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8巻
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しおりを挟む序章―――― 悪魔の囁き
この世界は、善なる神々の住まう天界、悪しき神々の住まう魔界、死後の魂が赴く冥界、真なる竜種の住まう竜界、そして神々の被造物が住まう地上世界などに分けられる。
その中の一つ、破壊と忘却を司る大邪神カラヴィスが拠点を置く大魔界の一画――広大な灰色の大地に、朽ちた大木が数え切れないほど倒れて重なった場所で、二つの勢力が熾烈な戦いを繰り広げていた。
自らの支配領域を広げ、敗残者から全てを奪い取る事に熱心な邪神達の間では、同じ魔界の住人同士で争う事も珍しくはない。
こういった争いを日常的に繰り返している事を考えれば、天界の者達との戦いよりも魔界の者同士の戦いの方が多いほどだろう。
灰色の大地に立つ側の者達は、蜥蜴や竜種に似た造作の怪物共が目立ち、無数の星が輝く極彩色の空の向こうからやってきた侵略者達は、何かしら異生物の特徴を備えた人型が多い。
双方合わせて百万、千万に届こうかというこの大軍勢は、真正の悪魔ないしは邪神の眷属である。いずれも、本来の力を持って地上に顕現すれば宇宙規模の破滅をもたらしかねない高次元の化け物共であった。
両軍の間では人間には持ち得ない莫大な量の魔力を用いた攻防が繰り広げられていた。それらは雨の如く放たれる魔力の砲弾や光線、万の色彩を帯びた炎や風、雷や水といった、森羅万象のみならず、時間の停止や加速、運命の改変など、神の領域とされるものさえ含まれている。
見る間に互いの数を減らし合う邪悪の軍勢達の中、灰色の大地を守護する側に動きがあった。
これまで戦場に顔を見せていた有象無象の化け物共とは比較にならない強大な力の持ち主が立ち上がり、縦に窄まった黄色い瞳で頭上の侵略者達を睥睨する。
それは、強靭な四肢、鋭敏な感覚器官、ただ生きているだけで発生する膨大な魔力を兼ね備えた強力な種族、〝竜〟――身に纏う邪悪そのものの力と瞳に宿る酷薄な光から見て、本物の竜種を邪神達が真似て作りだした〝偽竜〟であろう。
「ぎゅうぅるおお!」
長い首を持ち上げた偽竜が、咽喉の奥から金属を擦り合わせたような甲高い鳴き声を発すると、それに晒された侵略者達が次々と破裂していく。
悪意を乗せた鳴き声とはいえ、ただ一吠えしただけで無数の悪魔達を屠ってみせたのだから、この偽竜の霊格が神々に匹敵しているのは間違いない。
その成果に興奮した偽竜の配下達が、ぎえ、ぎえ、ぎえ、と汚らしい鳴き声で追従し、自らの主人の力の強大さを称賛する。
「ぎゃぎゃぎゃ、ニーズヘッグの一族に名を連ねるこのニーズヘルの領土に断りもなく足を踏み入れるとは、どこの命知らずだ? 悪魔共よ」
ニーズヘルと名乗った偽竜の視線の先には、新たに呼び寄せた悪魔達を何万と従えて佇む、絶大な力を持った別格の悪魔の姿が三つあった。
その中心人物は、黄金の髪と赤黒い四本の角を生やした優美な青年。
上級の悪魔であろうと一蹴する力を持つニーズヘルですら、その青年にだけは警戒の意識を抱かねばならなかった。
青年の左右を守るのは、執事然とした端整な顔立ちの悪魔と、額に第三の目を持つ妖艶なる女悪魔。二体とも、悪魔王に次ぐ力を持つ悪魔公級の強力な個体である。
間違いなく、いずれかの悪魔王の系譜に連なるこの青年が、優雅な笑みを浮かべたまま、ニーズヘルへと向けて虚空に一歩踏み出した。
ニーズヘルと青年との間に見えざる力の衝突が起き、凄まじい乱気流にも似た見えざる力場が周囲の雑兵達を無差別に次々と粉砕する。
ニーズヘルに追従する怪物共も、青年が従えている悪魔達も、互いの主人の睨み合いの余波だけで苦悶の声を零す暇もなく魂を砕かれていく。
だが、ニーズヘルも青年も、それらには意識の欠片さえも向けない。この程度の睨み合いにすら耐えられぬ脆弱な配下など価値はないのだろう。
青年は優雅な雰囲気はそのままに、支配者の傲慢さと絶対強者の冷酷さを交えた声でニーズヘルに話し掛ける。
「世界樹の三本目の根を食む悪竜の末裔よ。貴殿の静謐なる眠りを邪魔した事に関しては詫びよう。しかし、私がこうして足を運んだのは、お互いにとって益となる話をする為だ」
「ぎゃっぎゃ、竜たる我と悪魔たる汝に益か。奇妙な話を持ってきたものよ。だが、汝の〝高尚な趣味〟とやらに関する噂は、我の耳にも届いておるぞ。魔界の樹花では満足出来ず、地上のものにまで食指を動かしているそうだな。さぞや多くの地上の阿呆共を騙して、望むものを得て来たのであろう。悪魔らしいやり方でなあ……」
ニーズヘルの竜の口角がニヤリと歪む。
「数多の偽竜や悪魔の中で、なぜ我を選んだのか分からぬではないが、地上の世界への道は恐るべき始原の七竜共と天上の神に閉ざされて久しい。その道をこちらからこじ開ける事は、唯一の例外を除いていかなる邪神にも悪魔にも不可能。あえて問おうぞ、我らをして超越者と呼ばせしめる者共が施した封を破る術が、汝にあるのか?」
互いの配下達を無数に殺し合う戦いを繰り広げていたばかりだというのに、両勢力の長であるニーズヘルも青年も遺恨をまるで感じさせない話しぶりだ。
この魔界においては別段、この程度の冷酷さは珍しいものではない。自らに臣従する者の身を案じる主君の方こそ少ないのである。
「無論だとも。忌まわしき天上の神と竜種達により張り巡らされた結界。それをただ一度だけ通り抜ける方法についての話さ」
青年はどこまでも親愛に満ちた、外見だけは完璧な笑みを浮かべて、悪竜の末裔に囁きかけた。まさしく悪魔の囁きを。
そして、これを聞いた悪竜は再び耳障りな笑い声を上げる。確かに有益な話であると認めたからに他ならない。
「きゃきゃきゃきゃきゃ、またぞろ地上の阿呆共を惑わしたか! 自らの意思で堕落するよう仕向ける事を好む貴様達らしい、迂遠なやり口よ。いいだろう。我が支配する地に汝らが土足で足を踏み入れた無礼はひとまず忘れよう。しかし違えるなよ、小僧。貴様の話が耳を傾けるに値せなんだら、我が牙はお前の心臓を貫くぞ」
ニーズヘルが放つ挑発の言葉と本物の殺意を受けて、青年の左右を固める悪魔達がわずかに気色ばむが、青年は軽く視線を向けてそれを制する。
この程度の事でいちいち反応していては、露骨に彼らを見下す悪竜との交渉は遅々として進まないだろう。
「それはこちらとて同じ事。悪竜の末裔よ、貴殿の力が有用と考えたからこその交渉だ。貴殿にそれだけの価値がないと分かれば、私に対する数々の無礼の報いとして、貴様を八つ裂きにしてくれる」
「ふふん、それぐらいの気概がなければ話にならぬ。では、詳しく聞かせてもらおうか、悪魔の王子よ」
†
どことも知れぬ青い空。そこを流れる雲の海の中に、太陽の光に祝福されて浮かぶ巨大な物体があった。
回転する巨大な円環の内側に山が聳え、緑の衣と青い湖、そして広大な城と豪奢な館を幾つも備えた空飛ぶ城塞である。
いかなる魔法の業か、それとも科学の力によるものか、途方もない質量が悠然と雲海の中に佇む。この壮大な天空の城の主人は、はるか遠き魔界より足を運んだ客人を出迎えていた。
湖の畔に建てられた瑠璃色の大理石の東屋に、主人と客人達の姿がある。
この天空城を訪ねた客人は、大魔界でニーズヘルと交渉を重ねていた、あの王族らしき悪魔とその護衛の悪魔公二体だった。
この場所が地上世界に属する以上、三体共、本来の力を発揮する事はかなわないが、それでも彼らがその気になれば、この地上に地獄の光景を作りだすのは容易いだろう。
象牙細工の椅子に腰掛けた青年の左右を固める、護衛の二悪魔は、自分達の主人の対面に座る人間を注視している。
これは極めて異例な事であった。いくら召喚主であろうとも、たかが人間如きに対して悪魔公が警戒に近い意識を抱くなど。
それを知ってもなお、天空城の主人は少しの動揺や恐怖を見せる事もなく、微笑みを浮かべながら自らが召喚した悪魔に向けて口を開く。
「いかがでしょうか? かつて神々のもたらした天上の酒がわずかに残っておりましてね。それをどうにか再現出来ないものかと、苦心した品です。神の酒の代表格であるソーマと呼ぶにはいささか物足りないかもしれませんが、真なる悪魔である貴方の口に合えば幸いです」
天空城の城主の声は、男とも女とも判別の付かない、美しい鈴の音を思わせるものだった。
滝のように流れる黒い長髪を背中に流し、無数のダイヤモンドを縫い込んだショールと百合の花弁を思わせる意匠のドレスを纏った――声と同じく、男とも女とも見える不可思議な人間である。
かつてドラン達が天空都市スラニアで遭遇したザグルスの師匠であり、残虐非道なる魔導結社オーバージーンの総帥。
大魔導の二つ名と共に人類最強の魔法使いとして恐れられる超人種、バストレルであった。
超人種として最高位にある彼の者の霊格、身体能力、魔力、知力は人間の枠を超えており、何よりその美貌は眼前の悪魔達の心すら惑わす域にある。
艶めくという言葉そのものの笑みを浮かべるバストレルに対し、悪魔の青年はソーマもどきの酒を一息に飲み干し、王者の風格を滲ませる余裕の笑みで返す。
「及第点といったところだろう。地上でこれだけの物を醸造したのならば、卑下する事はあるまい。しかしながら、我が召喚者にして契約者よ、煩わしい歓待は無用だ」
青年が人差し指で軽く弾くと、空になったグラスは見る間に無数の粒となって崩れた。
バストレルは青年の目の奥に悪魔らしい狡猾さと残酷な光が浮かび始めたのを認めたが、それでも笑みを崩さない。
主人の眼差しを受けてなお動じないという事の意味を知るが故に、護衛の悪魔達はバストレルへの警戒を一層強める。
かつて神の求めた完全なる存在〝人〟ではないにせよ、目の前の美しすぎる人間が限りなくそれに近い存在である事は、彼らにとっても無視出来る要素ではない。
「これは失礼いたしました。魔界の友との友好を深める事ばかりに夢中になってしまいました。ご容赦を、ガバン殿下」
バストレルは青年の名前を口にし、慇懃無礼とも取れるほどに恭しい態度で謝意を口にする。
大魔導と称されるこの男ならば、ガバンとの契約の間に寝首をかかれるような間抜けな失敗はしていないだろうが、それでもはるか格上の悪魔の王族を相手に恐れを知らぬ態度と言う他ない。
「それでガバン殿下、悪しき竜ニーズヘッグを始祖とするあの者との交渉はいかがでしたか?」
「ニーズヘルか……貴様に問われるまでもない。世界樹の根を食むなどという愚行を働くニーズヘッグ種の一員らしく、血の巡りの悪い竜であった。契約者よ、貴様の首尾に抜かりはなかろうな? 我らの準備が万端整おうとも、貴様に手抜かりがあれば全ては御破算になるぞ」
そうなった時には、ガバンは一切の慈悲も容赦もなく、バストレルの肉体を億千万に引き裂き、その魂に永劫の苦痛をもたらすだろう。
視線一つ、気配一つで魂を砕く悪魔を前にしても、バストレルは決して余裕を崩さない。
「どうぞご安心を。彼らは森全体に空間固定と空間遮断の結界を張り巡らせましたが、それでは足りません。私達の用意した次元の壁を貫く穴は、星々の配置を含む術式によるもの。ニーズヘルとガバン殿下がお力を合わせれば、自らの意思でこちらに来る事が叶いましょう。先んじて魔兵達をエンテの森に召喚した事で、魔界からかの地に至る道筋を描く事に成功しています。後はその軌跡をなぞり、私が多少お力添えをすれば、望む時、望む場所にお出でになられますよ」
「ならばよい。それにより貴様と私の間に結ばれた契約は果たされるのだから」
「その後の事はどうぞお好きになさってください。契約が満了すれば私と殿下の関係もそれまでの事。ああ……ですが、一度は縁を結んだよしみ。もしニーズヘルを疎んじ、処分する事になさったなら、お声掛けください。幸い、私の手元には竜に対してとても良い品がございますので」
ガバンはニーズヘルよりも先にバストレルの命を貰おうか、などと脅しを兼ねた言葉を返そうとしていた。だがそれも、バストレルが虚空から呼び出した一振りの長剣を目にするまでの事であった。
「貴様、その剣は……!」
ガバンの目に映るのは、とてつもなく強力な竜殺しの因子を有する剣。竜帝や龍皇を殺しても、これほど強力で罪深い因子を宿す事はあるまい。
まず間違いなく、竜界に住まう高位の竜種を屠らなければ、ここまで強力な竜殺しの剣にはならない。
この剣を手にしたならば、地上の存在であってもニーズヘルに対して大きな優位性を得られるだろう。バストレルの自信も納得出来るというものだ。
「奇縁の果てに私の手に収まった剣です。本来であれば地上世界にあるはずがない、神器級の品ですよ。これならば、貴方のお役にも立てましょう。いかがですか?」
「なるほど……貴様の恐れを知らぬ態度の理由がよく分かったぞ。大魔導などと呼ばれている人間よ、分不相応な力を得て舞い上がっているようだな。過ぎたる力はいずれ己が身に災いとなって降りかかるぞ。我らはそのようにして人間を陥れてきた故、よく分かる」
「ふふ、怖や怖や。悪魔王の子たる殿下にそうまで言われては、矮小な人間に過ぎないこの身は恐怖に縮こまってしまいます」
「惚けた事をしゃあしゃあと……この私に対してそのような口を利くのは、一万年以上の時を生きた仙人の爺以来だ」
「ほう、私以外にそのような命知らずが。畏れながら、その仙人殿はどのような末路を?」
「頭蓋を割って脳味噌をかき混ぜながら、魂を食らってやったわ」
「それは怖い」
まるで怖がっていない、楽しげな口ぶりで、バストレルは一言呟いた。
第一章―――― ベルン村に続く道
私――ドランは、ガロア魔法学院の夏季休暇を利用して、同行するラミアの美少女セリナと共に故郷のベルン村に戻ってきていた。
さて、私は学院で『お風呂屋さんのドラン』なる二つ名を冠する事になったわけだが、せっかく故郷に帰って来たからにはこの二つ名に恥ずかしくない成果を残したい。
すなわち、ベルン村に浴場を建設するのだ。
ゆくゆくはこの浴場を発展させ、ベルン村の観光資源として利用したいと考えている。
しかし、そもそもベルン村の住人達には頻繁に入浴する習慣はない。
ガロアのような大きな街や都市でもないと、水と薪と人手を必要とする浴場の経営は難しい為、この村に限らず農村部や小規模な町には大衆浴場があまり普及していないのである。
まずはごく一般的な浴場を建設し、村の皆に入浴の仕方を広めて、然るのちに一風変わったものを建てた方が、受け入れられやすいだろう。
私の持てる知識と技術と魔力を投じた大浴場を建設するのは今ではないのだと自分に言い聞かせ、初めて浴場を訪れた者にも入り方が分かるようにと、私は思考を切り替えた。
湯を沸かす燃料となると、ベルン村の付近に広がる広大なエンテの森の樹木が思い浮かぶが、森は私達ベルン村の者達が住む世界ではない。森の住人達との友好的な付き合いを維持する為にも、薪を使うのは避けたい。
この事から、私はガロア魔法学院内に建設した浴場に倣い、精霊の力を用いる火精石や水精石を用いた魔法浴場の建設を決めた。
建設作業には、私とセリナの二人がかりで無数のゴーレム達をこれでもかと作りだして労働力としたので、ベルン村の大衆浴場第一号はあっという間に完成してしまった。
我ながらどうかと思うほどの速さである。
完成したばかりのベルン村公衆浴場は二階建てだ。
一階に浴場と更衣室などがあり、二階が休憩用の部屋になっている。
石材を積み上げてから漆喰で継ぎ目を塗り潰し、外観は清潔な白色で統一した。
入口にはベルン村公衆浴場と書かれた布を垂らして日よけにしている。
浴場の管理は新たに作ったテルマエゴーレム達に一任してあるが、彼らには私の持つ浴場建設と管理・維持に関する知識と技術を転写してあるから、心配はいらないだろう。
今はまだ道半ばどころか、第一歩目たる大衆浴場を完成させたばかりだが、北方の辺鄙な村としか思われていないベルン村は、いずれ一大観光地として発展の道を歩む事も不可能ではない。
……いや、必ずしも観光地化する必要はないが、この村の生活をもっと豊かにしなければならぬのだ。
「なんだか、やる気に満ちたお顔をしていらっしゃいますね」
完成した浴場を隣で見ていたセリナが声を掛けてきた。
基本的に寒さに弱いセリナとしては、いつでも体を温める事の出来る浴場という施設は大歓迎だろう。
その心情を示すように、彼女は尻尾の先端をぴこぴこと左右に振り、類稀な美貌にはニコニコと笑みを浮かべている。
「ようやく私が好きなようにやれる下準備が整い始めたからな。この浴場を足掛かりにして、ベルン村を北方の寒村からアークレスト王国で知らぬ者のいない場所にしようと悪企みをしていたところさ」
私が冗談めかして肩を竦めると、セリナはくすりと微笑む。百人が百人ともその上品さを認める笑みだった。
「悪企みと言う割には晴れ晴れとしたお顔ですよ。村の皆さんが喜んでくださるといいですね。それにしても、私が思っていたよりも多く従業員を雇われるのですね。最近移住してきた方々を中心に雇っていらっしゃるみたいですけど、何かお考えが?」
建設作業はともかく、浴場の運営には多くの人が関わっている。
村長の娘であるシェンナさんが経営責任者に就き、受付や接客、飲食関係などテルマエゴーレムに任せられないところに、村人達を何人も雇っていた。
その従業員は新たなベルン村の住人達が過半数を占めている。
「私みたいに生まれた時からベルン村で育っているのならともかく、他所から移住してきた人達にとって、ここでの狩猟はいささか危険が多過ぎる。普通の農民なら猛獣や魔獣が出れば逃げ出すが、我がベルン村の皆は舌舐めずりして積極的に狩りたてるくらいだからね。移住者に怪我でもされたら事だし、なるべく畑仕事や皮や木材の加工とか、危険の少ない作業を任せる方針なのさ。私の建てた公衆浴場での労働は、まさにうってつけというわけだね。金勘定はシェンナさんが厳しくやってくれるだろうし、安心して任せられる」
「普通なら大牙鰐なんか目にしたら背を向けて逃げるものですしねえ。そうならざるを得ない環境とはいえ、ベルン村の皆さんは逞し過ぎるところがありますもの。他所から来た人達は、馴染むまでかなり厳しいですね」
セリナはしみじみと頷いた。
「排他的でない事は救いだがね。人手はいつだって欲しい。暮らしに慣れていないのなら、皆で教えて暮らしていけるようにすればいいのさ。さて、浴場はこんなものだろう。さっそく次の作業に移ろうか」
「ドランさんは働き者ですね。でも、少し働き過ぎじゃないですか? いくらドランさんの魂が特別だとしても、肉体は人間なのですから、無茶は禁物です」
「肉体の方も色々弄っているから、疲労はないさ。それに、時間は有限だからね。ましてや夏季休暇の間しかここには居られないのだから、気も急くというものさ」
「慌て過ぎて注意力散漫にならないように気を付けてくださいね。ちょっとした気の緩みで、大きな事故が起きてしまいますから」
私は、心配そうに私を見つめるセリナの青い瞳に微笑みを返した。こういった気遣いをしてくれる相手がいるのは、しみじみとありがたい。
「分かっているよ。ありがとう。セリナが傍に居てくれると心が落ち着くな。いい仕事が出来そうだ」
「ふふ、そう言ってくださるのなら、心配し甲斐がありますね。でも、本当に気を付けてくださいね。ドランさんに何かあったら、私はもちろん、皆さんが悲しまれるのですから」
「肝に銘じておくとも」
心和むセリナとの会話の後、私は村の南門の近くに山積みにしておいた岩石の所へ向かった。
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