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29話 見知らぬ土地へ

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 目が覚めて、大きく息を吸う。
 しかし、あまりのホコリっぽさにむせてしまった。

(あ、ここは……そうだ。私たちは――)

 となりのベッドで眠る弟を見て、モリーはポロリと涙をこぼした。

 ここはモリーたち一族の春の家。
 エルフと争いになり、ひと晩かけて必死に逃げてきた。
 緊急時に1つ先の季節の家まで逃げるのは一族みんなの取り決めだった。
 祖母、両親、伯父夫婦、叔父、従兄弟たち……みんなの約束だ。

 そして、誰もここに来ていない。

 1度堰が切れると、もう止まらない。
 我慢できずに大声をあげて泣いてしまった。

(これだったんだ。昨日、泣くなっていわれたのは)

 もう、こうなったら自分でも止められない。
 あまりにも泣いたので、寝ていた弟のピーターも起きてしまい、一緒に泣いてしまった。

「ピーター、泣かなくていいのよ、皆とまた会えるわ」

 こう慰める自分が泣いている矛盾にモリーは気づいていない。
 姉とはこうしたものなのだ。

 しばらくしてピーターが「ウンチ」と泣き止んだ。
 こうした時でも人に便意はあるらしい。

 モリーがピーターを連れて外に出ると日はすでに高く、雪がキラキラと陽光を反射していた。

「わっ、眩しいね!」
「本当! こんなに寝てたのね」
 姉弟はその予想外の明るさに目を細めた。

(こんなにお日さまが高くなるまで寝てたなんて)

 本当なら朝食のとき、聖霊たちに食の一部を捧げるのだが今日はしていない。
 モリーは少し罪悪感を感じながら「ほら、しておいで」とピーターをうながした。

 目が慣れるや、ピーターは慌てて茂みに飛び込み、姿を隠す。
 よほど便意がさし迫っていたらしい。

 ピーターはまだ生まれてから6度目の冬だ。
 まだまだ幼いのである。

「お姉ちゃん、こっち来て!」

 ほどなくすると、なにやらピーターが騒いでいる。
 どうせ『大きいウンチがでた』とかそんな話だろう。

「早く来てよ! 大変なんだよ!」
「嫌よ。お姉ちゃんウンチなんか見たくないわ」

 モリーは嫌がるとピーターは「違うよ!」と大声を上げる。

「フローラだよ! フローラが来たよ!」
「ええっ! 本当に!? 怪我はしているの!?」

 フローラとはモリーとピーターの又従姉妹またいとこだ。
 ここに来るまでに、はぐれてしまったが無事だったらしい。

「モリー、ピーター、よかった、無事だったの?」
「ええ、ええ! 聖霊様が助けてくれたの。親切な人が助けてくれたのよ!」

 フローラはモリーと同年で11回目の冬を迎えたヤギ人の女の子だ。
 血のつながりは薄いけれど、少し事情があって母親と一緒にモリーたちの群れにいた。
 ほんの少しだけモリーより早く生まれており、いつも年上ぶるフローラだがさすがに顔色が悪い。

「そう、私たちは助けてもらえなかった……きっと、あなたたちを見捨てたからバチがあたったんだわ」
「そんな、そんなことないわ」

 モリーがなだめるが、フローラはわんわんと泣き出してしまった。
 先ほどの自分と同じ、安心して感情が抑えられなくなったのだ。

「大丈夫よ、私たちを助けてくれた人が今日も見に来てくれるの。ほら、あそこに槍があるでしょう?あれが約束なの、とても威厳があって優しい人よ」

 脱糞を終えたピーターも協力し、フローラの両脇を抱えるようにして家に連れて帰ることにした。

 フローラの話によると、彼女はモリーとピーターがはぐれたことに気づいたが、そのまま逃げてしまったらしい。
 そして、それからヤマネコのような大きな獣に襲われ散り散りとなり、彼女は明るくなるまで隠れていたそうだ。

「皆を、皆を見捨てて逃げてきた……バチがあたったのよ」

 モリーにしてみれば、そののちにスケサンに救われたのだから気に病まなくてもよいとは思う。
 だが、他の従兄弟たちが獣に襲われたのはショックだ。

(私たちも1つ違っていたら――)

 モリーは昨夜のオオカミの遠吠えを思いだし、震えが止まらなくなった。

「お姉ちゃん、お腹がすいたよ」

 モリーはピーターの緊張感のない一言で我に返った。
 考えてみれば食べ物どころか水も飲んでいない。

「そうね、でも水もないし、余ってる薪を焚いて雪を溶かせば水になるでしょうけど、食べ物は――」

 幸い、石のシェルターの中で身を寄せ合えば凍えることはない。
 だが、食料はどうにもならない。
 さすがに今の状況で食べ物を探しにいく気持ちにはなれなかった。

 ぐずるピーター、泣きじゃくるフローラ、なんだか頭がグチャグチャになってきた。
 絶望的なの状況は自分も変わらない、自分が泣いていないのは泣きそびれただけだ。

(2人ともなによ! 私だって泣きたいわよ!)

 声を荒げそうになったとき、トントンと乾いた音がした。
 誰かが戸を叩いている。

 泣いていたフローラは緊張で顔を引き吊らせるが、モリーには心当たりがある。

「スケサンだ。入ってもいいかね?」

 やっぱりそうだ。
 モリーが「どうぞ」と戸を押すと、昨晩助けてくれた人がいた。

 やはり不思議な姿だと思う。
 きっと、モリーの知らない種族なのだろう。

 その姿を見たフローラが「ヒッ」と小さく悲鳴をあげる。
 失礼な態度をモリーは咎めたかったが、スケサンが特に反応しなかったのでやめておいた。

「仲間と会えたのだな」
「……はい、でもまだ……」

 スケサンが無言で背負っていたかごを無言で下ろすと中から小さななにかが飛び出してきた。

「きゃあ!」
「わっ、リザードマンの赤ちゃんだ!」

 モリーは悲鳴をあげてしまったが、ピーターはよく見ている。
 リザードマンの赤ちゃんは不思議そうに首を傾げながら周囲を見渡している。
 なんだか可愛らしいかもしれない。

「兄ウシカと弟ウシカという。私が面倒を見ている子供たちだ」
「あなたが、リザードマンの?」

 モリーの問いにスケサンは「そうだ」と答える。
 リザードマンの赤ちゃんたちはスケサンに怯えた様子はなく、それが本当なのはすぐ分かる。

「私が住む土地では種族の差はない。鬼人、エルフ、リザードマン、私のようなスケルトン……オヌシたちが生きていく術がないのであれば、仲間たちはオヌシらを受け入れてもよいといっておる」

 スケサンは籠から包みを取り出した。
 そして水筒と干し肉、なにか薬草のようなものを取り出す。

「エルフがいるんですか?」
「いる。だが、オヌシの家族と争ったのは別の群だ。先ずは腹ごしらえをせよ。火が起こせれば薬草を煮て飲むがいい。気が鎮まる」

 幸い、火切りの板や火口はある。
 モリーは少しだけ手間取りながら言われるままに火を起こし、残っていた器に雪と薬草を入れて火にくべた。
 長い間、使っていなかった囲炉裏からは嫌な煙がでたが、すぐに治まったようだ。

「うむ、手際がよいな。親御のしつけがよいのだろう」

 スケサンはそれだけをいい、家のすみに腰を下ろした。
 ピーターはリザードマンの赤ちゃんと突つきあって遊んでいる。

「皆で話し合うのだ。ここに残るもよし、私と行くもよし、また帰ってくるもよし、自分たちで決めるのが肝心だ」
「え、私たちで――」

 思わず、ピーターとフローラの頼りない姿を眺めてゾッとした。
 この2人と生きていくための選択をするのかと思うと気が重くなる。

「あの、食事をいただきます。ありがとうございます」

 スケサンも先ずは腹ごしらえといっていた。
 モリーたちは食事の前に干し肉の端を少し切り取り、家の外に置く。
 聖霊への感謝を込めて食の一部を捧げたのだ。

「あっ、食べちゃダメだよ!」

 リザードマンの赤ちゃんたちが捧げものを食べてしまったが、これでいいとモリーは思う。
 鳥や獣は聖霊の使いだ。
 外から来たリザードマンもそうかもしれない。

 空腹が落ち着き、喉を潤すと落ちついてきた。
 大人が来なければ、ここにいても生きていけない。
 ならば、とるべき道は1つだけだ。

「ピーター、フローラ、私はスケサンさんと一緒に行くわ。あなたたちはどうする?」

 相談などはない。
 モリーは自分で決めたのだ。

「僕はお姉ちゃんといく」
「ちょっと待って、いきなりそんな――」

 フローラが抗議をするが決めたのだ。

 スケサンは帰ってきてもいいといった。
 ならばここに家族ならわかるかたちで『モリーとピーターは生きている』と証を残す。
 無事に巡り会えたなら――それを願うのは都合がよすぎるかも知れないが、無事に巡り会えたならまた同じ暮らしがしたい。

(また、同じ暮らしがしたい)

 そう考えると涙がでた。

「モリーが悪いのよ、ただ私は知らない人について行くのは――」

 フローラがモリーの涙を勘違いし、なにか言い訳をはじめた。
 彼女はいつもそうだ。
 不利になりそうになると人のせいにして「自分は悪くない」ばかりいう。

「そうだな、そちらには挨拶をしていないな。私はスケサン、知りたいことは答えてやろう。訊ねて決断の足しにするといい」

 スケサンはフローラの態度にも嫌がらず、様々な質問に答えてくれた。
 はるか昔に聖霊の王様に仕えていた話はもっともっと聞きたかった。
 その口ぶりは淡々としており、いかにも事実を並べているような真実味がある。

(やっぱりスケサンさんは聖霊だったんだ)

 いつもヤギ人は聖霊を大切にし、ことあるごとに感謝を捧げた。
 その結果として、こうして困ったときに助けてくれたのだ。

 モリーはすっかりスケサンにやられてしまった。
 これはある種の信仰心に近い。

「私はスケサンさんについていきます。新しい里でも一生懸命に働きますから連れていってください」
「ふむ、急がなくてもいいのだぞ。ここで待てばフローラのように仲間がやってくる可能性もないわけではない」

 その言葉に「これを置いていきます」と、モリーは身につけていた石笛を置いた。

「この石笛は父が作ってくれたもの……これがあれば私だって、私は生きてるって伝わるはずです」

 石笛はそのまま、石に穴を開けただけの笛だ。
 ヤギ人が好む楽器で、家族の皆が持っていた。

「うむ、ならば定期的に様子を見るようにしよう」
「ありがとうございます。聖霊に感謝を」

 モリーがスケサンを拝むと「私はそんなにいいものではない」と苦笑いをされた。

「礼なら里長の妻であるアシュリンにいうことだ。彼女はエルフだが『エルフすべてがヤギ人の敵ではない、ここは種族の差がない里だ』といっていた。彼女がオヌシらを迎えてもよいと判断し、食料を持たせてくれたのだからな」

 スケサンは「ほうれ、帰るぞ」とリザードマンの赤ちゃんたちに声をかけ、籠に入れていた。

「凄いなあ、ちゃんということを聞くんだ」
「ふふ、ピーターよりもお利口だわ」

 リザードマンの赤ちゃんたちのお陰でピーターが明るくなった。
 スケサンはこれを見越して連れてきてくれたのかもしれない。

「あまり遅くなると子供の足では日が暮れてしまう。残るのならば明日も様子を見に来てやろう」

 スケサンはなにも強制しない。
 だけど、ここでついていかなければ、いずれ死ぬことになるのはわかる。

「ちょっと、ちょっと待って! 私も行くわよ!」
「そうか、ならばオヌシもモリーのように目印を置いてくるがよい」

 スケサンが指示をすると、フローラはぶつぶついいながらも従いついてきた。
 どうせやるなら嫌な顔をするだけ損なのにとモリーは思う。
 フローラはよくいえば素直、悪くいえば考えなしなのだ。

 スケサンに連れられて歩く道中は賑やかだった。
 ピーターはリザードマンの赤ちゃんが顔を出すたびに喜び、疲れも忘れてはしゃいでいる。
 フローラはなにやらぶつぶつといっていたが、もはや誰も気にしていない。

 日が高くなるにつれ雪は溶け、ぬかるみのなかを歩く。
 休み休み、かなりの時間をかけ、ようやくたどり着いたのは小さな里だ。
 土と草でできた小屋が木々を縫うようにして建ち並び、柵で囲まれているのが厳めしい。

「す、スケサン、この子達か?」

 声をかけてきたのはエルフと思われる女性だ。
 恐ろしいエルフ独特の化粧をしていないが特徴的な背の高さと耳のかたちでそれとわかる。

「うむ、こちらはアシュリン。オヌシらを迎え入れることを決断した里長の妻だ」
「よろしくな。アシュリンだ」

 アシュリンと名乗る女性は朗らかに笑い、モリーたちの手を順番に握る。
 モリーはかろうじて「モリーです」と名乗るのが精一杯であった。

「わ、私たちは木の皮をこうやって布にして服にするんだ。オマエたちの服とは違うな」
「はい、これはパコって獣の毛です」

 しばらくアシュリンはモリーたちの相手をしてくれたが、なにやら用事があるようでどこかに出かけていった。
 スケサンはピーターとリザードマンの赤ちゃんたちの相手をしているようだ。
 子供が好きなのもしれない。

「ねえ、本当に大丈夫なのかな?」

 フローラが作業をするエルフの男性とリザードマンをみて不安を口にする。
 彼女もモリーと同じく、家族から離れて暮らすのははじめてなのだ。
 その気持ちはよく分かる。

「大丈夫よ、私たちは聖霊に助けられたの。ここの里長もスケサンさんのように優しいはずよ」
「そうだといいけれど……」

 やることもないのでスケサンにいわれた通りに火にあたり体を休めていると、信じられないような大男がヌッと現れた。

 モリーなどは片手でヒョイと摘ままれてしまいそうな巨体だ。
 大きな斑点がついたヤガーの毛皮を身につけている。

「もどったか、スケサン。彼らがヤギ人だな」

 油断なさげな黒い瞳にジロリと睨まれ、モリーは小さく「ヒッ」と声を出してしまう。
 フローラはうつ向いて震えているようだ。

「うむ、子供が3人。あまり脅かさないでやってくれ」

 少し時間をかけながら、スケサンが里長に事情を説明してくれた。
 その様子は里長というより友達のようにみえる。

「これ、食うか?」

 唐突に里長が1つずつ黄色い果実を放り投げてきた。
 カンの実だ。

(うう、これ酸っぱいやつだ)

 カンの実は食べられる果実だが、あまりにも酸っぱくてヤギ人はあまり食べない。

 だが、ここは食べないわけにはいかない。
 少しでも里長の印象をよくしたいし、見ればピーターもフローラも食べる様子はない。
 モリーが食べるしかないのだ。

(大丈夫、まえに食べたことあるもの)

 以前食べたときは酸っぱくて飲み下せなかった。
 しかし、大きくなった今なら違うはず。

 モリーは覚悟を決め、ベリベリと皮をむいて果実を口に入れた。

「んふっ! 酸っぱ、酸っぱおいしいです」

 顔をしかめ、モリーは必死で食べる。
 食べ物だと認識していなかったためか、一部を聖霊に捧げることすら忘れていた。
 それほど必死なのだ。

「そうか、うまいか。ヤギ人はカンの実を好む者も好まぬ者もいる。面白いな」

 里長は「もっと食え」とモリーにカンの実をたくさん手渡し、にっこりと微笑んだ。



■■■■


モリー

ヤギ人の娘。
種族的に背が低い。
白い髪に金の瞳、瞳孔は横に長細い。
大人しくがんばり屋さんだが、空回りも多い。
最近、スケサンを聖霊だと信じ込み、食事の一部を捧げはじめたようだ。



ピーター

モリーの弟。
まだ幼体のため、ヤギ人オスの特徴であるヒゲはない。
年相応に活発で、ウシカ兄弟と共にスケサンに面倒を見てもらうことが増えた。



フローラ

生意気盛りのヤギ人の娘。
不平不満が多いが、年相応といえば年相応。
盲目的なモリーとは違い、不安を抱いている。
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