猟犬クリフ

小倉ひろあき

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1章 青年期

22話 野分の気配

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「おい、ありゃ凄いな!」

 いつもの酒場にて、ヘクターがいかにも興奮した様子でクリフに話しかけた。

「何の事だ?」
「惚(とぼ)けるなよ、ロッコだよ。どうやったんだ? えらいシャンとしちまってよ、アイツ!」

 ヘクターは先日、クリフに任せた新人のロッコの事を言っているのだ。

「……ま、自信がついたんだろ。」

 クリフがぼんやりと受け答えた。

「ほお、その心(こころ)は?」
「賞金首と戦わせて勝ったんだよ。まあ、手伝ったけどな。」

 ヘクターが「ほおー」と妙に感心する。

「その後に、まんじゅうを鱈腹(たらふく)食わせたよ。」

 ちなみに「まんじゅう」とは女性器の隠語であり、日本で今でも方言として残っている言葉である。
 余談ではあるが、江戸時代の流行歌に『しんぼこうだいじはなんで気がそれたえ、おいち毛饅頭で気がそれた、お市がめめっちょなめたらしょっぱい』と言うものがあり、なかなかに歴史のある俗語である。

「がっはっは! こいつあ傑作だ! そりゃ、さぞかし自信がついたろうさ!」

 ヘクターが楽しくて仕方が無いと言った様子で大喜びしている。

 ロッコはまだ14才だ。良しも悪しくも、ちょっとした切っ掛けでいくらでも変われる年頃である。
 手配中の賞金首を我が手で討ち取り、そして初めて女を抱いたとあっては、己の内に秘めたる雄(おす)の力に目覚めても不思議では無い。

「でもよ、クリフの旦那もご相伴(しょうばん)にあずかったんだろ?」

 ヘクターがニヤニヤと笑う。

「ああ、ゲップが出そうだよ。あいつ、若いだけあって凄いんだ……付き合いきれんよ。」

 二人は正に呵呵大笑(かかたいしょう)と言った風情で大笑いをした。
 クリフがここまで酔うのは珍しいことである。

「楽しそうね、クリフっておまんじゅう好きなの?」

 俗事に疎(うと)いハンナが無邪気に尋ねる。
 クリフとヘクターは顔を見合わせ、また大笑いをした。

「変なクリフね。」

 ハンナは首をかしげた。



………………



 翌日


 クリフはロッコを連れて武器屋に来ていた。

 この武器屋はかなり大規模なもので、何人もの鍛冶や革細工の職人が働いている、今で言う工場に近いものだ。
 店舗スペースも広く、数多くの品揃えで人気を博している大店(おおだな)だ。

「ロッコ、自分の使いやすそうな物を選べ。ただし、あまり奇抜なものは止めておけ。」

 クリフはロッコに言いつけると、何やら革細工の職人にバックラーを見せながら相談をし始めた。
 しばらくすると、鍛冶職人も交えて相談を重ねる。

「……そうですねえ、目処がつきましたらサイズ調整のご連絡を差し上げます。」
「わかりました。股旅(またたび)亭に連絡を頂けたら結構です。」

 クリフの相談が終わった。
 打ち合わせにかけた時間から鑑みるに、何やら難しい注文をしたらしい。

「ロッコ、決まったか?」

 クリフが振り向くと、そこには少し大振りな曲刀を持つロッコがいた。

「これにします。少し予算を超えますが、何とか。」

……曲刀か、都合が良いな。

 クリフの戦いは我流の喧嘩闘法である。人に教えるような術理は無い。
 クリフは曲刀の使い手であるハンナに頼んでロッコの稽古をつけてもらおうと考えていた。場合によっては剣術道場に通わせることも考えている。
 体系化された術理を持つ武術は強い。腕自慢の喧嘩闘法を制するように技術が組み立てられているためクリフが苦手とする相手でもある。
 事実、ハンナとクリフが道場で木刀を交えればハンナの勝ちは揺るがないだろう。

「形も山刀に似ているし、馴染みがあるので。」
「悪くない、が……金が足りるのか? 剣帯もいるし、手入れの道具もいるぞ。」

 ロッコは「うっ」と押し黙って考え込んだ。

「……貸してやる。」

 クリフが重たい財布をロッコに渡した。始めからそのつもりなのである。

「すいません、必ず返します。」

 申しわけ無さそうなロッコにクリフは「当たり前だ」と苦笑した。


…………


 クリフはロッコと別れてファロンの町奉行所に向かった。
 町奉行所とは庶民の刑事や民事の揉め事を裁く、日本で言うところの裁判所だ。
 ちなみに貴族や騎士になると王都の問注所という機関で裁判を行う。

 別に奉行所に用が合ったわけでは無い。隣の広場……これは刑場だが、この片隅にある小さな石塚の前で足を止めた。

……あれから、1年だ。

 この石塚は、処刑された罪人の供養塔だ。
 クリフは1年前にこの刑場の露と消えたエレンのために花を供えた。

 随分と色々と有った1年だったとクリフは思い出す。

 1年前にはまさかハンナと婚約をし、冒険者組合(ギルド)の立ち上げを手伝うなど毛の先ほども想像していなかった。

……エレンが生きていたら、ハンナと仲良くできたろうか?

 クリフはエレンとハンナに挟まられた己を想像し、ぶるっと身を震わせた。
 ハンナは言わずと知れた女傑であるし、大人しそうなエレンの最後の抵抗をクリフは忘れていない。

……変な事を考えるのは止めよう。

 クリフが振り返り、歩き出す……すると遠くから喧騒が近づいてくるのが聞こえた。


……喧嘩……じゃないな、衛兵に追われている?

 何やら数人の男達が衛兵に追われているのが見えた。

 クリフは咄嗟に供養塔の陰に潜む……訳のわからない争いに巻き込まれては面倒だ。

 喧騒はどんどん近づき、刑場を通り過ぎて去って行った。

……傭兵崩れか、逃亡兵ってとこだな。

 クリフは逃げる男達の素性に見当をつけた。
 どうやら祿(ロク)な者どもでは無さそうである。

 最近、自由都市ファロンではこの手合いが増えていた……理由は戦争である。

 先だってアッシャー同盟とカスケン領で軍事衝突があった……これは良くある小競り合いである。
 しかし、この小競り合いを好機と見た者がいた。かねてよりアッシャー同盟と険悪な仲であったマンセル侯爵である。
 マンセル侯爵はアッシャー同盟の後背を狙って侵攻を開始した。
 アッシャー同盟は前後に敵を抱える厳しい戦いを続け、はじめは小競り合いだった戦いはアッシャー同盟領の南北で行われる大規模な戦いとなっていた。

 こうなると堪らないのは庶民だ。
 戦禍を逃れて来た避難民や焼きだされた難民、傭兵や逃亡兵などの武装した怪しげな者たち、混乱に乗じた盗賊などの影響で自由都市ファロンの治安は急激に悪化している。
 先程の者たちも、食い詰めた逃亡兵などが強盗でもやらかしたのに違いない。

 クリフは喧騒が去ったのを確認して刑場から出た。
 喧騒から離れるように歩き出すと、見知った者から声を掛けられた……ギネスである。

「兄貴! 今の見ました?」
「ああ、逃亡兵ってとこだな。」

ギネスは「最近、多いっすね」とぼやいた。


…………


「最近忙しそうだな?」

 クリフは歩きながらギネスに話しかけた。

 ギネスはクリフやヘクターと比べると戦闘力では見劣りするが、様々な町のトラブルを解決する才覚に長けている。
 賞金稼ぎしか出来ないクリフよりも仕事の幅は広く、活躍の機会は多い。

「さっきの話じゃないですけど、最近騒がしいですからね……依頼が多いのは有難いんですけど、複雑ですね。」
「そうだな……忙しいところを悪いとは思うが、たまにはギネスの仕事をロッコに手伝わせて貰えないか?」

 冒険者は強いに越したことは無いが、それが全てではない。数ある冒険者に必要な能力の1つと言うだけである。
 ギネスと共に行動することは、ロッコにとって良い経験になることだろう。

「いやいや、俺みたいな半端もんの仕事を見せてはいけません。」

 ギネスが頭を掻きながら謙遜した。

「ギネスは一人前だよ、始めからな。」

 クリフが珍しくギネスを誉める……これは別にクリフのお世辞では無い。
 ギネスがクリフに出会う前から冒険者として活動していたのは事実だ。

「いやー、そうっすかね。へへ」

 ギネスは兄貴分のクリフから頼られて素直に喜んだ。
 ギネスは21歳になったばかりだ。ファロン屈指の成長株の冒険者である。

「あれ、また何か来ますね?」

 ギネスが前方を指で示した。

 二人の側を、がちゃがちゃと賑やかな音をたてながら衛兵が走り抜ける。

「やれやれ、また何かあったらしいな。」

 クリフは軽い溜め息をついた。



………………



 クリフとギネスは連れだっていつもの酒場に来た。
 ヘクターがマスターと何やら打ち合わせをしている。

「おう、猟犬の親分に雲竜の兄貴か。」

 ヘクターがこっちこっちと手招きをしている……二人はヘクターと向かい合うようにテーブルに着いた。

「最近、色々と騒がしいだろ?」

 ヘクターの質問にクリフとギネスが頷く。
 ギネスが先程も騒ぎを2つも見たと説明した。

「そうだろう? そこで、だ。俺たちが悪者退治に助っ人するのはどうでえ?」
「助っ人……衛兵にか?」

 クリフの疑問を聞き、ギネスがニヤリと笑う。

「そうだ。衛兵がまごつくようなヤマを俺たちがズバッとやっつけて……冒険者って頼れるのね。組合(ギルド)も早く出来て欲しいわ……となる寸法よ。」

ヘクターが都合の良い計画を披露した。後半が裏声になっていて気持ちが悪い。

「どうだろうな?」
「どうですかね?」

 クリフとギネスが顔を見合わせた。
 さすがに面と向かって否定し難いが、計画が幼稚に過ぎる。

「なんでえ、白(しら)けやがってよ。」

 ヘクターが面白く無さそうにグイッと酒を煽った。

「まあ、お前たちも何かあったら市民を助けてやってくれ。有り体に言えば人気取りだな。」

 マスターが何とも言えない微妙な表情でつけ足した。
 どうやらマスターもこの計画に乗り気では無いようだ。

 クリフが曖昧に頷く……さすがに面倒だとは言い辛かった。


…………


 しばらく飲んでいると、ハンナも2階から降りてきて働き始めた。世話をしているエリーが昼寝をしたのだろう。

 コトリ、とクリフの前に皿が置かれた……まんじゅうが乗っている。

 「おや?」と思い、クリフが見上げるとハンナであった。にこにこと笑っている。

「クリフ、おまんじゅうが好きなのよね? 食べて?」
「いや、さすがに酒を飲んでいるときは……」

 クリフが遠慮をすると、ハンナが「私のおまんじゅうは食べれないの?」と笑っている……さすがに何かがおかしい。

「今日はどこ行ってたの? ロッコくんとお出かけしたのよね? 」
「うん……ロッコと武器を選んで、それからちょっと……」

 ハンナが「ちょっと?」と言うや否や、クリフに抜き打ちで斬りかかった。
 クリフは必死で床に転がり、間一髪で斬撃を躱わす……同時にドガッと音がして、分厚いテーブルの角が切り飛ばされた。

「どうせ娼館にでも行ってたんでしょ! おまんじゅうの意味も聞いたわよっ!」

 ハンナは床に転がるクリフに向かって剣を振るう。
 ガツッと音がして、カウンターの中ごろでハンナの刀が止まった。

「避けるなっ!」

 ハンナがカウンターから刀を引き抜こうとするが、食い込んだ刀は中々抜けないらしく、そのまま放置された。
 クリフがカウンターの下に逃げなければ確実に死んでいたであろう容赦の無さだ。

 ヘクターやギネスも口を開いたまま呆然としている。

「ハンナっ、さすがに洒落(しゃれ)に……」
「くやしいっ! 何でっ、何で私というものがありながらっ!!」

 ハンナが手当たり次第にそこら中の物をクリフに投げつけた。

 中身の入った皿や杯がクリフに直撃する。
 その多くが木製ではあるが、ハンナほどの武芸者が投げつければ当たれば無事とはいかない。
 投げる姿もピタリと腰が座り、唸りをあげて皿が飛ぶ。
 
「ちょっと、ハンナ、やめろ!」
「よくも、よくも他の女とーッ!」

 ハンナは完全に逆上し、正気を失っている。
 周囲の者は自分に被害が来ないように避難をするのがやっとだ。

「ぬけぬけとっ! 武器がどうとかっ! ロッコくんをだしにしてっ!!」

 ハンナが椅子で殴りかかってくる……バキャッと音がして、椅子が床に叩きつけられた。椅子の足が折れたようだ。
 これには堪らず、さすがのクリフも説得を諦めてドアから飛び出した。

 振り返ると、子供のように床にへたりこんで大泣きしているハンナが見えた。

「うわーんっ! クリフのバカーッ! あー! うわーん!」

 このまま逃げるのは気が引けたクリフが店に戻ろうとすると、マスターが「今日は帰れ」とクリフを追い出した。

 いつまでも泣き止まないハンナの泣き声に、何事かと人が集まってくる……さすがに居たたまれなくなったクリフが逃げるように立ち去った。

……泣かれるとはなぁ。

 クリフは先程のハンナの様子を思いだし、さすがに悪いことをしたと反省をした。
 そして同時にハンナの剣技の冴えも思いだし、ぶるっと身を震わせる。

 思えばハンナと出会った頃はクリフの方が強かった。
 しかし、今ではハンナの剣を躱わすのがやっとだ。

……もう、他の女を抱くのはやめよう……

 クリフがとぼとぼと宿に向かうと、路地裏で衛兵が集まっているのを見つけた。
 彼らはクリフをじろりと睨みながら二人の男を連行し、去って行く。



 秋の終わりの野分(のわけ)の様な、大きな混乱の気配を皆が感じていた。
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