98 / 99
4章 晩年
3話 一時代の終わり
しおりを挟む
「旦那様! 大丈夫ですか!」
ロッコに止めを刺したバーニーがクリフに駆け寄った。
「ああ……肩の辺りと傷の近くを固く縛ってくれ……ジーナは鍋でも包丁でもいいから真っ赤に焼いてくれ……傷を焼きたいんだ、あと強い酒も頼む」
クリフは手早くバーニーとジーナに指示を出す。
クリフの左手は前腕の半ば辺りから綺麗に切断されていた。
……あんな体勢から剣を抜くとはな……凄い腕前だぜ……
クリフは苦痛で顔を歪(ゆが)めながら、床に倒れるロッコの遺体を眺めた。
……強かった……腕の1本で済めば良しとしなければな……
クリフは右手で傷口を押さえ、何とか出血を止めようと試みているが無駄のようだ。
血は心臓の鼓動に合わせ、ドクッドクッと吹き出している。
今は戦いの余韻(よいん)で痛みを忘れているが、しばらくすれば耐えがたい激痛に襲われる筈だ。
バーニーが肩の辺りを革紐で縛ると、出血はやや落ち着いた。
ジーナが強い酒を持ってきてくれたので、クリフはゴブゴブと勢い良くラッパ飲みをする……これは酔って痛みを和らげるためだ。
そしてジーナが真っ赤に焼けた菜切り包丁を持ってきた……クリフは舌を噛まぬように布を口に含み覚悟を決めた。
反射的に暴れないようにと椅子に右手を縛り付けて貰う。
クリフがバーニーに頷(うなず)くと、熱された包丁がクリフの傷口に押し付けられた。
ジュウウゥゥ
クリフの肉を焼く音と、不快な匂いが立ち込めた。
「ぐっぐおぉおぉぉ」
あまりの苦痛にクリフがくぐもった声を出す……布を噛んでいるために悲鳴も上げられず、クリフは痛みで気を失った。
………………
ズキン
クリフは鋭い痛みで意識を取り戻した……見慣れた天井、ここはクリフのベッドの上の様だ。
ズキン
左手が痛み、クリフは左手に視線を移した。
手当が施されている……バーニーが医者を呼んでくれたのだろう。
……何日か、経っているようだが……歩けるか……?
クリフが身を起こそうと体を動かすと「いけません」と声を掛けられた……ジーナだ。
「……ジーナ、俺はどのくらい寝ていた……?」
クリフは自分のかすれた声に驚いた……喉(のど)がガラガラだ。
「あい、前に起きられてから2日経ちました」
「……前に? 俺は起きたのか?」
クリフには全く記憶に無い。
「あい、2度目を覚ましてます」
ジーナに嘘をつく理由は無い……恐らくは本当なのだろうとクリフは納得した。
「悪いが水をくれ……ロッコと戦って何日目だ?」
ジーナが木製のカップに水を注ぎながら「7日目になります」と答えた。
……7日、そんなにか……
クリフはぼんやりと先の無い左手を眺めた。
「ジーナ……あのさ」
クリフは身を起こしながら、右手で水を受け取った。
体を動かすと痛みがある。
「この怪我だし、俺はギルドを引退するつもりだ……クロフト村に行こうと思う」
「あい、わかりました」
クリフの言葉にジーナが素直に頷く。
クリフは水を噛むように飲み干すとカップをジーナに手渡した。
「バーニーと一緒によく仕えてくれたな……この家をやろう」
クリフはゆっくりとした動作でベッドから立ち上がる。
妙なふらつきを感じる……左手が無くなったことでバランスが取れないのかも知れない。
ふらつくクリフをジーナが心配げに見つめている。
「旦那様、こんなお屋敷を貰えねえですよ」
「いや、俺はバーニーを息子だと思ってるんだ……エリーとも年が近かったしな……何か遺(のこ)してやりたい」
クリフは玄関に向かい歩き出した。
……ここか……
クリフはロッコが倒れていた場所を見つけ、立ち止まった。
さすがに遺体は既に無く、床も清められているが、よく見れば床の隙間に入り込んだ血の跡が見える。
……ロッコが来たと言うことは、ヘクターはやられたと言うことだろう……
クリフは「ふう」と溜め息をついた。
ロッコとの戦いを思いだし、切断された左手を見る。
弟子に対してあの戦い方は卑怯だったとは思う……騙し討ち、しかも2人掛かりだ。
だが、後悔はない。
クリフは今のベストを尽くし、そしてロッコを破った。
この結果が重要なのだ。
……ロッコは強かった……賞金首になどならずに、ギルドに残っていてくれたならば……喜んで支配人(ギルドマスター)を譲ったのに……
別にロッコを殺して賞金が欲しかった訳ではない、クリフは賞金稼ぎの本能のようなモノに衝き動かされたのだ。
……ロッコも、死んだのか……
クリフがぼんやりと立ち尽くしていると「旦那様、大丈夫なのですか?」とバーニーが声を掛けてきた。
「ああ、俺もヘクターも抜けてはピートが可愛そうだ……いつまでも寝てはいられない」
その言葉を聞いたバーニーが不思議そうな顔をする。
「どうした?」
「いえ、ギルドについては人員を補充するように伝言しましたが……その、旦那様のお言いつけで……あと支配人もピートさんに譲られました」
クリフは驚きで目を見張った。
いずれも全く記憶に無い。
……これは……本格的に惚(ぼ)けたかな?
先程のジーナの話といい、クリフは少し不安になった。
これは別にクリフに限ったことでは無く、大怪我をした時や手術の後に記憶が混乱することは誰にでもある。
しかし、クリフは自分が惚(ぼ)けたと思いズンと気分が落ち込んだ。
「バーニー……俺って最近おかしいか? その、惚(ぼ)けてきたかな……?」
「は? いえ、別に……そう言えば」
クリフはバーニーの「そう言えば」という言葉にピクリと反応する。
「ロッコさんと会った時の演技はジーナも戸惑っていましたよ……何の打ち合わせもありませんでしたから」
バーニーが「はは」と遠慮がちに笑った。
実は先日の演技はぶっつけ本番であった。
バーニーも良くぞ合わせたとクリフは感心していた。
「バーニーも良く合わせれたな」
「ええ……まあ、はは、まぐれです」
クリフが少し疲れを覚え、ふらつくと「まだお休みください」とバーニーに寝室に案内された。
クリフがベッドに転がると、バーニーが何やら刀と壺をテーブルに並べた。
「それは?」
「遺品です、ロッコさんの……こちらには遺骨が入ってますが、良くわかりません」
クリフは少し考えたが、遺骨を見ただけで誰のものか分かるはずもない。
「ロッコは賞金首として晒(さら)されてるんだろ? 骨はディーンに頼んで一緒に埋めて貰うか」
ロッコとコレットは図らずも共にファロンの刑場隅にある供養塔に葬られた。
その事実は誰も知らない。
また、ロッコが編み出した曲がる手裏剣の技も失われた……バーニーも衛兵も不思議な形をした四方手裏剣を特別なものだとは考えなかったためである。
技術とは生み出すのは難く、失われるのは易い。
クリフの人生において、最後の戦いは弟子であるロッコであった。
この後、クリフは完全に冒険者ギルドからは引退し、公に姿を現すことは無くなる。
この事実は脚色され、老人となった猟犬クリフが最後の力を振り絞り、道を踏み外した弟子と相討ちになるエピソードが誕生した。
このエピソードを題材とした舞台は「老犬の牙」という名称で親しまれ、爆発的なヒットとなる。
力に溺れたロッコが悪の限りを尽くし、ヘクターやギネスを次々と殺し、最後にはクリフとの死闘の果てに相討ちとなるのだ。
ロッコがハンナに横恋慕をし、ハンナを殺害するパターンもある。
いくつかあるパターンのいずれにも悲劇的な結末が用意され、いかにも庶民が好みそうな安っぽいドラマに満ち溢(あふ)れている。
そして、この舞台が生まれると同時にロッコも「剣狼ロッコ」として脚色され、名を残した。
………………
その後、クリフは一月(ひとつき)ほど療養し、すっかり傷は癒えた。
これは傷口に膿(うみ)を持たなかったのが大きい。
しかし、左手の傷は癒えてもそれで完治とはいかない。
人体とは絶妙なバランスで成立しており、四肢が欠損すると全体のバランスが失われるのだ。
このバランス感覚の欠如は、身に付けた技術が高度なものほど影響があり、クリフが今まで築き上げてきた繊細な技術はほぼ失われた。
剣技も、手裏剣術も、歩法も、今までのようにはいかない。
クリフは戦う術を永久に失ったのだ。
………………
クリフはバーニーに「クロフト村で余生を過ごす」と伝え、家を譲りたい旨を伝えたが、バーニーは頑として譲らず「クリフに仕えたい」と言い張った。
仕方なく、クリフが死んだら遺産として相続する折衷案(せっちゅうあん)をとり、クリフもバーニーも納得をした。
ギルドは一時、クリフとヘクターが一気に抜けたことで混乱が生じたが、新しく3名の事務員を雇い建て直したようだ……運営に関しては、引退したクリフが口を出す筋合いは無い。
ピートは3代目の支配人(ギルドマスター)として8年間勤めあげる事になる……ちなみに支配人の任期を最長で8年と定めたのはピートであった。
意外な所では秋にトーマスがケーラとジュディの姉妹と結婚した。
クリフは知らなかったが、元々トーマスとケーラは好きあっていたらしく、疫病(えきびょう)で容姿が醜(みにく)くなったとしてケーラが身を引いていた。
しかし、トーマスの熱烈なプロポーズを受け入れる形で2人は結婚した……なぜジュディが付いてきたのかは余人には分からない。
あまり庶民では例がないがマカスキル地方では当人同士が納得していれば重婚は罪では無いのだ。
少し未来の話になるがマリカは2年後に、ぽっと出の5つも年下の冒険者と結婚したらしい……ゲリーとディーンが泣いたようだ。
余談だが、クリフの飼い猫はマリカが引き取ってくれた。
ゲリーは長らく冒険者ギルドのエース格であった。
また、ヘクターの遺児であるバートの兄貴分としても重要な役割を果たす。
後にバートは、冒険者として培った勝負勘と、父と母の遺した財産を使い事業家としても大成功をおさめる。
野心家であったバートは最終的に自由都市ファロンの評議会議員にまで登り詰めた。
冒険者からの立身出世の代表格となり、猟犬クリフとは違う形の伝説の冒険者と呼ばれる事となる。
隻眼ヘクターも、雲竜ギネスも死に、猟犬クリフも自由都市ファロンを去る……1つの時代が、終わろうとしていた。
世の中は移ろうものだ……誰が居なくなろうとも、次の日は昇る。
冒険者ギルドは草創期を終えたのだ。
そして、クリフはハンナの遺品を整理した。
形見である曲刀、クリフが贈った髪飾り、そして結婚前にクリフが書いた下手くそな散文詩……残したのはこの3点のみである。
屋敷を片付け、出発を待つのみとなった晩秋の頃……
クリフは脳卒中で倒れることとなる。
ロッコに止めを刺したバーニーがクリフに駆け寄った。
「ああ……肩の辺りと傷の近くを固く縛ってくれ……ジーナは鍋でも包丁でもいいから真っ赤に焼いてくれ……傷を焼きたいんだ、あと強い酒も頼む」
クリフは手早くバーニーとジーナに指示を出す。
クリフの左手は前腕の半ば辺りから綺麗に切断されていた。
……あんな体勢から剣を抜くとはな……凄い腕前だぜ……
クリフは苦痛で顔を歪(ゆが)めながら、床に倒れるロッコの遺体を眺めた。
……強かった……腕の1本で済めば良しとしなければな……
クリフは右手で傷口を押さえ、何とか出血を止めようと試みているが無駄のようだ。
血は心臓の鼓動に合わせ、ドクッドクッと吹き出している。
今は戦いの余韻(よいん)で痛みを忘れているが、しばらくすれば耐えがたい激痛に襲われる筈だ。
バーニーが肩の辺りを革紐で縛ると、出血はやや落ち着いた。
ジーナが強い酒を持ってきてくれたので、クリフはゴブゴブと勢い良くラッパ飲みをする……これは酔って痛みを和らげるためだ。
そしてジーナが真っ赤に焼けた菜切り包丁を持ってきた……クリフは舌を噛まぬように布を口に含み覚悟を決めた。
反射的に暴れないようにと椅子に右手を縛り付けて貰う。
クリフがバーニーに頷(うなず)くと、熱された包丁がクリフの傷口に押し付けられた。
ジュウウゥゥ
クリフの肉を焼く音と、不快な匂いが立ち込めた。
「ぐっぐおぉおぉぉ」
あまりの苦痛にクリフがくぐもった声を出す……布を噛んでいるために悲鳴も上げられず、クリフは痛みで気を失った。
………………
ズキン
クリフは鋭い痛みで意識を取り戻した……見慣れた天井、ここはクリフのベッドの上の様だ。
ズキン
左手が痛み、クリフは左手に視線を移した。
手当が施されている……バーニーが医者を呼んでくれたのだろう。
……何日か、経っているようだが……歩けるか……?
クリフが身を起こそうと体を動かすと「いけません」と声を掛けられた……ジーナだ。
「……ジーナ、俺はどのくらい寝ていた……?」
クリフは自分のかすれた声に驚いた……喉(のど)がガラガラだ。
「あい、前に起きられてから2日経ちました」
「……前に? 俺は起きたのか?」
クリフには全く記憶に無い。
「あい、2度目を覚ましてます」
ジーナに嘘をつく理由は無い……恐らくは本当なのだろうとクリフは納得した。
「悪いが水をくれ……ロッコと戦って何日目だ?」
ジーナが木製のカップに水を注ぎながら「7日目になります」と答えた。
……7日、そんなにか……
クリフはぼんやりと先の無い左手を眺めた。
「ジーナ……あのさ」
クリフは身を起こしながら、右手で水を受け取った。
体を動かすと痛みがある。
「この怪我だし、俺はギルドを引退するつもりだ……クロフト村に行こうと思う」
「あい、わかりました」
クリフの言葉にジーナが素直に頷く。
クリフは水を噛むように飲み干すとカップをジーナに手渡した。
「バーニーと一緒によく仕えてくれたな……この家をやろう」
クリフはゆっくりとした動作でベッドから立ち上がる。
妙なふらつきを感じる……左手が無くなったことでバランスが取れないのかも知れない。
ふらつくクリフをジーナが心配げに見つめている。
「旦那様、こんなお屋敷を貰えねえですよ」
「いや、俺はバーニーを息子だと思ってるんだ……エリーとも年が近かったしな……何か遺(のこ)してやりたい」
クリフは玄関に向かい歩き出した。
……ここか……
クリフはロッコが倒れていた場所を見つけ、立ち止まった。
さすがに遺体は既に無く、床も清められているが、よく見れば床の隙間に入り込んだ血の跡が見える。
……ロッコが来たと言うことは、ヘクターはやられたと言うことだろう……
クリフは「ふう」と溜め息をついた。
ロッコとの戦いを思いだし、切断された左手を見る。
弟子に対してあの戦い方は卑怯だったとは思う……騙し討ち、しかも2人掛かりだ。
だが、後悔はない。
クリフは今のベストを尽くし、そしてロッコを破った。
この結果が重要なのだ。
……ロッコは強かった……賞金首になどならずに、ギルドに残っていてくれたならば……喜んで支配人(ギルドマスター)を譲ったのに……
別にロッコを殺して賞金が欲しかった訳ではない、クリフは賞金稼ぎの本能のようなモノに衝き動かされたのだ。
……ロッコも、死んだのか……
クリフがぼんやりと立ち尽くしていると「旦那様、大丈夫なのですか?」とバーニーが声を掛けてきた。
「ああ、俺もヘクターも抜けてはピートが可愛そうだ……いつまでも寝てはいられない」
その言葉を聞いたバーニーが不思議そうな顔をする。
「どうした?」
「いえ、ギルドについては人員を補充するように伝言しましたが……その、旦那様のお言いつけで……あと支配人もピートさんに譲られました」
クリフは驚きで目を見張った。
いずれも全く記憶に無い。
……これは……本格的に惚(ぼ)けたかな?
先程のジーナの話といい、クリフは少し不安になった。
これは別にクリフに限ったことでは無く、大怪我をした時や手術の後に記憶が混乱することは誰にでもある。
しかし、クリフは自分が惚(ぼ)けたと思いズンと気分が落ち込んだ。
「バーニー……俺って最近おかしいか? その、惚(ぼ)けてきたかな……?」
「は? いえ、別に……そう言えば」
クリフはバーニーの「そう言えば」という言葉にピクリと反応する。
「ロッコさんと会った時の演技はジーナも戸惑っていましたよ……何の打ち合わせもありませんでしたから」
バーニーが「はは」と遠慮がちに笑った。
実は先日の演技はぶっつけ本番であった。
バーニーも良くぞ合わせたとクリフは感心していた。
「バーニーも良く合わせれたな」
「ええ……まあ、はは、まぐれです」
クリフが少し疲れを覚え、ふらつくと「まだお休みください」とバーニーに寝室に案内された。
クリフがベッドに転がると、バーニーが何やら刀と壺をテーブルに並べた。
「それは?」
「遺品です、ロッコさんの……こちらには遺骨が入ってますが、良くわかりません」
クリフは少し考えたが、遺骨を見ただけで誰のものか分かるはずもない。
「ロッコは賞金首として晒(さら)されてるんだろ? 骨はディーンに頼んで一緒に埋めて貰うか」
ロッコとコレットは図らずも共にファロンの刑場隅にある供養塔に葬られた。
その事実は誰も知らない。
また、ロッコが編み出した曲がる手裏剣の技も失われた……バーニーも衛兵も不思議な形をした四方手裏剣を特別なものだとは考えなかったためである。
技術とは生み出すのは難く、失われるのは易い。
クリフの人生において、最後の戦いは弟子であるロッコであった。
この後、クリフは完全に冒険者ギルドからは引退し、公に姿を現すことは無くなる。
この事実は脚色され、老人となった猟犬クリフが最後の力を振り絞り、道を踏み外した弟子と相討ちになるエピソードが誕生した。
このエピソードを題材とした舞台は「老犬の牙」という名称で親しまれ、爆発的なヒットとなる。
力に溺れたロッコが悪の限りを尽くし、ヘクターやギネスを次々と殺し、最後にはクリフとの死闘の果てに相討ちとなるのだ。
ロッコがハンナに横恋慕をし、ハンナを殺害するパターンもある。
いくつかあるパターンのいずれにも悲劇的な結末が用意され、いかにも庶民が好みそうな安っぽいドラマに満ち溢(あふ)れている。
そして、この舞台が生まれると同時にロッコも「剣狼ロッコ」として脚色され、名を残した。
………………
その後、クリフは一月(ひとつき)ほど療養し、すっかり傷は癒えた。
これは傷口に膿(うみ)を持たなかったのが大きい。
しかし、左手の傷は癒えてもそれで完治とはいかない。
人体とは絶妙なバランスで成立しており、四肢が欠損すると全体のバランスが失われるのだ。
このバランス感覚の欠如は、身に付けた技術が高度なものほど影響があり、クリフが今まで築き上げてきた繊細な技術はほぼ失われた。
剣技も、手裏剣術も、歩法も、今までのようにはいかない。
クリフは戦う術を永久に失ったのだ。
………………
クリフはバーニーに「クロフト村で余生を過ごす」と伝え、家を譲りたい旨を伝えたが、バーニーは頑として譲らず「クリフに仕えたい」と言い張った。
仕方なく、クリフが死んだら遺産として相続する折衷案(せっちゅうあん)をとり、クリフもバーニーも納得をした。
ギルドは一時、クリフとヘクターが一気に抜けたことで混乱が生じたが、新しく3名の事務員を雇い建て直したようだ……運営に関しては、引退したクリフが口を出す筋合いは無い。
ピートは3代目の支配人(ギルドマスター)として8年間勤めあげる事になる……ちなみに支配人の任期を最長で8年と定めたのはピートであった。
意外な所では秋にトーマスがケーラとジュディの姉妹と結婚した。
クリフは知らなかったが、元々トーマスとケーラは好きあっていたらしく、疫病(えきびょう)で容姿が醜(みにく)くなったとしてケーラが身を引いていた。
しかし、トーマスの熱烈なプロポーズを受け入れる形で2人は結婚した……なぜジュディが付いてきたのかは余人には分からない。
あまり庶民では例がないがマカスキル地方では当人同士が納得していれば重婚は罪では無いのだ。
少し未来の話になるがマリカは2年後に、ぽっと出の5つも年下の冒険者と結婚したらしい……ゲリーとディーンが泣いたようだ。
余談だが、クリフの飼い猫はマリカが引き取ってくれた。
ゲリーは長らく冒険者ギルドのエース格であった。
また、ヘクターの遺児であるバートの兄貴分としても重要な役割を果たす。
後にバートは、冒険者として培った勝負勘と、父と母の遺した財産を使い事業家としても大成功をおさめる。
野心家であったバートは最終的に自由都市ファロンの評議会議員にまで登り詰めた。
冒険者からの立身出世の代表格となり、猟犬クリフとは違う形の伝説の冒険者と呼ばれる事となる。
隻眼ヘクターも、雲竜ギネスも死に、猟犬クリフも自由都市ファロンを去る……1つの時代が、終わろうとしていた。
世の中は移ろうものだ……誰が居なくなろうとも、次の日は昇る。
冒険者ギルドは草創期を終えたのだ。
そして、クリフはハンナの遺品を整理した。
形見である曲刀、クリフが贈った髪飾り、そして結婚前にクリフが書いた下手くそな散文詩……残したのはこの3点のみである。
屋敷を片付け、出発を待つのみとなった晩秋の頃……
クリフは脳卒中で倒れることとなる。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
楽しくて異世界☆ワタシのチート生活は本と共に強くなる☆そんな私はモンスターと一緒に養蜂場をやってます。
夏カボチャ
ファンタジー
世界は私を『最小の召喚師』と呼ぶ。
神から脅し取った最初の能力は三つ!
・全種の言葉《オールコンタクト》
・全ての職を極めし者《マスタージョブ》
・全ての道を知る者《オールマップ》
『私は嘘はついてない!』禁忌の古代召喚の言葉を口にしたその日……目の前に現れた使い魔と共にやりたいように楽しく異世界ライフをおくるそんな話。
失恋旅行にいった日に、天使に自殺に見せ掛けて殺された事実に大激怒する主人公は後に上司の巨乳の神アララからチートゲットからの異世界満喫ライフを楽しむ事を考える。
いざ異世界へ!! 私はいい子ちゃんも! 真っ直ぐな人柄も捨ててやる! と決め始まる異世界転生。新たな家族はシスコン兄と優しいチャラパパと優しくて怖いママ。
使い魔もやりたい放題の気ままな異世界ファンタジー。
世界に争いがあるなら、争うやつを皆やっつけるまでよ! 私の異世界ライフに水を指す奴はまとめてポイッなんだから!
小説家になろうでも出してます!
異世界複利! 【1000万PV突破感謝致します】 ~日利1%で始める追放生活~
蒼き流星ボトムズ
ファンタジー
クラス転移で異世界に飛ばされた遠市厘(といち りん)が入手したスキルは【複利(日利1%)】だった。
中世レベルの文明度しかない異世界ナーロッパ人からはこのスキルの価値が理解されず、また県内屈指の低偏差値校からの転移であることも幸いして級友にもスキルの正体がバレずに済んでしまう。
役立たずとして追放された厘は、この最強スキルを駆使して異世界無双を開始する。
【受賞作】狼の裔~念真流血風譚~
筑前助広
歴史・時代
「息をするように人を斬る」
刺客の子として生まれた平山小弥太は、父と共に殺しの旅に出た。
念真流という一族の秘奥を武器に、行く先々で人を斬って生き血を浴び、獣性を増しながら刺客として成長していく。
少年期の「小弥太篇」と元服後の「雷蔵篇」からなる、天暗の宿星を背負って生まれた少年の、血塗られた生を描く、第一回アルファポリス歴史時代小説大賞の特別賞を受賞した、連作短編集。その完全版が登場!!
――受け継がれたのは、愛か憎しみか――
※小説家になろう・カクヨムにも掲載中。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「本朝徳河水滸伝」題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。
チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~
クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。
だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。
リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。
だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。
あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。
そして身体の所有権が俺に移る。
リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。
よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。
お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。
お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう!
味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。
絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ!
そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!
異世界転生した俺は、産まれながらに最強だった。
桜花龍炎舞
ファンタジー
主人公ミツルはある日、不慮の事故にあい死んでしまった。
だが目がさめると見知らぬ美形の男と見知らぬ美女が目の前にいて、ミツル自身の身体も見知らぬ美形の子供に変わっていた。
そして更に、恐らく転生したであろうこの場所は剣や魔法が行き交うゲームの世界とも思える異世界だったのである。
虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者修行日誌
力水
ファンタジー
楠恭弥は優秀な兄の凍夜、お転婆だが体が弱い妹の沙耶、寡黙な父の利徳と何気ない日常を送ってきたが、兄の婚約者であり幼馴染の倖月朱花に裏切られ、兄は失踪し、父は心労で急死する。
妹の沙耶と共にひっそり暮そうとするが、倖月朱花の父、竜弦の戯れである条件を飲まされる。それは竜弦が理事長を務める高校で卒業までに首席をとること。
倖月家は世界でも有数の財閥であり、日本では圧倒的な権勢を誇る。沙耶の将来の件まで仄めかされれば断ることなどできようもない。
こうして学園生活が始まるが日常的に生徒、教師から過激ないびりにあう。
ついに《体術》の実習の参加の拒否を宣告され途方に暮れていたところ、自宅の地下にある門を発見する。その門は異世界アリウスと地球とをつなぐ門だった。
恭弥はこの異世界アリウスで鍛錬することを決意し冒険の門をくぐる。
主人公は高い技術の地球と資源の豊富な異世界アリウスを往来し力と資本を蓄えて世界一を目指します。
不幸のどん底にある人達を仲間に引き入れて世界でも最強クラスの存在にしたり、会社を立ち上げて地球で荒稼ぎしたりする内政パートが結構出てきます。ハーレム話も大好きなので頑張って書きたいと思います。また最強タグはマジなので嫌いな人はご注意を!
書籍化のため1~19話に該当する箇所は試し読みに差し換えております。ご了承いただければ幸いです。
一人でも読んでいただければ嬉しいです。
人の才能が見えるようになりました。~いい才能は幸運な俺が育てる~
犬型大
ファンタジー
突如として変わった世界。
塔やゲートが現れて強いものが偉くてお金も稼げる世の中になった。
弱いことは才能がないことであるとみなされて、弱いことは役立たずであるとののしられる。
けれども違ったのだ。
この世の中、強い奴ほど才能がなかった。
これからの時代は本当に才能があるやつが強くなる。
見抜いて、育てる。
育てて、恩を売って、いい暮らしをする。
誰もが知らない才能を見抜け。
そしてこの世界を生き残れ。
なろう、カクヨムその他サイトでも掲載。
更新不定期
異世界二度目のおっさん、どう考えても高校生勇者より強い
八神 凪
ファンタジー
旧題:久しぶりに異世界召喚に巻き込まれたおっさんの俺は、どう考えても一緒に召喚された勇者候補よりも強い
【第二回ファンタジーカップ大賞 編集部賞受賞! 書籍化します!】
高柳 陸はどこにでもいるサラリーマン。
満員電車に揺られて上司にどやされ、取引先には愛想笑い。
彼女も居ないごく普通の男である。
そんな彼が定時で帰宅しているある日、どこかの飲み屋で一杯飲むかと考えていた。
繁華街へ繰り出す陸。
まだ時間が早いので学生が賑わっているなと懐かしさに目を細めている時、それは起きた。
陸の前を歩いていた男女の高校生の足元に紫色の魔法陣が出現した。
まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。
魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。
次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。
「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。
困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。
元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる