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7巻
7-2
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当初龍宮城の者達は、どこの馬の骨とも分からぬ私を胡乱な目で見ていたが、龍吉と瑠禹が心の底からにこやかに対応している様を見るうちに、殆どの者は好意的に接してくれるようになった。
その中にあって、この蒼月だけは絶対不変の厳しい態度を取り続けている。龍吉が私の正体を極めて高位の竜だと仄めかしてもまったく変わらないのだから、むしろ感心してしまうほどである。
龍吉に対する蒼月の忠誠心は、絶対と形容していいだろう。ただ、瑠禹に向けているのは、忠誠心が三と恋慕が七ほどだと私は推測している。この七が厄介なのだ。
三割を占める忠誠心だけでも、瑠禹の為なら躊躇なく火中に身を躍らせるほど強固なものなのだから、その倍以上の恋慕の情がどれほど凄まじいかは推して知るべしだ。
そのうち、酒の勢いか何かで瑠禹に夜這いの一つもかけそうで、私としては気が気でない。幼馴染の女人の心を惑わすとは、瑠禹も罪な女の子だ。
「……」
私に二人の居場所を教えるのが余程嫌なのか、蒼月はしばし思案に耽った。考え事をしているというより、苦悶しているようである。
龍吉の下で近衛隊の隊長を務めているくらいなのだから、さぞ有能な人材なのだろう。
しかし、このような態度ばかり目にしていると、普段からちゃんと仕事が出来ているのか心配になってくる。それこそ彼女にとっては余計なお世話だろうが。
「……陛下と瑠禹様は、ご公務が落ち着き次第、修練場へと向かわれる予定です」
渋々といった様子で、ようやく蒼月が口を開いた。
彼女が言った修練場とは、龍宮城内に設けられた武芸を磨く為の特別な場所の事だ。龍吉や瑠禹など皇族の寝所に匹敵する堅牢さを誇り、龍吉が本気で暴れでもしない限りは崩壊しない。
私もこれまで何度かここで試合を行って、瑠禹が外界に出た際の護衛役を私が担う事に疑問を抱いた者達に実力の一端を披露した事がある。
蒼月はそういった不満を抱く臣下の筆頭だ。龍吉と瑠禹の目の前で、私がそれらの臣下をまとめて叩きのめしたのだが、蒼月は最後まで粘って私に食い下がってきた。その瑠禹への想いの凄まじさと根性には感心したものだ。
「ふむ、公主殿が修練場に足を運ばれるとは珍しいですね。ではそちらでお待ちしましょうか。お教えいただき、ありがとうございます」
「礼は不要にて。……そうですね、その代わりに修練場に着いたら、私と手合わせしていただけますか?」
「それくらいは構いませんよ。体を動かすのは好きですので」
私は蒼月の先導で修練場へと向かった。
ここまでは近衛隊長としての面子を辛うじて保っていた蒼月だが、いざ試合となるとそれらをかなぐり捨てて、本音を剥き出しにして私に襲い掛かってくるだろう。
その時の気迫といったら、きっと……。恋心ほど心を狂わせるものはない、という好例だなあと、私は呆れを通り越して感心すら覚えるのであった。
†
蒼月に案内されて修練場に辿り着いた。
衛兵達が門を開くと、先にこの場を利用している者達が発していた熱気と霊気、闘気がぶおっと音を立てながら吹きつけて私の顔を打つ。
この修練場は、仮に竜種が本来の姿を取って模擬戦を始めても問題がないほどの広さがある。
蒼月と私の姿に気付いた兵士や武将らしき者達は、すぐに手を止めてこちらに注目した。私達の関係が良好とは言えない事は、龍宮城の者達にはすっかり知れ渡っているのだろう。
苛烈な手合わせになると予想した先客達は、気を利かせて私達の為に場所を空けてくれる。だが、多くの先客達が退く中で、その場に残っている者がいた。
戦場に出る際と同じ甲冑に身を包み、覆いを被せた長柄戦斧を手にした、薄水色の肌を持った壮年の魚人である。
訝しげに眉を顰める蒼月と私に対し、壮年の魚人は険しい顔つきのまま小さく目礼して、口を開いた。
「蒼月、折り入って頼みがある」
「いかがなされた、ラオシェン将軍」
「うむ。貴公がそちらの御仁に並々ならぬ思い入れがあるのは承知しているが、その上で頼む。わしにそちらの御仁と一手、手合わせをする機会を譲ってはくれまいか?」
「それは、しかし……」
蒼月はそう簡単には譲れないとばかりに一度は眦を吊り上げたが、相手の方が格上の立場なのか、彼女の反骨の意思はすぐに鳴りを潜めた。
そういえば、これまで何度か龍宮城の武人達と手合わせをしたが、こちらのラオシェンとはまだだったな。
私が成り行きを黙って見守っている間にも、ラオシェンと蒼月のやり取りは続いた。周囲の先客達も興味深そうに耳を傾けている。
「貴公の心中は理解しているつもりだが、わしは今日まで一度もドラン殿と手合わせしておらんのだ。そろそろその機会をわしにも与えてはくれんものか。この通り、頼む」
そう言って、ラオシェンは軽く頭を下げた。
「むぐぐぐ、た、確かに、私はこれまでドラン殿と幾度か刃を交えております。私ばかりがドラン殿と手合わせするのは不公平だと言われても仕方がありません。分かりました。この場はラオシェン将軍にお譲りいたしましょう。……ドラン殿、このような次第なのですが、貴殿のご意思はいかがでしょうか? こちらの都合で相手を変えてしまい、大変申し訳ない事なのですが」
たとえ私が相手でも、自分に非や負い目がある場合、蒼月の態度は分かりやすいくらいに軟化する。基本的に根は真面目で良識のある女性だ。
ただ、瑠禹が関わると人格が豹変するのが玉に瑕なのである。
「お二人とも、気にしないでください。どの道、手合わせするつもりでしたので」
「おお、これはありがたい。感謝するぞ、蒼月。ではわし以外にもクシャウラやジオ老も名乗りを挙げておるでな。ドラン殿にはご迷惑をおかけするが、何卒よろしくお願い申し上げますぞ」
「え、ラオシェン将軍!? 将軍だけではないのですか?」
慌てた蒼月が声を掛けるが、ラオシェンは悪戯小僧みたいに笑うばかりでまるで取り合う様子はない。
ふむ、ラオシェンの方が役者は上か。見た目を裏切ってくるな。
「ドラン殿、重ね重ね申し訳ない。わし以外にも貴公との手合わせを望んでいる者がおってな。出来れば彼らの面倒も見てやってはもらえまいか?」
「私は構いませんよ。この際ですから、私がどういう者か皆様方によく見ていただいた方が良いでしょう」
「このような我儘に対しても、なんとも涼やかに応えるものよ。まず度量の広さは一品とお見受けしましたぞ。しからば、遠慮なく全力で当たるのが礼儀でございましょうな。ほら、蒼月よ、下がらねば危ないぞ」
蒼月が渋々といった様子で距離を置く。
するとラオシェンから、荒野で何百年も風雨に耐えた巨岩を前にしたような圧迫感が私へと放たれた。
「改めて名乗りましょうぞ。わしは〝剛力砕山〟ラオシェンと申す。いつか瑠禹様と共に行かれるという貴公と、こうして手合わせする時を一日千秋の思いで待っておりましたぞ」
以前龍吉に、瑠禹が外の世界に出た際は面倒を見てほしいと頼まれた事があったが、それは私の加護を瑠禹に与えたいという思いやりによる方便である。まあ、ここは敢えて否定する事もなかろう。
場合によっては、本当に私が瑠禹の護衛を務めて旅をする機会もあるだろうし。
「一日千秋か。光栄な事です」
「我らにとって瑠禹様はまさしく宝でしてな。無手のようですが、武具はよろしいか?」
「生前は素手で戦っておりましたし、体の一部を竜化させますので、遠慮は無用ですよ」
「では、参りますぞ、ドラン殿!」
ラオシェンは号砲の如き宣戦布告と同時に、長柄戦斧を頭上に構えて勢い良く回転させた。長柄戦斧の風切る音は凄まじく、修練場の中に甲高い風切り音が響き渡る。
ふむ、魔法の武具か。施されている付与魔法は重量軽減――いや、あれはむしろ重量操作だな。
普段は木の枝のような軽さだが、命中する瞬間に重量を増大させる事が出来る便利な付与術式である。
もっとも、増減の切り替えが自動で行われないものだと、重量増減の機は使用者に委ねられるから、余計に扱いが難しくなる代物だ。
ラオシェンが振るう長柄戦斧の重量は、ざっと成人男性二人分。
施されている術式を読み解くと、命中の瞬間に魔力を注ぐ事で重量を百倍に増大させる事が出来るようだ。
「ぬおおおお!!」
長柄戦斧を回転させたまま、ラオシェンが私の正面から迫る。重量感に満ちた外見と違って随分と速い。
私は肩幅よりやや広く足を開いて腰を落とし、ラオシェンが私の頭をめがけて長柄戦斧を振り下ろすのを待った。
「いいぇああああ!!」
これは本気で私を殺すつもりではないか? 私はそんな疑問を心中に抱きながら、振り下ろされる長柄戦斧の柄を、左手で掴み止めた。
増加した長柄戦斧の超重量にラオシェンの膂力と技巧が加わった一撃が、柄を握り止めた腕越しに一気に襲い掛かり、その負荷が全身を砕きにかかる。
ふむ、鋼鉄製のゴーレムでも一撃で砕け散るほどだ。剛力砕山の異名は伊達ではないな。
「ぬぉお!?」
「海魔共の将軍級までならこの一撃で十分だが、私には通じぬ。海魔王が相手でも通じるよう、一層精進なされよ」
必殺の一撃を受け止められて、がら空きの胴体を晒すラオシェンへ、私は握り込んだ右拳を、幾分威力を加減した上で叩き込んだ。
頑強な魚鱗甲の鎧とラオシェン自身の鱗に覆われた腹部に命中した私の右拳は、手首まで埋まり込み、ラオシェンの意識を一撃で刈り取る。
「がはあっ!!」
肺の中の空気を絞り出し、力なく崩れ落ちるラオシェンを右手で支え、私は控えていた人魚の医療班に彼を引き渡した。
強力な回復魔法や海底独自の治療術を有する龍宮城の者達なら、すぐに彼を回復出来るだろう。
「次の方は……確かクシャウラ殿でしたか。どなたでいらっしゃるかな?」
次に出て来たのは金糸の刺繍が施された紫染めの道着に身を包み、青く冷めた肌を持った魚人の美丈夫である。鮫の魚人か?
濡れているかのように黒光りする髪を後ろに流して纏め、右手には幅広で肉厚な曲刀を握っている。
静かな瞳の魚人は首の鰓を動かして、浅い呼吸を繰り返している。
気息の充溢と血流の調整で気を練り、それを細胞の一つ一つに流し込んで身体能力と第六感を高める……気功の使い手か。
「〝一刃千変〟クシャウラ。一手ご指南願います」
クシャウラは、私に深く一礼する。
「これはご丁寧に」
礼儀正しい彼の振るまいにつられて、私も思わず頭を下げ返す。このクシャウラからは、蒼月のような怒りや嫉みといった負の感情はあまり感じられない。龍吉が瑠禹への伴として推薦する私の実力を、純粋に知りたい類か。
「いざ」
クシャウラが静かな声で戦いの始まりを告げる。音一つない深海の光景を思わせる落ち着いた声音は、耳に心地好い。
「参られよ」
私が応じたその瞬間、紫の風が私の周囲で渦を巻いた。第一歩で最高速に達したクシャウラが、まさしく風と化して私の懐に飛び込んできたのである。
体重を消失させ、細胞の活性化によって尋常ならざる速度を得る軽気功の一種か。
丹田で練り上げて純度を高めた気が、クシャウラの身体能力を数倍ないしは十倍前後に高め、なおかつ私の呼吸と意識の間隙を突く観察力をもって、私の懐にやすやすと入り込んでいた。
ふむ、まずは見事と褒めておこう。
紫の風と化したクシャウラから、銀色の蛇と見紛う軌跡を描く一刀が、私の左頸部へと繰り出される。
練り上げた気が通った刃が、鉄を断ち、岩を切り裂くほどの切れ味を持つのは間違いあるまい。
私は半身を引いて左頸部に迫っていた刃を避け、その動作に合わせて軽く小突くように右の拳を繰り出す。肩口から最短距離を走り、風を千切り唸らせる剛腕の一撃だ。
対するクシャウラは、曲刀を振り下ろした体勢から、私の右拳を左脇に抱え込むようにして、柔らかな動作で回避していた。
続けて私が放った左前蹴りを、クシャウラは自分の足で私の足の裏を踏み、空中に跳躍して避けてみせる。
ふむ、なかなか軽快な動きよな。
着地の瞬間を狙い、私は突進して左拳を大上段から打ち下ろす。するとクシャウラは、私の左手首に曲刀を添えて私の腕を滑らせる。
狙いを逸らされて床を貫いた私の左手首を上から抑え込んでいた曲刀は、そこから私の顔面を斬り飛ばさんと、疾風の如き勢いで跳ねた。
私は拳を逸らされた意趣返しとして、迫る曲刀の腹を軽く右掌でぱん、と小さな音を立てて弾く。なんという事はない平手だが、それだけで曲刀の軌跡を歪めるには十分だ。
あまりにも呆気なく必殺の一刀を弾かれた事で、クシャウラにかすかな動揺が走る。
私はそのまま曲刀を弾いた右手を握り込み、クシャウラの顔面へと裏拳を放った。
私の拳が鼻先に触れた瞬間、クシャウラは左足を軸に凄まじい勢いでその場で回転し、顔面を粉砕する破壊力を分散してみせた。
更に彼は、この回転の動きと連動させて、曲刀を私の首筋へと叩きつけて来たのである。
たとえ首一つ落とされても、この場に居る医師達と龍吉の力があれば死にはすまいが、易々と刃を受けては格好がつかん。
私は身を伏せて曲刀を凌ぎ、そのまま回転するクシャウラの左足を左手で掴み取る。
後の先を取る使い手にとって、体の一部とはいえ、動きを封じられるのは致命的であろう。
強引に回転を止められたクシャウラは、即座に空いている右足で私の顔面を蹴り込んで来た。いくら気を練りこんであろうとも、私に対して四肢を用いての攻撃は悪手である。
私はクシャウラの爪先に自分の額を叩きつける。クシャウラが気功で肉体を強化しているように、私もまた分身体を構成する魔力の密度を高めて硬化させているのだ。
ぐしゃり、と骨の砕ける生々しい音が修練場に響く。
「ぐっ!?」
クシャウラが生み出す気の量より、私の分身体を構築する魔力の密度の方がはるかに上回っていたのだ。
だがクシャウラの非凡さは次の瞬間に発揮された。空いている手で私に柔らかに触れて、更なる気を生み出したクシャウラが小さく呟く。
「浸透剄」
その瞬間、クシャウラの掌を通じて私の肉体や、魔力の防御膜を貫通し、破壊の指向性を帯びた気が奔流となって流れ込み、肉体を内側からズタズタに破壊しようとする。
頑健な鱗や甲殻、鎧を貫通し、直接敵対者を体内から破壊する技か。しかし、生憎と言うべきか……つい先日同じ技を受けたばかり。
「返礼だ。受け取ると良い」
私は都合よく私に近づいていたクシャウラの頭部を右手で鷲掴みにし、正面からこの鮫の魚人の瞳を睨み据えた。
魔力で分身体を構成する私にとって、流れ込んでくる気を取り込み、増幅し、送り返す程度の事は造作もない。
私は体内を蹂躙するクシャウラの気を多少弱めて、回復に支障がない程度に劣化させてから、右手を通して送り返した。
「かっ、は、があ!?」
苦悶の声を漏らしてびくんと体を跳ねさせて、クシャウラは全身を痙攣させながらぐったりと脱力して倒れ込む。
相手が悪かったな。それにしても、龍宮城の兵にはなかなか多芸な人材が揃っているものだ。
「なかなか手強い相手だったな。さて、次はジャオ殿と申されたか」
私が視線を巡らせると、周囲の観客達の中から老齢の龍人がしずしずと進み出て来た。
袖の長い白い道服を纏い、腹まで白い顎髭を伸ばした老龍人である。
簡単に骨を折る事が出来そうな細い体つきであるが、竜種は寿命を迎える直前を除けば、年を重ねるほどに強力になる種族だ。この老龍を外見通りの老人と侮るわけにはいくまい。それに、魂の年齢で言えば比べるまでもなく、この場の誰よりも私の方が老齢であるしな。
「ラオシェンやクシャウラとの戦いぶり、まさにお見事でございますな、ドラン殿」
「お二人とも、公主殿の薫陶が行き届いた強者でいらした」
「ほほ、たとえ世辞であれ、過分なお言葉と二人とも喜ぶでしょう。貴殿のお力はこれまで幾度か拝見いたしましたが……いやはや、陛下が全幅の信頼をお寄せになるのも当然の事。この老骨一匹では勝負にもなりますまい。貴殿が前世においていかなる名前で呼ばれた竜種でいらしたのか、知りたくもあり、同時に知る事が恐ろしくもあります」
このジャオとて、流石に私が竜種の頂点たる古神竜とまでは考えていないだろうが、龍吉の態度からして過去の三竜帝か、少なくとも竜王級ではないかと考えているように見受けられる。
「そこまで評価されますと、何やら面映ゆくなりますな」
「謙虚な事でいらっしゃる。しかし、このまま一人一人戦っていては、陛下か瑠禹姫がお越しになる前に手合わせを終わらせる事は、難しいでしょう。わしは今回見送ろうかとも思いましたが、さりとてこの好機を逃してはいつ次の機会に恵まれるやら。ドラン殿、恥を知らぬお願いを申し上げる事をお許しくだされ」
「ふむ、いかようなお申し出ですかな?」
「わしと蒼月、そしてそちらに控えておりますもう一人とを、一度に相手してはいただけませんでしょうか?」
「な、ジャオ様、一人に対して三人を相手せよとはなんと無体な! たとえ勝っても、これでは陛下に顔向けが出来ませぬ」
これには蒼月も納得がいかない様子で、ジャオに反論する。
「お主の言う事はもっとも。わしは今、生涯恥ずべき事を口にしているのやもしれぬ。じゃが、わしの見立てでは三対一でもまだ不釣り合いじゃろうて。お主らを低く見積もっているわけではないが、この老骨の目にはそうとしか映らぬでな」
老龍人は穏やかに笑って蒼月を宥めた。
「いずれにせよ、陛下の大切なお客人であるドラン殿を相手に、礼を失した申し出である事は間違いございませぬ。ドラン殿、少しでも嫌とお感じでしたら、遠慮なさらずお断りくださいませ。非は全面的にこのジャオにございますゆえ」
「そこまで重く受け止めていただかずとも結構です。皆様が私の実力を見ているように、私もまた公主殿と瑠禹を日夜守護しておられる皆様の力を確かめているのですからね。……それと、本当に三対一でよろしいので?」
私はほんの僅かに威圧の度合いを強めた気配を発した。
それを受けた蒼月達の反応は劇的であった。稲妻の直撃を受けたように体を硬直させ、目を見開いて私を凝視する。中にはそうする事すら恐ろしいと、目を逸らす者もいた。ふむ、ちとやり過ぎたか。
そんな中で、ジャオは道服の袖で顔を拭う仕草をしていた。汗などかいていないはずだが、緊張を解す為に、自然と体が動いたのであろう。
「これは……いやはや、自分の目がここまで節穴であったかと、今日ほど呪わしく思った事はございませんな」
なんとか咽喉の奥から声を絞り出すジャオに、私は微笑みかけた。
「貴方達の大切な宝である瑠禹を預けるに足る者だと証明する事がいかに大切であるか、遅まきながら理解しましたので、私も気合いを入れ直す事にしました」
「ふうむ、気合いは入れないでいただいた方が、よかったかもしれませんなあ……」
しみじみと呟くジャオに対して、私は苦笑を禁じ得なかった。
改めて私と対峙したのは蒼月、ジャオ、そして観客の輪の中から進み出た女の龍人の三名である。時間も限られているので、今日はこれで打ち止めらしい。
クシャウラとラオシェンはともに修練場の片隅で医療班の治療を受けながら体を休めている。
新たに加わった女龍人の名はリリアナといったか。髪は白く肌は褐色。白く透き通った髪を長々と伸ばし、龍の耳の上からはうっすらと金色の角が伸びる。手に握るのは二匹の龍が絡み合う魔槍。
蒼月はきつく顔を引き締め、腰に佩いた二振りの愛刀を抜いた。
相対する三人いずれにも、僅かな油断も慢心もなく、私に対して突き刺さすような視線と警戒の意識を向け、そしてそれ以上に闘志を燃やしている。
ふむ、まず気骨は十二分だな。
その中にあって、この蒼月だけは絶対不変の厳しい態度を取り続けている。龍吉が私の正体を極めて高位の竜だと仄めかしてもまったく変わらないのだから、むしろ感心してしまうほどである。
龍吉に対する蒼月の忠誠心は、絶対と形容していいだろう。ただ、瑠禹に向けているのは、忠誠心が三と恋慕が七ほどだと私は推測している。この七が厄介なのだ。
三割を占める忠誠心だけでも、瑠禹の為なら躊躇なく火中に身を躍らせるほど強固なものなのだから、その倍以上の恋慕の情がどれほど凄まじいかは推して知るべしだ。
そのうち、酒の勢いか何かで瑠禹に夜這いの一つもかけそうで、私としては気が気でない。幼馴染の女人の心を惑わすとは、瑠禹も罪な女の子だ。
「……」
私に二人の居場所を教えるのが余程嫌なのか、蒼月はしばし思案に耽った。考え事をしているというより、苦悶しているようである。
龍吉の下で近衛隊の隊長を務めているくらいなのだから、さぞ有能な人材なのだろう。
しかし、このような態度ばかり目にしていると、普段からちゃんと仕事が出来ているのか心配になってくる。それこそ彼女にとっては余計なお世話だろうが。
「……陛下と瑠禹様は、ご公務が落ち着き次第、修練場へと向かわれる予定です」
渋々といった様子で、ようやく蒼月が口を開いた。
彼女が言った修練場とは、龍宮城内に設けられた武芸を磨く為の特別な場所の事だ。龍吉や瑠禹など皇族の寝所に匹敵する堅牢さを誇り、龍吉が本気で暴れでもしない限りは崩壊しない。
私もこれまで何度かここで試合を行って、瑠禹が外界に出た際の護衛役を私が担う事に疑問を抱いた者達に実力の一端を披露した事がある。
蒼月はそういった不満を抱く臣下の筆頭だ。龍吉と瑠禹の目の前で、私がそれらの臣下をまとめて叩きのめしたのだが、蒼月は最後まで粘って私に食い下がってきた。その瑠禹への想いの凄まじさと根性には感心したものだ。
「ふむ、公主殿が修練場に足を運ばれるとは珍しいですね。ではそちらでお待ちしましょうか。お教えいただき、ありがとうございます」
「礼は不要にて。……そうですね、その代わりに修練場に着いたら、私と手合わせしていただけますか?」
「それくらいは構いませんよ。体を動かすのは好きですので」
私は蒼月の先導で修練場へと向かった。
ここまでは近衛隊長としての面子を辛うじて保っていた蒼月だが、いざ試合となるとそれらをかなぐり捨てて、本音を剥き出しにして私に襲い掛かってくるだろう。
その時の気迫といったら、きっと……。恋心ほど心を狂わせるものはない、という好例だなあと、私は呆れを通り越して感心すら覚えるのであった。
†
蒼月に案内されて修練場に辿り着いた。
衛兵達が門を開くと、先にこの場を利用している者達が発していた熱気と霊気、闘気がぶおっと音を立てながら吹きつけて私の顔を打つ。
この修練場は、仮に竜種が本来の姿を取って模擬戦を始めても問題がないほどの広さがある。
蒼月と私の姿に気付いた兵士や武将らしき者達は、すぐに手を止めてこちらに注目した。私達の関係が良好とは言えない事は、龍宮城の者達にはすっかり知れ渡っているのだろう。
苛烈な手合わせになると予想した先客達は、気を利かせて私達の為に場所を空けてくれる。だが、多くの先客達が退く中で、その場に残っている者がいた。
戦場に出る際と同じ甲冑に身を包み、覆いを被せた長柄戦斧を手にした、薄水色の肌を持った壮年の魚人である。
訝しげに眉を顰める蒼月と私に対し、壮年の魚人は険しい顔つきのまま小さく目礼して、口を開いた。
「蒼月、折り入って頼みがある」
「いかがなされた、ラオシェン将軍」
「うむ。貴公がそちらの御仁に並々ならぬ思い入れがあるのは承知しているが、その上で頼む。わしにそちらの御仁と一手、手合わせをする機会を譲ってはくれまいか?」
「それは、しかし……」
蒼月はそう簡単には譲れないとばかりに一度は眦を吊り上げたが、相手の方が格上の立場なのか、彼女の反骨の意思はすぐに鳴りを潜めた。
そういえば、これまで何度か龍宮城の武人達と手合わせをしたが、こちらのラオシェンとはまだだったな。
私が成り行きを黙って見守っている間にも、ラオシェンと蒼月のやり取りは続いた。周囲の先客達も興味深そうに耳を傾けている。
「貴公の心中は理解しているつもりだが、わしは今日まで一度もドラン殿と手合わせしておらんのだ。そろそろその機会をわしにも与えてはくれんものか。この通り、頼む」
そう言って、ラオシェンは軽く頭を下げた。
「むぐぐぐ、た、確かに、私はこれまでドラン殿と幾度か刃を交えております。私ばかりがドラン殿と手合わせするのは不公平だと言われても仕方がありません。分かりました。この場はラオシェン将軍にお譲りいたしましょう。……ドラン殿、このような次第なのですが、貴殿のご意思はいかがでしょうか? こちらの都合で相手を変えてしまい、大変申し訳ない事なのですが」
たとえ私が相手でも、自分に非や負い目がある場合、蒼月の態度は分かりやすいくらいに軟化する。基本的に根は真面目で良識のある女性だ。
ただ、瑠禹が関わると人格が豹変するのが玉に瑕なのである。
「お二人とも、気にしないでください。どの道、手合わせするつもりでしたので」
「おお、これはありがたい。感謝するぞ、蒼月。ではわし以外にもクシャウラやジオ老も名乗りを挙げておるでな。ドラン殿にはご迷惑をおかけするが、何卒よろしくお願い申し上げますぞ」
「え、ラオシェン将軍!? 将軍だけではないのですか?」
慌てた蒼月が声を掛けるが、ラオシェンは悪戯小僧みたいに笑うばかりでまるで取り合う様子はない。
ふむ、ラオシェンの方が役者は上か。見た目を裏切ってくるな。
「ドラン殿、重ね重ね申し訳ない。わし以外にも貴公との手合わせを望んでいる者がおってな。出来れば彼らの面倒も見てやってはもらえまいか?」
「私は構いませんよ。この際ですから、私がどういう者か皆様方によく見ていただいた方が良いでしょう」
「このような我儘に対しても、なんとも涼やかに応えるものよ。まず度量の広さは一品とお見受けしましたぞ。しからば、遠慮なく全力で当たるのが礼儀でございましょうな。ほら、蒼月よ、下がらねば危ないぞ」
蒼月が渋々といった様子で距離を置く。
するとラオシェンから、荒野で何百年も風雨に耐えた巨岩を前にしたような圧迫感が私へと放たれた。
「改めて名乗りましょうぞ。わしは〝剛力砕山〟ラオシェンと申す。いつか瑠禹様と共に行かれるという貴公と、こうして手合わせする時を一日千秋の思いで待っておりましたぞ」
以前龍吉に、瑠禹が外の世界に出た際は面倒を見てほしいと頼まれた事があったが、それは私の加護を瑠禹に与えたいという思いやりによる方便である。まあ、ここは敢えて否定する事もなかろう。
場合によっては、本当に私が瑠禹の護衛を務めて旅をする機会もあるだろうし。
「一日千秋か。光栄な事です」
「我らにとって瑠禹様はまさしく宝でしてな。無手のようですが、武具はよろしいか?」
「生前は素手で戦っておりましたし、体の一部を竜化させますので、遠慮は無用ですよ」
「では、参りますぞ、ドラン殿!」
ラオシェンは号砲の如き宣戦布告と同時に、長柄戦斧を頭上に構えて勢い良く回転させた。長柄戦斧の風切る音は凄まじく、修練場の中に甲高い風切り音が響き渡る。
ふむ、魔法の武具か。施されている付与魔法は重量軽減――いや、あれはむしろ重量操作だな。
普段は木の枝のような軽さだが、命中する瞬間に重量を増大させる事が出来る便利な付与術式である。
もっとも、増減の切り替えが自動で行われないものだと、重量増減の機は使用者に委ねられるから、余計に扱いが難しくなる代物だ。
ラオシェンが振るう長柄戦斧の重量は、ざっと成人男性二人分。
施されている術式を読み解くと、命中の瞬間に魔力を注ぐ事で重量を百倍に増大させる事が出来るようだ。
「ぬおおおお!!」
長柄戦斧を回転させたまま、ラオシェンが私の正面から迫る。重量感に満ちた外見と違って随分と速い。
私は肩幅よりやや広く足を開いて腰を落とし、ラオシェンが私の頭をめがけて長柄戦斧を振り下ろすのを待った。
「いいぇああああ!!」
これは本気で私を殺すつもりではないか? 私はそんな疑問を心中に抱きながら、振り下ろされる長柄戦斧の柄を、左手で掴み止めた。
増加した長柄戦斧の超重量にラオシェンの膂力と技巧が加わった一撃が、柄を握り止めた腕越しに一気に襲い掛かり、その負荷が全身を砕きにかかる。
ふむ、鋼鉄製のゴーレムでも一撃で砕け散るほどだ。剛力砕山の異名は伊達ではないな。
「ぬぉお!?」
「海魔共の将軍級までならこの一撃で十分だが、私には通じぬ。海魔王が相手でも通じるよう、一層精進なされよ」
必殺の一撃を受け止められて、がら空きの胴体を晒すラオシェンへ、私は握り込んだ右拳を、幾分威力を加減した上で叩き込んだ。
頑強な魚鱗甲の鎧とラオシェン自身の鱗に覆われた腹部に命中した私の右拳は、手首まで埋まり込み、ラオシェンの意識を一撃で刈り取る。
「がはあっ!!」
肺の中の空気を絞り出し、力なく崩れ落ちるラオシェンを右手で支え、私は控えていた人魚の医療班に彼を引き渡した。
強力な回復魔法や海底独自の治療術を有する龍宮城の者達なら、すぐに彼を回復出来るだろう。
「次の方は……確かクシャウラ殿でしたか。どなたでいらっしゃるかな?」
次に出て来たのは金糸の刺繍が施された紫染めの道着に身を包み、青く冷めた肌を持った魚人の美丈夫である。鮫の魚人か?
濡れているかのように黒光りする髪を後ろに流して纏め、右手には幅広で肉厚な曲刀を握っている。
静かな瞳の魚人は首の鰓を動かして、浅い呼吸を繰り返している。
気息の充溢と血流の調整で気を練り、それを細胞の一つ一つに流し込んで身体能力と第六感を高める……気功の使い手か。
「〝一刃千変〟クシャウラ。一手ご指南願います」
クシャウラは、私に深く一礼する。
「これはご丁寧に」
礼儀正しい彼の振るまいにつられて、私も思わず頭を下げ返す。このクシャウラからは、蒼月のような怒りや嫉みといった負の感情はあまり感じられない。龍吉が瑠禹への伴として推薦する私の実力を、純粋に知りたい類か。
「いざ」
クシャウラが静かな声で戦いの始まりを告げる。音一つない深海の光景を思わせる落ち着いた声音は、耳に心地好い。
「参られよ」
私が応じたその瞬間、紫の風が私の周囲で渦を巻いた。第一歩で最高速に達したクシャウラが、まさしく風と化して私の懐に飛び込んできたのである。
体重を消失させ、細胞の活性化によって尋常ならざる速度を得る軽気功の一種か。
丹田で練り上げて純度を高めた気が、クシャウラの身体能力を数倍ないしは十倍前後に高め、なおかつ私の呼吸と意識の間隙を突く観察力をもって、私の懐にやすやすと入り込んでいた。
ふむ、まずは見事と褒めておこう。
紫の風と化したクシャウラから、銀色の蛇と見紛う軌跡を描く一刀が、私の左頸部へと繰り出される。
練り上げた気が通った刃が、鉄を断ち、岩を切り裂くほどの切れ味を持つのは間違いあるまい。
私は半身を引いて左頸部に迫っていた刃を避け、その動作に合わせて軽く小突くように右の拳を繰り出す。肩口から最短距離を走り、風を千切り唸らせる剛腕の一撃だ。
対するクシャウラは、曲刀を振り下ろした体勢から、私の右拳を左脇に抱え込むようにして、柔らかな動作で回避していた。
続けて私が放った左前蹴りを、クシャウラは自分の足で私の足の裏を踏み、空中に跳躍して避けてみせる。
ふむ、なかなか軽快な動きよな。
着地の瞬間を狙い、私は突進して左拳を大上段から打ち下ろす。するとクシャウラは、私の左手首に曲刀を添えて私の腕を滑らせる。
狙いを逸らされて床を貫いた私の左手首を上から抑え込んでいた曲刀は、そこから私の顔面を斬り飛ばさんと、疾風の如き勢いで跳ねた。
私は拳を逸らされた意趣返しとして、迫る曲刀の腹を軽く右掌でぱん、と小さな音を立てて弾く。なんという事はない平手だが、それだけで曲刀の軌跡を歪めるには十分だ。
あまりにも呆気なく必殺の一刀を弾かれた事で、クシャウラにかすかな動揺が走る。
私はそのまま曲刀を弾いた右手を握り込み、クシャウラの顔面へと裏拳を放った。
私の拳が鼻先に触れた瞬間、クシャウラは左足を軸に凄まじい勢いでその場で回転し、顔面を粉砕する破壊力を分散してみせた。
更に彼は、この回転の動きと連動させて、曲刀を私の首筋へと叩きつけて来たのである。
たとえ首一つ落とされても、この場に居る医師達と龍吉の力があれば死にはすまいが、易々と刃を受けては格好がつかん。
私は身を伏せて曲刀を凌ぎ、そのまま回転するクシャウラの左足を左手で掴み取る。
後の先を取る使い手にとって、体の一部とはいえ、動きを封じられるのは致命的であろう。
強引に回転を止められたクシャウラは、即座に空いている右足で私の顔面を蹴り込んで来た。いくら気を練りこんであろうとも、私に対して四肢を用いての攻撃は悪手である。
私はクシャウラの爪先に自分の額を叩きつける。クシャウラが気功で肉体を強化しているように、私もまた分身体を構成する魔力の密度を高めて硬化させているのだ。
ぐしゃり、と骨の砕ける生々しい音が修練場に響く。
「ぐっ!?」
クシャウラが生み出す気の量より、私の分身体を構築する魔力の密度の方がはるかに上回っていたのだ。
だがクシャウラの非凡さは次の瞬間に発揮された。空いている手で私に柔らかに触れて、更なる気を生み出したクシャウラが小さく呟く。
「浸透剄」
その瞬間、クシャウラの掌を通じて私の肉体や、魔力の防御膜を貫通し、破壊の指向性を帯びた気が奔流となって流れ込み、肉体を内側からズタズタに破壊しようとする。
頑健な鱗や甲殻、鎧を貫通し、直接敵対者を体内から破壊する技か。しかし、生憎と言うべきか……つい先日同じ技を受けたばかり。
「返礼だ。受け取ると良い」
私は都合よく私に近づいていたクシャウラの頭部を右手で鷲掴みにし、正面からこの鮫の魚人の瞳を睨み据えた。
魔力で分身体を構成する私にとって、流れ込んでくる気を取り込み、増幅し、送り返す程度の事は造作もない。
私は体内を蹂躙するクシャウラの気を多少弱めて、回復に支障がない程度に劣化させてから、右手を通して送り返した。
「かっ、は、があ!?」
苦悶の声を漏らしてびくんと体を跳ねさせて、クシャウラは全身を痙攣させながらぐったりと脱力して倒れ込む。
相手が悪かったな。それにしても、龍宮城の兵にはなかなか多芸な人材が揃っているものだ。
「なかなか手強い相手だったな。さて、次はジャオ殿と申されたか」
私が視線を巡らせると、周囲の観客達の中から老齢の龍人がしずしずと進み出て来た。
袖の長い白い道服を纏い、腹まで白い顎髭を伸ばした老龍人である。
簡単に骨を折る事が出来そうな細い体つきであるが、竜種は寿命を迎える直前を除けば、年を重ねるほどに強力になる種族だ。この老龍を外見通りの老人と侮るわけにはいくまい。それに、魂の年齢で言えば比べるまでもなく、この場の誰よりも私の方が老齢であるしな。
「ラオシェンやクシャウラとの戦いぶり、まさにお見事でございますな、ドラン殿」
「お二人とも、公主殿の薫陶が行き届いた強者でいらした」
「ほほ、たとえ世辞であれ、過分なお言葉と二人とも喜ぶでしょう。貴殿のお力はこれまで幾度か拝見いたしましたが……いやはや、陛下が全幅の信頼をお寄せになるのも当然の事。この老骨一匹では勝負にもなりますまい。貴殿が前世においていかなる名前で呼ばれた竜種でいらしたのか、知りたくもあり、同時に知る事が恐ろしくもあります」
このジャオとて、流石に私が竜種の頂点たる古神竜とまでは考えていないだろうが、龍吉の態度からして過去の三竜帝か、少なくとも竜王級ではないかと考えているように見受けられる。
「そこまで評価されますと、何やら面映ゆくなりますな」
「謙虚な事でいらっしゃる。しかし、このまま一人一人戦っていては、陛下か瑠禹姫がお越しになる前に手合わせを終わらせる事は、難しいでしょう。わしは今回見送ろうかとも思いましたが、さりとてこの好機を逃してはいつ次の機会に恵まれるやら。ドラン殿、恥を知らぬお願いを申し上げる事をお許しくだされ」
「ふむ、いかようなお申し出ですかな?」
「わしと蒼月、そしてそちらに控えておりますもう一人とを、一度に相手してはいただけませんでしょうか?」
「な、ジャオ様、一人に対して三人を相手せよとはなんと無体な! たとえ勝っても、これでは陛下に顔向けが出来ませぬ」
これには蒼月も納得がいかない様子で、ジャオに反論する。
「お主の言う事はもっとも。わしは今、生涯恥ずべき事を口にしているのやもしれぬ。じゃが、わしの見立てでは三対一でもまだ不釣り合いじゃろうて。お主らを低く見積もっているわけではないが、この老骨の目にはそうとしか映らぬでな」
老龍人は穏やかに笑って蒼月を宥めた。
「いずれにせよ、陛下の大切なお客人であるドラン殿を相手に、礼を失した申し出である事は間違いございませぬ。ドラン殿、少しでも嫌とお感じでしたら、遠慮なさらずお断りくださいませ。非は全面的にこのジャオにございますゆえ」
「そこまで重く受け止めていただかずとも結構です。皆様が私の実力を見ているように、私もまた公主殿と瑠禹を日夜守護しておられる皆様の力を確かめているのですからね。……それと、本当に三対一でよろしいので?」
私はほんの僅かに威圧の度合いを強めた気配を発した。
それを受けた蒼月達の反応は劇的であった。稲妻の直撃を受けたように体を硬直させ、目を見開いて私を凝視する。中にはそうする事すら恐ろしいと、目を逸らす者もいた。ふむ、ちとやり過ぎたか。
そんな中で、ジャオは道服の袖で顔を拭う仕草をしていた。汗などかいていないはずだが、緊張を解す為に、自然と体が動いたのであろう。
「これは……いやはや、自分の目がここまで節穴であったかと、今日ほど呪わしく思った事はございませんな」
なんとか咽喉の奥から声を絞り出すジャオに、私は微笑みかけた。
「貴方達の大切な宝である瑠禹を預けるに足る者だと証明する事がいかに大切であるか、遅まきながら理解しましたので、私も気合いを入れ直す事にしました」
「ふうむ、気合いは入れないでいただいた方が、よかったかもしれませんなあ……」
しみじみと呟くジャオに対して、私は苦笑を禁じ得なかった。
改めて私と対峙したのは蒼月、ジャオ、そして観客の輪の中から進み出た女の龍人の三名である。時間も限られているので、今日はこれで打ち止めらしい。
クシャウラとラオシェンはともに修練場の片隅で医療班の治療を受けながら体を休めている。
新たに加わった女龍人の名はリリアナといったか。髪は白く肌は褐色。白く透き通った髪を長々と伸ばし、龍の耳の上からはうっすらと金色の角が伸びる。手に握るのは二匹の龍が絡み合う魔槍。
蒼月はきつく顔を引き締め、腰に佩いた二振りの愛刀を抜いた。
相対する三人いずれにも、僅かな油断も慢心もなく、私に対して突き刺さすような視線と警戒の意識を向け、そしてそれ以上に闘志を燃やしている。
ふむ、まず気骨は十二分だな。
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