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3巻
3-2
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「それは私としても望んでいる事です。クリスティーナさんとは妙に馬が合いましたからね」
「そう言ってもらえるとありがたい。試験の事だが、可能ならお前にはこの後私と一緒に魔法学院に赴き、すぐに試験を受けてもらいたい。試験に備える時間はほとんどないが、お前の実力ならきっと問題はないはずだ。もっと時間の余裕を持たせてやりたいところだが、進級式からあまり日が経っていない方がお前も他の生徒と馴染みやすいだろう。都合はどうだ?」
「ふむ、問題はありませんが、何か用意しなければならないものはありますか?」
「筆記用具に関しては私の方で用意する。もちろん普段使い慣れている物を持って行って構わんが。実技試験で使用する杖などはすべて魔法学院で用意した物を使うのが決まりだから、お前が普段使っている杖や長剣は使えない。後はそうだな、ガロアに向かうまでの道中の着替えや護身用の武器の用意くらいか。さて、何か他に聞きたい事はあるか?」
「いえ、私がもっと以前から入学の意思を伝えていれば良かった話ですから、気にしないでください。一応確認したいのですが、魔法学院に入学した場合、私は寮で暮らす事になりますよね」
「ああ。学院の生徒は寮に入る決まりとなっている。中等部からの入学ならば高等部卒業までの六年間を過ごすのが通例だ。だがお前の学力と魔法の実力を考慮すれば、少なくとも高等部の一年生、あるいは二年生からの入学も十分可能だろう。お前は村から離れる事を理由にこれまで入学を渋っていたが、成績や業績次第では飛び級も出来る。お前の努力次第ではあるがな」
上手くやれば一年で卒業も出来るという事だろうか。村から離れなければならないという現実は、入学を決めた今となっても胸の中で消せぬしこりとなっているので、私にはありがたい話である。
デンゼルさんの話を簡単に纏めるとこうだ。
入学試験の成績次第で学費免除かあるいは奨学金の授与といった待遇が決まり、その後の成績次第でもこれらの待遇が変わる。また、私の学力なら高等部の二年生くらいから始められ、成績次第では三年になる前に飛び級で卒業も出来るという。
卒業が早まれば学院卒業後の展望も大きく開けるだろうし、何より私自身の努力次第で結果をどうとでも変えられるというのが気に入った。
何事も自身の努力で未来を切り開く方が私としては好みなのである。
それから私はもう一つ、最も重要な事をデンゼルさんに問うた。
「デンゼルさん、私は今、村に住んでいるラミアの少女と親しくしているのですが……」
「うん?」
「実はベルン村を離れる話をしたら、彼女も私と一緒にガロアに行きたいと言っていまして。以前にデンゼルさんから伺った方法で、彼女をガロアに連れて行こうと思っているのです」
私の話にデンゼルさんはしばし瞑目する。私への解答を頭の中で纏める為には、幾許かの時間が必要なようだった。
ベルン村を離れる話をした時に見たセリナの悲しみ、寂しさ、そして共に行こうと決めた時に見た、輝かんばかりに美しい笑顔を思い出しながら、私はデンゼルさんの答えを待った。
「お前の口利きでこの村にラミアが暮らし始めた事は知っていたが、よもや魔法学院に同行させたいと望むほどの仲になっているとは、流石に想像もしなかったぞ、ドラン」
「セリナというのですが、私には彼女を村に住まわせた責任もありますし、正直に言えば魔法学院に一人で行くよりは二人の方が何かと心強くもあります」
「お前がそんな繊細な神経をしているわけがあるまい。そのセリナというラミアが危険でない事は、村の皆の話からも十分に分かる。だがラミアは人間をはじめ亜人種を襲う事がままある魔物だ。魔法学院はおろか、ガロアに入る事さえ容易ではない。ただし、彼女達が人間の従属下にあるのなら話は別だ。この場合はそのセリナというラミアをお前の使い魔にするという事になるが。使い魔であれば、危険な魔物や猛獣でも魔法学院やガロアの中でも連れて歩けるという話を、お前はしっかりと憶えていたらしいな」
マグル婆さんの授業によれば、この時代の魔法使い達にとって使い魔は小動物や猛獣、魔物のみならず、自身が造った魔法生物やホムンクルスなどでも構わないらしい。ただ、倫理面から人間や亜人を使い魔にする事は強く禁じられていた。
使い魔化した動物や魔物は主との間では精神が一部接続され、言葉に依らない思念での意思疎通と五感の共有が可能となる。使い魔は知性や魔力が増加し、主の方も使い魔が有する記憶や知識、生物的特性を得られるという恩恵があった。
「もしお前がセリナをどうしても連れて行きたいと言うのならば、彼女に使い魔になってもらう他に術はない。それほどまでに一緒に来て欲しい相手なのか?」
「先ほど口にしたのが理由のほとんどですよ。ただ、そうですね。セリナはとても愛らしい外見をしていまして、そんな彼女が涙で瞳を潤ませながら一緒に行きたいと懇願してきたら、世の男性のほとんどは断れないでしょうね」
「お前にはそういう色仕掛けは一切通じないと思っていたが、人並みに色恋に興味はあるのか? それにしてもラミアを村に連れてきてそこまで懐かれているとは、ドラン、お前にはモンスターテイマーの素養があるのかもしれんな」
瞳の深奥を好奇心でらんらんと輝かせるデンゼルさんは、私を一人の人間というよりは興味深い研究対象であるかのように見ている。新しい魔法薬の開発や、魔法の開発に意欲を燃やしている時のマグル婆さんも良く似た瞳をしていた。研究者という人種は、誰しもが少なからずこういった倫理や道徳からかけ離れた一面を備えているものなのだろうか。
「ラミアのように人間と変わらぬ知性と高い魔力を持った魔物を使い魔としているのなら、入学するにあたって更に高い評価を得られるが、既にお前の評価は十分高い。出立も迫っているし、そう慌てて使い魔の契約を結ぶ必要はないだろう」
「分かりました。セリナへは改めて使い魔の件を話しておきます。入学が決まった後、彼女と正式に契約を結ぶかどうか決める事にします」
デンゼルさんは改めてこうつけ加えた。
「自らの意思と知性を持った相手だからな。使い魔としての契約の話は、決して無理強いをしてはならないぞ」
「勿論、あくまでセリナの意思を尊重します」
一通り話が終わったところでデンゼルさんは大きく息をつくと、冷めきったお茶を一気に飲み干した。どこか疲れたようにも見えるその仕草に、私はデンゼルさんらしからぬものを感じて問いかける。
「どうかしましたか? 私の入学の話がデンゼルさんにとって、何か負担になっていましたか?」
「うむ。これはここだけの話だが、お前と母さんの口の堅さを信じて話そう。知っているとは思うが、魔法学院は王都の本校の他に東西南北に一校ずつ、合わせて五校存在しておる。それぞれに独自色があるのだが、実は本校を含めたこの五つの学院は互いを競争相手として認識しているのだ。基本的には根が同じ組織であるから表だっていがみ合いはしないが、教師や生徒の中には他校と張り合おうという考えの者も少なくない。最近になって、南の学院と西の学院にそれぞれ数十年に一人と言われるほどの天才が入学してな。それに加え、元より生徒と設備の質と量で頭一つ飛びぬけていた王都の本校や、東方との交流で独自色の強い東の学院に比べ、我がガロア魔法学院は一歩遅れた形になっていると言わざるを得ん」
「つまり、魔界の者との実戦経験があってマグル婆さんに教えを受けている私は、遅れを取り戻す有望株であると?」
横目でちらっとマグル婆さんを見ると話を聞いていない素振りは変わらずだったが、深い皺を刻んだ顔には不満の色がありありと見えた。弟子が魔法学院の面子の問題に関わらされるのが、腹立たしいらしい。私の身を案じて怒ってくれているのだから、まことにありがたい事であるが。
「うむ。優秀な生徒を輩出すれば学院全体の評価に繋がり、王国から下りる予算も増すからな。実際のところ、ドランよ、お前は西と南の天才とも張り合えるだけの能力があるかもしれん。お前ならちょうどいい対抗馬になるというわけだ。しかもお前は私と学院長の推薦を受け、さらにはエンテの森での実績がある。さらに、ラミアを使い魔に従えているとなれば、まさに鳴り物入りという奴だな」
言われてみると、確かになんとも異常な経歴である。他校に比して遅れを感じているガロア魔法学院のお偉方にとっては、私は降って湧いたように都合の良い生徒というわけか。
「でも、ガロアにもクリスティーナさんのような優秀な人はいるでしょう」
「うむ。彼女か。確かに彼女は学生の中でも最高峰の能力を持っているが、やんごとない事情があってだな。それに本人の性格もあの通りだ」
何とも言えぬ苦い表情になるデンゼルさんの様子と言葉から、クリスティーナさんが紛れもなく優秀な生徒である事の確認は取れたが、まあ確かに率先して他人から注目を浴びようという性格ではないか。
ふむ、それにしてもデンゼルさんの口ぶりからすると、クリスティーナさんほどに優秀な生徒は他にはあまりおらんという事だろうか? そういった事情があるのなら、私が入学する時やその後も何かしら便宜を図ってくれるのではなかろうか、という打算的な考えが浮かぶ。
いやはや、私もすっかり人間らしい考え方が身についたものである。
「なるほど、では出立の用意と挨拶をしてきます。そう言えば、使い魔の契約を結ぶ方法はご存知でしょうか。まだマグル婆さんに教わっていないものでして」
「ああ、私と母さんは勿論、妹のディナも魔法医師だし、儀式については心得ている。試験が終わって合格通知が届くまでの間に、セリナと使い魔の契約に関する話を済ませておくと良い。魔法学院での使い魔の定義については、道中で詳しく説明をしよう。村を出るのは夕方になってからでも間に合うから、そう急がなくても大丈夫だぞ」
確認すべき事をすべて終え、私は席を立った。
「分かりました。マグル婆さん、ごちそうさま。お茶、美味しかったよ」
「そうかい、そいつは良かった。ラミアのお嬢ちゃんとゴラオン達にはちゃんと家を空ける事を伝えるんだよ」
「もちろんだとも」
さあ、ガロア魔法学院に着いたら私の人生の新たな扉が開く。そしてその扉の先には何が待っているのか。私の胸の中には期待と興味こそあれ、不安の色は僅かもありはしなかった。
†
「ドラン、忘れ物はない? いい、貴方は滅多に落ち着きをなくすような子ではないけれど、緊張した時はゆっくり息を吸って吐いてを繰り返しなさい。そうすればとりあえずは落ち着くから」
母は珍しく心配そうな表情を浮かべると、家の戸口に立つ私の肩に手を置いて繰り返し念を押した。
デンゼルさんと約束したガロアへと向かう日の朝の事である。
ディラン兄とマルコは既に畑仕事に出ており、父母の二人がわざわざ実家から私を見送りに来てくれていた。
自分の子供が学校の試験を受けるなど初体験の母は、私がこれまで目にした事がないほど落ち着きのない様子である。私も子供が出来たら今の母のように何かにつけて心配するようになるのだろうか? もっとも父は母とはまるで正反対で、これがちっとも動揺している様子はない。願わくば父のような態度でいずれ生まれ来る我が子らと接したいものである。
「母さん、そんなに心配しなくても、ただ試験を受けるだけの事だよ」
「……そうね、あなたは小さい頃から不思議なくらい手のかからない子だったし、心配するだけ無駄なのかもしれないわね。何事も試してみるべきでしょうし、仮に合格出来なくったって今まで通りに暮らせばいいだけですもの。失敗した時の事なんて気にしないで頑張って来るのよ」
ううむ、母よ、励まそうとしてくれるのは良いのだが、これから試験を受けようという息子に合格が出来ないだの、失敗した時だの、縁起の悪い事をそう連続して口にするのはいかがなものだろうか。
父母と話を進めるにつれて、私は緊張感を抱くどころかかえって肩の力が抜け、試験の本番で十二分に勉強の成果を発揮出来るような気がしてきた。
この場合、母が意図した結果ではないだろうが、ま、良い父母に恵まれたと前向きに考える事にしよう。
私は見送る父母に手を振って別れを告げて、デンゼルさんの待つ南門へと向かった。
デンゼルさんが用立ててくれたのは六頭立ての大きな箱馬車で、光沢のある茶色の車体には魔法と知性を司る神オルディンの紋章と、太陽と月を擬人化した魔法学院の紋章が刻印されている。
初老の男性が御者を務めているが、この御者からもそれなりの魔力が感じられ、単純に魔法学院に雇われた一般の事務員というわけでもないようだ。
私とデンゼルさんとが乗り込むと、御者の小さな掛け声を合図に、馬車がゆっくりと動き始めた。
「ドラン、ガロアに着くまでの間、勉強するつもりはないのか?」
「ええ、必要な事はすべて記憶したので。平常心で臨めば特に問題はないかと思います」
「ほう、そこまで自信満々に言える者はそうそうおらんが、いざ試験となった時にもっと勉強すればよかったと慌てても間に合わんぞ?」
「筆記試験が勉強した範囲の中に収まるなら、何も問題はありません。実技試験も何とかなるでしょう。ただ面接試験ばかりは何とも言えません。それだけは不安ですね」
一歩先を行かれた他の魔法学院に対する対抗馬として、私を担ぎあげようというガロア魔法学院の思惑が確かなら、多少面接でしくじっても落とされる事はあるまいが、さてどうなる事やら。
「それより、デンゼルさんには随分良くしていただいてますが、学院の教師が私に肩入れしているように見られでもしたら、デンゼルさんにとってあまり良くないのではありませんか?」
以前から気になっていた事を率直に問いただすと、口元の髭を弄りながらデンゼルさんはなんでもない事のように事情を話してくれた。
「それは気にするな。魔法の中には虚実を判断するものもある。それを使って私が勧誘と推薦を行う際の規定に違反しているかどうかは魔法学院側で確認をしている。たとえば私がお前に試験の問題を教えたとしても、結局はその事が後で発覚するから、不正行為をしても意味はないのだ」
それから私は改めて魔法学院入学後の話をデンゼルさんに問うた。馬車とはいえガロアに着くまでには時間がある。教科書やこれまでの授業の内容はすべて頭の中に収まっているし、勉強以外の事で時間を有意義に使うべきだろう。
「デンゼルさん、ガロアの魔法学院は今どれくらいの生徒がいるのですか? それに授業はどのような形式で行われているのですか?」
デンゼルさんからいただいた本の中に魔法学院を紹介するものがあったので、以前から大まかな事は知っていたが、やはり実際に教鞭を執っている方の話が聞きたかったので、ちょうど良い機会であった。
「そうだな、お前が編入する予定の高等部は、例年、三学年全員で三百名前後だな。基礎学習の学級こそあるが、あとは個人で希望する履修内容によって授業が分かれるから、あまり学級という枠に拘らずにいても良いだろう。高等部にもなれば、試験の度に何人かの生徒が学院の求める水準を満たせずに落第する者もいるとはいえ、お前には無縁の話か。大概の生徒は魔法使いの一族や貴族の子弟だが、中には有力な商人の親族や、お前のように才能を発掘された平民の子供もいる。こちらは全体と比べると随分と数は少ないがな」
私は今の人生においてはクリスティーナさんとあのゴーダくらいしか貴族を知らんが、風聞で判断する限りにおいては、一般的に貴族の評判はよろしくない。
かつての前世で飽きるほど見続けた人間の歴史というものを振り返れば、人間は身分や出自で同族を差別する生き物だと分かる。たとえ平等を声高々に謳い身分制度を撤廃しても、結局はまた別の理由で己と他者を区別し、差別する事を好むという根は変わらない。
私としては私自身と村の今後の展望の為にも、学院では出来得る限り身分を問わずに友人を作るつもりである。そういった意味ではクリスティーナさんという知己がいるのは、非常にありがたい事であった。まあ、失礼ながら、クリスティーナさんはどうにも友人は少なそうだけれども。
私の心中など知らぬデンゼルさんは魔法学院で行われている授業の内容について、講釈を続ける。
「高等部では中等部で学んだ事を下地にして、それぞれ個々の魔法使いとしてのあり方によって選択する授業が変わってくる。思念魔法、精霊魔法、神聖魔法、暗黒魔法、召喚魔法、付与魔法、創造魔法に錬金術。一口に魔法といっても、無数の体系が存在している。魔法だけでなく基本的な読み書き、計算はもちろんの事、歴史学、政治学、紋章学、経済学、経営学、商学、薬学、医学、神学、音学、哲学、文学、数学、語学と選択肢を挙げればきりがないほどだ。もっともお前の場合はベルン村の発展の役に立つ事を第一にしておるようだから、既にある程度指針は立っているな?」
「ええ。錬金術と付与魔法、創造魔法辺りを中心に勉強するつもりです。医学や薬学はマグル婆さんにきっちり教え込まれたのでいいとして、後は経済や商売にも興味はあります」
「学院で何を学ぶかまでは強制せん。お前の好きなように学ぶと良い。村と家族と友達と離れる決断をしただけの価値があったと自分で納得出来るようにな」
「もちろんそうします。学院で過ごす時間は、私にとって黄金や宝石よりもはるかに貴重ですから」
嘘偽りなど欠片もなく、私は心の底からそう口にした。私が村を離れる時間は、仮に飛び級したとしても最短で一年間ほどになる。
この時間を代償とするだけの成果を上げなければ、他の誰よりも私自身が納得できぬ。
ベルン村を発って一日ほどでクラウゼ村に辿り着き、まずはそこで宿泊。次の朝すぐに出立し、二日をかけてガロアへ到着となる。
ガロアとクラウゼ村との間には雨風に打たれて摩耗した石畳の街道が続いており、私達以外に道を行く人々の数はまばらである。
ガロアまでの馬車旅を、私はガロア魔法学院とそこに通う生徒達についてデンゼルさんに質問して過ごした。そうしてデンゼルさんと話す事もなくなってきた頃になって、私はガロアへと辿り着いたのだった。
「さて、ドラン。せっかくのガロアだから街の案内くらいはしてやりたいところだが、今日はあくまで試験の為に来たのでな。早速で悪いが、学院に向かわせてもらうぞ」
私はデンゼルさんに了承の返事をして、馬車が魔法学院に着くのを待った。馬車の小窓から覗く街並みは活気に満ちていて、人々で大いに賑わっていた。
ふむ、先日のキーレンの一件といい、私はつくづくガロアの観光に縁がないらしい。残念な気持ちはあるが、魔法学院に入学してガロアに住まうようになれば、街を見て回る機会にはいくらでも恵まれよう。
ガロア魔法学院はガロアの街が形成された当初に創立された由緒ある学問の場で、上流階級の者や裕福な商人、総督府に勤める役人や上級兵士だけが住む事を許される街の第一層の城壁と第二層の間にある。
ガロア市街の西部に位置する魔法学院は広大な面積を誇り、私の背丈の五倍ほどの高さの石壁にぐるりと囲まれて、正門には魔法学院の校章が黄金の円盤に彫り込まれて太陽の光を跳ね返していた。
正門から続く白い石畳の向こうには七階建てに及ぶ学院の校舎が、連綿と続いた歴史を窺わせる重厚さで聳え立つ。
ガロアが北方の魔物や蛮族、亜人との戦いの中心拠点とする為に城塞都市として築かれた歴史を考えれば、魔法学院も有事には軍事拠点として機能するように作られているのかもしれない。
入校許可証の確認の為、学院正門の前で一時止まっていた馬車がまた動きだし、いよいよ学院の敷地内へと入って行く。正門から長く続いた道を行く馬車は本校舎の前で停まり、私達をそこで降ろした。
分厚く黒い大理石の扉は音一つ立てずに開き、私達を校舎の中へと導く。
一階は広いエントランスホールになっており、はるか頭上を仰げば魔晶石と精霊石や、水晶を惜しげもなく使った巨大なシャンデリアが吊り下げられている。
魔法学院の中はしんとした静寂に満たされていて、今も数百名の人間が校舎内にいるはずなのだが、その喧騒は全く感じられなかった。
私はデンゼルさんの案内で、エントランスホールの左にある扉の一つを通り抜けると、廊下を進み、試験を受ける為の部屋へと通される。
二人用の机が五つずつ三列に並ぶ教室の中、一段高い教壇と黒板の前に、試験官を務めるのであろう教師が待っていた。
「アリスター、この子が試験を受けるドランだ。ドラン、こちらがお前の試験を監督する教師だ。試験を受ける上で何か分からない事があったら、彼に尋ねなさい」
教室の中で待っていたのは三十代半ば頃の男性の魔法教師で、深緑色のローブを身にまとい、神経質そうな狐目に、細顎と鷲鼻が印象的な人物だった。
「ドランです。よろしくお願いします」
「うむ。いい面構えだ。吾輩はアリスター。今回の君の筆記および実技試験の監督官を務める。ではデンゼル師、ご退出願えますかな? 早速この子の試験を始めなければなりません」
「分かっている。ではドランよ、悔いの残らぬように全力を尽くせよ」
私に気合いを入れるように一つ肩を叩いてから、デンゼルさんは教室の扉を開いて去っていった。ふむ、私の未来がどのように繋がってゆくかが、この場所で決まるのか。
そう考えるとさほど広くはないこの教室にも、不思議と感慨めいたものを感じる。私の人生における分岐点の一つとなる場所なのだ。
私がしみじみしていると、アリスター先生が私に席に着くよう指示を出した。教壇の上には私が行う筆記試験用の紙束と試験時間を計る砂時計が置かれている。
教室全体に使い魔やゴーレムなどとの精神接続を阻害する魔法が施されており、通常はこれで不正対策としているのだろう。
私からすれば無きに等しい無力な阻害魔法だが、もとよりこの試験は、正真正銘自分の実力だけで突破するつもりである。
「では席に着きたまえ、ベルン村のドラン。これより君が魔法学院の生徒たるに相応しい資質と能力の持ち主か確かめる為の試験を行う。筆記試験は中等部までに学んだ魔法の基礎知識および一般教養を問うものだ。この砂時計の砂が尽きるまでの間、解答に全力を注ぎたまえ。さあ、筆記用具を出して試験の準備を整えるのだ」
アリスター先生の言葉に従い、私は鞄の中から筆記用具を取りだし、裏返しにされた問題用紙を受け取った。
マグル婆さんとデンゼルさんから受けた教育が身についていれば、高等部の入学試験は問題なく解答出来ると聞かされていたが、実際にはどうなる事か。
私の用意が整ったのを見計らって、アリスター先生は砂時計を手に取る。
「準備は良いかね? 試験中の退席は認められない。落とし物をした時は吾輩が拾うので席を立たないように。言うまでもないが不正が発覚した場合には即座に試験を中止し、君の入学の話は白紙になる。何か質問は?」
「いいえ。いつでも始めてくださって結構です」
「よろしい。では、始め」
砂時計が返され、青い砂がさらりと零れ落ちる。
筆記試験は流石に中等部の三年生が受けるとあって、魔法を習い始めた頃の私が使っていた初心者向けの教科書よりはいくらか進んでいたが、マグル婆さんに弟子入りしてすぐの頃に学習を終えた内容であった。
私の握る羽ペンは休みなく動き続け、半分ほどの時間を残してすべての解答を終えてしまう。
砂時計の砂が完全に落ち切った後、アリスター先生に連れられて、私は校内の敷地にある魔法の練習場へと移動した。
練習場で行われた実技試験の課題は、魔力の制御に関する基礎技術の他、基礎習得魔法とされる日常で使用される属性を持たない魔法の行使である。主に解錠、施錠、照明の点灯と消灯、自身の浮遊、離れた物体の念動による移動などだ。
続いては魔法学院から支給された杖を片手に魔力が枯渇している魔晶石に魔力を込める課題や、精霊石を用いて各属性への適性検査を兼ねた試験を行う。
一度も失敗する事なく用意された課題を消化してゆく私を、アリスター先生は無表情のまま監督していた。
筆記試験も実技試験もすべて失敗なしにこなせたと思うが、この試験官殿にはどのように見えていただろうか。
筆記と実技の両試験が終わり、私は面接試験を受けるために再び本校舎に戻った。
小休止を挟んだ後、アリスター先生の案内でエントランスの螺旋階段を上り、三階にまで辿り着くと、先ほど筆記試験を受けた教室とは違う造りの扉の前まで案内される。
閉じた扉の向こうに四つの気配。人間以外の気配もあり、この四人が面接を行う試験官達で間違いはないだろう。
隣に立つアリスター先生の横顔を見上げると、私の視線に気づいたアリスター先生が私を見下ろして口を開いた。
「この面接で君が受ける入学試験は終わりだ。普段なら、そう緊張しなくていいなどと言うところだが、君はまったく緊張している様子はないな。まあいい。深呼吸でもするかね? 準備が良ければノックしてから入室したまえ。部屋に入った時から面接は始まっているぞ」
「大丈夫です。筆記試験と実技試験の監督、ありがとうございました」
私はアリスター先生に一礼してから扉を叩いた。
どうぞ、と返って来た部屋の中からの声に、私は普段と変わらぬ落ち着き払った声で入室の挨拶をした。
「そう言ってもらえるとありがたい。試験の事だが、可能ならお前にはこの後私と一緒に魔法学院に赴き、すぐに試験を受けてもらいたい。試験に備える時間はほとんどないが、お前の実力ならきっと問題はないはずだ。もっと時間の余裕を持たせてやりたいところだが、進級式からあまり日が経っていない方がお前も他の生徒と馴染みやすいだろう。都合はどうだ?」
「ふむ、問題はありませんが、何か用意しなければならないものはありますか?」
「筆記用具に関しては私の方で用意する。もちろん普段使い慣れている物を持って行って構わんが。実技試験で使用する杖などはすべて魔法学院で用意した物を使うのが決まりだから、お前が普段使っている杖や長剣は使えない。後はそうだな、ガロアに向かうまでの道中の着替えや護身用の武器の用意くらいか。さて、何か他に聞きたい事はあるか?」
「いえ、私がもっと以前から入学の意思を伝えていれば良かった話ですから、気にしないでください。一応確認したいのですが、魔法学院に入学した場合、私は寮で暮らす事になりますよね」
「ああ。学院の生徒は寮に入る決まりとなっている。中等部からの入学ならば高等部卒業までの六年間を過ごすのが通例だ。だがお前の学力と魔法の実力を考慮すれば、少なくとも高等部の一年生、あるいは二年生からの入学も十分可能だろう。お前は村から離れる事を理由にこれまで入学を渋っていたが、成績や業績次第では飛び級も出来る。お前の努力次第ではあるがな」
上手くやれば一年で卒業も出来るという事だろうか。村から離れなければならないという現実は、入学を決めた今となっても胸の中で消せぬしこりとなっているので、私にはありがたい話である。
デンゼルさんの話を簡単に纏めるとこうだ。
入学試験の成績次第で学費免除かあるいは奨学金の授与といった待遇が決まり、その後の成績次第でもこれらの待遇が変わる。また、私の学力なら高等部の二年生くらいから始められ、成績次第では三年になる前に飛び級で卒業も出来るという。
卒業が早まれば学院卒業後の展望も大きく開けるだろうし、何より私自身の努力次第で結果をどうとでも変えられるというのが気に入った。
何事も自身の努力で未来を切り開く方が私としては好みなのである。
それから私はもう一つ、最も重要な事をデンゼルさんに問うた。
「デンゼルさん、私は今、村に住んでいるラミアの少女と親しくしているのですが……」
「うん?」
「実はベルン村を離れる話をしたら、彼女も私と一緒にガロアに行きたいと言っていまして。以前にデンゼルさんから伺った方法で、彼女をガロアに連れて行こうと思っているのです」
私の話にデンゼルさんはしばし瞑目する。私への解答を頭の中で纏める為には、幾許かの時間が必要なようだった。
ベルン村を離れる話をした時に見たセリナの悲しみ、寂しさ、そして共に行こうと決めた時に見た、輝かんばかりに美しい笑顔を思い出しながら、私はデンゼルさんの答えを待った。
「お前の口利きでこの村にラミアが暮らし始めた事は知っていたが、よもや魔法学院に同行させたいと望むほどの仲になっているとは、流石に想像もしなかったぞ、ドラン」
「セリナというのですが、私には彼女を村に住まわせた責任もありますし、正直に言えば魔法学院に一人で行くよりは二人の方が何かと心強くもあります」
「お前がそんな繊細な神経をしているわけがあるまい。そのセリナというラミアが危険でない事は、村の皆の話からも十分に分かる。だがラミアは人間をはじめ亜人種を襲う事がままある魔物だ。魔法学院はおろか、ガロアに入る事さえ容易ではない。ただし、彼女達が人間の従属下にあるのなら話は別だ。この場合はそのセリナというラミアをお前の使い魔にするという事になるが。使い魔であれば、危険な魔物や猛獣でも魔法学院やガロアの中でも連れて歩けるという話を、お前はしっかりと憶えていたらしいな」
マグル婆さんの授業によれば、この時代の魔法使い達にとって使い魔は小動物や猛獣、魔物のみならず、自身が造った魔法生物やホムンクルスなどでも構わないらしい。ただ、倫理面から人間や亜人を使い魔にする事は強く禁じられていた。
使い魔化した動物や魔物は主との間では精神が一部接続され、言葉に依らない思念での意思疎通と五感の共有が可能となる。使い魔は知性や魔力が増加し、主の方も使い魔が有する記憶や知識、生物的特性を得られるという恩恵があった。
「もしお前がセリナをどうしても連れて行きたいと言うのならば、彼女に使い魔になってもらう他に術はない。それほどまでに一緒に来て欲しい相手なのか?」
「先ほど口にしたのが理由のほとんどですよ。ただ、そうですね。セリナはとても愛らしい外見をしていまして、そんな彼女が涙で瞳を潤ませながら一緒に行きたいと懇願してきたら、世の男性のほとんどは断れないでしょうね」
「お前にはそういう色仕掛けは一切通じないと思っていたが、人並みに色恋に興味はあるのか? それにしてもラミアを村に連れてきてそこまで懐かれているとは、ドラン、お前にはモンスターテイマーの素養があるのかもしれんな」
瞳の深奥を好奇心でらんらんと輝かせるデンゼルさんは、私を一人の人間というよりは興味深い研究対象であるかのように見ている。新しい魔法薬の開発や、魔法の開発に意欲を燃やしている時のマグル婆さんも良く似た瞳をしていた。研究者という人種は、誰しもが少なからずこういった倫理や道徳からかけ離れた一面を備えているものなのだろうか。
「ラミアのように人間と変わらぬ知性と高い魔力を持った魔物を使い魔としているのなら、入学するにあたって更に高い評価を得られるが、既にお前の評価は十分高い。出立も迫っているし、そう慌てて使い魔の契約を結ぶ必要はないだろう」
「分かりました。セリナへは改めて使い魔の件を話しておきます。入学が決まった後、彼女と正式に契約を結ぶかどうか決める事にします」
デンゼルさんは改めてこうつけ加えた。
「自らの意思と知性を持った相手だからな。使い魔としての契約の話は、決して無理強いをしてはならないぞ」
「勿論、あくまでセリナの意思を尊重します」
一通り話が終わったところでデンゼルさんは大きく息をつくと、冷めきったお茶を一気に飲み干した。どこか疲れたようにも見えるその仕草に、私はデンゼルさんらしからぬものを感じて問いかける。
「どうかしましたか? 私の入学の話がデンゼルさんにとって、何か負担になっていましたか?」
「うむ。これはここだけの話だが、お前と母さんの口の堅さを信じて話そう。知っているとは思うが、魔法学院は王都の本校の他に東西南北に一校ずつ、合わせて五校存在しておる。それぞれに独自色があるのだが、実は本校を含めたこの五つの学院は互いを競争相手として認識しているのだ。基本的には根が同じ組織であるから表だっていがみ合いはしないが、教師や生徒の中には他校と張り合おうという考えの者も少なくない。最近になって、南の学院と西の学院にそれぞれ数十年に一人と言われるほどの天才が入学してな。それに加え、元より生徒と設備の質と量で頭一つ飛びぬけていた王都の本校や、東方との交流で独自色の強い東の学院に比べ、我がガロア魔法学院は一歩遅れた形になっていると言わざるを得ん」
「つまり、魔界の者との実戦経験があってマグル婆さんに教えを受けている私は、遅れを取り戻す有望株であると?」
横目でちらっとマグル婆さんを見ると話を聞いていない素振りは変わらずだったが、深い皺を刻んだ顔には不満の色がありありと見えた。弟子が魔法学院の面子の問題に関わらされるのが、腹立たしいらしい。私の身を案じて怒ってくれているのだから、まことにありがたい事であるが。
「うむ。優秀な生徒を輩出すれば学院全体の評価に繋がり、王国から下りる予算も増すからな。実際のところ、ドランよ、お前は西と南の天才とも張り合えるだけの能力があるかもしれん。お前ならちょうどいい対抗馬になるというわけだ。しかもお前は私と学院長の推薦を受け、さらにはエンテの森での実績がある。さらに、ラミアを使い魔に従えているとなれば、まさに鳴り物入りという奴だな」
言われてみると、確かになんとも異常な経歴である。他校に比して遅れを感じているガロア魔法学院のお偉方にとっては、私は降って湧いたように都合の良い生徒というわけか。
「でも、ガロアにもクリスティーナさんのような優秀な人はいるでしょう」
「うむ。彼女か。確かに彼女は学生の中でも最高峰の能力を持っているが、やんごとない事情があってだな。それに本人の性格もあの通りだ」
何とも言えぬ苦い表情になるデンゼルさんの様子と言葉から、クリスティーナさんが紛れもなく優秀な生徒である事の確認は取れたが、まあ確かに率先して他人から注目を浴びようという性格ではないか。
ふむ、それにしてもデンゼルさんの口ぶりからすると、クリスティーナさんほどに優秀な生徒は他にはあまりおらんという事だろうか? そういった事情があるのなら、私が入学する時やその後も何かしら便宜を図ってくれるのではなかろうか、という打算的な考えが浮かぶ。
いやはや、私もすっかり人間らしい考え方が身についたものである。
「なるほど、では出立の用意と挨拶をしてきます。そう言えば、使い魔の契約を結ぶ方法はご存知でしょうか。まだマグル婆さんに教わっていないものでして」
「ああ、私と母さんは勿論、妹のディナも魔法医師だし、儀式については心得ている。試験が終わって合格通知が届くまでの間に、セリナと使い魔の契約に関する話を済ませておくと良い。魔法学院での使い魔の定義については、道中で詳しく説明をしよう。村を出るのは夕方になってからでも間に合うから、そう急がなくても大丈夫だぞ」
確認すべき事をすべて終え、私は席を立った。
「分かりました。マグル婆さん、ごちそうさま。お茶、美味しかったよ」
「そうかい、そいつは良かった。ラミアのお嬢ちゃんとゴラオン達にはちゃんと家を空ける事を伝えるんだよ」
「もちろんだとも」
さあ、ガロア魔法学院に着いたら私の人生の新たな扉が開く。そしてその扉の先には何が待っているのか。私の胸の中には期待と興味こそあれ、不安の色は僅かもありはしなかった。
†
「ドラン、忘れ物はない? いい、貴方は滅多に落ち着きをなくすような子ではないけれど、緊張した時はゆっくり息を吸って吐いてを繰り返しなさい。そうすればとりあえずは落ち着くから」
母は珍しく心配そうな表情を浮かべると、家の戸口に立つ私の肩に手を置いて繰り返し念を押した。
デンゼルさんと約束したガロアへと向かう日の朝の事である。
ディラン兄とマルコは既に畑仕事に出ており、父母の二人がわざわざ実家から私を見送りに来てくれていた。
自分の子供が学校の試験を受けるなど初体験の母は、私がこれまで目にした事がないほど落ち着きのない様子である。私も子供が出来たら今の母のように何かにつけて心配するようになるのだろうか? もっとも父は母とはまるで正反対で、これがちっとも動揺している様子はない。願わくば父のような態度でいずれ生まれ来る我が子らと接したいものである。
「母さん、そんなに心配しなくても、ただ試験を受けるだけの事だよ」
「……そうね、あなたは小さい頃から不思議なくらい手のかからない子だったし、心配するだけ無駄なのかもしれないわね。何事も試してみるべきでしょうし、仮に合格出来なくったって今まで通りに暮らせばいいだけですもの。失敗した時の事なんて気にしないで頑張って来るのよ」
ううむ、母よ、励まそうとしてくれるのは良いのだが、これから試験を受けようという息子に合格が出来ないだの、失敗した時だの、縁起の悪い事をそう連続して口にするのはいかがなものだろうか。
父母と話を進めるにつれて、私は緊張感を抱くどころかかえって肩の力が抜け、試験の本番で十二分に勉強の成果を発揮出来るような気がしてきた。
この場合、母が意図した結果ではないだろうが、ま、良い父母に恵まれたと前向きに考える事にしよう。
私は見送る父母に手を振って別れを告げて、デンゼルさんの待つ南門へと向かった。
デンゼルさんが用立ててくれたのは六頭立ての大きな箱馬車で、光沢のある茶色の車体には魔法と知性を司る神オルディンの紋章と、太陽と月を擬人化した魔法学院の紋章が刻印されている。
初老の男性が御者を務めているが、この御者からもそれなりの魔力が感じられ、単純に魔法学院に雇われた一般の事務員というわけでもないようだ。
私とデンゼルさんとが乗り込むと、御者の小さな掛け声を合図に、馬車がゆっくりと動き始めた。
「ドラン、ガロアに着くまでの間、勉強するつもりはないのか?」
「ええ、必要な事はすべて記憶したので。平常心で臨めば特に問題はないかと思います」
「ほう、そこまで自信満々に言える者はそうそうおらんが、いざ試験となった時にもっと勉強すればよかったと慌てても間に合わんぞ?」
「筆記試験が勉強した範囲の中に収まるなら、何も問題はありません。実技試験も何とかなるでしょう。ただ面接試験ばかりは何とも言えません。それだけは不安ですね」
一歩先を行かれた他の魔法学院に対する対抗馬として、私を担ぎあげようというガロア魔法学院の思惑が確かなら、多少面接でしくじっても落とされる事はあるまいが、さてどうなる事やら。
「それより、デンゼルさんには随分良くしていただいてますが、学院の教師が私に肩入れしているように見られでもしたら、デンゼルさんにとってあまり良くないのではありませんか?」
以前から気になっていた事を率直に問いただすと、口元の髭を弄りながらデンゼルさんはなんでもない事のように事情を話してくれた。
「それは気にするな。魔法の中には虚実を判断するものもある。それを使って私が勧誘と推薦を行う際の規定に違反しているかどうかは魔法学院側で確認をしている。たとえば私がお前に試験の問題を教えたとしても、結局はその事が後で発覚するから、不正行為をしても意味はないのだ」
それから私は改めて魔法学院入学後の話をデンゼルさんに問うた。馬車とはいえガロアに着くまでには時間がある。教科書やこれまでの授業の内容はすべて頭の中に収まっているし、勉強以外の事で時間を有意義に使うべきだろう。
「デンゼルさん、ガロアの魔法学院は今どれくらいの生徒がいるのですか? それに授業はどのような形式で行われているのですか?」
デンゼルさんからいただいた本の中に魔法学院を紹介するものがあったので、以前から大まかな事は知っていたが、やはり実際に教鞭を執っている方の話が聞きたかったので、ちょうど良い機会であった。
「そうだな、お前が編入する予定の高等部は、例年、三学年全員で三百名前後だな。基礎学習の学級こそあるが、あとは個人で希望する履修内容によって授業が分かれるから、あまり学級という枠に拘らずにいても良いだろう。高等部にもなれば、試験の度に何人かの生徒が学院の求める水準を満たせずに落第する者もいるとはいえ、お前には無縁の話か。大概の生徒は魔法使いの一族や貴族の子弟だが、中には有力な商人の親族や、お前のように才能を発掘された平民の子供もいる。こちらは全体と比べると随分と数は少ないがな」
私は今の人生においてはクリスティーナさんとあのゴーダくらいしか貴族を知らんが、風聞で判断する限りにおいては、一般的に貴族の評判はよろしくない。
かつての前世で飽きるほど見続けた人間の歴史というものを振り返れば、人間は身分や出自で同族を差別する生き物だと分かる。たとえ平等を声高々に謳い身分制度を撤廃しても、結局はまた別の理由で己と他者を区別し、差別する事を好むという根は変わらない。
私としては私自身と村の今後の展望の為にも、学院では出来得る限り身分を問わずに友人を作るつもりである。そういった意味ではクリスティーナさんという知己がいるのは、非常にありがたい事であった。まあ、失礼ながら、クリスティーナさんはどうにも友人は少なそうだけれども。
私の心中など知らぬデンゼルさんは魔法学院で行われている授業の内容について、講釈を続ける。
「高等部では中等部で学んだ事を下地にして、それぞれ個々の魔法使いとしてのあり方によって選択する授業が変わってくる。思念魔法、精霊魔法、神聖魔法、暗黒魔法、召喚魔法、付与魔法、創造魔法に錬金術。一口に魔法といっても、無数の体系が存在している。魔法だけでなく基本的な読み書き、計算はもちろんの事、歴史学、政治学、紋章学、経済学、経営学、商学、薬学、医学、神学、音学、哲学、文学、数学、語学と選択肢を挙げればきりがないほどだ。もっともお前の場合はベルン村の発展の役に立つ事を第一にしておるようだから、既にある程度指針は立っているな?」
「ええ。錬金術と付与魔法、創造魔法辺りを中心に勉強するつもりです。医学や薬学はマグル婆さんにきっちり教え込まれたのでいいとして、後は経済や商売にも興味はあります」
「学院で何を学ぶかまでは強制せん。お前の好きなように学ぶと良い。村と家族と友達と離れる決断をしただけの価値があったと自分で納得出来るようにな」
「もちろんそうします。学院で過ごす時間は、私にとって黄金や宝石よりもはるかに貴重ですから」
嘘偽りなど欠片もなく、私は心の底からそう口にした。私が村を離れる時間は、仮に飛び級したとしても最短で一年間ほどになる。
この時間を代償とするだけの成果を上げなければ、他の誰よりも私自身が納得できぬ。
ベルン村を発って一日ほどでクラウゼ村に辿り着き、まずはそこで宿泊。次の朝すぐに出立し、二日をかけてガロアへ到着となる。
ガロアとクラウゼ村との間には雨風に打たれて摩耗した石畳の街道が続いており、私達以外に道を行く人々の数はまばらである。
ガロアまでの馬車旅を、私はガロア魔法学院とそこに通う生徒達についてデンゼルさんに質問して過ごした。そうしてデンゼルさんと話す事もなくなってきた頃になって、私はガロアへと辿り着いたのだった。
「さて、ドラン。せっかくのガロアだから街の案内くらいはしてやりたいところだが、今日はあくまで試験の為に来たのでな。早速で悪いが、学院に向かわせてもらうぞ」
私はデンゼルさんに了承の返事をして、馬車が魔法学院に着くのを待った。馬車の小窓から覗く街並みは活気に満ちていて、人々で大いに賑わっていた。
ふむ、先日のキーレンの一件といい、私はつくづくガロアの観光に縁がないらしい。残念な気持ちはあるが、魔法学院に入学してガロアに住まうようになれば、街を見て回る機会にはいくらでも恵まれよう。
ガロア魔法学院はガロアの街が形成された当初に創立された由緒ある学問の場で、上流階級の者や裕福な商人、総督府に勤める役人や上級兵士だけが住む事を許される街の第一層の城壁と第二層の間にある。
ガロア市街の西部に位置する魔法学院は広大な面積を誇り、私の背丈の五倍ほどの高さの石壁にぐるりと囲まれて、正門には魔法学院の校章が黄金の円盤に彫り込まれて太陽の光を跳ね返していた。
正門から続く白い石畳の向こうには七階建てに及ぶ学院の校舎が、連綿と続いた歴史を窺わせる重厚さで聳え立つ。
ガロアが北方の魔物や蛮族、亜人との戦いの中心拠点とする為に城塞都市として築かれた歴史を考えれば、魔法学院も有事には軍事拠点として機能するように作られているのかもしれない。
入校許可証の確認の為、学院正門の前で一時止まっていた馬車がまた動きだし、いよいよ学院の敷地内へと入って行く。正門から長く続いた道を行く馬車は本校舎の前で停まり、私達をそこで降ろした。
分厚く黒い大理石の扉は音一つ立てずに開き、私達を校舎の中へと導く。
一階は広いエントランスホールになっており、はるか頭上を仰げば魔晶石と精霊石や、水晶を惜しげもなく使った巨大なシャンデリアが吊り下げられている。
魔法学院の中はしんとした静寂に満たされていて、今も数百名の人間が校舎内にいるはずなのだが、その喧騒は全く感じられなかった。
私はデンゼルさんの案内で、エントランスホールの左にある扉の一つを通り抜けると、廊下を進み、試験を受ける為の部屋へと通される。
二人用の机が五つずつ三列に並ぶ教室の中、一段高い教壇と黒板の前に、試験官を務めるのであろう教師が待っていた。
「アリスター、この子が試験を受けるドランだ。ドラン、こちらがお前の試験を監督する教師だ。試験を受ける上で何か分からない事があったら、彼に尋ねなさい」
教室の中で待っていたのは三十代半ば頃の男性の魔法教師で、深緑色のローブを身にまとい、神経質そうな狐目に、細顎と鷲鼻が印象的な人物だった。
「ドランです。よろしくお願いします」
「うむ。いい面構えだ。吾輩はアリスター。今回の君の筆記および実技試験の監督官を務める。ではデンゼル師、ご退出願えますかな? 早速この子の試験を始めなければなりません」
「分かっている。ではドランよ、悔いの残らぬように全力を尽くせよ」
私に気合いを入れるように一つ肩を叩いてから、デンゼルさんは教室の扉を開いて去っていった。ふむ、私の未来がどのように繋がってゆくかが、この場所で決まるのか。
そう考えるとさほど広くはないこの教室にも、不思議と感慨めいたものを感じる。私の人生における分岐点の一つとなる場所なのだ。
私がしみじみしていると、アリスター先生が私に席に着くよう指示を出した。教壇の上には私が行う筆記試験用の紙束と試験時間を計る砂時計が置かれている。
教室全体に使い魔やゴーレムなどとの精神接続を阻害する魔法が施されており、通常はこれで不正対策としているのだろう。
私からすれば無きに等しい無力な阻害魔法だが、もとよりこの試験は、正真正銘自分の実力だけで突破するつもりである。
「では席に着きたまえ、ベルン村のドラン。これより君が魔法学院の生徒たるに相応しい資質と能力の持ち主か確かめる為の試験を行う。筆記試験は中等部までに学んだ魔法の基礎知識および一般教養を問うものだ。この砂時計の砂が尽きるまでの間、解答に全力を注ぎたまえ。さあ、筆記用具を出して試験の準備を整えるのだ」
アリスター先生の言葉に従い、私は鞄の中から筆記用具を取りだし、裏返しにされた問題用紙を受け取った。
マグル婆さんとデンゼルさんから受けた教育が身についていれば、高等部の入学試験は問題なく解答出来ると聞かされていたが、実際にはどうなる事か。
私の用意が整ったのを見計らって、アリスター先生は砂時計を手に取る。
「準備は良いかね? 試験中の退席は認められない。落とし物をした時は吾輩が拾うので席を立たないように。言うまでもないが不正が発覚した場合には即座に試験を中止し、君の入学の話は白紙になる。何か質問は?」
「いいえ。いつでも始めてくださって結構です」
「よろしい。では、始め」
砂時計が返され、青い砂がさらりと零れ落ちる。
筆記試験は流石に中等部の三年生が受けるとあって、魔法を習い始めた頃の私が使っていた初心者向けの教科書よりはいくらか進んでいたが、マグル婆さんに弟子入りしてすぐの頃に学習を終えた内容であった。
私の握る羽ペンは休みなく動き続け、半分ほどの時間を残してすべての解答を終えてしまう。
砂時計の砂が完全に落ち切った後、アリスター先生に連れられて、私は校内の敷地にある魔法の練習場へと移動した。
練習場で行われた実技試験の課題は、魔力の制御に関する基礎技術の他、基礎習得魔法とされる日常で使用される属性を持たない魔法の行使である。主に解錠、施錠、照明の点灯と消灯、自身の浮遊、離れた物体の念動による移動などだ。
続いては魔法学院から支給された杖を片手に魔力が枯渇している魔晶石に魔力を込める課題や、精霊石を用いて各属性への適性検査を兼ねた試験を行う。
一度も失敗する事なく用意された課題を消化してゆく私を、アリスター先生は無表情のまま監督していた。
筆記試験も実技試験もすべて失敗なしにこなせたと思うが、この試験官殿にはどのように見えていただろうか。
筆記と実技の両試験が終わり、私は面接試験を受けるために再び本校舎に戻った。
小休止を挟んだ後、アリスター先生の案内でエントランスの螺旋階段を上り、三階にまで辿り着くと、先ほど筆記試験を受けた教室とは違う造りの扉の前まで案内される。
閉じた扉の向こうに四つの気配。人間以外の気配もあり、この四人が面接を行う試験官達で間違いはないだろう。
隣に立つアリスター先生の横顔を見上げると、私の視線に気づいたアリスター先生が私を見下ろして口を開いた。
「この面接で君が受ける入学試験は終わりだ。普段なら、そう緊張しなくていいなどと言うところだが、君はまったく緊張している様子はないな。まあいい。深呼吸でもするかね? 準備が良ければノックしてから入室したまえ。部屋に入った時から面接は始まっているぞ」
「大丈夫です。筆記試験と実技試験の監督、ありがとうございました」
私はアリスター先生に一礼してから扉を叩いた。
どうぞ、と返って来た部屋の中からの声に、私は普段と変わらぬ落ち着き払った声で入室の挨拶をした。
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