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初夜??
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あっという間に半年が過ぎ、学院の卒業式も終わった。この後すぐに結婚式だ。忌々しいことに学院卒業生代表はサイーシャだった。成績では総合一位ではなかったのだが、経営に関する論文が諸外国に高く評価されたことで急遽学院側が決めたのだ。女性としては初の事に、女学生たちがきゃあきゃあ騒いでいて卒業式の日は一言も会話を交わせなかった。
いや別に話したいことなどないのだが。
そしてあっという間に今日は結婚式だ。恒例の花嫁の披露の時、どうやって褒めればいいかうんうん考えながらアレスティードは控えの間に歩いて行った。横にはフォンティールもついてきていて「アレス緊張してる?きっとサイーシャ嬢は美しいだろうねえ」等とどうでもいいことを言っていた。
ガチャリとドアを開けると、花嫁衣装に身を包み、ベールを下ろしたサイーシャが立っていた。
緻密なレースで作られた薄いベールは、サイーシャの白い肌を引き立てるようだった。ベールに隠れた艶めく黒髪は美しく編まれ結い上げられている。その髪に映えるような大小さまざまな真珠の粒があちこちにちりばめられており、清冽さを醸し出している。
ドレスは飾りの少ないマーメイドラインのものだが、よく見ればその生地には細やかな刺繍が施されており、動くたびに様々な陰影を生み出していた。いつも化粧気のないサイーシャの顔には薄く化粧が施され、桜色の唇と青く澄んだ目がベールの向こうで光っているようにさえ見える。
アレスティードは言葉を失ってサイーシャを見つめていた。この婚礼衣装は、「式が終わった後に分解して何かに使えるもの」という一風変わったお題で作られたものだと知っている。だが実物を見てみればこんなに美しいものだとは想像もしていなかった。
何よりサイーシャにとてもよく似合っており、彼女を美しく見せていた。
茫然と立ったままのアレスティードの横からフォンティールがひょこりと顔を出して、感嘆の声を上げた。
「わああ!とても美しいよ、サイーシャ嬢!アレスティードは果報者だねえ!」
その時、サイーシャは白く滑らかな頬を真っ赤にして照れた。
「‥馬子にも衣装、ですわ、カラエン公。アレスティード様がお手配くださったおかげです」
「いやいや本当に美しいよ!それからサイーシャ嬢、今日からあなたは私の娘でもあるのだからお義父様と呼んでほしいなあ」
フォンティールはにこにこと声をかける。サイーシャはますます顔を真っ赤にして下を向いた。褒められ慣れていないのだろう。
アレスティードは準備していた何の言葉も出せなかった。顔を真っ赤にして照れている、そのサイーシャに見とれてしまっている自分に気づいたらもっと喋れなくなった。
待て。待て待て待て。
おれ、しっかりしろ!こいつは俺を脅して結婚を迫った女こいつは俺を脅して結婚を迫った女…
「アレス?花婿が褒めないのはおかしいんじゃないか?何か言ったらどうだ?」
横からフォンティールが茶々を入れてくる。イラっとしたが、父のいうことももっともだ。ごくりとつばを飲み込み、賛辞を述べようとした時、サイーシャが言った。
「よろしいんですのよ、カラエンこ‥お義父様。私のようなあまり見栄えの良くない娘はなかなか褒めるところなんてありませんから。アレスティード様もどうぞご無理なさらず」
サイーシャはそう言うと、まだ少し頬を赤くしながら花嫁付添人と何か話しだして、アレスティードはすっかり賛辞を述べる機会を失った。
いや、別に、褒めるところないなんて思ってない‥
というアレスティードの心のつぶやきは誰にも拾われることなく、そのまま式は始まってしまった。
騒乱の一日を終え、ようやく夜になり自室へ引き取ることができた。疲れた。普段の社交の十倍疲れた気がする。だが、この式は来客者に非常に評判がよく、あちこちから賛辞をもらった。サイーシャのダメ出しのお陰だろうか。
窮屈な式服を全部脱ぎ捨て、風呂場の浴槽に沈み込む。ぶえええと変な声を出していると、外からカイザが声をかけてきた。
「アレス様、失礼致します」
そう言って浴室内に入ってくる。アレスティードは、これまで風呂は一人で使う習慣だったので急に入って来たカイザに驚いた。
「何だカイザ、呼んでないぞ」
慌てて浴槽に深々と沈むアレスティードを見て、カイザは呆れたような声を出した。
「あ~やっぱり。‥アレス様、解ってます?今夜は初夜ですよ初夜」
ずるうっと足が滑ってばしゃんとアレスティードは浴槽の中に転がった。湯が鼻の中に入ってしまいゲホゲホとむせ込みながら身体を起こす。カイザはじろりとこちらを見やった。
「一応、香りのいいボディオイルを持って来たんです。塗りこんで差し上げましょうか」
「いい、いい!そ、そういうの、多分ないから!」
「塗ります」
カイザはざぶりとアレスティードを浴槽から引きあげフチに腰かけさせるとぐいぐいボディオイルを塗り出した。
待ってくれそんなことしたらめちゃくちゃやる気のあるやつみたいじゃないかおいコラ相手は白い結婚希望だっていう話をしたよな!?
「わかりませんよ~この半年で結構アレス様に気持ちが傾いちゃってる可能性もなくはないじゃないですか!」
なぜかサイーシャを気に入ってしまっているカイザのせいで、いつになく身体からいい匂いのする男に仕上がってしまった。
この匂いをつけて、夫婦の寝室に行くのは、ちょっと気が重い‥
が、さすがに今日は夫婦の寝室で夜を過ごさないとまずいだろう。この結婚の真相を知っているのは、当事者のほかにはカイザだけだ。サイーシャも自分の侍女を連れて輿入れしているのでひょっとしたらその侍女は知っているかもしれないが‥‥。
アレスティードは夫婦の寝室の扉の前に立って大きく息を吐いた。呼吸を整え扉をノックして入る。
中に入ってみれば、まだサイーシャは来ていなかった。‥‥というかあいつ来ない可能性あるな、とアレスティードは気づいた。白い結婚でいいといったのは向こうだ。夫婦の寝室に来る気なんてないのかもしれない。
と、思ってソファに座った時サイーシャの部屋の方の扉ががちゃりと開いた。
そこには、薄いひらひらした夜着を身にまとったサイーシャが立っていた。クリーム色の夜着は下着のラインをはっきり見せるほどに薄い生地で出来ていて、アレスティードは思わず無遠慮に眺めてしまった。しかも、意外に胸あるんだな、などという下世話なことも思ってしまった。
そんなアレスティードを見て、サイーシャは驚いたようだった。
「アレスティード様、こちらにいらしてたんですね。いらしてないかと思ってノックもしませんでしたわ、ごめんなさい」
サイーシャはそう言ってさっさとベッドに入ってしまった。
‥‥ん?
これは、どういうことだ‥?
白い、結婚じゃなくても、いいってことか‥?
と、考えてぼーっと座っていたアレスティードにサイーシャはベッドから明るく声をかけた。
「さすがに今から一か月程度はこちらに寝かせていただこうと思いまして。あ、でも私寝相はいいので大丈夫ですよ!今日はお疲れさまでした。ではおやすみなさい」
サイーシャはそういうなりまたベッドの中に潜り込んだ。一分も経たないうちにすうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。
アレスティードは思わずソファから立ち上がりベッドサイドに移動して布団から少し出ているサイーシャの顔を見た。
何の警戒心も見せず、くうくうと眠っている。
何だよ。あんな煽情的な恰好して入って来たくせに、言いたいことだけ言ってすぐさま寝るなんて。
いや別に何か話したかったわけじゃないが。
なんでそんなに無防備に寝れるんだよおまえ。
おれが襲うとか考えないのか。
いや、襲わないけど。
アレスティードはそのままそうっとベッドに潜り込んで、落ちないぎりぎりのところに身体を横たえた。横を向けば目をつぶって安らかに寝ているサイーシャの顔が見える。
慌てて反対側を向き、アレスティードはぎゅっと目をつぶった。
(一か月か‥‥)
若く健康な青年であるアレスティードは、深いため息をついた。
翌朝早く、アレスティードはそっと身体を起こした。
(まったく、眠れなかった‥‥)
これが一か月続けば死ぬ。間違いなく死ぬ。
どうするべきか悩みながらふと隣を見ると、サイーシャがまだ眠っている。掛け布団が少しめくれ、あの扇情的な夜着の胸元がぱらりとめくれていて‥‥
(うああああああ)
アレスティードは飛び上がってばたばたと自分の部屋に通じる扉を開けて中に入り、バタンと閉めた。その音でサイーシャは目を覚ました。
(‥?アレスティード様は、早起きね‥)
サイーシャも目が覚めてしまったので起きようと思い、布団をはぐって自分の姿を見た。
(‥‥こんな夜着、もう着ないことにしよう。見苦しい身体が見えちゃう)
サイーシャはバランスのちぐはぐな自分の身体が嫌いだった。
昨夜は侍女のナタリアがどうしてもと言って無理にこれを着せたのだ。
サイーシャはどうせ白い結婚なのだしこんなものはいらないと思っていたが、「新婚から褥を別にされるなんて、他人様が聞いたら何と噂されるか‥!」とさめざめナタリアが泣くのに負けて言われるまま夜着を着てここに来たのだったが。
(アレスティード様もご迷惑だったでしょうね)
無理矢理結婚を迫った女。脅した女。
サイーシャは自分の立場をしっかりわきまえているつもりだ。あと一か月くらいはこの部屋で寝かせてもらうつもりだが、その後は自分の部屋で寝ればいいと考えていた。ひょっとしたらもうアレスティードには心に決めた人がいるかもしれないし、そこに行ってくれるかもしれない。
アレスティードと同じベッドで寝るのは気乗りしないが、体面的には仕方がない。サイーシャは起き上がって着替えるため、自分の部屋に戻った。
朝食には、フォンティール、アルフィレオ、アレスティードとサイーシャが揃った。新しい家族が揃って食事をするのは初めての事だった。アルフィレオが少し恥ずかしそうにサイーシャに声をかける。
「おはようございます、姉上。姉上とお呼びしてもいいですか?姉上が来てくださってとても嬉しいです!」
サイーシャは優しくアルフィレオに笑いかけた。
「もちろんですわ、アルフィレオさま。どうぞサシャとお呼びください。家族はみなそう呼びますの」
「はい!サシャ姉上!」
アルフィレオは顔を赤くして嬉しそうに返事をした。
素直かよ。いや素直なんだよ。それがアルのいいところだからな。
アレスティードは心の中でつぶやいた。どうも寝不足で頭が回っていない。今日は休みだし、朝食を食べたら少し仮眠をとるか。‥本当にこれから一か月一緒に寝るのか‥考えただけで頭痛がする。
アレスティードはこっそり横目でサイーシャを見た。顔色はよく、きちんと睡眠はとれたようである。人の気も知らずにいい気なもんだ、とアレスティードは思った。
しかし、これはこの先、俺も「サシャ」と呼ぶべきだろうか。だが自分に向けては言われていない。だとしてもアルフィレオが「サシャ」と呼んでいるのに夫である自分が「サイーシャ」と呼ぶのは何だか筋が通らない気がする。
「では私もサシャと呼ばせてもらおうかな。いいかい?サシャ」
フォンティールがそうサイーシャに優しく話しかけた。サイーシャは顔を真っ赤にして、下を向いた。
「は、はい、構いません、お義父様」
アレスティードの手からかちゃりとフォークが落ちた。食事中にカトラリーの音を立てるという、普段のアレスティードではありえないマナー違反に、アルフィレオとフォンティールが不思議そうにこちらを見てくる。サイーシャも頬を赤くしたままこちらを見つめてきた。
「‥すみません」
アレスティードは、震える手でフォークを持ち上げ、またそっと置いた。そしてそのまま席を立った。
「すみません、少し疲れているようですので‥休ませていただきます」
それだけ言い捨ててダイニングルームを後にする。後ろからフォンティールが何か言いかける声が聞こえたが無視をして自室に向かって歩いた。
そうか、
そうだったんだ。
あの女は、俺じゃなくて父上が好きなんだ。
ウエディングドレスを褒められてあんなに真っ赤になっていた。
さっきだってそうだ。
そう言えば父がいる時は、彼女は言葉少なだったような気がする。
まさか父親狙いで俺に結婚を申し込むとは。
アレスティードは部屋に入って扉を乱暴に閉め、そのままずるずると扉にもたれながら床にうずくまった。
しかも
俺は、
多分‥‥サイーシャが、好きだ。
いや別に話したいことなどないのだが。
そしてあっという間に今日は結婚式だ。恒例の花嫁の披露の時、どうやって褒めればいいかうんうん考えながらアレスティードは控えの間に歩いて行った。横にはフォンティールもついてきていて「アレス緊張してる?きっとサイーシャ嬢は美しいだろうねえ」等とどうでもいいことを言っていた。
ガチャリとドアを開けると、花嫁衣装に身を包み、ベールを下ろしたサイーシャが立っていた。
緻密なレースで作られた薄いベールは、サイーシャの白い肌を引き立てるようだった。ベールに隠れた艶めく黒髪は美しく編まれ結い上げられている。その髪に映えるような大小さまざまな真珠の粒があちこちにちりばめられており、清冽さを醸し出している。
ドレスは飾りの少ないマーメイドラインのものだが、よく見ればその生地には細やかな刺繍が施されており、動くたびに様々な陰影を生み出していた。いつも化粧気のないサイーシャの顔には薄く化粧が施され、桜色の唇と青く澄んだ目がベールの向こうで光っているようにさえ見える。
アレスティードは言葉を失ってサイーシャを見つめていた。この婚礼衣装は、「式が終わった後に分解して何かに使えるもの」という一風変わったお題で作られたものだと知っている。だが実物を見てみればこんなに美しいものだとは想像もしていなかった。
何よりサイーシャにとてもよく似合っており、彼女を美しく見せていた。
茫然と立ったままのアレスティードの横からフォンティールがひょこりと顔を出して、感嘆の声を上げた。
「わああ!とても美しいよ、サイーシャ嬢!アレスティードは果報者だねえ!」
その時、サイーシャは白く滑らかな頬を真っ赤にして照れた。
「‥馬子にも衣装、ですわ、カラエン公。アレスティード様がお手配くださったおかげです」
「いやいや本当に美しいよ!それからサイーシャ嬢、今日からあなたは私の娘でもあるのだからお義父様と呼んでほしいなあ」
フォンティールはにこにこと声をかける。サイーシャはますます顔を真っ赤にして下を向いた。褒められ慣れていないのだろう。
アレスティードは準備していた何の言葉も出せなかった。顔を真っ赤にして照れている、そのサイーシャに見とれてしまっている自分に気づいたらもっと喋れなくなった。
待て。待て待て待て。
おれ、しっかりしろ!こいつは俺を脅して結婚を迫った女こいつは俺を脅して結婚を迫った女…
「アレス?花婿が褒めないのはおかしいんじゃないか?何か言ったらどうだ?」
横からフォンティールが茶々を入れてくる。イラっとしたが、父のいうことももっともだ。ごくりとつばを飲み込み、賛辞を述べようとした時、サイーシャが言った。
「よろしいんですのよ、カラエンこ‥お義父様。私のようなあまり見栄えの良くない娘はなかなか褒めるところなんてありませんから。アレスティード様もどうぞご無理なさらず」
サイーシャはそう言うと、まだ少し頬を赤くしながら花嫁付添人と何か話しだして、アレスティードはすっかり賛辞を述べる機会を失った。
いや、別に、褒めるところないなんて思ってない‥
というアレスティードの心のつぶやきは誰にも拾われることなく、そのまま式は始まってしまった。
騒乱の一日を終え、ようやく夜になり自室へ引き取ることができた。疲れた。普段の社交の十倍疲れた気がする。だが、この式は来客者に非常に評判がよく、あちこちから賛辞をもらった。サイーシャのダメ出しのお陰だろうか。
窮屈な式服を全部脱ぎ捨て、風呂場の浴槽に沈み込む。ぶえええと変な声を出していると、外からカイザが声をかけてきた。
「アレス様、失礼致します」
そう言って浴室内に入ってくる。アレスティードは、これまで風呂は一人で使う習慣だったので急に入って来たカイザに驚いた。
「何だカイザ、呼んでないぞ」
慌てて浴槽に深々と沈むアレスティードを見て、カイザは呆れたような声を出した。
「あ~やっぱり。‥アレス様、解ってます?今夜は初夜ですよ初夜」
ずるうっと足が滑ってばしゃんとアレスティードは浴槽の中に転がった。湯が鼻の中に入ってしまいゲホゲホとむせ込みながら身体を起こす。カイザはじろりとこちらを見やった。
「一応、香りのいいボディオイルを持って来たんです。塗りこんで差し上げましょうか」
「いい、いい!そ、そういうの、多分ないから!」
「塗ります」
カイザはざぶりとアレスティードを浴槽から引きあげフチに腰かけさせるとぐいぐいボディオイルを塗り出した。
待ってくれそんなことしたらめちゃくちゃやる気のあるやつみたいじゃないかおいコラ相手は白い結婚希望だっていう話をしたよな!?
「わかりませんよ~この半年で結構アレス様に気持ちが傾いちゃってる可能性もなくはないじゃないですか!」
なぜかサイーシャを気に入ってしまっているカイザのせいで、いつになく身体からいい匂いのする男に仕上がってしまった。
この匂いをつけて、夫婦の寝室に行くのは、ちょっと気が重い‥
が、さすがに今日は夫婦の寝室で夜を過ごさないとまずいだろう。この結婚の真相を知っているのは、当事者のほかにはカイザだけだ。サイーシャも自分の侍女を連れて輿入れしているのでひょっとしたらその侍女は知っているかもしれないが‥‥。
アレスティードは夫婦の寝室の扉の前に立って大きく息を吐いた。呼吸を整え扉をノックして入る。
中に入ってみれば、まだサイーシャは来ていなかった。‥‥というかあいつ来ない可能性あるな、とアレスティードは気づいた。白い結婚でいいといったのは向こうだ。夫婦の寝室に来る気なんてないのかもしれない。
と、思ってソファに座った時サイーシャの部屋の方の扉ががちゃりと開いた。
そこには、薄いひらひらした夜着を身にまとったサイーシャが立っていた。クリーム色の夜着は下着のラインをはっきり見せるほどに薄い生地で出来ていて、アレスティードは思わず無遠慮に眺めてしまった。しかも、意外に胸あるんだな、などという下世話なことも思ってしまった。
そんなアレスティードを見て、サイーシャは驚いたようだった。
「アレスティード様、こちらにいらしてたんですね。いらしてないかと思ってノックもしませんでしたわ、ごめんなさい」
サイーシャはそう言ってさっさとベッドに入ってしまった。
‥‥ん?
これは、どういうことだ‥?
白い、結婚じゃなくても、いいってことか‥?
と、考えてぼーっと座っていたアレスティードにサイーシャはベッドから明るく声をかけた。
「さすがに今から一か月程度はこちらに寝かせていただこうと思いまして。あ、でも私寝相はいいので大丈夫ですよ!今日はお疲れさまでした。ではおやすみなさい」
サイーシャはそういうなりまたベッドの中に潜り込んだ。一分も経たないうちにすうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。
アレスティードは思わずソファから立ち上がりベッドサイドに移動して布団から少し出ているサイーシャの顔を見た。
何の警戒心も見せず、くうくうと眠っている。
何だよ。あんな煽情的な恰好して入って来たくせに、言いたいことだけ言ってすぐさま寝るなんて。
いや別に何か話したかったわけじゃないが。
なんでそんなに無防備に寝れるんだよおまえ。
おれが襲うとか考えないのか。
いや、襲わないけど。
アレスティードはそのままそうっとベッドに潜り込んで、落ちないぎりぎりのところに身体を横たえた。横を向けば目をつぶって安らかに寝ているサイーシャの顔が見える。
慌てて反対側を向き、アレスティードはぎゅっと目をつぶった。
(一か月か‥‥)
若く健康な青年であるアレスティードは、深いため息をついた。
翌朝早く、アレスティードはそっと身体を起こした。
(まったく、眠れなかった‥‥)
これが一か月続けば死ぬ。間違いなく死ぬ。
どうするべきか悩みながらふと隣を見ると、サイーシャがまだ眠っている。掛け布団が少しめくれ、あの扇情的な夜着の胸元がぱらりとめくれていて‥‥
(うああああああ)
アレスティードは飛び上がってばたばたと自分の部屋に通じる扉を開けて中に入り、バタンと閉めた。その音でサイーシャは目を覚ました。
(‥?アレスティード様は、早起きね‥)
サイーシャも目が覚めてしまったので起きようと思い、布団をはぐって自分の姿を見た。
(‥‥こんな夜着、もう着ないことにしよう。見苦しい身体が見えちゃう)
サイーシャはバランスのちぐはぐな自分の身体が嫌いだった。
昨夜は侍女のナタリアがどうしてもと言って無理にこれを着せたのだ。
サイーシャはどうせ白い結婚なのだしこんなものはいらないと思っていたが、「新婚から褥を別にされるなんて、他人様が聞いたら何と噂されるか‥!」とさめざめナタリアが泣くのに負けて言われるまま夜着を着てここに来たのだったが。
(アレスティード様もご迷惑だったでしょうね)
無理矢理結婚を迫った女。脅した女。
サイーシャは自分の立場をしっかりわきまえているつもりだ。あと一か月くらいはこの部屋で寝かせてもらうつもりだが、その後は自分の部屋で寝ればいいと考えていた。ひょっとしたらもうアレスティードには心に決めた人がいるかもしれないし、そこに行ってくれるかもしれない。
アレスティードと同じベッドで寝るのは気乗りしないが、体面的には仕方がない。サイーシャは起き上がって着替えるため、自分の部屋に戻った。
朝食には、フォンティール、アルフィレオ、アレスティードとサイーシャが揃った。新しい家族が揃って食事をするのは初めての事だった。アルフィレオが少し恥ずかしそうにサイーシャに声をかける。
「おはようございます、姉上。姉上とお呼びしてもいいですか?姉上が来てくださってとても嬉しいです!」
サイーシャは優しくアルフィレオに笑いかけた。
「もちろんですわ、アルフィレオさま。どうぞサシャとお呼びください。家族はみなそう呼びますの」
「はい!サシャ姉上!」
アルフィレオは顔を赤くして嬉しそうに返事をした。
素直かよ。いや素直なんだよ。それがアルのいいところだからな。
アレスティードは心の中でつぶやいた。どうも寝不足で頭が回っていない。今日は休みだし、朝食を食べたら少し仮眠をとるか。‥本当にこれから一か月一緒に寝るのか‥考えただけで頭痛がする。
アレスティードはこっそり横目でサイーシャを見た。顔色はよく、きちんと睡眠はとれたようである。人の気も知らずにいい気なもんだ、とアレスティードは思った。
しかし、これはこの先、俺も「サシャ」と呼ぶべきだろうか。だが自分に向けては言われていない。だとしてもアルフィレオが「サシャ」と呼んでいるのに夫である自分が「サイーシャ」と呼ぶのは何だか筋が通らない気がする。
「では私もサシャと呼ばせてもらおうかな。いいかい?サシャ」
フォンティールがそうサイーシャに優しく話しかけた。サイーシャは顔を真っ赤にして、下を向いた。
「は、はい、構いません、お義父様」
アレスティードの手からかちゃりとフォークが落ちた。食事中にカトラリーの音を立てるという、普段のアレスティードではありえないマナー違反に、アルフィレオとフォンティールが不思議そうにこちらを見てくる。サイーシャも頬を赤くしたままこちらを見つめてきた。
「‥すみません」
アレスティードは、震える手でフォークを持ち上げ、またそっと置いた。そしてそのまま席を立った。
「すみません、少し疲れているようですので‥休ませていただきます」
それだけ言い捨ててダイニングルームを後にする。後ろからフォンティールが何か言いかける声が聞こえたが無視をして自室に向かって歩いた。
そうか、
そうだったんだ。
あの女は、俺じゃなくて父上が好きなんだ。
ウエディングドレスを褒められてあんなに真っ赤になっていた。
さっきだってそうだ。
そう言えば父がいる時は、彼女は言葉少なだったような気がする。
まさか父親狙いで俺に結婚を申し込むとは。
アレスティードは部屋に入って扉を乱暴に閉め、そのままずるずると扉にもたれながら床にうずくまった。
しかも
俺は、
多分‥‥サイーシャが、好きだ。
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