126 / 134
4-26 母の話が聞きたい
しおりを挟む
ボーリャを座らせ、私は洗った食器をふきんで拭くよう、父に指示する。魔法でやればすぐに終わるのかと言えば、そんなことはない。細かい作業は魔法に向いていないのだ。だから、魔力を燃料に動く食洗機などが開発されている。ここには設置されていないけれど。
「お母さんって、どんな人だった?」
私はお皿を洗いながら、なんとなく、聞いてみた。生前、ほとんど関わりがなかったから、ずっと、気になってはいたのだ。
「……マリーゼは、芯の通った女性だった。昔から、自分というものがしっかりしていたな」
父の表情は和らいだ。そして、まだ新しい、心の傷が、痛そうだった。
「男勝りなところがあって、蝶や花を愛でたりはしなかった。代わりに、カエルを捕まえてきては、余の目の前に差し出したりし、驚かせては喜んでいたな」
「そうなの? 意外だわ」
「──マリーゼが絵を描くようになったのは、中学に上がる頃だった。幼少の頃は、男たちに混ざって虫取りなどをしていたのに、急に大人しい遊びを始めたものだから、あのときは余も、マリーゼの友人たちも、驚いていたな」
急に行動が変わったのには、当然、理由があったのだろう。そして、その理由には、予想がついた。
「それって……」
「ああ。その頃から、体調を崩すことが増えてな。もともと、有り余る元気とは対照的に、体の弱いやつだった。あいつのいる病室にはよく通ったな。魔王になる勉強や学校を何度もすっぽかして。──急に、しおらしくなったからか、その頃から、どうにも気になり出してな」
父は少し、寂しそうな笑みを浮かべた。そんな表情をすることもあるのだと、私はそこに人臭く、温かいものを感じた。
「どうしても、子どもがほしいと、そう言っていた。自分がいなくなった後で、余が一人だと寂しがるからと、自分の体調のことなど、お構いなしにな。しおらしくなったように見えただけで、実際には、昔から、全く変わっていなかった。自分のわがままを遠そうとするところも、優しいところも」
どこか、懐かしいような表情をしていた。父は、眩しいものでも見るかのように、すっと目を細めて、視界は脳裏の記憶を捉えていた。
「最期、彼女を看取ったとき。マリーゼはこう言った。レナには、大切な人たちがいて、レナを大切にしてくれる。ユタには、強い魔力と優しい心があるから、未来をよりよく導いてくれる。──そして、マナ。お前は、一番、マリーゼに似ている。だから、きっと大丈夫だと」
母に似ていると言われると、なんとなく、嬉しい。私も、普通に育っていたら、虫を捕まえたり、カエルでいたずらをしたりしていたのかもしれない。
それでも、最期に一緒にいられなかった。全然、話せなかった。時間を無駄にしてしまった。母を思う度、後悔ばかりが、膨れ上がる。結局、ワガママの一つも言ってあげられなかった。
「そして、余のことが一番、心配だと言っていた。まったく、本当に、その通りだ。お前たちは、強く歩んでいるというのに」
「そんなことないわ。まだ毎日、お母さんのことばかり考えちゃうし。──けれど、お母さんが、手紙をくれたから。愛されてたって、そう思うだけで、少しだけ、力が湧いてくるの」
魔王はしばし、瞑目する。まぶたの裏に、記憶を映しているのかもしれない。魔王は、皿を拭く手を止めた。泣きそうなのかもしれない。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ああ、なんでも」
「……あたし、本当は、生まれてすぐに殺されてたんでしょ? なんで、殺さなかったの?」
「それは──他ならぬ、マリーゼの子だったからだ。だから、どうしても、殺せなかった」
誰にも必要とされていないと、そう思っていた。言葉を覚えた頃には、私はもう、あの檻の中だった。何のために生まれてきたのか分からなかったし、生きる意味も見出だせなかった。
でも、ずっと、私は、母に守られてきた。知らなかっただけで、愛されていたのだ。
「あたし、れなにね。どうして、あのとき、助けてくれなかったのかって聞いたの」
「それは──」
「あんたにも、同じことを思ってる。でも、きっと、事情があったんでしょ?」
傷が残って、腕に深い溝ができるのではと思うほどに、傷つけられた。頭がおかしくなりそうだった。それでも、生かしておいてくれた。それを、わざわざ責めようとは思わない。
──ただ、何かを忘れているような気がする。
「余は、魔王の立場と権力を守るためだけに、お前を──」
「別に、恨んだり……」
していない。
と、言えなかった。
──何かが、違う。
れなのときと、何かが。どうしても、譲ることのできない何かがあったから、私は、れなを許せなかったのではなかったか。
それに、母の葬式のときも、魔王のことは、許していなかったはずだ。
「いいや。お前は余を許してはならぬ。決してな──」
その言葉の意味を問いただそうとした、そのとき、
「おばあちゃん、ただいまー!」
「お母さんって、どんな人だった?」
私はお皿を洗いながら、なんとなく、聞いてみた。生前、ほとんど関わりがなかったから、ずっと、気になってはいたのだ。
「……マリーゼは、芯の通った女性だった。昔から、自分というものがしっかりしていたな」
父の表情は和らいだ。そして、まだ新しい、心の傷が、痛そうだった。
「男勝りなところがあって、蝶や花を愛でたりはしなかった。代わりに、カエルを捕まえてきては、余の目の前に差し出したりし、驚かせては喜んでいたな」
「そうなの? 意外だわ」
「──マリーゼが絵を描くようになったのは、中学に上がる頃だった。幼少の頃は、男たちに混ざって虫取りなどをしていたのに、急に大人しい遊びを始めたものだから、あのときは余も、マリーゼの友人たちも、驚いていたな」
急に行動が変わったのには、当然、理由があったのだろう。そして、その理由には、予想がついた。
「それって……」
「ああ。その頃から、体調を崩すことが増えてな。もともと、有り余る元気とは対照的に、体の弱いやつだった。あいつのいる病室にはよく通ったな。魔王になる勉強や学校を何度もすっぽかして。──急に、しおらしくなったからか、その頃から、どうにも気になり出してな」
父は少し、寂しそうな笑みを浮かべた。そんな表情をすることもあるのだと、私はそこに人臭く、温かいものを感じた。
「どうしても、子どもがほしいと、そう言っていた。自分がいなくなった後で、余が一人だと寂しがるからと、自分の体調のことなど、お構いなしにな。しおらしくなったように見えただけで、実際には、昔から、全く変わっていなかった。自分のわがままを遠そうとするところも、優しいところも」
どこか、懐かしいような表情をしていた。父は、眩しいものでも見るかのように、すっと目を細めて、視界は脳裏の記憶を捉えていた。
「最期、彼女を看取ったとき。マリーゼはこう言った。レナには、大切な人たちがいて、レナを大切にしてくれる。ユタには、強い魔力と優しい心があるから、未来をよりよく導いてくれる。──そして、マナ。お前は、一番、マリーゼに似ている。だから、きっと大丈夫だと」
母に似ていると言われると、なんとなく、嬉しい。私も、普通に育っていたら、虫を捕まえたり、カエルでいたずらをしたりしていたのかもしれない。
それでも、最期に一緒にいられなかった。全然、話せなかった。時間を無駄にしてしまった。母を思う度、後悔ばかりが、膨れ上がる。結局、ワガママの一つも言ってあげられなかった。
「そして、余のことが一番、心配だと言っていた。まったく、本当に、その通りだ。お前たちは、強く歩んでいるというのに」
「そんなことないわ。まだ毎日、お母さんのことばかり考えちゃうし。──けれど、お母さんが、手紙をくれたから。愛されてたって、そう思うだけで、少しだけ、力が湧いてくるの」
魔王はしばし、瞑目する。まぶたの裏に、記憶を映しているのかもしれない。魔王は、皿を拭く手を止めた。泣きそうなのかもしれない。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ああ、なんでも」
「……あたし、本当は、生まれてすぐに殺されてたんでしょ? なんで、殺さなかったの?」
「それは──他ならぬ、マリーゼの子だったからだ。だから、どうしても、殺せなかった」
誰にも必要とされていないと、そう思っていた。言葉を覚えた頃には、私はもう、あの檻の中だった。何のために生まれてきたのか分からなかったし、生きる意味も見出だせなかった。
でも、ずっと、私は、母に守られてきた。知らなかっただけで、愛されていたのだ。
「あたし、れなにね。どうして、あのとき、助けてくれなかったのかって聞いたの」
「それは──」
「あんたにも、同じことを思ってる。でも、きっと、事情があったんでしょ?」
傷が残って、腕に深い溝ができるのではと思うほどに、傷つけられた。頭がおかしくなりそうだった。それでも、生かしておいてくれた。それを、わざわざ責めようとは思わない。
──ただ、何かを忘れているような気がする。
「余は、魔王の立場と権力を守るためだけに、お前を──」
「別に、恨んだり……」
していない。
と、言えなかった。
──何かが、違う。
れなのときと、何かが。どうしても、譲ることのできない何かがあったから、私は、れなを許せなかったのではなかったか。
それに、母の葬式のときも、魔王のことは、許していなかったはずだ。
「いいや。お前は余を許してはならぬ。決してな──」
その言葉の意味を問いただそうとした、そのとき、
「おばあちゃん、ただいまー!」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。
不死王はスローライフを希望します
小狐丸
ファンタジー
気がついたら、暗い森の中に居た男。
深夜会社から家に帰ったところまでは覚えているが、何故か自分の名前などのパーソナルな部分を覚えていない。
そこで俺は気がつく。
「俺って透けてないか?」
そう、男はゴーストになっていた。
最底辺のゴーストから成り上がる男の物語。
その最終目標は、世界征服でも英雄でもなく、ノンビリと畑を耕し自給自足するスローライフだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暇になったので、駄文ですが勢いで書いてしまいました。
設定等ユルユルでガバガバですが、暇つぶしと割り切って読んで頂ければと思います。
小さな大魔法使いの自分探しの旅 親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします
藤なごみ
ファンタジー
※2024年10月下旬に、第2巻刊行予定です
2024年6月中旬に第一巻が発売されます
2024年6月16日出荷、19日販売となります
発売に伴い、題名を「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、元気いっぱいに無自覚チートで街の人を笑顔にします~」→「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします~」
中世ヨーロッパに似ているようで少し違う世界。
数少ないですが魔法使いがが存在し、様々な魔導具も生産され、人々の生活を支えています。
また、未開発の土地も多く、数多くの冒険者が活動しています
この世界のとある地域では、シェルフィード王国とタターランド帝国という二つの国が争いを続けています
戦争を行る理由は様ながら長年戦争をしては停戦を繰り返していて、今は辛うじて平和な時が訪れています
そんな世界の田舎で、男の子は産まれました
男の子の両親は浪費家で、親の資産を一気に食いつぶしてしまい、あろうことかお金を得るために両親は行商人に幼い男の子を売ってしまいました
男の子は行商人に連れていかれながら街道を進んでいくが、ここで行商人一行が盗賊に襲われます
そして盗賊により行商人一行が殺害される中、男の子にも命の危険が迫ります
絶体絶命の中、男の子の中に眠っていた力が目覚めて……
この物語は、男の子が各地を旅しながら自分というものを探すものです
各地で出会う人との繋がりを通じて、男の子は少しずつ成長していきます
そして、自分の中にある魔法の力と向かいながら、色々な事を覚えていきます
カクヨム様と小説家になろう様にも投稿しております
人生初めての旅先が異世界でした!? ~ 元の世界へ帰る方法探して異世界めぐり、家に帰るまでが旅行です。~(仮)
葵セナ
ファンタジー
主人公 39歳フリーターが、初めての旅行に行こうと家を出たら何故か森の中?
管理神(神様)のミスで、異世界転移し見知らぬ森の中に…
不思議と持っていた一枚の紙を読み、元の世界に帰る方法を探して、異世界での冒険の始まり。
曖昧で、都合の良い魔法とスキルでを使い、異世界での冒険旅行? いったいどうなる!
ありがちな異世界物語と思いますが、暖かい目で見てやってください。
初めての作品なので誤字 脱字などおかしな所が出て来るかと思いますが、御容赦ください。(気が付けば修正していきます。)
ステータスも何処かで見たことあるような、似たり寄ったりの表示になっているかと思いますがどうか御容赦ください。よろしくお願いします。
攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?
伽羅
ファンタジー
転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。
このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。
自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。
そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。
このまま下町でスローライフを送れるのか?
英雄伝承~森人の章~ 落ちこぼれと言われて追放された私、いつの間にか英雄になったようです。
大田シンヤ
ファンタジー
人攫いによって主であるアルバを連れ去られ、その責任を問われ、森人族の里を追放されたリボルヴィア。主であるアルバを探すため、緑豊かなロンディウム大陸へと帰るために、まずは極寒の地である氷結大陸を目指す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる