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90話 行き倒れ

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(う、痛っ! ……ここは、どこだ?)

 戦の喧騒が去った翌朝、スタブロスは目が覚めた。
 周囲は見渡す限りの森、ところどころに兵士の死骸が転がっている。

 よく見れば、死骸はスタブロスの故郷エーリスの兵のようだ。

(そう……だ、僕は兵士として魔族と戦ったんだ)

 兵役は市民の義務ではあるが、19才のスタブロスはこれが初めての軍役だった。
 まるで自分の置かれた状況が理解できず、ただ『負けたのか』とぼんやりと考えるだけである。

(どうしよう? はぐれた時は基地に行けっていわれたけど)

 スタブロスは肉屋の倅だ、都市防壁の内側が世界の大半だった。
 そんな彼には森の中の景色は全て同じに見える。
 道筋を記憶し、1人で引き返すなど不可能だった。
 現実味を感じられない頭で、ぼんやりと味方の死骸を眺めるだけである。

 どれだけそうしていただろうか、遠くでなにかが動く気配がし、スタブロスを現実に引き戻した。
 急いで身を起こし、立ち上がると目眩がした。

(ぐっ、痛い……頭と首を怪我してるのか?)

 確認すると兜がない。
 頭部の違和感に触れると真っ黒に乾いた血がパラパラと剥がれ落ちた。
 血は止まっているようだ。
 首に外傷はない。

「あ、兜……背中か」

 鉄製の兜はあごひもで首に引っ掛かり、背中にぶら下がっていた。
 見事に割れている。

(思い出した――コボルドに囲まれて……ワーウルフに棍棒で殴られたんだ)

 おそらく頭がかち割れたから死んだと思われたのだろう。
 スタブロス自身も死んだと思ったのだから無理もない。

(はは、生きてる……ついてた)

 ほっと息をついたのも束の間、なにかの気配が近づいてきた。

(やばい、あれはスケルトンだ!?)

 スケルトンは敵の主力兵だ。
 この恐るべき殺し屋はスタブロスの仲間を何人も殺していた。

 神を冒涜する動く死者、その姿を見ただけで体はおこり・・・のように震え、下腹はぎゅっと痛くなる。

(見つかれば殺される、逃げなくちゃ)

 2体のスケルトンは、なにやら兵の死骸をひとつひとつ確認しているようだ。
 息のある者にトドメを刺しているのだろうか。

 スタブロスは近くの死体に『ごめん』と心の中で謝り、兜と背嚢をはぎとった。
 背嚢には水筒と食料があるはずだ。
 自らの物と合わせれば数日はもつだろう。

 他人の兜はぶかぶかで臭いもキツいが、ないよりはましだ。
 身を鉄で固めると、少しだけ震えが治まった。

(よし、離れよう。一気に逃げる!)

 情けなくも逃走の覚悟を決めて走り出す。
 だが、危険に背を向けて走るのはなかなか度胸がいることだ。
 このスタブロス、必死なこともあるが、なかなか思いきりがよい。

 しかし、なぜかスケルトンたちはスタブロスには見向きもせずに死体を担ぎ上げていた。



☆★☆☆



 そして、スタブロスは完全に森で迷った。
 始めにスケルトンからメチャクチャに逃げたのがよくなかったのかもしれない。

(おかしい、もうさすがに海に出なきゃおかしいのに)

 自分なりに基地に戻るつもりだったのだが、何日歩いても変わらぬ森の中だ。
 いや、何日もというのすら怪しい。
 深い森は日の光を遮り方向感覚は失われ、時間の経過すらつかめない。

 疲労はべったり体に張りつき、足は棒のようだ。
 左手は気持ちの悪い虫に刺されてから赤黒くなり倍に腫れている。
 水も食料も尽きた。
 奇妙な獣に引っ掛かれたすねはじゅくじゅくと膿み、幾重にも重なる枝や葉はヤスリのように身を削る。
 殴られた頭はいつまでもズキズキと痛んだ。

 なにより、寒い。
 咳が止まらない。
 どうしようもなく喉が痛み、痰にも血が混じりはじめた。

 スタブロスはもう、自分がどこに向かって歩いているのかサッパリわからない。
 ただ、昼も夜もなく歩いた。
 足を止めたら殺される――半ば狂気に犯された頭はそれしか考えられない。

 そして、倒れた。

 小さな物音に怯え神経をすり減らし、疲労と空腹で体を支えることもできない。

(……もう、どうでもいいや)

 自らの死を受け入れ、重いまぶたを半ばまで閉じたとき誰かの声が聞こえた。

「まだ息があるわ、助けなきゃ『でも人間だよ』そんなこといっても『里の人もたくさん殺されて』私たちだって助けられたのよ『それは分かるけど』いいから姉さんのいうことを――」

 意識が朦朧とし、うまく理解できないが誰が言い争っているようだ。

「あの、大丈夫ですかっ!?」

 誰かが体を揺すり、のぞき込んでくる。
 清らかで、優しげな白い髪の女性だ。

(きれいだ、こんなきれいな人を見たのは初めてだ)

 遠くなる思考の中で『迎えに来てくれた天使かもしれない』などと下らないことを考える。

 スタブロス自身あまり信心深い方ではないが、この時ばかりは神に感謝を捧げ、安堵の中で意識を手放した。



■■■■


スタブロス

エーリス市民の若者。
兵役は市民の義務であり、父親から受け継いだ武具に身を固めて遠征軍に加わった。
武芸は兵役時の訓練のみで大したことない。
なんら政治的な野心をもたない肉屋の倅である。
成人しているものの童顔で線が細い。
年相応に惚れっぽい様子。
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