーア殿にそのようにお褒め頂くとは恐悦至極。そんなわしもレニーア殿が相手では百人いても勝てる気がせんよ」

「ふふん」

 レニーアは分かっているではないかと言わんばかりに笑って答え、次にウォクアの前で立ち上がり、こちらを振り返っているハディーヤを見る。
 ウォクアの表面がさざ波を起こしているのは、この場に居る誰よりもレニーアの本質に気付いているからだろう。腐っても大精霊である。

「ふむ、ハディーヤ、念の為に聞くが不調はあるか?」

「いいえ、ちっとも。ウォクア様は言われた通り私の魂を受け取ろうとはなさいませんでしたし、むしろ困っていらしたくらいですから」

「だろうな。契約の内容が無制限に贈り子の魂を捧げられるものだったなら話は別だろうが、きっちりと必要な量の水のみを求めるものならば受け取れまい。
 それにそこの大精霊は人型をしておらんし、感性も人間種とは異なるだろうが、それでも随分とお前達よりだ。お前達にとっては実にありがたい超越者だと思うぞ。
 ま、水を生み出す契約に特化しているようだから、戦闘には利用できんな。
 私にとってはこちらの方がよほど大ごとなんだが、それでお前とアースィマはこれからどうする? 私はもう砂と岩ばかりの光景は見飽きたのでな、緑の豊かな風光明媚のところに行くつもりだ」

 ゼベやソハ達を完全に無視して話を続けるレニーアに対して、周囲からは射殺すような視線が山ほど向けられているが、そんなことを気にするレニーアではない。ハディーヤはレニーアさんらしいと笑いながら答えた。

「そうですね、私もこれまでの人生で砂ばかりでしたし、違うところを見て回りたいかな。というかしばらくシャンドラとは距離を置きたいですね。ちょっと疲れちゃった」

「まあ、追いかけまわされた日々の気苦労はあるか。なら私についてくるか? 国外まで私と相乗りしてそこからは別行動でも構わんぞ。ほら、お前達の荷物だ」

 そういうレニーアは影の中から二人の着替えや路銀、保存食など旅に必要な品を詰め込んだ頑丈な旅人向けの鞄と念動で引っ張り出し、アースィマとハディーヤに向けて放り投げた。
 ハディーヤは慌てて、アースィマは簡単に受け止める。レニーアが勝手に荷造りしたというわけではなく、以前から二人が追手に見つかった時にすぐに逃げられるようにと纏めていたものだ。

「私はお世話になったことだし、知らない世界が色々と見られそうだからレニーアさんについて回るのもいいかなって思うけれど、アースィマは?」

「そうだのう。わしも生まれてこの方、シャンドラ生まれのシャンドラ育ちであるし、見聞を広げる為にもレニーア殿のお誘いをお受けしようか」

 ようやく初めて二人からはっきりと誘いを受ける旨の発言を聞けて、レニーアの顔がぱあっと明るくなる。これでようやくレニーアの考える最強軍団への第一歩を踏み出せるのだから。
 そこに一石を投じたのはこれまで利用し、利用されてきた……レニーアに苦労を押し付けられてきたというべきか、ゼベだった。ただし本人も嫌そうな顔で、これから口にする言葉を言うのは本意ではないらしい。

「そこまでにしていただけますかしら、レニーア・ルフル・ブラスターブラスト男爵令嬢」

「ほぉん、この短期間でそこまで調べ上げたか。家名までは名乗っていなかったのだがな」

「大陸東方の大国アークレスト王国の貴族がわざわざ一人で、護衛もつけず、従者も連れずにシャンドラに訪れるなんて信じがたい話ですわよね?
 交易以外には繋がりの無い国ではありますけれど、アークウィッチほどではないにせよ貴方はその実力の高さから有名でしてよ? 我が国の秘事に触れ、更には大戦士と“元”贈り子を勧誘するのは止めて頂こうかしら。これ以上は国と国の問題になりましてよ?」

 曲がりなりにも一国の貴族の令嬢がここまで他国の騒動に深く関わるとなると、事は国際問題にまで発展しうる。
 アースィマとハディーヤも思わぬ展開にギョッとした顔でレニーアを見つめるが、レニーアに慌てた様子はない。彼女はこういう事態を想定したのである。おもむろに左手を顔の前に上げて仮面を外すような動きを見せると……

「それならこの顔でどうだ? マッファ家の次期族長なら二人を連れて海外へ遊説に出るのなら問題はないだろう? いや、ないでしょう? と言い直すべきか?」

 そこにあったのはゼベと瓜二つの顔だった。体こそレニーアのままだが顔だけ変わったその姿は、なんともアンバランスだ。それだけに留まらずレニーアは顔の前で手を動かすと次々と顔を変えて行く。
 魔術による幻術の類ではなく、本当に細胞を変化させて骨格から変化させている。

「それともそちらの老婆ならよいか? それともそいつか? そっちか?」

 この場に居る者達の顔を次々と再現するレニーアを前に、ゼベは言葉を失い、想定外の事態に目を見開いて固まっている。それはハディーヤ達も同じであったが、レニーアにとっては目論見通りと心の中で意地の悪い笑みを浮かべる。

「くっくっく、わざわざ素顔と名前をそのままにして異国で暴れる阿呆がいるか。まあいい。二人がこうして言っているのだから、私が貰ってゆくぞ」

 そうして今度は魔王軍を襲撃した時のカラヴィス似の顔でレニーアは告げて、ちょいちょいっと指を動かしてハディーヤを念動によって呼び寄せる。
 見えない巨大な指で摘ままれたようにハディーヤの体が浮かび上がり、レニーアの脇に降ろされた時にはアースィマも同じようにレニーアの傍らに居た。まずい、と周囲の護衛達が動き出そうとした時にはすべてが遅かった。

「ではさようなら。真相に気付くのがあまりにも遅かった砂の国の人間達。もう二度と会うまいが、ごきげんよう」

 嫌になるほど優雅に淑女の礼をして、血液が沸騰しそうなほど厭味ったらしく皮肉を言って、レニーアはハディーヤとアースィマの二人を連れて空間を跳躍した。
 地底湖や儀式場に施されたあらゆる転移を妨害する結界と術式を無視して、三人の姿はシャンドラの北西にある国境線ギリギリの場所にあった。少し歩くと北西の国家との間で運行されている輸送便の駅がある。

「ふん、つまらん連中の顔はこれでもう見ずに済むな。よし、近くの駅までゆくぞ。人材発掘がてら観光も楽しまねば損だからな!」

 本来の素顔に戻したレニーアが嬉しそうにわはははは、と笑いながら告げるが、一瞬で光景の変化した状況にアースィマとハディーヤは目を白黒とさせていたが、見慣れた顔に戻っているレニーアに溜息を零しながらハディーヤが質問を投げかける。

「その前にレニーアさん。レニーアさんというのは本当の名前ですか? その顔も?」

「うん? ……ああ、お前達には事情を話していなかったな! ワハハハ、なに、子の顔とレニーアという名前が本物だとも。家を離れて遠出するのだから、素性が割れては面倒だからな、さっきの百面相を対策として用意しておいたのだ。
 ついでに行く先々で容姿の変わる奇妙な輩が優秀な人材を引き抜いて、行方を晦ませていると噂が広まれば、私の故郷の方への意識を逸らせるしな!」

 ケラケラと機嫌のよい子供のように笑うレニーアの姿に、悪意が欠片もないのを見て取り、ハディーヤは呆れたように肩を落として首を左右に振った。それからアースィマと顔を見合わせる。

「どう思う?」

「わしらを相手にこの状況で嘘を吐く方ではあるまい。それに着いて行くと言ってしまったしのぅ」

「そうだねえ。まあ、レニーアさんに着いていけば退屈はしないだろうし……。新しい世界を見られるのは間違いないと思う」

「暴力沙汰の多そうな新世界の予感がするが、どこでも生きて行くしかないか」

 ソレイガの代わりをまずはどうにかしなければ、と考えながらアースィマは元気に笑うレニーアの背中を困ったように見つめた。二人の人生を全賭けしたがレニーアの肩は華奢でか細いくらいだったが、不思議と頼もしく映った。

「さて、蜥蜴と駱駝と来たから、次は昆虫系だな!」

 二人の思いを知らずレニーアは次なる人材に思いを馳せて、本当に楽しそうに笑うのだった。

<シャンドラ編 完>















「あの、クソ餓鬼、がぁ。・・・・・・必ず、ぶち殺してやる!!」
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