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レニーアと愉快な仲間達

第三話 シャンドラの贈り子

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 唐突に姿を見せたレニーアは、逃亡者であるアースィマとハディーヤにとって、怪しさしかない異国の人間である。
 だが、たったいま見せつけられた常軌を逸した底知れない圧倒的な力。アースィマの知る戦士と巫女、精霊使い達を根こそぎかき集めても勝てないのでは、とそんな予感さえ覚えるほど。
 しかし、彼女達の追いやられた窮状の中で、レニーアから示された蜂蜜のように甘い提案は、彼女達が拒絶するには魅力的過ぎた。
 そうして先導するレニーアについていった二人だったが、デザルタの中でも人目の少ない一角や裏路地にある、訳ありの者達用の宿にでも案内されるという予想は、見事に裏切られる。

 追手達に見つかる危険性を一切考慮せず、ズンズカ、ドンドコ進むレニーアの目的地は例の上流階級や富裕層でもそうそう利用できないような高級宿『冷たい三日月亭』である。
 やはり罠だったか? とアースィマがさっそく後悔を抱き始める一方で、ハディーヤは好奇心を隠さず、物珍しそうに宿の内装や異国の服装の多い宿泊客に向けてしきりに視線を送っている。

 周囲の宿泊客はアースィマ達を見ても特に態度を変える素振りは見られないが、この中にハディーヤ達を追う勢力の手の者が含まれているのは、レニーアも承知の上だ。
 その上でいくらでもかかってこいと手ぐすねを引いて待っているのだから、アースィマとハディーヤにとっては気の毒な事である。

「おい、後ろの二人を私の部屋に泊めるぞ。料金は同じく一か月分先払いで頼む」

 レニーアは受付に居る清潔感のある若い青年に向けて横柄に告げると、袖から取り出した財布から黄金の貨幣を数枚取り出して、カウンターのトレイに乗せる。この国では、金貨一枚で一人の平民一カ月分の生活費に相当する。
 受付の青年は逃亡劇の間に薄汚れた二人を一瞥してから、レニーアに笑顔を向けて頷き返す。

「承知いたしました。後程、ご支度の為に係の者を手配いたします」

「よろしく頼む」

 『よろしく頼む』! レニーアの口から発せられたとは信じがたい一言である。彼女がガロア魔法学院での生活とドランとの出会いを通していかに丸くなり、寛容さを覚えたか分かるというもの。
 それからレニーアは更にシャンドラの金貨を追加して、新たに一つ、頼みをした。

「後ろの二人は慌ただしい日々を送って、ろくに休めず疲れている。なので、これから、そうさな、三時間はゆっくりと休ませる。汚れを落として、喉を潤して、お腹を満たし、英気を養う必要がある。
 この後、客人が来たとしても三時間後に改めて来るように伝えろ。三時間未満の来訪は断固として拒否する。
 無理に押し通ろうとしてどうなっても知らんし、私は関知せん。ああ、宿の者に危害は加えんし、施設を傷つけるような真似もしないから、その点は安心しろ」

 断言するレニーアを受付の青年は笑わなかった。所作に品があり、身綺麗で裕福なこの客がどこか異国の上流階級の人間だと推察するのは容易い。
 青年が笑わなかったのは、それ以上に目の前のレニーアの全身から溢れる自信と明らかに騒動が起きるのを楽しみにしている態度が理由だった。

「私どもでお止めしなくてもよろしいのですか?」

「お前達にも付き合いがあるだろう。それにここに来るまでの間にあの二人の居場所は知られている。お前達が誰にどう告げても別に構わん。その代わり、先程の三時間の件を相手に伝えるくらいはして欲しいものだがな」

「では改めてご確認させていただきますが、私共はお客様との面会を希望される方に三時間後の来訪をお伝えすればよろしいのですね? お止めする必要はないとそう解釈してもよろしいでしょうか?」

「ああ。そこらへんが妥協のしどころだろう」

「承りました。支配人にもよく申し伝えておきます」

「ならばよろしい。では今から三時間だ。お前達はただそれを伝えるだけでいい。アースィマ、ハディーヤ、部屋へ行くぞ。好きなだけ水を飲んで、好きなだけ食べて、好きなだけ湯あみをして、ゆっくりと休め」

 恭しく頭を下げる青年と他の宿の従業員達を尻目に、レニーアは二人に声を掛けてすたすたと宿の中を進んでゆく。
 昇降機に乗ってレニーアの部屋に入るまでの間、アースィマは万が一の危険性を考慮して警戒を緩めなかったが、ハディーヤは目まぐるしい状況の変化に目を回しそうになっていた。
 特に誰に襲い掛かられるでもなく、止める者もなく、三人はレニーアの宿泊している部屋に到着した。

「ここが私の使っている部屋だ。後でお前達の食事を持った宿の者達が来るが、まずは旅の汚れを落とすところから始めるべきだろうな。そこの奥に浴室がある。太陽の熱で水が湯になるまで温められるのだから、便利なものだ」

 私の故郷では薪を使うか、火精石を使って火を熾すのだがな、とレニーアは告げると頭のヴェールを外して、籐で編まれた椅子に深く腰掛ける。音を立てず静かに粛々と。
 作法に通じた淑女の仕草だが、可憐な顔立ちと相反する威風堂々たる佇まいが奇妙な風情を醸しだしている。実は千年万年を生きる大女怪だとか、不老の大魔女だと言われても思わず信じてしまいそうな不思議な迫力だ。

「お風呂があるんですか!」

 ただハディーヤはレニーアの雰囲気よりも、言葉の中にあった別の単語が気になったらしかった。
 出来る範囲で清潔であるように心がけてきたとはいえ、アースィマと二人で極力人目を避けて逃亡劇を繰り広げてきた為に、十代前半のハディーヤの衣服や体はすっかり汚れてしまっている。
 レニーアをして小綺麗にしてやらんとな、と思うほどだ。

「私にとっては故郷のさるお方の手掛けられたお風呂こそ至高だが、この国らしい風情のあるお風呂だな。お前達が安心してお風呂に肩まで浸かっていられるように、こちらで見張っておいてやる。遠慮しないで入ってこい」

 “さるお方”を脳裏に思い描いてごく自然と口元の緩んだレニーアを見て、ハディーヤは驚いたように目を丸くする。それを見たレニーアは自分が原因だとは知らずに問いかけた。

「なにか驚くような事があったか?」

「いえ、その、貴方がそんな風に優しく笑う方だとは知らなかったので」

「ふむ?」

 ハディーヤの答えに、レニーアは左手で自分の口元に触れる。なるほど口角がつり上がっているし、顔の筋肉が緩んで締まりがない。これは確かに笑っている。

「私も感情がないわけではないのでな。お互いのことはおいおい知ってゆけばよい。その機会はあるのだから。さあ、さっさとお風呂に行け。せっかくのお湯が冷めても知らんぞ。
 だが、お風呂に入る前と後に水分と塩分を補給するのを忘れるな。浴室に用意されているから、好きに使え」

 今度こそ本当に二人が浴室に向かうのを見届けてから、レニーアはやれやれと言わんばかりに息を吐き、傍らの小さな机に置かれている水差しからよく冷えた水をガラスのコップに注いで一口。

「こういう土地ならば金銀よりも水こそが富と権力を握る要と相場が決まっているが、あの二人の問題もコレがらみか……」

 そう呟くとコップの中の水を見やる。
 水の精霊や権能を持つ神に願えば、無から水を得られるのがこの世界だ。それでも国や氏族、町や村の規模で常に水を確保するとなれば中途半端な方法では不可能に等しい。
 元々存在するオアシスや川といった水源を掌握する以外にも、なにか大規模な儀式や表には出せない非道な手段で水を得ている可能性は十分にある。

「それにハディーヤの持つ加護の強さに名前の意味……。ふふん、思ったとおりに大きな騒動になりそうでなによりだ」

 レニーアは浴室から聞こえてくる嬉しそうなハディーヤの弾む声に耳を傾けながら、不意に椅子から立ち上がって廊下へと出る。宿の従業員達が近づいてくる気配を感じ取ったからである。
 廊下に出たレニーアは、アースィマ達の為の着替えや軽食などを乗せたワゴンを押す従業員に向けて、上機嫌な表情を向ける。対する従業員の顔は強張っている。
 あの受付の青年とは別の従業員で、彫りが深く艶やかな褐色の肌にふっくらとした唇が印象的な女性だ。レニーア達が女性のみの三人だからと気を遣ったのだろう。

「ご苦労。部屋の中へ運び込んでくれ。二人は湯あみの最中だが、気にせずに作業を進めて構わない」

「は、はい。畏まりました、お客様……」

 石のように固い従業員の表情と声の従業員の様子に気付いて、レニーアはその原因に思い当って小さな笑い声と共に肩を揺する。彼女の足元にはまるで雑巾のように絞られた男や女達が痙攣しながら転がっている。
 骨も内臓もまとめて捻じれているように見えるが、血一滴流しておらず、意識こそないがきちんと生きている。

「ああ、こいつらか。私は部屋の中に居たから詳細は知らないのだがな? 何やら三時間待てという受付の忠告を無視した連中が押しかけて来たようなのだが、突然、呻き声を上げたと思いきや、それきり足音が絶えたので不思議に思って出てきたが……」

 なんとも疑わしいレニーアの発言に従業員の強張りは増すばかり。実際にはレニーアがどこかの勢力から送り込まれた追手を、思念魔法を使ってこの通り雑巾のように絞り、そのくせ、死なないように絶妙な手加減を加えている。
 直接彼らの体を絞ったのではなく、空間ごとまとめて絞ったので、見た目とは違い彼らの肉体に損傷はない。ただ絞られた空間に巻き込まれた事で三半規管をはじめ、体中の感覚が狂って尋常ではない苦痛に襲われている。

「こちらの忠告を無視するような礼儀知らずには天罰が下っても当然だ。命は助かっているのだから、不幸中の幸いだろう。これらに罰を下した者は随分と寛大であるようだ。それに、そら、そろそろ戻るぞ。勘だがな」

 レニーアが顎をしゃくるや否や、見る見るうちに絞られていた追手達の体が元通りになって行き、顔を汗と涙と涎でぐしゃぐしゃにした彼らは、大きな音を立てながら息をする。
 正常に戻った体の感覚に慣れようと脳が必死に働いているのだろう。レニーアはそんな彼らに氷よりもなお冷たい眼差しを向けて、せせら笑うように声を掛ける。

「五体満足でよかったな、貴様ら。たったの三時間も待てないような短気な性格の雇い主を持って、不幸な事だ。そら、また絞られたくなかったら、失敗の報告をする為に戻ったらどうだ?
 これ以上、お前達がここに居ても宿の者達に迷惑をかけるだけで、何も得るものはないぞ。それどころか、今度は絞られるだけでは済まんかもなぁ? 誰がやったかは知らないのだがな?」

 白々しくあくまで手を下したのは自分ではない、とそう口にするレニーアに対し、廊下の上で這いつくばっていた追手の男女二人組は、恐怖で染まった瞳を向ける。
 つい先程までなにがなんだか分からない内に味わわされた苦痛への恐怖、そしてまるで理解の及ばない未知の理不尽に対する恐怖。二人は引き攣る喉から言葉の体を成さない悲鳴を上げながら、もつれるようにしてその場から逃げ出す。

 その姿をレニーアは満足そうに見送り、愉快で堪らないとばかりに口の端をうっすらと吊り上げる。
 その姿を目撃してしまった宿の従業員は理解した。あの二人はとびっきりの悪夢を見た。そして悪夢を見せた主はこの見た目だけは可憐な異国の少女なのだと。

 レニーアの忠告を無視した二人が悪夢を見て、その苦しむ姿を見た従業員が震える体を押さえて仕事を終えた頃、浴室からアースィマとハディーヤの二人が出てきた。
 風呂上りという事もあり、幾分か軽装だが、アースィマは鞘に納めたソレイガを右手に握っており、いつでも抜刀できる状態を維持している。

「ふん、ようやく汚れが落ちたか。疲れた体にはお風呂もそれなりに負担だが、精神的にはひと段落できて楽になったろう。後は栄養補給をしっかりしろ。毒味は必要か?」

 天板にガラスを貼り、瀟洒な刺繍の施されたテーブルクロスが敷かれた円卓の上には、従業員が運び込んできた軽食や甘いお菓子の入った皿や籠、良く冷えた水や果汁水のガラス瓶が並べられている。
 それを目にしてぱあっと表情を輝かせるハディーヤに対し、アースィマは護衛役らしく油断のない眼差しを向けている。その警戒に対して、レニーアは毒味を提案したが、アースィマは苦く笑うと首を左右に振る。

「いや、ここまでしていただいているというのに、わしが疑い過ぎておる。非礼をお許しいただきたい」

「それくらいハディーヤが大事なのだろう? 守りたい誰かの為に過敏になる心情は理解できる。私は不快さなど欠片も感じてはいない。お前もハディーヤを守りながらの道行きで満足に食事をとっていないのが、見るだけで分かる。
 早く腹に入れておけ。それから一時間は仮眠をとれるだろう。それでなるべく英気を養え。その後はまた騒がしくなるからな」

「ふう、わしらから手を引かれるのなら、今ですぞ。まだ間に合う」

「どうかな。既に私がお前達に手助けしていることくらい、お前達の追手共は把握しているだろう。それに手を引くつもりはない。それなら最初から手を差し出したりはせん。私はそういう性分だ」

「分かり申した。しからばわしらの運命に巻き込ませていただくとしよう。よし、ハディーヤ、綺麗さっぱりしたことじゃ。次は久方ぶりの温かな食事を満喫するとしよう」

「うん! レニーアさん、ありがとうございます。いただきますね」

「遠慮せずに食べろ。私は果物を少しでいい」

 レニーアが濃い紫色の葡萄に手を伸ばすのを皮切りにして、アースィマとハディーヤも銀皿の上の料理や籠に盛られた果物、または水やフルーツジュースへと手を伸ばして行く。
 遠慮する素振りを見せていたハディーヤも、一口、まずはフルーツジュースを口に入れてからは、体が次々と栄養を欲するようで止める間もなく次々と手を伸ばして行く。
 穀物の粉を薄く焼いた生地に細切りにした羊肉や瑞々しいトマト、炒り卵、みじん切りにして炒めた玉ねぎなど様々な具材を巻いたもの、たっぷりのシロップに漬けた揚げドーナツなど手軽に食べられるが栄養たっぷりの品ぞろえだ。

(この宿の気配りは行き届いているな。実際、毒の一つも仕込まれておらんし、帰りに寄ったらまたここを使うか)

 葡萄をひと房平らげたレニーアの目の前では、忙しく口と手を動かすハディーヤをアースィマが優しく見守っている。
 年の離れた姉のように、あるいは母のように。実際に姉妹や母娘のような血縁関係があるわけではないだろうが、それに等しい関係を築くだけの時間と経験を経てきたのだろう。

 一つ一つの量は大したことはないが、多くの種類が用意されていた食事を食べて、お腹いっぱいになったハディーヤはすぐに眠気に襲われてウトウトと舟をこぎ出した。
 レニーアに遠慮をしても仕方がないと、アースィマは断りを入れてからハディーヤを連れて寝室へ。彼女自身は、いつでも飛び起きられるように半覚醒状態の浅い眠りを取る。護衛の任に着くものとしては嗜み程度の技術だ。

 そうして概ねレニーアの予想通りに、アースィマとハディーヤが一時間ほどの仮眠をとり、レニーアが受付の青年に伝言してから三時間が経過してから数分後、あの受付の青年が来客を告げにやってきた。
 既に起床していつでも飛び出せるように荷物を整理し終えたハディーヤと、再武装を終えたアースィマも緊張を孕んだ視線を扉へと向ける。その二人とは真逆にまったく緊張していないレニーアが受付の青年に応じる。

「レニーア様、お連れになられたお二人を交えてお話をしたいという方がいらっしゃっております。いかがなさいますか?」

「既にそこに居るのだろう? 入ってもらって構わん。話だけは聞くと明言したからには、きちんと自分の言葉を守らなければな。アースィマとハディーヤも構わんな?」

「は、はい。レニーアさんにお世話になったというのもありますが、私達の事情を他者も交えて知っていただいた方が、より正しい判断が出来ると思います」

「ふふん、ただ遠慮しているだけの子供ではないか。存外、したたかなところもある。ますます気に入ったぞ」

「ええと、ありがとうございます?」

 褒められたと受け取っていいのか、判断の着かなかったハディーヤは曖昧な表情を浮かべているが、レニーアはそれに構わず来客を招き入れる。受付の青年が恭しく開いた扉の向こうからは、一人の女性が姿を見せた。
 炎を思わる橙色に染め上げ、細やかな刺繍を重ねた民族衣装に首回りや手首、指先に耳まであらゆる箇所に何種類もの宝石と金銀を贅沢にあしらった装飾品を身に着けている。

 アースィマに勝るとも劣らぬ長身で、煌びやかな衣装とは関係なくしなやかで優美な印象を受ける体つきをしていた。
 金色の巻き髪を腰の半ばまで伸ばして、女性が着用しているヴェールではなく、小さな円筒形の帽子を乗せている。
 優しそうな黄色い瞳に優美さ以上に柔和な雰囲気を纏っており、人嫌いの人間も一目で心が解きほぐれそうだが、アースィマの警戒が増すのを感じてレニーアは心の中で愉快愉快と笑う。

「お初にお目にかかります。異国のお客様。わたくしはマッファ・ゼベ。この度、あなたがお連れの大戦士アースィマ様と贈り子ハディーヤ様についてお話したく、お尋ねいたしましてよ?」

「ふむ。私はまだ二人から事情を聴いていないのでな。話を聞かせてくれるというのなら、喜んで耳を貸そう。二人もそれを認めている」

「それは良かった。わたくしも事を荒げるのは本意ではありません。話し合いで済むのなら、なによりですから。そうでありましょ?」

 護衛を一人も伴わずにやってきたというのに、自分の身の危険をまるで感じていないゼベの態度は見事なものだ。
 アースィマとハディーヤをまとめて相手にしても勝てる自信があるか、そもそも戦うつもりがないのか。どちらにせよ、レニーアとしては度胸があるのなら大歓迎である。
 前者ならレニーアの力を侮った愚を思い知らせてもいいし、後者ならば純粋な称賛を送るだけのこと。

「ゼベ嬢か。母君であるデザルタ市長の使いか?」

「あなた方の大脱走は各氏族に知れ渡っておりますもの。アースィマ様ほどの方が贈り子を連れて逃亡となれば、これは国の未来を揺るがす一大事。国外逃亡の恐れのあるこのデザルタに来たとあっては、この港と都市を預かる者として慌てもしますでしょ?」

「道理ではあるが……」

「あの、アースィマ、話もいいけれど、まずは座っていただいた方が……」

「贈り子様の方はお優しい。それに礼儀もしっかりとなさって。ええ、勿体ない」

「私は……」

「ああ、贈り子という呼び方はお嫌ですか。ご自身としては贈り子の役は辞されたのですし、本来の名前で呼ばれたいとお考えになるのも当然ですわね?」

 短いやり取りだが三人の話の中で、レニーアがいくつか予想していた経緯の裏は取れたと言っていい。
 贈り子、役を辞した、国外逃亡、大戦士……はるかな古の時代を知るレニーアからすれば、歴史は繰り返すものだ、と思うだけで感慨めいたものはない。

 頭にあるのは有望株であるアースィマとハディーヤをどううまく引き込むか、これである。レニーアはその為に邪魔となる障害物は、必要なら力づくでも排除すると決めている。
ただ、出来るだけアースィマ達も納得する形で引き込みたい、という欲があるので、今後の展開次第ではあるが、力の行使をなるべく自制しているのが、ゼベにとっては不幸中の幸いだろう。

 改めて室内にゼベを招き入れて、三人は窓辺に設置された椅子に腰かける。机を挟んでゼベの正面にレニーアが座り、レニーアから見て右隣にハディーヤ、そのすぐ後ろにアースィマが立っている。
 いざとなったらハディーヤを抱えて窓を破り、通りに脱出する為の配置である。座ってすぐにゼベが口を開いた。レニーアを値踏みする視線一つ寄越さず、話を進め始める。

「ではお話しましょう。といっても国の秘事にあたりますので、異国のお客様にはお話しできない部分もありますのよ? そこはご理解くださいね」

「おおよそ察しはついている。この国を支えるなにがしかの儀式なりに必要な生贄が、そこのハディーヤ。専用の守り役がアースィマなのだろう?
 こういう時の定番は天候の制御、水の発生、鉱物資源の生成、あとは希少な霊薬の生成、護国の霊獣や神性との契約……。すぐに思い浮かぶだけでざっとこんなところだが、どれが正解とは聞くまい」

「はあ、お客様は博識でいらっしゃるのね?」

「レニーアで構わん。まあ、変わり種としては天人や星人の遺した施設を神のものと勘違いして、無駄な殺生を繰り返す阿呆の例もあるが、お前達がそうでないといいな?」

 にやにやと皮肉るレニーアにゼベは、ふふふ、と楽しげに笑う。もしレニーアの言う通りならば自分達は先祖代々国ごとまとめて道化だったということになる。それを愉快だと感じる感性の主が、このゼベという人間だった。

「ふふふ、ええ、そうであると嬉しいですわね? でも確かにシャンドラが多くの贈り子達の献身によって、繁栄を成り立たせてきたのは事実ですわ。それを否定はできません。
 大体の流れは、レニーア様の口にされているものと変わりありませんのよ。先程申しあげた詳細をお教えできない秘事の為に、贈り子ハディーヤ様を捧げたのです。
 これまで贈り子は捧げられればそれで終わりだったのですが、ハディーヤ様はそうではありませんでした。捧げられてもなお生き残り、帰ってきた初めての贈り子。その為、ハディーヤ様は非常に強い興味を抱かれているのですのよ?」

「ふうん。通常、神を降ろした聖職者の魂は砕ける筈が、そうはならなかったような場合か。神降ろしの方は前例がいくらかあるが、ハディーヤはそうではないようだな。
 それでハディーヤ側の言い分はどうだ? 秘事の内容を口にしても構わんぞ。私は深く関わるつもりだからな。秘事を知った私に刺客が送り込まれようと些細な事だ」

 動揺の欠片も見せずに言い切るレニーアの姿に、ゼベはあら、と驚いた様子を見せたが、ハディーヤとアースィマはいよいよもってレニーアの本気を感じ取り、ハディーヤは一度だけ深呼吸した。

「私は、私、は。最初、贈り子として捧げられる事は認めていました。諦めたとも言えるかもしれません。贈り子だからなにもかも用意されて、豊かな生活を送っていられたのも分かっていたから」

「ふむ。自分の衣食住の対価は知っていた口か。なんなら何も知らせずに生贄するところもあるが、ここでは予め教えるのが作法か」

 レニーアに応じたのはアースィマである。その顔には苦いモノが浮かび上がっている。過去の捧げられた贈り子達に対しても、負い目と罪悪感を山ほど抱いているのだろう。

「贈り子が自ら望んで捧げられるのとそうでないのとでは、明確に差が出る。過去の例でそれが分かっておるゆえ」

「なるほどな。捧げものの感情も影響が出る類か。それで捧げられても生き残ったハディーヤは、どうしてお前達から追われる羽目になった? 帰ってきたハディーヤにお前達シャンドラの秘事に関わる者達はなにを強要した? どうせくだらなくて、ろくでもないものだろうが」

「贈り子を送る間隔は定まっているわけではないのですが、せっかく生き残った贈り子ならば、“もう一度使おう”と」

 俯きながら呟かれたハディーヤの言葉を耳にして、レニーアはやはりなと言わんばかりに鼻で笑い飛ばした。

「はん。やはり、くだらなくてろくでもないものだったな」

<続>
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