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13.晴太郎の音(8)
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しかし、誰にどんなに褒められても晴太郎はまだ満足出来ない。まだ一番褒めて欲しい人に褒められていないからだ。一番聴いて欲しかった人に、まだ感想を聞いていない。
「あのさ、七海……どこにいるか知らない?」
どんな時も、一番に晴太郎の元へ駆けつけてくれるのは七海なのに。なぜか今日はまだ来てくれない。
思い返してみると、七海は昔からピアノの演奏会の時だけ、いつも一番に来てくれない。晴太郎の演奏が終わるとみんながこうやって来てくれるのに、七海だけ後から走って来るのだ。今日もそうだ。いったいどこで何をしているのだろうか。
晴太郎の問いに、ふたりは顔を見合わせてくすくすと笑い出した。何か変なことを言っただろうか。
「七海は、あの様子じゃあ……」
「そうね。もうちょっと後で来るかも」
「えっ、なんで?」
ふたりは七海がどこで何をしているか知っているようだ。すぐに来てくれないことに、何か理由があるのだろうか。本当にわからなくて首を傾げた。
「晴ちゃんは知らないかもだけど……七海、泣いちゃうのよ」
「えっ、七海が?」
「うん。七海ってああ見えて涙脆いだろ? 晴太郎の演奏を聴くと、泣くほど感動しちゃうんだって」
「そう、なんだ……」
ふたりとも同じことを言うので、きっと事実なのだ。晴太郎は驚きを隠せない。今まで七海はそんな素振りを一度も見せたことが無かった。
どうして隠す? 大人なのにみっともないから? そんな事、隠さなくても格好悪いなんて思わないのに。
「晴ちゃんと約束したって言ってたけど、なんの事かわかる?」
紗香の言葉で、はっとした。以前、七海と約束をしたことを思い出した。確かあれは、まだ晴太郎が小学生だった頃。
——約束します。坊ちゃんが悲しくならないように、私はあなたの前で泣きません。
晴太郎が今まで忘れてしまっていたような、なんて事ない小さな約束。しかし七海はこれをしっかり覚えていて、今日までずっと守ってくれた。——本当は涙脆いのに、晴太郎の前ではずっと涙を隠していた。
なんて律儀なのだろうか。どうして彼は、こんなにも自分とのことを大事にしてくれるのだろうか。
ぎゅうっと胸が締め付けられる。ぶわ、と温かいものが身体中を包み込む。七海のことを、愛しいと思った。大好きだと、改めて思った。
——早く七海の顔が見たい。早く七海に会いたい。
待ち遠しい、早く来いとドアに視線を向けた、その時。
バタン、と勢いよくドアが開いた。
「すみません、晴太郎様! 遅くなってしまい……わっ!」
「七海っ!」
七海の姿を見て、いてもたったも居られず勢いよく抱き着いた。
「なあ、俺どうだった?」
「すごく、ものすごく素敵でした。格好良かったです」
「最後まで、ちゃんと聴いてくれた?」
「ええ、もちろんです」
七海に抱き着いたまま顔を見上げると、目元が少しだけ赤くなっていた。きっとそれは、無理やりゴシゴシと拭った涙の跡。
こんなに近くに、自分のピアノで心を動かしてくれる人がいるなんて。
自分がピアノを弾くことで、大切な人たちが喜んでくれる。晴太郎の音で、涙を流すくらい喜んでくれる人がいる。
もっと色んな人の心を動かしたい。笑顔にしたい。大切な人に喜んで欲しい。
——そのために自分にできる事は? 考えなくても分かる。ひとつしかない。
「七海」
「はい?」
「俺、ピアノ頑張ってみる」
中条晴太郎の音を奏でる。それが自分にできる、みんなを喜ばせる方法だ。
「あのさ、七海……どこにいるか知らない?」
どんな時も、一番に晴太郎の元へ駆けつけてくれるのは七海なのに。なぜか今日はまだ来てくれない。
思い返してみると、七海は昔からピアノの演奏会の時だけ、いつも一番に来てくれない。晴太郎の演奏が終わるとみんながこうやって来てくれるのに、七海だけ後から走って来るのだ。今日もそうだ。いったいどこで何をしているのだろうか。
晴太郎の問いに、ふたりは顔を見合わせてくすくすと笑い出した。何か変なことを言っただろうか。
「七海は、あの様子じゃあ……」
「そうね。もうちょっと後で来るかも」
「えっ、なんで?」
ふたりは七海がどこで何をしているか知っているようだ。すぐに来てくれないことに、何か理由があるのだろうか。本当にわからなくて首を傾げた。
「晴ちゃんは知らないかもだけど……七海、泣いちゃうのよ」
「えっ、七海が?」
「うん。七海ってああ見えて涙脆いだろ? 晴太郎の演奏を聴くと、泣くほど感動しちゃうんだって」
「そう、なんだ……」
ふたりとも同じことを言うので、きっと事実なのだ。晴太郎は驚きを隠せない。今まで七海はそんな素振りを一度も見せたことが無かった。
どうして隠す? 大人なのにみっともないから? そんな事、隠さなくても格好悪いなんて思わないのに。
「晴ちゃんと約束したって言ってたけど、なんの事かわかる?」
紗香の言葉で、はっとした。以前、七海と約束をしたことを思い出した。確かあれは、まだ晴太郎が小学生だった頃。
——約束します。坊ちゃんが悲しくならないように、私はあなたの前で泣きません。
晴太郎が今まで忘れてしまっていたような、なんて事ない小さな約束。しかし七海はこれをしっかり覚えていて、今日までずっと守ってくれた。——本当は涙脆いのに、晴太郎の前ではずっと涙を隠していた。
なんて律儀なのだろうか。どうして彼は、こんなにも自分とのことを大事にしてくれるのだろうか。
ぎゅうっと胸が締め付けられる。ぶわ、と温かいものが身体中を包み込む。七海のことを、愛しいと思った。大好きだと、改めて思った。
——早く七海の顔が見たい。早く七海に会いたい。
待ち遠しい、早く来いとドアに視線を向けた、その時。
バタン、と勢いよくドアが開いた。
「すみません、晴太郎様! 遅くなってしまい……わっ!」
「七海っ!」
七海の姿を見て、いてもたったも居られず勢いよく抱き着いた。
「なあ、俺どうだった?」
「すごく、ものすごく素敵でした。格好良かったです」
「最後まで、ちゃんと聴いてくれた?」
「ええ、もちろんです」
七海に抱き着いたまま顔を見上げると、目元が少しだけ赤くなっていた。きっとそれは、無理やりゴシゴシと拭った涙の跡。
こんなに近くに、自分のピアノで心を動かしてくれる人がいるなんて。
自分がピアノを弾くことで、大切な人たちが喜んでくれる。晴太郎の音で、涙を流すくらい喜んでくれる人がいる。
もっと色んな人の心を動かしたい。笑顔にしたい。大切な人に喜んで欲しい。
——そのために自分にできる事は? 考えなくても分かる。ひとつしかない。
「七海」
「はい?」
「俺、ピアノ頑張ってみる」
中条晴太郎の音を奏でる。それが自分にできる、みんなを喜ばせる方法だ。
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