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神と魔と人と

第三百十二話 風向きの変わる時

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 後の世にアグラリア戦役と呼ばれる、魔王軍によるアークレスト王国第二次侵攻が終わり、数日が経過したベルンにて。
 村ではなく領都と呼ぶのが相応しい規模になったベルンには、王国に留まらず周辺諸国から呼び集めた変人・奇人、天才・奇才、変態と呼ぶべき有能な人材が集っている。
 経済的な事情や同業者達から嫌われて表舞台に立てず、歴史の闇に埋もれていた彼らはベルン側から提示された膨大な資金と資材、研究施設提供等の条件から、集まった人々だ。
 日々、多くの失敗と遥かに少ない成功が繰り返されているのだが、その研究成果の一つがベルンの各地で活躍している。

 大きな通りや人々が足を止める頻度の高い交差点、あるいは数少ない高層建築物の壁面、あるいは人々の集まる広場等にソレはつい最近設置されるようになっていた。
 白い金属の枠に嵌められた、一般家庭の家屋の壁程もある巨大で分厚い硝子状の一枚板が、その後ろ側からいくつもの管を伸ばした状態で壁や立て板に設置されている。
 もしここに昨年の競魔祭でドランと激戦を演じたハルトが居たなら、彼の故郷にある品を思い浮かべて、テレビ? とでも呟いただろう。

 黒一色に染まっていた巨大な板の画面にプツっという小さな音と共に光が灯り、見慣れた者は足や作業の手を止めて視線を向け、初めて見る者は驚きと共に視線を向ける。
 画面の中にはベルン男爵領の家紋の描かれたテーブルクロスの掛けられた机と、品の良い純白のドレスを身に纏い、巻きあげたオリーブ褐色の髪が目を引く鳥人の女性が映し出された。
 女性の前には『ホロミス』と書かれたプレートが置かれている。

『皆様、ごきげんよう。本日のベルン男爵領の出来事をお伝えするベルン公式放送の時間です。本日の放送はわたくし、ホロミスがお伝えします』

 神妙な顔でモニターの向こう側から話しかけてくる女性の姿に、初見の人々が驚きの声をあげ、またあるいはぽかんと口を開くという分かりやすい反応を示す。
 その内の一人である年かさのドワーフの商人は、露店で昼間から麦酒を立ち飲みしていたのだが、思わず露店の主である山羊人の若い青年に問いかけた。

「お、おいおい、店主よ。ありゃ、なんじゃな? ベルンのあちこちにああいう板みたいなもんが掛っているのは知っとったが、ああして人が映って声を出すなんぞ、どういう仕掛けじゃ」

 店主の方はもう何度も目の前のドワーフのような反応を見てきた為に、慣れた調子で質問に答えてやった。酒のツマミにと炙った鳥の胸肉と、チーズを乗せた小皿もついでに出しておく。

「見ての通り、聞いての通りさ。他の領地でも領主からのお触れが掲示される事があるだろ? それをああして喋って伝えているのさ。詳しい事はおれだって分からんけど、声と映像を遠くに伝える魔法の応用なんだと。
 男爵様のお屋敷の近くに、ベルン放送局っていう組織の建物があって、そこで今、撮影しているものをああしてあちこちに流しているんだよ」

 ドワーフの商人は分かっているのかいないのか、ほーと気の抜けた声を出しながら、皿に盛られたツマミを口に運んでは麦酒の注がれた硝子のジョッキを口に運ぶ。

「あれなら、文字の読めん者でも領主からの知らせが一発で分かるっちゅうわけか。しかしまあ、贅沢な事じゃわい。
 魔法の品をああも大胆に使う財力もそうじゃが、他で目にした事のない品を実用する技術力と発想もすごい。ここはやはり台風の目になる土地じゃな。戦争中でなけりゃ、もっと人が集まっとったろうな」

「お客さんはここに来て日が浅いんだな。日に日に人は戻って来ているんだよ。幸い、戦争は勝っているみたいだし、男爵様が色んな物を買い上げてくださっているしな。お客さんだって、それ目当てで商売をしに来たんだろ」

「おうよ。ドワーフの精錬した金属類はどこでも人気じゃが、ここでは今のご領主が赴任してから貪欲に買い集めておるからの。ましてや戦争がはじまったとあっちゃ、ますます量が必要になるわな」

「戦争か、早く終わって欲しいもんだよ。あの放送だって普段は歌自慢の連中が集まって歌を歌ったり、素人や大道芸人の連中の楽器の演奏を流したり、劇団の芝居を放送したりって、皆の楽しみになっているんだぜ。戦争が始まってからは、戦争の事を放送する時間が増えちまった」

「そりゃおめえ、戦争なんだから仕方ないわな。ベルンだけじゃなく北方の諸侯を集めての大戦おおいくさじゃ。下手をすれば王国全土に広がりかねん状況じゃからな。まあ、その割にこかぁ、和やかじゃけんども」

「まだ戦場から戦死者や負傷者が戻ってきていないし、色んな教団の神官様達が医者として従軍してくださっているお陰だろうな。お、ちょうど戦況の事を放送するぞ」

『暗黒の荒野から南進してきたムンドゥス・カーヌス国の魔王軍と、ベルン男爵率いるベルン軍ならびに諸侯の連合軍の戦闘が終了したとの事です。魔王軍は北方へと撤退を開始し、現在、ベルン男爵と諸侯はジョウガン要塞に向かい……』

 このようにベルンにて魔王軍の撃退成功の知らせが堂々と放送される中、ベルン北西に建設されたジョウガン要塞へと入ったクリスティーナと諸侯達は、まさしく放送の通りに今後の対応について会議を開こうとしていた。
 魔王軍との戦闘による被害や消耗した物資の把握、撤退した魔王軍の動向の確認等が一通り済んだ後の事である。
 建設が進み国防の要となる要塞に相応しい威容を誇るに到ったジョウガン要塞だが、要塞に待機する兵士達はベルン軍と同盟相手の姿に多くは顔を引きつらせ、多くは自分の目を疑った。

 砲台を乗せた自走型のゴーレム達は、まだいい。大型の生物に大砲を牽引させて使用するという例がある為、まだ理解が出来る範囲だ。しかし、足を生やすか、魔王軍の陸上戦艦のように履帯を使って動く砦となると目を疑わざるを得ない。
 魔王軍の陸上戦艦の存在もアークレスト王国兵の度肝を抜いたが、味方にも似たような真似をしている連中がいるとは知らなかったのである。
 魔王軍への監視網を兼ねて暗黒の荒野各地に点在するベルンの砦ゴーレムの内、三体程が有事に備える意味もあって、ジョウガン要塞へ集まっていた。

 そして砦ゴーレム以外にも彼らを驚かせたのは、知恵ある竜達が何体もジョウガン要塞の敷地内に降り立った事だ。
 ベルン経由とはいえアークレスト王国軍はモレス山脈の竜達にとっても同盟相手となる為、今後の方針に関しては彼らも情報の共有と意見を交わす必要性を感じ取った為の措置である。
 なおそのような隔たりの大きな異種間での意見交換という繊細な作業をヴァジェが行えるわけもなく、今はドラゴニアンの姿になってセリナ達が待機している砦ゴーレムに遊びに行っている。

 その他の竜達は敷地内に降り立った後、普段、領都ベルン以外では人間を見る機会の稀な彼らは、大小の差はあれども興味深そうに緊張しきっている王国兵達を観察している。
 同じ敵を相手に戦ったとはいえ彼らはあくまで空のみを戦場としていた為、地上で戦っていた人類の兵士達をつぶさに見る機会はなかったのである。

 そうして交流と呼べるほどのものではないが、とりあえず危険性のない人間と竜種の接触が成されている中、要塞の中庭に面する会議室の一つで、今回の連合の上層部の中の上層部と呼ぶべき者達が顔を突き合わせていた。
 アルマディア家から派遣された黒狐人のカジョカ将軍を始め、諸侯連合の中でも特に派遣元の家の影響力が強いか、派遣した兵力の大きな者達である。
 その中にあって男爵位に過ぎず兵力はわずか五百余というベルン男爵家は、本来、この会議に出席する資格を持たない弱小勢力もいいところだ。

 しかし、魔王軍との激戦を経た今、ベルン男爵家を侮る者達はこの場に居る筈がなかった。
 わずか五百の兵は常軌を逸した装備に支えられて特上の質を有する精鋭だ。そして、それすら意識の外に吹き飛ぶ、数を容易く蹂躙する超常の力を誇る個を複数抱えている。
 競魔祭で知らしめた力を遥かに上回る圧倒的な力により、魔王軍の将軍を相手に互角以上に戦いぬいたクリスティーナは勿論、今もこの会議室で傍らに控えている補佐官のドランとて、アークウィッチの後継者という噂が現実味を帯びる程の実力を見せている。

 今後の魔王軍との戦いで、ベルン男爵領の力は絶対に必要なものだと、誰もが理解しているのだから。
 それにはベルンの単純な戦力のみならず、伝手も含まれている。例えば、急遽、会議室の壁に空けた大穴から頭を突っ込んで、会議室に出席という事にした地竜が良い例だろう。

 モレス山脈に住まう竜達の代表者として、出席している老地竜ジオルダである。秘めたる力は竜公級とも竜王級とも言われる老竜は、魔王軍の偽竜達との戦いでもヴァジェと並び多大な戦功を挙げている。
 穏和な性格のジオルダだが、同時に現在の人類の技術水準を考慮すれば、およそ通常戦力では打倒不可能な規格外の怪物であるのもまた事実だ。

 壁からにょっきりと頭を突っ込ませているジオルダを除けば出席者全員が円卓についていて、会議の進行役は年配の人熊ひとぐまベアベ子爵が務めている。
 熊人が熊の特徴を持った人間という容姿をしているのに対して、人熊は人間のように二足歩行し、それに合わせて多少四肢の寸法の変わった熊という姿をしている。
 黒っぽい毛並みを幾つもの勲章で胸元を飾った軍服に収めたベアベ子爵は、ジオルダの存在にも動じず、会議の開催を宣言した。

「それではこれより対魔王軍対策会議を開催いたします。また今回はモレス山脈の竜種を代表し、地竜ジオルダ殿に御臨席いただいております。ジオルダ殿、本会議ではどうぞ忌憚のない御意見を下さりますよう、お願い申し上げます」

 ぺこりと熊そのままの頭を下げるベアベに、ジオルダも動かせる範囲で首肯して返答とした。

「もっぱら偽竜の相手しかしておらぬが、相手方の空の戦力はおおよそ把握できた。貴殿らと情報を共有する重要性は理解しておるし、今後も奴らとの戦いでは共闘する仲じゃて、こうして顔を出す必要性も理解しているとも」

「今後もお味方として戦っていただけると仰ってくださるならば、我らとしても心強い事この上ない」

 ジオルダの言葉に安堵したのはベアベだけでなく、他の諸侯やそのお付きの者達も同じである。
 基本的な技術力に於いて魔王軍の方が一枚も二枚も上手であるのは、残念ながら認めざるを得ず、強大な空の戦力を有する魔王軍と戦うにはどうしたってモレス山脈の強力な竜種の助力が欠かせない。
 その事を、魔王軍との戦いを経験した諸侯らは痛切に理解していた。もっとも、ドランとクリスティーナ達は、モレス山脈の竜種と自分達以外の人間達とが、なんとか協調していけそうだ、という意味で安堵していたけれど。

「さて、件の魔王軍――魔六将と呼ばれる特殊な役職に就いた強力な魔族、生き人形であるヴェンギッタと知恵を持つ蜘蛛クインセに率いられていた軍団ですが、竜の方々のご協力により、既にジョウガン要塞から軍で半月以上かかる距離まで後退しております。
 今なお、暗黒の荒野の中心部、彼らの所属国であるムンドゥス・カーヌスを目指して後退を続けておりますが、これに関しては本国からの援軍と合流を図っていると思われます」

 ベアベの発言に合わせて、出席者達は配布された手元の資料に目を通しながら、近くの席の者や同道させた者達と言葉と意見を交わす。ちなみにジオルダは念動――サイキックを用いて、自分用に特別大きく刷られた紙の資料を捲っている。
 彼の右隣にはクリスティーナが座して、その後ろにドランが立ち、左隣にはカラヴィスタワーから出張してきた、ドラグサキュバスの女神リリエルティエルが座すという配置である。

 出席者の一人が挙手をして発言を求めた。ネルネシアの実家であるアピエニア家から派遣された、茶褐色の鱗を持つ蜥蜴人の青年将校だ。
 副官には歴戦の風格を漂わせる隻眼のダークエルフが控えており、将来有望な将校に経験を積ませる為にも派遣したといったところか。
 アピエニアでは時折、ヴァジェがネルネシアとファティマを目当てに遊びに行き、ネルネシア本人とその両親、またあるいは領地の軍を相手に実戦さながらの模擬戦もとい遊びをしているから、ドラン達の次に竜を相手するのに慣れた人々だ。

「本国からの増援の可能性も考えられるが、ロマル帝国に向かった軍団との合流も考えられるのではないだろうか。かの地では内乱と後継者争いで国内が三つに割れているが、魔王軍を相手に皇女派と大公派が一時休戦し、迎撃に注力している。
 最近、皇女と大公が魔王軍を率いていた魔六将に襲われたが、それを撃退して魔王軍そのものもこちら同様大きく前線を下げているという情報だ。こちらとあちらの手強さに手を焼いた者達が合流し、王国と帝国のどちらか一方をまずは叩こうとする可能性がある」

 こと戦闘に於いてアークレスト王国で一、二を争う武闘派貴族のアピエニア家の情報網は、王国の外まで広く伸び、伝達速度もその内容の正確さも広く知られている。
 その為にこの若き蜥蜴人の話す内容は、一笑に伏せる事の出来ない現実味を持って、会議に出席した諸侯の胸と耳に深く浸透する。
 次に手を挙げたのは濃い褐色の肌と青い長髪を持ち、肌に白い塗料で文様を描いた女性である。髪の間と腰のあたりから蝙蝠の翼が生えている。蝙蝠人だ。

「敵軍を率いる魔六将。直接戦ったのはベルン男爵とその側近の方々だけでしたけれど、如何でしたかしら? 数で押せば勝てる相手でしょうか?」

 蝙蝠人の女性――レステル伯爵の問いに、クリスティーナは予め想定していた質問だ、緊張するな、と自分に言い聞かせながら胸を張って答える。
 出席者の中で最も若く、つい最近までまだ実績を作っている最中だった若人を、誰も侮る事はせず、一語一句聞き逃すまいと意識を集中する。

「僭越ながらレステル伯爵の問いにお答えいたします。私の戦ったヴェンギッタ、私の家臣達の交戦したクインセですが、どちらも特異な能力を備えなおかつ戦いにも慣れた猛者でした。
 加えて両名とも多数を相手取るのに向いた能力の持ち主です。相性と実力の双方から考えて、数で戦うべき相手ではありません。
 それでも数で戦うとしたなら、百名単位の魔法使いによる絶え間ない攻撃魔法の連射と、支援魔法による恩恵を受けたこれもまた百名単位の戦士による白兵戦を挑むしかないでしょう。魔法使いと戦士はどちらも最低でも一流の実力者で、装備もまた一流でなければならないのは、言うまでもありません」

「なる、ほど。……それは、とても難しいお話ね。聞いていなかったら、多くの兵を無為にしなせてしまったでしょう。ありがとうございます、男爵」

 事前に想定していたよりも遥かに評価の高い魔六将の実力に、妖艶な蝙蝠人の貴族は困ったように小首を傾げたが、それは同時にそんな怪物を退けたクリスティーナとその家臣達の異常な実力を浮き彫りにするものでもある。
 アルマディア侯爵の娘は、その非凡というか常識とさようならをしているような領地経営ばかりが目立っていたが、その実、軍事力も一般常識から大きく外れていたようだ。
 昨年の競魔祭におけるクリスティーナやドランの戦いぶりを目にした者は、会議の出席者にも含まれているが、それにしても今回の戦いにおけるクリスティーナ達の戦いぶりは異常としか言えない。

「いえ、魔王軍との戦いに勝つ為に情報を共有するのは必要ですから」

 そんなレステル他、出席者達の胸の内を知らないクリスティーナは、よし、噛まずにちゃんと言えたぞ、と幼い子供のように内心では自慢げだったりする。後ろに控えるドランだけがクリスティーナの内心を推し量り、微笑ましそうにしている。
 魔六将級を一般兵で相手取るのは不可能に近い、という前提が一つできた出席者達の中で、次に口を開いたのはジオルダである。

「我々が相手をした偽竜達もわしのこれまで戦ってきた者達の中でも、相当に骨のある連中じゃった。本拠地に迫れば更に数と質も増すだろう。
 我らは貴殿らに助力するのを厭いはせぬし、むしろ喜んで助力するが、自分達の敵を相手するので手いっぱいという可能性もあり得るのう。
 魔六将とやらの一角には、偽竜の女王が席を置くと聞く。少なく見ても竜王級の実力者であろう。噂に名高いアークウィッチの参戦は見込めぬのかな? それか貴国からの更なる増援は?」

 ジオルダの言い分はもっともである。王国の最大戦力であるメルルならば、単独で魔力将を一人、あるいは二人同時に相手取り、勝利する事も不可能ではない。
 あまりに強力すぎるが故に運用の難しさを抱えていたメルルだが、今回の状況ならば前線への投入も視野に入れてしかるべきだろう。

 ジオルダからの現実的な提案に対して、ベアベは分厚い毛皮に包まれた眉間に皺を寄せながら唸る。唸り声は熊そのもので迫力は満点だ。まあ、彼よりもさらに巨大で厳めしいジオルダが居るので、迫力は百分の一くらいに軽減されている。

「メルル殿の参戦については陛下の認可が必要となりましょう。かの御仁は単騎で戦争の抑止力となる程の逸脱した力の持ち主。動かし方一つで国家の存亡に関わります故。
 しかし、今回の魔王軍という強大な敵を相手に彼女の力は極めて有用です。中央からの援軍も併せて、陛下ならば必ずや派遣を決定されるでしょう。
 幸いにして今回の戦いにおける我々の損害は、事前の想定をはるかに下回る極めて軽微なもので済みましたし、兵力をそのまま次の戦いに導入できる状態であるのは幸運です」

 アークレスト王国側の損害が極めて軽微に終わったのは、魔王軍がベルンとの戦闘を主眼において終始戦い続けたのに加え、協力を申し出てくれた外部勢力の恩恵によるところが大きい。
 ベルンに神殿や教会を置く複数の教団からの善意の協力者達はもちろん、カラヴィスタワー内部に本拠地を置くドラグサキュバス達も、戦闘には出なかったものの様々な面で後方支援を担ってくれた。

「今回は神官方から神々が祈りにお答えくださるのが明らかに早かった、効果がすぐにあらわれたなどありがたくはあるものの、理由の不可解な事象があった事は確認されております。
 加えてドラグサキュバスの方々の多大なる御援助によって、兵達の士気を高く維持でき、また医療を始め大きく助けていただいた。感謝の言葉しかありません」

 感謝の意をたっぷりと込めて告げるベアベに、リリエルティエルは柔らかに微笑み返す。

「かの塔の中ならばいざ知らず、かの地の外に出れば我らドラグサキュバスといえど、さしたる力は振るえません。
 他の大いなる神々の如き奇跡は起こせず、ささやかな助力しか叶わなかったとはいえ、我が同胞がお役に立ったのならば、同盟者としての面目も立つというもの。
 我らドラグサキュバスは、古神竜ドラゴン様の眷属として魔王軍に属する偽竜達を見過ごせぬのもありますし、これからも貴国への助力を惜しみません。竜種の眷属としても、サキュバスとしても、ね」

 言葉の最後に垣間見せた微笑はサキュバスを種族名に含むのに相応しい淫靡なものだったが、出席者達がそれに心を奪われるよりも早く、リリエルティエルはああそういえば、とこう口にした。

「神々の祈りに対する反応の早さですが、一因はあの塔ですわ。かの塔の内部は神々の戦場すら含む、ちぐはぐにしてデタラメなツギハギの世界。
 塔の中からはるかな古代か、あるいは異なる世界、星空の彼方の地で建立された大地母神マイラールや、戦神アルデスの神殿が発見された事は御存じでしょう。あそこでなら神々は本来持てる力と権利を、地上よりも強く行使する事が叶います。
 天界からこの地上世界へ、ではなく神代の名残を残す塔を経由する事でより迅速な意思と奇跡の伝達が可能となっておりますの。
 塔から離れれば離れる程、神々へ祈りは届き難くなり、いつもと変わらぬようになるでしょうから、暗黒の荒野の深部へ向かえば今回のような都合のよい事態は生じなくなりましょう」

「なんと、かの塔にはそのような影響まであったとは。しかしながら、ムンドゥス・カーヌスへ攻め入る場合には恩恵を受けられぬわけですな。それはいささかもったいなくも感じられますが、逆に魔王軍は彼らの祖神の恩恵を受けられる事になるのでは?」

 ただでさえ強敵である魔王軍が更に強力になる可能性を指摘するベアベに、リリエルティエルは慧眼ですわね、と一言呟いてから答えた。

「絶対にないとは言い切れません。ですがそれ程の影響はないでしょう。精々、調子が良い程度に留まると考えます。
 サグラバース様の神意によるものであれば、恩恵は多々授けられているでしょうけれど、今回の魔王軍の侵攻が“軍神サグラバースの命令”によって起こされたものならば、神々の代理戦争として貴方達の信仰される神々も介入をせざるを得なくなります。
 私は直接サグラバース様を存じ上げませんが、ドラゴン様曰くそのような事をする神ではなく、また今回は神の意思によって起こされた戦いではないと伝え聞いております」

 リリエルティエルの言葉を最後まで聞いてから、クリスティーナはこっそりと背後のドランを振り返り、信頼する補佐官が小さく首肯したのを見て、なるほど、と自分にだけ聞こえる声で呟いた。
 竜淫魔の女神の言葉を前向きに捉えるかどうか、諸侯はざわざわと声を挙げながら話していたが、不意にクリスティーナが挙手をして発言を求めた。

「ベアベ子爵、発言をしてもよろしいでしょうか」

「ええ、もちろん。リリエルティエル様と最も縁が深く、今回の戦いでも勇躍なさった貴女の言葉とあれば、誰も軽んじはしません」

 さらりと称賛を混ぜてくるベアベに、クリスティーナは思わず照れくさくて腰が折れかけたが、それでも頑張って口を開いた。彼女が発言すると知って、途端に諸侯らの視線が集中するが、それにも呻き声一つ立てずに耐える。
 ヴェンギッタを相手に斬った張ったをしていた時の方が、精神的にはまだ楽だ、と考えてしまうあたり、クリスティーナの領主としての経験値はまだまだ不足している。その反面、ヴェンギッタを相手にそんな感想を抱くのは流石の猛者ぶりだ。

「生意気を申し上げるようで恐縮ですが、リリエルティエル殿の言われる事を要約すれば、つまりはあちらもこちらも神々の恩恵に目立った差異はない、という事になります。
 神々により齎される慈悲と奇跡は、我々にとって欠くべからざるものではありますが、今回の戦は地上に生きる者が同じく地上に生きる者を相手に起こした戦です。
 ならば、やはり戦の趨勢は神々ではなく、実際に戦う我らの手によって左右されると思うのですが……」

 神々が偉大なのは確かだが、最初から頼る事を前提にするよりも、自分達の力で戦う事を忘れてはいけない、と言葉を濁して伝えるクリスティーナに、ベアベとついでにジオルダが感心した視線を向ける。

「ベルン男爵の言われる通りです。死ぬも生きるも、殺すも殺されるも、地上に生きる我らですからな。天上と魔界の神々にばかり思考を巡らせては、目の前の戦で足を掬われてしまいます」

 ふっふっふ、と子供の成長を喜ぶ父親のように笑うベアベにつられるように、リリエルティエルも無言のまま微笑んだ。天上の世界でも魔界でもなく、地上世界の特異な場所に居を置く女神は、クリスティーナの発言に気分を害した様子はない。
 女神たる彼女が信仰する古神竜がこの場に居るから猫を被っているというのではなく、神に依らない在り方はドラゴンの影響なのか、彼女にとって好もしく感じられたのである。
 クリスティーナはこの際、生意気ついでに言ってしまおうと腹を括り、今も続く注目を浴びたまま喋り出す。

「仮にムンドゥス・カーヌスの本拠地への侵攻を目指すにしても、我々には敵に関する情報が不足しています。言わずもがなな事ではありますが、これまで守勢を強要されてきた我々が攻勢に転じる為には、まず情報、そして更なる戦力と兵站の確保が急務です。
 敵の侵攻を防ぐならまだしも、こちらから攻撃を仕掛けるのであれば、現状の我々だけでは不足している点が多すぎると判断いたします」

「ふむ、ベルン男爵の言われる通りでしょう。彼らはあの陸上戦艦を用いて、大軍を迅速に移動させられましたが、我々にあのような装備はない。まあ、ベルン男爵のところの自走する砦を千近く用意できれば話は別ですが」

「流石にあの砦を言われた数だけ用意するのは、無理があります。王国からの増援は必須ですが、それに加えて他国との連携も必要になると私は考えています」

 捉え方次第では問題のあるクリスティーナの発言だが、今のところ、会議の出席者達は発言をあげつらう事はせずに、進行役のベアベとクリスティーナとの会話の流れを黙って聞いている。

「同じく魔王軍の脅威に晒されているロマル帝国ですか」

「はい。かの国とは互いに仮想敵国として、水面下で睨み合っていた間柄ですが、今回の事態を考えれば大公も皇女も我が国との共闘を受け入れる可能性は十分にあるかと」

「しかし、そう簡単に共闘関係を受け入れますかな。また、それ程の大事となればまず陛下に上奏差し上げるところから始めなければなりません」

「それは勿論です。ただ、陛下や王太子殿下は聡明であらせられる。魔王軍との戦端が開かれる前から、交渉を進められていたと勝手に考えています。それにあちら側にも話の早い方が居ると、風の噂で耳にしておりますから」

 独自の情報網と王室との関係を匂わせる言葉を、意識せずさらりと発言したクリスティーナの後ろで、風の噂の大元とも言えるドランは、現在ロマル帝国内で活動中の分身の周囲の状況に、こっそりと溜息を吐いた。
 ドランが常に意識を繋げている分身、人間寄りのドラゴニアンの姿をしたグワンダン一行はバロルディ城へと戻り、戦線を大きく後退させた魔王軍と反乱勢力の対応に勤しむアステリアに付き合っていた。

 そんな中で、特に顕著な変化と言えば、彼ら一行に新人ならぬ新神メイドが加わった事であろう。
 黒い髪と黄金の瞳を持つ楚々たる美女は、先輩メイドであるリネット、ガンデウス、キルリンネの見ている前でアムリアに宛がわれた居室の清掃をしていた。
 帝国式メイド術を叩き込まれたリネット達三姉妹が、今度は審査する側に回っているのだ。一心不乱にベッドメイクに勤しむ新神メイドを囲むように見守っているリネット達の内、ガンデウスがまず口を開いた。実に冷たい声音である。

「皺ひとつ出来てはいませんね。丁寧な仕事です。グワンダン様の戦いに水を差した割に仕事は出来ていますね」

 ぐさり、と見えない刃が新神メイドの心に突き刺さる音が、グワンダンには確かに聞こえた。それでもめげずに新神メイドが最後に軽めの香水を、枕を中心にふわりと吹きかけるのを見て、今度はキルリンネがぽやぽやとした笑顔のまま評定を告げた。

「うんうん、緊張している事の多いアムリアさんの為にぃ、心を落ち着かせる効用のあるハーブを選んでるね~。
 この匂いはアムリアさんが好まれているものだから~、効果はばつぐ~ん。グワンダン様を呆れさせた空気の読めなさはどうしたんだろうねー?」

 容赦のないキルリンネの言葉に、新神メイドはせき込むような声を出した。ひょっとしたらそのまま吐血したい程、精神的な苦痛を感じていたかもしれない。
 新神メイドは続けてベッド回りの花瓶の花を入れ替え、水差しの水を軽く檸檬を絞った新鮮なものへと変え、瑞々しい果物を盛った皿の用意など、貴人の部屋に相応しいものへとすべくテキパキと仕事を進めて行く。

 その淀みない仕草を見て、グワンダンは冥界でニンフ達にでも教わったのだろうか、と不思議そうに首を傾げた。
彼の性格ならガンデウスとキルリンネの言葉のナイフを止めるのが常だが、今回は新神メイドが甘んじて受け入れている事もある為、あえて止めずにいる。
 それにしてもガンデウス達は“彼女”を相手に、よくもまあ、そこまで言えるなあ、と呆れながら感心してもいたが。

 あらかた作業が終われば、待っているのは最後の大難関である――お局とか小姑とか言ってはいけない――リネットだ。
 表向きは澄ました顔をしているが、内心では心臓が飛び出しそうになっている新神メイドは、リネット達三姉妹の正面に立って、優雅にカーテシーを行う。
 窓際の椅子に腰かけて、作業を見守っていたグワンダンが、見事だと思う程、様になっている。

「貴女のメイドとしての技量に疑うところはありません。まだまだ未熟なリネット達がこの様に評する事そのものがおこがましくはありますが、グワンダン様とアムリア達の身の回りのお世話をするのに、安心して仕事を任せられる基準とリネットは断言いたします」

 長姉の力強い発言に、ガンデウスとキルリンネは異を唱えず、ほっと胸をなで下ろす新神メイドに視線を向けているままだ。

「後は自分の良い所を見せようとするあまり視野狭窄に陥ってグワンダン様の邪魔をする事のないように、くれぐれも、常々、いつでも心と脳に刻んでおいてください。よいですね、女神タナトス」

 結局、釘は刺すのだなあ、と見守るグワンダンの前で、新神メイドこと死を司る大神タナトスは、見ている方が気の毒になる位しょんぼりと縮こまるのだった。

「心に刻みます、リネットメイド長、ガンデウス副メイド長、キルリンネ副メイド長。……ふふふ、冥界の隅っこで塵と埃だけを食べて生きていたくなるような、ふふふ、情けない気分です。うふふふ」

「ほう? 仕える主人が居る前で自身の境遇を嘆く言葉を口にするとは。流石は偉大なる冥府の死神たる御方です。リネット達にはとても真似できません」

「ももも、申し訳ありません、メイド長、口が滑りました」

 綺麗に直角に腰を曲げて頭を下げるタナトスに対して、リネットの声音は変わらず冷たい。厳しくすらある。

「謝罪する相手が間違っているのでは?」

 とリネット。なんともはや、グワンダンも聞いた覚えのない位に冷たい声である事よ。
 ガンデウスは無言のまま、キルリンネは笑っていない笑顔のまま、慌てふためく大神を見ている。本来ちっぽけな筈のリビングゴーレムに責め立てられているタナトスを。
 当のタナトスはリネットの言う意味が分かったらしく、一度頭を上げてから改めてグワンダンへと頭を下げる。謝罪すべきは監督役のリネットではなく、主人であるグワンダンなのだから。

「仕える者として数々の失態をお見せした事、心よりお詫び申し上げます。グワンダン様」

「いや、うん、君達がそれでいいなら良いけれどね」

 それでも良いのかなあ、と思わずにはいられないグワンダンだった。ましてや、今、このバロルディ城にはアムリアと会う為に、ロマル帝国の大重鎮ハウルゼン大将軍が来ているというのに。
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王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。 優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。 そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。 しかしこの時は誰も予想していなかった。 この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを…… アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを…… ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

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シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた

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🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました! 「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」 魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。 魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。 信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。 悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。 かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。 ※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。 ※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です

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「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

治療院の聖者様 ~パーティーを追放されたけど、俺は治療院の仕事で忙しいので今さら戻ってこいと言われてももう遅いです~

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