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第一話 魔法少女になった真上大我氏
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「オオオオオオオオオオオオオ!!!!」
人の行き交う都市のど真ん中に、紫色に光り輝く水晶の怪物が虚空から現れ、無造作に上げた咆哮で周囲のビルのガラスが砕け散り、突然の災禍に呆然としていた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げまどい始める。
鳥類を思わせる細い六本の脚に細長い胴体、目のない頭部の先端でガラス片のような牙を生やした口が十字に開き、我が物顔で都市を破壊しながら無軌道に暴れだす。
二十一世紀も半ばを過ぎた人類に突如として襲い掛かった、前代未聞の災害。
生物のような姿を持ち、どこからともなく出現しては無作為に破壊をまき散らす、決して生物ではないモノたち。
生物型災害、エネルギー集合式稼働天災、クリーチャータイプ・ディザスター……様々な呼び名を与えられたソレらは、今ではシンプルにこう呼ばれる。魔物、と。
特殊なエネルギーの塊である魔物達は、人類の保有する通常兵器の類がほとんど通じず、これを消滅させるには同種のエネルギーをぶつけて、相殺させるのが最も効率的かつ適切な対処方法だった。
例えばそう、たまたま買い物に出ていて、魔物の出現に出くわした一人の少女が変身しながら放った攻撃のように。
「焼き散らせ! 火群乱!」
澄んだ鈴の音のような声と共に、赤く燃える炎の塊が数十と空中を舞い踊り、次々と魔物へと着弾して水晶めいた表皮を融解し、吹き飛ばしてゆく。
生命でも生物でもない魔物は、焼かれる痛みも砕かれる痛みもないが、自身を構成するエネルギーを大きく削られ、存在維持が難しくなるのは困るらしく、自分に攻撃を加えてきた彼にとっての災害へと頭部を向ける。
あるか分からないが、もしこの魔物に視覚があったなら、赤い長髪の半ばから炎のような輝きを纏い、赤を主に黄と白をさし色にした袴の上に、戦国時代の甲冑を思わせる肩当てや胸当てを装着した少女を映しただろう。
現在、最も効率よく魔物を排除できる最も適切な存在、最高にして最強の力──魔法少女だ。
人類が手にした、生命と精神に由来する新世代エネルギー『プラーナ』を用い、時に物理法則さえ塗り替えて、魔法のような現象を引き起こす子供達こそ、人類の新たな災害に対する最高最善の対策なのだった。
真上燦、魔法少女名『ソルブレイズ』が、この場に居合わせて、休暇を台無しにされた女子中学生の名前だった。
「やぁあああああ!!」
可憐な声で勇ましい叫びをあげ、歩道橋の上からジャンプしたソルブレイズは、瞬時に音速を突破し、魔物の胴の下に潜り込むと渾身の力を込めた拳を叩き込み、全長五十メートル超の魔物をはるか頭上高く、百……二百……三百メートルまで打ち上げる。
わざわざ魔物を打ち上げたのは、都市に被害を及ぼさないようにと配慮したためだ。そして両掌を胸の前で合わせると、ポッと小さな火がそこに灯る。
見る間に直径三十センチほどになったソレは、ソルブレイズの魔力によって生み出された魔法の火だ。
摂氏百万度の高温に達しながら、周囲に熱を漏らすことはなく、ソルブレイズの認識した対象にだけ熱を加えて燃やし尽くす敵味方識別機能付きだ。
これまで多くの魔物を葬ってきた必殺の一撃を叩き込むべく、髪と同じ赤に変色した瞳を頭上の魔物へと向けたソルブレイズは、魔物の首が付け根まで十文字に裂けて、そこから大小無数の水晶片を撃ち出す瞬間を目撃する。
狙いはソルブレイズではない。水晶片一つ一つが魔物を構成するプラーナの塊であり、どれか一つでも見逃せば、時間をかけてプラーナを蓄積することで、魔物が復活する。
これは、攻撃方法ではなく存在を保持する為の緊急手段なのだ。
ソルブレイズは迷った。今放とうとしている火球は、広範囲攻撃に適したものではない。彼女の指定した対象にのみ圧倒的な熱量を叩き込み、消滅させるものだ。
これから広範囲に射出される水晶片を蒸発させるには、その制限を取り払う必要がある。
だがそうしてしまえば、解き放たれた百万度近い熱量が都市とまだ逃げている最中の人々を燃やし尽くすだろう。
水晶片の射出は許し、本体の魔物を消滅させた後、迅速に水晶片を破壊するしかない、そう判断して、必殺の火球を発射しようとした、まさにその刹那!
「塵芥と消えろ。破断の鏡」
いつの間にか高層ビルの屋上に立っていた新しい魔法少女の呟きと共に、彼女の胸を飾る小さな鏡から無数の光が細長い線となって発射され、百を超える水晶片の全てを撃ち抜く。
「あの子は……」
ソルブレイズはこちらを見つめる能面のように無表情の魔法少女を見つめ返した。他の魔法少女達と一切の交流を持たず、神出鬼没に姿を見せては魔物達を討滅して去ってゆく謎の魔法少女として、最近、知られるようになった相手である。
とはいえ、厄介な水晶片がなくなった以上、ソルブレイズが優先するべきは魔物本体の抹殺である。それを間違えるソルブレイズではなかった。
「いっけええ!!」
撃ちだされた極大の炎熱を封じ込めた火球は空中の魔物に直撃し、きっかり直径百メートルへと膨れ上がると内部に閉じ込めた魔物を百万度超の熱量と魔力で、破片一つ残すことも許さずに、この世から消し飛ばす。
空中に生じた小さな太陽が消える前に、ソルブレイズは再び高層ビルの屋上へと視線を映し、背中を向けている魔法少女の姿が映る。
膝裏まで届く長い白髪、千早を重ねた清廉な巫女装束からは犬や狼を思わせる尻尾と耳が生えていて、今は背中を向けているが、首からは翡翠の勾玉と小さな鏡の首飾りを下げた魔法少女は振り返らない。
黒く濡れた瞳にソルブレイズを映さず、今も退避している最中の人々と悲鳴とサイレンの木霊するビル群だけを見ている。
「待って、貴方と、話をしたいの。だから、お願い、待って。せめて、貴方の名前を!!」
悲痛なソルブレイズの声に新たな魔法少女が足を止めて、ソルブレイズの伸ばした手を見て、ふっと柔らかく微笑んだ。まるで我がままを言う幼子を見守る慈母のような微笑み。
けれどソルブレイズの手を取ることはなく、少女は全身に白く輝く光を纏うと陽炎のように周囲の空間を揺らめかせて、その場から消え去った。
(今日も頑張っていたな、燦。おじいちゃんはしっかりと見ていたぞ)
その心の中で血の繋がった実の孫娘の奮闘を、祖父として称賛していたなどと、誰にも悟らせぬまま。
*
ソルブレイズが都市部に出現した魔物を撃退するよりも一か月前、真上燦は父方の祖父の家に遊びに来ていて、そこで特異災害『魔物』に遭遇した。
誰も本当の名前も拠点も知らない魔法少女の誕生は、全てこの時に発生した特異災害つまり魔物の出現に起因する。
──ああ、これが噂の魔法少女か。
潰れた家屋の下敷きになりながら、真上大我は眩しい光と共に現れた少女の後ろ姿に、目を細めた。
少女の目の前には十メートルを超える巨大な怪物が立っている。針金のように細長い手足を持った、赤黒い泥の巨人のような怪物。頭はなく胸に大きな一つ目が輝いている。
突如現れては破壊活動を行う生物のような災害、まるでゲームや漫画の中から飛び出てきたような怪物ども。
前触れもなく表れたソイツが彼の家を壊し、そして一緒に昼飯を食べていた孫娘が、魔法少女となって戦っているのだ。
特殊なエネルギーの塊である魔物には、通常の兵器は通用せず、同質のエネルギーを最も効率よく使用できる魔法少女の手で討伐するのが、この世界の最適解だ。
そうした事情と理屈で十代の少女達を命がけの戦場に送り出しているのを、大我も知っていたが、まさか自分の孫娘が魔法少女になっているとは……
「怖い、だろうに、よ。……代われるもんな、ら、代わって、やりたい、ぜ……」
額から流れた血が目に入り込み、真っ赤に染まる視界の中で大我の孫娘は、見事に魔物を消滅させて、涙を流しながらこちらに向かってくる。
その泣き顔を見ながら、大我は瞼を閉じた。
最後に見る孫娘の顔は、出来れば笑顔であって欲しかったが、こればかりは仕方ない。遠のいた意識を留めるだけの力は、もう大我にはなかった。
「おじいちゃん!!」
最後に聞こえてきた孫娘の悲痛な声に、ごめんな、と口にすることもできなかった。
*
これから死ぬのだと自分の運命を覚悟した大我だったが、ふと気が付くと真っ白い霧に包まれた坂道の上に立っているのに気づく。
体を圧し潰していた瓦礫は消えてなくなり、体のどこにも傷はない。
「俺は、死んだんじゃないのか?」
はて困った、とすっかり白くなった頭を軽くたたき、寝ぼけていないのを確かめる。前に進めば坂を下り、左右や上に目を向けると果てのない白い霧ばかり。背後を振り返れば坂を上ることになる。
なにがなんだか分からないが、このままボケっと突っ立っているわけにもいかないと、深く考えず、前に踏み出そうとした大我の足を背中から聞こえてきた、ウォンという犬の鳴き声が止める。
「犬? こんなところに……ありゃ、お前はシロスケか? 懐かしいなあ」
思わず振り返った大我の足元に、坂の上から白い犬が勢いよく駆け寄ってくる。こんな意味の分からないところに犬が居るのに疑問を感じる大我だったが、犬の額や目元、頬に隈取を思わせる黒い毛並みが混じっているのを見て、小さいころの記憶を思い出す。
まだ十歳にもならなかったころ、近所の神社でよく遊んだ犬のシロスケに瓜二つだ。こんな特徴的な毛並みの模様は他にいないだろう。
大我はすっかり懐かしい気持ちになり、しゃがみこんでシロスケの顔やら首やらをわしゃわしゃと撫でまわす。
「おー、よしよし。お前さんと会うのはいったい、何十年ぶりだろうな。シロスケの姿が見えなくなって、ずいぶんと探したもんだぜ。……ああ、だけどよぉ、シロスケ。お前さんと会えたのは嬉しいが、孫娘がよ、泣いちまってよ。
それもこれも俺があいつの前で死んじまったからなんだが、お前さんと会えるってことは、やっぱりそうなんだろうな。犬が何十年も生きるわけねえもんな。なんとかしてあいつの涙を止めてやりてえんだが、死んじまったらどうしようもねえわな」
可愛い孫娘の泣き顔を思い出し、悲哀に沈む大我の頬にシロスケが頬を寄せて、くぅんと鳴きながら慰めてくる。
「へへ、悪いな。お前さんに愚痴をこぼしても仕方ないのにな? でも、黄泉路に懐かしい顔が付き添ってくれるとはありがたい。寂しさが紛れるってもんだ。さあ、行くか。贅沢を言うなら燦の花嫁姿とか、子供の顔を……いや、代わりに戦ってやりたかったが」
今わの際に見た命がけで戦う孫娘の姿に心を痛める大我に、いつの間にか坂の上を目指して歩きだしていたシロスケがワン、と呼びかける。
「ん? なんだい、そっちがあの世か? シロスケの方がこっちじゃ先輩なんだ。素直に言うことを聞くさ」
よいしょ、と声を出して立ち上がり、大我は坂を上ってゆくシロスケに続く。坂の終わりは見えなかったが、どれだけ歩いても疲れることはなく、何時間、何キロ歩いたのかも分からない。
だが死後の世界ならそんなものだろう、と大我は気に留めず白い霧と坂道、それに少し先を行くシロスケだけの世界を進んでゆく。
「おおい、シロスケや。どこまで行くんだ? いつまで歩けば、おお?」
流石に長いと大我が声を掛けると、まるで狙っていたかのようなタイミングでシロスケが坂の上に辿り着き、足を止めたではないか。やれやれやっとか、と大我が足を速めてシロスケの隣まで急ぐ。
「ほおん? こいつは、なんだあ? 扉もなんもねえな。霧の向こうで強い光がなんか輝いちゃいるが、思っていたのと違うぞ。なあ、シロスケ」
イメージとまるで違う光景に戸惑う大我に向けて、シロスケは尻尾をフリフリしながら、ワンと一吠え。すると何の前触れもなく大我の右手になにかの重みが加わる。
「こりゃあ、桃? なんだっていきなり。桃の木なんかありゃしないぞ」
「わんわん! ワッフ!」
「ええ、なんだ、どうした、シロスケ。お前、まさか、俺にこのいかにも怪しい桃を食えって言うんじゃないだろうな?」
「わふう」
大我としてはいつの間にか手に握っていた桃など、怪しさ満点だが久しぶりに会った友達は食え、と促してくるし、既に死んだ身だ。今更、食中毒で腹を壊すなんてことはないだろう。
それにこの死後の世界も訳の分からないことばかりだ。この先、いつ、食べ物を得られるか分からない。だったら、ここで桃を食べておいた方がいいのではないか? そう思うと手の中にある桃が途端に輝いて見えてくる。現金なものだ。
ふと鼻をくすぐる桃のなんとも甘い香りに、大我の心は折れて、ええいままよ、と勢いよく皮ごとかぶりつく。
するとどうだ、口の中に洪水のようにあふれ出る芳醇極まりない桃の果汁、歯を通じて伝わる果肉の瑞々しさ。大我の舌の上に味覚の王道楽土が広がってゆく。
「いっけねえ、勢いが止まらねえで、全部食っちまった」
種だけになった桃を見ながら、大我が自分の食い意地に呆れていると、それを待っていたシロスケがまた一つ、今度はとびっきり大きな声で鳴いた。
「わぉん!!」
「どうした、シロス……ケぇ!? うお!」
次は何だと大我がシロスケに目を向けた時、その隙を突くようにシロスケは飛び掛かってきて、見事な頭突きを大我に叩き込んだ。
不意を突かれた大我は踏ん張りが効かず、頭突きされた勢いのまま体勢を崩して、霧の向こうに見えた光の中へと倒れ込んでしまう。
「のわあああ!?」
思わず声を出す大我の耳に、シロスケの尾を引く遠吠えが届く。まるで、さようならと告げてくるような声に、大我はシロスケの顔を見ようと体を捻り、すぐに石畳の上に倒れ込む。
「なん、なんだあ? 冷たいし硬い? 石畳か、こりゃ」
さっきまでは白い霧に包まれた坂道を上っていたと思ったら、今度はどこだと体を起こして辺りを見回せば、そこは人気のない寂れた神社の境内だった。
石畳の隙間からぼうぼうと草が伸び、社の戸は破れて、人の手が長いこと入っていないのが一目で分かる。
次から次へと襲い掛かってくる異変に、頭の痛む思いで立ち上がった大我はそこで更なる異変に気付いて愕然とした。
死んだときに身に着けていたポロシャツとジーンズに変わり、美しい光沢を放つ巫女装束を纏っているではないか。更には装束の上をさらさらと流れる長髪は、この世のなにものにも穢し難い清廉無垢な白。
さらには自分の声がまるで孫娘と同年代の少女のようなものに変わっているのに気づいて、思わず喉を触れば喉仏はなくなり、頭と尻になにか違和感がある。
「ええ、ええええええ? シロスケぇ、お前の仕業かあ?」
尻に回した左手が掴んだのは、ふさふさとした犬らしい尻尾。頭の上に伸ばした右手が摘まんだのは、これまたふさふさとした毛に包まれた犬だか狼だかの耳だった。
奇妙なことに大我の意思である程度は自由に動かせるそれは、どうしようもなく大我の肉体の一部なのだと思い知らされる。
「おいおいおいおいおいおいおい」
咄嗟に股間や胸元を触ってみて分かったのは、自分が孫娘と変わらぬ年頃の、それも耳と尻尾の生えた少女の体になって生き返ったらしいという受け入れがたい事実だった。
「なんじゃこりゃあ」
と理解できない事態への叫びは空しく黄昏時の神社に木霊し、周囲に広がる木々の向こうに飲まれて消えていった。こうして後に所属不明、正体不明の神出鬼没の魔法少女へ真上大我(68)はTS転生したのだった。
人の行き交う都市のど真ん中に、紫色に光り輝く水晶の怪物が虚空から現れ、無造作に上げた咆哮で周囲のビルのガラスが砕け散り、突然の災禍に呆然としていた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げまどい始める。
鳥類を思わせる細い六本の脚に細長い胴体、目のない頭部の先端でガラス片のような牙を生やした口が十字に開き、我が物顔で都市を破壊しながら無軌道に暴れだす。
二十一世紀も半ばを過ぎた人類に突如として襲い掛かった、前代未聞の災害。
生物のような姿を持ち、どこからともなく出現しては無作為に破壊をまき散らす、決して生物ではないモノたち。
生物型災害、エネルギー集合式稼働天災、クリーチャータイプ・ディザスター……様々な呼び名を与えられたソレらは、今ではシンプルにこう呼ばれる。魔物、と。
特殊なエネルギーの塊である魔物達は、人類の保有する通常兵器の類がほとんど通じず、これを消滅させるには同種のエネルギーをぶつけて、相殺させるのが最も効率的かつ適切な対処方法だった。
例えばそう、たまたま買い物に出ていて、魔物の出現に出くわした一人の少女が変身しながら放った攻撃のように。
「焼き散らせ! 火群乱!」
澄んだ鈴の音のような声と共に、赤く燃える炎の塊が数十と空中を舞い踊り、次々と魔物へと着弾して水晶めいた表皮を融解し、吹き飛ばしてゆく。
生命でも生物でもない魔物は、焼かれる痛みも砕かれる痛みもないが、自身を構成するエネルギーを大きく削られ、存在維持が難しくなるのは困るらしく、自分に攻撃を加えてきた彼にとっての災害へと頭部を向ける。
あるか分からないが、もしこの魔物に視覚があったなら、赤い長髪の半ばから炎のような輝きを纏い、赤を主に黄と白をさし色にした袴の上に、戦国時代の甲冑を思わせる肩当てや胸当てを装着した少女を映しただろう。
現在、最も効率よく魔物を排除できる最も適切な存在、最高にして最強の力──魔法少女だ。
人類が手にした、生命と精神に由来する新世代エネルギー『プラーナ』を用い、時に物理法則さえ塗り替えて、魔法のような現象を引き起こす子供達こそ、人類の新たな災害に対する最高最善の対策なのだった。
真上燦、魔法少女名『ソルブレイズ』が、この場に居合わせて、休暇を台無しにされた女子中学生の名前だった。
「やぁあああああ!!」
可憐な声で勇ましい叫びをあげ、歩道橋の上からジャンプしたソルブレイズは、瞬時に音速を突破し、魔物の胴の下に潜り込むと渾身の力を込めた拳を叩き込み、全長五十メートル超の魔物をはるか頭上高く、百……二百……三百メートルまで打ち上げる。
わざわざ魔物を打ち上げたのは、都市に被害を及ぼさないようにと配慮したためだ。そして両掌を胸の前で合わせると、ポッと小さな火がそこに灯る。
見る間に直径三十センチほどになったソレは、ソルブレイズの魔力によって生み出された魔法の火だ。
摂氏百万度の高温に達しながら、周囲に熱を漏らすことはなく、ソルブレイズの認識した対象にだけ熱を加えて燃やし尽くす敵味方識別機能付きだ。
これまで多くの魔物を葬ってきた必殺の一撃を叩き込むべく、髪と同じ赤に変色した瞳を頭上の魔物へと向けたソルブレイズは、魔物の首が付け根まで十文字に裂けて、そこから大小無数の水晶片を撃ち出す瞬間を目撃する。
狙いはソルブレイズではない。水晶片一つ一つが魔物を構成するプラーナの塊であり、どれか一つでも見逃せば、時間をかけてプラーナを蓄積することで、魔物が復活する。
これは、攻撃方法ではなく存在を保持する為の緊急手段なのだ。
ソルブレイズは迷った。今放とうとしている火球は、広範囲攻撃に適したものではない。彼女の指定した対象にのみ圧倒的な熱量を叩き込み、消滅させるものだ。
これから広範囲に射出される水晶片を蒸発させるには、その制限を取り払う必要がある。
だがそうしてしまえば、解き放たれた百万度近い熱量が都市とまだ逃げている最中の人々を燃やし尽くすだろう。
水晶片の射出は許し、本体の魔物を消滅させた後、迅速に水晶片を破壊するしかない、そう判断して、必殺の火球を発射しようとした、まさにその刹那!
「塵芥と消えろ。破断の鏡」
いつの間にか高層ビルの屋上に立っていた新しい魔法少女の呟きと共に、彼女の胸を飾る小さな鏡から無数の光が細長い線となって発射され、百を超える水晶片の全てを撃ち抜く。
「あの子は……」
ソルブレイズはこちらを見つめる能面のように無表情の魔法少女を見つめ返した。他の魔法少女達と一切の交流を持たず、神出鬼没に姿を見せては魔物達を討滅して去ってゆく謎の魔法少女として、最近、知られるようになった相手である。
とはいえ、厄介な水晶片がなくなった以上、ソルブレイズが優先するべきは魔物本体の抹殺である。それを間違えるソルブレイズではなかった。
「いっけええ!!」
撃ちだされた極大の炎熱を封じ込めた火球は空中の魔物に直撃し、きっかり直径百メートルへと膨れ上がると内部に閉じ込めた魔物を百万度超の熱量と魔力で、破片一つ残すことも許さずに、この世から消し飛ばす。
空中に生じた小さな太陽が消える前に、ソルブレイズは再び高層ビルの屋上へと視線を映し、背中を向けている魔法少女の姿が映る。
膝裏まで届く長い白髪、千早を重ねた清廉な巫女装束からは犬や狼を思わせる尻尾と耳が生えていて、今は背中を向けているが、首からは翡翠の勾玉と小さな鏡の首飾りを下げた魔法少女は振り返らない。
黒く濡れた瞳にソルブレイズを映さず、今も退避している最中の人々と悲鳴とサイレンの木霊するビル群だけを見ている。
「待って、貴方と、話をしたいの。だから、お願い、待って。せめて、貴方の名前を!!」
悲痛なソルブレイズの声に新たな魔法少女が足を止めて、ソルブレイズの伸ばした手を見て、ふっと柔らかく微笑んだ。まるで我がままを言う幼子を見守る慈母のような微笑み。
けれどソルブレイズの手を取ることはなく、少女は全身に白く輝く光を纏うと陽炎のように周囲の空間を揺らめかせて、その場から消え去った。
(今日も頑張っていたな、燦。おじいちゃんはしっかりと見ていたぞ)
その心の中で血の繋がった実の孫娘の奮闘を、祖父として称賛していたなどと、誰にも悟らせぬまま。
*
ソルブレイズが都市部に出現した魔物を撃退するよりも一か月前、真上燦は父方の祖父の家に遊びに来ていて、そこで特異災害『魔物』に遭遇した。
誰も本当の名前も拠点も知らない魔法少女の誕生は、全てこの時に発生した特異災害つまり魔物の出現に起因する。
──ああ、これが噂の魔法少女か。
潰れた家屋の下敷きになりながら、真上大我は眩しい光と共に現れた少女の後ろ姿に、目を細めた。
少女の目の前には十メートルを超える巨大な怪物が立っている。針金のように細長い手足を持った、赤黒い泥の巨人のような怪物。頭はなく胸に大きな一つ目が輝いている。
突如現れては破壊活動を行う生物のような災害、まるでゲームや漫画の中から飛び出てきたような怪物ども。
前触れもなく表れたソイツが彼の家を壊し、そして一緒に昼飯を食べていた孫娘が、魔法少女となって戦っているのだ。
特殊なエネルギーの塊である魔物には、通常の兵器は通用せず、同質のエネルギーを最も効率よく使用できる魔法少女の手で討伐するのが、この世界の最適解だ。
そうした事情と理屈で十代の少女達を命がけの戦場に送り出しているのを、大我も知っていたが、まさか自分の孫娘が魔法少女になっているとは……
「怖い、だろうに、よ。……代われるもんな、ら、代わって、やりたい、ぜ……」
額から流れた血が目に入り込み、真っ赤に染まる視界の中で大我の孫娘は、見事に魔物を消滅させて、涙を流しながらこちらに向かってくる。
その泣き顔を見ながら、大我は瞼を閉じた。
最後に見る孫娘の顔は、出来れば笑顔であって欲しかったが、こればかりは仕方ない。遠のいた意識を留めるだけの力は、もう大我にはなかった。
「おじいちゃん!!」
最後に聞こえてきた孫娘の悲痛な声に、ごめんな、と口にすることもできなかった。
*
これから死ぬのだと自分の運命を覚悟した大我だったが、ふと気が付くと真っ白い霧に包まれた坂道の上に立っているのに気づく。
体を圧し潰していた瓦礫は消えてなくなり、体のどこにも傷はない。
「俺は、死んだんじゃないのか?」
はて困った、とすっかり白くなった頭を軽くたたき、寝ぼけていないのを確かめる。前に進めば坂を下り、左右や上に目を向けると果てのない白い霧ばかり。背後を振り返れば坂を上ることになる。
なにがなんだか分からないが、このままボケっと突っ立っているわけにもいかないと、深く考えず、前に踏み出そうとした大我の足を背中から聞こえてきた、ウォンという犬の鳴き声が止める。
「犬? こんなところに……ありゃ、お前はシロスケか? 懐かしいなあ」
思わず振り返った大我の足元に、坂の上から白い犬が勢いよく駆け寄ってくる。こんな意味の分からないところに犬が居るのに疑問を感じる大我だったが、犬の額や目元、頬に隈取を思わせる黒い毛並みが混じっているのを見て、小さいころの記憶を思い出す。
まだ十歳にもならなかったころ、近所の神社でよく遊んだ犬のシロスケに瓜二つだ。こんな特徴的な毛並みの模様は他にいないだろう。
大我はすっかり懐かしい気持ちになり、しゃがみこんでシロスケの顔やら首やらをわしゃわしゃと撫でまわす。
「おー、よしよし。お前さんと会うのはいったい、何十年ぶりだろうな。シロスケの姿が見えなくなって、ずいぶんと探したもんだぜ。……ああ、だけどよぉ、シロスケ。お前さんと会えたのは嬉しいが、孫娘がよ、泣いちまってよ。
それもこれも俺があいつの前で死んじまったからなんだが、お前さんと会えるってことは、やっぱりそうなんだろうな。犬が何十年も生きるわけねえもんな。なんとかしてあいつの涙を止めてやりてえんだが、死んじまったらどうしようもねえわな」
可愛い孫娘の泣き顔を思い出し、悲哀に沈む大我の頬にシロスケが頬を寄せて、くぅんと鳴きながら慰めてくる。
「へへ、悪いな。お前さんに愚痴をこぼしても仕方ないのにな? でも、黄泉路に懐かしい顔が付き添ってくれるとはありがたい。寂しさが紛れるってもんだ。さあ、行くか。贅沢を言うなら燦の花嫁姿とか、子供の顔を……いや、代わりに戦ってやりたかったが」
今わの際に見た命がけで戦う孫娘の姿に心を痛める大我に、いつの間にか坂の上を目指して歩きだしていたシロスケがワン、と呼びかける。
「ん? なんだい、そっちがあの世か? シロスケの方がこっちじゃ先輩なんだ。素直に言うことを聞くさ」
よいしょ、と声を出して立ち上がり、大我は坂を上ってゆくシロスケに続く。坂の終わりは見えなかったが、どれだけ歩いても疲れることはなく、何時間、何キロ歩いたのかも分からない。
だが死後の世界ならそんなものだろう、と大我は気に留めず白い霧と坂道、それに少し先を行くシロスケだけの世界を進んでゆく。
「おおい、シロスケや。どこまで行くんだ? いつまで歩けば、おお?」
流石に長いと大我が声を掛けると、まるで狙っていたかのようなタイミングでシロスケが坂の上に辿り着き、足を止めたではないか。やれやれやっとか、と大我が足を速めてシロスケの隣まで急ぐ。
「ほおん? こいつは、なんだあ? 扉もなんもねえな。霧の向こうで強い光がなんか輝いちゃいるが、思っていたのと違うぞ。なあ、シロスケ」
イメージとまるで違う光景に戸惑う大我に向けて、シロスケは尻尾をフリフリしながら、ワンと一吠え。すると何の前触れもなく大我の右手になにかの重みが加わる。
「こりゃあ、桃? なんだっていきなり。桃の木なんかありゃしないぞ」
「わんわん! ワッフ!」
「ええ、なんだ、どうした、シロスケ。お前、まさか、俺にこのいかにも怪しい桃を食えって言うんじゃないだろうな?」
「わふう」
大我としてはいつの間にか手に握っていた桃など、怪しさ満点だが久しぶりに会った友達は食え、と促してくるし、既に死んだ身だ。今更、食中毒で腹を壊すなんてことはないだろう。
それにこの死後の世界も訳の分からないことばかりだ。この先、いつ、食べ物を得られるか分からない。だったら、ここで桃を食べておいた方がいいのではないか? そう思うと手の中にある桃が途端に輝いて見えてくる。現金なものだ。
ふと鼻をくすぐる桃のなんとも甘い香りに、大我の心は折れて、ええいままよ、と勢いよく皮ごとかぶりつく。
するとどうだ、口の中に洪水のようにあふれ出る芳醇極まりない桃の果汁、歯を通じて伝わる果肉の瑞々しさ。大我の舌の上に味覚の王道楽土が広がってゆく。
「いっけねえ、勢いが止まらねえで、全部食っちまった」
種だけになった桃を見ながら、大我が自分の食い意地に呆れていると、それを待っていたシロスケがまた一つ、今度はとびっきり大きな声で鳴いた。
「わぉん!!」
「どうした、シロス……ケぇ!? うお!」
次は何だと大我がシロスケに目を向けた時、その隙を突くようにシロスケは飛び掛かってきて、見事な頭突きを大我に叩き込んだ。
不意を突かれた大我は踏ん張りが効かず、頭突きされた勢いのまま体勢を崩して、霧の向こうに見えた光の中へと倒れ込んでしまう。
「のわあああ!?」
思わず声を出す大我の耳に、シロスケの尾を引く遠吠えが届く。まるで、さようならと告げてくるような声に、大我はシロスケの顔を見ようと体を捻り、すぐに石畳の上に倒れ込む。
「なん、なんだあ? 冷たいし硬い? 石畳か、こりゃ」
さっきまでは白い霧に包まれた坂道を上っていたと思ったら、今度はどこだと体を起こして辺りを見回せば、そこは人気のない寂れた神社の境内だった。
石畳の隙間からぼうぼうと草が伸び、社の戸は破れて、人の手が長いこと入っていないのが一目で分かる。
次から次へと襲い掛かってくる異変に、頭の痛む思いで立ち上がった大我はそこで更なる異変に気付いて愕然とした。
死んだときに身に着けていたポロシャツとジーンズに変わり、美しい光沢を放つ巫女装束を纏っているではないか。更には装束の上をさらさらと流れる長髪は、この世のなにものにも穢し難い清廉無垢な白。
さらには自分の声がまるで孫娘と同年代の少女のようなものに変わっているのに気づいて、思わず喉を触れば喉仏はなくなり、頭と尻になにか違和感がある。
「ええ、ええええええ? シロスケぇ、お前の仕業かあ?」
尻に回した左手が掴んだのは、ふさふさとした犬らしい尻尾。頭の上に伸ばした右手が摘まんだのは、これまたふさふさとした毛に包まれた犬だか狼だかの耳だった。
奇妙なことに大我の意思である程度は自由に動かせるそれは、どうしようもなく大我の肉体の一部なのだと思い知らされる。
「おいおいおいおいおいおいおい」
咄嗟に股間や胸元を触ってみて分かったのは、自分が孫娘と変わらぬ年頃の、それも耳と尻尾の生えた少女の体になって生き返ったらしいという受け入れがたい事実だった。
「なんじゃこりゃあ」
と理解できない事態への叫びは空しく黄昏時の神社に木霊し、周囲に広がる木々の向こうに飲まれて消えていった。こうして後に所属不明、正体不明の神出鬼没の魔法少女へ真上大我(68)はTS転生したのだった。
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