さようなら竜生、こんにちは人生

永島ひろあき

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19巻

19-3

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「あの時の言葉は嘘ではなかったが、君に伝える為に口にしたものではなかった。だから、改めて伝えたい」

 そこで一度言葉を切り、クリスティーナさんははっきりとこう言った。

「ドラン、君を愛している。結婚してほしい。……言葉自体はあんまり変わらないが、想いはたくさん込めたつもりだよ」

 言い終えたクリスティーナさんは、はにかんだ笑みを浮かべる。
 胸の中につかえていた感情を言葉にして伝えられたのだと、その表情が何より雄弁ゆうべんに語っていた。

「私の答えも変わらない。クリスティーナさん、喜んで貴女あなたの申し出を受け入れよう。私ももう少しロマンチックな言い方を考えておけばよかったかな?」

 私の答えが変わらない事は分かっていただろうけれど、それでもクリスティーナさんは申し込みを受け入れられた事に安堵したようだ。魂が抜けそうな程に深い吐息を零す。
 答えておいてなんだが、今になって私もなんだか落ち着かない気分になってきた。
 それはそうだ、何しろ、私はクリスティーナさんと夫婦になる約束を交わしたのだからな。
 ふーむ、本当に今更ながら、ふとした拍子ひょうしに今後の人生を左右する約束を交わしたものだ!

「ドランには実直な言葉の方が似合っているよ。それと、ドラン」
「何かな?」
「せっかく……その、結婚の約束を交わしたのだしね。そろそろクリスティーナさんという他人行儀な呼び方を変えてほしいと私は思うんだ。母は私の事を〝クリス〟と愛称で呼んでいてね。愛する夫にもそう呼んでほしい」

 ふむん、呼び方、呼び方か。これまでずっとクリスティーナさんと呼んでいたが、夫婦の間柄になるのなら呼び方を変えても不自然ではない。何より、クリスティーナさんが望んでいるのなら、断る理由などない。ないが……

「分かった。では、これからはクリスティーナさんではなくクリスと……そう呼ぼう。それにしても、なんというか、意外なくらいに気恥ずかしいな、クリス」

 いやはや、自分でも分かるくらいに頬と耳が熱を帯びているな。
 いい年をした男が、なんとも初心うぶな反応をしてしまうものだと恥じ入るばかりだが、私に名前を呼ばれたクリスティーナさん――ああいや、クリスも大概であった。

「あ、ああ、ああ、ちょちょ、ちょっと恥ずかしいな。ちょっと、ちょっとだけ」

 ちょっとどころではない顔色のクリスは、照れ臭さを隠すように自分の白銀の髪をしきりにいじっていた。
 贔屓目ひいきめは大いにあるけれど、なんと可愛らしい仕草か!
 こうして改めて結婚の申し込みを受け直した私は、殿下からの依頼の件も併せて、その日の夕食の後に身内を集めて伝える事にした。


     †


 そして夕食の時間。
 これまで食事は村のご婦人方に作ってもらっていたが、今は素性の確かな料理人達数名に厨房を任せている。
 ベルン村の作物とエンテの森から輸入したきのこや香草、果実を用いた料理でお腹を満たした私達は、連れ立って別室に移動した。
 セリナ、ディアドラ、ドラミナ、リネットの四名を前に、私とクリスは肩を並べて向かい合う。
 私とクリスが発している緊張の気配を感じ取り、椅子やソファに腰掛けた他の四人は、これからただならぬ発表があるのだと察した様子だ。

「皆に話がある。まず、今日スペリオン殿下が訪ねてきた用件についてだが、近日中に国内で高羅斗からの使者と殿下が秘密裏に会談を行なうそうだ。その護衛として私を借り受けたいと申し込みに来られた。私はこれを受け入れ、殿下から正式に日時が伝えられたら、ベルン村を出立しゅったつする」

 セリナ達は真剣な表情で私の話に耳を傾ける。

「また、それに併せて、殿下の騎士団に私の席を設けると言われている。これは殿下が私を動かしやすいようにする措置だそうだ。とはいえ、簡単に私に命令が下される事はないと思う。あくまで私はこのベルン男爵領の補佐官だが、王太子殿下直属の騎士団員としての肩書きがある事は、私達にとっても色々と都合が良いものとなるだろう。今回は、それが大きな報酬と言えなくもないかな」

 殿下の護衛を引き受ける件については、既に私とクリスとの間で決定した事項であるから、皆への確認というよりは、これからの予定についての連絡といったところだ。
 特に質問は出ないだろうと思ったのだが、セリナがすっと右手を伸ばした。

「何かな、セリナ」
「殿下の護衛をなさるのは分かりましたけれど、ドランさんお一人で行かれるのですか? 秘密裏の会談という事ですから、あまり人数が多くない方が良いのは分かりますけれど、可能であるのなら私も連れて行ってほしいです!」
「ふむん。シャルドきょうと近衛騎士団、魔法師団から何人か護衛に連れて行くとおっしゃっていたし、あまり数は連れて行けないな。私の他にせいぜい一人か二人……」
「クリスティーナさんはこのベルンの領主様ですから、動くわけにはいきませんし、私かディアドラさん、ドラミナさん、リネットちゃんの中から誰かを選ぶ形ですね」

 連れて行かないという選択肢もあるが、セリナの台詞せりふを受けた他の三人もすっかり私についてくる気になっているな。
 さてさて、会談する相手の事と、決して記録に残らない会談という性質を考えると、誰が適任か。
 ちらりとかたわらの未来の妻殿に視線を向けると、婚姻こんいん発表が少し先送りになったお蔭か、今だけは緊張を忘れて考え込んでいた。これまでは名門貴族の令嬢か学生としての立場から物を言えばよかったのが、今では一家門の当主として発言しなければならなくなった為、発言には慎重になっている。

「そうだな。ディアドラさん、セリナ、ドラミナさんは男爵家で正式に役職にいているし、仕事もある。誤魔化ごまかしようはあるとはいえ、出来るだけ彼女らが動いたという記録は残さない方がいいだろう。となると、元からドランのゴーレムとして登録されているリネットが適任か。彼女なら、ドランと一緒に行動しても不自然な点はない。戦力に関しては、この面子メンツで不安を口にしても無駄だろう」

 ふむ、私もこの考えに異論はない。

「リネットは、いつでもマスタードランに従って出かける準備を整えております。リネットがお守りするなどと口にするのはおこがましいですが、マスタードランの手となり足となり、耳となり目となり、お役に立って見せましょう」
「リネット本人がこの意気込みであるし、殿下の護衛にはリネットをともなって行くとしよう。帝国に赴いた時のように、リネットには私の従士の真似事をしてもらうのが良さそうだな。いつになるのかはまだ不明だが、これで殿下からの依頼についての話は一段落だ。……さて、殿下の件以外にも、皆に伝えなければならない事が一つ出来た。よく耳を澄まして聞いてほしい」

 セリナ達は改めて背筋せすじを伸ばして、話を聞く姿勢を整える。
 私はクリスに〝私から話そうか?〟と視線で問いかけたが、彼女は〝いや、私から話すよ〟と赤い瞳で答えた。
 こうして目を合わせるだけで意思疎通出来る仲というのは、恋人関係の男女でもなかなか居ないのではないか?
 思わずそんな事を考えてしまうが、これは惚気のろけになるだろうか。

「セリナ、ディアドラさん、ドラミナさんには特に聞いてほしい。皆を随分と待たせてしまったが、私もようやく腹が据わった。今日、ドランに正式に婚姻を申し込んだ。その、長らくお待たせして申し訳ない」

 クリスが全てを言い終えた後、待っていたのはしばしの沈黙であった。隣に立っている私にまで彼女の心臓の爆発しそうな鼓動こどうが聞こえるようだ。
 張り詰めた静寂せいじゃくの時間は、セリナがはあ~っと長い溜息を吐きながら、全身から力を抜いたのをきっかけに破られた。
 セリナは大蛇の下半身をズルズルと床に伸ばしながら、椅子の背もたれに体重を預ける。

「はああ、何のお話かと思ったら、そうですか~。うう、やっとと言うべきなのでしょうけれど、でも、抜け駆けされたような気にもなって、ちょっと複雑な部分もあって……」

 脱力するセリナを見て、ディアドラが微笑む。

「セリナは大袈裟おおげさねえ。でもこれで表立ってドランと夫婦になる準備を進められるわけね。領主が地元出身の家臣と結婚って事なら、盛大にお祝いするのかしら。エンテの森の皆も顔を出したいでしょうし、ガロア魔法学院の皆も黙ってないだろうから、賑やかになるわね」

 ファティマやネルネシア、それにレニーアとフェニアさんといった、学友達が集まる機会になるのは、明るい話題だ。
 そんな中、ドラミナはセリナ達の話に頷きながらも、真面目な表情でドランに問いかけた。

「その光景が瞼の裏に浮かぶようですね。多くの方から祝っていただけるのは、それだけお二人に人望があるという事ですよ。では、私は少々空気を読まない発言をいたしましょう。クリスティーナさんとドランの結婚となれば、ベルン男爵領にとって非常に大きな慶事けいじです。場合によっては政治的な一手としても用いる事が出来るでしょう。罪人への恩赦おんしゃとか、減税とかですね。その点はどうお考えで?」

 領主の結婚という政治的要素を含む行事の利点か。正直に言えば、私はそこまで深く考えていなかった。
 我ながら節操がないとは思うが、クリスと結婚する事で、順次セリナやディアドラ、ドラミナとも結婚出来るという点にばかり目が行っていた。
 ただ、クリスは私よりももっと考えていなかったらしく、ハッとした顔になっている。
 彼女からすれば私への告白に対する緊張感で頭がいっぱいだっただろうから、無理もない。

「あ、いや、そうか、そういう風に私とドランの結婚を使う事も出来るのか。ドラミナさんを失望させるようで怖いのだけれど、正直、そこまでは考えていなかったよ。そうだな、幸い今は恩赦を与えるような罪人はいないし、これからのベルン男爵領の明るい未来に向けての士気向上の機会にするくらいかな? 結婚祝いとして村の皆さんに、何かしら贈り物するとか、太っ腹にいくなら男爵領を訪れた者にも何か特典をあげるとか?」
「ふふ、そう緊張した顔をなさらないでください。お二人に厳しい事を言うつもりはありませんから。単にお祝い事として村の皆さんを盛り上げるだけでも、今は充分だと思いますよ。それに、私とセリナさんとディアドラさんの分の式も残っています。こちらは領主の結婚ではありませんが、領主の夫の婚姻ですし、異種族間、人間と魔物間での結婚がおおやけに認められたものであると公表する効果もあります。気楽に考えていきましょう」
「そうか、ドラミナさんにそう言ってもらえると安心出来るな」

 クリスの言葉を聞いたドラミナは、悪戯っぽく頬を膨らませる。

「まあ、少しクリスティーナさんに苦手意識を持たれてしまっているようですね」
「いや、私にとっては厳しくも頼りになる教師だからかな?」
「愛をもって指導しているつもりですよ」
「教え子として、その愛は充分に感じていますとも」
「それでしたらようございました。では、次の現実的な話ですが、セリナさん」

 ドラミナに話を振られたセリナが姿勢を正す。

「は、はい!」
「クリスティーナさんとの結婚が済めば、次は私達ですから、そろそろセリナさんのご実家の方にも話を通しに行かれた方が良いのではないですか? ご両親がセリナさんの扱いに関して、お許しになられるかとても気掛りです。それを別にしても、ラミアの里はエンテの森を除けば近場では特に大きな異種族の社会ですからね。交流に力を入れる相手であるのは、以前から話し合っていた通りです」
「そうでした、そうでした! これでドランさんと堂々と夫婦になれると、ついつい舞い上がっていましたけれど、パパとママやお友達の皆にドランさんとベルン村の事をお話しないといけないのでした! ドランさん、いつ行きましょう? というか、クリスティーナさんといつ結婚式を挙げるんですか!? 正直、私にとって非常に切実な問題なのですけれども!」

 蛇体を伸ばしてこちらに迫るセリナの目には、かつてない力強さが宿っていた。
 これまで散々お預けを食らっていた分、ようやく宿願を果たせると、セリナはすさまじく発奮はっぷんしているわけか。待たせてしまって誠に申し訳ない。

「式の日取りまではまだ決まっていないな。吉日や過去の貴族の婚姻の例などを確認する必要もあるだろうし、どの神の御前で結婚式を挙げるかも大きな問題になりそうだ。ただ、あまり先延ばしにするつもりはない。セリナのご実家へもなるべく早くうかがいたいと思っている。殿下のご依頼を済ませてからにはなるだろうが、春が終わる前に行こう」
「はい!」

 私の言葉に、セリナは歓喜を爆発させた様子で、満面の笑みを浮かべるのだった。


 第二章―――― 運命の女




 近隣に住む猟師りょうしくらいしか足を踏み入れる者の居ない深い山奥。天幕を張って野営の準備が整えられたそこには、組み立て式の机の上に広げた地図とにらめっこをしている男性の姿があった。
 首筋を隠す程度で金髪を切り揃え、穏やかさと知性とが同居した顔立ちの青年が、考え事を口から零しながら、地図に何かを書いては消し、消しては書いてを繰り返している。
 ガロア魔法学院の非常勤講師にして、古代に栄えた天人てんじん文明の遺跡を中心に調査する考古学者のエドワルドだ。
 かつて天空都市スラニアの調査でドラン達を雇い、また地下に広がる天人の施設でリネットを見つける縁を作った人物である。
 一所に留まる事をせず、年中国内外の天人の遺跡を調査して回っているエドワルドは、今日も今日とて彼の人生そのものである調査活動に勤しんでいる最中だった。
 彼の助手兼人生のパートナーであるエリザの姿はなく、四方を囲む鬱蒼うっそうとした木々の中にもその影すら見つからない。
 その代わりに、エリザとは異なる、まだまだ少女の域を出ない幼い声が響いた。

「教授、おはよう、ございます」
「うん、おはよう、シーラ。今日も良い天気だね!」

 純朴じゅんぼくというよりは感情の抑揚よくようとぼしい声の主は、シーラ、シーラ・インケルタ。
 かつてエドワルドやエリザを含むドラン達一行と敵対し、その命を奪おうとした天人の遺産そのものである少女だ。
 人造の超人として生み出されたインケルタを含む四名は、撃退された後にエドワルドとエリザによって引き取られた。今ではこうして調査活動の助手として扱われ、インケルタ以外にもシーラという新しい名前を与えられていた。
 リネットの試作品として造り出されたシーラは、白い長髪をみにして垂らし、山歩きに適した肌の露出を抑えた服装だ。腰には天人の施設から持ち出した単分子刀たんぶんしとうの他に、山刀や革袋の水筒などをげている。
 かつては人格を持たなかったシーラだが、エドワルド達との共同生活が変化をもたらしたようで、挨拶を返したエドワルドに対して、うっすらとではあるが口元を吊り上げた。完全な笑みになるまであと二歩ほどの形である。

「ジードやカズール、メラスの調子はどうだったかな? 皆、寝不足になってはいなかったかい?」
「三人、全員大丈夫です。今は、エリザが朝ごはんを持っていきました」

 シーラ同様に、かつてはアエラ、コンコルディア、ノドゥスと便宜上の呼称をつけられていた彼らも、新しい名前を得ていた。ジード・アエラ、カズール・コンコルディア、メラス・ノドゥス――エドワルドは彼らをそう呼んでいる。

「うん、そうか。今のところはこちらが見つかった様子はないけれど、ここの天人の遺跡は随分と国から注目されているようだね」
「私達、天人の遺産なのに、何も分からなくて、ごめんなさい」
「いやいや、いいのだよ。ここの施設は君達の居た施設とは年代が違うし、君達が分からなくても仕方がない。それに、こういう未知を調査し、研究し、探求し、解明し、既知へと変える事が私の甲斐がいなのだからね。あっはっはっは。それにしても、君がごめんなさいか。私に対して申し訳ないと感じてくれたのだね。今日まで君達と一緒に生活してきた成果を実感したよ。うん」
「? よく、分かりませんが、教授が喜んでくださるのなら、シーラはそれでいいです。あと、遺跡、相変わらず兵士達が固めています。彼らにとって、とても大切なものである事は、間違いないです」
「うん。東に行くほど〝生きている〟天人の遺跡や遺産が多いから、十中八九ここも稼働状態にあるのだろうね。轟国ならともかく、高羅斗がここまで力を入れるとなると、噂の人造兵士達関係の施設か、その次の新たな兵器関係か……。まあ、実際に足を踏み入れてみないとはっきりとした事は分からないけれど、やはり天人の遺産は戦争に利用されるんだねえ。悲しいものだ」

 今、エドワルドの調査隊一行は、アークレスト王国を離れて東の隣国高羅斗に入り、かねてから目星をつけていた、奥深い山の地下に眠っている施設の調査中だ。
 しかし、彼らが長期調査の準備を終えて現場にたどり着いた時には、既に先客がいた。
 施設のある山腹に穿うがたれた入り口の周囲は、武装した高羅斗の兵士や術士達によって封鎖されており、施設に入るどころか近づく事も出来ない有様である。

「シーラは、教授の悲しいというお気持ちは分かりませんが、あの施設が重要視されているのは間違いがないと考えます。地下に強いエネルギー反応を検知しています。ですが、教授、これからどうなさるのですか? 国が極秘裏に管理している施設でしたら、民間人である教授が足を踏み入れる事は許されないのではと、シーラは考えます」
「いやはや、まったくもってその通りだよ。ひょっとしたら高羅斗の戦争の切り札に関係するかもしれない施設だし、しばらくはここで気付かれないように観察しよう! なに、時には潮目しおめが変わるのをじっと待つ事も必要さ。何がきっかけになって事情が変わるかなんて、分からないものだからね」

 まるでへこたれるという事を知らないエドワルドの笑顔に救われたのか、シーラもようやく笑い方を覚えたような、淡い笑みを浮かべるのだった。
 そして、エドワルドの言う〝きっかけ〟は、彼らの知らぬところで近づきつつあった。


     †


 殿下がシャルドやアムリア達と共に王都へ帰還された三日後、高羅斗国の使者との極秘会談の日時と場所について記された密書が届いた。
 開封された事を送り主に伝える魔法と封印の魔法が厳重に施された密書には、アークレスト王国東方の小都市ミケルカ郊外にある屋敷で、会談が行なわれるとあった。
 護衛には私――ドランとシャルドの他に、近衛騎士団と宮廷魔術師の中からりすぐりの精鋭がつく。
 我が国の表向きの最高戦力は『アークウィッチ』メルルだが、彼女はあまりにも有名すぎて、常にその所在を周辺諸国に確認されている事もあり、そう易々やすやすとは動かせない。
 それに、どうも後継者問題で内紛中のロマル帝国の方の戦況が大きく動く前兆がいくつか確認されている。その為、王国の西方は現在厳重な警戒態勢に入っており、メルルの投入も視野に入っていると見て間違いなかろう。
 さて、殿下の護衛にはリネットを連れて行くわけだが、日程的にはまだ先で、すぐに出立の準備をする必要はないので、私達は殿下の護衛とは別の仕事に取り掛かっていた。
 クリスとの結婚式の日取りや関係各所への周知など、私達の人生にとって極めて重大な案件なので、先送りには出来ない。
 また、セリナのご両親に挨拶をするという私的な用件と、モレス山脈にあるラミアの隠れ里との交流を持つという公的な用件も同時に発生している。
 今はそのセリナの故郷ジャルラに赴く人員の選抜や、交流が成功しても失敗しても、どちらの場合でも対処出来るように会議を開いていた。
 屋敷の中にある会議室には私、クリス、セリナ、ドラミナ、ディアドラ、リネットというお馴染みの面子が集まっている。それに加えて、男爵領の会計官であるシェンナさんと、騎士団長バランさんといった男爵領首脳陣の姿もあった。
 会議を進行するのはクリスである。

「さて、ジャルラへ向かうのは当事者のセリナとドランは当然として、うちからの公的な使者として、もう少し人員を回さないといけない。セリナ、ベルン村からだとどれくらいの距離になるのだい? 道中、危険な魔物や猛獣もうじゅうの類はどの程度出没するのかな?」

 この数日、クリスは私との婚姻の件でセリナ達に散々弄り回された。さらに、私の両親や兄弟にも婚約の報告に行ったので、精神的にかなり疲れているはずだが、今は立派に男爵としての態度を保っている。
 男爵位をたまわってから既に一ヵ月が過ぎ、意識せずとも身分相応に振る舞えるようになってきたのだろうか。

「私が一人でベルン村の近くまで来た時には、十日も掛かりませんでしたけれど、今度はたくさんの人で向かうので、片道二週間くらいを考えた方がいいかもしれません。でもそれはあくまで徒歩の場合です。ドランさんの作ったホースゴーレムなら、山脈のけわしい道でも平気で上っていけるでしょうし、ホースゴーレムを走らせ続けるなら、片道二日くらいで済むと思います」

 ホースゴーレムには体力の概念がなく、休憩が不要であり、生きた馬の倍以上の速さで走れる。
 しかし、たとえホースゴーレムに休憩が必要なくても、それに乗る人間には不可欠である。
 それに、道中で遭遇する魔物などとの戦闘による時間の浪費も考えなければならない。
 片道二日は、それらを踏まえた上で導き出されたものだろう。

「それとジャルラまでの道で出てくる生き物は、モレス山脈のふもとに広がる森に着くまでの間なら、ベルン村とそう変わりません。森に入ると大型の昆虫や狼に蛇、人食いの植物なんかが目立ちはじめます。でも、エンテさんに話を通しておいてもらえれば、特に問題はないはずです。あとは蜘蛛人くもびととか蛇人へびびととか、この辺ではなかなか見ない亜人の小さな集落もありますから、ジャルラだけでなく、そちらに立ち寄ってみるのも良いかと思います」

 エンテの森に根を張る世界樹――エンテ・ユグドラシルの口添えがあれば、森の生物達が危害を加えてくる事はなかろう。


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