どうせみんな死ぬ。

桜愛乃際(さくらのあ)

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3-15 涙の理由を知りたい

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「まな、遅かったねー」

 扉を開け、その馴染みのある声に出迎えられて、私はやっと、肩の力を抜く。

「まな?」

 扉の鍵を閉め、そのままの格好で床に座り、膝を抱えてうずくまる。ユタとあかりは、もう宿舎に戻っているだろうか。

「よしよし」

 まゆに頭を撫でられて、少しずつ落ち着いていく。今、こうしている以上に無駄な時間など、きっと何もないだろう。

 昔から変わらない、まゆの手。今、心が、最も求めているもの。優しい手。私は、まだまだ子どもだった。

 ──命の石さえ見つかれば。そんなことを思った。

 私もユタのことを言えない。そんなこととも知らずに、よくも私は、あんなに偉そうに叱ることができたものだ。あのとき、ユタがこんな気持ちだと知っていたら、きっと、あんな風には怒れなかっただろう。

 そんな私に、まゆは何も聞かず、ただ、ずっと側にいてくれた。それが、彼女の優しさだった。

 そうして、そのまま眠りに落ちた。

***

「トンビアイス、食べたくない?」
「食べたいです」
「わたしもー!」

 思考は同じところを何度も巡る。ぐるぐるぐるぐる。なんの進展もなく、ただ、ずっと。そこで、足踏みしているのとなんら変わらない。

「じゃあ今日は、まなちゃんのおごりってことで」
「お願いしますね」
「トンビっトンビっ」

 それでも、どうしても、諦められない。それがいかに愚かで、ただ辛いだけであるか知っているのに。

 悩むことは、決して悪ではないだろう。だが、私は、この苦悩の先に、何もないことを知っているのだ。

 だとすれば、間違いなく、それは悪だ。無駄な時間だ。

「おーい、まなちゃーん?」
「あかりさんがカツアゲするから、怒ったのではないですか?」
「え、そうなの!? いや、そんなつもりじゃなくて、嫌だったら別に……」
「では、今日はあかりさんのおごりということで」
「あかりくん、ごちそうさまー!」
「……確かにそう言おうと思ってたけどさあ!」

 母を助けるには、チア草がいる。だが、チア草はずいぶん前に消えた、幻の草だ。本で調べた。図書館のパソコンでも調べた。一寸の疑いの余地もない。

「私、トンビアイス!」
「トンビアイスにトラポテ、それから、肉まんをお願いします」
「容赦ないね!? いいけどさ……まなちゃんは、どうする?」

 母の病名を聞いて、調べた。治療法がない。助からない。そんなことばかりが出てくる。症例も少ない。助かったという話は、どこにもなかった。

 怖い。怖い。怖い。

 それでも、立ち止まっている場合じゃないと、隅々まで調べた。医者に何度も説明を求めた。しかし、知れば知るほど、助からないのだという事実を突きつけられ、その都度、母を失う恐怖だけが増していった。

 もう、誰も失いたくないのに──、

「まなさん!」

 私は右手を引かれ、痛みに意識を持っていかれる。頭の天辺から冷たい血が流れてくるような感覚を得てもなお、私は何が起こったのか理解できずにいた。

 そして、クラクションが鳴った。

「信号、赤ですよ」
「え……」

 正面、信号は確かに赤だった。車に轢かれそうになったのだと、やっと、理解した。

「ごめんなさい。ぼーっとしてたわ」

 マナが屈んで、私の頬に手を当て、瞳を覗き込む。黄色の瞳は熟れた果実のように鮮やかで、健やかな感じがした。

「どうして、相談しないんですか?」
「相談? 何を?」
「ユタさんのお母様のことです」

 すべて、知っているかのようなその問いかけに、私は甘えてしまいそうになる。だが、言ったところでどうにもならない。

「ずっと、頑張りすぎです。もっと、頼ってください」
「木から落ちそうになったときとか、砂が溶けたときに十分助けてもらったし、感謝してるわ」

 チア草のときも、私は二人を頼ろうとした。たまたま、そこにマナもあかりもいなくて、代わりにギルデを連れていったというだけのこと。

「私は……っ! ──どうして、ですか」

 前者と同じで、「どうして相談しないのか」と聞いているようにも聞こえた。

 だが、前者とは違い、マナは泣きそうな顔をしていた。声が震えていた。私のせいで。

 それは、ほんの一瞬のことで、見間違いで済ますこともできそうだったが、──できなかった。

 でも、何をしてしまったのか、分からない。本当は、何を問いかけられているのか、分からない。なぜ、彼女は、そんな顔をするのだろう。

「どうしてって?」
「言ってくださらないと、私は何もすることができませんよ」
「言っても、どうせ、何もできないわ。もう、どうしようもないの」

 自分で放った言葉に、私は首を締められる。言葉にしたことで、ただ考えているときよりも、どうにもならない事実を実感させられた。

 ぽつりと、手に雫が当たった。それが、次第に勢いを増していく。

「うわ、雨だ……」
「傘、持ってきてないわね」

 ぱさっと傘が開かれて、私の頭上に差し出される。どうやら、この中で傘を持っているのはマナだけらしい。天気予報では、降水確率十%だったが、まさか降るとは。

「私の傘に入ってください」
「結構よ。どうせ、家に帰ったらすぐ、お風呂に入るから」
「ですが……」
「あたしじゃなくて、あかりを入れてあげなさい。まゆ、帰るわよ」
「雨、楽しいー!」
「転ばないようにね」
「こっちのセリフ!」

 私とまゆは走ってその場を去る。涙を雨に溶かしながら。

***

 ──遠のく少女の背中を見て、マナは一筋、涙をこぼす。

「泣いてる──?」

 あかりに問われたマナは傘を彼に渡し、上を向いて顔面に雨を浴びる。涙も、この気持ちも、すべて、洗い流してくれと。

「風邪引くよ?」
「引きません。風邪など、一度も引いたことがありませんから」
「またそうやって……」
「それよりも、まなさんを、一人にしないでください」

 しかし、あかりはその場を動こうとはしなかった。

「あなたも、まなさんに何かあれば困るのでしょう?」
「──じゃあ、置いていけると思う?」

 思わない。だから、僕のために傘に入れと、あかりはそう言っているのだ。なんと卑怯な言い方だろうか。

「入ってあげます。その代わり、少しでも私を濡らしたら、あなたの部屋を水浸しにします」
「いや、こんな雨の中、全く濡れないとか無理じゃない!?」
「私は濡れるのが嫌いなんですよ」
「うん、知ってた!」

 それ以上、特に会話を交わすこともなく、二人は宿舎へと戻った。
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