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7巻
7-1
しおりを挟む序章―――― クリスティーナの憂鬱
アークレスト王国に五校存在する魔法学院には、共通して春、夏、冬に長期休暇が設けられている。春と冬は二週間ほどだが、夏の休暇は実に二ヵ月にも及ぶ。
夏の長期休暇が近づいたある日、アークレスト王国北方の都市ガロアでは、一人の少女が憂いを帯びた吐息を零していた。
ドランの学友にして、かつて北部辺境開拓計画の総責任者であったアルマディア侯爵を祖父に持つ、クリスティーナである。
彼女はガロア魔法学院高等部女子寮の自室の窓辺に腰掛け、青い空を見上げていた。
この部屋にはクリスティーナの性格がよく反映されていて、チェストや勉強机、本棚など最低限の調度品しか存在しない。他に目を引くものといえば、毛布を敷いた籠と止まり木、愛剣エルスパーダを手入れする道具一式を収めた箱くらいだ。
クリスティーナは普段から男子生徒用の制服に袖を通しているのだが、この時期は夏服姿である。袖や襟が青い白地の半袖のシャツとリボンという格好だ。
本物の銀よりも美しく輝く髪を、青いリボンで束ねているのは相変わらずである。
夏の長期休暇を目前に、魔法学院に通う多くの生徒達は実家に帰省する準備をしていたが、彼女はその準備を全く進めていなかった。
窓から吹きこむ暖かい風に、白銀の髪を撫でられる感触は心地好かったが、彼女の心にかかるもやもやとした霧を払うには至らない。
「寂しそうだね、クリスティーナ」
不意に部屋に響いたのは、変声期を迎える前の少年のような声音。彼女にとっては耳によく馴染んだ声である。
クリスティーナの赤い瞳が、燃え盛る炎で構成された一羽の鳥を映す。
不死鳥の幼鳥だ。
神鳥シムルグやガルーダには劣るが、不死鳥は鳥系統の霊獣としては上位に位置づけられている。ガロア四強の一人である『金炎の君』フェニアが、クリスティーナに執着する理由の一つでもあった。
竜の角のような鋭い鶏冠をいくつも持った頭部、ふっくらとした胸元、翼は赤々と色づいている。この翼から胴体、長々と伸びる尾羽に至るまで、さながら地平線の彼方に沈む太陽の如き色に燃えていた。
無論、燃え盛って見えるのはあくまで外見だけで、実際には熱を発してはおらず、止まり木が燃えたり焦げたりする事はない。
火を食べ、火を血肉とし、火と共に死に、そして再生するのが不死鳥であり、自身の発する熱量くらいは自由自在に操れるのだ。
幼い頃、祭りに出かけたクリスティーナは、怪しげな夜店で一抱えもある謎の卵を購入した。その卵から孵ったのが、この不死鳥である。
当時貧しかったクリスティーナは、卵料理をお腹一杯食べられると考えていたのだが、料理する前に不死鳥が卵から孵り、当てが外れてしまった。
彼女は仕方なくしばらくこの鳥を育てる事にしたが、それはもちろん、たっぷり肥え太らせてから肉を食べる為である。
しかし、当時母と二人で暮らしていたクリスティーナは、不死鳥を育てているうちにすっかり情が移ってしまい、結局食べるのを断念して、家族の一員として共に暮らすようになった。その後、ガロア魔法学院入学に合わせて、この不死鳥を使い魔とし、現在に至るというわけだ。
「寂しそうか……その通りだよ、ニクス。この胸の中には、もの悲しい冬の木枯らしが吹いているんだ」
長い付き合いの使い魔に隠し事は出来ないなと、クリスティーナは素直に今の心境を認めた。
寂しさを感じている理由も、ここに居てはそれを埋める事が出来ないのも分かっているが、解決する手段がないのだからどうしようもない――そんな諦観が、クリスティーナの美貌に翳を落としていた。
「今の君なら、余計なしがらみなんて捨てられるんじゃないのかい? ドラン君達の事を話す君は、いつもにこにこと嬉しそうに笑っていて、とても輝いていたよ」
クリスティーナは、ニクスと名付けた使い魔兼ペット兼家族を、まだドラン達に引き合わせていないのだが、この鳥に彼らの事を色々と語り聞かせている。
「余計なしがらみか。そう言い切って捨てられる強さが、どうやら私には足りないみたいだ」
蝋燭の火も消せないかすかな憂いの吐息を零し、再びクリスティーナは窓の外に広がる空へと視線を転じる。
彼女にとってのしがらみとは、父とその正妻、異母兄弟達の事に他ならない。
母親と死に別れ、荒んだ生活を送っていたクリスティーナは、父親のもとに引き取られた。
しかし、父の城で出会った家族達との関係は、お世辞にも良いとはいえなかった。
祖父は彼女の事を可愛がってくれたし、弟や妹はよく懐いてくれているのだが、義母と兄、姉達とは、どうも心に大きな隔たりがある。今でも彼らを前にすると、クリスティーナは否応なく萎縮してしまう。
このようにクリスティーナが憂いの海に腰まで浸かっているのも、その家族との関係が原因だ。
クリスティーナは〝超人種〟である為、知力、体力、魔力、精神力、霊格と、ありとあらゆる点において常人を凌駕している。
まさに傑物と言う他ないのだが、既に成人した跡継ぎのいる貴族の家にとって、優秀すぎる血縁者は、厄介事の種になりかねない。
兄や姉達にとってクリスティーナは、母を失った哀れな妾腹の娘として受け入れるには、あまりにも賢すぎ、強すぎ、そして美しすぎた。
聡明なクリスティーナはすぐにその事を理解し、決して兄や姉達よりも目立たぬよう、彼らよりも優れていると思わせないように自分自身を抑圧して生きてきたのである。
彼女は時々、魔法学院の事務局や冒険者ギルドに顔を出し、猛獣や魔物討伐の依頼を受けて鬱憤を晴らしてはいたが、自ら積極的に名声を高めるような事はしなかった。
ガロア四強の一人、『白銀の姫騎士』と称えられるほどの実力を持ちながら、これまで魔法学院対抗試合――競魔祭に出場しなかったのも、目立つ事を避けようという考えからだ。
しかし、辺境のベルン村やエンテの森で余暇を過ごした際、そして、そこで出会った少年、ドランが魔法学院に入学してきてからの学校生活で、彼女は心底楽しいと思える時間を過ごし、生きる張り合いを取り戻していた。
そんな心境の変化もあって、今年の競魔祭出場を決めたクリスティーナだが、どうやらこれが、実家の方で問題視されてしまったらしい。
彼女がこのように憂鬱の霧を纏い、美貌を曇らせているのも、実家に戻らなければならない可能性を考え、根こそぎ気力を持っていかれているからだ。
鬱屈とした感情が心の中でぐるぐると渦を巻いていて、彼女はこうして窓辺でぼうっと無為な時間を過ごしている。
「一体何に未練があるんだい? サラサラした絹の服? きらきらと輝く宝石? お腹一杯食べられる美味しい料理? それとも、ふかふかで暖かいベッド?」
「ニクス、分かっていて聞くのは意地が悪いぞ」
クリスティーナが実家との関係を断ち切れない理由が、そのようなものではない事くらいニクスとて理解している。
かつて残飯を漁り、泥水を啜るような生活を経験したにもかかわらず、クリスティーナは貴族としての豪奢な暮らしには全く執着していない。
クリスティーナが固執しているのは、家族という存在に対してだった。
帰省した時の挨拶くらいしか言葉を交わさない父も、顔を合わせる度に苦々しい表情をする義母も――どれだけ希薄な関係だったとしても、実の母を失った時の悲しみと苦しみを克明に記憶しているクリスティーナにとっては、手放し難いのである。
「まったく、心というやつは面倒なものだね」
ニクスは何もかも分かったかのように言う。この鳥は人間以上の知性を備えている所為か、常に皮肉屋で、小賢しい物言いをする癖があった。
「至言だが、鳥に言われたくはないな」
クリスティーナは一度肩を竦めると、ゆっくり立ち上がった。
「ひどい種族差別だ。……おや、出かけるのかい、クリスティーナ?」
「こういう時は友人達の顔を見るに限るのさ」
「君の考えは分かるよ。ところで、アルマディアの家に帰る前に、彼らと一緒に旅行に行くのも良いんじゃない? それくらいの気晴らしは、目零ししてくれるよ」
「そういう手もあるか。しかし旅行先の当てがないからなあ」
そうは言いつつ、クリスティーナの顔には、「ニクスの提案は悪くない」と書いてあった。
実家に帰るのが気乗りしないというのもあるが、気心の知れた者達だけで数日を過ごすのは魅力的だ。
クリスティーナが乗り気である事を、ニクスはよく見抜いていた。
第一章―――― 予兆
ガロア魔法学院に通う私――ドランは、夏季休暇の間は使い魔として同行しているラミアの美少女セリナとともに、故郷のベルン村に帰って過ごす予定を立てていた。
ガロアで手に入れたお土産を馬車に満載して行けば、村の皆もさぞ喜ぶだろう。
魔法学院に通っている生徒の多くは、実家を離れて寮で暮らしている。その為、長期休暇になれば、故郷に帰って勉学の成果を報告したり、生まれ育った家で日ごろの疲れを癒したりする者がほとんどらしい。
そんな夏休み前のある日の事、私の作った浴場のテラスに、いつもの顔ぶれが集まっていた。
それぞれ夏休みの過ごし方について語っていると、級友のファティマがある提案をしてきた。
「ねえねえドラン~。夏季休暇に入ったら、海に遊びに行こうよ~」
この誘いは私にとっては寝耳に水で、当然嬉しくはあったが、若干の戸惑いを禁じ得ないものでもあった。
海自体は人間に生まれ変わってからも――主に竜の分身体で――見ていたが、こうして友達と一緒に行くのは初めての事である。誘ってもらえたという喜びと期待が、私の胸の中で大きく膨らんだ。
しかし残念な事に、夏季休暇中はベルン村で家の手伝いをするという予定が入っていた。
農作業の人手は多ければ多いほど助かるというものだ。まして、体力がある十代の男が居ると居ないとでは、一日のうちにこなせる作業量に大きな違いが出る。
板挟みになり、私は返答に窮して眉間に皺を寄せた。
一方、クリスティーナさんはこの提案を聞いてやけに活き活きとした顔になったが、何かあったのかな?
「南のゴルネブに、うちの別荘があるんだよぉ。皆でそこに行こう~。お金は気にしなくっていいから~」
ふむう、別荘がある上に、私達の滞在費用や交通費まで負担するつもりだとは。これが持つ者の余裕か……などと卑屈になる必要はなく、ファティマの提案は純然たる善意である。
「ファティマ、その誘いはとても嬉しいし、是非とも行きたいと思うのだが、遠慮しておくよ。出来れば故郷に戻って家の農作業を手伝いたいのだ。村にとって、体力のある若い男は貴重な働き手だ。たとえ休暇の間だけとはいえ、一人増えるだけでも大きな違いがある。せっかくのお誘いではあるが、申し訳ない。その代わりと言っては何だが、せめてセリナだけでも連れて行ってもらえると、私としては嬉しいのだけれどね」
「ドランさんが行かないなら私も行きません! それに、ベルン村に帰って皆さんの顔を見たいのは私だって一緒です」
セリナは慌ててこれを辞退した。
せめてセリナだけでも海に行かせてあげようと配慮したつもりだったが、彼女は私に置いていかれるのが心外だったようだ。
どうも私は他者の心の機微を量るのが今ひとつ上手くないらしい。なんとかこの欠点も改善したいものだが、どうすれば良いのやら。
「んんん、そっか~。すっかりドランとセリーと一緒に行くつもりになってたよぉ」
どうやらファティマは私達が誘いに応じるものだとばかり思っていたようで、困った様子でくしゃっと顔を歪めた。
「予想外……」
ファティマの親友であるネルも、相変わらず表情の変化は少ないが、心なしか残念そうである。
これまで私とセリナがファティマからの誘いを断った事はなかったから、問うまでもなく快諾されると思っていたのだろう。
「ガロアから王国南方のゴルネブに行くにしても、移動に時間がかかり過ぎる。村に戻る頃には夏季休暇が半分近く終わってしまう。流石にそこまで時間は使えないな」
無論、私が人間としての体裁にこだわらなければ、時間など問題にならない。さりとて私は、人間として生きたいと願い、こうして生活しているわけだしな。
「えっとねえ、時間なら大丈夫だよ。飛行船を使うから、馬に乗って行くのよりもずっと早く着くからね~。ガロアまでの往復でも半日もかからないもん」
天空遺跡スラニアに行く際にも乗った、空飛ぶ船か。となると、ワーグレール経由で南方の都市ゴルネブに向かう旅程なのか。
飛行船は借りるだけでもそれなりの額がかかるはずだが、ファティマの家にとってはさしたる問題ではないようだ。
だが、飛行船を利用出来るのなら、大幅に時間短縮が出来る。仮にゴルネブで一泊するとして、ガロアからベルン村に戻るのに半日だから、余裕をもって三日ほど見ておけばいいわけか。
確かにそれくらいの時間なら、あまり気にしなくてもいいかもしれない。
私の決心が揺らいでいるのを見透かしたかの如く、それまで聞くばかりだったクリスティーナさんがこう言った。
「ドラン、これから先、長期休暇がないわけではないが、海に行くのなら夏の方がいい。それに私の目には、セリナがずいぶんと海に行きたがっているように見える。その期待に応えてあげるのも、使い魔の主の務めだし、男の甲斐性というものだろう」
クリスティーナさんがなんとも微笑ましそうにセリナを眺めているので、私は二人の顔を順繰りに見回した。
セリナはえへへと笑って恥ずかしそうに私の視線を受け止めた。
「実は海って見た事がないので、一度行ってみたいんです」
そういえば、モレス山脈で生まれ育ったセリナにとって、海は一生縁がなくてもおかしくないものの筆頭か。
ファティマは、セリナの意思表示が力強い味方になると判断したらしく、大きな瞳をキラキラと輝かせて、ずいっと身を乗り出した。
これは勢いに乗って私を籠絡しに来ているな。私はどうも、この可愛らしさと人誑しの才能を兼ね備えた級友に弱い。
「ドラン、セリーもこう言っているんだから行こうよ~。なんだったら、私がドランのお父様とお母様に説明するよ?」
「いや、それをされたら、故郷の皆は私がどんな学生生活を送っているのか余計に疑念を抱くだろうよ。ただ、皆の意見と気持ちはよく分かった。両親に帰りが遅くなっても構わないか確認してみよう。私も行けるものなら皆と海に行きたいからな。ただし、許しが得られなかったら、諦めてくれ」
既に成人して実家から独り立ちをしている私だが、村という共同体の一員としての責任もある。
私がせめてもの妥協案を述べると、ファティマはそれだけで私達の海行きが決定したと解釈したのか、満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「うん! それでいいよ~。それじゃあ、ドラン達の分も含めて飛行船を手配しておくからねえ。海も良いけど、飛行船の空の旅も結構楽しいんだよ?」
ふむ、見ているこちらの方が嬉しくなる笑顔である。値千金、あるいは山と盛られた宝石を対価として差し出しても、絶対に引き換えには出来ないだろうな。
「ああ、ファティマ達と一緒なら、とても楽しい旅になるだろう。だがファティマ、もし行けなくなったとしても、泣いてはくれるなよ?」
「む~、ドラン、私の事を子供扱いし過ぎだよ~。いくらなんでも、お友達と遊びに行けないからって、泣くような歳じゃないよ~」
「そうかね? では泣きべそではなく洟をぐずらせるくらいに認識を改めておこう」
「も~。そんな事を言う子にはお仕置きなのだ~」
「ふむん」
臍を曲げたファティマは小さな頬をリスのように膨らませて、私をぽかぽかと叩いた。可愛らしい擬音が似合う、痛さの欠片もない殴り方である。
歳の近い姉妹がいたらこんな感じであろうか、と私は温かい気持ちになった。まあ、前世の古神竜時代にも、妹のような存在が居たには居たが、もっと殺伐とした関係だったからな……
ぽかぽかと叩きにくるファティマの手を適当にあしらい、私はお返しとばかりに、薄桃色の髪をわしゃわしゃと撫で回す。
ファティマが、「きゃ~」と楽しそうに声を出すのを聞きながら、私は頭の中で両親に送る手紙の文面を考えていた。
単に学友から海に遊びに行こうと誘われた事の報告と、その許可を求めるだけなのだが、学院で実施される特別昇級試験や定期試験の万倍も難しく感じられる。
本当にどう書けばいいものか……ふんむむ。
結局遅々として筆は進まず、私は随分悩んでから手紙を出したが、いざ返事がくると、実に呆気ないものだった。
両親からの手紙には、「期間は気にせず、思う存分遊んで来なさい」という許しの言葉が簡潔に記されていたのである。
我が両親の度量の広さがよく表れた――というのは身内贔屓が過ぎるが、私の悩みが馬鹿げたものだったと思えてくる返答である。
大変ありがたい返事であったが、少なからず肩透かしを食らったのは確かだった。
ベルン村の父母や村長へは、帰省の予定が一週間ほど遅れる旨の手紙を改めて出し、荷物はベルン村に行く顔馴染みの商人に預けて輸送をお願いした。
ファティマの主催による夏の旅行計画は着々と進行している。
まず、彼女の別荘へは、湖に面した港町、ワーグレールから出る大型飛行船に乗って向かう事が決定した。
また、人数は多い方が楽しいというファティマの言葉によって、テラスに集まる共通の友人に声をかける事になった。
神造魔獣の魂を持つレニーアと、その友達のイリナ、ガロア四強の一人のフェニアさんである。残念ながらフェニアさんは実家から早く戻って来いと言われているそうで、今回の旅行には不参加となったが、他の二人は参加するようだ。
私の頭には深紅竜のヴァジェと水龍の巫女、瑠禹の姿が思い浮かんでいた。
この二人には競魔祭への特訓に付き合ってもらっており、その中で彼女達はファティマやフェニアさん、イリナらと交流を深めていたのだ。
特に食い意地の張ったヴァジェは、ファティマが持ってくるお菓子によってすっかり籠絡されている。
夏休みが終わるまで特訓は休止と伝えられたヴァジェは、さっさとモレス山脈のねぐらに戻って眠りこけていた。だが、私が竜の分身体になって訪問し、旅行の話を持ちかけると、「お前がどうしてもと言うのなら」という、最近よく使う決まり文句で応じた。これが出たら、一緒に行くと答えているも同然である。
ヴァジェは例によってクリスティーナさんが同行する事には難色を示したが、海の幸が食べられるぞ、という私の言葉が決定打となり、現地で合流する事になった。
分身体でヴァジェを誘いに行ったついでに、私は海底の龍宮城まで足を延ばした。
この旅行に、海を住まいとする瑠禹を誘うのは、至極当然の流れだ。
彼女の母の龍吉に関しては、一国の主という立場があるので、誘っても承諾の意を得る事は難しかろう。
ただ、彼女は身分を伏せて頻繁に私達の特訓を手伝ってくれていたから、同行する可能性も捨てきれない。
旅行先まで母親と一緒となると、年頃の瑠禹は気疲れしてしまうかもしれないがな。
白竜の分身体で龍宮城の大城門を訪ねた私は、いつも通り、王族の私的な客人を招く離宮の一室に通された。
分身体の姿を白竜からガロア魔法学院の制服に身を包んだ人間の姿へと変えた私は、女官の淹れてくれたお茶で咽喉を潤す。
海藻茶だが磯臭さは感じられず、独特の旨味が舌の上に広がる。
私の応対に顔を出したのは、時折瑠禹と一緒に居る人魚。彼女は、他の者を下がらせて私の対面に腰かけると、自分も茶に手を伸ばしたが、その間も射抜くような鋭い視線を私に向けてくる。
彼女は近衛隊の一つを任されている蒼月という人魚で、以前自己紹介されているから初対面ではない。
蒼月の髪の色は、彼女の持つ魚の下半身と同じうっすらとした桃色をしており、首の後ろで二つに分けて束ねられている。
大陸の東方風の鎧を纏い、鋭い切れ長の瞳は瑠璃色。年の頃は瑠禹よりも二、三歳上に見えるが、それでも十分に若い娘といえる。生涯声をかけてくる男には困らぬ美貌だが、私を睨む表情には迫力があった。敵意の成分は嫉妬が大部分か。
かねてから、この人魚が瑠禹に対して熱い視線を向けていた事を私は知っている。
「ドラン殿、遠路はるばるようこそおいでくださいました。陛下と瑠禹様はご公務にお忙しく、生憎とお出迎えにはいらしておりませぬ」
蒼月は全身から不機嫌と不愉快の雰囲気を叩きつけるように発している。これまで接した限りでは、本人の意識していないところで行っているようだが、そうなると相当根深い問題だ。
出会ったばかりの頃のヴァジェよりはマシだが、この人魚娘は私に敵愾心を燃やし過ぎではあるまいか。
主君の客人を相手にしていかがなものかと思うが、私はあくまで平静な態度で応じる。
「いえ、前触れもなく訪ねて参りましたので、仕方ありますまい。これまでのご厚遇が私には過ぎたものだったのです」
「本日も陛下と瑠禹様がお目当てですか?」
「まあ、それ以外にこの龍宮城を訪ねる理由はないですからね。貴女の言う通りです。それで、お二人の予定がどうなっているか、教えていただけますか?」
蒼月は腸が煮えくり返っているのをなんとか抑えているかのようだ。
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