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星の海
第三百十八話 哄笑するメルル
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生と死がひっきりなしに入れ替わる空の戦場は、主に真贋の竜種達が主演を担っていたが、その中にあってスレイプニル達の牽く馬車を駆り、形を変える武器を手に戦うドラミナの姿はひときわ異彩を放っていた。
馬車とは称したが、いつものヴァルキュリオス王家の紋章を隠した車体はなく、ドラミナ一人が立つのに十分な面積の二輪の車体を、スレイプニル達が牽いている。かつては戦場で華を飾った古代の戦車――チャリオットである。
ドラミナは自らの翼ではなく天翔る神馬の末裔達と共に、はるかな過去に天上世界へと誘われた古の勇者のごとく、空の戦場を赤い流星となって戦っているのだった。
三つ目の意匠を持つサークレット型神器ガルシオンと赤い全身鎧の神器ジークライナスを纏い、両手には弓の形へと変えた形無き神器ヴァルキュリオスを携え、手綱も握らずに血よりもなお赤い瞳を戦場の隅々にまで走らせている。
今はベルン遊撃騎士団所属の騎士となっているドラミナは、戦端が開かれるのに合わせてすぐさまベルン男爵領の陣地から離れ、愛馬達と共に上空からの支援を主目的として行動している。
竜種達の放った広範囲に及ぶ天災にも等しい流れ弾があれば、地上のアークレスト王国の兵達に被害が及ぶ前に、弓へと変えたヴァルキュリオスの一撃で撃ち落とし、偽竜らに隙を突かれた不運な竜種達をそれとなく助けるなど、戦場という舞台の助演女優として如才ない動きを見せている。
これまでの魔王軍との戦いではドラミナが自らの足や翼で動いていたため、戦場という舞台で主人のために働けるとあって、スレイプニル達の気合いの入り用は凄まじいものとなっている。
元より神馬の末裔の彼らは高位の神獣であり、高い霊格を生まれ持ち、身体能力もまたそれ相応に高い。スレイプニルという種族の中にあって、彼らはバンパイアの女王が乗騎と選ぶに相応しい選りすぐり中の選りすぐりだ。
スレイプニル種の最高水準に到達しているといっても過言ではない。
そんな彼らがこの上なく士気を高めて戦場を駆ければ、彼ら自身の纏う神気と魔力の混ざった防御障壁と速度によって、進路上にいた哀れな偽竜が衝突するのと同時に原形を留めない挽肉へと変えられるほどの脅威を体現する。
スレイプニル達の迸る気合は、主人と戦場を駆けられる喜びばかりでなく、主人に置いて行かれまいと、今日まで必死に鍛錬を重ねてきた彼らの血道をあげる努力の成果を見せる好機だ、と白い鬣を炎のように翻して六本の足を絶え間なく動かしている為だ。
ドラミナと共にベルン男爵領に就職した四頭のスレイプニル達は、主人がドランと本格的に行動を共にするようになってから、徐々に焦燥を覚えるようになっていった。
ドランの古神竜の血を毎日摂取し続けて、ドラミナのバンパイアとしての格は始祖の領域へと達し、今やそれを越える高みにさえ達しつつある。
これまではバンパイアクイーンの乗騎として相応しかったスレイプニル達も、今となっては自分達は最愛の主人に相応しいと言えるだろうか? いや、むしろ自分達に乗るよりも主人が自分の足や翼で移動する方が速くなってはいないだろうか? と疑念を抱いたのである。
まさにそれはスレイプニル達にとって、自分たちの存在意義を根底から揺るがす大問題であった。戦闘中の瞬間的、また短距離の移動であれば例え主人の方が速くても問題ないが、これが長距離の移動となると話は変わってくる。
ドラミナの知らないところで、四頭のスレイプニル達は主人に相応しい乗騎たらんと努力する事を、鉄よりも固く誓い合ったのである。
幸いにしてスレイプニル達には、ドラミナに隠れて鍛錬を重ねる時間があった。ドラミナの目から隠れる為とはいえ、愛しいバンパイアクイーンと離れる事は、彼らにとって大いに寂しく、悲しくて堪らなかったが、これも一時の試練と耐え抜いた。
魔法学院在籍中、ドラミナは自分の足で動き回る場合が多く、またベルン男爵領にてドランの使い魔から領主付き筆頭秘書兼遊撃騎士と身分を変えても、クリスティーナやドランと行動を共にする為、スレイプニル達に跨る機会が少なかったからである。
主人と共にいられる時間が少ない、という現実と改めて向かい合うのは、思いのほかスレイプニル達の心を凹ませたが、彼らは腐らずにそれを糧に奮起した。
主人と同等の美貌を誇る雇用主の腰で揺れる意思を持つ剣に相談し、重力を数倍から百倍に不規則に変化し、極端な気温差と気圧、気候までもが変化する特殊な空間を用意してもらい、そこで彼らは気を失うまで走り続け、またあるいは岩をも砕く激流の中を駆け続け、底なしの流砂に自ら飛び込んで脱出する等の鍛錬を自らに課した。
聡い主人が自分達の陰に隠れた鍛錬に薄々気づきつつも、それを黙認してくれているのをスレイプニル達は分かっていた。
自分達がどうしてこうまで焦るのか、恐れるのか。存在意義の喪失に対する恐怖は間違いなくある。だが、それ以上に主人に、ドラミナに置いて行かれるのが怖くて堪らなかったのだ。
彼らとて分かっているのだ。ドラミナが家族と思う自分達をそうそう切り捨てたりはしないことくらいは。
それでもドラミナと同じように国を失い、仲間を失い、友を失った彼らにとって、残された繋がりであるドラミナから万が一にでも見捨てられてしまったらと考えれば、それはどうしようもない恐怖になってしまう。
今、戦場となった空を駆けながらスレイプニル達は思う。
最愛にして敬愛する主人ドラミナよ。どうか我らの短慮を、愚かな考えを許し給え。我々はそうでもしなければ、貴女の傍らに自分達が在る事を許せなかった、許してもらえないと思ってしまったのだ。
美しい夜の女王よ、麗しき月の愛し子よ、我らの唯一無二の主よ。我らはその愚かさと引き換えに、この戦場にて貴女の騎馬として相応しい働きをするのみ!
真贋の竜種の雄叫びに負けるまいと、神気を持つ神馬の嘶きが響き渡り、ドラミナへと向かっていた真っ黒な炎の本流を無数の火の粉へと吹き飛ばす。
ドラミナを狙った黒に紫の斑点を散らした鱗の偽竜は、たかが空を飛ぶだけが能と思っていた馬に、嘶き一つで炎を消された現実を前にすぐには認められずに目を見開くという致命的な隙を生んだ。
――笑止千万! この程度のぬるい炎で我らが主人を害そうとは!
四頭のスレイプニル達の合計二十四本の脚が虚空を踏みしめ、さらなる加速を得る。音の壁を破る轟音と衝撃が立て続けに発生し、スレイプニル達は巨馬である彼らが子馬に見える大きさの偽竜へ勇ましく躍りかかる。
目を見開いて驚きをあらわにしていた偽竜も、小生意気にも躍りかかってきたスレイプニル達を八つ裂きにしようと巨木を束ねたような右腕を振り上げる。
お互いの質量と膂力の差を考えれば、結果は考えるまでもないが、相手はドラミナと共にあるスレイプニル達だ。
――これこそ抱腹絶倒というもの! その程度の一撃では小石を潰せても、我らと我らが主人を砕くなど夢物語!
刹那の瞬間、スレイプニル達の目から見えざる闘志の炎が吹き出し、二頭二列で戦車を牽引している彼らの内、前列を担当している二頭が後ろ脚二本で立ち上がり、前と真ん中四本の脚を自分たちの頭上から襲いかかる偽竜の右腕へと叩きつける。
その一撃で偽竜の腕が弾き返されるだけであったなら、その偽竜はまだ受け入れがたい現実をそれでもかろうじて受け入れただろう。しかし、腕のみならず四肢の隅々から尻尾の先端に至るまでが木っ端微塵に砕け散るなど、偽竜は即死した為に理解できなかった。
ばらばらと鱗も骨も、肉も血も混ざり合った肉片となって空中にばらまかれた偽竜を傍目に、スレイプニル達はこの程度は当然であると殊更に自慢するでもなく、次の自分達の獲物と主人の武勲となる獲物を求めて八つの瞳で空と地上双方の戦場を見回す。
ドラミナはスレイプニル達がそうと察していたように、自分の家族であり愛する騎馬達が憂い、焦り、恐れていたのを知っている。それらの不安要素を覆そうと躍起になっていたのも、知っている。
この戦場での戦いでスレイプニル達がこれまでの不安を打ち消すように、凄まじい闘志を剥き出しにし、偽竜のみならずネイバーンや飛行魔獣に乗った兵士達をドラミナに先んじて葬る様を見て、ドラミナはこれで彼らの不安が晴れるのを祈った。
ドラミナの支援とヴァジェの奮戦により、空の戦場は概ね互角と言える。特に魔六将マスフェロウをヴァジェが押さえ込んでいるのは、会戦前のドラミナの予想を覆す嬉しい誤算だ。
マスフェロウはドラミナの予想では竜王の中でも上位に達する強力な個体だ。それをドランや龍吉に鍛えられたとはいえ、まだ年若いヴァジェが互角に近い戦いが出来ているのは、予想外だったのである。
ならばその予想外を活かして、ドラミナはさらに空の戦場の趨勢をこちら側に傾けるべく、スレイプニル達と同じく次の獲物をバンパイアの超感覚で探し求めようとし、こちらに向かってくる竜種とは異なる強大な気配に気づく。
ドラミナに遅れてスレイプニル達もまた気づいた。自分達と同じように神の系譜に連なる者達の気配。一つ一つが遙かな神代を思わせる、古く、強い血統と霊的な因子を持っている。
ドラミナを前方と左右から囲みながら近づいてくる気配に対し、スレイプニル達は主人の意向を汲んでその場に立ち止まり、全身から濃密な神気と魔力を不可視の炎と変えて立ち上らせている。
真っ正面から馬鹿正直にドラミナへと迫りかかる影に、スレイプニルではなくドラミナが応じた。手の中のヴァルキュリオスは、ドランと同じありふれた意匠の長剣へと変わっている。
ドラミナの頭上から襲いかかってきたのは、両刃の大鎌を構えた半人半獣の女性魔族であった。ドラミナが頭上に掲げたヴァルキュリオスの赤い刃と、女性魔族の大鎌の黒い刃が噛み合い、ギリギリと拮抗状態を作り出す。
女性魔族は紫色の癖のある髪から捻れた山羊の角を伸ばし、腰から上は妙齢の美女だが、下半身は巨大な猛禽類の翼を生やした四つ足の獣という異様な風体をしている。戦場に相応しく、人間に近い上半身も獣の下半身も深い紫色の鎧を纏っている。
刃越しにドラミナの赤い瞳と女性魔族の金色の瞳が交錯し、ドラミナの隠さぬ美貌に脳の奥までやられた女性魔族が、ふらふらと目眩を起こす。
ギラギラと若さが理由なのか、抑えることを知らぬ殺気に満ちていた顔がふやけるまでの劇的な変化を見て、あら、とドラミナは苦笑いをこぼしたが、容赦はしなかった。
「戦場でずいぶんと余裕ですこと」
ドラミナの細腕の一振りで女性魔族は空中へと弾き飛ばされ、ドラミナへと向けられた背中へとどめの一撃を放つべく、ヴァルキュリオスの切っ先が向けられる。
長剣のままでは届く距離ではないが、刹那の間に長剣から長槍へと変わったヴァルキュリオスならば、容易に貫ける。ドラミナが長槍の石突に近い部分を持ち、こちらに背を向けた女性魔族へ放った一突きを、かろうじて正気を取り戻した女性魔族が身をひねりながら振るった大鎌がはじき返した。
甲高い金属音と赤と黒の二色の火花が無数に散る中、女性魔族はどこかへ吹っ飛びそうになる大鎌を強く握りしめ、どっと噴出した冷や汗で全身を濡らしながら体勢を整えなおす。
放たれるべきドラミナの追撃は、彼女に接近していたほかの二つの気配からの攻撃によって妨害された。ドラミナからみて左方向、濃い紫色の肌に覆われた引き締まった肉体、さらに人間と変わらぬ目の上にもう一組の目を持った四ツ目の男性魔族が、両手に圧縮した魔力の砲弾を立て続けに連射してきた。
紫色の魔力の砲弾は人間の頭部ほどの大きさで、一秒を数える間に百に達する数となって麗しきバンパイアクイーンに殺到する。術式を編まず、詠唱もなく、生の魔力を固めただけの代物だが、流石は高位魔族、一発一発が地形を変えてしまうほどの威力を持っている。
惜しむらくは、あるいは彼にとっての不幸は、相手がその程度の攻撃など造作もない圧倒的強者もいいところの強者だった点に尽きる。
雨粒一つ一つが特大の大きさの、横殴りの豪雨と言いたくなるような砲弾の雨の中をスレイプニル達は果敢に駆け抜けた。
縫って進む隙間があるとは思えぬ弾幕の中を、彼ら自身の魔力による障壁とチャリオットの防御機構を組み合わせることで、最低限の被弾によって最低限の被害に留め、こちらに向かって飛翔し続けていた敵へ、先程の偽竜と同じ運命を辿らせるべく前脚を振り上げる。
「馬風情が生意気だが、気骨のあるやつは嫌いじゃねえぜ!」
男性魔族は端正だが粗暴な印象を受ける外見に相応しい言葉を吐き、自分の頭蓋を砕くために振り下ろされるスレイプニル達の前脚に、固く握りしめた拳を叩き込み、途方もない爆音と衝撃を生んでその場に留まりきれず、お互いに大きく後ずさる。
ぶふぅ、と大きく息を吐き、スレイプニル達は浮き上がりそうになる体を抑え込み、激しい敵意をもって、猫背気味になって獰猛に笑う男性魔族を睨みつける。
しかし、ドラミナは愛馬達とは異なり、正面の男性魔族でも、後方へと移動している女性魔族でもなく、彼女の右やや上方へと赤い瞳を向ける。その先には三人目の魔族――魔六将ザンダルザの娘マルザミスの姿があった。
マルザミスがロマル帝国で負った傷は癒え、万全の状態でこの戦いに臨む彼女からは気炎が立ち上っている。ドラミナの美貌を正面から見ても、何とか戦闘意欲と正気を維持している事からも、それが察せられる。
「不意を突いてもよろしかったのですよ。これは戦争ですから」
男性魔族とスレイプニルが激突した直後を狙い、一撃を加えることができただろうに、それをしなかったマルザミスを窘めるかのようなドラミナの声には、嘲りや叱責の響きはない。まるで教える側であるかのよう。
マルザミスは敵であるドラミナからの言葉に怒りも苛立ちも見せず、油断なく肩から生えている三枚の刃を持つ触手をドラミナへと向け、彼女自身も瞬時に全力の一撃を放てる戦闘態勢を継続する。
「不意を突ける隙など、どこにも無かったろうが。私が後数歩踏み込めば、貴様の長槍が動いていたのは明白。ヴェンギッタ様やクインセ様の忠告の通り、尋常ならざる強敵がいたか。くく、素晴らしい。名乗るぞ、バンパイア! 魔六将ザンダルザ麾下マルザミス!」
マルザミスの名乗りに続き、ドラミナの背後を取る女性魔族、続いて正面の男性魔族もまた名乗りを上げる。
「あたしはスエルベン! いいね、強い敵、美しい敵、どちらかだけの敵なら居ない事はないが、強くて美しい敵は貴重さ!」
「ガルスジョーだ。神気混じりのバンパイアとは初めて見るが、おもしれえ、ただの人間を相手にするよりもよっぽど歯ごたえがあるぜ」
スエルベンと名乗った女性魔族の顔からは、ドラミナへの恍惚とした感情は消え去り、ガルスジョーの顔には狩りを楽しむ狩人の笑みがはっきりと浮かび上がっている。
彼らに応じるようにドラミナの口元にも淡い笑みが浮かび上がるが、それは強敵との戦いを楽しんでいるのとは違う種類の笑みだ。
「魔六将を引き当てられなかったのは残念ですが、あなた達も十分な強敵。誘蛾灯の役割は果たせたと思いましょう」
ドラミナの評価の通り、マルザミスをはじめとしたこの三名は、ザンダルザがいずれヤーハームから魔王の座を簒奪する戦いに備えて、鍛え上げた精鋭魔族達の一部だ。すでに魔六将に準ずる実力を持ち、遠からず魔六将の水準に達するとされる有望株である。
それほどの強者をまとめて三人引き付けられた成果を持って、ドラミナはこの場で自分の役割を果たせているものとした。ほかにも実力のある魔族が散見されるが、これまでの魔王軍との戦い通りディアドラとセリナで対処できるだろう。
問題となる魔六将に関しても、これまでの二度の戦いでは参戦していなかったアークレスト王国側の切り札が、天魔の如く大笑いしながら戦っているから心配はあるまい。
今もドラミナの一挙手一投足に意識を割いていた魔族らが、思わず振り向くほどの強大な魔力の爆発が生じて、戦場の空気を一変させた程だ。
「メルルさんは私やレニーアさんと模擬戦をした時のように、楽しんでいますね」
マルザミスら魔族達とドラミナの視線の先――魔王軍とアークレスト王国の最前線の一角に、突如として曇天を貫き、天と地を繋ぐ光の柱が生じていた。
アークレスト王国の切り札たるアークウィッチ・メルルが、光の柱を作り出した張本人である。最前線に躍り出て戦い始めたメルルの周囲には、両国の兵士はただ一人もいない。
アークレスト王国側は足手まといにしかならないと分かりきっていたからで、魔王軍側は戦闘開始直前に雑兵ではどうにもならん、とヤーハームをはじめ幹部格の面々が察したからである。
魔王軍のその判断はまったくもって正しいものだった。光の柱を生じさせた最高位魔法の一撃に耐えられる兵士など、居るはずもない。対魔法防御処理を何重にも施した戦艦でも轟沈する代物だ。
メルルが効果範囲を絞らなかったなら、島一つを吹き飛ばす規模で発動する超広域・殲滅魔法なのだから。
メルルによって荒野に穿たれた巨大な穴。底を見通せぬほど深く、膨大な熱量をもって開けられた大穴には高熱が残留し、一定以上接近しようとすればその熱だけで尋常な生物は死に至るだろう。
味方のアークレスト王国側も恐怖におののく所業であるが、メルルは目的を果たせなかった事を悟り、まだまだ楽しめると大穴を空中から見下ろしながらせせら笑う。
かつて競魔祭の後でドランと模擬戦をした際にまとった、ディストールの完全魔装形態姿である。
アビスドーンに誘拐されたスペリオンらを救出しに来た時には、二本目のディストールを持っていたが、その後、さらなる改修が施されて、赤い柄の先端に真っ黒い菱形の水晶状の物体が備え付けられ、その宝玉から長短の刃が一枚ずつ伸びた形状へ改造されている。
槍とも魔法使いの杖とも見えるソレが、メルルの独自開発した魔法武具“ニヒトヘイト”だ。
「ふふふ、これじゃまだ足りないか。とっても強いのね、あなた達!」
メルルの声はこの上なく弾んでいる。召集を受けた時には、自分よりも遙かに弱い弱者を殺して回らなければならないのかと、憂鬱の底に沈んだものだが、実際に戦場に出てみればベルン男爵領という一部例外を除けば、自分でなければ戦えない強者がいる。
思う存分力を振るい、思い切り戦い、魔力を絞り尽くして魔法を行使しなければならない強敵だ。ああ、これならば自分の心を殺さずに戦える、とメルルは歓喜していた。
大穴の上空、メルルから見下ろされる高さに、全身から幾筋かの煙を立ち上らせるザンダルザの姿があった。あれだけの魔法を受けても、大きな怪我はなく、こちらもメルル同様楽しげにメルルを見上げている。
「これはこれは、ロマルの傀儡とまた遊ぼうかと思っておったのに、アークレストにもここまで面白いおもちゃがいるとはなあ。なんと愉快な戦場であるものよ。そうは思わんか、トラウルーや」
ザンダルザの声に応じるようにして、大穴の縁を皺まみれの大きな手が掴む。まるで乾いた岩石のような手が、しっかりと縁を掴むと大穴側へ落ちていた体を一息に引き上げる。手の持ち主である魔六将トラウルーの巨体が大穴から飛び出して、ずん、と重々しい音を立てて着地した。
白く長い顎髭が特徴のトロール族の長たる老巨人は、日光を避けるように灰色のローブと頭巾を纏い、肌の露出はほとんどない。大穴の縁を掴んだ右手は自由になっているが、左手には黒曜石を思わせる黒く美しい色合いの石棍棒を握っている。
「わしはお前さんと違って軍神の系譜ではないんでな。戦いを楽しいとは思わんと、何度も言っているだろうに。
いやいや、それにしても人間種でここまでの領域に達した個体は、わしの記憶にもない。事前の調査で判明した強力な使い手となると、アークウィッチとやらであろうよ。ベルンの連中もよほどの使い手だが、ヴェンギッタ達の報告にはない顔であるし」
やれやれ、老骨にはしんどいとトラウルーは石棍棒を杖代わりに巨体を支えながら、憂いを秘めた瞳で頭上のザンダルザとメルルを見上げる。人間の大魔女も老魔族もどちらも闘志を高ぶらせているが、魔王軍に与するトロールの中で最強とはいえ、老境にさしかかったトラウルーとしては、骨身に堪える戦いをしなければならないのは辛い。
「うふふ、ドラン君達がとっても強いのは私も知っているけれど、私もそこそこ強いから覚悟してね、おじいちゃん達」
「くくく、ああ、油断はせんよ。まったく、世界は広いわ!」
真贋の竜種達が交わす攻防によって、極彩色に塗りつぶされた空に、メルルの作り出す新たな色が加わる。
眼下のザンダルザとトラウルーへとニヒトヘイトの先端を向けるメルルの背後に、光輪のように巨大な白い魔法陣が投射される。円と四角と三角と無数の文字で構築されたそれが、メルルの魔法行使において大いなる助けとなる。
「クアドラブルシューター!」
メルルの周囲に赤、青、緑、黄の四色に輝く魔力の弾が生じ、それはトラウルーが瞬きをする間に一千を超えた。一つ魔力の弾を作り出すだけで、凡百の魔法使いは魔力を枯渇させて昏倒するだろう。
周囲へと発せられる魔力の余波、まばゆい光の乱舞は、幻想的と言える光景を作り出し、それを目の当たりにしたザンダルザの笑みは深まり、トラウルーの眉間には深い皺が刻まれた。
「かかかか、これはまた豪勢な“小手調べ”だ! いいものを見せてもらった返礼ぞ、小娘!」
ザンダルザの三つの顔がますます喜悦の色を深めて笑い、かつてハウルゼンに放ったのと同じ赤黒い魔力の光槍が、六本の腕から絶え間なく発射され始める。ザンダルザをめがけて直線、曲線入り交じって襲い来る四色の魔弾と衝突して、反発する魔力の爆発が数珠つながりで広がってゆく。
「はあぁ~。人間の限界に達しとるぞ、これ。おぬしや陛下ばかりか、ガリリウス殿まで楽しげにしていたが、もう、なんなの、人間の国ってこんなにやばいの? どれ、“霧やい 霧やい ちょいとこっち来ておくれ 月の光を遮る衣になっておくれ 朧の霧衣”」
ザンダルザが真っ向からの撃ち合いを選択したのに対して、トラウルーはトロール族に伝わる古き魔法により、彼の体を覆い隠す濃霧を頭上に作り出し、降り注いでくる四色の魔弾を遮る壁にする。
単なる壁でないのは、霧の衣に触れた魔弾がたちまち輪郭を朧とし、霧衣に溶けて消えてしまったことから明らかだ。霧衣に触れた物体や魔力を、その存在を朧なものとし、同化して無効化する、極めて凶悪な攻撃性を秘めた魔法なのであった。
「あは、でも足元がお留守だね! 大地の理よ 汝が我が掌中にあり 汝に歴史なし 汝は在らず 汝は無きなり エンドアース!」
【クアドラブルシューター】の発射数が二千を超える中、メルルによって同時に発動されたのは、特定範囲の地面を消滅させるものだが、この際に消滅する地面に接している者も巻き添えにするという凶悪性を持つ。
あまりにも殺意の高いメルルの攻撃魔法に、トラウルーはますます嫌そうな顔になるが、彼の行動に遅滞はない。左手の石棍棒の先でコツンと消える寸前の大地を小突く。
「“お前さん お前さん しっかりとしとくれよ でないとわしが困るから”」
トラウルーはただ地面に語り掛ける。たったそれだけの事だが、それだけの事でメルルのエンドアースは無効化されて、消えかかっていた地面が確かな形を取り戻してゆくではないか。
「すごい、語り掛けることで発動する、原始の魔法! もっとも力を持った言葉で世界を動かす、最古で最高の魔法!! 本物は初めて見た!」
「そうかい、そうかい。お嬢さん、どうか浮かれたまま油断しとくれや。そうら、“お空から燃える隕石がお前さんめがけて降ってきとるぞ”」
トラウルーが右手で顎鬚をしごきながら喋った瞬間、メルルの頭上にトラウルーが口にした通り、地上に落下すれば大災害を引き起こすこと間違いなしの大きさの隕石が突如として出現していた。
メルルは網膜に投影された頭上の光景に、へえ、とまた楽し気な声を出す。どうやらこの大魔女にとってはまだまだ余裕の事態に過ぎないらしい。
「こんなちっちゃな石ころは、気を付ける必要もないよ!」
メルルの取った動作は至って単純だ。右手で握るニヒトヘイトを頭上の巨大隕石へとめがけて一振りし、二つの刃の間から黒い魔力の塊を放っただけだ。
取った動作は単純でも、行ったことがそう簡単なことでないのは、メルルという規格外を知っていれば誰でも想像が着いただろう。巨大隕石に着弾した魔力の塊は、少しだけ巨大化するのと同時にメルルに与えられた“門”としての機能を発し、着弾した巨大隕石を丸ごと吸い込んでしまう。
黒い魔力塊――触れた物体を強制的に星の海のどこかへと飛ばす、空間転移の門がその正体だった。
出現した時と同様に、一瞬で消え去った巨大隕石に、そしてそれを成したメルルにザンダルザもトラウルーも驚きはしても行動に影響を及ぼすことはなかった。
巨大隕石への対応の間も【クアドラブルシューター】の連射は止まっていなかったが、両名が対処に慣れるのに十分な時間が経過している。
「あれだな、ヴァルグロの馬鹿を思い出す呆れた魔力量と術式の精密さよ。あいつはもう八百年も前にくたばったがっ!」
大昔に魔王の座を巡って争った好敵手を思い出しながら、ザンダルザは下の二本の手を動かし、空中に複数の印を結ぶ。特定の順番で特定の印を結ぶ事で発動する術で、魔法や忍術でも取り入れられている。
四色の魔弾の中からザンダルザの姿が消え去り、瞬時にメルルの背後へと移っていた。空間転移とメルルが認識し、【クアドラブルシューター】の一部を割いた直後、既にザンダルザの姿はなかった。
「短距離の連続転移ね!」
一目でザンダルザの行いを看破したメルルは、【クアドラブルシューター】の半分はトラウルーへと放ちながら、残り半分を自分を中心に旋回する動きをとらせる。これで一定以上、メルルの近距離にザンダルザが転移してくれば、前後左右上どこからだろうと魔弾の中に飛び込む形になる。
それを避けるには、旋回する【クアドラブルシューター】の外へ転移するのが手っ取り早い。ザンダルザもまたメルルの対応の早さに舌なめずりをしながら、距離を置いてメルルの左方へと出現する。ザンダルザの攻撃は、再び赤黒い魔力の槍とはならなかった。彼の真ん中の左腕には、両端に金色の金具を嵌めた赤い棒が握られている。
「伸びよ、如意神珍鉄打混棒!」
神鉄を鍛え上げ、所有者の意志によって伸縮自在となる、仙道の術理によって作り出された武具である。ザンダルザの意を受けた如意神珍鉄打混棒――通称如意混は、旋回する【クアドラブルシューター】を打ち砕きながらメルルへと迫る。
魔法使いとしては極限の領域に達しているメルルを、近接戦闘は素人--と判断するのは早計である。メルルとてそれは承知の上で、なんの対策も施していないわけがない。
メルルは自身に近接戦の経験を積ませるよりも、すでに熟練の域に達している者達の技量を利用すればよいと結論を出している。
全身を保護する鎧と変えたディストールには、王国の精鋭騎士やドラミナ、クリスティーナの動作や戦闘技術を複写してある。近接戦闘を余儀なくされた際には、ディストールに複写された戦闘技術を基礎とし、分析・改良・応用が行われた専用の戦闘動作が起動する仕組みになっている。
メルルの頭部を容赦なく砕きに来た如意混を、ディストールの誘導によって動かされたメルルがニヒトヘイトを振るい、はじき返した余波で周囲の【クアドラブルシューター】が砕け散る。
「うひゃ、すごい一撃!」
ディストールが相殺した衝撃の数値がメルルの左網膜に投影され、その数値にメルルは素直に感嘆を示す。それはザンダルザにとっても同じことだ。どうも勝手に体が動いたように見えていたが、如意混を通じて届いた衝撃は凄まじいものだ。なるほど、単に懐に飛び込むだけではどうにもなるまい、とザンダルザは舌なめずりをする。
瞬時に縮めた如意混をたぐりよせ、伸縮を繰り返して壁を思わせる密度の連続突きを繰り出す。
ザンダルザの思考と等しい速さで伸縮を繰り返す如意混を、メルルは【クアドラブルシューター】の発動を中止し、超音速の飛行魔法の行使によって一気に飛び上がり回避する行動に入る。同時に質量と魔力反応を持つ囮の分身をばらまくのも忘れない。
四方八方に出現した数百のメルルの中から、ザンダルザとトラウルーが本物を見つけ出すのには、ほんの一、二秒で済んだが、同時にメルルが囮を盾としても運用しつつ、詠唱に入っており、これを止めるには間に合わないと魔六将の二人は即座に判断した。
「雷よ 電よ 暁に響く神意を体現せよ」
「雲間に踊る龍 天に昇る龍 八卦を回り 四季を巡り 太極を描け」
メルル自身の口頭による詠唱に加え、大気を振動させて疑似的に再現した詠唱による同時並行詠唱だ。
一つ目の魔法は古代に雷神の一柱が敵軍を滅ぼすために放ち、暁の空を雷光で染め上げたという神の偉業を再現する電撃魔法、二つ目は世界の運行を龍に見立てて、世界に満ちるあらゆる元素の力を集約し、破壊の指向性を持たせて放つ砲撃魔法である。
「神なる雷の威を知れ マハー・ライケウス!」
「天の理法をここに形とせん 苦界龍道!」
ザンダルザへと向けられたニヒトヘイトの切っ先に真っ白い雷が渦を巻き、それはザンダルザの背筋の毛を逆立たせ、あまりの威力に臓腑が恐怖に萎んだ。
しかし、ザンダルザから笑みを消し去ることはできなかった。肉体の感じる恐怖、萎縮しそうになる精神のすべてがザンダルザにとっては、強者との闘争に対する歓喜を爆発させる燃料にしかならない。
「くっくくくく、笑いで腹が捩れそうだ。我が棒術の秘技にて受けようぞ! 如意自在山崩打」!
迫りくる白き雷に向けて、ザンダルザは如意混の長さのみならず大きさもまた自在に変化する特性を活かし、文字通り雷光の速度で迫りくるマハー・ライケウスを上回る直径にまで巨大化させた如意混を何度も叩き込む。
一方、地上のトラウルーへは天上の彼方から巨大な翡翠から生まれたように美しい龍が、顎を開き咆哮をあげながら襲い掛かっている。老トロールはこれまでどこかしら余裕を残していたが、自分をめがけて襲い来る翡翠色の龍を見て、唇を横一文字に固く引き締め、両手で石棍棒を構え直す。
「“黒よ 黒よ 白も赤も青も緑も 全部 全部 お前が染めてしまえ すべてを飲み込め すべてを塗りつぶせ お前がもっとも美しい色なのだから”」
どぷん、と大量の墨を垂らしたような音を立てて、トラウルーの持つ石棍棒がさらに黒く、光さえ映らないほど黒の深さを増してゆく。
「黒喰っ!!」
彼の発した言葉の通り、あらゆる色を、ひいてはあらゆる色を持つ存在を飲み込み、染める力を与えられた石棍棒は既に命中する寸前にまで迫っていた翡翠色の龍へと刹那よりも早く叩きつけられた!
神の雷を真っ向から迎え撃った神珍鉄の棒は砕けることなく、雷を引き裂きながら進み、引き裂かれた雷が周囲にばらけ、触れた大地を砕き、空気を焦がし、灰色の雲を焼き払って、この世の終わりのような光景を生み出している。
トラウルーを飲み込まんと天から降り注いだ翡翠色の竜は、老トロールの振るった石棍棒の黒に触れた瞬間、ずるりと首まで飲み込まれたが、そのまま簡単には飲み込まれまいと抗って巨体をくねらせて大穴付近をのたうちまわって、地形を崩壊させてゆく。
程なくしてメルル、ザンダルザ、トラウルーの三者の衝突によって生じた行き場のない力が臨界を越えて、彼らをまるごと巻き込んで目を焼き潰すほどの光と爆風があたりを吹き飛ばした。
馬車とは称したが、いつものヴァルキュリオス王家の紋章を隠した車体はなく、ドラミナ一人が立つのに十分な面積の二輪の車体を、スレイプニル達が牽いている。かつては戦場で華を飾った古代の戦車――チャリオットである。
ドラミナは自らの翼ではなく天翔る神馬の末裔達と共に、はるかな過去に天上世界へと誘われた古の勇者のごとく、空の戦場を赤い流星となって戦っているのだった。
三つ目の意匠を持つサークレット型神器ガルシオンと赤い全身鎧の神器ジークライナスを纏い、両手には弓の形へと変えた形無き神器ヴァルキュリオスを携え、手綱も握らずに血よりもなお赤い瞳を戦場の隅々にまで走らせている。
今はベルン遊撃騎士団所属の騎士となっているドラミナは、戦端が開かれるのに合わせてすぐさまベルン男爵領の陣地から離れ、愛馬達と共に上空からの支援を主目的として行動している。
竜種達の放った広範囲に及ぶ天災にも等しい流れ弾があれば、地上のアークレスト王国の兵達に被害が及ぶ前に、弓へと変えたヴァルキュリオスの一撃で撃ち落とし、偽竜らに隙を突かれた不運な竜種達をそれとなく助けるなど、戦場という舞台の助演女優として如才ない動きを見せている。
これまでの魔王軍との戦いではドラミナが自らの足や翼で動いていたため、戦場という舞台で主人のために働けるとあって、スレイプニル達の気合いの入り用は凄まじいものとなっている。
元より神馬の末裔の彼らは高位の神獣であり、高い霊格を生まれ持ち、身体能力もまたそれ相応に高い。スレイプニルという種族の中にあって、彼らはバンパイアの女王が乗騎と選ぶに相応しい選りすぐり中の選りすぐりだ。
スレイプニル種の最高水準に到達しているといっても過言ではない。
そんな彼らがこの上なく士気を高めて戦場を駆ければ、彼ら自身の纏う神気と魔力の混ざった防御障壁と速度によって、進路上にいた哀れな偽竜が衝突するのと同時に原形を留めない挽肉へと変えられるほどの脅威を体現する。
スレイプニル達の迸る気合は、主人と戦場を駆けられる喜びばかりでなく、主人に置いて行かれまいと、今日まで必死に鍛錬を重ねてきた彼らの血道をあげる努力の成果を見せる好機だ、と白い鬣を炎のように翻して六本の足を絶え間なく動かしている為だ。
ドラミナと共にベルン男爵領に就職した四頭のスレイプニル達は、主人がドランと本格的に行動を共にするようになってから、徐々に焦燥を覚えるようになっていった。
ドランの古神竜の血を毎日摂取し続けて、ドラミナのバンパイアとしての格は始祖の領域へと達し、今やそれを越える高みにさえ達しつつある。
これまではバンパイアクイーンの乗騎として相応しかったスレイプニル達も、今となっては自分達は最愛の主人に相応しいと言えるだろうか? いや、むしろ自分達に乗るよりも主人が自分の足や翼で移動する方が速くなってはいないだろうか? と疑念を抱いたのである。
まさにそれはスレイプニル達にとって、自分たちの存在意義を根底から揺るがす大問題であった。戦闘中の瞬間的、また短距離の移動であれば例え主人の方が速くても問題ないが、これが長距離の移動となると話は変わってくる。
ドラミナの知らないところで、四頭のスレイプニル達は主人に相応しい乗騎たらんと努力する事を、鉄よりも固く誓い合ったのである。
幸いにしてスレイプニル達には、ドラミナに隠れて鍛錬を重ねる時間があった。ドラミナの目から隠れる為とはいえ、愛しいバンパイアクイーンと離れる事は、彼らにとって大いに寂しく、悲しくて堪らなかったが、これも一時の試練と耐え抜いた。
魔法学院在籍中、ドラミナは自分の足で動き回る場合が多く、またベルン男爵領にてドランの使い魔から領主付き筆頭秘書兼遊撃騎士と身分を変えても、クリスティーナやドランと行動を共にする為、スレイプニル達に跨る機会が少なかったからである。
主人と共にいられる時間が少ない、という現実と改めて向かい合うのは、思いのほかスレイプニル達の心を凹ませたが、彼らは腐らずにそれを糧に奮起した。
主人と同等の美貌を誇る雇用主の腰で揺れる意思を持つ剣に相談し、重力を数倍から百倍に不規則に変化し、極端な気温差と気圧、気候までもが変化する特殊な空間を用意してもらい、そこで彼らは気を失うまで走り続け、またあるいは岩をも砕く激流の中を駆け続け、底なしの流砂に自ら飛び込んで脱出する等の鍛錬を自らに課した。
聡い主人が自分達の陰に隠れた鍛錬に薄々気づきつつも、それを黙認してくれているのをスレイプニル達は分かっていた。
自分達がどうしてこうまで焦るのか、恐れるのか。存在意義の喪失に対する恐怖は間違いなくある。だが、それ以上に主人に、ドラミナに置いて行かれるのが怖くて堪らなかったのだ。
彼らとて分かっているのだ。ドラミナが家族と思う自分達をそうそう切り捨てたりはしないことくらいは。
それでもドラミナと同じように国を失い、仲間を失い、友を失った彼らにとって、残された繋がりであるドラミナから万が一にでも見捨てられてしまったらと考えれば、それはどうしようもない恐怖になってしまう。
今、戦場となった空を駆けながらスレイプニル達は思う。
最愛にして敬愛する主人ドラミナよ。どうか我らの短慮を、愚かな考えを許し給え。我々はそうでもしなければ、貴女の傍らに自分達が在る事を許せなかった、許してもらえないと思ってしまったのだ。
美しい夜の女王よ、麗しき月の愛し子よ、我らの唯一無二の主よ。我らはその愚かさと引き換えに、この戦場にて貴女の騎馬として相応しい働きをするのみ!
真贋の竜種の雄叫びに負けるまいと、神気を持つ神馬の嘶きが響き渡り、ドラミナへと向かっていた真っ黒な炎の本流を無数の火の粉へと吹き飛ばす。
ドラミナを狙った黒に紫の斑点を散らした鱗の偽竜は、たかが空を飛ぶだけが能と思っていた馬に、嘶き一つで炎を消された現実を前にすぐには認められずに目を見開くという致命的な隙を生んだ。
――笑止千万! この程度のぬるい炎で我らが主人を害そうとは!
四頭のスレイプニル達の合計二十四本の脚が虚空を踏みしめ、さらなる加速を得る。音の壁を破る轟音と衝撃が立て続けに発生し、スレイプニル達は巨馬である彼らが子馬に見える大きさの偽竜へ勇ましく躍りかかる。
目を見開いて驚きをあらわにしていた偽竜も、小生意気にも躍りかかってきたスレイプニル達を八つ裂きにしようと巨木を束ねたような右腕を振り上げる。
お互いの質量と膂力の差を考えれば、結果は考えるまでもないが、相手はドラミナと共にあるスレイプニル達だ。
――これこそ抱腹絶倒というもの! その程度の一撃では小石を潰せても、我らと我らが主人を砕くなど夢物語!
刹那の瞬間、スレイプニル達の目から見えざる闘志の炎が吹き出し、二頭二列で戦車を牽引している彼らの内、前列を担当している二頭が後ろ脚二本で立ち上がり、前と真ん中四本の脚を自分たちの頭上から襲いかかる偽竜の右腕へと叩きつける。
その一撃で偽竜の腕が弾き返されるだけであったなら、その偽竜はまだ受け入れがたい現実をそれでもかろうじて受け入れただろう。しかし、腕のみならず四肢の隅々から尻尾の先端に至るまでが木っ端微塵に砕け散るなど、偽竜は即死した為に理解できなかった。
ばらばらと鱗も骨も、肉も血も混ざり合った肉片となって空中にばらまかれた偽竜を傍目に、スレイプニル達はこの程度は当然であると殊更に自慢するでもなく、次の自分達の獲物と主人の武勲となる獲物を求めて八つの瞳で空と地上双方の戦場を見回す。
ドラミナはスレイプニル達がそうと察していたように、自分の家族であり愛する騎馬達が憂い、焦り、恐れていたのを知っている。それらの不安要素を覆そうと躍起になっていたのも、知っている。
この戦場での戦いでスレイプニル達がこれまでの不安を打ち消すように、凄まじい闘志を剥き出しにし、偽竜のみならずネイバーンや飛行魔獣に乗った兵士達をドラミナに先んじて葬る様を見て、ドラミナはこれで彼らの不安が晴れるのを祈った。
ドラミナの支援とヴァジェの奮戦により、空の戦場は概ね互角と言える。特に魔六将マスフェロウをヴァジェが押さえ込んでいるのは、会戦前のドラミナの予想を覆す嬉しい誤算だ。
マスフェロウはドラミナの予想では竜王の中でも上位に達する強力な個体だ。それをドランや龍吉に鍛えられたとはいえ、まだ年若いヴァジェが互角に近い戦いが出来ているのは、予想外だったのである。
ならばその予想外を活かして、ドラミナはさらに空の戦場の趨勢をこちら側に傾けるべく、スレイプニル達と同じく次の獲物をバンパイアの超感覚で探し求めようとし、こちらに向かってくる竜種とは異なる強大な気配に気づく。
ドラミナに遅れてスレイプニル達もまた気づいた。自分達と同じように神の系譜に連なる者達の気配。一つ一つが遙かな神代を思わせる、古く、強い血統と霊的な因子を持っている。
ドラミナを前方と左右から囲みながら近づいてくる気配に対し、スレイプニル達は主人の意向を汲んでその場に立ち止まり、全身から濃密な神気と魔力を不可視の炎と変えて立ち上らせている。
真っ正面から馬鹿正直にドラミナへと迫りかかる影に、スレイプニルではなくドラミナが応じた。手の中のヴァルキュリオスは、ドランと同じありふれた意匠の長剣へと変わっている。
ドラミナの頭上から襲いかかってきたのは、両刃の大鎌を構えた半人半獣の女性魔族であった。ドラミナが頭上に掲げたヴァルキュリオスの赤い刃と、女性魔族の大鎌の黒い刃が噛み合い、ギリギリと拮抗状態を作り出す。
女性魔族は紫色の癖のある髪から捻れた山羊の角を伸ばし、腰から上は妙齢の美女だが、下半身は巨大な猛禽類の翼を生やした四つ足の獣という異様な風体をしている。戦場に相応しく、人間に近い上半身も獣の下半身も深い紫色の鎧を纏っている。
刃越しにドラミナの赤い瞳と女性魔族の金色の瞳が交錯し、ドラミナの隠さぬ美貌に脳の奥までやられた女性魔族が、ふらふらと目眩を起こす。
ギラギラと若さが理由なのか、抑えることを知らぬ殺気に満ちていた顔がふやけるまでの劇的な変化を見て、あら、とドラミナは苦笑いをこぼしたが、容赦はしなかった。
「戦場でずいぶんと余裕ですこと」
ドラミナの細腕の一振りで女性魔族は空中へと弾き飛ばされ、ドラミナへと向けられた背中へとどめの一撃を放つべく、ヴァルキュリオスの切っ先が向けられる。
長剣のままでは届く距離ではないが、刹那の間に長剣から長槍へと変わったヴァルキュリオスならば、容易に貫ける。ドラミナが長槍の石突に近い部分を持ち、こちらに背を向けた女性魔族へ放った一突きを、かろうじて正気を取り戻した女性魔族が身をひねりながら振るった大鎌がはじき返した。
甲高い金属音と赤と黒の二色の火花が無数に散る中、女性魔族はどこかへ吹っ飛びそうになる大鎌を強く握りしめ、どっと噴出した冷や汗で全身を濡らしながら体勢を整えなおす。
放たれるべきドラミナの追撃は、彼女に接近していたほかの二つの気配からの攻撃によって妨害された。ドラミナからみて左方向、濃い紫色の肌に覆われた引き締まった肉体、さらに人間と変わらぬ目の上にもう一組の目を持った四ツ目の男性魔族が、両手に圧縮した魔力の砲弾を立て続けに連射してきた。
紫色の魔力の砲弾は人間の頭部ほどの大きさで、一秒を数える間に百に達する数となって麗しきバンパイアクイーンに殺到する。術式を編まず、詠唱もなく、生の魔力を固めただけの代物だが、流石は高位魔族、一発一発が地形を変えてしまうほどの威力を持っている。
惜しむらくは、あるいは彼にとっての不幸は、相手がその程度の攻撃など造作もない圧倒的強者もいいところの強者だった点に尽きる。
雨粒一つ一つが特大の大きさの、横殴りの豪雨と言いたくなるような砲弾の雨の中をスレイプニル達は果敢に駆け抜けた。
縫って進む隙間があるとは思えぬ弾幕の中を、彼ら自身の魔力による障壁とチャリオットの防御機構を組み合わせることで、最低限の被弾によって最低限の被害に留め、こちらに向かって飛翔し続けていた敵へ、先程の偽竜と同じ運命を辿らせるべく前脚を振り上げる。
「馬風情が生意気だが、気骨のあるやつは嫌いじゃねえぜ!」
男性魔族は端正だが粗暴な印象を受ける外見に相応しい言葉を吐き、自分の頭蓋を砕くために振り下ろされるスレイプニル達の前脚に、固く握りしめた拳を叩き込み、途方もない爆音と衝撃を生んでその場に留まりきれず、お互いに大きく後ずさる。
ぶふぅ、と大きく息を吐き、スレイプニル達は浮き上がりそうになる体を抑え込み、激しい敵意をもって、猫背気味になって獰猛に笑う男性魔族を睨みつける。
しかし、ドラミナは愛馬達とは異なり、正面の男性魔族でも、後方へと移動している女性魔族でもなく、彼女の右やや上方へと赤い瞳を向ける。その先には三人目の魔族――魔六将ザンダルザの娘マルザミスの姿があった。
マルザミスがロマル帝国で負った傷は癒え、万全の状態でこの戦いに臨む彼女からは気炎が立ち上っている。ドラミナの美貌を正面から見ても、何とか戦闘意欲と正気を維持している事からも、それが察せられる。
「不意を突いてもよろしかったのですよ。これは戦争ですから」
男性魔族とスレイプニルが激突した直後を狙い、一撃を加えることができただろうに、それをしなかったマルザミスを窘めるかのようなドラミナの声には、嘲りや叱責の響きはない。まるで教える側であるかのよう。
マルザミスは敵であるドラミナからの言葉に怒りも苛立ちも見せず、油断なく肩から生えている三枚の刃を持つ触手をドラミナへと向け、彼女自身も瞬時に全力の一撃を放てる戦闘態勢を継続する。
「不意を突ける隙など、どこにも無かったろうが。私が後数歩踏み込めば、貴様の長槍が動いていたのは明白。ヴェンギッタ様やクインセ様の忠告の通り、尋常ならざる強敵がいたか。くく、素晴らしい。名乗るぞ、バンパイア! 魔六将ザンダルザ麾下マルザミス!」
マルザミスの名乗りに続き、ドラミナの背後を取る女性魔族、続いて正面の男性魔族もまた名乗りを上げる。
「あたしはスエルベン! いいね、強い敵、美しい敵、どちらかだけの敵なら居ない事はないが、強くて美しい敵は貴重さ!」
「ガルスジョーだ。神気混じりのバンパイアとは初めて見るが、おもしれえ、ただの人間を相手にするよりもよっぽど歯ごたえがあるぜ」
スエルベンと名乗った女性魔族の顔からは、ドラミナへの恍惚とした感情は消え去り、ガルスジョーの顔には狩りを楽しむ狩人の笑みがはっきりと浮かび上がっている。
彼らに応じるようにドラミナの口元にも淡い笑みが浮かび上がるが、それは強敵との戦いを楽しんでいるのとは違う種類の笑みだ。
「魔六将を引き当てられなかったのは残念ですが、あなた達も十分な強敵。誘蛾灯の役割は果たせたと思いましょう」
ドラミナの評価の通り、マルザミスをはじめとしたこの三名は、ザンダルザがいずれヤーハームから魔王の座を簒奪する戦いに備えて、鍛え上げた精鋭魔族達の一部だ。すでに魔六将に準ずる実力を持ち、遠からず魔六将の水準に達するとされる有望株である。
それほどの強者をまとめて三人引き付けられた成果を持って、ドラミナはこの場で自分の役割を果たせているものとした。ほかにも実力のある魔族が散見されるが、これまでの魔王軍との戦い通りディアドラとセリナで対処できるだろう。
問題となる魔六将に関しても、これまでの二度の戦いでは参戦していなかったアークレスト王国側の切り札が、天魔の如く大笑いしながら戦っているから心配はあるまい。
今もドラミナの一挙手一投足に意識を割いていた魔族らが、思わず振り向くほどの強大な魔力の爆発が生じて、戦場の空気を一変させた程だ。
「メルルさんは私やレニーアさんと模擬戦をした時のように、楽しんでいますね」
マルザミスら魔族達とドラミナの視線の先――魔王軍とアークレスト王国の最前線の一角に、突如として曇天を貫き、天と地を繋ぐ光の柱が生じていた。
アークレスト王国の切り札たるアークウィッチ・メルルが、光の柱を作り出した張本人である。最前線に躍り出て戦い始めたメルルの周囲には、両国の兵士はただ一人もいない。
アークレスト王国側は足手まといにしかならないと分かりきっていたからで、魔王軍側は戦闘開始直前に雑兵ではどうにもならん、とヤーハームをはじめ幹部格の面々が察したからである。
魔王軍のその判断はまったくもって正しいものだった。光の柱を生じさせた最高位魔法の一撃に耐えられる兵士など、居るはずもない。対魔法防御処理を何重にも施した戦艦でも轟沈する代物だ。
メルルが効果範囲を絞らなかったなら、島一つを吹き飛ばす規模で発動する超広域・殲滅魔法なのだから。
メルルによって荒野に穿たれた巨大な穴。底を見通せぬほど深く、膨大な熱量をもって開けられた大穴には高熱が残留し、一定以上接近しようとすればその熱だけで尋常な生物は死に至るだろう。
味方のアークレスト王国側も恐怖におののく所業であるが、メルルは目的を果たせなかった事を悟り、まだまだ楽しめると大穴を空中から見下ろしながらせせら笑う。
かつて競魔祭の後でドランと模擬戦をした際にまとった、ディストールの完全魔装形態姿である。
アビスドーンに誘拐されたスペリオンらを救出しに来た時には、二本目のディストールを持っていたが、その後、さらなる改修が施されて、赤い柄の先端に真っ黒い菱形の水晶状の物体が備え付けられ、その宝玉から長短の刃が一枚ずつ伸びた形状へ改造されている。
槍とも魔法使いの杖とも見えるソレが、メルルの独自開発した魔法武具“ニヒトヘイト”だ。
「ふふふ、これじゃまだ足りないか。とっても強いのね、あなた達!」
メルルの声はこの上なく弾んでいる。召集を受けた時には、自分よりも遙かに弱い弱者を殺して回らなければならないのかと、憂鬱の底に沈んだものだが、実際に戦場に出てみればベルン男爵領という一部例外を除けば、自分でなければ戦えない強者がいる。
思う存分力を振るい、思い切り戦い、魔力を絞り尽くして魔法を行使しなければならない強敵だ。ああ、これならば自分の心を殺さずに戦える、とメルルは歓喜していた。
大穴の上空、メルルから見下ろされる高さに、全身から幾筋かの煙を立ち上らせるザンダルザの姿があった。あれだけの魔法を受けても、大きな怪我はなく、こちらもメルル同様楽しげにメルルを見上げている。
「これはこれは、ロマルの傀儡とまた遊ぼうかと思っておったのに、アークレストにもここまで面白いおもちゃがいるとはなあ。なんと愉快な戦場であるものよ。そうは思わんか、トラウルーや」
ザンダルザの声に応じるようにして、大穴の縁を皺まみれの大きな手が掴む。まるで乾いた岩石のような手が、しっかりと縁を掴むと大穴側へ落ちていた体を一息に引き上げる。手の持ち主である魔六将トラウルーの巨体が大穴から飛び出して、ずん、と重々しい音を立てて着地した。
白く長い顎髭が特徴のトロール族の長たる老巨人は、日光を避けるように灰色のローブと頭巾を纏い、肌の露出はほとんどない。大穴の縁を掴んだ右手は自由になっているが、左手には黒曜石を思わせる黒く美しい色合いの石棍棒を握っている。
「わしはお前さんと違って軍神の系譜ではないんでな。戦いを楽しいとは思わんと、何度も言っているだろうに。
いやいや、それにしても人間種でここまでの領域に達した個体は、わしの記憶にもない。事前の調査で判明した強力な使い手となると、アークウィッチとやらであろうよ。ベルンの連中もよほどの使い手だが、ヴェンギッタ達の報告にはない顔であるし」
やれやれ、老骨にはしんどいとトラウルーは石棍棒を杖代わりに巨体を支えながら、憂いを秘めた瞳で頭上のザンダルザとメルルを見上げる。人間の大魔女も老魔族もどちらも闘志を高ぶらせているが、魔王軍に与するトロールの中で最強とはいえ、老境にさしかかったトラウルーとしては、骨身に堪える戦いをしなければならないのは辛い。
「うふふ、ドラン君達がとっても強いのは私も知っているけれど、私もそこそこ強いから覚悟してね、おじいちゃん達」
「くくく、ああ、油断はせんよ。まったく、世界は広いわ!」
真贋の竜種達が交わす攻防によって、極彩色に塗りつぶされた空に、メルルの作り出す新たな色が加わる。
眼下のザンダルザとトラウルーへとニヒトヘイトの先端を向けるメルルの背後に、光輪のように巨大な白い魔法陣が投射される。円と四角と三角と無数の文字で構築されたそれが、メルルの魔法行使において大いなる助けとなる。
「クアドラブルシューター!」
メルルの周囲に赤、青、緑、黄の四色に輝く魔力の弾が生じ、それはトラウルーが瞬きをする間に一千を超えた。一つ魔力の弾を作り出すだけで、凡百の魔法使いは魔力を枯渇させて昏倒するだろう。
周囲へと発せられる魔力の余波、まばゆい光の乱舞は、幻想的と言える光景を作り出し、それを目の当たりにしたザンダルザの笑みは深まり、トラウルーの眉間には深い皺が刻まれた。
「かかかか、これはまた豪勢な“小手調べ”だ! いいものを見せてもらった返礼ぞ、小娘!」
ザンダルザの三つの顔がますます喜悦の色を深めて笑い、かつてハウルゼンに放ったのと同じ赤黒い魔力の光槍が、六本の腕から絶え間なく発射され始める。ザンダルザをめがけて直線、曲線入り交じって襲い来る四色の魔弾と衝突して、反発する魔力の爆発が数珠つながりで広がってゆく。
「はあぁ~。人間の限界に達しとるぞ、これ。おぬしや陛下ばかりか、ガリリウス殿まで楽しげにしていたが、もう、なんなの、人間の国ってこんなにやばいの? どれ、“霧やい 霧やい ちょいとこっち来ておくれ 月の光を遮る衣になっておくれ 朧の霧衣”」
ザンダルザが真っ向からの撃ち合いを選択したのに対して、トラウルーはトロール族に伝わる古き魔法により、彼の体を覆い隠す濃霧を頭上に作り出し、降り注いでくる四色の魔弾を遮る壁にする。
単なる壁でないのは、霧の衣に触れた魔弾がたちまち輪郭を朧とし、霧衣に溶けて消えてしまったことから明らかだ。霧衣に触れた物体や魔力を、その存在を朧なものとし、同化して無効化する、極めて凶悪な攻撃性を秘めた魔法なのであった。
「あは、でも足元がお留守だね! 大地の理よ 汝が我が掌中にあり 汝に歴史なし 汝は在らず 汝は無きなり エンドアース!」
【クアドラブルシューター】の発射数が二千を超える中、メルルによって同時に発動されたのは、特定範囲の地面を消滅させるものだが、この際に消滅する地面に接している者も巻き添えにするという凶悪性を持つ。
あまりにも殺意の高いメルルの攻撃魔法に、トラウルーはますます嫌そうな顔になるが、彼の行動に遅滞はない。左手の石棍棒の先でコツンと消える寸前の大地を小突く。
「“お前さん お前さん しっかりとしとくれよ でないとわしが困るから”」
トラウルーはただ地面に語り掛ける。たったそれだけの事だが、それだけの事でメルルのエンドアースは無効化されて、消えかかっていた地面が確かな形を取り戻してゆくではないか。
「すごい、語り掛けることで発動する、原始の魔法! もっとも力を持った言葉で世界を動かす、最古で最高の魔法!! 本物は初めて見た!」
「そうかい、そうかい。お嬢さん、どうか浮かれたまま油断しとくれや。そうら、“お空から燃える隕石がお前さんめがけて降ってきとるぞ”」
トラウルーが右手で顎鬚をしごきながら喋った瞬間、メルルの頭上にトラウルーが口にした通り、地上に落下すれば大災害を引き起こすこと間違いなしの大きさの隕石が突如として出現していた。
メルルは網膜に投影された頭上の光景に、へえ、とまた楽し気な声を出す。どうやらこの大魔女にとってはまだまだ余裕の事態に過ぎないらしい。
「こんなちっちゃな石ころは、気を付ける必要もないよ!」
メルルの取った動作は至って単純だ。右手で握るニヒトヘイトを頭上の巨大隕石へとめがけて一振りし、二つの刃の間から黒い魔力の塊を放っただけだ。
取った動作は単純でも、行ったことがそう簡単なことでないのは、メルルという規格外を知っていれば誰でも想像が着いただろう。巨大隕石に着弾した魔力の塊は、少しだけ巨大化するのと同時にメルルに与えられた“門”としての機能を発し、着弾した巨大隕石を丸ごと吸い込んでしまう。
黒い魔力塊――触れた物体を強制的に星の海のどこかへと飛ばす、空間転移の門がその正体だった。
出現した時と同様に、一瞬で消え去った巨大隕石に、そしてそれを成したメルルにザンダルザもトラウルーも驚きはしても行動に影響を及ぼすことはなかった。
巨大隕石への対応の間も【クアドラブルシューター】の連射は止まっていなかったが、両名が対処に慣れるのに十分な時間が経過している。
「あれだな、ヴァルグロの馬鹿を思い出す呆れた魔力量と術式の精密さよ。あいつはもう八百年も前にくたばったがっ!」
大昔に魔王の座を巡って争った好敵手を思い出しながら、ザンダルザは下の二本の手を動かし、空中に複数の印を結ぶ。特定の順番で特定の印を結ぶ事で発動する術で、魔法や忍術でも取り入れられている。
四色の魔弾の中からザンダルザの姿が消え去り、瞬時にメルルの背後へと移っていた。空間転移とメルルが認識し、【クアドラブルシューター】の一部を割いた直後、既にザンダルザの姿はなかった。
「短距離の連続転移ね!」
一目でザンダルザの行いを看破したメルルは、【クアドラブルシューター】の半分はトラウルーへと放ちながら、残り半分を自分を中心に旋回する動きをとらせる。これで一定以上、メルルの近距離にザンダルザが転移してくれば、前後左右上どこからだろうと魔弾の中に飛び込む形になる。
それを避けるには、旋回する【クアドラブルシューター】の外へ転移するのが手っ取り早い。ザンダルザもまたメルルの対応の早さに舌なめずりをしながら、距離を置いてメルルの左方へと出現する。ザンダルザの攻撃は、再び赤黒い魔力の槍とはならなかった。彼の真ん中の左腕には、両端に金色の金具を嵌めた赤い棒が握られている。
「伸びよ、如意神珍鉄打混棒!」
神鉄を鍛え上げ、所有者の意志によって伸縮自在となる、仙道の術理によって作り出された武具である。ザンダルザの意を受けた如意神珍鉄打混棒――通称如意混は、旋回する【クアドラブルシューター】を打ち砕きながらメルルへと迫る。
魔法使いとしては極限の領域に達しているメルルを、近接戦闘は素人--と判断するのは早計である。メルルとてそれは承知の上で、なんの対策も施していないわけがない。
メルルは自身に近接戦の経験を積ませるよりも、すでに熟練の域に達している者達の技量を利用すればよいと結論を出している。
全身を保護する鎧と変えたディストールには、王国の精鋭騎士やドラミナ、クリスティーナの動作や戦闘技術を複写してある。近接戦闘を余儀なくされた際には、ディストールに複写された戦闘技術を基礎とし、分析・改良・応用が行われた専用の戦闘動作が起動する仕組みになっている。
メルルの頭部を容赦なく砕きに来た如意混を、ディストールの誘導によって動かされたメルルがニヒトヘイトを振るい、はじき返した余波で周囲の【クアドラブルシューター】が砕け散る。
「うひゃ、すごい一撃!」
ディストールが相殺した衝撃の数値がメルルの左網膜に投影され、その数値にメルルは素直に感嘆を示す。それはザンダルザにとっても同じことだ。どうも勝手に体が動いたように見えていたが、如意混を通じて届いた衝撃は凄まじいものだ。なるほど、単に懐に飛び込むだけではどうにもなるまい、とザンダルザは舌なめずりをする。
瞬時に縮めた如意混をたぐりよせ、伸縮を繰り返して壁を思わせる密度の連続突きを繰り出す。
ザンダルザの思考と等しい速さで伸縮を繰り返す如意混を、メルルは【クアドラブルシューター】の発動を中止し、超音速の飛行魔法の行使によって一気に飛び上がり回避する行動に入る。同時に質量と魔力反応を持つ囮の分身をばらまくのも忘れない。
四方八方に出現した数百のメルルの中から、ザンダルザとトラウルーが本物を見つけ出すのには、ほんの一、二秒で済んだが、同時にメルルが囮を盾としても運用しつつ、詠唱に入っており、これを止めるには間に合わないと魔六将の二人は即座に判断した。
「雷よ 電よ 暁に響く神意を体現せよ」
「雲間に踊る龍 天に昇る龍 八卦を回り 四季を巡り 太極を描け」
メルル自身の口頭による詠唱に加え、大気を振動させて疑似的に再現した詠唱による同時並行詠唱だ。
一つ目の魔法は古代に雷神の一柱が敵軍を滅ぼすために放ち、暁の空を雷光で染め上げたという神の偉業を再現する電撃魔法、二つ目は世界の運行を龍に見立てて、世界に満ちるあらゆる元素の力を集約し、破壊の指向性を持たせて放つ砲撃魔法である。
「神なる雷の威を知れ マハー・ライケウス!」
「天の理法をここに形とせん 苦界龍道!」
ザンダルザへと向けられたニヒトヘイトの切っ先に真っ白い雷が渦を巻き、それはザンダルザの背筋の毛を逆立たせ、あまりの威力に臓腑が恐怖に萎んだ。
しかし、ザンダルザから笑みを消し去ることはできなかった。肉体の感じる恐怖、萎縮しそうになる精神のすべてがザンダルザにとっては、強者との闘争に対する歓喜を爆発させる燃料にしかならない。
「くっくくくく、笑いで腹が捩れそうだ。我が棒術の秘技にて受けようぞ! 如意自在山崩打」!
迫りくる白き雷に向けて、ザンダルザは如意混の長さのみならず大きさもまた自在に変化する特性を活かし、文字通り雷光の速度で迫りくるマハー・ライケウスを上回る直径にまで巨大化させた如意混を何度も叩き込む。
一方、地上のトラウルーへは天上の彼方から巨大な翡翠から生まれたように美しい龍が、顎を開き咆哮をあげながら襲い掛かっている。老トロールはこれまでどこかしら余裕を残していたが、自分をめがけて襲い来る翡翠色の龍を見て、唇を横一文字に固く引き締め、両手で石棍棒を構え直す。
「“黒よ 黒よ 白も赤も青も緑も 全部 全部 お前が染めてしまえ すべてを飲み込め すべてを塗りつぶせ お前がもっとも美しい色なのだから”」
どぷん、と大量の墨を垂らしたような音を立てて、トラウルーの持つ石棍棒がさらに黒く、光さえ映らないほど黒の深さを増してゆく。
「黒喰っ!!」
彼の発した言葉の通り、あらゆる色を、ひいてはあらゆる色を持つ存在を飲み込み、染める力を与えられた石棍棒は既に命中する寸前にまで迫っていた翡翠色の龍へと刹那よりも早く叩きつけられた!
神の雷を真っ向から迎え撃った神珍鉄の棒は砕けることなく、雷を引き裂きながら進み、引き裂かれた雷が周囲にばらけ、触れた大地を砕き、空気を焦がし、灰色の雲を焼き払って、この世の終わりのような光景を生み出している。
トラウルーを飲み込まんと天から降り注いだ翡翠色の竜は、老トロールの振るった石棍棒の黒に触れた瞬間、ずるりと首まで飲み込まれたが、そのまま簡単には飲み込まれまいと抗って巨体をくねらせて大穴付近をのたうちまわって、地形を崩壊させてゆく。
程なくしてメルル、ザンダルザ、トラウルーの三者の衝突によって生じた行き場のない力が臨界を越えて、彼らをまるごと巻き込んで目を焼き潰すほどの光と爆風があたりを吹き飛ばした。
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