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4-10 それは先に知りたい
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そこは、冷たい空間だった。灰色の壁、床、天井。すべて、コンクリートでできている。僕の背より高いところに、小さな窓が一つ、その反対側に、扉があった。牢屋のようにも見えるが、それにしては少し様子が違う。
そこには、多数の本が並べられていた。そんな冷たい床に座り、真っ白な服の少女が一人、本を読んでいた。白い髪が、床につくくらい伸びている。集中していて気づいていないようだが、振り返られたらアウトだ。
少し離れた方がいいと判断し、僕は触れられない壁に体を半分埋める。片目は部屋、もう片方は特徴のない廊下を捉えていた。一度、やってみたかったのだ。
すると、声が聞こえてきた。
「──にんげんは、わたしが、まぞくだと、わかると、すぐに、わたしの、てあしを、しばりました。そして、きの、ぼうに、わたしを、くくりつけて、ひに、かけました。『たすけて!』そうさけんでも、だれも、たすけては、くれません」
少女はすらすらと音読していた。まだ背丈も僕の腰より低いくらいだ。普通なら、遊びたくて仕方のない年頃のはずだが。
「──にんげんは、とても、おそろしい、いきものです。にんげんは、かんたんに、ひとを、うらぎります。ときには、たいせつな、ひとを、ころすことも、あります。にんげんに、であったときは、ぜったいに、まぞくだと、きづかれては、いけません」
少女の頭には角、背中の辺りには尻尾が生えていた。少女は自身の角を撫で、指で尻尾をくるくるともて余し、
「角、引っ込め!」
急に、角を上から素手で叩いた。
「うぐっ! 痛い……」
「──!?」
僕は驚いて、思わず声を出しそうになる。角は手よりも固い。当然だ。さすがの僕でも分かる。
「ねえ、尻尾。ちょっと引っ込んでくれない?」
そういうと、尻尾は先の尖った部分で、少女の背中をぷすっと刺した。
「いぃつぅっ!? 何すんのよ! 痛いでしょ!?」
自分の尻尾に怒っていた。どうやら、尻尾は意思とは関係なく動くらしい。
それから、しばらく、なんとか引っ込められないかと試行錯誤していたが、やがて、諦めたのか、今度は窓に向かって、ぴょんぴょん跳ね始めた。よく見ると、そこだけ床の色が変わっていた。そして、ぶつぶつ何かを呟きながら、うんと考え込んでいるようだった。脱走でも計画しているのだろうか。見たところ、窓は小さな子どもなら通れそうな大きさだ。今の彼女なら、なんとか通れるだろう。
そのとき、鉄扉が開かれた。どうか、僕に気づきませんようにと願う。
「体調に変わりはないですか?」
「う、うん」
「少し、待っていてください」
部屋の外には、先ほどの薄い桃髪に水色の瞳の少女がいた。少女は愛想のいい笑みを浮かべていた。
「中に入れ」
「そんなに怖い顔しないでほしいな。ほら、お姉さんの美人な顔が台無しだよー?」
「早くしろ」
「はーい。ん? この子は?」
「本人に聞け」
「子どもにはもっと優しくするものだと思うなー」
そうして、扉に外側から鍵がされる。そのとき、僕は咄嗟に、くしゃみをしてしまった。
ふと見ると、少女はこちらに気がついていた。まあ、そんな気はしていた。このタイミングでくしゃみをした僕が悪い。
「あなた、誰?」
その声に釣られて振り向いた白髪の少女の顔は、赤い瞳で、どこか見覚えがあるような気がした。よく見えなかったけれど。
景色がどろどろに溶けて、回り始める。再び、現実に戻ってしまったらしい。
「おめエ、やる気あンのか、アアン?」
ヤバい人に襟首を掴まれ、眼前で威圧される。まだ二回しか失敗していないし、先ほどより長くいられたのだから、むしろ誉めてほしい。ふと、先ほどの少女の言葉が頭に浮かんだ。
「美人な顔が台無しだよ?」
「一発殴らせろや………」
「ごめんなさい!」
そうして、再び、過去に戻されそうになり、僕は待ったをかける。
「これ、多分、まなちゃんの髪の毛じゃないんだけど」
「アアン? ンなこた知らねエよ。おめエがこれ持って、オレに頼んできたンだろオが」
「それはその通りなんだけどさ」
まなちゃんの髪の毛は二色だ。そして、僕は、サイドテールの部分がまなちゃんの髪の毛だとは思っていない。
「だとしたら、これは──」
「ごちゃごちゃ言ってねエでとっとと行け」
「いや、でも、牢屋みたいな場所でさ。隠れるところがないんだよ」
「そりゃおめエ、動くから気づかれンだよ。水と一緒だ。静かにしてりゃア波は収まる」
「……それ、先に言っあばばばば」
問答無用と、机に投げ込まれた。
***
まなの脱走を手伝った。それが、魔王との契約だったから。──ああ、やっぱり、魔王なんて、ろくでもない。
全身が痛んだ。アザだらけになっていた。手枷がはめられていて、動くこともできなかった。生きるための大博打。この数年、今までのが全部、嘘だったかのように、平和に生きられた。だが、あの子を脱走させた瞬間に、これだ。
「あの子が逃げたと、魔王様に知られたら、殺される! 全部、お前のせいだ!」
「わたしは、魔王に頼まれて──」
「口答えするなあっ!」
「っ!」
鞭が肩に当たった。突き抜けるような痛みが襲ってくる。目の前のやつは、追いつめられて、何も考えられなくなっているらしい。──ただ、それは大きな間違いだった。
魔王は、まなを閉じ込めるように頼んではいないし、まなが八歳になる前に、脱走させるよう、わたしに頼んだのだ。しかし、臣下たちは、魔王が閉じ込めるように命令したと信じきっている。なぜ、そんなすれ違いが起きているのか。
それは、魔王が弱いからだ。彼は、自分の立場を気にするあまり、本当のことが言えなかったらしい。昔も今も。
白髪に赤目の女の子の魔族は、忌むべき存在とされており、生まれてすぐに殺すことになっているそうだ。魔王は殺す必要はないと考えた。臣下たちも、同じ思いだった。
だが、臣下たちは、魔王の本心など、少しも考えなかった。てっきり、殺すとばかり思っていたのだ。
そこで、妥協案として、まなを幽閉することにしたらしい。笑える話だ。なぜ誰も、気づかないのか。みんなが恐れる「魔王」など、存在しないのだと。
「貴様、何を笑っている──」
「ここには、馬鹿しかいないんだなーって」
「ふざけるな!」
「ふざけてるのはそっちでしょ!?」
「うるさいうるさいうるさい!」
痛い痛い痛い。なんで、わたしがこんな目に合わなければならないのだろう。──そうか。きっと、今までのツケが回ってきたのだ。人のものを盗んで、汚く生きてきたくせに、のうのうとしていたから。
今まで重ねた罪と、過ぎた幸せの分、一気に仕打ちがやってきたのだ。そうとでも思わないと、あまりにも、この痛みが理不尽で、壊れてしまいそうだった。でも、この痛みが自分だけのもので、良かった──、
「まゆみ!」
聞き覚えのある声に、わたしははっと顔を上げる。なんで、どうして、ここに、あの子が。髪が短くなっていた。だが、そんなこと、今はどうでもいい。
「まゆみをここから出してあげて。お願いします。私はもう、逃げたりしませんから」
「入れ!」
まなは突き飛ばされて、牢の中に戻ってくる。そして、わたしと同じように、枷をつけられた。
「まなに何するの。ねえ、やめて!」
「死ね! お前さえいなければ良かったんだ! お前が、あのとき、すぐに殺されていれば! 生まれてこなければ!」
無我夢中で鞭を振るう彼には、きっと、誰の声も届いていない。恐怖に支配されているのだ。そんな恐怖、どこにも存在しないというのに。
「やめてよ! まなに何もしないで!」
「うるさい!」
横凪ぎに払われた鞭が、目に当たった。これまでとは比べ物にならない痛みだ。うっすら、目を開けると、視界に赤色が広がる。──このままでは、いずれ殺される。
「まゆみに何をしたの……?」
「これは、お前の脱走を手伝った罰だ。お前のせいで、彼女はこんな目に合っているんだ」
そう言うと、男は下劣な笑みを浮かべてナイフを取り出し、わたしの腕を薄く切った。全身の毛穴が開き、心臓が急に鼓動を速めるような、冷たい痛みに、思わず叫びそうになるのを、歯を食いしばって耐える。──まなが隣にいたから。
「彼女を助けたいのなら、一つだけ方法がある」
男はまなに向かってそう言った。
そこには、多数の本が並べられていた。そんな冷たい床に座り、真っ白な服の少女が一人、本を読んでいた。白い髪が、床につくくらい伸びている。集中していて気づいていないようだが、振り返られたらアウトだ。
少し離れた方がいいと判断し、僕は触れられない壁に体を半分埋める。片目は部屋、もう片方は特徴のない廊下を捉えていた。一度、やってみたかったのだ。
すると、声が聞こえてきた。
「──にんげんは、わたしが、まぞくだと、わかると、すぐに、わたしの、てあしを、しばりました。そして、きの、ぼうに、わたしを、くくりつけて、ひに、かけました。『たすけて!』そうさけんでも、だれも、たすけては、くれません」
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「角、引っ込め!」
急に、角を上から素手で叩いた。
「うぐっ! 痛い……」
「──!?」
僕は驚いて、思わず声を出しそうになる。角は手よりも固い。当然だ。さすがの僕でも分かる。
「ねえ、尻尾。ちょっと引っ込んでくれない?」
そういうと、尻尾は先の尖った部分で、少女の背中をぷすっと刺した。
「いぃつぅっ!? 何すんのよ! 痛いでしょ!?」
自分の尻尾に怒っていた。どうやら、尻尾は意思とは関係なく動くらしい。
それから、しばらく、なんとか引っ込められないかと試行錯誤していたが、やがて、諦めたのか、今度は窓に向かって、ぴょんぴょん跳ね始めた。よく見ると、そこだけ床の色が変わっていた。そして、ぶつぶつ何かを呟きながら、うんと考え込んでいるようだった。脱走でも計画しているのだろうか。見たところ、窓は小さな子どもなら通れそうな大きさだ。今の彼女なら、なんとか通れるだろう。
そのとき、鉄扉が開かれた。どうか、僕に気づきませんようにと願う。
「体調に変わりはないですか?」
「う、うん」
「少し、待っていてください」
部屋の外には、先ほどの薄い桃髪に水色の瞳の少女がいた。少女は愛想のいい笑みを浮かべていた。
「中に入れ」
「そんなに怖い顔しないでほしいな。ほら、お姉さんの美人な顔が台無しだよー?」
「早くしろ」
「はーい。ん? この子は?」
「本人に聞け」
「子どもにはもっと優しくするものだと思うなー」
そうして、扉に外側から鍵がされる。そのとき、僕は咄嗟に、くしゃみをしてしまった。
ふと見ると、少女はこちらに気がついていた。まあ、そんな気はしていた。このタイミングでくしゃみをした僕が悪い。
「あなた、誰?」
その声に釣られて振り向いた白髪の少女の顔は、赤い瞳で、どこか見覚えがあるような気がした。よく見えなかったけれど。
景色がどろどろに溶けて、回り始める。再び、現実に戻ってしまったらしい。
「おめエ、やる気あンのか、アアン?」
ヤバい人に襟首を掴まれ、眼前で威圧される。まだ二回しか失敗していないし、先ほどより長くいられたのだから、むしろ誉めてほしい。ふと、先ほどの少女の言葉が頭に浮かんだ。
「美人な顔が台無しだよ?」
「一発殴らせろや………」
「ごめんなさい!」
そうして、再び、過去に戻されそうになり、僕は待ったをかける。
「これ、多分、まなちゃんの髪の毛じゃないんだけど」
「アアン? ンなこた知らねエよ。おめエがこれ持って、オレに頼んできたンだろオが」
「それはその通りなんだけどさ」
まなちゃんの髪の毛は二色だ。そして、僕は、サイドテールの部分がまなちゃんの髪の毛だとは思っていない。
「だとしたら、これは──」
「ごちゃごちゃ言ってねエでとっとと行け」
「いや、でも、牢屋みたいな場所でさ。隠れるところがないんだよ」
「そりゃおめエ、動くから気づかれンだよ。水と一緒だ。静かにしてりゃア波は収まる」
「……それ、先に言っあばばばば」
問答無用と、机に投げ込まれた。
***
まなの脱走を手伝った。それが、魔王との契約だったから。──ああ、やっぱり、魔王なんて、ろくでもない。
全身が痛んだ。アザだらけになっていた。手枷がはめられていて、動くこともできなかった。生きるための大博打。この数年、今までのが全部、嘘だったかのように、平和に生きられた。だが、あの子を脱走させた瞬間に、これだ。
「あの子が逃げたと、魔王様に知られたら、殺される! 全部、お前のせいだ!」
「わたしは、魔王に頼まれて──」
「口答えするなあっ!」
「っ!」
鞭が肩に当たった。突き抜けるような痛みが襲ってくる。目の前のやつは、追いつめられて、何も考えられなくなっているらしい。──ただ、それは大きな間違いだった。
魔王は、まなを閉じ込めるように頼んではいないし、まなが八歳になる前に、脱走させるよう、わたしに頼んだのだ。しかし、臣下たちは、魔王が閉じ込めるように命令したと信じきっている。なぜ、そんなすれ違いが起きているのか。
それは、魔王が弱いからだ。彼は、自分の立場を気にするあまり、本当のことが言えなかったらしい。昔も今も。
白髪に赤目の女の子の魔族は、忌むべき存在とされており、生まれてすぐに殺すことになっているそうだ。魔王は殺す必要はないと考えた。臣下たちも、同じ思いだった。
だが、臣下たちは、魔王の本心など、少しも考えなかった。てっきり、殺すとばかり思っていたのだ。
そこで、妥協案として、まなを幽閉することにしたらしい。笑える話だ。なぜ誰も、気づかないのか。みんなが恐れる「魔王」など、存在しないのだと。
「貴様、何を笑っている──」
「ここには、馬鹿しかいないんだなーって」
「ふざけるな!」
「ふざけてるのはそっちでしょ!?」
「うるさいうるさいうるさい!」
痛い痛い痛い。なんで、わたしがこんな目に合わなければならないのだろう。──そうか。きっと、今までのツケが回ってきたのだ。人のものを盗んで、汚く生きてきたくせに、のうのうとしていたから。
今まで重ねた罪と、過ぎた幸せの分、一気に仕打ちがやってきたのだ。そうとでも思わないと、あまりにも、この痛みが理不尽で、壊れてしまいそうだった。でも、この痛みが自分だけのもので、良かった──、
「まゆみ!」
聞き覚えのある声に、わたしははっと顔を上げる。なんで、どうして、ここに、あの子が。髪が短くなっていた。だが、そんなこと、今はどうでもいい。
「まゆみをここから出してあげて。お願いします。私はもう、逃げたりしませんから」
「入れ!」
まなは突き飛ばされて、牢の中に戻ってくる。そして、わたしと同じように、枷をつけられた。
「まなに何するの。ねえ、やめて!」
「死ね! お前さえいなければ良かったんだ! お前が、あのとき、すぐに殺されていれば! 生まれてこなければ!」
無我夢中で鞭を振るう彼には、きっと、誰の声も届いていない。恐怖に支配されているのだ。そんな恐怖、どこにも存在しないというのに。
「やめてよ! まなに何もしないで!」
「うるさい!」
横凪ぎに払われた鞭が、目に当たった。これまでとは比べ物にならない痛みだ。うっすら、目を開けると、視界に赤色が広がる。──このままでは、いずれ殺される。
「まゆみに何をしたの……?」
「これは、お前の脱走を手伝った罰だ。お前のせいで、彼女はこんな目に合っているんだ」
そう言うと、男は下劣な笑みを浮かべてナイフを取り出し、わたしの腕を薄く切った。全身の毛穴が開き、心臓が急に鼓動を速めるような、冷たい痛みに、思わず叫びそうになるのを、歯を食いしばって耐える。──まなが隣にいたから。
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