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星の海

第三百十九話 しょんぼりさん

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 メルルの放った極大規模の魔法とザンダルザ、トラウルー両名の奥義の激突によって生じた爆発と爆風、大地震を思わせる揺れは長々と続き、魔王軍・アークレスト王国軍の最前線のみならず、西側で戦闘を行っているロマル帝国軍にも届くほどだった。
 その影響は大きく、上空で行われていた真贋の竜種達の戦いやドラミナと精鋭魔族達もその爆風を避けて高度をより高くとるか、距離を取る行動を優先した程である。
 幸いにしてアークレスト王国軍側はベルン軍から各部隊に供与された砦型ゴーレムとバリアゴーレムらが、とっさに広域に防御障壁を張り巡らせたおかげで死傷者を出さずに済んでいる。

 周囲への影響はかようなものであったが、当事者である三名とその戦場はというとメルルがぶち開けた大地の大穴は跡形もなく消失していた。なにしろ、三名の奥義の激突の余波によって、さらに大きく深い大穴が開いていたからである。
 陽光が届かぬほど深く穿たれた大穴は、奥底から大地の苦痛のうめきか恨みの声が聞こえてくるような無残な様子だ。

 大穴の端の一角へと落下していたザンダルザは、手頃な大きさの岩に腰掛けていた。ザンダルザはにやにや笑いを浮かべたまま、地面の上で大の字に寝転がっているトラウルーへと声をかける。
 黒く染めた石棍棒によって、触れるモノすべてを黒く塗りつぶし無力化する秘技“黒喰”により、トラウルーは奇跡的にも無傷だった。

「おい、トロールの。まだ生きとるか?」

 欠片も心配していないのが聞き取れるザンダルザの呼びかけに、老トロールはむっくりと上半身を起こして、やるせない様子で首を左右に振る。なんてものと戦わせてくれるんだ、と魔王やら運命やら何やらに抗議したそうな仕草だ。

「あの程度じゃ死にゃせんわい。最近の軟弱な若造共だったら無理だったろうが」

「ははん、お前と同じ世代でもほとんどは死ぬだろうが。わしら魔族側も似たり寄ったりだが、いやはや暗黒の荒野にいた人間連中とはモノが違うのお、あのお嬢ちゃん」

「違いすぎるわ。あんなんが一つの国に一人は居るようだったら、お前さんらよりも、人間の方がよっぽど闘争やら武術やら戦争の神の眷属らしいのでないかい?」

「お前、軍神の眷属の末裔たるわしによくも言い寄るわ。さすがにあれだけの怪物は人間全体の中で多くて三人か四人じゃろ。そう危惧するな」

「・・・・・・それでも多くない? 一人でもう十分じゃろ、それ」

「かっかっかっか、楽しめる数が多くてなによりじゃ! 今頃、陛下も前線に出たくてウズウズしとる頃合いかな」

「わしとお前さんがこんだけ派手にやりゃあ、食指も動くだろうが、にしても、アレ、幻を見せられているわけじゃなかろうな?」

 そう言って、トラウルーは左手の人差し指で上空を指さした。そこにはディストールと自身の防御障壁を貫いたザンダルザの奥義によって、左半身と頭部を吹き飛ばされたメルルの姿があった。なんとも無残なその姿に、しかして魔六将の二人は微塵も警戒を緩めていない。
 メルルの死体がそこにあるだけならばトラウルーはなにも言わなかったが、確実に絶命しているはずのメルルの体が今も空中に浮かび続けているのはどういうわけだ。
 そればかりか周囲から白い光の粒子が欠損した部分に集まるや、それは瞬きよりも早く輪郭を持ち、傷一つないメルルの肉体とディストールが再構築されたではないか。

「あ~、自身の肉体と装備に限定した時間逆行による復元と、損傷を無かったことにする限定的な因果律の操作の同時使用か?」

 メルルの復活劇のカラクリをトラウルーがそう推測すれば、ザンダルザが右の下腕で顎を撫でながら付け加える。

「それに単純な細胞単位での再生速度の超高速化と、魂から肉体の情報を抜き出しての再構築の四つを複合化しとるな」

「つーと、対処法は時間干渉と因果律操作の無効化、細胞の再生が追いつかないほどの超高威力の一撃ないしは連続攻撃を当てるのと、そんでもって魂自体にも損傷を加える必要がある、と。
 なんちゅー面倒くささじゃ。魂を削るか傷口を焼けばよいヒドラやわしらトロールが可愛く思える不死身っぷりを、後天的に身につけよってからに」

「そうなるが、出来るからやったのか、そうまでしないといけない相手でも居たものか。ああ、それと再生途中にちょいと仕掛けたが、あの杖やら鎧やらに意識喪失中も自動で戦闘を行う術式を組み込んどるな。お陰でこの有り様よ」

 ザンダルザはおどけたような軽い調子で、トラウルーに自分の左半身を見せた。トラウルーが大の字になっている間に、頭部と左半身のないメルルとどのような攻防を繰り広げたのか、ザンダルザの左の頭は消し飛び、左の三本の腕も下の腕を残して付け根から消え去っている。
 もちろん、ザンダルザとてメルルに何の痛打も浴びせなかったわけではない。トラウルーが起き上がる前まで、メルルは左下半身もザンダルザによって吹き飛ばされていたのだから。
 魔族としてはヤーハームに次ぐ実力者であるザンダルザの無残な姿に、トラウルーはうげえ、と短く呻いた。

「さっさと治せ。再生を妨害する呪詛付きのようじゃが、それに負けるお前さんでもあるまい」

「まあ、の。お互い、まだまだ元気いっぱいということじゃな。かっかっかっかっか!」

「攻撃も防御も嫌になるくらい超の着く高水準だと思うとったら、不死身っぷりまで突き抜けんでもよかろうによ」

 ザンダルザが大笑いし、トラウルーがぼやいている間に、ザンダルザの傷口からズリュ、と水っぽい音を立てて新しい頭と腕が生えて、五体満足の状態へと戻る。
 もちろん魔力なり体力なりを消耗はするが、高揚した精神はより多くの魔力を生産するため、ほとんど消耗はないに等しい。トラウルーにとっては災難なことに、それはメルルにしてみても同じであったが。

「元気いっぱいなのはいいが、伸びしろがあるのはやはり若いほうだろうのう。ザンダルザ、魂の機微については高位の魔族たるお前さんの方がよくわかろう。
 あのお嬢ちゃん、わしらとやりあう中で魂を進化させようとしとるぞ。例えるなら、卵の殻に罅を入れるコツを探しとるあたりか。殻を破られたらこりゃ厄介じゃ。いよいよもって相討ち上等の精神で挑まねばならなくなるか」

「くくくく、闘争の中での進化か。流石は人間種。失敗作の烙印を押されたとはいえ、彼らほど多くの神々の関与を経て誕生した種族はおらん。種として保有している可能性が、ほかの種族に比べて随分と多い。なんでもありという概念が強く当てはまる種族じゃからな。
 魂の進化となると霊格の向上、魔力量の増大と質の向上、知覚領域の拡大あたりが定番だが、あのお嬢ちゃんならそれを活かして一気に魔法の質を一段も二段も上げてくるだろうな」

「ますます速攻で片付けなければならん理由が増えよったわ。最初からこんな強敵にぶち当たるとは、この大陸だけでもほかにまだまだ得体の知れん敵が多そうじゃ。しばらくは楽隠居できそうにないのう」

「愚痴を垂ればかりでは心が萎れるぞ。前向きに行け、前向きに」

 行けるか、阿呆、とトラウルーはまた新しい愚痴を零すが、そのくせ、闘志は萎えていなかった。その証拠に、ローブの下の肉体をぼこぼこと隆起させ始める。
 高密度の筋肉の上に脂肪を多く蓄えた、でっぷりとした老トロールの肉体の内部で、骨格や臓器の位置、さらには筋肉の組成や血流の速度が変わり、皮膚には魔術的な作用を持つ文様が皮膚の変色によって自動で描かれてゆく。
 原始の魔法を操るトロールの中でも、ごく一部の才覚溢れた個体のみが可能とする、自己暗示による肉体の最適化――いわば即興の進化だ。メルルという人間と呼ぶには抵抗のある強敵を前に、トラウルーの肉体は危機感と警戒心に相応しい戦闘形態へと進化し始めていた。

「どれ、わしも陛下、もといヤーハームの糞餓鬼用に温存しておいたとっておきを出すか。いやはや、世界は誠に面白い! 愉快痛快奇天烈に出来ておるわ!!」

 ザンダルザもまた六本の腕を大きく広げて、如意混を握る右真ん中以外の五本の腕に虚空から呼び出した五つの武器を握る。
 すべてが軍神サグラバースより祖先が持ち出しを許された神々の武器か、後代になって子孫達が血道をあげて作り出した極めて強力な魔法の武具ばかり。
 どれ一つをとっても使いこなせば大陸の命運を左右するほどの、超絶の威力を発揮する神器魔器ばかり。そして、そうしなければならない敵がメルルなのだ。

 完全に肉体の再生を終えたメルルは、眼下でさらなる強烈な圧力を発する二体の強敵を見て、春の訪れを知った無垢な少女のように笑った。彼女にとって、これまでの人生の中で最も爽快で晴れやかな気分だった。
 メルルを中心に、空中に色とりどりの魔法陣が合わせて五十二個、強烈な光を放ちながら描かれる。メルルが瞬時に作り上げた砲撃魔法用の砲身兼砲台となる魔法陣である。

「あはっ♪ 我が前に森羅の死あり 我が後ろに万象の骸あり 我が眼差しの中に命なし 我が手の届くうちに魂なし 有象無象すべて塵芥と消え去るがいい ブラス・シャウラ・アプリポス!」

 五十二個の魔法陣が一斉にすさまじい音を立てて回転をはじめ、その中心にメルルの魔力と大気中の魔力、さらには異世界と連結して吸い上げられた三種の魔力が融合し、世界を焼き尽くすような光の砲撃がトラウルーとザンダルザへと放たれる。
 かつてドランが手合わせにて星の反対側まで撃ち抜く、と評価した【ブラス・アプリポス】の威力を四割ほどに抑え、その代わりに一度に多数の砲撃を可能とした応用版の砲撃魔法だ。四割の威力とはいえ、もともとが星を貫通する威力だ。
 それが五十二発も一斉に放たれるのだから、メルルはこの星を破壊しようとしているのかと、正気を疑う所業に他ならなかった。



 昼前に戦端を開いた魔王軍とアークレスト王国軍は、開戦早々に戦線の中央でメルルとザンダルザ、トラウルーが交戦を始めた為、巻き添えを食らうのを恐れて大きく左右に分かれて部隊を迂回させ、戦闘を行っている。
 アークウィッチ達の戦闘が長引けば長引くほど、周囲への流れ弾や戦場そのものを揺るがす大爆発やら地響きが連続して発生する為、両軍は互いの超戦力の交戦地点から離れようと、左翼はさらに左へ、右翼はさらに右へ、と戦線をどんどんと伸ばさざるを得なかった。

 見ようによっては滑稽に映る動きだが、戦闘に参加している兵士達からすれば、天変地異じみた戦闘の巻き添えで死ぬなど、遺体の一欠けらも残りそうにないし、まっぴらごめんと感じるのは至極当然であった。
 その考えは戦線の兵士達ばかりでなく、彼らを指揮する現場の指揮官も、陣地から全体の指揮を執るより上位の者達にしても同じだった。敵と戦って死ぬのならばまだしも、味方の戦闘の巻き添えで死なせてしまっては、兵士達本人にもその遺族にも何と言ってよいやら。

 そういった事情から仕方なしに左右へと伸びきっていた戦線だが、ここにきてお互いに戦闘している場合ではないほどに、メルル達の戦闘が苛烈さを増す事態となってしまった。
 最前線で魔導銃や火薬式の銃を撃ち、槍を突き出し、剣を振るい、魔法を放ち、大砲の狙いを定めていた兵士達の多くが、正面の敵兵よりも天地を崩さんばかりの光と衝撃、轟音が次々と生じては消える中央の状況が気になって仕方がないのだ。
 両軍の兵がそろってその状態であった為、お互いの攻撃の手がすっかりと委縮してしまい、お互いに何とも言えない微妙な雰囲気の膠着状態が出来上がっている。

 そんなアークレスト王国軍の一角で、世界の終末を思わせる戦いを見やる二人に焦点を当てよう。アークレスト王国きっての武闘派貴族アピエニア家から派遣された軍勢の中に、その二人はいた。
 深い海の底を思わせる色の髪を長く伸ばし、全身に魔法素材をふんだんに使ったクロースに鍔の広い三角帽子、箒を手にした妙齢の美女――ネルネシアの実母にして砦落としの異名を持つ魔女バッサー。
 もう一人は全身隙間なく鎧で固め、手には身の丈を上回る無骨極まりない両刃の大剣を構えたる重装備の騎士――ネルネシアの実父にして百人斬りの異名を持つ大戦士ルオゼン。

 ドランやクリスティーナにとって、この場に参戦しているアークレスト王国貴族の中では、スペリオン王子に次いで縁の深い二人である。
 アグラリア戦役では、家臣の中で若手有望株を派遣したアピエニア家だが、魔王軍の陣容の凄まじさを理解するや最大戦力である領主夫妻と最精鋭の騎士団を率いて、このメグゼス会戦に参加していた。

 メルル達の戦闘の余波により、まともな戦闘を行える状況でも精神状態でもなくなったことで、ルオゼン達は一旦軍を下げて、魔王軍との間に距離を置いている。
 これはアピエニア家に限らず、総司令官の席に座っているスペリオンから全軍に伝えられた命令によるものだ。
 スペリオン自身は軍を率いて戦った経験はないから、彼の参謀役を任された別の将軍からの意見を、スペリオン名義で伝えたものだろう。
 メルルのあの戦いぶりを見たら、誰だって遠ざかりたくなって当たり前だ。このまま前線を維持などと命令が下されたら、実際に戦場に立つ兵士達の士気がどうなるか分かったものではない。

 幸いだったのは黒薔薇を主に様々な花々が壁のように戦線各所に点在し、戦闘開始直後から兵士達を守っていたおかげで、命令の伝達と移動が実に順調に行ったことだろう。
 言うまでもないかもしれないが、この花々の防護壁はベルン遊撃騎士団所属のディアドラと、彼女に続いて就職したエンテの森出身者を中心とした花々の精達が共同で作り出したものである。
 ベルン男爵領の本陣で待機するディアドラに、他の花の精達が魔力と感覚を同期させ、地下から根を伸ばして即興の壁を作り出していた。
 味方に向かってくる弾丸や魔法は黒薔薇を始めとした花々の根や茨がことごとく防ぎ、味方が攻撃する際には必要なだけの隙間を作り、またもし負傷したならば止血や解毒、鎮痛作用のある花粉や樹液を提供してくれると至れり尽くせりの代物だ。ここまでくると防護壁というよりも防御陣地というのが適切か。

 手早く後方に引き下がる準備を進める自領の兵士達を一度眺めてから、バッサーは遠方の筈なのだが、今もびりびりと肌を打ち、天地を揺るがす衝撃にため息を零した。
 メルルやオリヴィエを含め、アークレスト王国で戦闘においては五本の指に入る魔法使いと知られるバッサーをして、本気を出したメルルは桁違いの傑物だと感嘆せざるを得ない。

「あの子、あれだけの力を抑えて生きてきたのなら、随分と肩身が狭かったでしょうね」

 それでもメルルを怪物呼ばわりするような言葉ではなく、彼女のこれまでの苦労を偲ぶ言葉が出てきたのは、バッサーなりにメルルの苦悩に共感するものがあったからだろう。
 あるいは、メルルとは少し年が離れているが、強力な魔法使いの娘を持つ母親としての感性がそう言わせたものか。妻の言葉に含まれた憐憫の情に、ルオゼンは縦にスリットの入った兜越しに視線を送り、言葉をかけた。

「今までの抑圧の開放ですか。それにしてもこれは度が過ぎている、と言ったら、メルル嬢に気の毒でしょうか? 地形が変わりそうな勢いで戦っていますが……」

 ネルネシアの父親は戦闘においては暴風の如き暴れぶりをみせる勇猛果敢な騎士だが、一歩戦場を離れれば、あるいは戦闘が停止している状況ならば温厚な紳士に早変わりするのが特徴だった。

「最初は周囲への影響を配慮していたけれど、どんどん熱を入れているからこのままの勢いで戦い続けたら、私達も危ないかもしれないわね。それにしてもあのトロールと魔族、とてつもない強さだわ」

「ふむ、君と私でも一体を相手に時間稼ぎをするので精一杯でしょうね。ベルンのバンパイア殿が空で相手をしている魔族達もかなりの強者です。事前に十分な準備をしていても、さて、一対一では勝機は半々です」

 この時、ドラミナが相手をしているザンダルザの秘蔵っ子達は三名から六名に数を増やしており、マルザミスを含む全員が大小の傷を負い、余裕などかけらもない状況に追いやられていた。
 一方のドラミナは本領を発揮できない昼であっても、すでに六名の魔族達との戦いに慣れた様子で、メルル達の戦闘による流れ弾による被害を案ずる余裕さえあった。

「別に一対一で戦う必要はないでしょう? 作法に則った決闘ならばともかく、戦場なのですから」

 バッサーの言わんとしているのは当たり前のことであるから、ルオゼンとて特に反論はない。
 実際に二人が魔六将や高位魔族を相手にするとなったら、百名以上の魔法使いや神官達からの支援魔法と神の奇跡で自分とバッサーを徹底的に強化した上で挑むだろう。自分の力だけでは届かないのなら、他者の力を借りて補えばよい。実に簡単な話だ。

「ええ、その通りです。言わずもがなでしたね。ううむ、それにしても突出した個が量を覆した例は歴史に多々ありますが、突出した個同士の戦いがここまで凄まじいものになるなど、今朝までは思いもしませんでした。ヴァジェ君との手合わせで少しは世の中の強者を知ったつもりになっていたと、不明を恥じる他ありません」

「腕に覚えのあるつもりで、この戦争に参加したものは誰もがそう痛感させられているでしょう。……あの子っ!」

 いやはや、と兜越しに頭を掻く夫を慰める言葉を紡いだバッサーだったが、絶え間なく続いていた轟音爆音が一瞬だけ絶え、直後に周囲に伝播した桁違いの魔力量と天空に広がる巨大魔法陣に、顔色を青く変える。
 すでに暗黒の荒野に多大な被害を与えていたメルルの大魔法の乱射だったが、ここに来ていよいよ大陸を本気で吹き飛ばすきになったのかと、バッサーは考え、いや、単に敵を倒すのにそこまで威力のある魔法を使う必要があると判断しただけだと理解する。
 つまり、周囲への被害を考えていない可能性が高い!

「人間が扱えるというの!? あれほど強力な魔法をっ!」

 バッサーがかつてない戦慄に背筋を震わせていると、自軍の殿を務めていた二人の周囲を囲っていた黒薔薇の一輪が震えて、ディアドラの声を発した。

『もしもし、ルオゼン伯爵、バッサー婦人、お加減いかがかしら? これからアークウィッチが特大の一撃を放とうとしているのが観測されたわ。ざっと十五秒後。急いで退避なさって。余波はこちらで防ぎますわ』

「防げるの? と聞くのは礼を失するかしら」

 そう黒薔薇に告げる間にも、バッサーとルオゼンは先に退避した兵士達の位置を確認し、自分達もこの場を離れる準備を進める。バッサーが箒に跨り、ルオゼンが愛する妻の後ろに腰を下ろす。

『うちの、ベルン男爵領の切り札の一つをお見せいたしますわ。ロマル帝国の方は分かりませんけれど、こちらの側の戦闘をこれ以上続けるのは難しいでしょうね』

 断定ではなく推測とはいえ、戦闘継続の有無を口にするのはディアドラの立場から過ぎたものだったが、ここまで事前の予想を覆す状況となってしまっては、戦略規模の変更も有り得る、とバッサーとルオゼンの両人ともに認めるところであったから、異論も窘めもしなかった。
 そうしてルオゼンらと同様に他の戦線各地で同じような警告を発し終えたディアドラは、ベルン陣地にて彼方の空を埋め尽くす巨大な魔法陣を見上げて、心底から呆れた表情になる。

 周囲をドランが設計し、ベルンに就職した魔法使い達が量産したゴーレム達で固めた中で、ディアドラを中心として二十数種にも及ぶ花々の精達が円陣を組んでいる。彼女らの足元にはディアドラが自身の荊を使って描いた魔法陣がある。
 ディアドラが左右に小さく広げた両手を白百合とカトレアの花の精が握り、彼女らのもう片方の手を、また別の花の精達が握っている。そうして描いた円を通じて、ディアドラに彼女らの魔力が流れ込み、前線で花の防御陣地が無数に作られたわけだ。

「でぃ、ディアドラ、あの魔法陣は味方の人がしているのよね?」

 恐怖を隠せずにディアドラに問いかけたのは、儚げな白百合の花の精である。花弁に似た形の髪やドレスもその名の通り白く、あまりに強大すぎる力に震える体はあまりに華奢だ。
 エンテの森の外への好奇心から、ディアドラの伝手を頼ってベルンに就職した行動力のある少女だが、流石にメルルの存在と所業は想像の埒外のようだ。
 白百合の娘以外にも、ディアドラを除く花の精達は不安と恐怖で顔色を悪くしている。その様子に、ディアドラはメルルに恨み言の百も二百もぶつけてやりたい気持ちになった。

「ええ、すこぉし周りが見えていない様子だけれど、あれをやらかしているのは味方の“行き遅れ”よ。あんなんじゃ、ドランでもなければ面倒が見切れないわね。
 しかもあれ、魂を進化させる寸前までいっているじゃない。神の眷属相手にはその方が都合がよいでしょうけれど、限度を考えなさいな、あの子は!」

 まったくもう、とディアドラが容赦なく愚痴を吐く一方で、セリナも上空に出現した魔法陣を目撃し、ひええ、と悲鳴を上げていた。
 この場にいないセリナもつい先ほどまでは仲間のラミア達と魔力を同期させ、超巨大なジャラームを何十と呼び出して、陸上戦艦の艦隊と怪獣大決戦の様相を呈していたのだが、メルルの暴挙に気づき、慌ててジャラームを解除して前線に出現しなおすと、それをアークレスト王国の兵士達を乗せて逃がす為の輸送手段に切り替える判断を下していた。
 あわあわと慌てつつも、この場で必要な判断を下して、迅速に行動に移れるあたりはこれまで積み重ねた経験がものを言ったと褒めるべきだろう。

 敵も味方も混乱に陥れるメルルの一撃は、特定の範囲内に重力衝撃波を発生させて、物体を光よりも速く強制的に動かすことで、光子にまで分解するという殺意しかない魔法だ。制御を誤れば際限なく万物を光に変え、星を滅ぼしかねない代物だ。
 メルルの技量ならば制御を誤りはしないだろうが、彼女の実力を知っていても一抹の不安はどうしても残る。セリナとディアドラの胸にわだかまる黒々とした不安は、ベルン男爵領の陣地から、彼女らのよく知る人影が飛び立つのを見る瞬間まで続いた。

 メルルが頭上に掲げたニヒトヘイトから、黄金の津波を思わせる衝撃波が全方位へと放射される一瞬前、さしものトラウルーとザンダルザもこれはいかんと離脱の動きを見せていた。
 逃げる二人の魔六将には構わず、メルルは万物一切を光へと変える黄金の衝撃波を放った。大気中の塵ばかりか大気そのものすら光へ変換してゆく衝撃波は球形に広がってゆき、その危険性を察知した真贋の竜種はもちろん、ドラミナと彼女にズタボロにされた魔族達も全力での離脱を選択している。
 一撃で戦況を激変させたメルルの実力は見事としか言いようがないが、さりとて手放しで褒める行動ではなかった。

 重力衝撃波の放出は止まず、さらに効果範囲を広げようとしたところで、ベルンの陣地を飛び立った人影――ドランが重力衝撃波へと向けて竜爪剣を横に一閃。
 斬撃の軌跡に沿って、重力衝撃波の加速を停止させる別ベクトルの重力衝撃波が発せられて、黄金の重力衝撃波は見る間に消えていった。
 残ったのはニヒトヘイトを掲げた姿勢で立ち尽くすメルルだけだ。ドランは視線を魔王軍の方へと一瞬だけ向け、ザンダルザとトラウルーがそれなりの手傷を負って離脱したのを認める。引き際の判断と行動に移す速さは大したものだ。

「ありゃ?」

 と気の抜けた声を出すメルルに向け、ドランは何とも言えない表情を浮かべて近づき、腰に手を当てながら短く告げた。

「やり過ぎです」

 今もなお格上と認めるドランの指摘に、メルルは全身を巡っていた血が急激に冷え、高揚していた精神が委縮するのを実感した。確かに自分が力を振るうことを楽しみ、周囲へと目を向ける配慮を失っていたのを、今になってようやく理解した。

「あうう、ご、ごめんなさい」

「味方に被害は出ていませんから、取り返しのつかないという事はありませんが、敵も味方も貴女のふるまいで仕切り直しをせざるを得ません。スペリオン王子からも戦線を下げるよう命令が下りました。魔王軍もこちら側に割り振っていた軍勢を下げています。夜襲の警戒は当然するとしても、とりあえず今日はここまでですよ」

 ドランの口調と声音はメルルをそう強く責めるものではなかったが、どうにも呆れているのを隠せてはおらず、それを敏感に聞き取ったメルルは年長者でありながら道理を弁えない幼子のようにふるまった自分をただただ恥じ入るばかりだった。

「はい……」

 まさに“しょんぼり”という言葉は、今のメルルの為にあるような落ち込み具合であった。ただ、このしょんぼりとしてる女性は惑星を破壊することも可能なしょんぼりさんなのである。
 まあ、そんなメルルの一撃をあっさりと無力化したドランも、味方のアークレスト王国陣営、特に魔法使いの面々を驚愕させているのだが、彼の場合は今更だろう。
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七辻ゆゆ
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「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

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