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4-22 傷に触れたい
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「私には、四月以前のあなたの記憶がありません」
「……うん」
何度、言われても、やはり、受け入れがたい事実だった。それでも、僕は、もう一度、マナの口から、説明がなされるのを待つ。
「より正確には、今年の四月二日を含む、それ以前の記憶です」
「そうだったね」
「なぜ記憶がなくなったのかは不明です。しかし、私の記憶には、あなたという存在が欠落している。それは、今でも変わりません」
「……そっか」
「私が今後、あなたを思い出すことは決して、ありません。私はあなたを忘れたのではなく、私の記憶から、あなたのことだけが、跡形も残らず、消えたのです。誰かに記憶を覗かれたとしても、その痕跡すら見つけ出すことは不可能です」
わずかな望みもなかった。マナと過ごした二年間の思い出は、もう僕の中にしか残っていない。マナの顔を見るたびに、そのことばかりが思い返される。
でも、王女が記憶をなくしているなんて、誰にも言えなかった。それに、僕たちは城から逃げてきたのだ。だから、マナの家族にすら、言うことができなかった。それを、この間、蜂歌祭のときに、やっと、打ち明けられた。
「蜂歌祭のとき。私には、女王になる覚悟がなかった。そこで、初めて、欠落しているものの大きさに気がつきました。──あなたという存在が、私にとって、いかに大きかったかということです」
「……え?」
「少し、照れますね。えへへ」
──こっちが照れてしまいそうなほどの笑みだった。僕には彼女が何を言いたいのか分からなかったが、そんなこと、どうでもよくなるくらいの美しさだった。いや、でも、マナの言うことは出来る限り理解したい。
「でも、あのとき、マナを後押ししたのは、まなちゃんと、れなさんで──」
「あなたも来てくれた。そうですよね?」
「ぁ……」
「あなたが外で戦っているのが見えたから、私は勇気を出せたんです。あなたの前でカッコ悪い姿を見せたくなかったから」
「そんなこと、今まで一度も……」
言われたことがなかった。少なくとも、記憶を失う以前の彼女には。彼女は、どこまで、カッコいいのだろうか。
「いつも、だらしないところばかり見せているのに、なんだか不思議ですね」
「マナ……」
「もう一度、言います。──私と、婚約してくれますか?」
いつまで経っても、マナには勝てそうになかった。いいところも、全部持っていかれて。前も、こうやって、婚約しようと言ったのは、彼女の方だった。僕は、彼女のようになりたかった。
そして、やっと、僕は、気がついた。
「それとも、もう、私のことは嫌いになってしまいましたか?」
記憶を失った彼女に、僕は一度も、思いを伝えていないのだと。ずっと、思いを伝え続けていたから、伝わっているとばかり思っていた。
そして、それが、どれほど、彼女を不安にさせていたのかということを。その顔を見るまで、気がつかなかった。
「嫌いになんて、なるわけないじゃん……」
嫌う理由が見つからなかった。彼女はいつでも、完璧だった。優しかった。僕にとっては、もったいないくらいの存在だった。欠点と言えば、口笛が吹けないところくらいで、嫌なところと言えば、完璧すぎるところと、僕より少し、背が高いところくらいだった。
ここで、うなずけば、きっと、僕たちは幸せになれる。僕はただ、うなずくだけでいい。それを問う勇気は、マナに任せているから。
それでも、ダメだった。うなずこうとした瞬間、目の前が真っ暗になって、動けなくなってしまう。あがいても、その先へと進めない。
「──巻き込みたくないんだ。マナには、光の当たるところにいてほしいから」
「私があなたを、その妄執から解き放って、光の当たる方へと、連れ出します」
「無理なんだ……。僕は、君と一緒にいていいようなやつじゃない」
「魔王と手を組んでいるくらいでは、私はあなたから離れませんよ」
「知ってる。……でも、マナには、きれいなままでいてほしい。何も知らないでいてほしい。関わらせるわけにはいかない」
そう言って、今までもずっと、監視を手伝ってもらったりしていたけれど、魔王との契約については語ったことはない。どうしても、それだけは、知られたくない。
「どうしても、ですか」
「どうしても。だから僕は、君と別れたんだよ、マナ」
「そんなに辛そうな顔をしてまで、やらなければならないようなことなんですか」
「……そうだよ。だから──」
マナは僕を抱きしめた。マナだけは、不思議と、触れられても平気な存在だった。出会ったときから。
「許します。全部」
「全部って……、許されるわけがない。僕が、何をしてきたかも知らないくせに」
「知ってますよ」
マナは僕の背を指でなぞった。
「……うん」
何度、言われても、やはり、受け入れがたい事実だった。それでも、僕は、もう一度、マナの口から、説明がなされるのを待つ。
「より正確には、今年の四月二日を含む、それ以前の記憶です」
「そうだったね」
「なぜ記憶がなくなったのかは不明です。しかし、私の記憶には、あなたという存在が欠落している。それは、今でも変わりません」
「……そっか」
「私が今後、あなたを思い出すことは決して、ありません。私はあなたを忘れたのではなく、私の記憶から、あなたのことだけが、跡形も残らず、消えたのです。誰かに記憶を覗かれたとしても、その痕跡すら見つけ出すことは不可能です」
わずかな望みもなかった。マナと過ごした二年間の思い出は、もう僕の中にしか残っていない。マナの顔を見るたびに、そのことばかりが思い返される。
でも、王女が記憶をなくしているなんて、誰にも言えなかった。それに、僕たちは城から逃げてきたのだ。だから、マナの家族にすら、言うことができなかった。それを、この間、蜂歌祭のときに、やっと、打ち明けられた。
「蜂歌祭のとき。私には、女王になる覚悟がなかった。そこで、初めて、欠落しているものの大きさに気がつきました。──あなたという存在が、私にとって、いかに大きかったかということです」
「……え?」
「少し、照れますね。えへへ」
──こっちが照れてしまいそうなほどの笑みだった。僕には彼女が何を言いたいのか分からなかったが、そんなこと、どうでもよくなるくらいの美しさだった。いや、でも、マナの言うことは出来る限り理解したい。
「でも、あのとき、マナを後押ししたのは、まなちゃんと、れなさんで──」
「あなたも来てくれた。そうですよね?」
「ぁ……」
「あなたが外で戦っているのが見えたから、私は勇気を出せたんです。あなたの前でカッコ悪い姿を見せたくなかったから」
「そんなこと、今まで一度も……」
言われたことがなかった。少なくとも、記憶を失う以前の彼女には。彼女は、どこまで、カッコいいのだろうか。
「いつも、だらしないところばかり見せているのに、なんだか不思議ですね」
「マナ……」
「もう一度、言います。──私と、婚約してくれますか?」
いつまで経っても、マナには勝てそうになかった。いいところも、全部持っていかれて。前も、こうやって、婚約しようと言ったのは、彼女の方だった。僕は、彼女のようになりたかった。
そして、やっと、僕は、気がついた。
「それとも、もう、私のことは嫌いになってしまいましたか?」
記憶を失った彼女に、僕は一度も、思いを伝えていないのだと。ずっと、思いを伝え続けていたから、伝わっているとばかり思っていた。
そして、それが、どれほど、彼女を不安にさせていたのかということを。その顔を見るまで、気がつかなかった。
「嫌いになんて、なるわけないじゃん……」
嫌う理由が見つからなかった。彼女はいつでも、完璧だった。優しかった。僕にとっては、もったいないくらいの存在だった。欠点と言えば、口笛が吹けないところくらいで、嫌なところと言えば、完璧すぎるところと、僕より少し、背が高いところくらいだった。
ここで、うなずけば、きっと、僕たちは幸せになれる。僕はただ、うなずくだけでいい。それを問う勇気は、マナに任せているから。
それでも、ダメだった。うなずこうとした瞬間、目の前が真っ暗になって、動けなくなってしまう。あがいても、その先へと進めない。
「──巻き込みたくないんだ。マナには、光の当たるところにいてほしいから」
「私があなたを、その妄執から解き放って、光の当たる方へと、連れ出します」
「無理なんだ……。僕は、君と一緒にいていいようなやつじゃない」
「魔王と手を組んでいるくらいでは、私はあなたから離れませんよ」
「知ってる。……でも、マナには、きれいなままでいてほしい。何も知らないでいてほしい。関わらせるわけにはいかない」
そう言って、今までもずっと、監視を手伝ってもらったりしていたけれど、魔王との契約については語ったことはない。どうしても、それだけは、知られたくない。
「どうしても、ですか」
「どうしても。だから僕は、君と別れたんだよ、マナ」
「そんなに辛そうな顔をしてまで、やらなければならないようなことなんですか」
「……そうだよ。だから──」
マナは僕を抱きしめた。マナだけは、不思議と、触れられても平気な存在だった。出会ったときから。
「許します。全部」
「全部って……、許されるわけがない。僕が、何をしてきたかも知らないくせに」
「知ってますよ」
マナは僕の背を指でなぞった。
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