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2-13 起こしたい
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「はあ、はあ──」
壁に階段がついているのかと思いきや、そんな親切なものは設置されていなかった。つまり、壁を上るのに空を飛ぶしかなかった。私は再び、鞄に掴まり、まゆを片手で引っ張って、空の旅をした。二回目も全く楽しくなかった。というのも、途中、自然の風に吹かれて落ちかけたのだ。
「しし、死ぬかぁぁとお、思ったわぁぁ」
全身の震えが止まらなかったが、そんな様子を見て、あかりとまゆはケタケタ笑っていた。ここにマナがいてくれたら、少しは心配してくれたかもしれない。マナが恋しくなってきた。
「レックスー。僕だよ僕、開けてえ」
「だから、名乗りなさいって」
「レックスさーん! わたしだよわたしー」
「お姉ちゃんは知り合いじゃないでしょ……?」
その声に応えて、スライド式の木製扉が内側からぎいっと開かれ、中から中年の男が姿を見せる。燃えるような赤髪に、紅葉する前の山のような緑瞳。
「おお、あかり。久しぶりぃっ──!?」
男が手を上げて、挨拶しようとした瞬間、急に内側に吹き飛んだ。いや、
「マナはどこ? ねえ?」
あかりに容赦なく、顔面を殴られたのだ。しかも、自分が痛くないように、あかりは手に土のグローブをはめている。私は言葉を失った。
「し、知らん」
「嘘だね。レックスは後ろめたいことがあると、反応速度が遅くなるから」
「殴って確認するなよ! あいててて……どっこいしょっと」
膝に手をつき、まるっきり、おっさんの動きで立ち上がった。赤黒く腫れていた頬は、知らない間にすっかり治っていた。彼も魔法が得意らしい。
「後ろめたいこと、あるよね? ねえ?」
あかりは怒ると語尾が、ねえ? になるらしい。鬱陶しい。
「あー……まさか、こんなに早く来るとはな」
「ん? 何? 僕のすっからかんの脳ミソじゃ、レックスのことなんてもう忘れてると思ったの? ねえ?」
事実、忘れていたと思うのだが。あかりは、さも、覚えていた風にレックスを責める。
「すっからかんとは思っとらんよ。だがまあ、確かに、あと三日は辿り着かんだろうと、高を括ってはいたが……」
「そんなことどうでもいいから、マナはどこ? ねえ?」
「あーもう! ねえねえねえねえうるさいわ!」
「ぐえっ!」
今まで蓄積された分に耐えかねて、私はあかりの長い髪を引っ張った。今の話し方だけでなく、空に無理やり連れていかれたこととか、話を聞く気がないところとか、その他もろもろのストレス分だ。まゆは、他人の家だというのに、我が物顔でその辺のソファに寝ているし。まったく。
「あなたも、早く答えてもらえます? あたしたち、今日が休日だから来てるんですよ。明後日から学校なんですよ。あかりに宿題やらせなきゃいけないんですよ、危うく単位落としかけてるんですよ! 分かります!?」
「単位に関してはオレは悪くない!」
今のは完全な八つ当たりだ。「やばっ、忘れてた」とあかりの顔には書いてあった。十回連続で忘れて、一時間も指導されておいて、よくもまあ、忘れられるものだ。ティカ先生に報告してやろうか。
「マナはここにいるんですか?」
「だから、知らんって」
「知ってるでしょ? ねえ?」
そうして、あかりに問い詰められたレックスは、長いため息をついて、両手を上げた。
「そこまで確信してるんならお手上げだ。降参降参。どうせ、トイスに聞いたんだろ?」
「そうだけど? ねえ?」
「ねえねえうるせえなあ……ねえ? とにかく、順を追って説明するから、その辺に座れ。茶淹れてくる」
「そんなのいらないから早く──」
突如、パタンとあかりが横になった。まるで、突然、人形になってしまったかのように、なんの前触れもなく。
「ちょっと、あかり──」
と、体を揺すろうとして、先の一件を思いだし、私は手を引っ込める。
「あら? 嬢ちゃん、寝ないのな」
おそらく、魔法の眠り薬だろう。魔力に働きかけることで、眠りを促すものだ。目の前の男は、風でマスクでもしているのだろう。知っていれば防ぎようもある薬だ。そもそも、私には効かないけれど。
「鍛え方が違うのよ」
はっきりと分かった。彼は敵だ。それならば、敬う必要もない。
***
あかりは寝ているだけだ。そこまで心配することもないだろうと、私は出されたお茶に、躊躇いなく口をつける。味から毒を割り出せれば結構だが、私にそういった特殊な技術はない。知識はあるけれど。
「おっ、勇気があるなぁ。美味いか?」
「普通。市販の麦茶の味がするわ」
「大正解」
薬が効かないのは結構だが、戦う術もないので、どうしようかと、頭を悩ませる。現在、向こうに戦闘の意思がないことだけが幸いだ。私が身構えたところで、相手がその気になれば瞬殺だろう。
「嬢ちゃん、あかりがやられてるってのに、危機感とかなさそうだな?」
「は? なんであかりごときがやられたくらいで、あたしが動揺しないといけないわけ? それに、授業中はずっと寝てるし、今さら薬で寝たくらいで、驚けっていう方が無理な話ね」
「──ハッハッハッ! そりゃあ傑作だ!」
レックスが全く手をつけないところから見て、このお茶には速効性の、相当強い眠り薬が混ぜられているのだろう。二、三、名前が浮かんだが、まだ特定はできない。
「嬢ちゃん、名前を聞いてもいいか?」
「まなです。マナ・クレイア。あっちは、まゆみ」
本来なら、知らない相手に名前なんて言わない方がいいのだが、どうせ呪いも魔法も効かないし、このご時世、名前という個人情報にたいした秘匿性もない。それからしばらく間があって、
「……マナ・クレイア?」
「人の名前を意味深に呟かないでくれる?」
「おおっと、悪ぃ悪ぃ。この歳になっても、嘘と隠し事は下手でねぇ」
「さっさと吐いたらどう?」
「そうしたいのは山々なんだが……、まあ、大人には大人の事情ってもんがあんのよ」
どうせ教えてくれないだろう。ならばと、違うことを聞いてみる。
「この薬、どこから出てるの?」
「オレが魔法で作って、風で流した」
「へえ。薬、詳しいわけ?」
「いーや。ちょちょーっと、ネットで調べただけだ」
「──そう」
素人でも簡単に作れる即効性の魔法型睡眠薬となれば、一つしかない。
「ネムルン」
瞬間、レックスの顔が驚愕で満たされたのが分かった。私が突然おかしなことを言い出したから、ではなく、それが、使われている睡眠薬の名前だったからだろう。
「まな……二号! お前さん、死ぬほど頭いいな!」
「その評価はありがたいけれど、たまたま知ってただけよ。あと、二号って呼び方、すごく気に触るからやめなさい」
私は常に持ち歩いている鞄から、小瓶を二つ取り出し、混ぜて、注射器に入れる。この鞄は別にトンビアイスを持ち運ぶためだけに持っているわけではない。魔法が使えないなりに、知識による対抗手段を用意してあるのだ。
「うわっ、オレ、注射とか針とか、無理なんだわ」
「安心して。あんたに投薬するわけじゃないわ」
レックスが目をそらしている隙に、私はその針を、あかりの腕に斜めに入れる。なんとなく、あかりも注射は苦手そうなので、素早く終わらせ、注射器をしまう。
「え、何したん?」
「ネムルンを打ち消す薬を投薬しただけ。覚せい剤はさすがに入手が難しいから、もっと別のやつね」
「……冗談きついぜ」
直後、氷の剣を手にしたあかりが、得物をレックスの喉元に突きつけ、床に頭をつけさせていた。あかりは、もう、何も言わなかった。何が言いたいかはレックスも分かっているだろうし、これ以上会話しても、かわされ続けるだけだと判断したのだろう。
「この体勢だと話しづらいから、起き上がらせてくれねえ?」
「──」
「はいはい、今度こそ本当に降参だよ」
普段うるさいやつが黙ると怖いということを、私は学んだ。
壁に階段がついているのかと思いきや、そんな親切なものは設置されていなかった。つまり、壁を上るのに空を飛ぶしかなかった。私は再び、鞄に掴まり、まゆを片手で引っ張って、空の旅をした。二回目も全く楽しくなかった。というのも、途中、自然の風に吹かれて落ちかけたのだ。
「しし、死ぬかぁぁとお、思ったわぁぁ」
全身の震えが止まらなかったが、そんな様子を見て、あかりとまゆはケタケタ笑っていた。ここにマナがいてくれたら、少しは心配してくれたかもしれない。マナが恋しくなってきた。
「レックスー。僕だよ僕、開けてえ」
「だから、名乗りなさいって」
「レックスさーん! わたしだよわたしー」
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その声に応えて、スライド式の木製扉が内側からぎいっと開かれ、中から中年の男が姿を見せる。燃えるような赤髪に、紅葉する前の山のような緑瞳。
「おお、あかり。久しぶりぃっ──!?」
男が手を上げて、挨拶しようとした瞬間、急に内側に吹き飛んだ。いや、
「マナはどこ? ねえ?」
あかりに容赦なく、顔面を殴られたのだ。しかも、自分が痛くないように、あかりは手に土のグローブをはめている。私は言葉を失った。
「し、知らん」
「嘘だね。レックスは後ろめたいことがあると、反応速度が遅くなるから」
「殴って確認するなよ! あいててて……どっこいしょっと」
膝に手をつき、まるっきり、おっさんの動きで立ち上がった。赤黒く腫れていた頬は、知らない間にすっかり治っていた。彼も魔法が得意らしい。
「後ろめたいこと、あるよね? ねえ?」
あかりは怒ると語尾が、ねえ? になるらしい。鬱陶しい。
「あー……まさか、こんなに早く来るとはな」
「ん? 何? 僕のすっからかんの脳ミソじゃ、レックスのことなんてもう忘れてると思ったの? ねえ?」
事実、忘れていたと思うのだが。あかりは、さも、覚えていた風にレックスを責める。
「すっからかんとは思っとらんよ。だがまあ、確かに、あと三日は辿り着かんだろうと、高を括ってはいたが……」
「そんなことどうでもいいから、マナはどこ? ねえ?」
「あーもう! ねえねえねえねえうるさいわ!」
「ぐえっ!」
今まで蓄積された分に耐えかねて、私はあかりの長い髪を引っ張った。今の話し方だけでなく、空に無理やり連れていかれたこととか、話を聞く気がないところとか、その他もろもろのストレス分だ。まゆは、他人の家だというのに、我が物顔でその辺のソファに寝ているし。まったく。
「あなたも、早く答えてもらえます? あたしたち、今日が休日だから来てるんですよ。明後日から学校なんですよ。あかりに宿題やらせなきゃいけないんですよ、危うく単位落としかけてるんですよ! 分かります!?」
「単位に関してはオレは悪くない!」
今のは完全な八つ当たりだ。「やばっ、忘れてた」とあかりの顔には書いてあった。十回連続で忘れて、一時間も指導されておいて、よくもまあ、忘れられるものだ。ティカ先生に報告してやろうか。
「マナはここにいるんですか?」
「だから、知らんって」
「知ってるでしょ? ねえ?」
そうして、あかりに問い詰められたレックスは、長いため息をついて、両手を上げた。
「そこまで確信してるんならお手上げだ。降参降参。どうせ、トイスに聞いたんだろ?」
「そうだけど? ねえ?」
「ねえねえうるせえなあ……ねえ? とにかく、順を追って説明するから、その辺に座れ。茶淹れてくる」
「そんなのいらないから早く──」
突如、パタンとあかりが横になった。まるで、突然、人形になってしまったかのように、なんの前触れもなく。
「ちょっと、あかり──」
と、体を揺すろうとして、先の一件を思いだし、私は手を引っ込める。
「あら? 嬢ちゃん、寝ないのな」
おそらく、魔法の眠り薬だろう。魔力に働きかけることで、眠りを促すものだ。目の前の男は、風でマスクでもしているのだろう。知っていれば防ぎようもある薬だ。そもそも、私には効かないけれど。
「鍛え方が違うのよ」
はっきりと分かった。彼は敵だ。それならば、敬う必要もない。
***
あかりは寝ているだけだ。そこまで心配することもないだろうと、私は出されたお茶に、躊躇いなく口をつける。味から毒を割り出せれば結構だが、私にそういった特殊な技術はない。知識はあるけれど。
「おっ、勇気があるなぁ。美味いか?」
「普通。市販の麦茶の味がするわ」
「大正解」
薬が効かないのは結構だが、戦う術もないので、どうしようかと、頭を悩ませる。現在、向こうに戦闘の意思がないことだけが幸いだ。私が身構えたところで、相手がその気になれば瞬殺だろう。
「嬢ちゃん、あかりがやられてるってのに、危機感とかなさそうだな?」
「は? なんであかりごときがやられたくらいで、あたしが動揺しないといけないわけ? それに、授業中はずっと寝てるし、今さら薬で寝たくらいで、驚けっていう方が無理な話ね」
「──ハッハッハッ! そりゃあ傑作だ!」
レックスが全く手をつけないところから見て、このお茶には速効性の、相当強い眠り薬が混ぜられているのだろう。二、三、名前が浮かんだが、まだ特定はできない。
「嬢ちゃん、名前を聞いてもいいか?」
「まなです。マナ・クレイア。あっちは、まゆみ」
本来なら、知らない相手に名前なんて言わない方がいいのだが、どうせ呪いも魔法も効かないし、このご時世、名前という個人情報にたいした秘匿性もない。それからしばらく間があって、
「……マナ・クレイア?」
「人の名前を意味深に呟かないでくれる?」
「おおっと、悪ぃ悪ぃ。この歳になっても、嘘と隠し事は下手でねぇ」
「さっさと吐いたらどう?」
「そうしたいのは山々なんだが……、まあ、大人には大人の事情ってもんがあんのよ」
どうせ教えてくれないだろう。ならばと、違うことを聞いてみる。
「この薬、どこから出てるの?」
「オレが魔法で作って、風で流した」
「へえ。薬、詳しいわけ?」
「いーや。ちょちょーっと、ネットで調べただけだ」
「──そう」
素人でも簡単に作れる即効性の魔法型睡眠薬となれば、一つしかない。
「ネムルン」
瞬間、レックスの顔が驚愕で満たされたのが分かった。私が突然おかしなことを言い出したから、ではなく、それが、使われている睡眠薬の名前だったからだろう。
「まな……二号! お前さん、死ぬほど頭いいな!」
「その評価はありがたいけれど、たまたま知ってただけよ。あと、二号って呼び方、すごく気に触るからやめなさい」
私は常に持ち歩いている鞄から、小瓶を二つ取り出し、混ぜて、注射器に入れる。この鞄は別にトンビアイスを持ち運ぶためだけに持っているわけではない。魔法が使えないなりに、知識による対抗手段を用意してあるのだ。
「うわっ、オレ、注射とか針とか、無理なんだわ」
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レックスが目をそらしている隙に、私はその針を、あかりの腕に斜めに入れる。なんとなく、あかりも注射は苦手そうなので、素早く終わらせ、注射器をしまう。
「え、何したん?」
「ネムルンを打ち消す薬を投薬しただけ。覚せい剤はさすがに入手が難しいから、もっと別のやつね」
「……冗談きついぜ」
直後、氷の剣を手にしたあかりが、得物をレックスの喉元に突きつけ、床に頭をつけさせていた。あかりは、もう、何も言わなかった。何が言いたいかはレックスも分かっているだろうし、これ以上会話しても、かわされ続けるだけだと判断したのだろう。
「この体勢だと話しづらいから、起き上がらせてくれねえ?」
「──」
「はいはい、今度こそ本当に降参だよ」
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