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3巻
3-1
しおりを挟む第一章―――― ガロア魔法学院
私はベルン村で私の世話を焼いてくれるラミアの美少女セリナと共に、不本意にも総督府の管理官ゴーダに半ば連行されるような形で近隣の大都市ガロアを訪れていた。実際のところ、この訪問にはガロア魔法学院の学院長オリヴィエとゴーダらの思惑が絡んでおり、私達は総督府内で暗躍する魔術師キーレンの捕縛に付き合わされる羽目になったのだが。
しかし、この一件では私なりの収穫もあった。改めてベルン村での生活が国家や政治といった人間の社会体制の上で成り立っているという事を認識させられたのだ。私自身がある程度の社会的地位を得て、キーレンのような悪意ある権力者から村を守る必要があると感じたのである。小さな事件ではあったが、ただの農民で生涯を終えても悔いはないと考えていた私に大きな変化をもたらすきっかけとなったのだ。
このような経緯もあって、私とセリナは数日間ガロアに滞在していたのだが、今朝ようやく村に帰る事になった。
私とセリナはオリヴィエが用意してくれた馬車を背に、見送りに来てくれた方と挨拶を交わしていた。
私達との別れを大いに惜しみ、この世のものならぬ美貌に悲しみの化粧を厚く塗った銀髪の女剣士はクリスティーナさんである。魔法学院の春の長期休暇を利用してベルン村に逗留していた彼女は、キーレンの捕縛に際して、私達の身を案じて駆けつけ、愛剣エルスパーダを片手に自ら大立ち回りして手助けしてくれた恩人でもあった。
短い期間ではあったが、とても濃密な時間を過ごしたお蔭か、クリスティーナさんは私とセリナに深い親愛の情を抱いてくれている。
もちろん、私とセリナも同じくらいにクリスティーナさんの事が好きになっていた。
「最後の最後でとんだ事件に巻き込まれてしまったが、ベルン村を訪れた事と君達に出会えた事は、私の生涯の宝になったよ」
クリスティーナさんは少しだけ恥ずかしそうに、けれどもとても誇らしげにそう言ってくれた。ふふ、ここまで率直に言われると、こちらも照れくさくなってしまうな。
「それを言うなら私達もだ。村長達はクリスティーナさんが村に来た時に嬉しそうにしていたが、いつかその理由を、クリスティーナさんの口から教えてもらえる日が来る事を願っている」
「そうか。そうだな、ドランにならいつか話せる日が来るかもしれないな。魔法学院に入学したなら君は私の後輩になるわけだし、また何かと顔を合わせる事もあるだろう」
一介の村人にすぎない今の私が社会的地位を得る方法として選んだのが、クリスティーナさんの通っているガロア魔法学院への入学だ。魔法使いになれるだけの魔力の持ち主は数百人に一人と言われ、重用されているが、その中でも将来有望な者達が集うガロア魔法学院の卒業者ともなれば、黄金に煌めく箔がつくというものである。総督府のみならず各地の貴族、大商人からも引く手数多となるだろう。
オリヴィエとゴーダの助言により、私がガロア魔法学院への入学を決意した事は、クリスティーナさんにも伝えていた。
しかしクリスティーナさんは、まるで私が既に入学試験に合格したかのような口ぶりである。学院長であるオリヴィエは、はっきりと私の入学を歓迎する言葉を口にしていたが、さてどんな試験を受ける事になるのやら。もちろん、私には合格以外に目指す道はない。
クリスティーナさんはセリナを気遣う事も忘れなかった。
「セリナ、今回の事件は君にとって理不尽極まりない災難だった。せめて怪我がなかったのが幸いだったが、友人として本当に気の毒に思う」
私はその言葉を聞き、喜びと共に小さな笑みを浮かべた。
貴族の令嬢であるクリスティーナさんが、魔物として忌避されるラミアをごく自然と「友人」と呼んだのである。口にしたクリスティーナさんも、言われたセリナも気づいてはいなかったが、私達の仲と事情を知らぬ者が聞いたら、耳を疑うような台詞なのだ。けれども私達は誰もそれをおかしいとは思っていない。
「大丈夫です。ずっとドランさんが傍にいてくださいましたし、クリスティーナさんもこっちが怖くなるくらいの形相で助けに来てくれましたから」
確かにセリナの言う通り、キーレンの屋敷に乗り込んで来た時のクリスティーナさんの必死の形相は、この世に有り得べからざるほどの美貌と相まって、凄まじいとしか形容しようがないものだった。あの時セリナは本気で怖いと思ったのかもしれない。
それにしても、セリナはなんていじらしい事を言うのだろう。私などがセリナを力づける事が出来ていたなら、これ以上の幸いはない。私の胸の内は、ほのかに温かくなっていた。
「ふふ、羨ましい事だ。セリナは、ドランが傍にいれば大丈夫というわけか。ただ、ドランが魔法学院に入学するとなると、一緒にいるのは難しくなると思うが、ちゃんと考えているんだろうな?」
セリナを悲しませるような事をしたら只では済まないぞ、と言外に訴えてくるクリスティーナさんに、私は首を縦に振って答えた。
「もちろん、方法は考えてある。もうセリナの同意は得ているから、まず大丈夫だ」
セリナを悲しませるなど、クリスティーナさん以上に私自身が許さないだろう。
「そうか、それならいいさ。ドランならセリナが嫌がる事を無理強いはしないだろう。名残惜しいがここでお別れだ。あまり長く引き留めてはベルン村の人達を心配させてしまうから、この辺で我慢するよ。二人が魔法学院の門をくぐる時を、楽しみにしている。本当の本当にだぞ?」
クリスティーナさんは長期休暇中ベルン村に滞在していたのだが、休暇も残り少ない為、残念ながら彼女はこのままガロアに残るのである。
「そう念を押されなくても、その言葉を信じるとも。私もセリナも、クリスティーナさんに再会出来るのを楽しみにしているのだからね」
「はい。ドランさんの言う通りですよ、クリスティーナさん」
私達はこれが短い別れである事を確信し、笑顔でさようならを口にした。悲壮感などなく、ただほんの少しの寂しさと、たくさんの親愛の情だけがそこにはあった。
†
私とセリナが怪我一つない姿でベルン村へ帰って来ると、村長をはじめ幼馴染のアルバートや神官のレティシャさんら、村の皆が総出で迎えてくれた。父さんや母さんは歓喜の声を上げて私達の無事を大いに喜んだ。
口止めされている為、連行された先で何があったのかを話す事は出来なかったが、村の皆はそれとなく事情を察したらしく、深く追及する事はなかった。知らなくて良い事は知らずに済ますのが利口なのだと、村の皆も理解していたのであろう。
私は両親に相談がある事を告げて、翌日、実家へと足を運んだ。
私の実家は父母と兄夫婦、それに弟のマルコの五人住まい。
父のゴラオンは過酷な辺境暮らしで鍛え抜いた身体で畑を耕し、平原に棲息する鳥獣を獲り、村を襲う野盗や魔物を返り討ちにしてきた男だ。実に寡黙だが、無数の傷跡が残る筋肉で形作られたその背中は、幼い私達に辺境で生きるとはどういう事か、男とはどうあるべきかを言葉以上に示してきた。
対して、母のアルセナは表情豊かで、話をするのが楽しくて仕方がないという性格をしている。苦労ばかりの暮らしの中にあって、常に笑顔を絶やさず夫と子供らの面倒を見て来たこの方に、私は生涯頭が上がらないだろう。
実家を訪れた私を、いつもの見慣れた笑みを浮かべた母が迎えてくれた。
既に机の上には麦酒や葡萄酒の瓶の口が開かれており、私が椅子に腰掛けるなり、赤黒い葡萄酒がなみなみと注がれた木製の杯が父から差し出される。
「よく来た、ドラン。お前が相談というのは珍しいが、とりあえず飲め」
机を共にした途端、酒を勧められるとは。見れば兄のディランと弟のマルコも、相変わらずの父の様子に小さく笑っている。
私が生まれてからこのかた、両手の指の数くらいしか表情を変えた事がなさそうな父から杯を受け取り、私も口元が緩むのを感じた。
「ふむ、では言葉通りに」
やや酸味のある葡萄酒に口をつけ、そのまま一息に杯を空ける。
大酒飲みの父の血のお蔭で、私の身体は酒精に対して高い耐性を持っている。咽喉を通りすぎ、胃袋に流れ落ちて行く葡萄酒の感覚が絶えてから、私は杯を置いた。
「良い飲みっぷりだ。ディランもそうだが、お前も酒には強いな」
言うが早いか、父はすぐさま空いた私の杯に再び葡萄酒を満たす。
「父さんの息子だからね」
ごく自然と私の口を突いて出た言葉に、父は岩石の彫像めいた顔の口元をほんの少しだけ緩めた。家族でもいつ見られるか分からないほど希少な父の笑みであった。
「そうか」
「そうだよ」
ほどなくして、母と兄嫁のランが料理を運んで来て、未成人のマルコを除いた私達は改めて杯を傾け始めた。
私が親に相談をするというのは確かに珍しい事なのだが、父や兄には私の相談内容を薄々と察している様子が見られる。やはり血の繋がった親兄弟という事なのだろうか。そう考えると、なぜだか私は喜びを覚えるのだった。
親兄弟で酒を酌み交わす雰囲気の心地よさに、ついつい口を開くのが遅れてしまったが、このまま酒を飲むだけで終わらせるわけにもいくまい。酒の瓶を何本か空けたところで、ようやく私は相談事を口にする。
「今日、話をしに来たのは、一度、村を離れてみようかと考えたからなんだ」
「そうか」
飲みかけていた麦酒を一気に呷ってから、父はいつもと同じ静かな口調で答えた。
一言呟いたきりの父に代わり、ディラン兄が毛虫みたいに太い眉の根元を寄せながら、私に質問をしてくる。
「村を離れるって、ガロアにでも出て自由労働者になるのか? それとも商人を目指すのか? しかし、冒険者になると言うのなら、あまり歓迎は出来ねえぞ。流石に危険だ」
「どれもそれなりに魅力的な話ではあるけれど……。実は、魔法学院の入学の話を受けようかと思っている。成績次第では学費を免除してもらえるはずだ。まずは試験に合格して入学出来てからの話ではあるけれどね」
「魔法学院か。デンゼルさんと同じような道を行くって事か……」
寄せられていたディラン兄の真っ黒い眉毛が元の位置に少し近づいた。
父と同年代のデンゼルさんは、私の魔法の師匠マグル婆さんの息子であり、ガロア魔法学院で教鞭を執っている。村を出て行った者達の中で最も大きな成功を収めた人物である。
私はオリヴィエと出会う前にも、デンゼルさんに何度か入学を打診されていた。
これまでは私にベルン村を離れる気がなかった為、申し訳なく思いつつも断り続けてきたが、入学の意思が固まった今は話が別である。
「何から何までデンゼルさんと同じ道を行くつもりではないけれど、一旦は村を離れなければならない事に変わりはない。明日、マグル婆さんに連絡を取ってもらって、入学試験を受けさせてもらうつもりだ」
「へえ、兄ちゃん、これまで村を出るなんて一度も口にした事なかったのにね」
炒った豆をぼりぼりと音を立てて口にしていたマルコが心底不思議そうな顔をしていた。
女性のように繊細な顔立ちにもかかわらず、この弟の仕草や振る舞いは粗雑なところが目立つ。あるいは自分が男であると主張する為に、わざとそうしているのかもしれない。美少女と言っても通用する顔立ちである事を、それなりに気にしているからな。
「マルコ、お前にも少しは関わりのある話だぞ。私が魔法学院に入学出来たなら、その間、空く事になる家と畑の手入れをお前に任せたい。魔法学院を卒業した後、場合によってはそのままお前に譲るつもりなのだから」
「ええ!? でもぼくが独り立ちするのって来年の話だよ。兄ちゃんが魔法学院に入学したら、って話にしても一年早いよ」
「家と畑を放ったらかしにも出来まい。一年早まったからといって困る事もないだろう。村長も難しい顔はすまい」
マルコにしてみれば勝手知ったる畑が手に入るのだから、悪い話ではないと思う。既に私の手がある程度加わった家と畑はおさがりめいている事を不満に思うかもしれないけれど。それに、まだ家を出る心の準備が出来ていないだろう。
「まあ無理にとは言わない。お前が引き受けられないなら、村長に誰か別の人を手配してもらうか、最悪の場合放置しておいても構わない。村に帰って来た時に整理すれば良いのだからな」
「う~ん、でも兄ちゃんがあそこまで立派に耕した畑が荒れちゃうのは勿体ないからなあ。でも、流石に魔法薬の材料の手入れまでは出来ないよ。それは兄ちゃんが処分するか、マグルお婆ちゃん達に手入れを頼むかしてね」
「ああ。一部は魔法学院に持って行くが、大部分はマグル婆さんの家に預けるつもりだよ。しかしまだ試験を受けてもいないのに気が早かったかな」
「お前ならいつも通りの顔で合格したって報告してくるだろうよ」
少し呆れているような口ぶりでディラン兄は言う。昔から困難をなんでもない事のように解決したり、実践したりしてきた私の前科がこんな口ぶりにさせるのだろう。
これまで私達の意見に耳を傾けるきりでほとんど口を挟まなかった父が、自分の考えをまとめ終えて有無を言わさぬ口調で私達にこう言った。
「ドラン、お前は昔から普通なら考えない事を考え、実行してきた。随分と変わった子供を授かったものだと常々思っていたが、同時にお前がおれ達家族や村の皆の事を一番に考え続けてきた事も知っている。そのお前が十分に考えた上で決めた事なら、おれは何も言わん。第一、お前はもうこの家を出て自分の家を構えた立派な大人なのだからな。ただ、一つ聞かせろ。村を出る事を考えるようになったのは、やはりこの間の管理官の一件がきっかけか?」
「ああ、父さんの言う通りだ。あの一件で、外の世界が村にもたらす影響というものを体験させられたからね。ベルン村を管理する人間の心一つで私達の生活が大きく左右されるというのなら、私がその管理する人間になろう、という考えを思いついたくらいだ」
私がそこまで考えた上で村を出ようとしている事は、ディラン兄もマルコも考えが及んでいなかったようだ。管理官になる――つまりは役人や貴族を目指そうとしているという私の告白に、二人はひどく驚いた表情を浮かべた。
兄弟が気づかぬ中、私の考えの奥底まで見通してみせたのは、やはり流石父といったところだろうか。
「お前はいつでも思い立ったらすぐに行動に移すからな。マルコが貴族になるとでも言いだしたなら、おれも拳骨の一つもくれて夢から醒ますところだが……」
「父ちゃん、ドラン兄ちゃんとぼくとで扱いが違いすぎない?」
マルコが下唇を突きだして、不満を露にして父に抗議するが、父はそれをまるっきり無視して話を続けた。
「お前はマグル婆さんに見込まれてみっちりと魔法を仕込まれているし、こんな辺境の村の中とはいえ、頭の回転も他の者らよりずば抜けている。昔からお前は不思議と何かをやると思わせる子供だったが、今がその時なのだろう。だからお前はお前の考える通りにするがいい。だが忘れるな。家を出たとはいえ、おれにとっては掛け替えのない子供の一人だ。何か辛い時や迷う時があったら、いつでもここに帰って来い。おれもアルセナもディランもランもマルコも、いつでもお前を歓迎する」
私は父の言葉にしばし上手く言葉を見つけられずにいた。
――家族か。竜であった頃にも他の始原の七竜らを家族と呼べなくもなかったが、やはり人間に生まれ変わってからの家族とは違うと言わざるを得ない。
無論、同じ始原の七竜であるリヴァイアサンやバハムートらも私にとっては大切な存在ではあるが、愛おしさという意味合いにおいては今の人間の家族に対し抱いている感情の方がはるかに強い。
何も言わずにいる私を見て、マルコがにやにやとこちらの癇に障る笑みを浮かべる。
「なになに、ドラン兄ちゃん、照れちゃってんの?」
「ふむ、その通りではあるが、お前のその顔は何やら腹が立つな、マルコよ」
私はにやにやと笑うマルコの頭を軽く小突いた。こいつはすぐに調子に乗る悪い癖がある。
「痛! 殴る事はないんじゃないの?」
「兄に敬意を払わぬ弟には相応の報いだ。第一、手加減はしている。父さんの拳骨に比べれば百倍もマシだろう。まったく、私は身内に甘い」
わざとらしく言う私にマルコはしかめっ面のまま、大げさに小突かれた頭を擦って見せた。ふざけたマルコを私が叱る、兄弟の間で何度も繰り返されてきたやり取りだ。魔法学院に入学したら、このやり取りもしばらくは出来なくなるのだと思うと、寂しさがこみ上げてくる。
「そういうのは自分で言う事じゃないよ。おー、いてて」
不満を隠さず口にするマルコを見つめる私の瞳は、きっといつもより慈しみに満ちていた事だろう。
私は母とランを交えて村を出た後の事を話し、酒を飲み、大いに食べ、陽気に歌い、この日はそのまま実家に泊まった。生まれ育った家で過ごした時間と思い出が、家族と村の皆の為になる事をしたいという私の想いをより強いものに変えていく。
翌朝、実家を後にした私は早速マグル婆さんのもとを訪れて、ガロアにいるデンゼルさんに連絡を取ってもらい、ガロア魔法学院に入学する為に必要な手続きを依頼した。
ガロアにいる間にデンゼルさんと連絡を取れていればよかったのだが、あの時は半ば軟禁状態のようなもので、外部とはやりとり出来なかったからな。
幸いにも、元からデンゼルさんの推薦があった私は、入学試験に必要な受験料を支払う必要がないとの事だった。ゴーダからもらった口止め料には手を付けていなかった。払えない額ではなかったが、魔法のみならず多分野における高等教育を受ける事の出来る魔法学院の受験料は、平民の収入で考えるとかなりの高額になる。手痛い出費を免れた事に私は心の中で大いに安堵した。
事前にオリヴィエからも話を聞いていたのか、デンゼルさんは質素な作りの実用性重視の茶色い箱馬車に乗って、すぐ村にやって来た。
デンゼルさんが村に到着したその日、マグル婆さんの使い魔である黒猫を介して呼び出しを受けた私は、すぐにマグル婆さんの家へと足を向けた。
「マグル婆さん、ドランです」
マグル婆さんは入ってすぐの大部屋の中央に置かれたテーブルの横で、椅子に深く腰掛けたまま眼差しを私に向ける。
風土病、魔物、自然災害、異民族の侵攻と、生命を脅かすものが日々あらゆる形で襲い来るこの辺境で、村の人々の命脈を保ち続けてきた魔法医師の瞳は、皺に埋もれてこそいるものの老齢から来る衰えは微塵もなく、深い知性とこちらの胸の内を見透かすような輝きを宿していた。
「悪かったね、ドラン。不肖の息子がようやく到着したんで、早速呼びださせてもらったよ」
テーブルを挟んでマグル婆さんの向かいに立っているデンゼルさんは、最後に見た時と変わらず壮健な様子であった。デンゼルさんは学院での長期休暇や父親の命日などには村に帰って来るし、私がマグル婆さんに師事している事もあって、年に数日は顔を合わせている。
デンゼルさんの顎先や鼻と唇の間を飾る髭はよく手入れが行き届いており、金糸の刺繍で縁取られたケープや、黄金の鷲の頭飾りがついた杖といった装いとも相まって、その佇まいには紳士然とした風格と気品があった。
「久しぶりだな、ドラン。ようやくお前が私の誘いに応じる気になってくれて、嬉しいぞ」
デンゼルさんの、獲物を見定める猛禽類の如き鋭い瞳が、私の顔を映すと少し柔らいだ。
「色々と思うところがありまして、少し身の丈に合わない野心を抱いてみました」
立ち話を続ける私とデンゼルさんに、マグル婆さんが手招きして椅子を勧める。
「二人共、ここにお座り。今、お茶を淹れてあげるからね」
私が着席するのに合わせてデンゼルさんも椅子に腰掛け、ほどなくしてマグル婆さんが青い水面のお茶を三人分用意してくれた。
「今日の主役はドランだ。婆は口だしせんで、話だけ聞かせてもらおうかね」
マグル婆さんは手ずから淹れたお茶に口をつけ、これ以上私とデンゼルさんの話に参加する意思がない事を表明した。
私はマグル婆さんの弟子ではあるが、魔法に関して免許皆伝のお墨付きをもらっている。既に成人した大人でもあるし、私が決めた事に師としても村の年長者としても口を挟むつもりはないらしい。
マグル婆さんの淹れた青いお茶を一口飲んでから、デンゼルさんはずばりと本題を切り出してきた。
「では早速、我がガロア魔法学院への入学の件だが……」
姿勢を正した私に、デンゼルさんはゆっくりと話し始める。
「既に学院では入学式と進級式を終えている。だが素質のある者が見つかり、その者が希望するのならば、これを歓迎するのが魔法学院創設以来のしきたりだ。もちろん、ただ素質があるだけで入学出来るほど規律の緩い場所でもない。一度学院に足を運んで筆記と実技の試験、それに面接を受けてもらってお前の能力を学院に証明してもらう事になるだろう。とはいえ、かねてから私が推薦していたし、またエンテの森での一件で学院長ご自身がお前に目を掛けている事もあり、不合格になる事はまずあるまい」
魔法の素養がある人間は絶対数が少ない為、見つければ積極的に学院に勧誘していると聞く。実際デンゼルさんの言う通り、教師の推薦を受けた者ならばまず入学は出来るのだろう。
「それにしてもドラン、学院長が郷里に戻られた時にお前に出会い、さらには魔界の者達からの侵略を退ける手助けをしたと聞いた時は、口から心臓が飛び出るかと思ったぞ。小規模な軍勢の侵攻であったとはいうが、森の民らの苦境に駆けつけて見事な働きをしたそうではないか。お前の魔法の才能が尋常でない事は知っていたし、昔から魔物や蛮族相手にも物怖じせずに戦う子だと思っていたが、よもや魔界の者共を相手にするとはな。どうやら、お前を過小評価していたらしい」
「あれはエンテの森の戦士達と共に戦ったからこそです。私はほんの少しお手伝いをしただけですから。そういえばデンゼルさん、クリスティーナという女生徒の事を知っていますか? 長い銀髪に赤く鮮烈な瞳を持った、長身のとても綺麗な女性です。彼女もエンテの森では共に戦ってくれました。オリヴィエ学院長と互いに面識があるようでしたので、ひょっとしたらデンゼルさんも御存じなのでは?」
私がクリスティーナさんの名前を出すと、これまで私達のやり取りに耳を傾けていたマグル婆さんが、ほんの僅かにぴくりと肩を揺らした気配がした。
血の繋がったデンゼルさんでも気づかないような微細な反応だが、村長同様にマグル婆さんもまたクリスティーナさんの素性を知っている事を、何よりも雄弁に物語っている。
そしてデンゼルさんの反応はより顕著だった。かすかに眉根を寄せると黒手袋をはめた左手で顎髭を擦り、どう話したものか悩む素振りを見せたのだ。
「クリスティーナか、彼女はガロア魔法学院でもかなりの有名人だ。まあ、なんだ、色々と事情のある生徒でな。本人はいたって真面目で才能豊かな実に優秀な生徒だよ。お前が彼女と縁を結んでいたとはこれも予想していなかった。クリスティーナからは彼女自身の事をどの程度聞いている? 彼女の事情は些か知る者を選ぶ。彼女自身が誰よりその事を理解しているから、おいそれと吹聴はしないはずだが」
「一応、命懸けの戦いを一緒に生き抜いた仲ですから、人並み以上に親しくはなったと思います。とはいえ、ほとんど事情を聞いてはいません。生まれた時から貴族としての暮らしをしていたわけではない事、幼い頃は国内の様々なところを旅していた事、既に母親が亡くなっている事、それにあまり今の家族と上手くいっていないらしい事。私が知っているのは、ざっとこんなところでしょうか。村に来た時より随分と明るい表情を見せてくれるようにはなりましたが……」
「そうか。うむ、まあ、その程度の事なら問題はないか。だが魔法学院での彼女の生活態度を考えると、お前は随分と打ち解ける事が出来たようだな。クリスティーナはあの美貌とずば抜けた実力で学院の生徒達から人気はあるが、あまり気心の知れた学友というものがおらん。元々他人を寄せつけない雰囲気があるし、彼女自身、意図的に他者との間に壁を作っているようにも見える。お前が入学出来たなら、彼女の事を気にかけてくれるとありがたい。もっともこれは私の個人的な願望だが」
それにしてもクリスティーナさん、教師から見ても友達が少ないと認識されているのか……クリスティーナさん本人の性格なども鑑みれば、自分からそうしているようだが、それほど家の事情が重いものなのだろうか?
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