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後日談

その4 夜×血×竜×人

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 月が輝き、星の瞬きがどこまでも広がる夜の空。
 遠く聞こえる梟の鳴き声。
 近くで聞こえる虫達の合唱。
 涼やかなそよ風に揺れる草花や樹木のささやき。
 月と星の光を浴びて白々と輝く岩々。
 眠れる動物達の寝息と今こそ我らの時と動き出す動物達の気配。

 なんとも静かで、それでいて無数の生命の息吹を同時に感じ取れる夜の森。そんな夜に彼は間違いなく異物だったろう。
 清潔に整えられた黒髪に青く濡れた瞳、年のころは三十代前半から半ば程か。薄手の灰色の外套を纏い、その下には簡素だが仕立ての良い黒のベストに白いシャツ、麻のズボンと、魔物の出現もあり得る森の中というには、あまりに無防備な出で立ちだ。
 それらしい備えと言えば腰の年季の入ったベルトに下げられた、随分と使い込んだ様子の長剣くらいのもの。
 だがこの男が誰かと分かれば、近隣諸国でこの男の身の安全を心配する者はいまい。

 当代最強の魔法使いにして今や国と呼べるまでに成長したベルン領家宰、ドラン・アルマディア・ベルレストその人だからだ。
 幾度かの戦争や戦場外での暗殺、毒殺、謀殺、呪殺等々、その立場から多くの妬みと憎悪を買って命を狙われた彼だが、一度としてその身が傷ついたことはなく、彼の近しい者達にも塁が及んだことはない。
 今や彼は、“二番目に強い魔法使い”と称されるようになったアークウィッチ・メルルを超えた、“触れてはならぬ者”となっている。

「ふむ、背後か、上か」

 成熟した大人の“男”となったドランの口からいつもの口癖と、なにか推し量るような言葉が零れ出る。しゃらりと金属の擦れる音がして、長剣が抜き放たれる。十数年を越える付き合いの相棒は、手に馴染んだというよりも体の一部のような感覚だ。
 古神竜の魂が生み出す膨大な魔力を注がれ、竜の瞳となったドランの視界に、正面から音もなく夜の闇から姿を見せる誰かの姿が映る。

 闇の抱擁から解き放たれて姿を見せたのは、月光よりも白々と美しく輝く髪と肌の少年である。生まれた時から決して一瞬たりとも太陽の光を浴びせてはならないと、狂おしいまでに闇に愛されたに違いない、そう確信させる美の化身であった。
 日の差さぬ深海の昏い青を思わせるコートのその下に、黒いアスコットタイと純白のシャツ、黒いベストを着込んだ出で立ちはドラン同様、夜の森の危険性をまるで考慮していない。

 その疑問は少年の瞳が解消した。血を何度も何度もろ過し、圧縮し、気が狂うほど繰り返した後に出来る最も鮮やかな血の赤。少年の瞳はその色に輝いている。
 夜の覇者、不死者の王とも称される人間種最強の一角、バンパイアだ。太陽の光を浴びれば灰となる代わりに、夜と闇の祝福を一心に受けた種族なのだ。

 ドランがなぜバンパイアと剣呑な対峙をしなければならないのか、となると実は一つだけ理由となるものはある。ドランの伴侶の一人であるドラミナは、南の海を越えた大陸を主な棲息地とするバンパイア達の正当な六王家の血筋だ。
 六王家同士の争いによって、凄惨な争乱に見舞われたかの地は今でこそ一応の平穏を迎えたが、かつての支配者の血筋を求める者が現れてもおかしくはない。
 古の秩序を求めて、あるいは都合の良い傀儡を、またあるいは平穏を壊した先にある道の混沌を。

 ならばバンパイアの少年は、ドラミナを迎える為の障害であるドラン抹殺の為の刺客であったものか。
 形を成した奇跡としか表現しようのない顔立ち、振る舞いの全てが一つの芸術として成り立つその姿に致命的に欠けている生命力の代わりに、少年の体からは森の生き物達が一斉に口を閉ざすだけの妖気が立ち上っていた。

「答えは正面か。真っ向勝負が望みかな?」

 ただし、ドランを相手には少年の妖気もそよ風と大した違いはない。長剣を握ったままだらんと下げた右手も、足を止めてじっと待つ立ち姿にも緊張の気配は微塵もなく、それを少年もまた当然と受け止めた。
 少年の顔に緊張の色が走る。この世のものとは思えない美貌の少年も、対峙しているのがドランとあっては相手が悪い以外の言葉がない。この世=地上世界の範疇をはるかに超越した存在が、何の間違いでかこの世に留まっている。それがドランなのだから。それは少年も分かっているかのような素振りだ。

「不意打ちなど貴方には通じないでしょう」

 少年の右手に弧を描く長剣が握られた。ドランのそれと比べればはるかに上等な業物なのは、月光を反射して煌めく刃を見れば一目瞭然だ。これまでドランと愉快な一行が返り討ちにした刺客達を知っているからか、少年はドランの実力をある程度把握している様子。
 ならばこれは死を覚悟した陽動と見るのが正解だろうか。もっともドランが居なくともドラミナ本人も、セリナも、ディアドラも、クリスティーナも、そしてメイド三姉妹もいずれも常識外れの実力者ばかり。ドラミナの身柄をどうこうできる者がいるとは思い難い。

 先手を取ったのは少年だった。月光を浴びて銀色に輝く長剣を手に、少年が地を蹴り、風よりも速くドランへと斬りかかる。
 右首筋を狙った振り下ろしがキィン、と甲高い音色を立てて弾き返された時、少年の体は旋回して弾かれた勢いを乗せた二撃目へとそのまま繋げる。そのままドランの腰を右から左へと断ち切る一撃は、これもまたほの白く輝く古びた長剣に防がれた。

 古今無双の妖刀魔剣もドランが魔力を通した竜爪剣を相手にすれば、刃毀れ一つ作れなくなる。今のこの光景も少年にとっては想定内だ。
 少年はドランに余裕を持って受け止められるのにも構わず、微動だにしないドランの周囲を動き回っては見つけられない隙にもめげずに斬りかかり続ける。
 少年の心肺と体力限界を見せない連続攻撃の只中にあっても、ドランの表情は崩れずに余裕の笑みを浮かべている。

 数えて十五度目、背後に回り込んで放った渾身の刺突をドランが振り返りざまに指二本で挟み止められて、少年は間合いを取る意思を固めた。長剣をねじってドランの指を外し、そのまま後方へと大きく跳躍。
 空中で広がるコートの裾が、少年を蝙蝠や怪鳥のように見せた。ドランの追撃はなく、少年の次の一手を悠然と待ち構えている。

 ドランと彼の実力差を考えれば、ドランが油断しようと様子見に徹しようと当然だろう。もっとも、微笑むドランの姿に油断や慢心といった要素は見られない。もっと別の理由でドランは追撃しなかったように見える。
 少年は汗一つ掻いていない顔を厳しく引き締めて、長剣を夜天に掲げた。それと同時にふっと周囲の闇が濃くなった。それまで分け隔てなく降り注いでいた月の光が、少年の長剣しか見えていないように降り注ぎ方を変えたのだ。

月光飛刃げっこうひじん

 バンパイアは夜と月の神に生み出された種族。故に夜と月は常に彼らの味方だ。月光を集めて眩く輝く長剣が振り下ろされるのと同時に、ドランを目掛けて月光で形作られた無数の長剣が一斉に発射された。
 月光と少年の魔力によって形成された月光飛刃に向けて、ドランは五指を開いた左手をかざし、詠唱を破棄した魔法を一つ唱える。

「セレスティアルジャベリン」

 頭上で形成された複数の光の槍が一斉に降り注ぎ、ドランを目掛けて殺到していた月光飛刃を悉く粉砕してのける。月光の刃が木端微塵に砕けたのに対し、セレスティアルジャベリンには傷一つついていないのが、両者の実力差を顕著に示していた。
 月光の刃が無数の光の粒と崩れて消える間に、少年は既に動き出していた。月光飛刃が通じないのも彼の中では想定内であり、動きを止める理由にはならない。
 背に翼が生えたかのように少年は、地面に突き刺さったセレスティアルジャベリンを足場にして軽やかな跳躍を重ねて、刹那の速さでドランとの距離を無へと変えた。

「はぁっ!」

 少年の口から手にした刃に等しい鋭さの気合が迸り、ドランの頭を縦に両断する一撃が振るわれる。天から地へと放たれる縦一文字の斬撃は、星の光を斬り散らしながら迷いなくドランへ!
 刃を振り下ろしながら少年はドランの青い目と視線を交わし、次の瞬間には訳も分からないまま地面の上にあお向けに転がされていた。叩きつけるのではなく優しく柔らかな転がし方だ。
 少年の長剣を握る右手首をドランの左手が固く握りしめ、それを起点に少年の体が仰向けに転がされ、喉元に竜爪剣の切っ先を突きつけられたのだ。

「……渾身の一撃だったのですが」

「良い一撃だったよ。気迫がこもっていた。それでもそう簡単に負けてはあげられないさ、アルカドラ」

 ドランは愛おしそうに“息子”の名前を呼び、彼の体を引き起こした。お互いに愛剣を腰の鞘に納め、先程までの緊迫した雰囲気が霧散する。
 真剣ではあっても殺気が交わらなかった手合せを終えて、少年──アルカドラは敬愛する父に向けて親愛の情を込めた微笑を浮かべる。
 バンパイア、正しくはバンパイアの母親と人間の父親の間に生まれたダンピールのアルカドラは、ドランとドラミナの長子である。

 ダンピールゆえにバンパイアと違って太陽の下でも活動可能とは言え、それでも日が落ちて月の輝く夜の時間の方がはるかに活動しやすく、活力に満ちる。
 母親のドラミナをはじめクリスティーナなど非凡な師には事欠かないアルカドラは、剣士としては平凡の域を出ない父親と手合せをする必要はない。今回のような手合せは、彼らなりのコミュニケーションの一環という一面が強い。

「子供の成長は早いな。アルカドラが森から姿を見せた時からそう感じていたよ。気配の消し方が随分と上手くなった」

「父上は全てお見通しでいらしたでしょうに。母上方にもまるで及ばないのです。お褒め頂いてもなかなか素直には受け止められません」

「おやおや、反抗期かな?」

「まさか。この程度で反抗期などと。父上と母上の壁の高さを痛感するばかりなのです」

「素直にそう言えるのなら、特にひねくれてはいなさそうだ。私はあまり多くを教えられるような父親ではないが、君をはじめ私の子供であるというだけでそれなりに物騒な目に遭う可能性が高い。
 いざという時の為に身を守れるようにしておかないと、私達の方が心配で堪らなくなる。戦うばかりが生きる道ではないが、もうしばらくしごかせてもらうよ、アルカドラ」

 実際のところ、ドランの親類縁者に手を出そうなどという命知らずな輩は、神々のレベルになると絶無なのだが、そこまでに至っていない地上世界レベルの強者だとまだまだ存在している。
 ドラン達親世代はそういった輩からのちょっかいに関しては、極力当人たちの努力での解決に委ねるので、万一の備えと考えれば鍛えておいて損はない。

「こうして父上と剣を合わせるのは嫌ではありません。私の性に合っております」

「それならよかった。あれだけ子供が居ればやはり戦いが性に合わない子も少なくない。アルカドラはそうでもないが、鍛えるのが申し訳なくなる子もいる。
 私達は生きる術を教えるが生き方は君自身が見つけて、決めなさい。その為の助けにならいくらでもなる。それが親というものだ。商人になるのもいい。音楽家になるのもいい。画家や詩人になるのもいい。冒険者や役人になるのもね」

「父上は私達をいささか甘やかしすぎでは? 他の兄弟達も似たようなことを言うと思いますが」

「私が両親に大切にされて育ったから、自分が親になったら子供に対してそうして接するのは当然だと思わないか?」

「感謝はしておりますが、どうにも、なにをしても助けてもらっているような気がして、自立するのは難しいのではないかと思います」

 困ったものですと肩をすくめるアルカドラに、ドランは困ったように笑う。出来が良すぎる位に出来の良い息子は、あまりに手がかからな過ぎてかえって構いたくなる。

「アルカドラ、君は年の割に大人びているなぁ。ドラミナの教育の賜物かな?」

「父上と比べれば母上は厳しいでしょう。ですがセリナ義母上やレニーア義姉上、リネット殿達をはじめ、私達を甘やかそうとしてくる方々が多いですから、それに甘えてしまっている兄弟姉妹は少なくありません」

 アルカドラはドランの半分ほどの薄さの影を地面に落としながら、整備されていないそのままの森の中を進む。影が薄いのも足音がしないのも、バンパイアである母親譲りだ。
 アルカドラは外見だけをみればどこをどう見ても、ドランの要素が一つもない。弟や妹達も髪の毛や瞳の色を受け継いではいても、奇跡的な美貌に関しては母親譲りであるから、外見だけで考慮すれば初見でドランと親子関係にあると気付ける者は皆無だろう。

「ふむ、いつまでも手の中に居て欲しくもあり、立派に親元から巣立って欲しくもある。ふふ、親というものは毎日が新鮮だよ。
 アルカドラをはじめ、皆がどんな未来を歩んでゆくのか、少しの不安とそれをはるかに上回る期待がある。本当に君達が何者になるのか、楽しみで仕方ないよ」

「期待をかけられるのは嬉しいですが、それにしても義理の母の中に真正の女神が複数含まれている子供なんて、私達くらいのものでしょうね。こればかりはなんとも言葉にしがたい思いです」

 アルカドラの言う女神とは言わずもがなではあるが、大地母神マイラールを筆頭に大邪神カラヴィス、筆頭死神タナトスや時の女神クロノメイズといった面々だ。
 ドラミナもまた地上最強のバンパイアであるが、比較対象が本物の高次元の存在である女神となるといささか分が悪い。

「ははは、それを言ったら君達の父親である私などは、始原の七竜の一角である古神竜ドラゴンだ。世界を見回しても他の家庭では得られない珍奇な体験だと思って、楽しむ事だよ」

 そう言って明るく笑う父親の横顔を見て、アルカドラはそれが出来れば苦労はしないのだけれど、と困ったように微笑した。少なくとも父親のことが嫌いでないのが分かる微笑だった。

<終>

お久しぶりです。こんにちは。
これまでの後日談より時間軸が飛んで子供世代がそれなりに成長した頃合いのお話です。
ドラミナとの長男アルカドラ。生真面目な絶世の美少年です。母親がドラミナですから当然ですね。ドランの血が混じった分、ドラミナの七割か八割くらいの美形ぶりのイメージです。
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